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2023-10-02 25:24

【INTERVIEW#207】30代からのアイスランド移住│白戸舞さん(移動プリントスタジオ/ギャラリー「Brumm Brumm」代表/アイスランド在住)

▼メンバーシップ登録はこちら YouTube | https://www.youtube.com/channel/UCeV6IZsGJW0MAcieAugIb1g/join Apple Podcast | https://podcasts.apple.com/jp/podcast/interview/id1586282121 【30代からのアイスランド移住】 今回のゲストはアイスランド在住の白戸舞さん。日本で働いていた会社を辞めて、31歳でアイスランドの芸術大学進学を決めた白戸さん。 「20代の頃はアイスランドに興味がなかった」と語る彼女がなぜ、遠い異国の地へ惹かれるようになったのか? 大学受験の際、担当者から「面接はオンラインでも大丈夫」と言われながらも、直接アイスランドに行った理由とは? 世界で活躍するコスモポリタンの貴重なインタビューをぜひお楽しみください。 (2023年9月アイスランドにて取材) 【プロフィール】白戸舞(しらと・まい)アイスランド在住。 31歳になる年に日本の会社を辞めてアイスランド国立芸術大学に進学。 卒業後はアイスランドのアパレル会社、飲食業を経て永住権を取得。現在は2児の母として子育てに奮闘しながら、首都レイキャビクを拠点とする移動プリントスタジオ/ギャラリー「Brumm Brumm」代表としても精力的に活動をしている。 https://www.instagram.com/brummbrumm_rvk/https://www.brumm.is/ 第一回 30代からのアイスランド移住 https://youtu.be/ywjhz4uk78w (10/9公開予定)第二回 言葉よりも大切なこと https://youtu.be/b_xWzPrzcoc (10/16公開予定)第三回 ラーメン1杯3000円の世界を生き抜く秘訣 https://youtu.be/UhO4UvKJV30 (10/23公開予定)第四回 人と会うことで人生が切り拓ける https://youtu.be/qnmyCrNmkDI 再生リスト | https://www.youtube.com/playlist?list=PLh7eiOWS7pyiSxhOEaY-IPjq0ygNnx9yx ▼早川洋平の愛用品をリストアップしています。随時更新中! https://room.rakuten.co.jp/room_c18b3055dd/items ▼インタビュー力を身につけたいあなたへ https://www.auchikara.com/ ▼ポッドキャストを配信したいあなたへ https://podcast-branding.com/ ▼ニューズレター https://yoheihayakawa.substack.com/ ▼番組への感想・質問はこちら https://bit.ly/INTERVIEW_QandA ▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。 ▶Spotify https://bit.ly/Spotify_INTERVIEW_YH ▶Apple Podcast https://bit.ly/Apple_INTERVIEW_YH ▶Amazon ⁠https://bit.ly/42AJBFT⁠ ▼関連キーワード #アイスランド#コスモポリタン

サマリー

白戸舞さんはアイスランドの首都レイキャビックに移住しています。彼女はモバイルプリントスタジオ「ブルンブルン」を経営しており、アイスランドに興味を持ったきっかけやその経緯について話しています。彼女は以前、日本のアパレル会社で働いていましたが、30代になった時にアイスランドに移住することを決めました。彼女は現在の新しい仕事と子供の頃の夢について話しています。さらに、彼女はアイスランドへの移住を決めたきっかけやアイスランドでの生活についても話しています。

アイスランドへの移住のきっかけ
さあ今日はですね、アイスランドの首都なんですよね。
首都はレイ・キャビー君のカフェですね。
白戸舞さんにお話を伺いたいと思います。舞さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
緊張しちゃうとあれなんで、僕も緊張するのが弱いんで、舞さんにリラックスできる場所があっていうことで伺ったんですけど、ここはブックカフェっていうんですかね。
割と本を読めているカフェが多いので、アイスランドは。
今日レイ・キャビー君にお話がかかる前にちょっとだけ散歩してましたけど、さっきも始まる前にちょっと動かしたんですけど、本屋さん多いですよね。
多いですね。
普段あまり意識しないかもしれないですけど。
アイスランドは国民が少ないので、各家庭の貯蔵室を持っている本が、割と世界で何万本目でも多いって聞いたことがあります。
すごい良いなぁと思って、ここで落ち着いてね、今日話を伺えればと思うんですけど。
舞さん、ちょっと友人知人の紹介で今回お話を伺うんですけど、モバイルプリントスタジオを経営してる?
経営するまで言うとちょっとオゲズマなんだよね。始まったばっかなんで。
でもやってらっしゃるっていうことしか実はですね、事前情報があまりなくて、こういうケースも面白いなと思ってたんで。
モバイルプリントスタジオ、これはブラムブラムでいいんですか?発音が。
ブルンブルンで。
全然違くない。意外とむしろ日本語っぽいですね。
車の音と音と一緒ですね。
ブルンブルンモバイルプリントスタジオをやってらっしゃるということで、今日いろいろ話を伺っていきたいと思うんですけど。
そもそもですけど、アイスランドに来て何年ですか?
2009年に来たので14年。
4年か。
4年目。
あっという間でした?
はい。
あんまり最初の頃はありますけど、最初は3年学生だったんで。
あ、そうなんですね。
じゃあ14年でいろいろ伺っていきたいんですけど、そのモバイルプリントスタジオブルンブルンを。
それ最後の方ですね。
最後ですよね。
この最後の2ヶ月ぐらいですね。
本当に最後なんですね。最近なんですね。
やっぱりオーソドックスに本当に、そもそもなんでこのアイスランドにいるのっていう、そのやっぱり移住のきっかけというか現在に至るまでを伺いたいなと思うんですけど。
アイスランド人の友人に出会う
14年前っていうかもっと前にアイスランド来ようと思ったきっかけがあるわけですよね。
アイスランドに来る方っていろいろあって、アイスランドの音楽が好き、自然が好き、そういう理由があってアイスランド大好きですっていう感じで来られる方と、
わりと外でアイスランド人のパートナーと出会って結婚して来られる方とか様々なんですけど、
私はもともとアイスランドに全く興味がなくて。
本当ですか。
それがね、2000年ぐらい。
はいはいはい。
ちょっと10年、10年じゃないや。
今23年?
もう20年以上前ですよ。
23年ですって。
はい、ですって。
たまたま、確かアメリカの作家の本を読んで、本好きなんですけど、
本を読んで、その頃フェイスブックもミクシーもエサとかも全部ない時代だったと思うんですけど、
たまたまその読んだ本のコミュニティサイトみたいなのがあって、そこでみんなが感想とか思ったことを投稿するみたいなサイトがあったんですよ。
なんか偶然に話し始めた人がいて、その方がたまたまアイスランド人だったんですね。
一切興味なし、どこかも知らなかったんですけど、
そしたら彼は、男の人なんですけど、彼はいわゆるゴジラとか日本のアニメが大好きで、
それで私が日本人って分かって、ネットでメールを送ったりし始めたんですよ。
でも全然一切興味なかった。
興味ないもん、ここまでで何回も連絡してますね。
そうしたら、しばらくしたら僕バンドやってるって言うんですよ、アイスランドで。
出たと思って。バンドやってる人なんてピンからキレまでいるじゃないですか。
だからアフーンみたいな感じで聞いてたら、僕ら日本に行って演奏するって言うんですよ、コンサートに来る。
サマソニックの2001年か2002年に来るって言って、招待してくれたんですよ。
初めて新宿のホテルのロビーで、他のメンバーも入れて、初めましてって言ったのが、本当に初めてのアイスランド人。
結構有名なアーティストなの?
その頃は有名だった。今はもうないと思うんですけど、
ヒップホップのバンドで、コファラシっていうバンドだったんですけど、
まだその当時もアイスランド自体には全然興味なくて、いつか遊びに来ないよって言われたんですけど、
まあその1年みたいな、全然興味なかったんですけど、
彼らはもう1回くらい来たんですよ、サマソニックだったから似たような感じで。
それが2000年、最初が2000年前後で、2002、2003、2004年とか。
20年前後前。
アイスランドの芸術大学への入学
その後に、たまたまアイスランドの映画を見たり、結構知るからですよ、最初の出会いから。
もうたぶん6年とか。
その後一気にアイスランドに入ったわけでもないってことですね。
そう。
で、それからその頃、多分、板橋区で、
フランス人と日本人のハーフの友達がいて、その子と一緒に住んでたと思うんですけど、
その子が結構アイスランドの音楽とかが好きで、教えてもらって聞き始めたとかで、これいいなと思って。
その最初に出会った彼に、アイスランド語を勉強してみたいんだけど、どうしたらいいかな。
アイスランドってね、所詮35万人くらいの国の言葉だから。
でもその頃ね、ワセダで確か教えてたんですよね、アイスランド語。
そしたら彼の元彼女がワセダに留学してて、いるから連絡してみたらって言って連絡したんですよ。
それで会って、それから友達になって、日本に行ってるアイスランド人って結構多くて。
そうなんですね、意外ですね。
やっぱり島国だから、ちょっと日本と似てて。
確かに。
固まるんですよ、そういうとこ行くと。
だから一回一人に会うと、次じゃあパーティーあるから行こうみたいになると、
2,3人、4人、5人って増えていって、友達が増えたんですよ、そこで。
最初のゼロから1は難しいけど、その後は結構増えると。
で、渡辺さん、沙穂ちゃんも、さっき言ってたマリアっていう友達なんですけど、
その子の別ルートで沙穂ちゃんも友達で、それで多分最初に彼女に会ったと思うんですよね。
そうか、これ聞いてる方にそう。
インタビューで去年出ていただいた渡辺沙穂さんからの紹介で、今回マイさんに出会ったんですけど。
そこで知り合ったんですね、最初には。
だんだんそこからアイスランド人の友達の輪が広がっていって、
留学してる人とか割と多いんですよ。
アイスランドに?日本に?
アイスランド大学に日本語学科っていう学科があって、そこは3年生なんですけど、
3年生になると結構留学してて、本当に東京から関西から、あれかな、九州もいるのかな、結構いろいろ。
そういうので日本に行ってるアイスランド人って割と多くて、
結局その頃から、これは私アイスランドに行かなきゃダメなんだって思い始めて、
もう旅行じゃなくて住むって思って。
すごいですね。
そこで、それが2008年、7年とかかな、6年か7年。
ちょうどその頃ってリーマンショックのせいで、アイスランドが経済危機でほぼ崩壊してて、
私、もともと学生とかに海外たくさん行ってますっていうタイプじゃなかったんで、
バックパッカーとかやってるタイプじゃないんで、
でも不思議なことに中学の頃ぐらいは英語とか海外に重視した仕事をしたいと思ってたんですよ。
そこからポカンと開いて、結局アイスランド行ってみたいと思って、行かなきゃいけない。
でも、経済崩壊で状況があんまり良くない。
海外にそんなに長く住む仕事、大丈夫かなってなって、学生に戻ることにしたんですよ。
アイスランド国立芸術大学を受けて入っちゃったんです。
すごいですね。
と思うでしょ。
日本人だから、みんな日本みたいな大きな国から来る人はやっぱり歓迎される。
でもほら、そもそもそれまで美大行ってたとかじゃないんですよね。
素人的に考えても、アイスランドの国立の芸術大学っていうと、
言葉、アートの何か扶養がないと浮かないと思うんですけど。
行く前の7,8年くらい、日本の会社で働いてたんですけど、東京で。
ちっちゃい会社だったんですけど、中国にノベルティ作る会社。
中国に縫製工場を持ってて、私の大きなクライアントは化粧品会社の大手で。
中国の?
日本の会社か。
で、要は例えばクリスマスにこういうキットを出したいから、これぐらいの予算で4万個。
何ができますか?っていう場合と、もう大手で、
例えばデザイナーさんがいらっしゃるところは、こういうものが作りたい。
で、お宅何ができますか?どれぐらいの値段って。
だからセールス?営業?兼デザインみたいなのをやってたんで。
その会社の裏手に縫製室があって、そこに生地の棚とか、
本当にスタジオみたいになってて、
その社内のやり取りで、こういうのが欲しくて、こういうので、こういうのでっていうので作ってもらって、
それをお客さんのところに持って行って、
こういうのができました、こういうオプションがあります、っていうやり取りの間をやってたんですよ。
なんで、その芸大を受けたときは、一応ファッション学科を受けたんですけど、
記事とか何かそういうものが関係あるところで、それで入っちゃったんです。
でもそれも今の話を伺っていると、78年その会社で、いわゆる営業と、
でも本当にガチのデザイナーだったわけじゃないわけですよね。
アイスランド移住の決断
どちらかというと、ずっとディレクションしてたみたいな。
もともと物を作るのが好きなんで、それが一番、大学を卒業して最初の会社じゃなくて、
一番最初の1年目は、いわゆるアイスランドじゃない?日本のアパレル?
割と日本で有名なテニムチーツとかを作る会社にいたんですけど、
もうハードでハードで、朝始発の帰り中、最後の電車とか。
で、無理だなと思って、1年ぐらいでそこは辞めたんですけど、
その後1年、契約社員かなんかで、レストランを持ってる会社?
メニュー作ったりとか、企画とか。そこもでも1年ぐらいで、その後が今の会社。
入った時に女性の営業っていうのがいなかったので、日本的な。
で、たまたま上司の人が、お前新規改革とかやってみればって言われて、
絶対無理無理って思ったんですけど、たまたま電話したらできちゃったんですよ。一気に。
すごすぎじゃない?
そのタイミングがすごくて、その当時って、代理店がやっぱり化粧品会社、代理店を本当に作るとこ、下請け?みたいな感じだったんで、
要はマージに取られるのと時間がかかってたんですよ。
要は下請けにしても、補正室が自社についてるわけじゃないから、
中国にサンプルをオーダーして、サンプルを届けてもらって、代理店に持ってて、代理店が化粧品会社に持ってる。
だからうちは、そこが、要はローコスト、経費も削減できるし、早かったんですよ。
直接できてね、コミュニケーション密に取れるし。
下手したら、サンプル室が空いてたら、持ってって話を聞いて、次の日にはサンプルを出せるとかいうのがあって、
すごいそれが…
そうですよね。代理店からすると怖いですけどね。
で、なんか、それで新規ができちゃって、
新規運営みたいなのって結構、それで大手の有名な化粧品会社さんに行かせてもらってて、
でもやっぱり日本の会社ってのは大変ですよね。
大変?
今から比べると。
どんなとこが大変ですか?
まず朝、お茶出さないといけないとか、もうありえない今だったら、自分でどうぞ。
そうですよね。
あと一番最初の会社とか、言っていいのかなこれ。
名前は出さないですけど、
新人は朝一に来なきゃいけないんですって言われてて、
しかも1校目の先輩が割と朝早く来る人で、それより前に来なきゃいけない。
もう日本だとどんどん早く来なきゃいけなくなりますよね。
完全な日本式システムだったわけですね。
そうです。
そうか。
でも、まえさん謙遜しておっしゃってましたけど、
子供時代の夢
今の僕は今日しかも初対面なんで、まえさんしか知らないですけど、
どう考えてもコミュニケーション能力が高そうな感じするんですけど、
それはやっぱりどんな子供だったんですか?
子供?私?
ちっちゃい時から結構喋っても、
まえが寝るとホッとするわよみたいにご了承言われたりとか。
逆だと思います。
本当ですか?
割と静かだった方だった。
今でも静かだと思うんですけど。
なんかご兄弟いるとか、どんな感じの?
兄がいて、6歳上なんですけど、うるさいタイプではなかったと。
それこそ多分本読んでたりとか。
まえさんが?
漫画とかあんまり読んだ記憶ないんですよね。
本って文学とか?
本当に小説とか。
割と子供で、それもあれですよ。
5歳とかじゃなくて、ある程度年齢がいってからですけど。
あとやっぱり、作ったりとかは好きだったかな。
どんなもの作ってました?
料理は母親の真似してクッキー作ったりとか、
ちっちゃい頃からやってたと思うんですけど。
最初のアバレルに入った時も、
自分で家でジーパンを見よう見まねで作って、
その辺の方みたいなのがあったんですけど。
自分で手を動かして作るのが好きだったんだと思います。
日本で就職前、大学に行ってた。
その時は学部とか、どこの大学に別に差し支えなければ?
日大です。
僕も日大ですよ。
何学部ですか?
国際。静岡の。
三島ですね。僕は法学部です。
どこですか?
水道橋と大宮。
私三島ですよ。
あんな遠くまで?
でも、身近に感じていました。
しかも神奈川ですよね。横浜の田野ですけど。
そうなんだ。でも高校が付属とかじゃないですよね。
僕が日大藤沢だったんで、サッカーやりたくて行って。
サッカーですね。
僕の話はいいんですけど、また共通点がね。
共通点が。
そうなんだ。
私なんか、一人暮らしする人とか大学はいっぱいいると思うんですけど、
通ってたんですよね。
1時間かけて通って、2時間かけて帰って。
計4時間ですよ、1日に。
そうですよね。環境はいいですけどね。
そこからアイスランドっていう未来は絶対想像しなかったですよね。
しかもそこから最初はアパレルですからね、私。
そういえば。
懐かしいです。
今はそれこそ、そういうのも全部点と点が繋がって線になってるって言えるかもしれないですけど、
なんだ、小さい頃の夢って何でした?
ここはやっぱりお花屋さんとか言った方がいいですか?
でも英語を使ったりとか、海外にはちょっと。
でもそれも中学とか高校くらいかな。
ご両親が海外の仕事をしたとか、勝者とか。
全然。
なんででしょうね。
最初の世界に触れたって何でしょうね、振り返ると。
高校の時に、中学かな。
留学生とか、それこそオーストラリアとかから来てて、
友達になりたいな、友達と。
それ中学かな、高校かな、そういうのもあったかな。
ありますよね。
なんか家に来た気がする、実家に。
でもさっきの話に戻っちゃいますけど、最初にその本。
アイスランドの本。
日本の小説が。
ごめんなさい、一番最初にアイスランドの友人と。
バンドの人ですか。
あれはアメリカの人の本だった。
誰ですか。
全然覚えてません。
でもね、サラっていう本だった。
サラってああいう。
サラ。
でも、なんかその時も、おもろげな記憶ですけど、
たまたま買って読んで、
なんか結構、子供が男父?男父っていうのは、
売春じゃない?みたいな、死なきゃいけない環境に育った男の子が。
男将だ、男将。
でもちょっと次元みたいな小説で、
確か映画にも載ってるはず。
その当時、結構話題になったはずなんですよ。
話題って言っても、いっぱい売りの話題かどうかちょっとわかんないですけど。
日本の小説じゃないってことですか。
アイスランドでの新しい仕事
いや、アメリカの小説。
でも日本語で読んだはずです。
和訳されて、翻訳されて。
割と有名なやつですか、じゃあ。
そうだった。
で、その何年か後に、
映画家かなんかのプロモーションでその人が来たんですけど、
コミュニティサイトに作った詩みたいなの載せてたから、
多分その人が面白がってパーティー呼んでくれたんですよ。
すごい。
そんなことあってましたね。
でも、後々、その何年か後に、
それは実はフェイクで、その人は存在しないみたいな。
そんなことあるんですか。
だから多分、すごいダリデンとかいろんなもので作家を作り上げて、
架空の?
そう。
で、書いてたっていうのを聞いた気がする。
すごいですね。
これが夢じゃなければ私も見た。
これ自体が小説みたいですね。
そう。
っていう話を、こっちに来てから、
そのアイスマガジン最初に。
彼もその本読んでたんで、
そうだったんだよね、フェイクだったんだよねっていう話をした気がするんですよね。
一切連絡通ってないんですけど。
そういうことなんですね。
で、そのアパレルでその後、働いてた会社で。
アパレル契約のレストランのメニュー、その後の会社。
その後の会社の時に、さっきみたいないろんなことが重なって、アイスランドも行かなきゃってね。
はい。
なんかさらっと前さんおっしゃいましたけど、やっぱりなかなか。
失礼ですけど、その当時おいくつで独身だったとか。
いや、独身で、私ここに来た時がちょうど31?30になってたと思うんですよ。
31になる時。
はいはい。
なので、うちの会社は15人くらいの規模で、
いわゆる日本の企業なので、夏休みの5日とか、しかもほぼ仕事してたんですよ。
もちろん給料払われるわけじゃないし、追加の休みもらえるわけじゃなかったので、
という生活を何年もしてたので、
学校受けると思って、面接しなきゃいけませんって言われたんですよ、学校から。
アイスランドも?
アイスランドも受けた後に。
スカイプでいいですよって言われたんですけど、
当時から。
それがだからもう今16年くらい前。
会ったこともない、しかもアイスランド人に、私の魅力を伝えられるわけがないと思って、スカイプじゃ。
行くことにしたんですよ。
いいですね。
もうそれが2009年の4月。
でもそれまだ受かってないってことですよね?
一応はね。
後から振り返っても、やっぱりもう受かると思う?
一応、要は学校システム上、応募書類目を通し、何人かに絞って面接して、一応合格者みたいな感じだと思うんですよ。
じゃあ最初に書類は日本からインターネットで送る?
アイスランドへの移住のきっかけ
その時は多分郵送かな?
って送って、じゃあ面接しようって聞いてる時点で、あれ見、ほぼもう受かってる。
全員はそうなるわけじゃないよね。
でもただやっぱり日本って文化のレベルが高いから、ファッションでもなんでも。
その意味ではやっぱり、あと親日が多いんですよね、高校って。
なんかやっぱり、変な言い方ですけど、島国。魚も食べるみたいな。
似てますよね。
似てるのが多くて、やっぱり日本に行ったことある人も多いから。
やっぱりファッションでも技術とかいろんなもので、わー日本すごいね、みたいな人が多いんで。
だからその意味では、どっかで誰かに会って、日本からなんだよって。
わーっていう、いい印象を持たれる言葉が多くて。
結局、面接来てください、じゃあ行きます。無理です、スカイプなどと思って、行きますって言ったのが2009年。
の4月。会社まだ働いてたんで、これはもう無理だと。休みを取らなきゃいけない。
夏休み、お盆休み、仕事してる。無理無理と思って、辞めますって言ったんです。
そしたら社長が休みくれたんですよ、3週間も。初めてアイセランド来たんです。
でもその理由も言って、辞めますって言ってるわけですよね。
社長は3週間の間に、もう辞めるの前提だけど、それで婚姻させようとしたのかな?
社長は、たぶん一緒に仕事って言っても、社長と直にお仕事してるわけじゃないですけど、
そういうのを見てるから、本音は残ってほしかったと思う。
そりゃそうですよね。
割と成績良かった。
さっき話聞いてても、だってエースですよ。
そうなんだけど、言い出したらこいつは聞かないと思ったのもあって。
プラス、一応ここで休みで、もしかしたらその後、ダメっていう可能性もあるじゃないですか。
受からないっていう。
だからそれも組みして、休みをあげて、一回戻ってきてと。
アイスランドでの生活
お前、落ちればいいのにやったら言われなかったですけど、
面接を受けて帰ってきた後に、まだ連絡来ないんですよねって言ったら、
そう言い出された思いがあるんですけど。
3週間休みもらって。
いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。
この度スタートしたメンバーシップでは、各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで、
2000人以上にインタビューしてきた僕が、国内外の取材、そして旅の中で見つけた、
人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。
ここでしか聞けない特別インタビューや、基礎トークにもアクセスしていただけます。
随時、これ面白い、これはいいんじゃないかっていうコンテンツもアップデートしていきますので、
そちらも含めてどうか今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。
なおいただいた皆様からのメンバーシップのこの会費は、
インタビューシリーズの制作費だったり、国内外のインタビューに伴う交通費、宿泊費、
その他取材の諸々の活動経費に使わせていただきたいと思っています。
最後になぜ僕が無料でインタビューを配信し続けるのか、少しだけお話しさせてください。
この一番の理由は、僕自身が人の話によってうつや幾度の困難から救われてきたからです。
そして何より国内外のたくさんの視聴者の方から、これまで人生が変わりました。
毎日済む勇気をもらいました。救われましたという声をいただき続けてきたからには他になりません。
この声は、世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から一層増えたように思います。
これは本当にありがたいことです。
ただ、同時にそれだけ心身ともに疲弊したり不安を抱えたりしている方が増えていることに関わらない、その裏返しであると僕は強く感じています。
正直に言えば、過去に僕自身も15年以上前に起業して以来、最大のピンチといっても過言ではない時期をこの数年送り続けてきました。
でもこんな時だからこそ森に入ることなく、インスピレーションと学びにあふれる、まだ見ぬインタビューを送り続けることがインタビュアーとしての自分の使命なのではないかと強く感じています。
世界がますます混迷を極め、先の見えない時代だからこそ、僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや戦争体験者の方への取材はもちろん、今後は僕たちと同じ姿勢の人、普通の人の声に耳を傾けたり、ややもすると打ち抜きになってしまう、今こそ海外でのインタビューに力を入れていきたいと思っています。
そして彼らの一つ一つの声を音声や映像だけでなく、本としてもしっかりと残していきたいと考えています。
そんな思いに共感してくださる方がメンバーシップの一員になってくださったら、これほど心強く、そして嬉しいことはありません。
ぜひメンバーシップの方でも皆様とお耳にかかれるのを楽しみにしています。
以上、早貝大平でした。
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