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#64「私は言葉の檻の中にいる」:三宅唱『旅と日々』
2025-12-29 32:47

#64「私は言葉の檻の中にいる」:三宅唱『旅と日々』

第64回はひかるが担当。


つげ義春原作、三宅唱監督の『旅と日々』からの引用です。


仕事の言葉と生活の言葉の往復可能性やメイクセンスしない世界に飛び込むことの意義などについて話しました。


『旅と日々』年末の雰囲気に合う作品なので、ぜひ観てみてください!




★毎週月曜日 夕方5時に配信しています★



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わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。



ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。



つかだ:ひかるの前の会社の先輩。ゆいこの塾の友だち。つかだくんと呼ばれているけど、みんなと仲がいいつもり。本が好き。



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00:02
言葉の檻の中にいる。
最近私が見た映画で、旅と日々という映画です。
監督三宅翔さんという方で、夜明けのすべてとか、目を澄ませてとかを作られている監督の方で、
原作がこれあって、杉吉晴さんの海辺の除景と短編漫画、本やら堂の弁さんという全然違う作品を元にしている映画になっています。
主役を演じているのは韓国の女優さんで、
シム・ウンギョンさんという新聞記者とか、ブルーアワーにぶっ飛ばすとか出ている。
結構日本の作品たくさん出ていて、見たことある方もたくさんいると思うんだけど、
その方が主役として出ている作品です。
ちょっとあらすじを読ませていただくと、
強い日差しが降り注ぐ夏の海。
海辺に一人佇んでいた夏夫は、影のある女、渚と出会い、
二人は何を語るでもなく散策する。
翌日再び浜辺で会った夏夫と渚は、
03:00
台風が接近し大雨が降りしきる中、海で泳ぐのだった。
ちょっとここで切り替わって、
とある大学の授業で、杉吉晴の漫画を原作に、
リーが脚本を書いた映画を上映している。
上映後、質疑応答で学生から映画の感想を問われたリーは、
自分には才能がないと思ったと答える。
冬になり、リーはひょんなことから、
雪に覆われた山奥を訪れ、ほんぼろ宿にたどり着く。
宿の主人ベンゾーはやる気がなく、暖房もまともな食事もない。
ある夜ベンゾーはリーを、夜の雪の原へと連れ出す。
っていう話で、
ちょっとこれだけ聞いたほうが、どういう話なんだろうってなると思うんだけど、
前半の夏の話は、実はリーさんが書いた脚本の中のお話っていう。
映画化した。
そういうことか。
っていう話に、映画の中ではなってて。
シアターにシアターってなって。
そうそう。
映画の最初のシーンは、リーさんが自分の家の机に向かっていて、
脚本を考えながら書き出していて。
行き止まりに車がいるみたいな。
夏の海岸、行き止まりに車が停まっているみたいなところから書き始めて。
書き始めて、書いてるシーンから急に夏のね、冒頭で書いている夏の浜辺のシーンに切り替わって話が展開していって。
今度また映画の発表会のシーン、大学の大きい高等みたいなところで映画を上映してるシーンに切り替わって。
そこからまたリーさんが主役として描かれているっていう、大きく二部構成というかになっている映画で。
結構新鮮なのが、リーさんが韓国人なんだけど。
女優さんもそうだし、役の中でも韓国人として描かれてるんだけど。
脚本を書くときは韓国語で書いてるのね。
あと一人、モノローグは日本語か。
モノローグは韓国語だと。
韓国語か。もあって。
普通に劇の中で話してるときは日本語っていう、そういう言語の使い分けもされてて。
すごい新鮮な映画だなと思って見ていて。
日本で活躍される脚本家ってことですか。
活躍はしてないって感じだった。
拠点が日本で。
日芸が脚本の大学を出て、その先生に呼ばれて、学校で上映したみたいな感じの教授に呼ばれた。
06:00
だからすごい売れっ子脚本家みたいな感じではないっていう。
地味な。自分の腕にも自信ないし。
自信ない。ちょっとおどおどしてるみたいな感じの人で。
あんまりリーさんの背景って描かれてなくて。
主人公ではある。
名前もリーさんなんだぐらいの感じ。
私も見た。
ちょっとあんまり体が強くないのかなみたいな描写があったりとか。
久しぶりに会った教授。
何だっけ。
何城だっけあの人。俳優さん。
亡くなっちゃう。
その映画の中で。
映画の中で亡くなっちゃう。
佐野城。
佐野城が映画の中で亡くなっちゃうんだけど急に。
佐野城に体調はいかがですかとか聞かれて、電話ちょっと病気してたのかなとか。
あんまり情報が出てこない人。
そんな映画の中で私が引用したいのは。
短いセリフなんだけど。
リーさんが最初に夏のシアターインシアターみたいなシーンがあって。
その大学の上映の映像があって。
そこでおそらく恩師かなっていう佐野城さん演じる。
劇作家なのか監督なのか分からないけど。
映画界の先輩みたいな。
師匠みたいな人が出てきて。
佐野城さんが急に亡くなっちゃうのね。
その次のシーン切れ替わって佐野城さんの双子の。
佐野城さんが演じてるんだけど。
一瞬、え?ってなるわけ。
生き返った?
生き返った。
だから亡くなったシーンも明確に描かれてないのね。
家がポーンって出てくる。
家がポーンって急に出てきて。
急に咳き込んでやって。
階段でアーッみたいになって。
あれ大丈夫かな?ってなったらポーンって家が出てきて。
亡くなったんだと思ったらそっくりで。
同じ人がお茶入れてるわけよ。
え?ってなったんだけど。
そこに対してまたそれめっちゃいいなって思ったのが
リーさんが本当に弟さんですよね。
こんな縁起でもないこと聞いてすみません。
でもやっぱり受け入れられなくてみたいな。
そっくりすぎて受け入れられないですみたいな。
死っていう重たくも何か違うことなんだけど
コッケーにある意味まっすぐに描いてるのがすごいいいなって思って
そこはちょっと笑っちゃったんだけど。
09:03
観客のみんなも思ってたことを代弁する感じですよね。
ちゃんと回収してくれた。
亡くなった師匠の遺品としてフィルムカメラがいっぱいあって
双子の弟がこれよかったら持ち帰ってくださいよみたいな。
残っててもしょうがないんでみたいな感じで
その教え子の人とかにあげてるシーンがあって
そこでリーさんは私は本当写真とか撮らないんでいいですいいですって
すごい断るんだけど。
まあまあ持ってきなさいって言って
カメラをもらってそこから旅に出ようってなるっていう
後半に転換していくんだけど
転換するところで語られていたモノローグがすごい印象的で
引用すると
私は言葉の檻の中にいる
旅人は言葉から離れようとすることかもしれないっていう
モノローグがあって
その前後とかで
日常とは周囲のものや感情に名前を与え
慣れ合うことだみたいな
モノローグが続いてて
でちょっとこれ前後結構長くいいなって思ったんだけど
ネットで探しても出てこなくて
私がちょっと引用できるよここまでなんだけど
この私は言葉の檻の中にいる
旅人は言葉から離れようとすることかもしれないっていう
言葉がすごい印象的で
でなんかその時私がすごい連想したのは
自分が留学してた時のこととか
なんかその全く違う言語を日本語から完全に離れて
私ドイツに高校の時留学してたんだけど
ドイツ語で新しく新しい言語を習得するとか
ドイツ語を使って自分の日本語を
参照をもとにしながら照らし合わせていく作業とか
そこでなんか新しい自分の今使う言葉での
言葉から一回離れるみたいな経験を思い出したりとか
あと自分ってなんで旅が好きなんだろうとか
そういうことを思いながら
結構この映画の後半を見てて
その後ずっと雪山の山奥のシーンが展開されていて
このリーさんがもう何の計画もなく
どこの地域か山形かの本当に雪が
すごくたくさん積もっているところに
旅しに行って
もう宿も決めていなくて
民宿みたいなところにようやくたどり着いて
そこにいるのが津泉慎一さん演じる
最後まで気づかなかった
途中で
本当?
津泉さんか
全然もう分かんないぐらいの
東北弁なまり
完全に憑依しててすごかったんだけど
もうその山男みたいな人なんだよね
12:01
そこでちょっと旅ではあるんだけど
割と長く滞在して共同生活みたいなのを
一緒にしていくみたいな
後半のシーンになってくるんだけど
そこですごい印象的だったのが
会話のかみ合わなさみたいなのがすごい印象的で
リーさんは普段結婚を変えている人だから
その言葉で話している
その山奥にいる弁増か
弁増なんだ
あれ弁増だっけ
弁増だった
名前も分からないぐらいなんだけど
弁増さんは名前も強いし
人が滅多に来ないのね
民宿は
だから全然同じ日本語なんだけど
全然違う言葉で話してるみたいな感じで
キャッチボールが全然かみ合ってないなみたいな
ところから始まっていって
徐々に生活していく中で
ちょっとずつリラックスした雰囲気が生まれてきて
二人で寝っ転がりながら喋ってるシーンが出てきたりとか
少しずつかみ合っていくみたいなところが描かれてるんだけど
その旅の中にあるその過程とか
自分が普段使っている言葉とか
この枠の中で考えているなみたいなところから
離れるということが旅の価値だなみたいなことを
すごい思ったし
今私は社会人として働いて
仕事をしている中で
言葉の檻の中にいるっていう表現から思ったのが
仕事で使っている言葉と
こういうところで話している言葉とか
私が文学に触れるときとかに求めている言葉とか
すごい離れてて
そこの往復の難しさっていうか
すごい感じることがあって
仕事の場でKPI側とかターゲット側とか
そういうことを言ったりするんだけど
土日とかにそんなことは考えなくて
どうでもいいなとか思ったりするの
そんなことすべてどうでもいいみたいな
気持ちになったりして
同じ言語の中なのに
その距離の隔たりに圧倒されるというか
すごい極端に言うと
私って詩とかエッセイとか書けないかもみたいな
そういう気持ちになったりして
使っている言語が全然違いすぎて
ビジネスしている
会社で働いているときの言語の使い方とか
語り口調とか
15:00
自分の話し方のスタイルとか
そういうものとすごいかけ離れちゃって
ちょっと寂しさみたいなのを覚えるときもあったりして
そういうことをいろいろ連想したんだけど
この言葉の檻の中にいるみたいな言葉から
連想することとか
思うことってありますかっていう
ちょっと反省した
まず最後に引き上げていた
仕事での言語と
生活とか文学における言語が違うというのは
本当に俺もそう思うなって
だから俺はそれから
そこの距離をどうやって埋めるかみたいなことを
無意識にずっと考えていて
だから本を読むのをやめないようにしたりとか
自分でも書くようにはしてたんだけど
それでも仕事でどんどん
仕事の筋力みたいなのがついたときに
結構いろんなものが
例えば70キロのダンベルを上げられるようになったら
40キロなんて余裕みたいな
キャパシティがどんどん上がってくるじゃん仕事において
だから自動化して
仕事の言語が使えるようになっては消える
そうなればなるほど
そこで得た言語化できない知恵みたいなこととか
技術の質感みたいなものとか
人とのインタビューとかしたり
俺は人相手にさ
生身の人間相手にそれを映像にするみたいな仕事だと
言葉に知えない何かみたいなのがいっぱいあるわけ
それを表現しようとするのが文学だとしたら
どうやってそこから
この間ジン作ったけど
ジン的なものとか自分の表現に落とせるかみたいなのが
すごい難しいんだけど
でもやりがいは確かにあるなと思ってて
すごい距離があるけど
それを少しずつマイルストーンに置いていって
仕事で感じたことを記録したりとか
本で読んだことの中から共通するもの
交差点みたいなのを少しずつ見つけていって
それをストックしてる感じなんだ
本を読み続けることは
仕事の言語の中での交差点
文学と仕事っていうのの交差点を
ひたすら付箋を貼っていくように見つけていって
それを棚に入れていって
書くときにそれを棚下ろしして
こういうのあったよなみたいなことで
また生活とか文学に戻してくるみたいな
それだから本当だ
旅で写真を撮るような感覚かもしれない
日常でも心動かされる景色みたいなのあるけれども
旅で見つけた景色っていうのは
またなんか違うものに見えるんだとしたら
それも記録して
一旦置いておくみたいな
保管しておく
それでまた何か表現できるタイミングがあったら
18:04
そこからまた下ろしてくるみたいな
そんなことやってるなって今
だから旅も日々も
別に劇的でもないし
でも退屈しきるわけでもないみたいな
うちも
3つ前くらいで
旅からインスピレーションを得るみたいな人の話したけど
日常からもインスピレーションを得られる
でもインスピレーションを得られない時間もあるし
旅の中においても
どっちつかずの中で
少しずつ記録してくるみたいなことで
文学と一緒に生きてる感じがするかな
いいね
交差点を見つけるみたいな
今初めて言語化したけど
渡辺さんが今の職種が
そういう映像とかドキュメンタリーを撮る
そういう職種だからこそなのか
例えば光さんみたいな職業にも通じることなのか
仕事柄みたいなのは多分にあると思う
みんなが二人がやってるような
仕事で使うものと違うものを
使わなきゃいけない瞬間もあるし
もちろんどんどんさばいて
左から右にみたいな時間もあるんだけど
それが俺すごい苦手なんだけど
でも仕事柄
常に作らなきゃ
作る気持ちでいないと
例があるかもしれない
多分私は職種的なのかあれだけ
仕事で使ってる言語もそうだし
脳みそと日常の文学とか
そういうものに触れてるときに
刺激されるところが全然違くて
そこの還元が双方向に還元させるみたいなのは
できるっちゃできるかもだけど
しづらいから
感覚としては
仕事に脳みそのキャパ取られすぎると
自分がもともと好きだった文学とか
映画とかに心揺さぶられる
余白みたいなのが浸食される感覚があって
そこを守りたいと思ってる
渡辺さんはどちらかというと
境界線を曖昧にさせていくというか
そもそも分けて考えていない感じがします
人生そのものでやってますけど
そうせざるを得ない
そっちのほうがやりやすいかな
仕事と生活とか
仕事と生活を分けたいっていう人もいる
何でもかんでも仕事に還元するのが嫌だっていう人もいる
別に融合させたいとは思ってないし
21:03
でも分けられないなって思っちゃう
私は前半の方で留学の話とかあったじゃないですか
言葉の檻から外れるでしたっけ
旅とは言葉から離れようとすることかもしれない
旅とは言葉から離れようとすることかもしれない
で思ったのは
割と海外旅行旅行するとき
もちろん国内も好きなんですけど
海外の方が好きだなって思う理由の一つとして
特に英語圏じゃないところに行ったときに
知らない言葉の世界で自分はいるって思う瞬間が好き
安心感を覚えるときもちょっとヒヤッとする
危機感を持って過ごす自分もいるし
でも周りの言葉が分からないことへの安心感も感じるっていうのはあって
中学生ぐらいのときに
英語圏じゃない国に住んでたときに
そこの国の言語私は分からなかったので
日常生活で電車の隣のおばさんたちの会話も
何言ってるか分からないし
レストランの隣の会話も分からない
でもそれが日常当たり前のときに
一時帰国とかして日本戻ってくると
めっちゃ耳が疲れた
すべて聞き取れるってすっごい疲れる
でも盗み劇とかも好きだから
好きだからこそ疲れちゃうっていうのもあると思うんですけど
だから今大人になって英語圏じゃない国とかに旅行行ったときに
全然分からなさ
日本語も通じないし
彼らが言ってることも分からないってことにすごく安心感を覚えます
それがもしかしたら国外逃亡というか
どうしてもちょっとでも日本語聞こえたりすると
頭の中で考えてる
本当はちょっと今考えたくないこととかも
思い出しちゃったりするかもしれないけど
思い出したくないことを思い出してしまうっていう
トリガーがすごく低くなる気がするんですよ
国外逃亡すると
逃亡というね
国外逃亡分かるなすごい
あれだよね
それこそ旅と日々の中でも
今言ってたことと近いものがあるなと思って
メイクセンスしてしまうことがつらいみたいな
24:01
だからメイクセンスしないと分かること
誰かが理解できることにしないといけないことが苦しいみたいなことを
多分新聞業の演じる主人公は感じてたんだろうなと思ったんだけど
でもそうしないといけないって自分も思ってたし
要は誰かを圧倒させるような脚本を書かなきゃいけないとか
そういう物語を作んなきゃいけない
物語はだいたい型があるから
きっとボーイミッツガールはこうなるだろうみたいな
それこそ作品における言語
芸術言語みたいな意味でも
映画とか映像言語みたいな意味でも
いろんなあらゆる成立するもの
メイクセンスする言語みたいなものがめちゃくちゃ求められる中で
どうにかしてやろうと思ってたんだけど
なんとなくうまくいかない
それがイコール面白いものを作るのに自分みたいになっちゃったんだけど
それで山形行って山奥の弁蔵と会うんだけど
弁蔵に対して質問しても欲しい答えは絶対返ってこない
噛み合わないと
欲しい答えとか
俺の家で結婚書きみたいなこと言うわけ
この家を舞台に結婚書かないかみたいな変な提案したり
分かりましたって一瞬戸惑うんだけど分かりました
いろんな質問をして始めるんだけど
全てかわされるだけ変な謎の言い訳みたいなので
そこってきっとキャラクターが持っているものには理由があるはずで
それが物語を成り立たせるっていう
脚本の芸術における言語みたいなものを
自分で成り立たせようと思って質問をするんだけど
欲しい答えは返ってこない
また聞いても返ってこないみたいな
その成立しなさを受け入れざるを得ないみたいな環境にいることで
彼女自身が解放されるみたいな感じがあって
それはマリさんが言ってたような
全部わかる
日本語だったから聞こえたら意味がなんとなく想像できるとか
わかるみたいな
わかる世界に居すぎると
すごい分からなきゃいけないことがまた求め
自分も分からせようとしたりとか
分かるように努力しなきゃいけないものが求められているように感じるんだけど
もう成立しない場に行くと
そもそもその言語が
もう諦めざるを得ないみたいな
手放すことで自分が
自分自身を捉えてしまっていた足枷から外れることが
その言葉の檻みたいな
自分自身が多分その檻なんて鍵が開いてる檻で
本当は出れるんだけど自分で握りしめてるみたいな
そういうものだったのかもしれないなと思う
それは芸術言語って意味でもそうだし
日本語
リーは
韓国語で脚本書いて
多分日本語で成立しているかどうかを
分かるぐらい日本語の言語ができる
質疑音もできるぐらいの
27:00
でもその分かる日本語の中で
成り立たせなきゃいけないみたいな
自分を追い込んでたんだろうな
確かに今の話聞いてて
映画のシーンを2つぐらい思い出したんだけど
1個は
上映会みたいなのをやった時に
才能ないと思いましたって言ったのが
結構引っかかってて私
才能ないと思いました
リーさんが言ったの
自分の作品に対して
脚本家とか監督とか
演出家目指してますみたいな学生が
初めて上映作品見た時に
どう思いましたかっていうのを
質問された時に
私は才能ないと思いましたって答えるシーンがあって
それとかも
リーさんは脚本家だから文字でそれを起こすんだけど
それを映像に再現した時に
そこの還元されなさとか
自分が言葉で起こしたことを
どう表現するかみたいなところの壁とかを
感じたからこそ
言ったのかなとか
さっきの弁蔵とのキャッチボールの話で言うと
脚本書かねえかって言われて
色々質問するのね
その時に最初に
弁蔵の部屋に
うさぎ小屋みたいなのがあって
うさちゃんっていう
うさぴょん
うさぴょんっていう名札がついてるのよ
あれはなんでうさぴょんなんですか?
みたいなことを聞き始めてリーさんが
弁蔵さんがつけるにしては
可愛すぎると思ったみたいなことを言って
弁蔵は全然はぐらかして返してくれないのね
その後も何個か質問するけど
全然求める答え返ってこなくて
まあいっかみたいな感じで
生活が始まっていくんだけど
徐々に弁蔵が実は離婚していって
子供もいるんだけど
多分その接触あんましないでくれ
みたいに言われてて
別れた家族とあんまり会えない
みたいなことが徐々に分かってくるのね
多分そこから
うさぴょんは多分
娘さんがつけた
名前なんだみたいなのを
感じてくるみたいな
それも一つ
表現してるというか
説明つかないこととか
したくないことっていうのも
やっぱあって
それをやっぱり
無理に分かろうとしたり
っていうことではなくて
関係性とか一緒に
日々を過ごしていく中で
感じてくるもの
みたいなのがあるっていうような
対比でそこを描いてたのかな
みたいなすごい話聞いてた
そういう意味で言うとやっぱり
三宅翔さんって
典型的な
作品の
型みたいなものから
いかに外れられるかみたいなことをずっと
捉えしてる人だからこれまでの作品を見て
稽古とかもね
稽古とか
夜明けのすべて
すごい良かった
30:00
その人本人が
これまで抱えていた
型にはまるはまらない
みたいなのを
主人公の凛さんにも
問いさせてる
君の鳥は歌う
とかね
ワイルドツアーとか
全部いかに
物語の型から
みんなが
大衆がすぐに分かる
型からどうやったら外れられるか
ひたすらやって
YouTubeに
日々の断片みたいな映像の
カットだけを載せたりするんだけど
だから
自分を
投影もしてるのかな
主人公の脚本家が
いわゆる
ボーイミーツガールの型
型を表現しきれない自分
に対して
苛立ちを覚えてて
目指すべき答えって
そこじゃなくて
日々の流れとか
人とのフロー
経緯があって今こう生きてる
折り合いをつけて生きてるみたいな
物語として
分かりやすい右右曲折が
ないかもしれないけれども
実際にある確からしさみたいな
ものにこそ
人の魅力とか
生き様が
あってそれを
描きたいんだけどなみたいな
それが
感じるんだな
大きい落ちがあるわけではなく
旅が終わるんだよ
なんとなく見ようと思えば
へーみたいな感じで
見れちゃう映画なんだけど
1個こういうこと
描きたいんじゃないかみたいなことに
私も最初さーって
見ちゃったんだけど
このモノローグあたりから
気づきだしてそれを頼りに
意識的に能動的に見ると
すごい面白い映画だった
ぜひ見てください
映画館で見ました?
映画館で見た?
私日比谷シャンって出ました
テアトル新宿に
今衣装が飾ってあって
弁蔵の衣装
弁蔵とリーの衣装
ぜひ見てください
今日引用したのは
三宅翔さんの監督作品
旅と日々の
私は言葉の檻の中にいる
旅とは言葉から離れようとすること
かもしれない
でした
ありがとうございました
また来てね
住みに行きます
32:47

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