最後にイラさんにインタビューしたのが、イラさん覚えてないですよね?
覚えてないけど、毎月やってるじゃないですか。
Q&Aみたいなのもあるんで、あれもインタビューに近いですから。
そう考えると、ずっとやってるって感じなんですけどね。
ありがたいことに一緒にお仕事させていただいて、もう3年4年なんですけど。
テーマをせっかくなんで決めたんですが、センスと結果を両立させる文章術。
なるほどね。
これちょっと石田占い図して、これでも一応センスよくしてるんですけど。
もうちょっとダイレクトに言うと、センスとお金を両立させる文章術。
何でしょうね。
バックグラウンドとして、僕自身も書き手の端っこでもありますし、
いろいろ企業家として何か自分の商品サービスも増えて書く機会ってすごく多いんですけど。
ややむすると、自分の世界観とかセンスを優先すると、あんまり人から受け入れられなかったり。
もっと言うと売れない。
小説とかでも自分で作品出展してる人いるけど、なかなか日の目浴びないと。
思い切って世の中に迎合したり、売れるような文章を書くと今度はセンスがいまいちみたいな。
そこって二律早いので、結構僕の周り自分自身も含めて両立させてる人って。
そこは本当に難しいところで、ペンネームがいくつもあれば色々と書いていいんだろうけど、実際にはなかなかだよね。
結局そのセンスの部分に関しては、こういうセンスだったりテーマだったり文章の文体を、
自分では分からないけど何人かの人が受け入れてくれるんじゃないかなと思って手探りで書くしかないんですよね。
仮に10万部本が売り立ちするじゃないですか。
10万部って今の出版の世界だとすごい大変な数ですけど、
でも仮に10万部入れても、日本人今1250万人いますから、
何?1250人に1人?
今の感じだと東京の小学校3つ分の中で、男の子か女の子が1人読むっていうだけなんですよね。
そうか。
それで10万なので、そう考えるとあんまりもういいんじゃないですかね。
基本的にこれが売れるかどうかみたいなことを考えてももう仕方がないので、
なるべくキャッチーで分かりやすくしたいっていう人もいれば、
自分はこだわりがあるし、こういうセンスのやり方でやるんだっていう感じで書くしかないんじゃないかと思うんですけどね。
その作家に応じた版が作っている。
例えば池袋の1本目を書いた時なんかは、文体も尖ってたし扱う世界も日本には本来ないストリートギャングみたいな世界じゃないですか。
で、参考にしたのはロサンゼルスとかメキシコの少年マフィアみたいな子たち、チーマーだったりするんで、
そういう世界で誰かがついてくるみたいなことは全く考えてなかったんですよね。
だからもう別にいいや、自分で楽しいように書いて、読みたい人は読めばいいじゃないみたいな感じで始まっているんですよね。
なるほどね。今回このテーマをイラさんに聞きたかったのは、
まさにその一番高みだと思うんですけど、センスと売れるというか、それを両立させている方だと思うんですよ、継続的に。
僕ら聞いている人たちはプロの人もいれば、これからっていう人もいると思うんですけど、
表面的には一億総ライター、総クリエイターみたいなことがネットの時代で自分で発表できるって言われてますけど、
周り見ても結局その中でちゃんと食い続けられてる人?結局人にいいギリじゃないですか。
下手するとやっぱりそれもプロかプロをかじった人だけなんじゃないかっていう、自分の中でもそういう疑念があって。
ただ、やっぱりこういう時代なんで発信はできる時代だと思うので、そのチャンスっていうところで、
今日何らかのヒントを作家、著者、ライター、エッセイスト、コラムニスト、現役の人も含めてですけど、
およびそれを目指している人にいろんなヒントをもらえたらなと思ってて。
でも一つ言えるのはさ、自分でなってほしい読者と自分の本の読者層っていうのは必ずしも一致しないよね。
それまさに聞きたかったんですけど、伊賀さんどうですか?
僕はまあまあでも一致してる方かな。本好きな人が読んでくれるって感じかな。
恋愛小説は女性ファンがいて、ニケブクみたいなサスペンスものだと若い男の子のファンになるっていう。
だから逆にその両面をかけたっていうのは良かったよね。
その幅ですよね。
まあ単純に僕自身が同じものを書いてると飽きちゃうし、正直ベテラン作家で読ませるのは上手いなみたいな人もいるんですけど、
上手いなみたいな本をそんなに100冊も200冊も書いてもしょうがないじゃんっていう気もするんで。
でもなんだろうな、僕一緒にいろいろトークライブとかもやらせていただいて、
まあ基本的に、ザックバなんですけど、あんまりヤバいファンだなみたいな人いないですよね。
そうですね。まさか僕のファンは割とセンスのいい人も多いし、
僕たちでやってる絵のブックサロンに関してもクリエイティブワークでやるとすごい集まるじゃないですか。
ショートショートもね、写真に俳句をつけたりするのもみんなセンスいいし。
なのでそういう点ではちょっとファンには恵まれてるんだよなって感じはしますね。
逆に自分でものすごくこれは素晴らしいハイセンスだと思って書いて、
実際にザーッとつくのが、何だろうな、おじさん、地方のおじさん、おばさんみたいなパターンもあるからね。
井田さんでもあるんですか?誤解を恐れずに言えば。
いやあんまりね、なんかよくわかんないんだよね。
でもその作品書くとき、ちょうど今も22年目ぐらいだと思うんですけど、
当初と今とその読み手というか、そういう人っていうのはどのくらい意識してるんですかね?
いやもうあんまり意識してないにもわからないからね、結局。
年齢でも切れないんだよね。
よく言うじゃないですか、アマゾンとかネットフリックスの人たちが市場分析とかする人も、
例えば70歳のおばあちゃんだけどロボットアニメを見ているみたいな人もいるんだよね。
だから年齢とか性別とか住む地域なんかで簡単に切れなくなってるっていう。
なのでピンポイントピンポイントで自分なりのセンスだったり物語の世界に合う人を拾っていくしかないんだろうなって思うんですけどね。
まさに大きなテーマで一番難しいと思うんですけど、今日のテーマでもそのセンス。
センスってそもそも何でしょうね、そのイラさんの定義。
結局センスってその人がセレクトしてきたものの集合なんですよね。
着るもの、食べるもの、言葉の使い方、あるいは小説だったら小説のテーマ、エッセイなんかでも何を書くかっていうテーマありますよね。
あるいはその文章の中に自分をどの程度出すか出さないかっていうような、その人が選んできたありとあらゆるものの集合体なので、
だから普段の生き方の中で自分なりに常に気をつけて磨いておくしかないんだろうなって気がするんですけどね。
センスが良いって僕も一言で言っちゃいましたけど、ある人にとっては受け取る人にとってはセンスが良いけど受け取る人にとってはセンスが悪いと見える。
例えば海外の高級ブランドのデザイナーとかってさ、かなり攻めたデザインするじゃないですか。
例えばGUCCIのお店なんか行くと、これは難しくて着れないなみたいな服置いてあるでしょ。でっかい鉢がいっぱいついてるとか。
モデルしか着れないだろみたいな。
でもそういうのも上手くやればちゃんとファンは付くので、センスの悪さとそのセンスの良さのギリギリのところを攻めるぐらいの心得は本当は欲しいよね。
それは日本ってやっぱりどうしても、トラさんとかじゃないですけど、ある種の道徳家みたいなのが強いじゃないですか。
コツコツ働いて、家族を大事にして、ついでに言ってしまえばそのマイナスの面として、お上の言うことには逆らわず、
会社の中でも何か気になることがあっても手を挙げて意見は言わず、ただひたすらコツコツ働いて生きていくっていうような。
ああいうのもまたセンスだからね。そういうのにはそれなりにファンは付くんで。
それをそうか。センスが良い悪いとか世間が受け入れてくれるかは別として、センスって結局自分自身だから、
その積み重ねだから作るっていうのともちょっと違うものですね。
そうですね。っていうより自然にできてしまうものですよね。センスっていうのに一番近いのはその人の思った空気感みたいなものなんじゃないですかね。
ただ座ったり立ったりあるいは何かを喋ったりするときにその人だけにしか出ない空気感がふんわり出てくる。
それがある種研ぎ澄まされたものだったり穏やかなものだったりいろいろあると思うんですけど、
でもその人なりのものになるっていうのが理想だと思うんですけどね。
センスっていうところを今話してもらったんですけど、
書くっていうところでまさに自分のセンスと経済を両立させたいという人が本当に多い中で、
これ普通に聞きたいんですけど、カテゴリー。
イラさんもちろん小説家ですけど、エッサイも書かれますし、
書くって言ってもジャーナリスト的に書く人もいればコピーライターとかいると思うんですけど、
その辺って向き不向きってあるんですかね。
いやそれぞれあると思いますねやっぱりね。
コピーライターに向いてる人もいるでしょうし、
エッセイは上手いけど小説はダメだっていう書き手もいるし、
逆に小説は書けるけどエッセイはどうも苦手っていう作家も結構いますよね。
それはもう人によるってことですかね。
そうですね。
カテゴリー的にどっちかを立てるとどっちか出ないみたいな、そういうわけでもない?
そういうわけでもないと思いますね。
それと同じように、小説は書けるけど、
喋りの仕事、テレビだったりインタビューだったり本当に苦手っていう人も結構いますからね。
イラさんの中では当たり前ですけど、小説が一番なんですか。
そうですね。小説がやっぱり圧倒的に大変なのでね。
エッセイはどう始まってどう終わっても本当にいいんですよね。
でも小説の場合にはもちろん自由ではあるんですけど、
それなりに一つの世界を作って渡さないといけないんで、
その世界の中でできる限りのことをやらないといけないというプレッシャーがありますから大変だよね。
エッセイはやっぱりイラさんの中ではどういう感じなんですかね。
割とエッセイの場合は自分の色とか声を出すね。
普段小説はやっぱり話すんですか。
小説ではやっぱり作中の人物の声になって書いているんで、視点もそうじゃないですか。
作中の人物の見えるものを書いているんで。
一応身も蓋もないかもしれないんですけど、
今日のテーマでもセンスと経済の両立、
それってやっぱり誰にでもできるわけじゃないわけですよね、書くことにおいて。
どちらも両立しないみたいな人もいるじゃないですか。
本当に下手くそでセンスも悪いし、誰も読まないみたいなものもあれば、
逆にセンスがものすごく良くて知的レベルが高いんだけど、
ちょっとハイブローすぎて誰もついてこないみたいな本もたくさんありますよね。
それ例えば音楽なんかで見ればよくわかるじゃないですか。
ものすごい技術的には尖ったことをやっているけど、
本当に世界に100人しか聴き手がいないみたいな音楽もあるんでね。
だから自分なりにどういうポジションに自分が行きたいのかっていうのを、
ちょっとおぼるげにでも考えていたほうがいいですよね。
ポジション。
はい。
だからそれこそマツキオみたいに、
日本中にドラッグスターのチェーンをやるんだ。
いらさんも割と近い方だとは思うんですけど。
いやでも僕別にそのアマゾンの表とか、
自分のその本のサイトみたいなの全然見ないからね。
浅井くんなんかは本当に見ちゃうんだって言ってたよ。
浅井龍さん。
うん。全部見ちゃって。
結構ウケちゃいそうじゃないですか。
でものすごい沈むんだって。
でもうやめたいって思うんだけどその時には浅井龍天才って書いて、
今度いいのしか入っていないやつを読んで何とかバランスを保つって言ってましたね。
見ないのが一番バランス取れる気するんですけど。
いやでも見ちゃうんだろうね。
それがやっぱりちょっとずっと子供の頃からネットがある世代の作家の癖なんじゃないかな。
まあでも言い割れは別として確かにこれからの世代の人はどんなに距離どうこうって言ってもやっぱりそこは切っても切れないから。
なんか自分の中でそういうものを持ってない。
線引きをどっかでしないと辛いでしょうね。
壊れちゃいますよね。
歌手の人なんかね、アーティスト系の人なんかはそれで自分から潰れていく人たくさんいるんで、
自分ではなり得ない別な形にならないといけないと思って自分を責め始めると、
これは表現者はみんなすごく苦しくなりますから、
自分の楽に進めるフォームでそれをどんどん良くしていくっていうかな。
まあそれはセンスもその本の内容も含めてなんですけど、そういうことをやっていくしかないんだと思うんですけどね。
なんかよりちょっと実践的に書くっていうことで聞いていきたいんですけど、
本当小説、エッセイ、いわゆる記事全部違うとは思うんですけど、
ただ全部一緒かなと思うのは、しかも自分の商品として売るときに考えるときに、
何だろう、仕入れ?いかにネタを仕入れるか、いかに料理、仕入れ料理、
あとこれもきちんと言うと、やっぱり販売というか流通だと思うんですよ。
いやでも流通なんかに関しては作家にできることってないよね。
昔のアイドル華やかなりし頃の手売りキャンペーンみたいなので日本中に回るなんてことは作家は基本的にできないわけじゃない?
あれこれやっても別に特にそれで動くってわけじゃないんで。
そうすると今日のテーマは終了しちゃうんですけど。
だから販売に関してはみんなできないじゃない?実際。
これはイラさんの場合は作家さんだから特にそうだと思うんですけど、
イラさんも僕も含めていろんな企業家だったり、いろんな小説家じゃないけど書くか書くに関わっている人たち見てると思うんですよ。
やっぱり今日これ見る人聞く人に対してはそこにイラさんなりの僕とも4年間くらい一緒にやらせていただいて感じる、
いわゆるそういう人たちが作品をお金にするというかそこのヒントってやっぱり逆に言うと商業的な出版社とか何かに乗るかしかないのかとか。
そうですね一つはやっぱり出版社と書店の力を借りるっていうのが、
今出版大変ですけどまだ大きいシステムが出来上がってますからそれをうまく使うっていうのがあるし、
あともう一つはそのライブイベントで集客力のある人はライブの旅に売っていくっていう、