自分を売り込む重要性
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
4月21日月曜日の午前10時32分に録音をしております。
今日もなかなかの良いお天気で晴れという予報なんですけれども、
今日は久しぶりにお客さんが来ます。
お客さんというのは、何ですかね。
この間、詩の朗読のイベントに出た時に、たまたま偶然一緒に組むことになった方なんですけど、
聞いてみたら、うちの割と近所に住んでいる方で、
しかもラジオのパーソナリティというのかな、DJをお仕事的に少しやっていて、
これからものすごくいっぱいやっていきたいと、
そういう話をしてくださってて、
なんか話題が欲しいから取材させてみたいな話で、
いやいや、私のダンスにおいては取材してもらうことがほとんどないので、
せっかくだったら落筆だったり枠水だったり、そういうことを話したいなと思って、
とりあえず会いましょうみたいな。
それが今日の午後なんです。
で、こうやって何が久しぶりって言って、
自分の仕事を売り込むっていうんですかね、
プレゼンテーションするっていうか、
そういう機会自体がめっちゃ久しぶりだなって思いました。
なんかかつては必死になってそういうことをしていた時期が実はあったってことですよね。
本当に会う人会う人にっていうか、
一生懸命自分のことを語って、
なんとか突破口がないかな、見つからないかなって、
って言ってやっていたのが、
それが仕事っていうかなんかわかんないけど、
40代でとにかく仕事がなくて、何をしたらいいかわからなくてスタートしているので、
もう必死でしたね、その頃。
10年ぐらいそんな感じでいて、
なので、何だろう、
そういうこと当たり前って思ってやっていたなって。
そうやって自分を売り込むじゃないんですけど、そんな中で、
今がクビズを一緒にやっている大高知直ちゃんとも知り合ったんだし、
そんな流れでいろんな人と知り合ったんだし、
そうやってやらなかったら知り合わないよね、普通。
自分の生活圏の中にいない人と知り合って、
ワクビズプロジェクトの交流
それでお互いに何か仕事で協力できないだろうか、
っていうのを探るわけですから、
なんかお仕事だと、私も最初そう思っていたんだけど、一方的に仕事くださいと、
発注してくださいと、というふうに頼みに行きがちで、
デザイナーとかやってるとどうしたってそうなるんですけど、
私の立ち位置がデザイナーじゃなかったし、
ウェブ制作って言っても、別に制作業をやりたかったわけじゃないので、
やっぱり自分の状況を話して、
どうやって何か新しいことできないかな、みたいな風でしか、
交渉の余地がなかったんですね、今にして思うと。
だからはっきりと、わかった、じゃあ仕事を出すよとか、
そういう展開には絶対ならずに、
ああでもない、こうでもない、みたいな感じになってしまっていることを、
自分のデメリットというか、弱みっていうか、
自分には取り立てたこういう才能という技術が、
手に職みたいなやつがないから、
仕事くださいっていう営業に行けないって思っていたんですね。
でもしょうがないから、自分で仕事を作り出すしかないっていうことで、
筆文字を販売するECショップを作ったり、
あるいは楽筆の協会を作って、
講師養成ビジネスを始めてみたりっていう、
もう自作、自演していく以外にないからこうなったんですけど、
これがね、今になってみると本当に強みだったなって、
受託で人から仕事をもらっている以上、
仕事が切られるっていう恐れは常にあるわけで、
でも自分で仕事を作り出してやっていったら、
それはね、自分の努力次第で大きくなったりならなかったりはあるんですけど、
相手の都合でばっさり切られるとかいうことは基本的にはないですね。
そこがB2Cのいいところで、
コンシューマー、顧客に直接お届けするっていうのは大変ではあるけれども、
お客さんが満足してくれたら、
そうしたら絶対切り捨てたりとかしないんですよね、個人の人って。
本当にファンになってくれるっていうか、ついてきてくれる。
これはやっぱり会社相手だとそうはいかない。
やっぱりいろんな状況の中で、
ちょっと悪いけど経費削減で切るね、みたいな。
あるいはそのプロジェクト必要なく、やらなくなっちゃったから終わるね、みたいにして。
力関係的に向こうが上っていうか、
それが私が好か不好か全然できなかったおかげで、
そして今こうしてあって、
年を取ろうが何しようが、
ちゃんとしたものを提供さえできれば、
なんとかなっていくっていうふうに慣れているので、
本当にその時は絶対自分は不利って思って、
なんで自分にはそういうのがないんだろうとか、
とことん思ってましたけど、
弱みだと思ってた、それがそのまま実は強みにつながっているっていうことなので、
やっぱり人生何が大事かってことは、
その時点で分かんないこともありますよね。
長い目で見ると、最終的にはそれのほうが良かったんだっていうこともありますよね。
だから、人にアドバイスするってことは基本的には難しいなーっていうことですね。
枠別をやって今4期目なんですけど、
4期目の1ヶ月目が終わったっていう状態で、
やっぱりいろいろ聞いていくと、
その人なりの人生だし、
その人がどうなった時に幸せかっていうことは、
やっぱりその人の内側で起きていることなので、
その人が頭で考えている、こうしたら幸せになれるだろうとか、
あるいは口から出てくる言葉、私はこれがやりたいんですっていうことと、
もっと深いところで、その人が本当に求めているものっていうのは、
乖離しているなって感じることがちょくちょくありますね。
人は必ずしも、そんなにもビジネスがやりたいわけではないなっていうことも、
ものすごい最近思って、
やっぱりゴリゴリビジネスやりたくなっちゃう人っていうのは、
それによって埋め合わせをしたい何かがある。
何か欲しいものがすごいあるんですよね。
それはビジネスを大きくしたら、
手に入る。
で、信じてる。
あるいは本当に手に入る。
だから頑張れる。
みたいな感じで、そのやりたい理由っていうか、
自分の中に欠落している、欠乏感?
足りない感じ?
これと、だからビジネスやりたいっていうのは全くセットになっているので、
自分の中の欠乏感がない人には、
起業は無理ですね。
全然今で平気、今で幸せ、何の不足もない、不自由もないって言ってる人が、
ゼロから仕事を作り出すってことは、まず無理ですね。
今喋ってても原理的に無理だろうと思うんですけど、
その人なりの、その欠乏の大きさに応じた成功しか、
手に入らないんだなっていうことを感じています。
だから、大体基本的に皆さん幸せな中にいるので、
今すぐに生活に困ってもいないし、
将来に備えてとか、そんな感じだから、
欠乏感が薄い、ちっちゃいんですよね。
だから、きっとちっちゃい事業しか起こせないなっていうことです。
多分これが事実じゃないかなと思います。
じゃあ、小さいから価値がないのかっていうと、それはまた別の話で、
その人の人生の中で、ほんの小さなビジネスだったとしても、
あるとないとでは大違いで、何もない、何もしなかった人生みたいなところから、
例えば1年間で3万円しか売り上げなかったとしても、
3万円売り上げた、自分の活動でね、
っていうのは全く別のことだから、
規模感に惑わされて、そんな3万円なんてやる意味ないよとかっていうのがやっぱり、
ある種間違いっていうかね、おかしな、
規模感でそのものの価値を測るっていうのは、
やっぱりおかしいことかなっていうふうに思います。
間違いというか、違うことだよなって、実際問題。
思います。そんなわけで、
ワクビズは続いていくんですけれども、
ワクビズ不思議だなって思って、
なんか、あるビジネスのことは俺に任せてOKみたいな、
俺は何億の会社を作って、何億儲けた実績がある、だからお前たちに教えてやる、
みたいなのが企業塾だとすると、全然そうじゃないんで、
そうじゃないけど、そうじゃないけど、
でも、もうこう巷にあふれるコーチングの技術とかを使うと、
だからといって何もしなくて何もないのが幸せって言ってるのも違うでしょっていうことも明らかにわかるわけですよ。
その人はその人の中にもっと良くなりたいっていう、
気持ちがある人しかワクビズなんか受けようと思わないんで、そもそも。
お金を払ってきているからには何かしらのその金額に見合った分だけの何かがあるわけなんで、
そこを何とかしていきましょうっていうプロジェクトなんですけど、
なんかこの受講生が運営者より知識や経験が下っていうこともないんですよね、不思議なことに。
どうかすると私たち以上に洞察力に優れているとか、
いろんな勉強した結果いろんな知識を持っているとか結構いるなっていう気がしてて、
だから結局なんだろうって言ったら自分のすでに持ち合わせている技術とか技能とか知見とか知識とか
経験とかを発揮する場所がないんじゃないかな。
場所っていうか、発揮する機会をなかなか見つけられないでいるのかなっていう感じがするときもちょっとあるんです。
だから一つのアイディアとしては、みんながそこで自分の知見を発揮しに来る場所のような、
そういうプロジェクトにしていくとより面白い、何が出るかわからない、びっくり箱みたいなっていう展開にできるんじゃないかなと思いました。
今までの20世紀的な考えで言うと塾に入る以上は何を提供してもらえるんですか、何を教えてくれるんですかって、
じゃあ1時間目はこれ、2時間目はこれ、これを教えて、これを卒業したらあなたはこういう知識が手に入っていますよって。
学校形式ですよね。何か習いに行くんだと。
自分に足りてないものをそこで得るのだと。
そういう感じしかみんな理解できないと思うんですけど、
実はその自分に足りてないものっていうのが実技だったとしたら、実践だったとしたら、実践をしに行く場所が必要ですよね。
学校の先生になるにも、それは大学に行きますけど、何が一番役に立つって、当然教育実習で。
教育実習をせずに先生になる人っていないんですよね。必修ですからね。
大学で何も勉強してなかったとしても、教育実習に行くとわかるんですよ。こういうことをしているのかと。
でも世の中の企業塾とかには実習がないですよね。
どれを見てもそうだけど、教育実習的なものがないままにポンと掘り出されて、はい資格あげました、はいみたいな感じになってて、
その前から思ってたんですけど、学室でも。でも枠別でもそうだし、何ならその教育実習的なことを学ぶコンテンツっていうふうにしてもいいぐらいだなって。
これはちょっとすぐに全員にって無理ですけど、やりたいなっていう人がいたら、教育実習的な、インターン生って言うんですかね。
今の会社の就職とかで言うと、インターンって言ってしばらく、教育実習ですよね。
実際の実務をやりに通うみたいなことあると思うんですけど、それでやっぱりわかるじゃないですか、いろんなことが。雰囲気とかどうやってやってるんだろうとか。
じゃあこの会社にずっと入ろうとか、やめとこうとか、そういう判断の基準にもなるわけだし、そういう実践できる場所っていうのが、実際問題足りてないのかなっていうふうにも感じておりまして。
枠別の今後を今考えるんですけど、私先のことを考えるのが趣味ですので、考えるなって言っても、どういう展開をすると永続的に続けられて、しかも面白いのかなって。
教育実習の必要性
逆ですね。どうしたら面白く続けられるのかな。面白くないと止まってしまうので絶対。
常にチャレンジングである必要があると思うんですけど、チャレンジが苦しいんじゃなくて、この苦しさをどう乗り越えようじゃなくて、本当に新しいことだから、みんなで体当たりしてやってみようみたいな。
冒険の旅に出るような、そんな感じのチャレンジができたらいいな。ちょっと待ってくださいね。今私自分でいいこと言ったから、メモりますね。冒険の旅に出ると。冒険の旅だから何が起きるかはわからないんですね。だからこそみんなでチャレンジしようねってなるわけじゃん。
あとはインターンみたいな。あるいは教育実習みたいな。実践っていう。実技?実践。実践の線が描けないわ。
そんなようなこと。私いつもこうやってぼんやり考えながら、イメージが湧いてきたら、忘れないようにメモって、それでも忘れちゃうんですけど、何回も同じことを考えて、同じようなことを思いついて、あれ?前にこれ考えたことない?とかなって、それを何回か繰り返すうちにぼんやりと、こういうやり方がいいなみたいなのが固まってくるっていう風にして、
新しいプロジェクトを作っていくんですけど、わりとそれが楽しいので、意識してやってるっていうより、努力してやってるっていうより、ぼんやり考え事してるとそういう妄想しちゃうっていうことですね。
私の癖みたいなもので、楽しくてただ考えてるんで、考えて実際にそういうのを起こして、実際に人が入ってきて、やれるのかな?それ、頭の中ではできるって思ったけど、実際にやってみたら機能するのかなっていう、そういう感じなんですね。
機能することがわかったら、私の中ではOKってなっちゃって、さあ次ってなるんですね。
なので、さあ次って言った時に、実践したものが残っていくような、ちゃんと積み上げていけるような、つまり私じゃない誰かがそれを続けてくれるような、そういう体制を作っていくっていうのが、私の今期の、今期っていうのはこの60代っていうところでやろうとしていることです。
50代40代までは、できなかったんですよ。続けていくっていうことが。誰かに任せてやってもらうとか。ただ、最近できるようになってるような気がするし、なぜなら面白いから、やりたいっていう人がきっといるって思うようになってきていて。
それで、最終的にはそういう学校のような形に、名前はともかく、形態もともかく、大人が、しかも50代以上の、従来であればもうあなたたち人生終わったねって言われてるような世代の、しかも女性が活躍していく学校みたいなもの。
もう一度自分の人生を取り戻し、そして、なんか若さとかね、美しさとかね、あるいは男の人となんとかかんとかとかっていうこと以外に、自分一人の人間として、自分自身として、自分の足で何かをしていくっていう体験をするための学校みたいなもの。
このようなものになっていくんじゃないかなと思ってますが、形を先に作ってしまって、後からじゃあ、学校やりますって言って、じゃあどんな授業をしましょうかみたいに、箱から先に作っていくと、私のこの自由な興味関心が阻害されてしまうので、私はそういうことはしないつもりですけど、でも中にはそういうものを作りたいっていう声もよく聞くので、
もしかしたら数年後、そんな感じのものができちゃってるかもしれませんが、いずれにしても私はこの自由に、これこういうふうにしたら面白くね、みたいなのをずっと考えていれるようにしたいなと思っております。
ゼロに戻る意味
前の配信で、ゼロに戻るみたいな話をしたかなと思っていて、60歳の時の腰痛自粛で一旦ゼロに、本当に物理的にゼロに全部戻し、サラチみたいにできた人生が嬉しくて、そこに楽しいことだけ書き込んでいこうって言って、今になってるんですけど、
いろんなプロジェクト的なものが始まってくると、もはやサラチではないのは確かなんですけど、だからこれを受け止めてやっていかなきゃいけないのかなって思っていたんです、先週。
ただ、先週の終わりっていうか、昨日とかをお届けしたんですけど、親と思って、どうしてそんなものを私がずっとキープしないといけないのかと、関係ない。
作り上げたものをキープしなきゃいけないって言ってる背景には、そこに関わってる人たちがいるから、何か継続しないといけないんじゃないかって、誰に言われたわけでもないのに、無駄に責任感で責任を背負おうとしちゃってるんですよね。
でも実際には関係ないし、みんな自分の意思でそこに来て、考える頭を持った人間として来ているので、何か困難があるんだったら、その人たちが自分で解決の道を探るってことができるだろうし、するべきだし、それを私が先回りして、これはこういうふうにしなくてはいけない、そうでないと、みたいに考えるのはおこがましかったりもする。
皆さんに喜ばれますよ、そうやって誰かが先回りして、障害と思われるようなことを取り除いてくれるんだったら、ありがたがりはするでしょうけど、その人たちのためになってるかって言ったら、それはまた別問題で、貴重なそういう機会を私が奪うことになるかもしれない。
うまくいった場合ね。うまくいかなかった場合は、こんなに努力したのにダメだったってなるだけだし、やらなくていいんじゃないって思って、私はこの間先週、これからはこれをやっていかなくちゃいけないだろうと思ってたものを一旦また捨ててしまって、具体的にはどうやって捨てるかっていうと、
私、Macの付属のフリーボードっていうアプリにね、図式とかで書いてるんでしょう。今までこうだった、今年はこうしていこう。今までのことはきちんと箇条書きとかでも書けちゃうんですけど、当然。これからのこと、2025年どうしようってことって本当に曖昧なんですよね。
一応キーワードとか何をしようとか書き込むんだけど、そうなるとは限らないし、そこに書いたものが負担で嫌な気持ちになっちゃったりとか、重い気持ちになっちゃったりとかも結構あるんですよね。計画って立てれば立てるほどなんか重くなる。
で、先週そういうゼロに戻すみたいなことを考えた後に、そのフリーボードを見たら案の定いろいろ書いてあったんです。楽室ではこれをするとかね、コラボとしてこれをするとか。全部消しちゃって、簡単に選択してデリートキーをして本当に消してなかったことにしてみたら、まあ気持ちの軽くなること軽くなること。
で、今本当に欲しいなと思うものだけ単語で書くとしたら、自由とか、何だったかな、何回とか忘れちゃったけど、本当にシンプルなこと。なんか再出発とか、あとね導かないっていう言葉も書きました。
だって私が導くなんておかしくない?なんでってことでしょ?私神様じゃないし、そういうポジションにいたいと思ったこともないですし、うっかり先読みが過ぎるあまりに、うっかり導く人みたいなところになりがちなんですけど、そこもうまく回避できる、そうじゃないってことは私は知っているので、そのように振る舞わなければいいんですよね。
新しい興味の追求
だからまず消しちゃって、そう、うっかり導こうみたいな風にしないこと、というのを立てました。そう、私は導くようなことを言っているように聞こえたとしても、実は導いてなくて思ったことを言っているだけですので、何にも責任は負いませんから、私があなたはね、こうだと思うよとか言ったら思っているだけなんで、
それをどうするかはそのご本人が決めてほしいですよね。自己責任で。他人ってそうやって無責任にいろんなことを言いますので、それでぶんぶん振り回されちゃうのがいけないっていう話をするのが枠ビズなんですよね。自分の道は自分で決めようよって。自分が何をしたいと思っているのかは、それにすら気づかないってとこは問題だよねっていう、そういう問題提起なんですよね。
なんか自分探しっていうのと若干近いけど、なんとなくニュアンス違うなと思うんですけど、自分を探したらそれを実践していただかないと。実践できないんだったらそれ本当の自分じゃないですよね。
インチキのその場だけ心地よいみたいなことで、私はこういう人間とかって堀り固まってしまうのはいかがなものかと思うので、自分を探してそれを実践して本当にそうかどうか確かめてくださいねみたいな。
そして一歩でもちょっとでも世の中のために、自分と自分の家族以外の人を幸せにするために何ができますかっていうことを、ほんのちょっとでもいいから一言でもいいからそういうのを発せれる人になってほしいなっていう。私から言えることはそれだけだし、それ以外に目標なんてあろうわけがないじゃないですか。
ということを考えている今日この頃でまとめると、ゼロベースな時期は終わったのかもしれないので、いろんなことが始まってきているので、もう一回自分はゼロに戻って、いつも新鮮な気持ちで、いつも初めてな気持ちで、まっさらな気持ちで、今私が一番興味のあることに向かっていくっていう。
私は常にゼロベースっていうところに考えが至りました。ということで本日は以上です。