00:00
では、ここからはドライブ・マイ・カーの話に入っていきましょうかね。はい、では、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。
村上春樹の短編小説集、女のない男たちに収録された短編、ドライブ・マイ・カーを偶然と想像でベニチュア国際映画祭銀クマ賞を受賞した浜口隆輔監督、脚本により映画化。
舞台俳優で演出家の歌福裕介は、脚本家の妻音と幸せに暮らしていた。しかし妻は、ある秘密を残したまま他界してしまう。
2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。
そこで出会った、寡黙な専属ドライバーの美咲と過ごす中で、歌福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。
主人公歌福を西島秀俊、ヒロインの美咲を三浦透子、物語の鍵を握る俳優高月を岡田雅希、歌福の亡き妻音を桐島玲香がそれぞれ演じる。
2021年第74回観音国際映画祭コンピティション部門に出品され、日本映画では初となる脚本賞を受賞。
他、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の3つの独立賞も受賞したと。
はい、この夏の最大の話題作の一つと言ってもいい作品だったかなと思うんですけれども、沢井の感想としては、はるぐさんいかがでしたか。
そもそもこれ試写でちょっと先に早めに見て、村上春樹の原作を読んで、改めて劇場公開で見たんですね。
だからね、最初見たときはやっぱりもう濱口さんらしい、もう手法で撮っててアジア向けな作品だったんですけど、原作から結構脚色とか色は設定変えてて、物語に盛り込んでるのでね。
いい味わい深い作品になってて気に入ってます。やっぱりね、2時間59分とか全然気にせず見える作品かなと思ってます。
マリオさんいかがでしたか。
僕はもう超大好きな映画でしたね。ちょっと村上春樹実は読んだことがないんですけど、けど多分村上春樹的なるものは絶対親和性が自分の中で高いなとは思っていて、
そういう意味では本当に自分の中での今作との親和性みたいなのがすごく高かったなっていうのがありましたね。
それでいて、浜口監督らしい断絶というか、人は分かり合えないという前提の下で、それでも分かり合おうとするみたいな映画だったなっていう風に動く思っていて、
そういったモチーフとかからだし、会話の節々とかからもそういうのが出てくるし、そういうやりとりを村上春樹的なこうなんと言うんだろう、
03:01
なんとも言えない寂しさとか切なさみたいなのに絡ませながら描いていくっていうのがとても今回すごくよくできてて、
本当今年多分ベストとかには絶対入れたいなってぐらい大好きな映画ですね。
僕としてはですね、すごかったですね。3時間退屈しなかったですね。見る前はいくら見たい映画というのも3時間ってやっぱりちょっとためらう部分ってあったんですけど、
見終わってみたら全然だれなかったですね、本当に。僕、浜口作品あんまり触れてきてない人で、寝ても覚めてもと本作だけなんですよね。
その2本を見ただけの範囲での話なんですけど、浜口龍介監督の作品って、一応映画作品として間接されているものなのに、この後役者が絵に失敗するんじゃないかなとか、
あるいはその役者が演技と関係ないことをいきなり言い始めるんじゃないかなとか、今進んでる映画っていう物語がどっかで壊れるんじゃないかなっていう緊張感があるなって思いながら見てたんですよね。
その空気感というか、ただ普通に生きてるだけでも世界はこの次の瞬間に壊れるかもしれないみたいな、張り詰めた何かがあるなって感じたんですよね。
それが退屈しなかった要因かなとは思って、その空気感がやっぱりすごい刺さった部分だったかなとは思いましたね。
じゃあ具体的な話に入っていこうかと思います。
もしネタバレ気にされる方がいたら、ここから先のお話は見てから聞いていただけたら嬉しいかなと思います。
じゃあどうですか。
ただこれいざ何から話そうみたいなことになるんですけど。
大きく前後半には分かるけど、どうしようか。
いざ喋るとなると難しいな。
難しいな。
そもそも原作のドライブマイカー自体は、カフクとミサキの車の中のやり取りだけなんです。
他にシェーラ・サザードっていう作品を使ってて、それは冒頭のオトさんがベッドの上で話してる物語のことが描かれてたりすると。
もう一個がキノっていう作品も取り入れてて、そこは人生迷って旅をしだすっていう話があると。
それが北の方へ向かう話のエッセンスとして取り入れてたりしてる。
だからドライブマイカーっていう作品に他の2つの短編の要素を上手いことはってはめてる。
06:04
岡田くんが演じた役も原作では40代のオトさんと不倫しているデーラ・アローを役者っていう設定ではある。
結構脚色とか設定変えてたりします。
たぶん村上春樹の原作をそのままやっちゃうと、たぶん今はちょっとそれはどうなんだみたいな風な映画にしかならなかったんじゃないかなと思うんですよね。
映画としては成立しない。
やっぱり短編の方がいろいろ、その映画監督の力量でこういうのを入れ込んでとかいうのもたぶん組み立てがたぶんいろいろ変更もしやすいんだろうし、
たぶんそういう意味でバーニングとかもそういうことがうまくいった映画の一つになるんじゃないですかね、やっぱり一案と。
あとやっぱ監督のあれで手法でいくとやっぱあの本読みかな。
だから監督自身の映画と西島ひとつとしてやらせるやろっていう。
感情をなくした本読みっていうのがあの監督の手法なんで基本的な。
なるほど。だから家復は浜口隆介監督ってことですね。
まあうん。過去作見てるとまさにそうだろうと思うしね。ハッピーエワーとか見てても超美味しい。
家復の演出法としてそのテキストに忠実たれっていうのがあるじゃないですか。
でも結果的になんかすごいみずみずしい舞台になってたと思うんですよね。
でもそれって浜口作品も一緒じゃないですか。
はい。
あれなんでなんですか。なんでなんですか。なんでああなるの。どういうロジックでああなるか僕全然わかんないなと思って。
だからねあのハッピーエワーを最初から見ると素人の役職からピックアップした女優さんらやから
なんだこの素人って最初思うねんけどだんだんと味わい深く見えねんかあのハッピーエワーって。
そうですね。
だからゼロか役職を作ってんのよね。その手腕はすごいと思う。
それをプロの俳優させるっていうのが俳優側からしたら大変やねん。
いやーでも劇中の家復もひどかったですよあれ。
だから寝ても覚めてもでも東谷くんが最初あれ大変やってん。感情なくしてセリフっていうのが。
それで結構舞台挨拶とか言うてて。
もうすでに感情ない人間ぽいのにさらに感情なくすのが大変だったっていうのも相当ですよね。
あの欲望をなくすっていうのが本当に大変やったって言ってたよ舞台挨拶で東谷くんが。
あと結構その役者陣の演技演出とかも含めてその劇中内でそれこそなんかハッピーアワーだと珍妙なワークショップを延々とそのまま垂れ流してみたりとか。
あと本の読書会のこうなんかトークイベントとかをもう丸々流すとか。
09:05
あと親密さだと舞台を丸々一本映画内でやりきってしまうとか。
ある種の映画内でライブ感を出すみたいなのがすごく多いなって思ってて。
なんか今回の場合もすごく本読みの場面って本当に、なんか実際にそうやって演技指導というかワークショップやってるんだろうなみたいなライブ感がやっぱりすごくありますよね。
それを商業映画でやるのがすごいよね。実行映画でやるよって話だから。
実際それであれだけみずみずしい演技になるから、演技がみずみずしいというか結果的に物語としてすごいみずみずしくなるんですよね。
すごいなって思うんですけど、ちょっとただ僕、科学の演出怖いなって思う部分があって。
あれって言語の異なる人を集めてテキストに忠実に演技指導をしてっていう。
そこから生まれる生きた物語みたいなのを映し出そうとしてるっていうのが僕なりの言い方での科学の演出方法なんですけど。
あれって要は人間とは断絶していて分かり合えないものであると。
ただその分かり合おうとするという行為自体の可能性を見出そうとしている演出方法なのかなっていうふうに思ったんですよね。
この言い方で合ってるかちょっとあんま自信ないんですけど。
一方であれって、結局のところはまず言語が異なってて、それぞれのリズム感みたいなもので演技が進んでいくことになると思うんですけど、
分かった気になって、それでも物事が動いていってしまうみたいなふうにもちょっと見えたんですよね。
本当は分かり合ってないのに、表面上は分かり合ったフリをできてしまうと。
自分の中で解釈できる範囲で相手は分かった気になって、今この瞬間は回っていってしまうみたいな。
自分自身の視点とか感性が変更して偏っていってしまう危険性みたいなのも隣り合わせなんじゃないかなと思って、めっちゃ怖いなと思ったんですよ。
役者同士ってワークショップやっていく中で結構話し通じてないけどコミュニケーション取れてたりしてたじゃないですか。
あれは言語が異なってもコミュニケーションって取れるよねっていうふうにも捉えられるんですけど、
もうお互いに相手の言ってることがきちんとわかってないけど、相手はこういう人だからってみたいなのを自分の中で描いて、
それに合わせて相手と自分が演じていくって言い方でいいかなと思うんですけど、
相手はこれに合わせて絶対演じてくれるよねっていう、ある種の勝手な信頼があるから成り立つことかなと思うし、
あの舞台見てたら全部の言語に精通してる人があの舞台を見るのでない限りは、
あれって全部字幕が後ろに映し出されてましたよね。
12:02
だからココ人は個々の役者としてはそういうふうに演じてるふうには観客からは見えてないのに、
後ろに映し出された物語が一本の見通しを描いてるって、
ココ人の思いとか理解とは別に物語が勝手に進んでいってますよっていうふうに見たら結構怖いなって思ったんですよね。
ある種暴力…
でもそういう怖さというか、結局ちゃんと分かり合えてないじゃんみたいなっていうのは、
舞台劇に関わらず、これ全編にわたって貫かれたテーマだと思うんですよね。
歌服と音の関係性とかも諸にそうだと思うし、
結局音はなくなってしまって、彼女が本当に何を言いたかったのかっていうのは永遠の空白としてあるわけで、
その空白をどう解釈していいのかずっと測りかねてるわけじゃないですか、歌服は。
けどそれでも結局、北海道までのロングドライブの果てに大丈夫だって彼は言うんですよね。
とても根拠のない大丈夫だと思うんですよ、それは。
何が大丈夫なのかっていう。本当の何も分かってないのに、でも分かり合え…
それでもいいんじゃないかっていう、そういう不安はあるけれどもそれでも大丈夫っていうっていうのは、
そういう断裂した世界に対する不安とか恐怖を意識しながらもそれでも僕は生きていくっていうふうな意味に捉えられてて、
その怖さもちゃんと知った上で大丈夫が出てるんだろうなって思うと、僕はすごくあそこで感動、泣いてしまったんですけど。
そうですね。歌服が自分の車の中で音が読み上げた音声を聞きながらセリフハウスしていくじゃないですか、
あのシーンめっちゃ怖いなと思って。怖すぎでしょ、あれ。死んだ人間の呪いそのものじゃないですか、あれ。
もうそうですね。
あれを見たら感情を抑えたあれやからさ、逆に怖いよな、それ。
余計ちょっと。
あのシーンどう思ってるかは読めないっていうのは感情を消してるから。
そうですね。だから本当は相手が何考えているか分かんないよねってずっと通停してますよね。
抱き合った時って基本的に遠く見てるんですよね、この映画って。
そうそう、基本的になんか、そもそも車の中で喋るって目線が絶対合わないんですよね、そもそもね。
けど会話ってちゃんと繋がってるんですよねっていう、そこが面白いところとか不思議なところみたいなのがやっぱ前編出てますよね。
本当確かに抱き合ってる時見つめることほぼ目線が合わさることないんですよね、あそこで。
だから俺、煙草は吸わないけど肩を上げて二人が同じように煙草を吸って煙を飛ばしてるのがすごい絵になるんよな、あれが。赤のサーブと一緒に。
15:02
いいですね。
あの美しさはすごいね。
てか赤いサーブっていいっすね、渋谷。最高って思ったんですけど。
あれ確か今手に入らないんじゃないかな、業績もあんまり。
いやそうそうそうですよ。いやなんかそこでサーブかっていう、なんか個人的には思ってしまったんですけど。
確かあれは原作はその車じゃなかったよね、確か。違ってて。
いや車チョイスもいいですよね、あれ。
加福の人間性がよく出てるなって。
あの車って、加福と音の子供が亡くなったぐらいで血に入れてるってことでいいんですか、あれって。
どうなんやろ。
結構長年乗ってはいる車だったかな。
違うのかな。僕は初め、年数もしかしたらあってて、娘亡くしてからって逃げた車なんかなって思ったりして。
で後で考え直したら微妙になんかずれてったんですよね。
だからちょっと正確なとこ分かんないんですけど、作中で何年経ってるとかに言及するとこが何箇所かあって。
あれ娘が亡くなってから車って逃げたのかなと思ったらなんかずれてるなって思った時があって。
その辺り気づいた方いたかなってちょっと聞きたかったんですけど。
そこまではな、とは思うには。
なるほど。じゃあ関係ないのかな。
あの岡田政樹やばいっすよね。
ちょっと僕この映画のこと好きなんですけど、いまだにちょっと岡田政樹の役どころについてちょっといろいろはかりかねてるというか。
彼は一体何だったんだろうかっていうのはちょっと言わない僕は答えが出てないんですよね正直。
まあお父さんと何かしらは関係があったんだろうなーみたいな。
だからあのフリーの現場は明確には出せへんけど、まあ岡田さんはタカツキやったんかなーみたいなね。
まあ真相はわからないけども。
なんかその実際に彼が何をやってたのかっていうよりも、彼が何を考えたのかがあんまり僕読み解けなかったんですよね正直。
けどなんかすごく人間味に溢れてるというか、なんか嫌な子されたら何してんやみたいな感じで怒りに行くとか、
ちょっと結構暴力的なところがあったりとかするみたいなのとかもよくわかるけど。
けど結局なんかこの人のことを最後までちゃんとなんか理解を僕はできてなかったような気が最後までしてくるというか。
まあそれこそがまあ誰かと関わり合うことっていうとなのかなともやっぱ思うんですけど。
なんかまああんまり自分の中でまだ彼のことをちゃんとなんか咀嚼できてないっていうのが結構ありますね。
だから、やむを得ずスキャンダルになってしまったことがあっても事務所を辞めて独立しててフリーか。
そうですね。
彼自分で自分のことを空っぽみたいなこと言ってましたけど、感情自体は人よりも激しいんですよね。
で、それが演技にも出てしまうと。
なんかその僕は彼の存在をうまくキャッチできてなかったんですよね。今もキャッチできてないんですけど。
18:06
けど車の中で加福と話すシーンがあるじゃないですか。
あのシーンってしかもなんか目線がこうバッチリ合った状態でなんか話をするっていうのも、
この場面はなんかすごい言葉にできないんだけど何なんだろうなこの感情はみたいなのをずっと考えてしまうんですよね。
なんか自分の知らない彼女の姿について語ってるのをマジマジと話を聞いてるって、
僕はどういう気持ちなんだろう今っていうのはすごく考えてしまうというか、
怒ってるわけでもないんだけど、けどなんかすごく寂しいなっていう気持ちにもなるし、
なんかそのこと聞けてなんか彼女のことが少しまたよくわかったような気持ちもあるし、
あのシーンのなんか言葉にならない複雑さっていうのはすごく印象に残ってますね。
そのオトが最後に話してた脚本のネタみたいなので、好きな相手の家に忍び込んで物を取っていくでしたっけ。
で、強盗というか泥棒が来て、そこでその女の子が襲われそうになって殺しちゃったという話みたいなのがありましたけど、
なんかそこもなぞらえてるんだろうなとは思って。
結局その好きな相手が家服であって、
その岡田まさきの役名が出ないんだよ。岡田まさきって言いますけど。
たかつき。
たかつきですね。たかつきとか、あるいは他の浮気相手って、その盗んでいくもの、部屋から物を取っていくことでしかないというか。
もしそうだとしたら、たかつきの絶望ってさぞ深かろうとは思うんですよね。
あの車の中で話しかけてた時の感情ってものすごい劣化のごとき憎悪だったんじゃないかなともちょっと思ったりはして。
究極のあてつけですよね。
究極のあてつけではあるけど、結局その浮気でしかないというか、本当の意味の浮気でしかないというか、
なんか単に気づいてって言うためのツールでしかないみたいな、だとしたら相当悲しいと思うんですよね。
いやでも、たかつきみたいなやつに慕われるの嫌だなって思いました。絶対嫌だわって。
嫌だなって。
自分が何を求められてるか分かんないですもん、彼。いや尊敬してるんですよとか言われても、未熟も思ってねえだろって思っちゃうなと思って彼に何言われても。
踏み台にされてるしか思えないと。
これまでもずっとそうだったんだとしたら結構、彼生きてきたのだいぶ辛かっただろうと思うんですよね。
そういう不器用な生き方をしてきたっていうかね。
表面上器用ではあるんですけどね。表面上器用ではあるし、振る舞うことはできるんですけど、根っこのところでどうも心を預けられないというか。
21:08
なんかあの、まあこれ加夫くんのセリフでしたけど、僕はちゃんと傷つくべきだったっていうセリフがあったと思うんですけど、あれ結構ずっと残ってるんですよね。
僕の中でもなんかちゃんと誰かのことを信頼するとか親しい関係に慣れているのかみたいな不安って結構なんか僕は結構ずっと考えてしまうようなテーマというか
そういうなあなあに取り繕って今まで生きてきて、真の意味で誰ともちゃんとした関係築けてないんじゃないかみたいな不安みたいな後ろめたさみたいなのは僕は結構刺さってしまうというか。
確かに加夫くんってあのまりさんのあいつっぽさちょっとありますよね。
そうなんですよ。
だとしたらそのタカツキって演劇とも音とも出会えなかった加夫くんなのかなってちょっと思いました今。
演劇とも音とも出会えなかった加夫くんって多分虚無中の虚無だと思うんですよね。
あいつ何もなかったと思うんですよ、きっと。
なんかそう思ったらこのキャラクターほんと切ないな。
ちょっともう一回見たらなんかタカツキの言動とか聞くだけでちょっと泣けてしまうかもしれないな。
結局なんだろう、なんか人に抱いている尊敬の心とかもなんか自分でも本当なのかどうかわからなくなってたりしてるんじゃないだろうかってちょっと見てて思って。
ただその生き物だから性衝動はあるからやっぱりその女の子に手を出したりとかはしちゃってるわけですよね。
ただその何というか自己実現とか自己表現に関わることにどうも自分がそれを持ってるかどうかも本当に確信できないみたいなふうにも見えて結構辛いキャラだったかもしれないですね。
あのまりさんの話が出てきていろいろ繋がるものがいっぱいあったなっていうか、確かにそうですね。
いやほんと、軽く全員の顔一緒に見えててもおかしくなくないですかあいつ。
もう全員同じ顔で同じ声にしか聞こえないよーって言って泣くっていう。
確かにレクイオを消すと結局そうなるよね。
ただもうその何だろう全員同じ声同じ顔の中から生まれてくる何かに期待したいみたいな怪物なんじゃないかなと思って。
と考えると濱口監督はすげーなーっていうのは思うね今日な。こういう作品を出すってことでそこに繋がるから。
この映画で描かれている潜在的な恐怖とか後ろめたさは本当に痛いくらいに刺さるというか。
24:06
監督のインタビューで男は女に逃げられるというか、女から嫌われるというかそういうのに潜在的な恐怖を感じてるみたいなインタビューか何かで言ってたのを見て、
それが確かに高齢の映画にもいっぱい出てたなというかありましたね。
そっかそんなん言わないな。結構ほら監督のインタビューをさえ聞くと淡々とひょうひょうと話してるからさ、なんかあの人。
考えてることすげーだろうけどすごいように言わへんからさあの人。いやーすごい才能だな。
でもなんか全体的にはすごく優しい映画だったなってやっぱり思えるというか。
なんか寝ても覚めてもにしろ親密さとかハッピーアワーにしろなんか見てる間ってもうめっちゃこっち見てる間傷だらけになりながら見てたなっていう思いしかなくて。
なんか対話するイコールすり傷当然だよねみたいなのが貫かれてて本当になんか会話の掛け合いがもういちいちなんかもう棘があるみたいなのが多かったような気がするんですけど。
今回別にそこまで棘みたいなのは直接的な棘は感じなかったというか。そこは多分村上春樹っぽさなのかなとは思うんですけど。
あとは結構監督の作品って主要人物の関係性が最初と終わりでもう逆転するとか立場とかが逆転するのが結構多いかな。
ハッピーアワーとか得ずに。
これは村上春樹性かもしれないんですけど見ててセックスに巨大なものを期待しすぎだろうって思ったとこあったんですけどね。
その典型を受けるための儀式みたいな感じだったじゃないですか。インスピレーションを得るための。
セックスに期待しすぎだろうって思ったんですけどね。いくらなんでも。
その辺はだから文章やから描ける自由さとかいろいろあるからさ、端微な描き方も。
いくらなんでも端微すぎじゃないですかってちょっと思ったとこありましたけどね。
ただあのセックスシーンとかも目合ってないんだよなほとんど。
西島秀俊の体美しいですよね。
てか今作の西島秀俊めちゃくちゃかっこよくないですか。
いや結構すごい。久しぶりにこういう憧れの眼差しで見たくなるようなタイプのかっこよさを僕は感じたんですけど。
あの実は昨日か、実はあの劇場版昨日何食べたの、施舎を見てて。
結構それもね、あの西島さんのレディしさがいいんですよね。
最近の西島さんのかっこよさはいいんですよ。
いやもういいなーって。
確かにこういう男には惚れるよねみたいなのはあるけどね。
27:02
ワーニョンおじさんって。
シェイホフ。
読むというか、ご存知の方います。僕知らないというか、まあ存在はそういうのはあるよねっていうぐらいしか知らなくて。
あのなぞらえ方すごい上手でしたよね。知ってたらもっと違かったんだろうなと思いましたけど。
そうですね。ちゃんとワーニョンおじさん読んでから見ればよかったなと思いましたね。
まあ本編見ながらでもまあ、あそこで花服の人生とワーニョンおじさんが重なるっていうのはわかるんですけど。
もうね、今起きてることを音が呼んでるみたいになってましたからね。車の中の。
すごいなっていう。
感情がすり減って仕方がないっていうね。
あのちょっと今喋ってても思ったんですけど、今我々喋っててもあんまり三崎の話題にならないんですよね。
そうだね、そうですねこれね。
これちょっともしかしたら本作のなんかちょっとアレな部分なのかなと思うんですけど、三崎が花服を癒すためだけに存在しているキャラクターのようにも、
キャラクターというか人物のようにも見えるかなってちょっと思ったんですよ。今話しててね。
あの、花服の内製の話ばっか我々しているんですよね。
それで花服の人生を癒すための三崎にしかなってないなと思って。
これあの僕、人のライブ前からの感想を聞いてて、全くその通りだなと思ったんですけど、花服って裕福なんですよね。
三崎って貧しいんですよ。で、あのそれぞれの家庭問題って、花服側の問題って花服の実存の問題。
いかに人生を捉えて生きるべきかっていう話なのに対して、三崎ってもうすごい具体的な生きるか死ぬか生活をどうなすかっていう問題なんですよね。
で、向き合ってることの問題が全然違ってて、それが男性と女性に割り当てられてることって結構残酷な構造だなって思って。
で、それを我々今喋ってて、花服の内面の話めっちゃ盛り上がってるけど三崎の話にならないのってもしかしたら残酷なことなんじゃないかなって。
ちょっと思ったんですよね。
そうだね、そうですね。確かにそうですね、それは。
結構怖いことですよね、これって。
そうですね、確かに三崎の家族の話もすごく複雑な家庭環境で、お母さんに対する愛憎の持って行き方みたいなのがとても複雑だったっていうのがすごく印象には残ってるんですけど。
一応、花服の音の実存の話とかいうのにも関わってくるんではあるんですけど、やっぱりちょっとどうしても花服の方ばっかり喋ってしまうのは本当なんか良くないなぁ、僕はなぁってずっと思ってしまいましたけど。
30:00
三崎のお気に入りの場所、フィエバ公園が吹き抜けて見えるゴミ処理所、あれが非常に良いなぁと思うんだけど。
あそこ良いですよね。
ちゃんと実際ある場所だから。
中根さん、ゴミが雪のように見えてて、北海道のあれでっていうのが端的に笑わせてるなって、三崎の性格の。
寝ても覚めてもの時も思ったんですけど、長距離ドライブがあの世に行くように見えるなって。
東北に向かうやつ。
花服ってやっぱりちょっと抽象的な人物だなって僕は思うんですけど、三崎は具体的な存在であろうとしてるように見えて、ラストで多分あれ韓国に行ってますよね。韓国ですよね。
あれはすごく。
そうですね。
で、僕はラストすごいなって、これは狙ってやったのかどうかわかんないんですけど、ラストでマスクつけてるんですよね。
そう。
だから新型コロナウイルスの感染拡大以降の世界なんですよね。
うん、コロナ禍の。
最後に三崎がいる世界って。
で、僕このドライブマイカーって抽象的な話としてある程度見てたし、偶話というかそういうふうに見てはいたんですけど、あそこでマスクがつくことで今この世界の話って言われたようですごい刺さったんですよね。
あんなマスクの使い方あるんだと思って。
今まで偶話だったものがマスクをつけることで現実の延長になるってなんかすごい体験をしたなと思って。
ラストでレイヤーが移り変わるっていうのもある意味サマフィオムに乗ってると、ある意味ちょっと近い部分はあるかなっても思ったんですけど、
それに比べてラストで火伏出てこないのって、やっぱり火伏ってその抽象的な存在足らんとしているというか、やっぱりその何だろう、実存に悩むための人物として描かれているのかなっていうふうにも今思ったりはしたんですよね、今喋ってて。
ラストの捉え方が結構人って様々で、韓国のスーパーラスクってことが出て、サーブの車があって、韓国人夫婦が飼っていた犬がいるっていうのがあって、
結局、火伏は韓国に映ってるのかどうなのかって、その辺も映画好きの知り合いと話してて、ラストの解釈は様々やねんけど、どう思うかなあれは。
僕は韓国には行ってないというか、彼自身車を彼女に分け渡したんでしょって思ってるんですけどね。手放したんだと思うんですよね。ようやくそれで彼は一歩前に進んでいけるし、
ワーニャー法治さんの演技の段階で彼の物語が完結してるというか、彼の悩んでたものは解決して、ようやくあの車を手放すに至るっていうふうに見てますね。
ゆっくりゆっくりあの車のハンドルを彼女に預けるところから、そうやって車を手放すところに持っていくっていうのは、そうだよなって思いました。
33:07
僕は初め幼児に撮ったのかなって思ったんですよ。
幼児。
思ったんですけど、今話してて、カフクは話が終わってるからどうでもいいやと。
あのラストシーンにおけるカフクの存在は別にどうでもいいって思いました、僕は。どうなっていいようが。あの世界には存在してないんじゃないかとさえ思うぐらいどうでもいいなって思って。
そう思っちゃうってことが結局、実存の悩みを預けるためのカフクっていうふうな捉え方になるから、また不健康な見方ってことになるんですよね。
結構ほんと最近、男性女性に限らずですけど、構造的な不健康とかって目につくとこは増えたなと思って。
これに関しては人のだいぶ前からの話聞くまで気づかなかったところではあるんですけど、男性が悩むレベルのことを女性はそのレベルのもっと手前で悩んでるみたいなことってあるんだろうなと思って。
カフクがどうこうとか三崎がどうこうって悩みとは別に映画自体が持ってる構造自体に何らかの不健康があるんじゃないかなっていうのはちょっと気をつけながら見ようかなっていうのは思ってたりはするんですよね、最近。
ドライブマイカーのそのものの価値とは別にしてですね。
ちょっと時間あるし、終わりにしようか。
そうですね。
ラストまで話したので。
全然いろいろ喋れる。
語るべきことあるんですけど、泥沼になる可能性があるなと思って。
本当これ延々と喋っていられるというか、演技についての話とかもいろいろモチーフとしていろいろあるよねとかいう話もしたいぐらいなんですけど、これはこれで。
ちょっと今日は一回終わってみましょうか。
はい。
いやーちょっともったいなかったですけどね。
喋れただけでいろいろ整理できました本当に。
いや本当僕も本当いろいろ整理できてよかったです。
ではこんなとこで終わっていこうと思います。
はい、ではお知らせになります。
これまでも開催しておりました大阪の南森町にある日刈りイベント型カフェバー週間曲がりにて10月も映画の話しさせていただきます。
日にちが10月16日土曜日でオープン時刻が17時でクローズが21時。
今回アルコール提供する予定です。
ラストオーダーが20時半となる予定です。
サービスさんにアルコール提供できる場でちょっと時間も遅めになる予定ですので、
もしよかったら今回話したサマーフィルに乗ってであるとか、
ダイマイカーのお話、その他このポッドキャスターで話した映画の話であるとか、
36:03
それ以外の話もしに来ていただけたらなと思っております。
はい。
この番組ではお便りを募集しております。
番組や取り上げた作品の感想などお送りいただけると嬉しいです。
ブログのお便りフォーム、またはツイッターアカウントへのダイレクトメッセージ、
またはメールアドレス、メールアドマーク、バーチャル映画バードットコムより受け付けております。
アドレスはポッドキャスターの番組説明文に記載しておりますのでそちらでご確認ください。
はい。
では映画の話したすぎるラジオ第28回サマーフィルムに乗ってと、
ダイマイカーの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。
さよなら。