ダンスと自己探求
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
5月10日土曜日午前10時16分に収録をしております。
ゴールデンウィークも終わりまして、
私には全く何も関係なかったんですけど、
世の中がお休みになるので、
ダンスレッスンとかもお休みになるやつが多くて、
静かなね、バタバタしない時間を過ごせたかなっていう感覚はあります。
多分来週ぐらいからまた全面的に復活していくわけですけれども、
この1週間ちょっとぐらいの静かな時間にようやく、
物事の整理がついたというかですね、
今までもお話ししていると思うんですけれども、
このままね、ダンスっていうことを目標に走り続けて、
走り続けた先に、
自分が本来求めていたもの、探していたことがあるのだろうかということですね。
でも答えはもうはっきりわかっていて、
自分がそのダンスで、ツールとしてダンスっていうところで、
何を実現するかっていうことはないと思うんです。
ダンスこそ本当に純粋な私のチャレンジの場所であり、
未知の世界というか、探求していきたいものであって、
現実の中でこういうものを作っていきたいよねみたいな、
現実的な目標とは全然何にも関係ない感じで、
置いておきたかったりするわけですよ。純粋に。
で、じゃあ何を悩んでいるのって言ったら、
その現実的な目標の方がめちゃくちゃなくなっちゃってて。
で、本当に目標ってなくなるとやる気もなくなるし、
できれば楽しようっていうかね、
やらずに済むならそっちでよくないみたいに縮小していくんですよね。
それは体感というか、内心で感じつつ、
でも別に何を目指そうっていうこともないなと思って、
この数年は本当に目標を手放すことばかりやってきた。
これもいらない、これも違うって言って、
過去の成功と現在の挑戦
もういらない、何もいらないみたいになってきた数年間だったかなと思います。
私に、どの年代の私に出会うかによって、
私のイメージってめちゃくちゃ違うと思うんですけど、
それこそちょうど10年前か50代の半ばぐらいの時、
私人生で一番頑張って仕事してて、ネットショップをやってて、
うちのストムの筆文字を贈答品として売ってたんですよ。
今もありますけれども、当時はもっと東急ハンズの方でも扱ってもらっていたので、
そこで見た人がネットで買ったりとか、
あるいはネットショップ自体も今ほどSEO的に厳しくなかったので、
オーバーニップで流入もあって、売れたりとかしてて、
そこそこ、これってもうちょっと頑張ったらいけるんじゃないぐらいの、
期待を持たせる売り上げだったんですよね、多分。
全体的にもそんな感じで、だけど、
頑張っても頑張っても上向かないって感じで、
どうしたらいいんだろう、何ができるんだろうって本当に考え尽くして、
その当時ですね、めちゃくちゃ勉強もしたし、
勉強もしたし、自分のサイトを改善して、
少しでも良くするにはっていうことを一生懸命やってました。
そのための勉強会にも出ていたし、
そういう時期がちょうどそういえば10年前じゃんって、
なんで今それしてないのかなと思ったら疲れちゃったんですよね、それで。
燃え尽きちゃったんです、多分。
本当にどれくらいで燃え尽きたかな。
2016年に、つまり私が56歳の時に落筆が始まって、
これは本当に出会い頭に始まったので、
ある生徒さんの一言から始まって、
本当に数日でサイトを作って、
1ヶ月ぐらいで立ち上げて、
あとは走りながら改善してきてるんですけど、
急にあれって始まって、最初の頃はこれで何とかなるとは思ってなかったんですよね。
結果的に今、物販はほぼ動いてなくて、
教室のほうばっかりで動いてるわけですけど、
その間に私のほうは子供が育つというやつですね。
上の子が大学を卒業して就職し、
下の子は高卒で就職しているので、
もうすでに就職したんですけど、手が離れちゃうという。
その下の子が、上の子は早くに一人暮らしを始めたんだけど、
下の子はついに一人暮らしを始めるよってなったのが、
たぶん2017年かな。
私がそこで、メンタル的に持たなくなっちゃって、
そんなにめちゃくちゃ必死に仕事をしていたのも、
ひとえに子どもたちとの生活をということだった。
その根拠がポキッと折れてしまって、
頑張れなくなっちゃったんですよね。
そこから3,4年、4年間くらいかな、瞑想していて、
とにかく今までどおりの仕事をひとつもやりたくないと。
全然やりたくない。全く違うことをしたいと思って、
全く畑違いの仕事をパートに出たり、
健康商材に売るほうに行ったりとか、
とにかくインターネットと関わらない仕事をしようみたいな、
感じで4年くらいしてて、
それも限界に来て、腰痛、自粛みたいな、
その最後のほうでコロナ来てましたからね。
いろんなことがあって、瞑想している。
本当に行き先が決まらずにぐるぐるしているという感覚は、
当時もあったんですけど、
それで腰痛になるとは想定外だったんですけど、
こんな生活してたらどこか痛めるよねっていう、
内臓の疾患じゃなくてよかったんじゃないって、
筋肉の損傷だったんで、いずれは治るでしょっていうことだったんで、
これは必ず本当に止まりなさいのメッセージ。
腰痛とか足とか痛めて歩けないとかっていうのは、
止まりなさいと同じことじゃん。
はっきりとした体からのメッセージだと。
さすがにその時は受け取って、
無理くり、とにかく頑張ればなんとかなるみたいに、
無理くり動いてきたやつをシュンって止めたんですよね。
そこから1個そういうのを取ってみると、
ダンスあったな、ダンスやりたいな、みたいにして、
4年間くらいダンスダンスダンスって言って、
仕事のことを本当に考えずに、
やってたとしても真面目にやってないっていうか、
片手間にやってて、
楽しい、やってみたいなって思うことだけやっていて、
今に至ってるんですけど、
これがだんだん仕事をしたい病が戻ってきたって言ったらいいのか、
やっぱりワクビズも始まってるし、
昔みたいにツタモのことだけやってるっていう風だと、
さすがにね、私のモチベーションにも火がつかないんですけど、
でも、自分として自分が思っていることをそのまま発言できる場所っていうのが、
ワクビズで作れてきているので、
これって面白くないってことですよね。
これを発展させていくにはどうしたらいいんだろう、みたいに、
ことを義務として考えるっていうより、好奇心でつい考えちゃうんですよ。
夢中になって考えちゃったりして、
つい先日も、ワクビズサークルっていうのをね、
誰でも入れるサークルをやっていこうっていう、
去年から構想としてはあったんですけど、
初めて具体化することになって、
という風で少しずついろんなモヤモヤとイメージとしてあったものが、
具体化して現実になっていくって感じなので、
これをやりたいなあ、みたいに思っているっていうことですよ。
私10年前に必死に働いていたとき、
子どもとの生活を良くするためにって言いましたけど、
それだけにそどまらず、自分成功してやる、みたいな感じもあったんですよ。
未来の心の準備
野心っていうか、何が成功ってよくわからないけど、
とにかく莫大な売上をあげてっていう、
そういうはっきりしたイメージがあったのに、
それに向かって頑張っていたのに、
なんかポキッと折れちゃって、
もういいやって、どうせ無理なんだわって思ってた。
そういう大きな目標が当時あったんですよね。
55歳ぐらいのときにね。
それがポッキリ折れたり、コロナ来たり、
腰痛したり、ダンス夢中になったりして、
なかったことにしてたんです、自分の中でも。
ただそいつがやっぱり、
なんか心残りだなっていう感じで、
奥の方からヒョッコリハンみたいに出てきてですね、
あの目標は何だったのかなあって、
どこかでもう一人の自分が、
私に語りかけてくるという感じですかね。
あのときいろいろ言ってたよねって、
ここでちょっと恥ずかしいので言いませんけれどもね、
勉強会も開いて、私はこういうふうに、
何度も宣言したりとか、
ブログにもそんなことを書いたりとか、
いっぱいしたんですけど、
まあね、別に私が成功しようがしまいが、
皆さんに何の関係もないんだろうとは思うんですけど、
私にとっては、
私が死ぬ間際に人生を総括して、
例えばダンスに関してだったら、
ダンスに関しては、
ダンスに関しては、
ダンスに関しては、
ダンスに関しては、
ダンスに関しては、
ダンスに関しては、
自分よく頑張ったって今の時点だったら思いますね、
4年間、本当に素人なのに、
センスがないっていうか、
もともと身体能力が高くない、
器用じゃないっていうところから、
不器用にも一生懸命、
努力をして、
努力もそうだけどチャレンジ、
できるチャレンジは全てしたぐらいな感じで、
できること100%やったっていう感じがしてるんで、
これに関しては、
出来栄えがともかく、
とにかく自分的にやれることはやり切ったっていう、
清々しい気持ちですけど、
ビジネス面とかにおいては、
いろいろ言い訳をして、
できないことを人のせいにしたりとか、
いろいろして、
逃げたよね、みたいに。
で、あの時、
逃げずに踏みとどまって戦ったら、もしかして、
違う結果になったんじゃないのかなって、
きっと死ぬ間際に振り返ったら思う、
思ったんです。
で、悔いが残るなと、このまま放置した。
そう思って、
昔の目標、
もう一度埃を払って、
現実どうなの、みたいな。
あと、本気?
そういう成功する覚悟みたいなのは、
当時やっぱりなかったなと。
イメージできてなかったし、
そういう状況を。
で、自分のキャパを超える成功が来た時に、
なんかとんでもなく大変なことになっちゃうんじゃないかしらって、
そういう恐怖感もあって、
確かにあったんです。
全然手に入れてない時から、
恐怖感だけはあって、
頑張れないっていうか、
成功したいけど、成功するのが怖いから成功したくないみたいな、
ダブルバインドっていうんですけど、
逆の2つの感情が同居する状態で頑張ってたから、
だから辛かったんだろうなって思って。
で、
それはその時はそれしかできなかった。
ベストを尽くしてのそれだったんだけど、
死ぬ際から振り返ったら、
いやでもね、あなた65歳になるその年にさ、
余力があったじゃんって、
ダンスダンス言ってるけど、
実は立ち向かうべきものが、
残ってたのを知ってたくせに、
なんもしなかったよねーみたいな。
未来の自分から責められそうな感じがするっていう。
そう、きっと私後悔すると思う。
頑張らなかったら。
ダンスと一緒なんですよ。
頑張れるのに、頑張れる方法っていうか、
なんかそういうチャレンジがあっても、
まあどうせダメだからとか、
私はプロじゃないからとか、よくわかんない理由で、
なんか尻込みして、
主にめんどくさいからですね、尻込みするっていうのはね。
やらなくて済むんだったらやらんでおこうよみたいな、
そういう、そういうなんて言ったらいいかな、
反味に構えてるみたいな、
そういう気持ちが、以前は確かにあったけど、
今なら、正面から、
全てを受け止められるんじゃないかなと。
ビジネス的な部分で。
で、成功してしまうこと、
万が一、よしんば、
成功したとしても、
私が思い描くように、
でもちゃんとそれを受け止めて、
ちゃんとそれなりに、
次に向けて、
いけるっていう、
そういう心の準備みたいな、
過去との向き合い
気持ちが整ったというか、
その面で、
10年前とは全然違う自分が、
今ここにいて、
10年前とはやってるその仕事の内容も、
全然違うっちゃ違うんで、
うん、ですけど、
どんな仕事であっても関係ないんですよ。
覚悟があるかどうかっていうところでね。
で、今ちょっと私、
もしかして覚悟できてることないって、
気がついたっていうのが、
最近ですね、ここ数日のところです。
おかげさまでゴールデンウィーク、
世間がゴールデンウィークで、
ゴールデンウィークがあって、
静かな時間がね、結構あったんですよ。
それで、
ダンスの自習練とかも一回止めて、
で、
なんていうんだろう、
自分を見つめるって言うとおかしいけど、
自分と共にいるというか、
やらなきゃいけないことに突き動かされて、
必死になってるんじゃなくて、
自分の声を聞いてあげる、みたいな。
そんなことに自然になった結果、
もう一回リベンジしないとダメだわって思ったんですよ。
こうやってそのことから逃げて、
別の仕事をしてみたり、
あるいはダンスも逃げの一つかもしれないんですけど、
まあでもダンスはダンスでね、
それだけで価値があるんで、全然いいんですが、
とにかく自分の中でごまかして逃げてる部分を、
他の人には見えないだろうけど、
自分ははっきり分かってるし、
それをやらなくて不満?
自分が自分に対して不満であるっていうことは確かだし、
でも10年前が本当に大変すぎて、
あそこに戻りたくないっていう気持ちも確かにある。
だから、
そんな風に自分を追い込んでまで、
違う、追い込んじゃなくて、
追い込んだら上手くいくって当時は考えてたんですけど、
追い込むから上手くいかなかったんだなっていう風に。
なんか桃の見え方も180度変わってる部分もあるし、
だけど、
当時思い描いた成功っていうことのイメージが、
今も変わらず自分の中にちゃんとあって、
それについて人様に何か言われる筋合いもないし、
人様に許可をもらう必要もないし、
ただ私がなりたい、だからなるっていう。
ただそれだけの、個人的なそれは夢なので、
誰の許可も必要なければ、
誰の協力も本当のとこ行って必要ないぐらいの、
ただ自分が自分にそれを許してあげれば、
それでいいんだけど、
疲れ切っちゃってて精神的に。
もう無理ってなって考えるのも嫌だと思っていた、
この10年間だったんですよね。
その諦めた夢が戻ってきたぞと。
さあリベンジだという感じになっているっていうことでございます。
ナラティブの再評価
あんまりこの内容について具体的に話すと、
それが制約となってやらねばならぬみたいになっていくので、
あんまり具体的なことは話さないし考えない。
計画も立てない。
自分で立てた計画ってさ、ちっちゃいんですよね。
実現可能そうなことしか計画しないから、
ちっちゃくてそれに必死になっているがゆえに、
大きなチャンスが来ないとか、
来ているのに気づかないのかよく分からないけど、
気づかないようなチャンスが来ていないのと一緒ですから、
何かに気づけるためにはやっぱり広く、
目を開いて見てないといけなくて、
細かいところに自分が入り込んで、
視野が狭くなっちゃうというか、
そういうふうになったらダメなんだなって思ったっていうことと、
あと10年前にも思っていたけど今も思っていることの一つに、
全てはストーリーだよねっていうの。
ストーリー思考っていうのを、
神田雅則さんという有名なコンサルの方が、
ずいぶん前からおっしゃっていて、本も出ているんですけど、
私も10年前にもその本を読んでいて、
お話だよね、人生ウェーブとか、
フューチャーマッピングとかその頃から、
神田さんおっしゃっていたと思うんですけど、
こうやって言って未来を作るんだよねって思っていたんですが、
今またね、最近ちょっと用語が変わって、
ナラティブって言うんですって、
こういうストーリーのことですね。
ストーリーっていうと物語みたいに始まりと終わりがあるって感じなんですけど、
ナラティブっていうと、
その考え方っていうか世界観とかそういう感じかな、
ストーリーはストーリーなんだけど、
その人が信じているもの、
例えば陰謀論とかさ、あるじゃん、よく知らないけど、
どっかの誰かがこんな風なことを仕組んでいて、
だからこうなんだよみたいな話、
ああいうのナラティブって言うんですって、
考えたらナラティブなんていっぱいあるじゃん、
化粧品とかでもそうですよね、こんな成分が入ってこういう風だから、
これを夜顔に塗ればみたいな、
あなたのシワが消えてとか言いますけど、
途中のところのエビデンスがあんまりなかったりとか、
入っている成分がめっちゃ少ないとか、
言っている結果が出ないってことは往々にしてあると思うんですけど、
でも人はそのナラティブ、ストーリーに、
きっとこれを買えば私のお肌がツルツルになるとか言って、
その化粧品を買うんですけど、
いちいちいろんなことに全部ナラティブってあるわけですよ、
全てにおいて。
だからいつも言っているような、
女の幸せはね、みたいなやつね、
旦那さんの言い付けを守ってね、
おとなしくしているのよって、
旦那さんがダメっていうことにはやらないのよ、
そうしていけばあなたは一生安泰よ、みたいなのを、
親が子に言うんですよね。
おばあちゃんはその親に、母親に、
母親は自分に、
そういうのを口ずさえでというかもう感覚で、
言葉でさえ言わないかもしれない。
その感じで、雰囲気で洗脳していくんで、
その中身もナラティブって言うんですけど、
無数のナラティブの中に私たちは生きているというわけなんです。
放置してたら、やられ放題。
だったら、私が中心として私のナラティブを、
広めていくべきだし、
私の、
教え子と言ったらあれですけど、
ワクビズに参加している皆さんとか、
あるいはこのポッドキャストを聞いてくださっている皆さんとか、
自分が主人公となって、
自分が素敵な未来を作り出す、
自分がじゃないや、
素敵な未来を作り出せる、
そういう物語を、
まず持つべきだし、
そして人に伝えるべきだし、
そういうよろしいナラティブが、
良いナラティブが、
たくさん生まれてくれば、
良いだけの話で、
このナラティブをなくそうというのは、
人間の脳というか、認識的に無理なんですって。
養老武先生もそう言っておっしゃっているらしいですよ。
新しいスタート
人が物を理解できる唯一の方法は、
物語、
お話、
ストーリーがあるから、
あるものしか理解できないよって言っているらしい。
私もう一回このストーリーというか、
ナラティブというか、
そういうものを研究し直して、
まず自分のストーリーを見つけて、
既にあると思うんですけど、
言語化するって感じかな。
その中で、
これからまた新たな人たちと出会いながら、
真の目的に向かって、
そうですね。
ちっちゃい頃からそれは目指していたことだし、
中高生の時も、
うっすらと、
いつかはって思っていたし、
だんだん歳をとればとるほど、
いつかはが近づいてきてて、
やばい、今頑張らなくちゃって、
必死になったりとかしたけど、
まだ手に入っていなくて、
今64歳、65歳になることし、
この歳になってもまだそれが欲しくて、
というかもう、
これを叶えてあげなかったら、
この人の一生は無駄になるぐらいな、
そんな感じで思う、
大きな成功みたいなやつを、
ようやく堂々とここに来て、
自分に認められる。
10年前には、
こんな身の程知らずなことを言うのは、
間違いなんじゃないかとか思ってました。
ビビってました。
自分の目標に。
でも今は、
私がそれが欲しいと思うんだったら、
私はそれを手に入れる権利がある。
価値がある。
なぜなら私が欲しいと思ったからなんだ、
みたいに。
何にも悪いと思わないし、
そういう意味で言うと、
私の中身が10年間で、
かなり入れ替わったってことですよね。
っていう感じで、
いろんなことを考えながら、
新しいスタートを切ったよっていう、
それは間違いのないところかなと思い、
今日お話しさせていただきました。
以上です。