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さて、改めて、この夏は、戦後80年の節目ということになります。
火爆80年ということでもありまして、おとといが広島原爆期、そして明日は長崎原爆期ということになります。
この長崎へ原爆が投下されたというのは、最初は小倉に投下される予定だったんですが、上空に雲があつく覆っていたために、第二目標の長崎になったということを思いますと、
福岡県民にとっても、明日は同じ九州という以上に、身近な自分事だというふうに感じる方も多いんじゃないでしょうか。
今日のテーマは、戦後80年の夏に伝えたい言葉ということです。
私、去年12月のこのコーナーでこんなお話をしました。
一つは、江戸時代以降、日本社会はほぼ80年周期で大きく変動したということ。
その2つ前の節目が明治維新、直近の80年前が敗戦で、日本は主権を失って君主制から民主国家へ今の憲法が制定された結果の変革でした。
ではなぜ日本は無謀な戦争に突き進んだのか。
この80年前、明治維新の原動力の一つは、開国によって欧米列強の力を知った日本が、近代国家を築かなければ植民地になるという危機感でした。
ところが、国を守るために進めたはずの不国共兵策で力を持った軍部が暴走した挙句の敗戦は、先人たちの思いを忘れた記憶の風化が大きいと私は思います。
それは今も似た状況で、戦争の悲惨さを味わい戦後復興を果たした世代の政治家や経営者が去って、日本は再び戦争をできる国になりつつあるのではないかというお話をしたのですが、
ご存知の通り、先日の参院選では、憲法草案に教育直後や愛国心の尊重を掲げて、候補者が核武装を主張された賛成党が比例票の12.5%、政党別で3番目に多いおよそ740万票を獲得して大躍進しました。
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核武装が安上がりだとか言ってましたからね。
でもこれも紛れもない国民の選択でして、戦後80年を経た今の一つの現実ですよね。
もう一つ思い出すのはですね、3年前の暮れです。
田森さんが鉄子の部屋で、来年はどんな年になるでしょうって聞かれて、新しい戦前になるんじゃないですかと答えて、この新しい戦前という言葉がインパクトが大きかったんですけれども、
改めてその思いを私強くしている今ですね、被爆者の皆さんをはじめとして戦争の酸化を知る方々の思いを伝える、継承する大切さをですね、かみしめていますこの夏。
ごめんなさい前置きが長くなりました。ここからはですね、私がお付き合いさせていただいて、直接その思いを伺った今は亡き方々の言葉をお伝えしたいと思います。
最初は中西玲さんです。およそ4000曲の作詞を手掛けた北井のヒットメーカーで直樹賞作家という華やかな経歴の反面、旧満州から命からが引き上げた戦争体験者でもあり、平和や反戦を訴える詩やエッセイも数多く残されました。
私はサンデーの編集長当時に小説やエッセイを連載していただいて、いろいろとお話をうかがう機会もあったんですけれども、その中でですね、引き上げ者は国に捨てられた鬼民だったと。
その当時の人が人でなくなる壮絶な体験は今も夢にうなされると。だから戦争だけは繰り返しちゃいけないと話されたのを覚えています。
亡くなってもう5年になります。
そうして最も記憶に残るのは、2014年7月1日、集団的自衛権が閣議決定された日の日に、毎日新聞の小国綾子記者の依頼を受けて、9日後の10日夕刊に掲載された詩です。
タイトルは、「平和の申し子たちへ、泣きながら抵抗を始めよう」でした。
読者から感動したという手紙やファックス、メールなどの反響が殺到してですね、小国記者は後に、言葉の力を物語りにした思いだったと振り返っています。
私も当時同じ思いでした。抜粋してご紹介したいと思います。
富永さんお願いします。すみません。
平和の申し子たちへ、泣きながら抵抗を始めよう。
今日は抜粋です。
ああ、若き友達よ。巨大な歯車がひとたびぐらっと回り始めたら最後。
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君もその中に巻き込まれる。嫌顔でも巻き込まれる。
しかし、君に戦う理由などあるのか。
国のため、大義のため。
そんなもののために君は銃で人を狙えるのか。
君は銃剣で人を刺せるのか。
君は人々の上に爆弾を落とせるのか。
若き友達よ、君は戦場に行ってはならない。
なぜなら君は戦争に向いてないからだ。
世界史上、累々のない69年間も平和が続いた理想の国に生まれたんだもの。
平和しか知らないんだ。平和の申し子なんだ。
愛する平和の申し子たちよ、この世に生まれ出た時、君は命の歓喜の産声をあげた。
君の命よりも大切なものはない。
生き抜かなければならない。
死んではならない。
が、殺してもいけない。
だから今こそ、最もか弱き者として産声をあげる赤子のように泣きながら抵抗を始めよう。
泣きながら抵抗をし続けるのだ。
泣くことを一生やめてはならない。
平和のために。
ありがとうございました。
当時、反響の大きさからですね、戦争体験をもとにした10点の書き下ろしの詩を書き加えていただいて、緊急出版し、
そのうちの1編で、核廃絶を訴えるリメンバーという詩は、後に曲が付いて、今も歌い継がれていますし、
今読んでいただいた平和の申し子たちへは、今も朗読会などが開かれていると聞きます。
今日は時間の関係で半分ほどだったんですけれども、
残りの中にはですね、平和ボケ?何とでも言わしておけ。
戦争なんかまっぴらごめんだ。
そのどこが悪い。
弱くあることも勇気のいることなんだぜ。
という下りもあってですね、
図書館でも結構です。ぜひこの夏ですね、じっくり読んでいただければ、
できれば本で読んでいただくと、他にもいろいろありますのでですね、
きっと中西さんの思いが伝わるんじゃないかと思います。
そしてもう一方ですね、すでにこのコーナーで2回ご紹介した漫画家の柳瀬隆さんです。
私がまだ新聞社の記者当時に知遇を得て思いを伺いました。
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亡くなってもう12年になります。
こんな話をされました。
戦争体験の影響は、それはすごい作品作りの中でありますよ。
一番大きいのは、正義というのは信じがたいということでね。
日本は中国の民衆を救う正義の戦いだと言っていたが、戦争が終わったら悪者になっていた。
正義は簡単に逆転するんです。勝った方が正義になる。
ですから、そんなものは信じがたい。正義の味方なんてものは信じられないんです。
珍しくその時は強い口調でした。
鬼畜米って言っていた日本は敗戦後、占領の時代を経て、その価値観を丸ごと受け入れました。
アメリカの核の傘の下に入って経営武装、経済大国の道を歩む一方で、
その代わりと言っては不平等な日米地位協定は今も改定されないままです。
私は2つの原爆で、東海はもちろん多くの民間人も巻き込んだ無差別爆撃、空襲も国際法違反だと思っていますが、
誰も裁かれません。正義は勝った側だからですね。
ただ柳田さんはあの時優しい方なのでそうはおっしゃいませんでしたが、
あの言葉は自分にも向けられた言葉だと私は感じました。
戦前のほとんどの新聞は大本演発表を垂れ流して、それどころか戦争遷移向上に進んで協力しました。
その反省から戦後メディアはあらゆる権力からの独立と公正で正確な報道を誓いました。
私は昭和の入社ですけれども、新人研修で先輩からですね、君らが最後の最後まで守らなければならない究極は、
二度と戦争はさせないということだと言われました。
その後君はどうなんだいと問われた思いがしたからですね。
じゃあ逆転しない正義ってあるのか、柳田さんはこう言葉を続けました。
人生で一番何が辛いか、食べられないってことなんだよね。
だから正義の味方だったらね、まず食べさせること、飢えを助ける。
でも戦後ずっとスーパーマンとかウルトラマンとかいっぱいヒーローは出てきたけど、みんな飢えている人を助けないんですね。
だからそれをやらなくちゃという思いがずっとあって、結局アンパンマンにつながっていくんです。
今ニュースでガザの球場を見るにつけですね、私はこの話を思い出すんです。
飢え死にする7割は子供と言われて、映像で泣く力さえなく横たわっている姿に胸締め付けられますよね。
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あんな様子を見るたびにこの言葉を思い出すんです。
アンパンマンにそんな思いが込められていることをですね、この夏ぜひお子さんたちに伝えていただけないでしょうか。
そうですね。
はい。さて、最後に明日あります。今年の長崎原爆期について少しだけ。
明日の平和記念式典では2000年以来続いてきた児童合唱の曲が変わります。
はい。
はい。長崎市出身で被爆2世でもある福山雅春さんが2014年に発表したクスノキです。
ご存知だと思いますけれども。
爆心地に近く合わせておよそ2700人の児童が亡くなった城山町と山里町の子供たちによる合唱で
2700人ってちょっとゾッとしますよね。
一瞬にしてね。
小学生ですよ。
辛い。
これまではそれぞれの学校でですね歌い継がれている鎮魂の歌をその記念式典で披露してきたんですけれども
今年は初めて2校が合同でこの歌を歌うそうです。
タイトルのクスノキは爆心地からわずか800メートルの三能神社の境内にあって
原爆の爆風と熱線で枯れる寸前までなりながら奇跡的に再生した
火爆クスノキのことです。
70年は草木も生えんと言われた長崎で2ヶ月後には新芽を出して今も葉を茂らせて
人々に勇気と希望を与え続けるその姿から命の尊さとたくましさ
すべての命が生を全うできる願いを込めた歌だそうです。
今回はこの歌を山里省のお子さんたちが歌う背景には
若い人たちに平和の実装を伝え続けていかなければいけないという危機感もあるようです。
昨年12月のノーベル平和賞の受賞式で日本被弾協の田中てるみ代表委員は
核兵器を二度と使ってはならないという核のタブーが崩されようとしていることに
限りない悔しさと怒りを覚えると訴えましたけれども
生存する被爆者およそ10万人の平均年齢は85歳を超えて
その思いと記憶の継承はいよいよ待ったなしです。
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被爆クスノキという視点と福山さんの歌の力で
この歌が長く歌い継がれそしてそれによって被爆のことが語り継がれますようにという願いですね。
あわせて長崎では今長崎クスノキプロジェクトで
被爆クスノキを車両全体にデザインした路面電車が走っています。
市民だけじゃなくて長崎を訪れた人たちにもその存在を伝えて
命と平和を考えるきっかけにしてほしいという活動です。
年末まで運行されるそうなので機会があればぜひ乗って
三農神社や原爆資料館を訪ねてみてください。
そしてそこで感じた思いを誰かに伝えてもらえればと思います。
本当に体験をした方々が語り継いでくださる
いわゆる語り部という方々が本当に少なくなってこられて
その体験した人の言葉って本当に重いし
これはだから我々大人もそうだけど小さな子どもたちにも伝えて
目を背けずに
唯一の被爆国ですからね。我が国は。
それを落としたのはアメリカなんですよ。
核兵器を使ったのはアメリカだということは
絶対に忘れちゃいけないし
その核の傘の下にいるっていうこの現状は何なんだっていうことを
核廃絶を一番に言っていかなきゃいけないのは日本なんですよね。
核保有国だけがそこの核防止条約みたいなのが入ってこないっていう
作ろうとするところには作るなっていう。
なんだあんたたちの勝手はっていうことを
これトランプ大統領だけじゃなくてね
アメリカという国もっと言うと他のフランスとか核保有国
なんなんだっていうことをやっぱり日本から訴えていくべきだと僕も思うんですけどね。
そうですね結局第二次世界大戦を勝った国が正義になって
その片方の正義がずっと続いている。
今もウクライナやガザや戦争はいろんなところで起きててですね
おっしゃる通り核兵器禁止条約も日本が何で結べないんだと
だれ締結できないんだと
大騒がりもならないんだもんね。
明日長崎の原爆期ということなんですけども
今一度平和について考えるということも大事だと思います。
今日はとても心に響く言葉を
片中修一郎さんに教えていただきました。
どうも片中さんありがとうございました。