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2021-07-24 31:34

#42 開会式前日、俺たちはこんな雰囲気でした

配信時には終わっている東京五輪開会式を翌日に控えたタイミングで、あとで聴き返すためにオリンピックについての現時点での印象、Corneliusの話をしました。

Webメディアびっくりセール

小山田圭吾 - Wikipedia 

銀河ヒッチハイク・ガイド - Wikipedia 

00:00
おはようございます、あずまです。
てっとうです。
イメージキャスターは個人で物を作る人の集まり、
イメージクラブとして活動しているあずまとてっとうが自宅からお送りするポッドキャストです。
技術、デザイン、制作、表現などに関係のあるようなないようなトピックを中心に、
毎週2人が気になった物、発見したことをそれぞれ持ち寄っておしゃべりします。
いやいやいや、知ってますかてっとうさん、オリンピックもう始まってるらしいっすよ。
もう始まってるんでしたっけ?開会式はもうちょっと先。
開会式もうちょっとなんですけど、日程見たらなんか予選みたいなやつが、
今ね、開会式、今録音してるのが開会式の2日前?1日前かな?
明日とかか、明日開会式なのか。
あ、じゃあもうアスリートの方はもう、
仕上げに仕上げてるのかな。
やってるんですね。
知らんけど。
いやーちょっと複雑、多分リアルタイムで聞いてる人ばっかりじゃないと思うので、
1年後2年後の人はよくわかんないかもしれないですけど、
かなり複雑な状況になってますね。
そうですね。もうね、なんでやってんの?ぐらいの感じになってますけどね。
もちろんコロナの話もあるし、それと関係あるかないかわかんないけど、
いろいろ、この、元々はロゴのパクリ問題みたいなのがあって、
決まりかけたロゴが1回なしになったりとか、
競技場のデザインとか設計もここがパクリじゃないかみたいな、
っていうところから始まったこのオリンピックだったなという気はするんですけど、
不祥事、過去の不祥事で辞めるとかもすごくなんか増えてしまって、
そうね、オリンピックについて僕が別に思ってることってそんな特にないというか、
もともとスポーツにそもそも興味がない人間なので、
かなり他人事としてとられてたんですけど。
そうですね、同じく、楽しんでる人は楽しめばいいけど、
自分は大河ドラマと同じぐらいの距離感で、
映ってれば見るかもしれないし、
見たら見たで、おーすごいねと思うというくらいのイメージではあったんですけど、
いやーでもね、スポーツの力ってすごいんですよね。
スポーツの力ってすごいなと思って、
見たらやっぱね、なんかこう、わーってなるというか、
そうですね、感動はするんですよね。
強制的に感動させられるというか、
人がいっぱい頑張ってんなーってて、
なんかテレビとかで見ると、全然スポーツ興味なくても、
なんかこう、運命を賭けた一戦みたいなやつとか、
03:03
テレビに流れてたりとかして、それを見ると、
自然と、なんか肉体的に、
うおーってなるものがあり、
そうですよね。
それについて、なんかこう、やだなって思ってるっていうところがあります。
なんて説明したいんだろうね。
まあ、スポーツの力とか音楽の力とか、まあ言いますけど、
割とそういう力じゃないですか、
力って言うと、権力とかの力と一緒で、
人を、その意思がどう思ってるかとか関係なく動かす、
なんていうか、フォース。
フォースですよね。
なるほど、なるほど。
それが発動されることに対して、
こう、自分の意思と関係なく、
発動されることに対して、
なんとも言えない気持ちというか。
はあはあはあ。
それを発動させるのが好きな人は積極的に見に行くし、
うーん。
うーん。
まあ、そうなんだろうな。
うーん。
まあ、ポルノに近いものなのかもしれない。
そうですね。
感動ポルノとかって言う言葉もありますけど。
まあ、こうすれば人間はこう思うみたいなのが、
定型分がたくさんあって、
それを実行する装置、
っていう側面はちょっとあるかな。
それはある気がしますね。
うーん。
まあ、でも、とはいえ、
うーん、動物であるということに対して、
僕自身はネガティブな思いは意外にないので、
うーん。
人間は動物として動物らしくこう、感動するっていうことに、
自分自身はそういう自分を見ると、
ちょっと嫌だなっていうのはわかるんですけど、
うーん。
なんか人間がそういう性質を持っていること自体に、
自分は嫌な思いはしてないっていう、
なんかすごい変な。
自分がそういう姿を見るのはすごい嫌なんだけど、
なんか人間がそうであることを悲しいとは思わないっていうか、
なんか変な、何してんだかわかんないですけど。
わかんない。
でも自分がスポーツを見て感動してるところを、
こうビデオカメラで録画されて、
それを見せられるのすごい嫌だなっていう感じがしますね。
それはめちゃくちゃ嫌ですね。
うーん。
何なんだろうな。
いや、自己啓発セミナーを聞いて、
普通だったらね、力がみなぎっている様子とか、
ちょっと恥ずかしすぎますね。
ああ、確かに。
まあ、という感じなんですけど、
ただなんか、今現状、
何ていうか、楽しみにしてる人が周りに、
たまたまかもしれないけど、一人もいなくて。
僕も一人もいないんですよね、周りに。
せめてなんか、例えば親とかが、さあ、こう地元で、
オリンピックもうすぐだねって言って、
東京はどう?みたいな感じで、
連絡してきて、
なんか楽しみにしてる風な感じを伺わしたりとかすると、
ああ、楽しみにしてる人もいるんだなとか、
思ったりするかもしれないですけど、
まあ、そんなないですね。
そう、いや、会ってほしいな。
06:00
そういうのが、コロナの前は割とあったから。
ありました?
まあ、あるにはあったかな。
確かに、まあね、チケット取るのとかも頑張ってる人いましたよね。
うんうんうん。
会社、まだその時は行ってたし、
それでチケット、ああ、落ちちゃったって、
ずっとがっかりしてる人もいたかな。
確かに確かに。
やっぱり見たいは見たいんですよね。
まあ、なんだかんだ報道とか見てても、
ネガティブなニュースは、
ちょっと水を刺すニュースはあったかもしれないけど、
基本的には、やろうよって気持ちを煽ってたし、
その煽りもそんなに唐突なものではなかったというか。
お祭りだしねっていう。
うん。
実際そういう関連の仕事も発生してたので、
オリンピックのイベント絡みで制作するっていうことは、
まあ、本当はあったんですけど、
まあ、いろいろなくなっちゃったんですよね。
もうなんか今2021年の開会式を前にした、
今のオリンピックの受け取られ方というか雰囲気としては、
もうなんか触れちゃいけない。
そうですね。
呪いの塊みたいな感じになって。
なんかやけになってるかまた触れないか、
ぐらいの感じですよね。
そうですね。
なんかこの雰囲気をちょっと残しておいて、
いや、もしかしたら開会式始まったらむちゃくちゃ盛り上がって、
スポーツとかもみんな感動で涙を流して、
いや、オリンピックやって本当にやっぱり良かったよねっていう雰囲気になってるのかもしれないじゃないですか。
可能性はゼロじゃないから。
どうせやらないよ、そのぐらい言ってほしいですね。
そしたら、まあ後から振り返った時に、
僕らがその前のタイミングでどういう感じだったかっていうのを残して、
それを後から聞くと、なんか意味があるかなっていう気しますけど。
なんかこう逆張りしたい気持ちというか、
こうなったら自分からワクワクしに行くかみたいな。
あー、逆にね。
ちょっと楽はないですけど。
いや、実際選手はどんな気持ちなのかなって思うと結構切ないですよね。
自分が選手だったらどうだろう?
ちょっと想像できないけど。
いや、しんどすぎると思いますね。
まあ、そもそも1年延期になって、
1年経ったら状況が良くなってるかなと思ったら、もっと悲惨な感じになってて。
なんかね、あんまり歓迎されてない感じだし。
うーん、いやー、どうしたら良かったんですかね。
この雰囲気でなおかつオリンピックのことを非難というか、
こう否定的な見方をしていると、結局それも流されてるだけのなんじゃないかっていう気もして、
流されているんじゃないかと思い始めると、
流されてなかったらどうだったんだろうっていうのを想像したくなるんですけど、
流されてなくても同じだったかもしれないけど、
そこがもはやもう分からないぐらい強い流れができてしまっているから、
自分の気持ちすら分からないっていうか、
09:00
みんなも自分の気持ち分かってそんな風に思っているのかっていうのも疑わしくなっちゃうんですよ。
そうですね、その自分がオリンピックに対してどういう風に思っているかっていうことを表に出すっていうことがすごく政治的な行為になってるんですか。
だからその周囲との関係性とか、すごい大げさな言い方をすると社会でのポジショニングみたいな。
うん、いや全然大げさじゃなくてそうなっちゃってますよ。
変わってくるから、そのいやーオリンピック楽しみだなって発言することがものすごい政治的な行為になってる。
ほんとそうですよね。
逆にオリンピックなんてやめたらいいのにということも政治的な行為になってるじゃないですか。
うん、まあどっちかというと無難な方になってますよね、むしろ。
そうですね、政治的に無難な発言がそっちになってる。
そうそうそう、いやーなんかだからこうであるにもかかわらず政治的であるっていうことを政治的だと思うことも政治的っていうかなっていうのかな。
まあでもオリンピックっていう存在そのものが政治的なイベントではありますから、なんか元々の姿を表したみたいな感じはしますよね。
そうかもしれないですね、政治的じゃないオリンピックみたいなものってできないのかな。
いやーやっぱその一番最初にやってたゼンラで議員さんに集まってやるやつ。
そうですね、それは政治的じゃなかったか。
そこでゼンラになることも今となってはもう完全に政治的な行為ですよね。
いやーなんかその結局オリンピックについて何を考えたとしてもそれが自分なり周りなりに嘘をついてるような気がしてならない感じがすごく自分にとっては嫌な状況ですね。
それについて話すときに常に周りへの配慮とかそれを話すことがどういう意味を持つのかっていうことを気にしないといけない。
多分そういう感覚の人結構いると思うんで、だからこそやけになっている人が多いんじゃないかなとはちょっと想像してるんですけど、
そこからその気持ちからあの人は公演をやったからダメなんじゃないかって言ってどんどん下ろしていくっていう連鎖が結構そういう個人的なモヤモヤみたいなものを
みんながそれぞれ持っていることが全体的な流れに影響して連鎖しているような気がするっていう気がしますね。
うずめいとるの。
何なんですかね。
まあこれだけいろんなことが起こってしまった以上、なんかそうなってしまうのもしょうがないような気がしますね。
なんかしょうがないけど、どうしたらよかったのかな。
いやなんか、でもこれなんかあんま人のせいにするのもそれも良くないしな。
12:02
人のせいでもないのかもしれないけど。
なんか一箇所に集まってでかいイベントをやるっていうこと自体が時代としてそぐってないというか、ような気もします。
みんながそこに集まって注目するみたいなのが。
まあ求めてる節はあるとは思うんですけどね。
まあ自分的には求めているな、求めてたなと思ったのはやっぱウェブメディアビックリセールみたいな。
なんか集まり得なかった人が集まって、それでウェブメディアビックリセールってデイリーポータルZの主催の。
全然何の説明もなく出てきてた。
名前的にはデイリーっぽい感じではあるんですけど、実際デイリーの周りのライターさんだったりそれが好きな人だったり、関係のある人たちが出展をして販売するというイベントなんですね。
デイリーだけじゃなくてウェブメディアをやってる人がたくさん集まってきてるという感じですね。
僕の中ではもう完全にデイリーのイベントになったという。
デイリーだからっていうのもあるけど。
そうですね。それでもうウェブでしか見たことないようなチームがステッカーとか作って配ってたりすると、コミケの高揚感とかと近いと思うんですけど。
インターネットにいた人だみたいな。
集まることが不可能だった人が集まれるようになったっていう側面があってすごい嬉しい。
っていうのは結構大型のイベントではそういうのあると思うんですけど、好きな音楽だったら好きなアーティストがいて、共通のその人が好きなんだよっていう人が必ずしもいるとは限らないからライブに行ったらみんなここにいる人全員ファンなのかもしれないなと思うっていうのは結構すごい。
そう思うとすごいですね。
そう思うんですけど、逆に言うとオリンピックとかはそういう枠ではない集め方だからなんか政治的になっちゃうのかな。
でもやっぱり行く人は例えばラグビーだったらラグビーがめっちゃ好きで。
まあそうですよね基本。
これ目当てで来たんだっていう人がすごい集まってくるのかな。
やっぱ時代集まるっていう行為自体は確かにそうだんだん合わなくなってはきてるけど、この時代だからこそできる集まり方もきっとあるんだろうなと信じたいんですけど。
でも無観客ですからね。
そうなんですよね。
本当に無観客なんでしたっけ?またコロコロかわいそうで。
無観客確かそうです。運営も全部なしやったはずです。
本当に日程算定数から今の情報だけで本当にそうなるかどうかってなんか怪しいなと思いながら見てますけど。
15:02
そうですね。開会式前日でこのあやふや具合っていうのもやっぱ覚えておきたいところですね。
開会式の音楽が3日前に使えなくなるという状況が今発生してますから。
ここ数年ずっとあやふやだったけどここ1週間ぐらいで和をかけてあやふやドアが。
そうですね。木刀みたいになるんですかね。3分ぐらいの音楽がなしになったんですよね。
そうだったっけ3、4分ぐらいなしになったのかな。
詰めるのか木刀するかどっちかですよね。
コーネリアスの話しちゃいます?
なんか気が重いけどちょっとしましょうか。
僕もね気が重い話ですけどね。
個人的な話をしないと意味がないと思うんで個人的な話をすると、
もともと中学校とか高校ぐらいの時からコーネリアス僕はすごい好きだったんですよね。
僕も同じような感じですね。
フリッパーズギターはそこまで興味なかったんですけど、
コーネリアスの音楽はすごく音楽というもの自体を脱構築してるというか、
バラバラにしてそれを並べてみる、その並べ方を変えてみるみたいな感覚というか、
音に対してプリミティブに取り組んでるというか。
しかもそれがすごくいいものになっているところがまたすごい感があって。
すごく独特だし独自だし、すごくいいアーティストだなと思って聞いてて。
それで調べていくにつれて出てきますよね。いじめもん大の記事が。
絶対コーネリアスが好きな人はその情報に触れてると思うんですけど。
そうですね。いやー見ると、まあ多分ショック受けますよね。
うーん。当時、でも僕見た時にどう思ってたかなというと、
そのwikipediaとかで見てたらそういう記事出てきて、
うーんなんだろう、こう、うーんって思ったぐらいなのかなという気がしてきて。
最初からそこらへんは割とドライに見ていった感じ?
うーん、なんかなんだろうな。でももしかすると、
多分ね、そのコーネリアス好きな人っていうのは、
その音楽とその人の人格をどう分離するかっていう問題にぶち当たり続けてる人というか。
そうなの。そういう人多いですよね。
まあその情報を見た時に、そのコーネリアスっていうか、
お山田圭吾っていう人間の人格は最悪だけど、音楽はめちゃめちゃいいと。
うーん。
いうふうに分離して捉えることができるかどうか。
18:04
うーん。確かに知り合いでも、あのーコーネリアスの音楽性と人格を逆に分けて考えることはできないと思うって言って、
嫌いになっている人も見たことあります。
あー。
分離できなければ嫌いになるしか、もしかしたら道がないのかもしれない。
まあないですよね。最悪だもんね。
うん。ですよね。
で、それはその分離したと思い込んでるだけかもしれないし、
例えばそのアイドルとかだと、もうその人の人格っていうものと作品が絶対に分けきれないじゃないですか。
人格というかキャラクターですかね。少なくとも表に出るキャラクターとして。
まあそういう意味では、コーネリアスなりお山田圭吾のために分けている、分け売るという理屈を導入しているってことになってしまう。
その音楽のことは好きだけど、その人本人の人格はどうやら最悪っていう情報を明示したときに、
いやでも音楽とその人は別だしという矛盾を解消するために、自分で分けることができたつもりになっていたのかもしれないっていう感覚に最近なってて。
いやー、なんか2つ思い出すのが、1つはアインシュタインはすごかったけど、私生活はめちゃくちゃだったみたいな話だったりとか、
あと朝原証光を信じている人のインタビュー聞いたことがあって、朝原証光は最悪な人間だとしても、私を救えるのはあの人しかいないみたいな言い方をしている人がいて、
朝原証光の人格だったりやっていることをいくら非難しても、信仰心っていうのはそれに分離することが可能なんだなっていう。
可能だからこそ、まあ難しいというか信じてしまうっていうか、それが間違ってたかどうかっていうのも、ガイアからはちょっと何も言えない、言いづらいですけど、信仰ということ。
そうですね。それもその矛盾した状況が自分にそういう風なルールを打ち立てさせたっていうのかもしれないですし。
一応あの、なんか僕がちょっと変に肯定したように捉えられて炎上したら怖いので言っておくと、
僕の立場としてはやっぱり分離は、まあ禁じとしてはある程度できるとは思っていて、行為としてやってはいけないことがあるのは当然だと思うけど、
信仰というのはそれとは分離して考えるべきだと思っているので、あの行為に関していい悪いを言うことはできても、信仰に対していい悪いは言っちゃいけないっていうのは、
21:04
まあ元々そういう憲法か何かでもそういうこと言ってましたよね。思想信条の。
そう、詳しくはないけど。で、僕もそうだなと思っているので、だから信仰に関して悪いかどうかは言及しなくていいと思ってます。
っていう、ちょっと言い訳がましい。
エクスキューズが。
いや、めっちゃセンシティブなテーマだから。
そうですね。そういう意味では結構信仰の問題とすごく似ているのかなっていう気はしますけど。
まあでもコーネルヤスについてはね、コーネルヤスが好きな人の話を聞きたいですね、僕は。
そうですね。
その時どう思ったかっていう、で、今の状況に対してどう思ってるのかっていうのを、クローズドな場でちゃんと聞きたいですね。
そうですね。でも、もしかしたら結構塞いじゃっている人もいるとは思うんですよ。考えないようにしているというか。
一個もう一個思い出したのが、ジャニーズの結構コアなファンがいて、その人が、ジャニーさんのことどう思ってるんだろうと思って。
ジャニー北川。
どう思ってますか?僕も詳しくはないんですけど、ちょっとこう、人格だったりとかやり方については。
あんまり良くない噂は聞いたことは。
良くない噂は聞きますよね。で、それね、聞いてみたら、考えたこともないって言ったんですよ。
へえ、すごいですね。
これはめっちゃ考えてるなと思ったんですよ。
考えないようにしているんだなっていう気がして、そうじゃないかもしれないけど、だって即答で考えたこともないって、考えたこともないことに対して言わないですよね。
確かに。
それで、そんな親しい人でもなかったので、それ以上聞かなかったんですけど、戦いがここにもあるなと思って。
その人の中のね、矛盾との戦いというか。
そうですね。なんかそんなことがいろんな分野にあるんでしょうね。
その矛盾を解消するためにその人がどういう風にするかっていうのは結構分かれるところで、そこで嫌いになる人もいたり、そこで新しい論理を自分の中で作る人がいたり。
そうですね。まあ人間って柔軟ですよね。作っちゃうんだから。
そうですね。
矛盾っていうかジレンマっていう。
ジレンマは言葉があるから発生しているっていう側面はちょっとあると思うんですけど、最悪な人だけど作品はいいっていう言葉が存在しなかったら、そもそもジレンマにならないような気がするっていうか。
24:01
最悪だけどっていう言葉を入れちゃったりとか、いいと悪いっていう言葉をなんていうか作っちゃうと、いいものはいい素地があっていい作り方があっていいものになるっていう理屈が多分なんとなく裏になって。
なんとなくそんな感じがしますよね。いい人がいい作品を作るっていうことに対して何も疑問は思わないですよね。
で、そのぼんやりと、実はあんまり根拠のないことを信じていたことを、そうじゃない例を目にした時に初めて「あ、自分そう思ってたんだ」って気づいて、そこで初めてジレンマになるというか。
なんか、ある意味自分を見つめ直させてくれる鏡のようなものなんですけど、そこに対してどう思うかっていうのは、コーネリアスに対してどう思うかっていうことよりも、自分の中で発生したジレンマをどう解決しているかっていう個人個人のテクニックだったり、
スタイルの大きくっていうことに等しいのかもしれないですね。
何だろうな。
いやー、でも考えたことないわ、すごい。
なんていうか、切れ味が良かったな。
鍛え上げられた答えですよね。
それも一つのやり方だし、考えることで幸せになれるとは僕は全く思ってないので、全く思ってないわけ。考えなくていいとはちょっと違うんだけど、矛盾なりジレンマがあって、それを考えることによって解決できるかっていうと、いっぱい考えた結果考えても解決できないっていう風に今は思ってるんですけど。
なんていうか、言葉で考えば考えるほどやっぱりだんだん本音から遠くなっていくし、感覚からのズレに気づきにくくなってくるし、だんだん自分を許せなくなってくるというか、ズレ、測れば測るほど図面がおかしいことに気づくっていうか、
でもそれよりはもう測るのやめて、立っているものをある側を受け入れるというか。
鉄塔氏そうですね。
本当の鉄塔はちゃんと測るんでしょうけど、人間に関しては。
歪んでるから石を挟んで直すっていう、もう素朴なやり方しか本当は残されていないなっていうか、変な例えですけど。
まあ案の定落ち込んじゃいましたね。
そうですね。こんな絵画あっていいんですかね。
いいんじゃないですか。後から聞き返すと。
そうですね。42というのは僕はリスペクトしている数字ではあるので、『銀河ヒッチハイクガイド』っていう映画があって。
27:12
すべての答えですね、42が。
宇宙人生すべての答えっていうのが42って回答が出てくるところから物語が始まるんですけど。
生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えですね。
あー、正確にはそういう印象で。
で、それが42って急に言われて戸惑うシーンから始まる、始まるというか、
印象的なシーンですよね。
結局、スーパーコンピューターみたいなのを作って答えを導くとそういう答えが出てきて戸惑うんだけど、
あなた方は答えを聞いてきたけど問いがちゃんと立てられていないみたいなことを確か言って、
問いを立てるとはどういうことかみたいな話をし始めるんですけど、
その詳しいことは映画で見てもらうとして、出てくるロボットがすごいいい雰囲気の中、常に落ち込んでるロボットが出てくるんですよね。
マーヴィンですね。
マーヴィンか。
鬱病のロボット。
ほんとこう、もう鬱病、しょんぼりした顔をずっとしていて、しょんぼりしたことしか言わないんですけど、
しょんぼりしていること自体が悪いことじゃないんですよ。悪いこととして捉えられてないっていうか映画の中で。
よくあるパターンだとしょんぼりしている人が元気になってハッピーエンドになる話はたくさんあると思うんですけど、
例えばディズニーのインサイドアウトっていう映画は感情がキャラクター化されていて喜びちゃんとか悲しみちゃんとかがいるんですけど、
悲しみちゃんが最後喜んで終わるんですね。
モヤっとしますね。
そう、悲しみちゃんは悲しんだままで肯定されるのではなく、悲しみちゃんが喜ぶことで終わるんですよ、ざっくり言うと。
それはまあ解釈の仕方にもよると思うんですけど、僕はやっぱり悲しみちゃんが喜んで終わるのは悲しみちゃんを肯定はできてないなぁと。
ヒッチハイクガイドではしょんぼりしたまま終わっているので、しょんぼりするということをきちんと尊重しているなっていう気はして。
しょんぼりしたままでできて、しょんぼりしたまま主人公のピンチを作って、しょんぼりしたままエンディングを迎えますね。
そこが非常にこう、なんだろう、ちゃんと考えられている感じがして、好きだったりするんですけど、だから今回の回、2人ともちょっとしょんぼりしてるんですけど、
しょんぼりしてるのが悪いことだとは、僕は思わないぞっていうことを最後にエクスキューズして。
42回の締めとき。
30:00
そうですね。
っていうね。
はい。
いやー。
ちょっと無茶でしたかね。
これは後から聞いて、ああこうだったねという風になりたいですね。
そうですね。
まあ、こう、やっぱりいいや。
何?一応言っとく。
いやー、なんかこう、まあその、人と会って話すっていうことが全然できない時代になっているので、こうインターネット越しにこう何か、まあツイッターでツイートするとかっていうのが自分の思っていることを伝える唯一の方法みたいな感じになってて、
はいはい。
それはその世界に対する発表というか発信になってしまうんだけど、でもそうじゃなくて、もっとこうクローズなコミュニケーションの中で本当はその時どう思ってたかみたいなことを話せるっていうタイミングがもっとたくさんあった方がいいよなっていうのを思いますね。
うん。
なんかそこにクッションがないともう地獄みたいになっちゃうんで。
そうですね。
イメージキャストでは皆さんの感想をモチベーションにして配信を継続しています。
感想要望は#イメージキャストをつけてツイート。
質問はイメージクラブのアカウントの質問箱またはcast@image.clubまでお寄せください。
それではまた来週。
さようなら。
さようなら。
さようなら。
[音楽]
(字幕視聴ありがとうございました)
31:34

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