第68回の引用をもってきたわたるです。
今回は、勅使河原真衣さんの『働くということ 「能力主義」を超えて』から引きました。
「できる」ことがより求められる社会では、主体的に成長していくことや、積極的に自らなにかを獲得していくことが求められます。
今回の引用には、こころの中にある情熱には、受身から始まることもあるという希望を感じました。
そのほかにも、能力主義の周辺を雑談しました。
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わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。
ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。
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00:03
IN YOU RADIO
引用ラジオ
小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉に、その人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが垣間見えたら。
メンバーたちが持ち寄った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え、雑談するポッドキャストです。
ヒカルです。
渡辺です。
今日も3人でお届けします。
はーい。
はい、で、今宵はですね。
今宵は渡辺が持ってきた本を引用します。
はーい。
岸川眞衣さんの、働くということ。
令和人文主義の人ですね。
あー、そうかそうか。
戦艦隊の谷川佑太さん。
能力主義を超えてという本、新書です。
終焉者新書。
本なんですが、
えっとね、
あらすじ。
岸川眞衣さんとは何者なのか。
1982年、横浜生まれ。
組織開発専門家。
東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。
外資コンサルフティングファーム勤務を経て、
2017年に組織開発を専門とする小野水株式会社を設立。
企業をはじめ、病院、学校などの組織開発を支援する。
二次の母。
2020年から入学投票中。
で、
機能訓練や人文大賞2020年8位にランクインした初めての著書。
能力の行きづらさをほぐす。
喉が大きな反響を読む。
組織開発を専門の人。
で、
働くことにおいてのつらさとか、
能力主義に縛られているこの社会みたいなことについて書いている。
そういう本なんですよ。
僕はすごい興味があったので、
自分自身はかなり、
能力主義みたいなのに反発したいと思ってたから、
仕事では面白いものとか、
良い作品を作らなきゃいけないんだけど、
そこに能力主義がついてもらったり、成果主義とか、
自分みたいな仕事よりもよっぽどもっと、
能力主義を求められてしまう仕事っていっぱいあると思うんだけど、
03:00
そういうのにどうやって付き合っていったらいいかなってずっと考えているので、
そういう意味ではすぐ買って手に取ったんですけど、
その中で、
なんか、
いいなぁと思った。
一説。
なんていうかな、
今みたいなそのネガティブな、
能力主義に対するネガティブさみたいなものの表裏一体として、
どうやったら、
より良く生きられるかみたいな、
っていうのの補助性になる話がいいなと思ったので、
そこを引用します。
この章はですね、
とあるお客さん、
カウンセリングというか相談に来たお客さんが、
組織開発した先のお客さんが、
後輩が無能すぎて辛いっていう。
どんどん辞めていっちゃうとか、
なかなか定着しないみたいなことに対して、
その人とのコミュニケーションとか、
どうやったら自分の中の内面化した能力主義をほぐしつつ、
組織をうまく作る、健全に作っていけるかみたいな話で、
その中で余談になりますがって書いてるんですけど、
とある能力、
ある種の、
彼自身が、そのお客さん自身、
シンさんという人なんだけど、
彼自身が、
ある種の仕事の情熱みたいなことが、
他の人から浮いちゃってるというか、
他の人の情熱が自分とはかみ合わないみたいな話。
中で余談になりますが、
このことを考えていると、
トマス・アキナスのパッション、
熱情というラテン語は、
パッシル、受け身の語源になっているという話を思い出しました。
そのままを感じること。
社会を変えるのは必ずしも強大な力だけではない。
誰もが持つ感覚や気持ちを味わい、
それを出して受け止めてもらえる。
そんな小さな主体の立ち上がりが社会を動かすのだと。
初めてこの話に触れたときに感動したものです。
仕事や人生を戦争に見立ててきたような人からすると、
物足りない世界観かもしれません。
でも高度経済成長期じゃありませんし、
あらゆる資源に限りがある中で、
かつ環境問題のような出力な仕方にも配慮が求められる昨今です。
今以上に何かを求め増やすのではなく、
足元に目をやる。
ありものの価値を再認識することが欠かせないのだと、
組織開発の実践からも思うわけです。
このパッションの語源がパッションである。
受け身という言葉の語源がパッションだという。
06:00
お前は受け身で帰ろうみたいな。
受け身でやってんじゃないよみたいな。
なんか叱りみたいなが発生する世の中だと思うんだけど、
主体的に行動しようみたいな。
お前は何をやりたいんだ。みたいな。
本来、生きてるだけでも何かを受け取っているというか、
何か情熱的な熱情がどこかに常にある。
それを起動させるのはそんなに、
社会を変えなきゃいけないみたいな、
大きなあれじゃなくても、
何かあるんじゃねえかみたいな。
こういう話ずっと今までポテキャスターずっとしてるんだけど。
なんかそういう、何だろうね。
既にあるものを見直したときに見つかる。
何か受け身に見えたんだけど、
こっちの受けって言うこの胸元にある何かみたいな。
それもあんじゃないかなって。
具体的にどういうことなんだろうね。
どういうことなんだろうね。
なんかさ、何だろう。
みんな、例えば映画見てさ、
意味わからなかったなとか、
これどうやって考えたらいいんだろうとか。
何かしらね、思うね。
思う前に感想、人の感想を見に行くとかさ。
解説を見に行くとかさ。
して、しちゃってるんだけど。
なんかちょっと待ってほしいなって思う。
絶対何かあったでしょって。
それこそ違和感はありませんじゃないけど。
違和感ほど明確じゃなかったとしても、
あのシーンなんか気になるなとか。
なんかそういうものを自分で考えてみるっていう。
受けたその、何ていうの。
何かを受けてんだよな。
何だっけあの。
宇宙のさ。
宇宙から光が降り注いでるみたいな。
何だっけあの。
スーパー神を噛んでみたいな話だった。
ソリューシが。
ソリューシがさ。
どっかの星がバーンって生まれた時に、
降り注ぐソリューシみたいなのが、
特大プールに数年に一度ポツンと落ちてくるみたいな話でさ。
何か太陽の光浴びてる時にもさ、
光は浴びてるっていう。
何か変化があるはずなんだよ。
そういうものがあるはずだと思うことで、
自分の中で探索ってできるんじゃないかなとか。
みんな何か大きな物を、
大きな物語を求めてるんだけど。
そうじゃなかったとしても、
自分の小さな受け止めた時の衝撃みたいな。
小さな衝撃みたいなのをまず見ることで、
何かその受けてからパッション。
パッシブからパッションに接続する何かが見つかるような気がして。
なんか非禁な質問になっちゃうんだけど、
それを無能な後輩がいるという人に対して、
その話をしている。
そうね。
これは直接何かに逆立てるというために話してる。
09:02
余談として。
余談として。
何かこのシーンさんというお客さん、患者さんというお客さんは、
何かこのみんながすごい受け身であることを批判したりとか、
自分ばかりが頑張っている。
あいつら無能だからできてないみたいな。
そういう何か一辺倒な考えに陥ってたんだけど、
何か彼らのその既にある受け身の奥にあるパッションみたいなものを、
何かそこに何かあるんじゃないかみたいなことをまず考えてみませんか?
みたいな感じだった気がする。
能力とは違う軸っていうか。
そうそう。能力って何かを。
高い低いとかね。
何かできるもの、できるできないものみたいなのが見えるんだけど、
でもあるない。
あるもの、既にあるもの。
あるかもしれないもの。
何かがあるかもしれないみたいな。
そういうものとしてまずは見ないと。
何かそうそう最近も、
僕が今働いているプロジェクトの後輩だし、
まぁちょっとのんびりした男の子で。
何か彼をできるできないのチェックボックスでいくと、
できないばっかりチェックが付きかねない。
てか自分だってそうだったんですよ、かつて。
できないできるで、何か線引きしていくとか。
できないことばっかり見えてきて、
自分はダメだとか、あいつはダメだみたいになりかねないんだけど。
何かそうじゃなくて、
何か好き嫌いとかその人の。
何かこれは得意、得ってとか。
何かそういう既にあるものの、
どうやってそれを活性化させるかとか。
どうやってそれを何かこう、
みんなで一緒に何かできるようなものにしていくみたいな。
何かそういう風な方がよっぽど健全だなと思って。
ついやっぱりできるできないの話に陥っちゃうと、
辛いなーみたいな思ってて。
何かそういうのありますか?自分にまつわる、できるできない。
いや、何かこれもちょっと労働論に組み込まれてますけど、
それも仕事的に言うとさ、
もちろんそのできるできない、分かりやすい、
自分作業的なものできるできないもあるけどさ、
何か作る時ってそのパッシブな感覚とか、
これ自体も能力として見られうるじゃん。
何か作る時って。
いわゆる感受性みたいなものもある種、
ケーパビリティーになるみたいな。
それ結構時々しんどい時はあるかもね。
面白いところでもあるんですけど。
能力主義にちょっと回収されちゃってる感じはあるよね。
人より見えないものを見えた方がいいし、
思いつかないものを思いついた方がいいから。
それって結構こっちで言ういわゆるパッションとかパッシブ的な、
あるないのものなんだけど、
あるないも高い低いに回収されがちなところが、
今自分がいる環境だとシビアだなと思った。
12:02
確かに職種的にね、
どうしてもそこが感受性すらも能力。
でもそう。
確かにな。
でもそれって本来は自由なもの?
だからそうね。
生きてる上での感受性のあるなしと、
仕事に使われるなしってまた別のレイヤーだったりするし、
こっちがなかったからこっちがないってわけでもないんですけど、
ただ結構ね、実際の中ではそういう査定の元に生きてるなって感じが、
自分は聞いてたり思った。
どうですか?
うーん、そうだな。
感受性、私はなんか職種的に感受性を
査定されることは少ないかなと思ってて、
なんだろう。
でもなんかその、ちょっと仕事から離れるんだけど、
新しく出会った人に対して、
その人をより深い関係になりたいかみたいなことを、
自分がジャッジというか考えるときに、
結構なんか感受性みたいなところすごい気にしちゃうかも。
感受性があるかと。
感受性はみんなあると思うんだけど、
なんかそれこそ一つの映画を見たときに、
それをどう解釈して、
どう自分の言葉にして語る姿勢があるかみたいな。
そういうのは見がちかもしれない。
自分もそこで人を、
線引きじゃないけど、
してしまってる節はちょっとあるなって思うことはある。
今ちょっと達成するかもしれないけど、
言語優位じゃんみんな。
それを言葉にできたりとか、
言語化できること、歌詞化できること優位だから、
それがより能力として回収されちゃってる感じはするよね。
素敵なノートと素敵な考察と、
素敵なフィルマークスを書けることはしたことないと思う。
そうなの。
これ収録してないところで言ったけど、
なぜ美味しい店を知ってる人が魅力的に見えるか。
なぜ服がオシャレな人が魅力的に見えるかみたいな。
本当不思議で、
何なんだろうって。
なんで素敵な音楽を聴いてる人は魅力的に見えるのか。
不思議でたまんないんだよね。
なぜその感受性が豊かだったり、
人が受け取れないことを受け取った人は
より魅力的に見えることがあるのかみたいなのも不思議なんだよね。
仮説だけどさ、
人生がめっちゃ短いからな気がしてて。
なるほどね。
いろんなこと経験できないし。
糸石外みたいな。
糸石外みたいな近道したなと思って。
感受性が魅力的に見えるのは人生が豊かなから。
短い短い短い短い。
15:00
人生が短いから。
短いから。
それはもう僭越な話になっちゃいますけど。
尊敬してるってこと?
同じで、レジェンド。
レジェンドだから。
なんかさ、やっぱり感受性とか、
好奇心だと思うんだけど平たく言えば。
知らないことを知ってると話してる。
どう思ったかとか、記憶とか、情報もそうだけど。
人生短くてそんなの全部は経験できないって
本能的に理解しちゃってるから
そこに自分だけではたどり着けないところの
人の交わりとかがあると
歯が研いじゃうのかなって思っちゃった。
なるほどね。
その人のフィルターを通して
自分が今までアクセスできてなかった
世界の可能性を知るとか
拡張してる感じがあるはする。
そういう確かに
いい店知ってるとか結構そういう風に近いかもね。
確かに今喋って思ったけど
世界の拡張をしてる感じは
別に能力とか関係ないかもしれない。
すんごい拙い、いわゆる拙い言語家だったとしても
全然自分と合わないものだったとしても
広がってる感覚には浸りるっていうか
それが働く中での能力とはまたちょっと違うかもなと思った。
さっき塚田くんが言った
令和人文主義っていうのを
ちゃんと解説するついでに思い出したから
やっぱり引っ張り出したんだけど
これ朝日新聞のコラムで
すごい有名な話題になったんだよ。
去年の9月11日の記事で
深井龍之介、三宅嘉穂
新世代が再定義する教養
令和人文主義とは
っていう記事が話題になった。朝日新聞の記事になって
俺もこれ初めてのとき
まさに自分たちを思い出したんだけど
陰陽ラジオのメンバーを思い出して
これ何を言ってるかっていうと
かつて人より優れていないといけないから
得ていた教養みたいなものが
今の時代は
これ俺の理解ね
今の時代は自分自身の満足みたいな
自分自身の気持ちと内面が
何か豊かになるような気がするとか
知りたいみたいな
本当に単純な興味関心とか
深掘りしていくみたいな
そういう教養主義みたいな人が多いみたいな
三宅さんとか深井美之助さん
コテンラジオとかそういう人が多いみたいな話で
自分もそうだなと思った
陰陽ラジオもそういうタイプ
何かを自慢したいっていうよりは
こういうものに自分は響いて
これについて話したいんだよ
ある種
広がりはないかもしれないけど
社会的な広がりはないけど
中の広がりはある
内部の広がりみたいなものを求めて
18:00
問い続けるみたいなもの
ごく個人的なところから入ってる感じですよね
自分で深めるほうが
自分とか近い他者と
広げていくっていうことが
自分を更新してくれるような気がして
うん
自分の知らないものを見せてくれる他者っていうのは
自分の悩みを深めてくれるような
気がするっていうのがあるかもしれない
一緒にいることで
さっきのちょっと気になる言葉とかも
その会話自体に
特段意味っていうか
意義があるわけではないけど
そういうちょっと
センスオブワンダーみたいな言葉だけど
それをちょっとシェアする
それをメディアというか
媒介としてね
言葉を交わすことによって
内面がちょっと深まるというか
そういうのはあるかもしれない
なんかさっきのね
ないないと思っていて
それっぽいなと思った
極秩的なものを掘り下げている
自分の世界の生きりとり方
っていう主張なんだけど
おびにあるさ
他者と働くことはなぜこんなに難しいのか
っていうのの
アンサー的なのはあるのか
この本の中に
なんかね
そういう感じでもなかったので
俺は自分がどう
能力主義から逃れるか
みたいな視点で読んでたから
あんまなんか
他者を
能力ってさ
確率的というかさ
いろんな
0か100かみたいなもので
測っていくような面があるじゃん
そうじゃなくて
いろんな尺度で人が
成長というか
いろんな特徴を持っていたりとか
世界を切り取っていたりとか
その辺をどう折り合いつけていくか
みたいな話だったかな
なんか
事例を
実例をもとにというか
お客さんに
その組織開発の
依頼してきた人の事例をもとに
少しずつ
能力主義的にその
0か100かで測られていくものを
どういうほぐし方で
これはこうですよね
これはこうですよね
一対一対応でいろんな
考え方を提示してくれた
本
能力主義であれって誰が決めてるんだろうね
能力主義で
あれというのは多分資本主義で決める
21:00
資本主義が要請してる
だし
個人がさ一人が解きほぐされることって
どういう
カウンターになるんだろうって
ちょっと思っちゃう
読めてないからだけどさ
多分
組織を司る人が
対象であって
一つのある閣下から始まったりとか
一つのグループから始まったり
ゆくゆくは
例えば一つの部署とか
事業部で
そういう風に広めていく
ものなのかなとかね
たださただ単に
ホワイトになればいいかっていうと
俺はやっぱ反対で
物作りとか
なんだろう
どんな仕事でも
ある程度さ
このシュラバみたいなものがないと
人のなんか
変化がなかったりとか
ただなんか何かをこなすだけでは
なんかこう
変化とか
本当になんかその仕事やる
醍醐味みたいなものがない
なくなっちゃうものも結構あるなと思って
そこのなんか
線引き難しいんだけど
確かにそれは
友達が同僚が
成長圧って言ってる
成長圧ね
成長圧が時には大事なのか
成長圧が大事なのか
必要かもしれない
そうそう
でもね成長ってめちゃめちゃ
能力主義的なことだと思うんだけど
成長なんて別にしなくていいんだけど
何かこの
違う自分に慣れたという
実感?みたいなものが
感じられる
ことが何度かあればいいなっていう
そうね
なんかそれで
山登ってみないと景色が見えないみたいな
反対側のね
景色見えないってすごい単純な例だけど
そういうことあんじゃん
それをなんか能力主義によって
駆動させるんじゃなくて
その人の得意なものとか
好きなものをどう伸ばして
なんか俺も今6年目まで来て
何か苦手なことを完全に
克服しなくたっていいってやっぱすごい思う
今
何か得意なことをどう活かせるか
それを上手に活かすみたいな
その何かルールを
ゲームのルールを分かるっていう
今の働いてる現場の
ゲームのルールさえ分かれば
別に苦手なことを克服しなくたって
生き延びられるみたいなことがあるじゃん
ゲームが分かんないと苦しいみたいなのも
すごいあるしね
ゲームのルールが分かって
今このゲームやってるんだってことすら分かんないと
何かただ搾取されてしまうみたいなことになる
確かに仕事と同一しなくてもいい
人生はね
ゲームだからね
ゲームだから
別に乗らなくていいんだって思うし
こういうゲームならやりたいなって
いうのもあるだろうし
24:03
そんなところですかね
ということで
今日引用したのは
働くということ
能力主義を超えて
石川麻衣さんの本から
トマス・アキナスのパッション
というラテン語は
パッシブの語源になっているという話
でした
ありがとうございました
ありがとうございました
24:46
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