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2022-04-11 22:41

こうすればキャラ変できる!消すより上書きで!

先週土曜も新作踊ってみた動画を撮影しました。まさかのTwiceの「The Feels」にチャレンジで、ほんとにこれ、自分ひとりだったら絶対やってなかった曲なので、実際にやってみて「奇跡だな」と感じました😁
https://www.instagram.com/reel/CcH3bleDjId/?utm_source=ig_web_copy_link

同時に、これをfacebookにアップしていくだけで、今までの自分のイメージを改変できるって、気がついたりもしました。

今まで私がもやもやしてた不満も、自分がキャラ変したら、自然とそれに応じて、まわりの対応が変わって解消していくのかも。と期待しています✌

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こんにちは、IKUKO Laboです。4月11日月曜日の8時半になりました。また新たな1週間が始まりました。
だいたいなんか週の初めにこういうこんな同じことを言って 録音している気がするんですけど
で なんですかね、たまに1週間分溜まった話題を今全部しようという感じになっちゃって
特に最近は土曜日に踊ってみた動画を撮影していることが多くて、先週も
初めて女の子っぽい振り、トワイスのザ・フィールズっていう曲がちょっと前に流行った曲ですけどあって、これをやりました。先週土曜日に。
で、もうね、あの k-pop のね、韓国の可愛らしい女の子たちがやってる振りなので、キャラ的に全然自分には合わないし
で、家でもちろん練習してみたんだけど、もう気恥ずかしくてやってらんないし、あと可愛くなんないんですよね。
で、当日もできるのか?みたいな状態で行ったんですけど、そしたら一緒にやってるけいこさんもできないとか言ってて
それでもね、2人で始めてみて、動きを合わせながら練習していくと、不思議なもので1人だと気恥ずかしくて、とてもじゃないけどできないっていうようなことが
2人だとなんかやるしかないみたいになってて、恥ずかしがることが恥ずかしいっていうのかな。
で、実際にカメラをセットして曲をかけてね、やると
もうなんかほんとやるっけないモードになるので、思いっきり、気がついたら思いっきりやってるっていう状況になってて
ほんと、初めて雑談を含めて1時間後には完成品が撮れてるっていう風になってました。
自分でも不思議だなって。その前の週にやったのも、何やったんだっけ?パーミッショントゥダンスのサビの後半だったかな?
それも行く時まで全然通してできたことが1回もなくて、無理かもしれないと思って行ったらできちゃったっていう風だし、
なんか2人で言うのは、なんかすごいのやったらできるんだねみたいな感じ。
本当に2人揃うとか2人以上、他の人と一緒にやるっていうのは一人でやることと全然違うことだなって、パワーがもらえるって言いますけど、
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なんかやっぱり自分がやらなかったら迷惑をかけるので足を引っ張るからと思って必死になるんですよね。
そのどこかでなんかカチッとスイッチが入るというか、やる、できるっていうか、やるっきゃないモードみたいなスイッチが入る感じがしましたね。
それでもこのフィールズに関しては、もう土台無理っていうか、絶対、原曲のスピードで絶対できないっていう感じだったので、
もう無理せず倍の速さ、倍の速さおかしいね、2倍の遅さでスロー再生して、それに合わせてやるんですね。
で、再生するときは通常のスピードで再生されるので、きびきび動いているように見えますけれども、実際はインチキでやってます。
でもインスタにもテクトクにもそういう機能がそもそもついているので、面白いでしょ、できる範囲でやって楽しみましょうよっていう提案だと思うんですよね、これって。
以前はちゃんとその原曲の速さに合わせて練習しろよみたいな、そういう文化だったかもしれないけど、もう今や楽しむことの方が優先されているので、
なのであんまり上手じゃない人だって、やろうと思えばできるのが今の踊ってみた動画です。楽しいでしょ、でいいじゃないですか楽しくて。
私20代から、20代、30代、そして40代から飛んで50代に、あの主にジャズダンスを結構週1とかで習う期間がね、2、3年ずつあるって感じなんですけど、
まあ今はそれがずっと続いているんですけど、まあそうですね、習いに行った教室で1曲まるごと全部踊れたことなんか1回もないって言ってもいいくらいで、
楽しいっていうよりも必死で、毎回今日もできなかったみたいな感じで、楽しかったという感じで、必死になる楽しさはあるんですけど、
踊ること自体が楽しいなんて思ったこともないっていう風で続けてきたんですけど、
まあやっぱり時代が変わってきたなっていうか、楽しむことは悪いことじゃなくなってきたなっていうね、
ことですよね。昭和生まれの人って楽しむのは悪だみたいな考えがどこかで擦り込まれていて、
楽しいと思ったら私なんかはね、人には隠さなきゃと思うくらいですよ。よく親には、親の前で楽しそうに何かしてると親がすごく不機嫌になったんですね。
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何よっていうこと限らないです。もちろん、友達と遊んでもだし、それから何ですかね、例えば好きな本を読んでるとか、
そういう何かに没頭したり夢中になったりしてると、だんだん親がピリピリしてくるっていうか、キーってなってきて、
親が怒らなかった唯一のことは勉強するっていう。部屋にこぼれて勉強するって言えば全然何も干渉されなかったので、
勉強以外のことは全部隠れてやるっていうかね、言うと邪魔されるっていう。怖いもんで、小さい頃にそういう感覚で育ったので、今でも
何かやってることを周りの人に言えなくて、言うと否定されるような気がするんですよ。
茶化されたりとかね。
なんか不思議だな。でもなんかそういうのも馬鹿馬鹿しいなと思って、私が何をしようがね、どんなに親しい人でも、もちろん関係ない人でも、
否定するのは自由だけど、私がその否定されて辞めなきゃいけない理由なんか一個もないじゃんって、
いうことに気がついてしまったんで、なんで、
なんでしょうね、これを私がやってることを公開して、何が悪いのって言う。
そういうのを笑いたければ笑えばいいし、人のやっている、一生懸命やっていることを見て笑うような人っていうのは、
自分も、何か一生懸命やったら人に笑われるって思ってる人なんだから、不幸だから、もうほっとけばいいやって。
で、逆になんだろうな、私前からずっと多分このポッドキャストで言ってたと思うんですけど、
何か私を利用しようとして近づいてくる人がいるような、多いような気がしてしょうがないみたいな話。
具体的に言うと、日子さんはワードプレスができなくて困ってて、みたいな相談とかが、
あるいは、なんか、
まあ、ホームページなんとかなんとかで、フェイスブックなんとかかんとかで、わかんないんだみたいな、知らんじゃんみたいなね。
で、私は好きでもない、なんでもないことを、しかも別にもう仕事でもやってないって言ってるのに、
何かって言うと、聞いてくるっていうのって何なの?って思ってて、
なんていうのかな、
あの、答えれることなら、パッと答えれることなら答えるけど、もう最近じゃあ調べなきゃ私だってわかんないから、
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あなたの代わりに私がググって、それをあなたに噛み砕いて説明するわけ?みたいな。
どんな相談事もだいたいそんな感じなんですよ。
それからパッと答えれることだったとしても、例えばね、ないですけど、
日子さんYouTubeやってるんですか?ありがとうしてくださいよなんて言われたら、どう思います?
なんで教えなきゃいけないんですか?って。
で、私は教えますって言ってる、そういう仕事をしているっていうわけじゃないのにね。
ねえ、おかしいでしょ?本当の私なんでそんなこと言われなきゃいけないのか全然よくわかんなくて、
ものすごく人から誤解されているような感触があるっていうわけですね。違和感っていうかね。
でも、なんか言ってこられたらそういうふうにわかるけど、そもそも言ってこられたくないのに、どうしたらそういうのを阻止できるのか全然わからなかったんですけど、
最近この踊ってみた動画をやってから気がついたんです。
Facebook、SNSに踊ってみた動画しか上げてない人だって思ったら、
私に、すいませんワードプレスがあって質問してこなくない?
っていうとこですよね。
一つの一種のイメージ操作。
私っていう人をいくこさんっていう人をどのような人って人が認識するかっていう部分で、
私は40代の頃から本当に当時仕事をしなきゃいけないと思っていて、
ウェブ制作でって、40代の頃はね確かにね、そのようなブランディングって言ったら大げさですけど、そういう人ですみたいな投稿を数多くしてたと思うんです。
当時ミクシーとかでしたけど。
おかげでそういった情報も集まり、人脈もできっていうことなんですけど、
今60歳ですから、20年前のブランディングが、なんかどこかで影響を残っちゃっててっていうのを払拭するにはどうしたらいいんだろうっていうのが、
もうずっとここ何年もモヤモヤしてたわけ。
で、でも踊ってみたで踊ってたら、まあなんていうか、
イメージが崩れる
ますよね。
で、いいねしてくれるのは本当にもともとの友達とか、
私にそういうウェブ系のイメージを持ってなかった人、限定みたいな感じですね。
素敵なことじゃないですか、と思いましたね。
で、そうかと、なんかイメージを払拭したいと思ったら、何かを消すっていうことは、すでについちゃった印象を消すことは難しいんだなって、ゼロにするっていうかね、真っさらにするってことはできないんだな、だけど上書きはできるんだなっていう、
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全く違うイメージで前のやつを打ち消してしまえば、そうしたら前のイメージは消えるんだなっていうのに、ちょっとね気がつきましたね。
キャラ編する方法としても、よくそういえばインスタをね、インスタのキャラクター、
まあアイデンティティーというか、それを統一した方がいいっていうのが言われてて、
なんだろう、例えば最初の頃はよくわかんないから、食べたものとか、いろいろ雑多なものをね、うちの猫とか、いろんなものを投稿してたとしても、ある時、例えば
アクセサリー、ジュエリーショップを始めたって言ったら、ジュエリーの写真ばっかりになるじゃない、そうしたらジュエリーに特化した方がいいから、前の猫の写真とか食べたものとか消しなさいって、
だから全消ししてやり直すっていうのはよく聞く話なんですけど、そうかと、なるほどなと、前のイメージを
感じさせるものを排除すると同時に、今こういうふうに見られたいっていう情報をどんどん投入するっていうことで、イメージって改変できるなっていうことですね。
イメージというかキャラクターというかですね、私も、私がキャラ変したいとしたら、まず何でも悩み事を解決しているお便利な人ではなくなりたい、
それから、それから、あの、なんていうのかな、お人よしキャラっていうかね、優しいからゆくこさんは、みたいな。
で、何か頼み事しやすそうな人っていうのも、まあちょっと勘弁してもらいたい。
ね、そういう、頼み事、まあ気安くは何でも頼めそうに、逆か、気安く何でも頼めそうで、優しいから甘えれるみたいなのって、
こう極端な言い方をすれば、なめられてると同じことだと思うんですよね。
相手の人がちょっと自分より強い人っていうか、強い人としか言いようがないかな、自分より偉い人でもいいかな、目上でもいいかな、
そういう人って気安く何でもくだらないこと頼んだりしにくいじゃないですか、それでリスペクトがあるっていうことですよね。
で、私の前の以前のキャラが、どうにもリスペクトを感じられない対応ばっかりされるっていうのが不満だったわけなので、
リスペクトは別にどうでもいいんですけど、この人に何か言ったら、
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変なこと言ったらバシッと叩かれるぞ、みたいなね、そういうものを醸し出したいんです。
そのことによって、くだらない相談ごととかから、そういうのはされなくなりたいっていうかね。
なおかつ私が何か頼み事をしたら、高い確率でイエスって言ってほしいですね。
そうじゃなかったら付き合う価値ないじゃないですか、
SNS友達なんてね。
だからそのようにキャラを変えていきたいって言ったときに、やっぱり何事も開放的で何かあったら全部言うみたいな強いキャラクター設定しておかないと、結局あれですね、ダメですよね。
やっぱりなんか相談を受けてからきついこと言うとやっぱり角が立つし、嫌な思いお互いがするじゃないですか。
だから相談される前にきついことを書いておくことによって、あんまりきついこと言われそうな変な質問はしなくなるっていうのがいいかなと思ってて。
こうやって言ってる間にそもそも人間関係がどんどん切れてきて、誰も質問してこないっていう状況で、今何にも困ったことないんですけど、それでも
なんて言ったらいいのかな、舐められてるとまでは言わないけれども、軽く扱われてるよねって思うことはね、ちょくちょくありますよ。
私よく喋ってることを途中で遮られますね、普通に。喋るのが遅いんだと思うし、喋りたい内容が結構ふわっとしてる概念的な関連的なこと喋りたがりな傾向なんです。
昨日食べたご飯がさあとかっていう話よりも、最近こういうふうに思うんだよねみたいな、ちょっと抽象的な話をしがちなので、相手の人は理解がめんどくさくなるんでしょうね。
途中でバサッと違う話に持ってかれたりしがち。その気持ちがわからなくもないので始末が悪いんですけど、
でもそういうことされた時の反応、それでニコニコしてたりすると、もう無意識にこの人の話を遮っても平気なんだなみたいになって、どんどん自分の扱いが軽くなっていくんですよ。
だからでもそれって多分ね、性格的な問題、自分のタイプとかもそういう感じのタイプらしいし、直せない。
なので遮られるとしたら、このね、ポッドキャストみたいに聞きたくなくなったらポチッと消していただけばいいわけで、それでも私は喋り続けるしみたいな、少なくとも喋ってる間に遮られることないじゃないですか。
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これが私は心地いい一つの要因かなって思います。これだけ例えば15分とか長い時30分ぐらい喋りますよね。
これを人を相手に喋ってたら、相手の人は途中でちょっとごめんとか言って立ち上がってどっか行っちゃいますし、それから自分の喋りたい話にすげ替えたりしがちですし、
私のこのモヤモヤしているこの何十年も、ずっとですね、生まれてからこのことずっと最後まで私の話聞いてもらったことがないみたいな感じの、このモヤモヤが解消できるから、私このポッドキャストが好きなのかもしれません。
なので、皆さんが途中で飽きてくる感じはよく理解してますので、どうぞ遠慮なく途中で切っていただいて結構ですけど、でもそういうことありますよね。
いろいろ思うんですけど、一つには自分が遮られがちだったら、遮られない環境をこうして見つけて、そこで思う存分喋ってみるっていうのが多分こっちの方のやり方をしていくのが私の一番合っていると思うし、だから朗読チャンネルも続けられてるし、と同時にやっぱりそれである意味逃げるっていうかね、勝負できないからこっちに逃げ込んでるっていう風な見方ができなくもない。
ことなんですけど、逆に踊ってみた動画的なやつは誰に攻め込んでるわけではないけれども、でも文句は言わせないわよ状態。私はやりたいことをやるの、みたいな。ただの良い人じゃないのよ、みたいなアピールをできる活動かなっていう感じがね、ちょっとする。
どこの誰がその、流行りの曲で踊っている人がね、気が弱いだの、なんか言われたらへこむだのっていうイメージとは程遠いでしょ。やっぱりダンスするって踊るって前向きなことだし、エネルギー的に言うと開放的なことだし、元気なことだし、積極的なことじゃないですか。いわゆるポジティブって言われるジャンルの活動だと思うので、
うんを言わさず踊りまくる、みたいなね。そういうのを、そういう映像資料などで自分のSNSを上書きしつつ、でもこうして自分の一番得意なジャンルの
媒体を使って、ストレス解消じゃないんですけど、言いたいことは言っていく。
この両面作戦というかね、どっちか片方だとやっぱりモヤモヤするかなって。踊ってみた動画しかやっちゃいけないんだったら、ちょっと私やっぱりモヤモヤするかなって。
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それが絶対的にやりたい、そのど正面のことともちょっと違うのでね。かといって朗読チャンネルしかやっちゃいかんというか、それはそれでやっぱりストレスが溜まって、
今の素の自分に一番近い活動って言うと、このポッドキャストなんですよね。それだけにあまりたくさんの人には和宣伝してないっていう
ことです。クッソ気持ちの悪いやつとかには聞かせたくなかったりするので、
不特定多数の人が見てるところにあまり流してない感じ。別にいいんですけどね、誰が聞いていただいてもね。
っていう感じですね。今日話したかったのは、だからそういうイメージ操作ですね。自分のね、キャラ編とかそういうのって
新しい情報を上書きすることでできるなって気がついたっていう話でした。 なんちゃってちょっとまとめた風にしておきつつ。
では本日は以上です。 お聞きいただきありがとうございました。
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