イベント参加の気づき
はい、こんにちは。今日は5月14日、水曜日、17時です。仕事帰りです。なんか久々撮ってますが、なんか今日、
私結構、人を集めて、いろいろイベントだったりとか、雇用仕事を結構するんですけど、
で、なんかするんですよ。するんですけど、なんか蓋を開けたらさ、あれ、私全然友達いねえっていうのを思って、すごいね、なんか笑えるっていうか、笑いとショックと、
今日の仕事って感じました。なんでそれをね、うわって突きつけられたっていうか、感じたかっていうと、
今度、去年も出させてもらったイベント、公園での地域の街おこし的なもので、公園で夏祭り的なの、夏じゃないけどね、そういう催し物をするから、ワークショップをしてくれないかってことで、
去年も出させていただいたんですよね。で、今年もお願いしますっていうことで、わかりましたってお話を受けてたんですけど、またその方がご挨拶に来てくださって、チラシがこういうふうにできてますっていうのと、
去年と違って、去年は確か3月にあったんだよね。青空の下をみんなで楽しく子どもたちのためにみたいなお祭りな感じでやったんですけど、今年は5月の末で、
青空の下なんですけど、さすがに暑すぎるだろうってことで、テントを張るみたいなんですよね。でもテントの数が足りないから、もう自分たちで用意していただかないといけないみたいな話をいただいて、
できましたって言って、その後、その時にね、私がパパパパって頭の中に思ったことが、大丈夫なんですけど、準備とかが結構大変。
テントを建てるだけなんだけど、一人でテントを建てるわけじゃないけど、結局荷物が結構あるわけですよ。私のワークショップするための道具プラステントとその他諸々っていうところがあって、
私今妊婦なので、あんまり重いものとか、力仕事みたいなことができなくて、大丈夫かなって思ったときに、誰か手伝ってくれる人いないかなって思ったんですよね。
で、そう考えたときに、あの子は多分忙しいだろうな。あの子子供いるし頼めないな。
別に誰に断られたわけでも、声かけたわけでもないのに、頭に何か浮かんだ人、きっと忙しいだろうとか、こっちで勝手に頼んでないし。
山城、手伝ってお願いって言える人がいねえと思って。
私なんか結構友達多そうにいられることが多いんですけど、何かいざ自分が本当に困ったぞってなったときに、頼れる人がいない。
頼れる人がいないっていうのもあるし、私が人に頼るのがすごい苦手なので、それも相まって、私今まで何やってきたんだろうって思えて。
なりました。いつもだったらね、夫が手伝ってくれたりするんだけど、もう仕事が入ってて、無理だなって、そう考えてて。
でも会場にはいろんな人いるし、男手もたくさんいるだろうから、どうにかはなる。
結局いつも私がそうやって判断するときって、勝手に言ったら迷惑かなとか、勝手に相手の状況とか、子供がいるだろうから家族の時間があるしとか、
そういうことをね、裏の裏まで勝手に考えて、勝手に判断して、もう言わないってこともある。
結局どうにかはできるんだけど、そうやってあんまり人を頼らないこと、まず声を上げてみるってこともしない。どうにかなるし、自分でやったほうが早いし。
そういう部分もあるし、まっくり言えば、思ったことだけじゃなくて、何のときでも勝手にそうして決めて判断するってことがすごい多いなって思いましたね。
人をやっぱり私はあんまり頼らないから、そっちが頼らんなら相手も頼らないっていうのもあるし、そういうことを考えてて。
私がそういうイベント、人が集まるようなイベントをする理由って、やっぱり結局ここなんだと思ったのが、過去の自分が必要だったって思うこと。
過去の自分を救うためにみたいな感じ。
自分がすごい困ったのかな、こうやって思ったことあったなみたいな。
人間関係の再考
結局、いざ何かしようとか、何か手伝ってくれるかなと思ったときに、急に全然連絡取ってない人に手伝ってっていうのもいいぐらい。
でもそんな仲良くないからねとかもある。
結局誰も頼めないってなるから、普段からたまにでも顔を合わせる機会がある。
何度か顔を合わせる機会があると、誰かが困った時に助け合える。
そんな深い仲じゃなくても、あそこにいたあの人が、あの人が困ってるってみんなでちょっと手伝うわーみたいになった時に、誰それみたいになったらさ、やっぱりあんまり自分ごとじゃない。
でも何かたまにでも顔を合わせる機会があれば、声かけにくいとか、普段あんまり出せないこともたまたま集まった時に見たりとか、何かそういうことってあるかなみたいなのもあって。
これって多分自分が一番困ったっていうか、欲しかったもの。
そのために私は一生懸命そこをやってるんだろうけど、蓋を開けたら、私は誰も頼れないっていうところにいて、何やったんだって思いましたね。
私より同じメンバーで群がるまではいかなくても、群っていうのがあんまり好きじゃないというか得意じゃないというかじゃなくて、いつもするんだよみたいなのってあんまり違うなっていうところがあるので、
この人絶対親友みたいな、二個一だよねみたいな人ってあんまりいない。固定的な友達っていないんですよね。
その間でもノーノーやってる人たちでも集まればみんな顔も合ってるし、誰かが困ったら助け合えるような、そういう関わり合いがあればいいなって思いながら遊ぶだったり、
バスケもそうだし、自分が一番そこ、なんでそれをやりたいかって自分が一番それで困ってるっていうか、それが欲しかったものだから、欲しいものになったりするから、一生懸命やってるんだなって改めて思いましたね。
今これを感じたことで、私の在り方、やっぱり集まりとかって誰がするかで結構集まりの雰囲気とか関係性とかって変わるから、
自分から頼ったりとかしていくこと、苦手だけどやってみるってことをしないとなって、やっぱり遊ぶとかイベントとかバスケでも、私がやりたくてやってることに来てもらって、
来てもらってるっていう意識の方が強くて、お客さんみたいな感じの多分私は意識が強いから、私がどうにかしないといけないし、私が思う件、
軽くお願いみたいな感じの時とかはもちろんあるけど、やっぱり根っこの部分で自分がやらなきゃって思ってる部分がすごい強いですね。
前回バスケに来てくださってる方と連絡を取った時に、私がやってるバスケは大人がメインなんだけど、子どもたちも楽しめるように子どもたちにもさせてるんだけど、
それを見てた大人の参加してくれる方が、いつも皆さんだけ子どもたちのバスケの中に入って、うまく回るようにとか危なくないようにって見てくださってるから、
すごいよねって言って、自分たちにも何かできないかなっていう話はしてましたみたいな感じで言ってくださって、私は全然そんな意識なかった。
審判っていうか、危ない時に声かけられるようにとか、そんな感じで、たまたまいただけなんだけど、そういう風に見てくださる方がいて、大人は周りにいっぱいいるけ、
私の声かけ一つで、雰囲気も状況も環境も変わるなって思う。私がやってるみたいなのが、多分私の意識が強すぎる。
そういうつもりはないけど、たぶん根っこがそこだっけ、そういうところで、明日から東京なんですけど、東京で遊ぶのもやってくるので、今そういう感情をまた味わえて、良かったのかな、いいタイミングだったのかなって。
そんな感じで私は感じています。
ということで、明日から関東でありがとうございました。
終わった。