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  2. 私にとっての自由とは
2025-06-04 21:18

私にとっての自由とは

自由を探して見えてきたもの

サマリー

このエピソードでは、自由の意味を個人的な体験を通じて考察しています。特に、レザークラフトを通した自己表現や、その中で感じる制限と自由のバランスについても語られています。

自由の考察の始まり
こんにちは。また久々に撮ってますが、今日は6月4日、17時頃です。
最近、アウトプット、しゃべってのアウトプットをあまりしてなかったら、
まじで、言葉が出なくなってきたというか、しゃべるのが下手になったというか、もともと上手じゃないのに、もっと言葉が出なくなった感じがします。
なので、こういうのも、やっぱり慣れみたいなものであるなって、最近、特に感じてます。
そして、いつもこうやってポッドキャストを撮ろう、ライブとか、インスタライブだったりとかもするんですけど、
ちょっとして終わろうと思ってるのに、10分、15分ぐらいが理想、私の中で。
結局、ダラダラダラダラダラ、よくわからない内容の話を話して、すごい長く内容のない感じになっちゃうことが多い。
で、今日こそ10分、コンパクトに収めればなぁと思ってます。
テーマとかをさ、あらかじめちゃんと決めて、それしゃべればね、あっちこっちどっちもいいことはないと多分思うので、
はい、今日のテーマは、自由、私に勝手の自由みたいなお話します。
えーと、なんかね、私はずっと、いつからかな、10代前の、会社になった頃、自由になりたい、自由になりたいって言ってたけど、
じゃあ、いざ会社辞めて、一時期バイトとか、
バイトとかで、正社員を辞めて、やってた期間、時間、自由にはなったんですよね。
時間的自由、そこで時間的自由なんですけど、
なんか、そしたらさ、会社員じゃないから、
給料がさ、入ってこないんですよね。
バイトはしてたりはあったけど、
で、その次の年になると、その正社員で働いてた時の税金みたいなのをめちゃくちゃ引かれる、
こととか、単純にお金がなくなって、果たしてこれは自由なのかみたいな、
お金の自由がなくなって、とか、
という風に思って、私にとって自由って何なんだろうみたいなことをね、近年考えて、
好きなことを、好きなことをすることみたいなことが、なのかな、みたいな、
結局のところ、私にとっての自由はこういうことです、みたいなのが、
まだピンときてなくて、
いろんな自由があるわな、みたいな感じでいたんですが、
最近また深まったというか、
私にとって自由って思える感覚がちょっと見えたので、お話しします。
レザークラフトと自己表現
私は普段、レザークラフト、パワー職人、
例えば、パワー職人とか職人とか、
こういうのをさ、パワー職人で紹介されるのが、
嫌じゃないけど、
パワー職人の人みたいな感じなのが、なんかちょっと違うな、
職業が前に出てくる感じ、
これありきの私みたいな、
なんかそうじゃないっていうか、
そうなんだけどそうじゃないみたいな感じ。
そう、なんか思いがあって、
例えば、私はパワーってものを作るけど、
あれもしてるし、あれもしたいし、これもしたいし、
仕事って言われることが、
この肩書きみたいな感じになる。
縛り?
縛りってわけではないかな。
俺がね、そういう感じです。
それが嫌なんですよね。
世間、やっぱり人と会ったりとか、
自己紹介をするときに肩書きみたいなのって、
名刺とか書くじゃん。
やっぱり仕事のほうが先行してくる。
私好きなことで仕事をやってはいるんだけど、
究極職業は私ですみたいな感じな私なので、
それだけで見られるとなんか違うなみたいな。
どう思われたって別にいいんだろうけど、
自分の中でしっくりこないみたいなのがあります。
私は仕事として今パワー製品を作ることをさせてもらってるんですけど、
一応それは一人でやってるっていうよりも、
会社に所属して作るのは私だし、
私が作れるものしか発案しないんですけど、
会社からもやりたくないことをやっても仕方ないからね、
やりたいことをやれませんみたいな感じに言われてて、
ブランドとしてはデニムとレザーアイテムっていう感じでやらせてもらってて、
私はレザー担当で、私がこういうものを作りたい。
そこから最近は前は一人で考えて自分が思った通りに作ってたけど、
その中でもやっぱりブランドの雰囲気っていうか、
そういうコンセプト的なものにも寄せてはもちろんしないといけないし、
一応一人じゃなくてブランドとしてやってるから、
そこの枠組みの中でやる。
最近はスタッフと競技をしながら作るみたいなことを去年ぐらいから始めたら、
まあ一つのアイテムを作るのにすごい時間がかかるんですよね。
サンプル作って、まず私が思ったように作ってて、
もうちょっとこうじゃないかとかなって、また作って、
もうちょっとこうじゃないとか、そもそもこれはいるのかとか、
そういういろんな話をする中で修正、修正、修正、修正、
永遠のサンプル作りであるとなってやっと出来上がるということをやってて、
作るのは私で、私もロボットじゃないので、
気持ちが乗るときとか、作業がはかどるときとかの波はあるんですけど、
そんなところでやってます。
で、そうやってきて、もちろんね、多分私が一人で考えて買って作ったときよりも、
めちゃめちゃいいものができたなってはもちろん、
クオリティも人に指摘されたりとか、
どういう人に向けて、どういう場面で使うのかとか、
そういうところを一つ一つ突き詰めていくことで、
やっぱりそこにフォーカスして作ってなるので、
自分一人で作らないといけないので、
でもね、最初のほうがね、私が作る、私しか作れないから、
なんでこんなに言われないかと思う。
だから、そんなちゃんと言わないといけないのかと思って、
やっぱりそこにフォーカスして作って、
やっぱりそこにフォーカスして作って、
やっぱりそこにフォーカスして作って、
そんな簡単に言うけど、
作るなんて思いとかもちろんあった。
けど、やっぱりこれはチームで作る。
チームとして、ブランドとして作るっていうので、
人の意見を聞くとか、
みんなで人を巻き込んでやるっていうのは、
私がすごく弱かった人の意見を聞いてましたし、
自分が強すぎそうって思ってたけど、
実際こうやって作ってみたら、やっぱりすごい良いものはできたなって思ったけん。
私の伸びしろがそこにあるし、向き合ってそこにあるなって思ったら、
でね、やっぱりこうやって作ってると、
やばいもう13分話し始めた。
私がポンって浮かんで作りたいと思ったものが、
作れなくなってくるわけですよね。
私は結構っていうかもう、
めちゃくちゃ感覚反対の人間なので、
自由のバランス
そうした感覚で、
やっぱりそうやってブランドとして打ち合わせしていくと、
理屈でこうやって決まっていくことが結構ある中で、
自分自身がギュッてなっちゃう部分もすごくあって、
私は想像すること。
自分が作ったものがいいなとか、
思ったものを自分で形に起こすみたいなことが、
多分好きなんだなってことを最近分かってきて、
いろんなやってることあるけど、
それに調通してることってなんだろうって考えたときに、
やっぱり想像すること。
自分がこういうことをやってみたいと思ったら、
まずやってみて、やってみるとか、
そういうこともだし、
そういう面でやっぱり、
自分が思ってるけど、
一回打線して、そっからなんか、
それはちょっと、
普通一般的にはこうじゃないみたいな感じに思って、
やっぱりブランドとして、
売っていかなきゃいけないっていう部分もあるので、
そうやってね、
言ってもらうことも多いんだけど、
私は、個人的には、
こんなんね、商売人じゃない、
私全然多分目が、
そこがめちゃくちゃ弱いと思うんだけど、
売れるか売れんかとか、
受けるか受けんかとか、
普通とか、
こういうのって結構どうでもよくて、
普通じゃないのが良かったりするんですよね、私は。
誰もやってないけん面白くないみたいな、
そこの肩とか枠をちょっと外れるみたいなことは、
昔からちょっと変えるとか、
いつもしてたなと思って、
そういう肩にはまるみたいなことが、
嫌い?嫌い?
嫌い。
のようで、
もどかしくなってくる。
そういうことを考えてたときに、
私は自分が思ったことを表現できること、
そのまま表現できること、
自由に感じるんだなって思いました。
長い。
話のまとめ方が下手すぎて、
落ちまで17分かかってる。
なんかそういう感じですね。
私はやっぱり自己表現とか、
自分が言いたいことを言うもそうだし、
自分が思っているものを形にしてみるとか、
表現してみるっていう、
結構浮かんでくるけど、
いろいろ考えすぎてなくなるとか、
あるので。
あんまり私は得意じゃない。
考える感じだけど、
考えるのが得意な人は考えるって言ったぐらいの感じなんですけど。
会社にいる身としてはふざけるなって感じにはなるけど、
でも、
やっぱりそこがもどもどしてくる。
っていう部分があるので、
そうやって枠にとらわれないようなものづくり。
結局私は作りたいと思うから、
仕事でも作って、
それでも追われてるのに、
作る時間あるみたいって感じだけど、
やっぱり作りたいと思うから、
作るのが好きだし、
僕は好き。
それもしたいなと思って、
それをやっぱり自分の表現が、
ありのそのままに出せない、
今やってるプランは、
じゃあしない方がいいんじゃないかって、
なんか、
窮屈にやっぱり思えてくるから、
それだったらしない方がいいんじゃねって、
思える部分なんですけど、
でもこれはバランスでもあって、
好きなことを制限なく自由にするのは、
すごい楽しいんだけど、
逆にそればっかりだと、
次また詰まる。
前ずっとそういう感じで、
結局わけをとらず、
何もできなかったみたいな感じになるし、
ある程度制限をかけられた中で、
ぶって尖らせてやるとか、
その枠の中で自分を持っているものを、
そこに差すとか、
そういう枠の中でやることで、
自分が詰まされて、
また成長できることもあるし、
軽減された部分と、
開放した部分とのバランス、
どっちもあって、
どっちにも症状効果が生まれてくるんじゃないかな、
って思うから、
そういうやり方をね、
していきたいな、
なふうに思っているところで、
全然件は自由だったか分からないですけど、
結局20分ぐらい、
全て話にまとまってないから、
スクールについてちょっと見えた人、
皆さん、
会えます、
思います。
私は今、こんな感じでした。
ありがとうございます。
21:18

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