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2025-05-03 25:30

ラクで楽しいことだけ、やっていきます

多分4月のあいだに、いろんなことが私の中で「満了」になって、終了したみたいです。

先生をしていた時代からの呪縛「すべての人を教え導かないといけない」から、解放されたかも。

とにかく、自分が楽しいと感じるものが正義。

他人に評価されるためではない、自分のための時間を大切にしていきたいと思います。

サマリー

このポッドキャストでは、金田一子さんがゴールデンウィークやワクビズに対する考えを述べながら、ダンスの練習や目的意識の重要性について深く掘り下げています。彼女は、多くの選択肢の中で、自分にとって楽しいことを中心にした生き方を追求しています。このエピソードでは、楽なことを重視することで人生を豊かにする考え方が紹介され、特に教育や情報提供のあり方について再考が促されています。これにより、無理に他人を助けようとすることや、義務感から解放されることの重要性が強調されています。

ゴールデンウィークの過ごし方
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田一子です。
5月3日土曜日の午前9時43分に収録をしております。
お天気もすごい良くてですね、そしてゴールデンウィーク中ということでですね、
交絡日和なんですけど、もちろんこの時期に外に出るとすごい人なので、私はどこにも行きません。
行きたいところがあんまりないっていうことももちろんあるんですけれども、
とりあえず別に無理していかなくていいかな、みたいな感じでおります。
えっと、まあ、とはいえ世間はお休みなので、私のダンスのレッスンもかなりほとんどがお休みになっていて、
おかげですごいのんびり過ごさせてもらってます。
夜のレッスンが多いので、晩御飯を早めに食べて出かけるとかね、そんな感じでいるので、
夜バタバタするんですけど、それがないととても静かに暮らせる感じがしております。
ワクビズの新たな展開
で、そういうふうでちょっと余裕があるっていうか、時間があるので、
いろいろ考えたり決めたりしているんですけれども、
そうだな、3つぐらい、3つっていうかなんていうか、やっぱりゴールデンウィークの前と後で、
私的には大きく人生のフェーズ変わるぐらいの、そんな感じにしています。
日差しは数ヶ月前から感じてて、今年2、3月ぐらいから、うんうんみたいに変わり始めてるんですけど、
でもはっきりと、はっきりとその色が見えてきたのはやっぱり4月かな。
ああ、これはって、今まで通りが続くってことはもうできないなって、全ての面でできないなって思って、
変えるしかないなと思ってるっていうところなんですけど、
続いてのものを変えるっていうのは非常に難しくてですね、やめていくしかないんですけど、
えーと、例えばワクビズ、女性の企業サークルワクビズ、
これで去年の6月から3クールやって、今4クール目、4期が受講中なんですけど、
4月からその第4期の人たちのワークに同席させてもらって、1ヶ月が過ぎまして、
ここで私、ワクビズの本講座から離れて、ワクビズサークルの専任になるっていうことに決めました。
了承していただきまして、運営会議で。
で、そうやってね、だんだんね、運営している人が入れ替わって、それでも続くっていう風に、
新陳代謝をしていかないと、ずっとその仕事からこの人がいなかったらそれができないみたいに、
俗人的になっちゃうのはまずいんですよね。本当に。
で、たとえその人ができる余力があっても離れなきゃいけないぐらいに、私は思っているんですけど、
組織を、組織っていうかその活動を永続的にさせるためには、やる人を入れ替えていくっていうことはめちゃくちゃ大事だなと思っていて、
それを、その第一号というか第一回目として、私一旦そこを抜けて、サークルを立ち上げるっていうか、
作っていくっていうところに向かうことになりました。
細かいことは枠尾図の話なんで、あれなんですけど、
思い起こせばですね、私20代の頃、学校の先生をしておりまして、
学校の運営の裏側っていうのは、かなりシステマチックになっていて、
授業はね、それぞれの先生が担当して責任を持ってやるわけですけれども、
学校の活動って文化祭だったり、運動会とか、いろんなイベントことが必ずあるじゃないですか。しかもかなりたくさんあるんですよね。
社会見学とか遠足とかね。
で、それぞれについて実は担当が決まっていて、
責任者が数人、
その数人が企画を担当して、
全員に誰々さんは何の役ねっていう役割分担も全部、
その実行委員の人が決めるわけですよ。
全員が動くっていう体制で、しかもそのやったことを、
来年度に申し送りするように資料をファイリングするんですね。
昔ですからね、コピーしたやつを閉じてファイルにしまっとくんですけど、
次の年に同じやつの担当になった別の人が担当になりますよね。だって先生ってさ、
常時入れ替わってるじゃん。転勤したりとかで。
なるべく全く同じ人ではなくて、少し入れ替えた婦人でやるようにして、
誰か一人残ってたらまた次の人に申し送りが去年はこうやってやったよとか教えれるからということで、
担当も少しずつ入れ替えながらやっていくんですけど、
前の年、またその前の年みたいな資料を残ってるし、
それに実際にやった人の意見もまだ聞けるっていうので、
申し送りをしながらやっていって改善していくんですよね。
結局、全員の先生が転勤していなくなっても、
そこの学校独自の伝統的な行事のやり方っていうのは残っていくんですね。
これがその学校独自の伝統みたいになっていくわけなんですけど、
これってあんまり知られてないかもしれないなって。
先生がそういうふうに激しく入れ替わってるってことも激しくでもないけど、最長10年ぐらいいられるので、
入れ替わっていく組織がちゃんと向上的に同じようなことができるっていう優れた仕組みだったなって思い出したりして。
これをやっていかない限り、
同じ人がずっと同じとこに張り付き続けて他のことができないってなっていくと、
だんだん淀んでいくんですよね。絶対飽きてくるし。
慣れるから適当にやるようになるし、
常に新鮮な気持ちでドキドキしながらそのことに当たっている人っていうのが、
どれほどそのことに刺激をもたらすかっていう、
ワクワクしながらやるっていうことが、ワクワクドキドキしながらやるっていうことがいかに大事かっていうことだと思うんですが、
それを演出するというか、それを実現できるような仕組みを作りたいっていうのが私のやりたいことですね。
今回サークル担当になったんですけど、サークルをとりあえずなんとか回るようにして、
今年の後半ぐらいからは、サークルと本講座を含めたワクビズっていうものを増殖させていくっていうふうにしていきたいので、
新しい人がどんどん入って、どんどんワクビズを回していくみたいな、
そういうことにしていくつもりです。
私とかもみんなそれだけをやってるわけじゃないし、新しいことのチャレンジしたいし、
また次にもっとやりたいことに出会ってしまう可能性だってあって、
そうやって未来に向かって伸びていく人、チャレンジが広がっていくっていう人こそ、ワクビズに関わってほしいんですよね。
なので、新人代謝っていうことを一つ重要なファクターとして持ちつつ、
ワクビズが活性化するようにですよ。
それを演出するっていうか、仕組みづくりをしていくっていうのが私の役割かなというふうに思っております。
ダンスの楽しみ方
っていうふうに立ち位置が、今まではワクビズをやる人としていたんですけど、
よりワクビズを作る人の方にだんだんシフトしていくという感じですかね。
ダンスについても、本当に私の今のカレンダーとか見ると、書いてあるのはほとんどダンスの予定ばっかりなんですよね。
それぐらい実際に時間と労力をかなり割いているのがダンスなんですけど、
ダンスも本当にやっぱりいっぱいいっぱいになっちゃってて、
4月ですね、先月、これ続けてても、
アブハチトラズっていう言葉がありますけど、
情報量が多すぎて、全部消化できないままに終わっていっちゃうって思って、
もう少し一つ一つのことに向き合う時間が作りたいと思い、
少しレッスンも減らしていくっていうふうに思ってますし、
あと、イベントを目標に、いつもそれのために練習をする、
それがなかったら練習しない、みたいな感じでずっと去年までいたんですけど、
いやそういうことじゃないんだなって、自分のためにするんだなって、練習って。
だから自主練って言ってましたけど、自主練がおかしくて練習するに決まってんだなって。
練習すること自体がダンスだし、
レッスンに通うのもダンスだけど、本番で踊るのもダンスだけど、
むしろ練習してる時のそれがダンスなんじゃないかなって、
人に見せるとかいうことじゃなくて、自分がダンスと向き合うっていうか、
そこがダンスじゃんみたいになって、そこが全然できないっていうのって、
何のために習いに行ってるのかみたいな感じだなと思って、
ずっとスペース配分を変えなくちゃと思うし、
そもそもの目的意識を、なんかのイベントがあるからみたいなことじゃないところに、
自分が上達するのが目的みたいになって、誰のためでもなくて、
誰かに見せるとか評価をもらうためじゃなくて、
そういうことも結果としては起きるかもしれないけど、
そこじゃなくて、自分が自分で上達していく、できなかったことができるようになっていくとか、
そのためにレッスンに通うのであり、そのために本番のイベントを経験するのであって、
究極の目的は自分ができなかったことができるようになっていくっていうことじゃんと思ったんですね。
思ったっていうか、そうに決まってんじゃんみたいな。
一度それに気が付くと、え、何?当たり前くない?みたいな。
それ以外に何の目的があって、思っちゃって。
っていうふうに4月かな、そういうふうにね、気持ちが変わりましたんで、
おのずと体制もですね、やたらにレッスンを受けまくるとかじゃなくて、
自分なりの、要するにダンスの世界みたいなやつができたわけですね、あたしにも。
その中で自分のダンスを楽しむっていうふうに。
それは別にどこかに行かなきゃできないことじゃなくて、
今の環境で家とそれから工房にちょっと練習するスペースがあるんですけど、
そこで十分にできることで、
あれ?すぐできるじゃん。なんでやらなかったんだろう?みたいになってるってことですね。
っていうわけで、ダンスとワクビズについて今お話をしましたけれども、
その他にもいろいろ関わっているいろんなことありつつ、
でもどれもこれも全然関係ないなって、
私が生きるっていうことに対して、
それ以上に大事なものって一個もないなって思ったっていう感じですかね。
不思議な感覚になっておりまして、
今まではだから逆だったんですね。
ダンスをやるために何かを我慢して、
これとこれをやって計画立てて、
努力してやらなくちゃだったりとか、
お仕事もこういう目的を達成するためにやるのだから、
やりたいやりたくない関係なく、これこれの作業をせねばならぬみたいに思いがちで、
何かを頑張ろうとすればするほど自分の楽しさが犠牲になるっていうか、
楽しいとか楽とかね、
自分が楽なようにやるっていうことから遠ざかっちゃって、
眉間に何かシワを寄せながらね、
必死になってやるって、歯を食いしばってやるとか、
そういう感じ、歯を食いしばってやっちゃう。
そういうのもう癖になっちゃってるんで、
気がつけばそうしがちで、
危険だなと思うのはやっぱり人生のミッションですよね。
こういう社会を作りたいんだとかって、
殴はないんですけどもちろん。
殴はないんですけど、それを掲げれば掲げるほど、
じゃあそれに向けてどんなことをしていけばいいんだろうってなってて、
今の自分がやりたいことから乖離していくんですよね。
これはなんだろう、私がそういう癖があるだけなのか、
よくわからないんですけど、気をつけなくちゃなって。
今やっていて楽しい、これは楽だ、
これが私のやるべきことだろうみたいに、
今から導いていった先に、
どんな素敵な未来があり得るんだろうって、
今から導いて考えた方が、
私には合ってるんじゃないかなって思いました。
たぶん昭和の時はそういうのは否定されてたんですよね。
自分が楽なことをしていてはいけないって、
楽なことの重要性
たぶんめちゃくちゃ私、
親もそうだけど先生からもいっぱい言われた記憶があるんですよ。
楽なことをしていたらダメになるみたいな。
だから楽なことはしてはいけないぐらいの。
楽なこと全否定ぐらいの。
そんな感じでたぶん昭和の人って育ってきてると思うんですけど、
いやいや、楽なことこそ、
どれだけでも無限にできることで、好きなことで、
それを発展的にするにはどうしたらいいかっていうことだけなので、
そこを履き違えると根本的に嫌なことをやらなくちゃいけない、
だんだん人生が暗くなるみたいな。
そして鬱になったりとか、
病気になったりとかってなってくるんだよなと思うんで、
おかしなことだなって思います。
ただ、ちょっと前も私はこういうことを気がついたら、
人に教えないといけないみたいな、そういうのもあったんですけど、
この5月ゴールデンウィークを境にって言いましたけど、
そんなこと全然必要なかったなって。
私が人を教え導かなくちゃいけないっていうのも、
情報の流れと教育について
私が誰かに埋め込まれた何かであって、
いや、そんな、全然そんな必要ないなって思ってます。
ただ、私喋りますけど、そういうふうに思ったことを。
でもそういう隣にいる人に無理やりそれを教え込むとか、
強制するとか、全くそれ必要ないじゃんって思っているっていうことですね。
その人はその人の人生なんだし、
情報っていうのは与えで取らせるものじゃなくて、
各人が欲しい人が持っていくもの。
いや、本質的にはそうなんじゃないかなって。
欲しがってない人に無理やり押し付けても受け取れない。
逆にでも今すごく探してて欲しくて求めててっていう人は、
お勧めしなくても持ってくる。
そういうようなものなんだろうなって思って。
情報って本質的に多分そういうもので、
水が高いところから低いところに流れるのと同じで、
そっちの向きにしか流れようがないんだろうなって。
それを無理やり全員に教えないといけないとか、
あ、思い出した私、学校の先生だったから、
そうやって言われたんだ。絶対に全員を良くしないといけないみたいな。
もう何か繰り返し繰り返し言われすぎて、
それをやらない人は人じゃないぐらいになってるんですけど、
そのことは全然ないですね。
義務教育っていう現場がそうなのかもしれないですけど、
私はすでに義務教育の現場にはいないし、
そもそも教育者でもないのになぜそんなことに縛られているんだろうか。
ってことですよ。それに私たぶん気づいちゃった。
気づいちゃったんです。
たぶんこのゴールデンウィークを挟んで変わるとしたら、
何が一番大きな根本的な変化かって言ったら、
気づいちゃったっていうことだと思いますね。
私にはしなければならないことは何一つないじゃない。
今を楽しむだけじゃんって、誰のことも救わなくていいし、
そんな救えないんだし、
それから何かいいものを知ったからって言って教えてあげなくちゃいけない
なんてことは一個もないし、
それぞれの人がそれぞれの人の見える範囲でいいと思うのを取っていくでしょ。
取っていかない人がいても、
あ、そうですかじゃん。
本当に私、何で今までこんなに人のことを救わなきゃって思い続けて、
結果的に何か人の世話ばっかりするような感じになって、
それで限界を迎えて腰痛自粛、怪我をしたんですけど、
絶対その理由はその手の無理、精神的疲労だったって確信してるんですが、
まあ冗談じゃないわよっていう、
もう60までそうやってやってきたんだから、
これからは好きにさせてもらうっていうのが現在の気持ちだし、
真実そうだし、
ただそれを自分の中で消化するのにここ3,4年かかったっていうだけで、
いや消化できたわっていうのが先月感じたことですね。
自分の人生を楽しむ
そうだったんだって、
私は私のやりたいようにやっていいんだみたいなのが、
言葉としては分かっていたけど、理屈としても分かってたけど、
真に腑に落ちたのが多分先月、4月です。
まあそういうわけで、全く違う人になるってことですよね、それって。
もうもはや、1個さんみたいについてきますみたいな人気持ち悪いしって、
鬱陶しいしって思うし、ついてきたって何もないよって、
私はあなたの世話をしないからね。
なんで世話しなきゃいけない、そもそも。
あなたは私の世話をしたことがあるんですかっていうことですよ。
世話をしてもらってもない人の世話を私がしなきゃいけない理由なんて全くどこにもないじゃん。
私のこと好きって言うんだったら、私のこのポッドキャストなり、
何なりを聞いてくれたらいいじゃん。
私が提供しているワクビー図に参加してくれてもいいけど、
私だけが提供しているわけじゃないから。
そもそも人についていっておいしい思いをしようなんていう、
その考え方自体がどうかと思うし。
好きで応援したいっていうのは別にいくらでもお金振り込んでくれたっていいですよ。
そういうことはしたくないでしょ。
でもついていきたいんですってどういうこと?って全然意味がわかんないですね。
そういうのを上手にやる人もいるかもしれないし、
そういうふうに言ってもらいたいっていう人もいるかもしれないですけど、
私は全然そうじゃないし、むしろ気持ちが悪いので、
ついてきますみたいな人いなくていいなって、全く思います。
これですよ。
このことをずっと言いたかったんだ、私多分。
大っぴらに。
でも何に忖度してかわかんないけど、
こういうことは人に言っちゃいけないみたいに思ってましたね、多分。
あの人がどうの、この人がどうのとかね、
女の人頑張らないとかいろいろ言ってましたけど、
実際のところは別にどうでもいいんだなって。
みんな好きにしたらいい。
それぞれそれなりに幸せじゃん。
そのことは私には関係ない。
ただ私は作りたいものがあるし、
やりたいことがあるし、
それをただやっていくよっていうだけのことですね。
そういうことに気が付いたよっていうのが今日お話ししたいことなんですけど、
どこまで伝わるか、
よくわかりませんけれども、
少なくとも私自身が去年までというかちょっと前まで、
何らかの情報提供をするサービスをしようと思っていたし、
で、バカなことだったなって、
私が何か人に教えたいなんて思ってないのに、
例えばワードプレスの使い方だったり、
ペライチの使い方だったり、
知ってるけど、
教えてあげなきゃいけない理由が全然わかんない。
なぜかというと、私以外の人もいっぱい教えてる。
無料の動画がYouTubeにいっぱいある。
なのになぜ私が教えないといけないのかがわからないってことですよね。
むしろ教えたいって言ってる人がいっぱいいるんだから、
そういう人たちのとこ行ってくれたらいいじゃないですか。
それなのに、自分自身がそういう情報を提供するサービスを作ろうと思ってたんですよ。
バカですよね。
それくらい自分って自分のことがわかんないものなんだなと思いましたけど、
とにかく、
そういうアホな企画は全部やめて、
自分が楽で、
本当に何も考えずにできて、
呼吸するように作れるものを作って、
自分の大事なことに時間を使って、
大事じゃないことには時間を使わずに、
能々と生きていこうというふうに思ったのが、
この2025年のゴールデンウィークでした。
本日は以上です。
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