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2023-10-09 24:44

【INTERVIEW#208】言葉よりも大切なこと│白戸舞さん(移動プリントスタジオ/ギャラリー「Brumm Brumm」代表/アイスランド在住)

▼メンバーシップ登録はこちら YouTube | https://www.youtube.com/channel/UCeV6IZsGJW0MAcieAugIb1g/join Apple Podcast | https://podcasts.apple.com/jp/podcast/interview/id1586282121 【言葉よりも大切なこと】 アイスランドの芸術大学在学中、転機となったのは「リトアニアの大学への交換留学が転機となった」と話す白戸舞さん。公用語はもちろん「リトアニア語」。なぜ彼女は一時的にアイスランドを離れ、ほとんど言葉が通じない環境に身を置いたのか。何を感じ、その後人生にどう影響を及ぼしてきたのか──お話しいただきました。 (2023年9月アイスランドにて取材) 【プロフィール】白戸舞(しらと・まい)アイスランド在住。 31歳になる年に日本の会社を辞めてアイスランド国立芸術大学に進学。 卒業後はアイスランドのアパレル会社、飲食業を経て永住権を取得。現在は2児の母として子育てに奮闘しながら、首都レイキャビクを拠点とする移動プリントスタジオ/ギャラリー「Brumm Brumm」代表としても精力的に活動をしている。 https://www.instagram.com/brummbrumm_rvk/https://www.brumm.is/ 第一回 30代からのアイスランド移住 https://youtu.be/ywjhz4uk78w 第二回 言葉よりも大切なこと https://youtu.be/b_xWzPrzcoc (10/16公開予定)第三回 ラーメン1杯3000円の世界を生き抜く秘訣 https://youtu.be/UhO4UvKJV30 (10/23公開予定)第四回 人と会うことで人生が切り拓ける https://youtu.be/qnmyCrNmkDI 再生リスト | https://www.youtube.com/playlist?list=PLh7eiOWS7pyiSxhOEaY-IPjq0ygNnx9yx ▼早川洋平の愛用品をリストアップしています。随時更新中! https://room.rakuten.co.jp/room_c18b3055dd/items ▼インタビュー力を身につけたいあなたへ https://www.auchikara.com/ ▼ポッドキャストを配信したいあなたへ https://podcast-branding.com/ ▼ニューズレター https://yoheihayakawa.substack.com/ ▼番組への感想・質問はこちら https://bit.ly/INTERVIEW_QandA ▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。 ▶Spotify https://bit.ly/Spotify_INTERVIEW_YH ▶Apple Podcast https://bit.ly/Apple_INTERVIEW_YH ▶Amazon https://bit.ly/42AJBFT ▼関連キーワード #アイスランド#コスモポリタン

サマリー

大学に入学してすぐ、彼はアイスランド人の友達の友達の家でルームシェアを始め、パーティーを楽しんでいますが、最初はアイスランドの人々が自分から話しかけてくることはなく、友達を作るのが少し難しいです。彼の話の中で、アイスランド在住の白戸舞さんは大学時代の経験について話しています。移動プリントスタジオとギャラリー「Brumm Brumm」の代表であるアイスランド在住の白戸舞さんは、アイスランドと日本のクリエイティブ業界の違いについて話しています。

アイスランドでのルームシェア生活
初めての時は、もうその面接で。
結局受かってて、もう済みますって来たのが、同じ年の8月末。
超特急ですね。
英語はどうだったんですか?
英語も当時は、今から比べたら全然ダメですね。
でもほら、それこそなんか自分で結構日常で海外の人と話してたとか、英会話習ってたとか、どんな感じだったんですか?
そういえば英会話行ってたわ。
行ってた?
大学?高校かな?行ってましたね。
まあでも、普段使いしてるわけじゃないんで、所詮はそういう英語ですよ。
まあまあでも、なんとか面接では。
あとは、結局アイスランドに興味持ち始めてから、アイスランド人って結構あって、一応それは英語だったと思う。
アイスランド語なんてとても難しいって言いますよね。
それで来ました。
話がやっとアイスランドに来ましたけど、来て、
そうするとアイスランドに来るのは決めたら、もう悲壮感とかも別になく、やっぱりワクワクってどういう感情だったんでしょう?
そう言ってもちょっと心配とかあったのかとか。
それまでもどっか海外に長く住んだりとかないわけですよね。
仕事で会った友達に、
私30歳で来たじゃないですか。
まあ31歳になる年ですけど、今までのキャリア捨てて、全然知らない海外って怖くないって聞かれたんですけど。
普通はそういう質問になりますよね。
怖いってなんだろうと思って。
全然そういうのなかったの。
うちの親も何も言わせんでしたね、そういえば。
素晴らしいですね。
サポートしてくれてましたね。
でもそれまでは長期間ってのもそうですけど、あんまり話の中でバックパックやってたとか、そういうの一切。
その前に海外、多分いつでしょうね。
って感じ?
高校の時に留学させてもらったんですよ。2週間とか。
ホームステイみたいな?
そうそうそう。はさせてもらったんです。
どこ行ったんですか?
カナダ。
カナダはどこですか?バンクーバーですか?
バンクーバー。
はず。
それは覚えてますけど、
思い出した。
フランス行ってるわ。
パリですか?
それもね、話長くなりにちょっと足したんですけど。
大丈夫、そのために来たんで。
今日、夕飯前に終わるかなと思って。
夕飯中にも予想もできますね。
アイスランドに興味が出る前はそっちだったんだ。
アイスランドの人と出会ったフォローとから、アイスランドに至るまでの間の、
アイスランドに興味ないよねぐらいの空間は、
さっきフランス人と日本人のハーフの内部と住んでたって話をしたと思うんですけど、
私もともと本が好きで、
昔、シャールズ・ブコウスキーってわかります?
僕めっちゃ好きなんですよ。
本当に?すごい。
これが関係あるんですけど、すごい好きで、
今全然読んでないんですけど。
詩も書きますよね。
そう。
でも私日本語しか読んでないんで、原作は読んでないんですけど。
で、私が20歳、21歳ぐらい。
20歳でブコウスキーっていいっすね。
で、読んでて。
でも周りにいなかったんですよ。
シャールズ・ブコウスキーって好きな人なんて。
いないですね。センス超いいですよね。
サホちゃんもそうなんですよ。
それで友達になったんないんですよ。
じゃあ僕も友達だ。
あ、そうなんだ。
ごめんなさい、話してもらいますけど、
サホちゃんは最初仲良くなくて、
ちょくちょく仕事で来る時に、
じゃあ飲もうよって一回なって、
好きな本の話になって、
やっぱこういうのでね。
ブコウスキーになって、うおーってなって、
それからもすごいいい友達なんですけど、
なかなかいないですからね。
で、ブコウスキーを読んでて、
メンズ・ノンノとか、
割とメンズ・ノンノの話見てたんですけど、
その時にたまたま売れ子、
すっごい売れ子だったモデルの方が、
アイスランド人とのコミュニケーション
フランス人と日本人のハーフの方がいまして、
たまたま彼が好きな本を紹介してたんですよ。
メンズ・ノンノとかスマートでしたっけ。
ありましたね。
忘れちゃってましたけど、
シャールズ・ブコウスキーって書いてて、
これだと思って、
事務所に手紙送ったの。
すごい。
しかも、絶対ファンレターはたくさん来てるから、
コラージュしてブコウスキーの。
またそれも作ったんだ、自分。すごいっすね。
送ったら返事来たんですよ。
それはすごい。
メールで、確か。
それ有名なモデルの人じゃないですか、その人。
すっごい有名ですよ。
レミってわかります?
レミ、ブービー・レミって言うんですけど、
で、お兄ちゃんがいて、
彼と妹二人いて、妹二人友達なんですよ。
で、返事返ってきて、すっごいやりとりしてて、
それも、アイスランド人の最初の男性と一緒で、
別に恋愛会場とかじゃないの。
一緒の本読んでるっていう。
それで、
そんな友達すごいんですよ。
ずっとやりとりしてて、
で、なんか彼女とフランスに、
フランスの半分ね、血が入ってるから、
移住する、
イジュップからないから、
少し向こうに住むことになったっていう。
フランスまで行ったんですよ。
わざわざ?
はい。
そこがさっきの大学受ける時もそうですよ。
やっぱりすぐ行きますね。
そう。
で、パリ。
それがパリですよ。
アイスランドの海外そこだと思う。
それがたぶん、
そっか。
それがたぶん23市だ。
で、彼女とも友達になって、
一緒に住んでたんで。
たまたま別の、
彼らの東京に住んでた時の友達も、
その時、同じ期間に遊びに来てて、
一緒にちょっとアムスに旅行行ったりとか。
おー、いいっすね。
でも当時はだから、
アイスランドなんか全然頭にいなくて、
たぶん知り合ってる後だと思うんですけど、
そっちが頻繁に会ったりとか、
飲んだりとか、
ワイワイ騒いでる仲間が。
で、帰ってきて、フランスから。
あ、違う。
その時も会社働いてたわ。
最後に言った会社で。
あ、そうですか。
夏休み無理やり取って行ったとこですね、その時。
でもお土産買ってきたら、
なんか日本ってそういうのって、
なんかひそひそみたいな。
悪口言われたとは思わないですけど、
すんなりすごい楽しかったみたいなのないから、
そういうとこがね、みたいな感じになっちゃうんですけど。
そう、それだ。
アイスランドの前の熱で。
その時に東京から、
ちょうどたまたまフランスに行ってた友達、
彼らの友達が帰ってきて、
いろんな人を繋いでくれたんですよ。
美容師の人とか。
それだ。
でもなんか今、合点がいきましたね。
え、どこ行っちゃう人?
あんまりしょっちゅう海外行ってたわけじゃないけど、
でもやっぱり日本にいらっしゃいながらも、
ずっとその本とかいろんなことを通して、
フランスなりアイスランドなり、
他の国の、やっぱり海外の人とはちょっと繋がってたんですね。
ずっとね。
でもブコウスキーすごいですね。
強くないですか?ブコウスキー。
いやいや、驚きましたというか。
普段、例えば新しい人と出会っても、
ブコウスキーのまず会話が出てくるか出てこないかも違うじゃないですか。
でもなんかちょっと脱線しちゃいますけど、
やっぱりなんか、僕も会いたいと思う人とか、
ちょっと当たり前ですけど、ルイは友を呼ぶっていう、
その知り合いが知り合いとかだと、やっぱりなりますよね。
でもアイスランド来るのもそんなにそう。
しょっちゅうっていうか、何も考えてなかった。
ご両親もあれだったし。
で、じゃあ大学入りましたと。
大学は何年間?
3年。
基本ここ3年生なんですよ。
3年なんですけど、
日本で知り合ったアイスランドちゃんの友達が、
結構住む場所とか探してくれて、
本当にこの今取材を受けている場所のすぐ近くで住んでて、
その友達のいとこの両親が持っている家ですごく大きくて、
すごく素敵なパートなんですけど、
彼らのいとこっていうのが、男2人兄弟で、
お兄ちゃんの方がアパートを別のとこに引っ越したら、
ロングシェアみたいな感じで住み始めたんですけど、
これがまたすごかった。
どうすごかったんですか?
いやー、もうすっごいパーティー会場で。
騒がしい感じ?
パーティーもすごいし、
ただ、住む場所があったっていうのがすごく助かったことなんですけど、
ここって割とお酒も高いんで、
今は物価すごいですし、
お酒高いんで、割と家でみんなパーティーして、
それから週目先に外に行くっていうのがあるんですよ、バーとか。
その当時住んでたルームメイトが、
女の子を毎週のように連れてかけてくるわけですよ、違う子を。
っていうのが結構多くて、
海外一応初めて、
住むルームシェアを始めてみたいだから、
なんかうるさいし。
そうすると、悲壮感たっぷりとか真面目に100%っていうのではなかったにしても、
最初これでいいんだろうかみたいに、そういうふうに思ったりは全然なかった?
大学生活の始まり
これで学校始まって、来てすぐ学校始まって、
初日学校のセレモニー、
100人ぐらい新入生なんですけど、
みんながこいつ誰だみたいな顔で見るんですよ、本当に。
アイスランド人ってやっぱり島国っていうのもあって、
本当に仲良く友達になる前までって、
結構気になってるのに喋りかけてこない。
ちょっと日本っぽいですね、そこ。
でも自分で喋りたいのは自分からいかないといけない。
例えば仲間に入れてもらえないかな、話しかけてくれないかなって聞かない。
結局その時も最初そういう感じで、
結局私ファッション学科っていうところに入ったんですけど、
12、13人女の子、みんな歳下もちろん。
私その時33、34、35で、みんなもう20代。
上で25ぐらいだと思います。
アイスランドもともと狭いのと、
プラスそういうアートとか芸術、
そういうのに関係してる人ってもっと狭いんですよ、コミュニティが。
だからそういうのが大変だったなって。
結局子供も、前がいるから英語で話そうよって言ってた。
3分後にはみんなアイスランド語喋ってるんですよ。
やっぱアイスランド人がとても多いんですか?
一人別の学科、グラフィック学科にラトビア人の女の子いて、
彼女は英語を勉強だったんですけど、他はみんなアイスランド語。
だからそういう、やっぱり閉塞感というか、
でも結構パーティーとかしました。
飲んで喋るようになったら、みんな一気に打ち解けるみたいな。
アイスランドとビョーク
最初だけちょっとあれだけど、そこからは?
でもね、最初1年終わって、これ正直しんどいなって思いましたよ。
今までの感じだと、舞さんそれ落ちるとかあんまないイメージあったけど、さすがにちょっとしんどかった?
その時に、アイスランド大学、同じ大学じゃないんですけど、アイスランド国立大学に、
アイスランド語を学んでいる日本人の友達とかがいて、
そういうので口聞いてもらったりとかしてたんですけど、
なんか1年目、家も騒がれた。楽しかったですよ。
だって1回、夜中3時ぐらいに、ワーワー音楽かけて、手叩いて、キャッキャッキャ言ってて、
注意しようかな、する前かなって思って、結局しなかったんですけど、
そしたら後々聞いたら、ルームメイトはいなかったんですけど、
ルームメイトのお兄ちゃん、引っ越したはずのお兄ちゃんが来てて、一緒に騒いでたの、ビョークですよ。
行けばよかったと思って。
一緒に騒いでたのがビョーク?本物?
本物、本物。
マジっすか?
ビョークが前に住んでた家の隣のアパートなんですよ、そこ。
当時はもう住んでなかったですけど、
リトアニアでの留学体験
僕ビョークベタですけど、超好きで。
うちの奥さんがめちゃくちゃ好きで、それでアイスランドちょっと薄らぞっていうのもあったんですよ。
マジっすか?
だから私その時見てないんですけど、
でもたぶん彼女が隣にアパートを持ってた時は、
その彼、その兄弟、たぶん子供の時?
だからたぶんすごい幼なじみの言い方かもしれないけど、そういう感じ?
あとは一回でいい、変な外国人の男の人がドアをポンポン、コンコンコンってして、
英語で、もちろん英語で、
ビョークは隣に住んでますか?って聞かれて、
知りませんって言って、引っ越したって聞きましたよって。
だからたぶんすごいマニアックなファンの方。
本当にビョークってこの辺にいたんですか?
今は知らないですけど。
メジャーになってた?
もう全然。
全然なってますよね。
メジャーになってても普通にこの辺に住んでた?
いますよ、たまにマジ。
今も?
今ここに滞在してるか、アイスランドにいるかわからないですけど、結構見ますよ。
マジっすか?
でもみんな大騒ぎそんなにしない?
しないしないしない。
そこがまたいいですね。
誰もたぶん、ビョークの友達の方がいたら普通に喋ってると思いますよ。
さすがにでもファンだとちょっと話しかけちゃいますよね。
でもね、たぶんすごく嫌がるあれだから。
ですよね。
たぶん全くない。
あんまりビョークってアイスランド人の方にはあんまりそんなに受けてない。
そうなんだ。
コンサートやったらみんな行ったり、世代にもよりますけど。
そこまでギャーギャーってみんながギャーっていうことで。
そうなんですね。
そうか、ちょっとビョークで興奮しちゃいましたけど。
で、1年目ちょっとそんなあったけど、2年目3年目。
1年目がそれでこれちょっとなんか、でもしんどいなと思って。
でも自分で決めてきたし、日本に帰るって頭はなかったんですけど。
これはどうしたものかなと思って。
エラスムスっていうお金が補助金がちょっと出て、
ヨーロッパ県内の大学とかに交換留学できるシステムがあって、
リトアニアに留学したんです。
マジ?いきなり。アイスランドからさらに。
リトアニアを選んだのが、1年目にファッションショーみたいなのをやって、
その時にたまたまリトアニアから留学してきてた男の子がいたんですよ。
彼もそっちのリトアニアのビルニュース首都の芸大に所属してて、
で、知り合って、リトアニアってどこですかみたいな。
なんか面白いなと思って。
基本大きな都市苦手なんで、リトアニア行ってみたいと思って行ったんです。
リトアニアってバルト3国ですかね。
エストニア、ラトビア、リトアニア。
結局1年くらいいたんですか?
半年以下だな。2月だから1月から7月とか夏まで。
交換留学だから向こうで当然勉強してると。
まあでも一応向こうのファッション学科ってやることは似てるんですけど、
それこそ2011年の1月2月だから、それこそ福島の地震があった時なんですけど、
アイスランドって寒いんですけど冬は外。
室内で暖房でお湯が通ってるみたいな。
あったかいんですよ。マックスにすると。
だから半袖でアイス食べるとか全然できるんですけど、
リトアニアはマイナス50とかの世界だった。
マジですか。
マイナス30くらいはあったと思う。
そりゃ投資しますね。
で、その時はもうルームシェアずっとしてて、結構もううるさくて嫌だったんで、
1人のアパートを学校経営で見つけてもらって住んでたんです。1人で。
で、オーナーの人がリトアニア人のおじさん。英語喋れません。
当時の2011年のリトアニアって、
言葉とか基本はリトアニア語、次に習うのがロシア語。
で、次がフランス語かドイツ語なんですよ。
だからバスとか乗るにも標識が英語なし。
フランス語かドイツ語が次だ。
アイスランドってほぼ、ひたしたら90歳のおばあちゃんでも英語喋れるんで、
大学の先生は英語は喋れるだろうという気持ちで言ったら、
ああ、なるほど。全く?
何人かは喋りました。
でも1つのニット、編み物の先生は喋れない。
本当にグッド、グッドモーニング、グッド、OKぐらいだったんで、
Googleトランスレート使って、それもシンプルにホワイトかハウとか、
それでコミュニケーション取ったりとか。
大変でしたね。だからその基本はみんな?
リトアニア語。
で、若い世代って英語習ってるんですけど、やっぱり使う機会もないからシャイだし、
でもリトアニアも結構親に近かったんだよね。
ソビエトの時にビザをあげた人がいて、
それで助けてもらったみたいので親に近いんですよ。
全然日本は知らないですね、逆に。
だからそんなのがあって、スーパーとか行っても何かを買いたくてもジェスチャーですよ。
これを3つみたいな。全然通じないから。
でも私にとってはそれがすごく新鮮で、
アイスランドにいて、アイスランド語が喋れないなと思われたら、ネイティブレベルの英語が返ってくるわけですよ。
でもリトアニアは、それもだからその当時は、
リトアニアはお互いに努力をしないとコミュニケーションができないっていうのが新鮮だったんですよ。
結構リフレッシュできて、その時に1ヶ月、2ヶ月して、
福祉の事件があった時に、
クラスメイトが日本で大きな地震があったらしいけど両親大丈夫とか言ってもいないけど、
結構気にかけてくれて、それが結構誰かに思ってもらうっていいことなんだなと思って、
それで半年終えて、帰ってきて、リフレッシュって言うかおかしいですけど、
大丈夫になったんですよね。
リトアニアに行ってたっていうのは意外でしたね。
リトアニア、でも6年くらい前に1回行ったんですけど、
でも今はだいぶ英語も普通に通じるし、表記も英語だし、すごい変わりました。
じゃあそこからまたリスタートして、そこから卒業までは割とメンタル的には安定していますね。
でもやっぱりアイスランド人って、今14年住んでてもイラッとすることがいっぱいあるんで、
いろんなやり取りとかで。
友達とかではないんですけど、だから卒業までも例えば、
ここでプリントできるって聞いてたのに、いざ材料も全部持ってって、
行きますって言ったら来ちゃダメみたいなのとか。
自分に都合悪いことは、自分がノーって言いたくないやつとかは他の人に回したりとか。
そういうの結構あるんで、たくましくなりましたよね。
諦めと慣れです。
諦めと慣れっていい言葉ですね。
ファッションとかデザインって言っても、かなり大きくイメージは湧いてるんですけど、
大学で具体的に、卒業するときにこういうものを作れるようになるとか、
こういう就職先があるとか、どういう感じ?
就職先なんてないですよね。自分で見つけないと。
やっぱりコミュニティ狭いんで、ここって不思議なんですけど、
学校卒業したらみんなすぐ、私ファッションデザイナーですとか言うんですよ。
言うんですね。
言うんです。
言うのはタダですからね。
今の話ちょっと置いといても、私、詩を書いてます。詩人ですとか。
本を書いてますとか。
それこそミュージシャンですとか。
有名じゃないと関係ないんですよ。
で、人がそこに対して、例えば家族でもなんでも、
ネガティブにとらない。すごいね。褒める。基本は。
そういうのはすごいいいとこだと思うんですよね。
アイスランドのクリエイティブ業界
こっちからしたら、え、学校出ただけだよね?みたいなことはいっぱいあるんですけど、
悪く言うと、レベルはすごく低いというか、
ランダムだと思うんですけど、個人差あると思うんですけど、
でも、そういうことに誇りを持ってるというか、
周りの人もそれに対して、いいねって言ってくれるのは、
すごいいいとこだなとは思います。
自分で鳴った、鳴るって言ったら、その日からそれがある意味受け入れられるというか、
そういう同情があるわけですね。
それに対してネガティブに、例えば、出た杭打つじゃないですけど、
みたいなことがあんまりない。
あまりないか、あまり見えない。
それはすごいいいとこだと思う。
いいですね。日本だとね、
もちろんね、揺れちゃうけどちょっと怪しいみたいなイメージもあったりとか。
いや、そもそもこれ、アイスランドって北欧って言われるような、
でも、あっちの北欧とも若干違うし、これ北欧なのかな?
北欧の中の田舎ですよね。
北欧にも入ってないときはやりますか?
北欧っちは北欧だけど。
でもやっぱり、北欧っていうとステレオタイプですけど、
ちょっとデザイン性が高いとかクリエイティブみたいなイメージだけど。
でもアイスランドも、やっぱり街は小さいかもしれないけど、
その分今の話じゃないですけど、
想像的な仕事とか、
今日からクリエイターアーティストって言っても平気みたいな。
僕もさっき前さんに話しましたけど、
始まる前も70歳のアーティストのおじいちゃん。
本当にアーティストだったのかもちょっとわからないけど、
でも堂々としてたから。
フリーランスというか、そういう人多いんですか?クリエイター。
自称クリエイターもいるかもしれない。
基本やっぱり個が重視される。
グループとかそういうものなのに。
それもすごいいいとこだと思ってて。
日本ってグループになりがちじゃないですか。
例えばクリエイティブとかそういうこと関係なくても、
みんなが行くから行かなきゃいけないとか、
もし嫌だって言ったらみんなに何か言われるかも。
そういうのがないのはすごくアイスランドのいいところだと思ってて。
でもやっぱりクリエイティブとかそういうことのレベルとかになっちゃうと、
やっぱり今ってインターネットで何でも探してるし、
やっぱりコピーとは言わないんですけど、
そういうこともたくさんできるから、
変な話、例えばシェガロスとかビョーコンはすごい成功して、
あれはほんの一握りどこに指の上に乗るぐらいの人たちだけだから、
でもクリエイターを習うこと自体は自由じゃないですか。
ただ実際の海外から見てとか、
海外のココのデザイナーと比較してみたいなっちゃうと、
っていうところはありますよね。
いいですね。こういう生の声が面白いと思って。
やっぱり外から見るとアイスランドっていうだけで、
特に僕も愛情があるので、
全部クリエイティブのレベルも高いみたいに思ったりもするんですけど、
もちろんいろんな人の考え方あると思いますけど、
今のお話を伺ってるとビョーコとかもそうですけど、
たまたまある意味アイスランド人だけだったっていうだけで、
彼女たちはスーパーだったみたいな。
本当に指の上に乗るところはもっともっと先にいる。
いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。
この度スタートしたメンバーシップでは、
各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで、
2000人以上にインタビューしてきた僕が、
国内外の取材、そして旅の中で見つけた、
人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。
ここでしか聞けない特別インタビューや、
基礎トークにもアクセスしていただけます。
随時、これは面白い、これはいいんじゃないかというコンテンツも
アップデートしていきますので、そちらも含めてどうか、
今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。
なお、いただいた皆様からのメンバーシップのこの会費は、
インタビューシリーズの制作費だったり、
国内外のインタビューに伴う交通費、宿泊費、
その他取材の諸々の活動経費に使わせていただきたいと思っています。
ビョーコンとアイスランドのクリエイター
最後になぜ僕が無料でインタビューを配信し続けるのか、
少しだけお話しさせてください。
この一番の理由はですね、僕自身が人の話によって
うつや幾度の困難から救われてきたからです。
そして何より、国内外のたくさんの視聴者の方から
これまで人生が変わりました。
毎日済む勇気をもらいました。
救われましたという声をいただき続けてきたからに他になりません。
この声は、世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から
一層増えたように思います。
これは本当にありがたいことです。
ただ、同時にそれだけ心身ともに疲弊したり、
不安を抱えたりしている方が増えていることに
かならない、その裏返しであると僕は強く感じています。
正直に言えば、かけ僕自身も15年以上前に起業して以来、
最大のピンチといっても過言ではない時期を
この数年送り続けてきました。
でもこんな時だからこそ、森に入ることなく
インスピレーションと学びにあふれる、まだ見ぬインタビューを
送り続けることが、インタビュアーとしての
自分の使命なのではないかと強く感じています。
世界がますます混迷を極め、先の見えない時代だからこそ
僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや戦争体験者の方への
取材はもちろん、今後は僕たちと同じ姿勢の人、
普通の人の声に耳を傾けたり、ややもすると
打ち抜きになってしまう、今こそ海外でのインタビューに
力を入れていきたいと思っています。
そして彼らの一つ一つの声を音声や映像だけでなく、
本としてもしっかりと残していきたい、そう考えています。
そんな思いを共感してくださる方が
このメンバーシップの一員になってくださったら
それほど心強く、そして嬉しいことはありません。
ぜひメンバーシップの方でも
皆さまとお耳にかかるのを楽しみにしています。
以上、早貝大平でした。
24:44

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