インタビュー
イラさんに、具体的にいつだったか思い出せないんですけど、
何か面白いものとか、普通のものを面白い視点で書くみたいな話を、
昔聞いたことがあって、
普通のことを普通に書くな、みたいに言ってもらったことがあって。
それはありますよね。
それって、どういうことだったかなって、もうちょっとまた思い出して。
だから、例えば結論が動く普通のことだとするじゃないですか。
例えば、友達を大事にしよう。
その結論だったら、最初から友達を大事にしようってずっとはいかないんですよね。
要は、いかに憎み合う同士の関係があるかみたいなことを書いたりもするし、
その友達を作る難しさみたいなことを書いて、最後に落とすことになるんで。
やっぱり入りの部分に関しては、よく新聞記者が言いますよね。
人が犬を噛まないとキジにならないと。
犬が人を噛んだのはダメだって。
だから、そこはやっぱりひねって逆から入らないといけないっていうのがあると思いますね。
それこそ普通に書かない。
普通に書かないって、今普通ってキーワードが出ましたけど、
普通っていうのも知ってないといけないってことですね。
そうですね。
なので、そこを自由に外せるぐらい、
世間の普通の常識だったり、今の社会のあり方みたいなことに関しては分かっている上で、
そこを外したり入ったりしながら書くっていうことだと思いますね。
面白いな。
小説家でずっと土俵に立ち続けている人って、
怒られちゃいそうですけど、クレイジーな人もいると思うんですけど、
どこかでそういう普通の感覚をやっぱり持ってないと。
長く続いている人は持っているよね。
でもやっぱりクレイジーな人は、クレイジーなままで、
クレイジーな客がつく小説をずっと書いている人もいるんで、
それで食べている人もいます。
でもそうすると結構大変だよ。
それこそその時、商業的にはいいかもしれないけど、苦しいですよね。
だから、そのセレクトの仕方によってはいくらでも尖がれるんですよね。
例えば恋愛小説を書く場合、主人公を男にする、
ゲイにする、ロリコンのデブ戦にする、
ドMにするみたいな、40個ぐらいのキャラにしたら、
もう運命の人との出会いは、一生を生きたって1人か2人しかいないじゃないですか。
そんなのでも別に小説を書けるわけだから、
ただでも、そうやってどんどん尖っていった時に、
あれこれ読みているのかなっていうのはふと思うよね。
尖れば尖るほど。
全体的な暴走としては減るわけですかね。
ところが、人間って怖いもの見たさがあるじゃないですか。
なので、恐ろしく恐ろしい話とか、
めちゃくちゃな殺人の仕方、
例えば地下室に監禁して、
じわじわと、例えば手足を切ったら医療行為で延命させて、
片っ端から切り刻んで、何ヶ月もかけて殺すみたいな話が好きな人たくさんいるんだよね。
今アメリカの犯罪小説ってそんなのばっかりじゃない?
連続殺人でひどい殺し方をするって。
日本じゃちょっと出せないようなね。
いや日本でも出てるけどね。
そういう人はちょっと感覚的、
その文章感覚とか文体特徴があって上手い人が来るときに多いんですけど、
それこそ直さないと小説にならないよみたいな、
なので第一行を出す人もたくさんいるんで。
じゃあイラさんはデビュー前というか、
デビューする時からもそんなに直されてない?
ないですね。
そっか。
さっきの自分を話すとか客観的な目線ってことだと思うんですけど、
そこがきちんとできてるかできてないかって大事かなと思う。
いやでもそれに関してはね、
それぞれの人の文体の特徴があるからわからないね。
僕は割と滑らかに繋がる文章を書くじゃないですか。
あるいは池袋みたいにものすごく人工的だけど、
その独特のリズムがある文体とか。
そういうようにリズムで書いている人は基本的にあまり直さない方がいいんだよね。
正しくするとリズムが途切れたり歌がなくなっちゃうんで。
リズムって絶対ありますよね、その人の。
要はそのリズムが読めるか読めないか、プロかアマの差なんですよ。
例えば役者の文章とか役人の文章なんかって読めないじゃないですか。
ああいうリズムのなさをちょっと読んだ上で、
自分なりのリズムをどう作るかっていうのを考えた方がいいかもね。
それも自分なりにいくつか、
例えばクラシックの作曲家も4分の3拍子だったり4分の2拍子だったり、
ワルツ3分の2とか何でもいろいろ拍子があるじゃないですか。
そういうのを文章で使い分けられると本当はいいんですよね。
ってことですよね。
例えば犯罪のハードなものであればカチッと硬くする。
それこそハードなジャズとかロックのような文章にして、
恋愛小説だったら柔らかくピアノ曲みたいにするとかっていうようなつもりで
作っていけば文体は自然とリズムが変わってくるんで、
そういう楽しみもあるので、書く上では。
それは書き手がそういうのが好きな人はやればいいんじゃないかなって思いますね。
逆に言うとイラワさんはそれができるからどっちが先か分からないですけど、
いろんなジャンルを書けるってことですね。
そうですね。
そういう作品を書くときにスイッチ入ってそういう文体になるみたいな感じですね。
なるみたいな感じですね。
それなりの文体を選んで作るっていう感じですかね、小説ごとに。
それが楽しいっていうね。
いわゆる書き手として、
エッセイとかライターとしてこれでいくみたいなのがある人は別に1個でもいいんですかね。
もちろんいいです。
楽しいと思うよ。
でも1個でいいです。
1個で一生これを言いたいみたいなことがある。
そういう人はそれでいいので、
例えば障害者差別みたいなことを一生訴えたいみたいな人はそれをやればいいので。
ただ小説でそれだとちょっとしんどいよね。
そうですね。
それを20冊30冊書くとなったらしんどいなと思うけど。
あるいはその置かれている状況の深度差をストレートに伝えるとか。
それってイラさんみたいに自分でキャッチボールみたいな鏡のように
すぐ跳ね返してそういうものを出せる人はいいと思うんですけど、
まだまだこれからとかそういう能力を持ち合わせていない人って、
例えばマイクロですけど自分のブログでも何でもいいですけど、
そういうもので一つ一つやって確かめていくしかないのかな。
そうですね。それとあともう一つはキャッチコピーの場合は
たくさんのことは言えないんですよ。俳句みたいなものなので。
俳句だって何もかも言えないじゃないですか。
なのであるイメージだったりある考えをギュッとまとめて短く言うしかないの。
なのでそこのところじゃないかな。そこでみんな何もかも言おうとか、
この本は自分が書いた本だから可愛くて何もかもいいとこいっぱいあるんだよみたいなことを言い始めると、
だらだら文章が長くなってどんどん説明になっていくんで、
それを言ったらもうね、お見合いパーティーの下手くそな男の子みたいな問題に自己紹介の。
僕はこうでこうでこうでこうでなんてずっとはしゃばいてたらもうなんだこいつってなるじゃない、女の子は。
なのでそこで何かスパッと自分なりの何かいいところをスパッと面白おかしく伝えられれば。
エッセイもそうだし。
でも文章に関しては本当に答えないよね。みんな書いて迷ってるからね。
ひなさんの中では迷いってないわけですよね。
それって言語がちょっと難しいかもしれないですけど、シーというのはどういうことですか?
いやだからさ、要はこうやって話しているくらい分かってしまうと、
分かっているから逆に今書いているのは本当にいいのかなって疑うことになるじゃない。
川端康成もノーベル賞取った後だよ、もう大作家として世界中に名前が売れた後でも、
毎回毎回締め切りの度にもう劣に悩んでたんだよね。
だから自分でも言ってるよね。
自分はその締め切りもうギリギリになって、
崖から飛び降りるようにえいやーと思って書き始めると。
それで書いているのがあの短編なので、やっぱりそれまでは怖くて書けないし、
これで本当にいいのかなってずっと迷ってるんじゃない?
じゃあまさに身を削る感じですかね。
でもそれはもうみんな作家はそうだから。
イラさんも?
誰でもそうです。
安心してこれでOKみたいなことを言いながら書いているやつ誰もいないので。
でもそういう作家は基本的にもうダメになっちゃっている人なので厳しいよね。
その繰り返しだから、ただいずれにしても楽な職業ではない?
楽な職業ではないけど、逆に言えばまたすごく自由な仕事じゃないですか。
自分の生活を全部自分の自由にできて、
誰にも気が入らなくテーマを選んで好きなものを書けて、
しかもその本を書く上で誰かに頭を下げるとか何かお願いしないといけないことが何にもない。
これで食べていけて、これはいいよねっていう人が勝手に生きていけるってしたらやっぱり素晴らしいよね。
それは歌詞でも作家でも一緒だけど、絵描きでも。
自分でなかなか難しいかもしれないですけど、
なんでここまで22年一戦でやってこられたと思います?
基本的には一つそれなりに力があったっていうことと、
やっぱり飽きずに続けたからじゃないですかね。
やっぱり小説の世界も今、この1996年のピークでしょ?
だから18年ぐらいで、市場が4割縮んでいるんで、
その中で腐らずに続けているっていうのも大事だよね。
そうか、だから96年のピークってことはまさにデビューした時がピークみたいな感じ?
そうですね、98年なので、まだピークの頃にデビューして、
それ以降1年も前の年よりも今年の方が売上が上がった、やったみたいな年は1回もないんですよ。
皆さん自身が?
僕自身がっていうより日本の出版全体がってこと。
だからそう考えるとなかなかしんどいよね。
だからこの前も高台車の命名って話なんだけど、
ほら昔さ、まだ日本がサムソンとかアップルにやられる前、
日本の電気メーカーが調子良かった頃のソニーとか見てるじゃない。
なのでそれ以降の日本の電気メーカーの打ち込みなんかを見ると、
ずっと縮み続ける、ああいうところで働くのって大変だよねって。
それこそ98年とか2000年とかに言ってたのに、
完全に出版全体がそれになりましたよね、音楽と出版は。
想像以上に早い。
だからその打ち込みが止まらないし、まだまだ止まらないだろう。
もうみんなこれから基本的にコンテンツにあまりお金を払う意識がなくなってくるな。
音楽CD買わない、DVD買わない、本買わないで。
本が最後生き残ってるけど、これも今ずっと落ちてきてるんで。
そう考えるとね、本が生き残れるとはあんまり思えないんだよね。
今そのコンテンツっていうところの話出てきましたけど、
書くことはもちろんですけど、そういう何かを作ってそれで食べていく。
何十億も儲けなくても。
それってかなり難しいんですか?
今かなり難しいね。
個人レベルでも?
難しい。すごい難しい。
単純にその1996年ピークだった18年前から、
今で言えば専業作家の数は半分になってると思うね。
4割落ちてるってことは。
中間ぐらいに食べられていた人がみんな食べられなくなってるはずなので。
ちょっと名の知れて、僕らがよく知ってる人でも、
明かしてる人もいるでしょうけど、実は全然それだけじゃ食えない。
すごい食えない人いっぱいいる。
厳しいよね。
その中でも明るい光が欲しいんですけど。
別に明るくなくていいんじゃないかな。
でもそれでやっぱり食いたい人もいるわけじゃないですか。
だからうまくハマって当たればもちろん大きいので、
音楽がこれだけ売れないって言っても、ヨネズゲンシーだっけ?