最初はね、ウィーンっていうとローマ時代から始まるんですが、
もともとはローマ時代の都市、リンドボナという名前の都市が起源になってるそうなんですね。
はい。
で、ローマ人がウィーンを防衛の要所として築いていって、攻撃の拠点として利用していたそうです。
なので、かなり古いですね。もうたぶん紀元前とか、それくらいってことですよね。古代ローマ時代ってなるとね。
古代、平成になってからですからね、2000年以降と。
そのくらいのね、ローマ人がいたっていう歴史もありつつなんですが、
ただ、ウィーンがそれ以降、中世において重要な都市となっていくのが、だいたい9世紀から10世紀にかけてのことになります。
9世紀から10世紀。
はい。まだ比較的小さな村だったそうなんですけど、
次第に商業とか軍事基地の中心地としてどんどん発展していくんですね。
そして、新生ローマ帝国の支配下に入って、特にハプスブルク家が勢力を拡大していくんですよ。
そうなんですよ。
ハプスブルクのさ、人たちのイメージが強いかもしれないです。
そうですよね。オーストリアというと、もう先に出てきますよね、ハプスブルク家が。
なので、それくらい勢力が強くて、領土もどんどん拡大していったこともあり、
もちろん政治の中心地でもありましたし、13世紀になると王都になるので、
もうそこを拠点にして、ヨーロッパ全土ですね、オーストリアだけじゃなくて、ヨーロッパ全土に影響を与えていきます。
すごいですね。
影響力強いですよね。
強い。もうハプスブルクっていうと、お金もたくさんあるし、領土もね。
他の世界さんもあるじゃないですかね。
すごい、ごめんなさい、勝手なイメージですけど、お金にどんよくなイメージが。
あ、わかる。
他の国のエリアにあったところの鉱山とかも、やっぱり領土にするわけだし、財源になってたんでしょうけれども。
なんか、塩から何から全部お金に変えちゃうっていう。
そうですよね。
すごい。
価値のあるものを全部持ってたんじゃないかくらいのね、そんな勢いですよね。
軍事力も強いし。
そうですね。
そんなハプスブルク家によってですね、ウィーンがいろんな文化とか政治の拠点になっていきます。
そんな様子が城だったり、宮殿だったり、教会に反映されていて、
例えば13世紀建築のホーフブルク宮殿。
ホーフブルク宮殿。
ホーフブルク宮殿。
はい、なってます。
ここは王宮とか図書館とか礼拝堂、城場学校などで構成されている場所なんですけれども、ここも見どころの一つですね。
すごい、なんでもありますね。
豪華ですね、そしてあるものがね。
あとは14世紀頃のシュテファン大聖堂ですね。
ここも非常に有名ですよね。
外観はゴシック様式で、内部の祭壇というのはバロク様式で作られています。
このシュテファン大聖堂は、見た目ももちろん大きいし、世界で3番目の高さを誇っている教会っていう点でも、
そうなんですか。
そうなんですよ。
確かに大きい。
すごい迫力があるとは思うんですが、
ただここ、中も非常に、面白いとは言えないかわからないけど、
ハプスブルク家の歴代君主の墓所でもありますし、
そうなんですよ。地下室があって、1600年代にペストの流行で亡くなった人の約2000体の遺体や、遺骨か、遺骨や、
あとは、民員の死去であったり、
ハプスブルク家の心臓以外の内臓が保管されていると言われております。
すっごい、ちょっと情報がいろいろあって、感想が今ぐっちぐちなんですけど。
なんか、死後の方々の、いろんな方が埋まってるっていう感じですよね、ここに。
確かに。
そういうところも見れるのかな、多分、カタコンベとしてあるかと思うんですけれども、
あとは、そういうものだけじゃなくて、
モーツァルトが結婚式を行った場所とか。
有名ですね。
そういうところもあるので、こんな雰囲気の中で式を挙げたんだなとか、
お葬式も挙げられたらしいんですけど。
そうなんですね。
でも、いろんな偉大な人物たちが関わりを持った場所が、このシュテファン大聖堂ですね。
結構歴史がある。ここは、モニュメント的な建造物かなと思いますが。
確かに。ウィーンといえば。
そうですね。アプズブルク家の映画の象徴でもあるような場所なんですが。
続いて、中世後期になりますが、商業の発展とか防衛の強化によって、どんどん人口も増加していきます。
そして、15世紀、16世紀に入ると、ウィーンはルネサンス時代を迎えます。
ルネサンス!
来ましたね。ちょっとイタリアの風感じながら来ましたけれども。
こちらは、もともとね、イタリアを中心に広まった文化かと思うんですが。
そうなんですけれども、アプズブルク家の支配を通じて、ウィーンにもどんどんどんどん広がり始めるんですね。
で、ルネサンスっていうと、例えばフィレンツェの街並みとかそうですけれどもね。
なんかイメージ強いですね。
その時代に、やっぱ出来上がっていった都市じゃないですか。
それくらい影響力のあるものなので、もちろんウィーンにもね、影響を及ぼします。
で、ルネサンスってね、何なの?ってちょっと思う方いるかもしれないのであれなんですが、
もともとは神様とか教会とかね、いろいろあるから神様の文化が中心だったのが、
でも、やっぱり古代ギリシャとかローマ時代の人間中心の思想とか文化を復興させようよみたいな、そういう運動のことですね。
あ、そうなんですね。
それが建築物とかにもルネサンス様式として取り入れられるっていうね、そういう時代の動きのことを言います。
なるほど。
デザインとしては、左右対称のシンメトリのデザインであったり、
古典的な柱とかが特徴となるような教会、宮殿みたいなのがね、多いんですけれども、
そんなルネサンス時代の文化の影響もありつつ、17世紀から18世紀は、今度はバロック時代がやってきます。
来ました、バロック。
どうですか?
いや、僕ね、実はでも、ウィーンの宮殿ってバロックのイメージが強いかもしれない。
そうですよね。華やかで、装飾ものすごい。
もうね、お花みたいな装飾が。
お花ね、そうそうそうそう。とにかく華やかだし、キンキラキンだしとか、お金かかってんだろうなーって感じますよね。
そうそうですね。なんか、ほら、バロックって他の建築とはちょっと違って、ちょっとメルヘンぽさ感じないですか?
そうそう、感じる。
なんか、そんな気がします。なんか、荘厳なっていうよりか、ちょっとメルヘンな宮殿が多い気がしてます。
そうですね。はい。みのさんはバロックは割と好きな方ですか?
いや、あんま。普通は。
あんまりね。なるほど。ということですか。
普通、分かんないです。
まあね、見るにはでも楽しいですよね。新鮮ですよね。日本はほら、和美サビの文化とかもあるから。
そうですね。極端に違いますからね。
極端ですよね。そういう、こう、僧侶さとか華やかさが芸術に現れている時代が訪れるんですが、ここで、ハプスブルク家も絶頂期を迎えます。
特に、レオポルト1世という、神聖ローマ皇帝などの支配者たちによって、宮廷建築の拡張であったり、都市整備というのが一気に進んでいきます。
有名なベルベデーレ宮殿も、この時代にできてるんですね。
ああ、そうなんですね。
ベルベデーレっていうのはね、美しい眺めを意味するんですが。
そのまんまなんですね。
そうですね。はい。
すごいな、自信が。
ね、すごいですよね。間違いなくいい眺めだよ、これ。
っていう感じなんでしょうね。
はい。で、あと、違う世界さんなんですけど、シェンブルン宮殿などのね。
そうですね。
そういう壮大なバロク建築が立ち並び始めるのも、この時代になります。
あと、シューベルトも、その生涯をほとんどウィーンで過ごしたと言われているんですけど、
そうなんですね。
よく名前を聞くような音楽家、作曲家の人たちが、
このウィーンのバロックとか、それ以降の時代もそうなんですけれども、活躍してるんじゃないかなと思います。
はい。そして、段々時代が近代に近づいてきますが、
19世紀初頭になると、ナポレオン戦争があり、その後、ウィーン会議の中心地にもなります。
そこでは、ヨーロッパの政治秩序を再編成するというようなことが行われたりとか、
あとは戦後のヨーロッパの方向性を決定づけるものでもあったので、
ウィーンは、そのまま引き続き政治的中心地としての地位を確立することになります。
強い、強い、強いですね。強い時代ばかり。
強いですね。確かに。
華やかな文化がある反面、武骨な軍事の主要拠点という。
軍事系でもありますよね。
華やかさが、イメージでは勝っちゃうけど、
すごい、いろんな要素が相まってるんだろうなって思いますが。
そんな、ナポレオン戦争後の動きもあるんですが、
ただ、19世紀というと、ウィーンの都市の大改造が行われるんですね。
ハプスブルク家最後の皇帝のフランツ・ヨーゼフ一世が、
内側の城壁を取り払って、リンク・シュトラーセという環状道路が建設されます。
非常によく聞く場所かなと。
今のウィーンの象徴でもありますよね。
そこにいろんな歴史的建造物が並んでたりもするので、
メインのところですよね。
邸宅であったり、庭園とか、
あとは壮大な建物、モニュメントなどが立ち並んでいるんですが、
ここにもものすごいたくさんの文化が詰まっていると言ってもよいかと思います。
あと、ウィーンと言うと、コーヒーハウスの街と言われるくらいカフェ文化があったんですね。
そうなんですか。
そうなんですよ。
いろんな文化が生まれたり、
それこそ作曲家もカフェでいろんな人たちと関わりながら、
曲を作っていくみたいなのも言われてたんですけれども、
そういうカフェ文化っていうのがかなり代表的で、
ウィーンのカフェ文化は、無形文化遺産としても登録されています。
そうなんですか。
そうなんです。
初見でした。
初見、意外ですよね。
あんまりウィーンって、カフェのイメージが強く、
まあまあ、紅茶とかはあるけど、
でも、そういう上流階級の人たちのカフェ文化なんでしょうね、きっと。
なるほどね。確かに。
なんかさ、一般の人でもさ、
ジャケット羽織ってさ、ストール巻いて、
カフェでカップを傾けてるっていうイメージが強いかもしれないです。
そうそう。
ジーパンにスウェットでコーヒーカップ握ってる人いなさそう。
そうそう。ちゃんとこう、指の入れられないカップをね、
こう、つまんで飲むやつよね。
そうそう。
細いね。
そうそう。
860円かよ、みたいなんですよね。
そうそう。当時の文化わかんないけど、
でもね、ちゃんと高い、正装、フォーマルな格好して、
行くような感じなんじゃないかなと思うんですけれども。
なるほどね。じゃあちょっと、スターバックスでもルノワールよりかな。
ちょっと高い?ルノワールの方が。
ルノワールのちょっと高い。
あ、そっか。
ちゃんとした、なんかふざけた格好で入ったら怒られそうな。
あ、なるほどね。そうなの?そうなんですか、ルノワール。
いや、わかんないですけど。
まあでも。
はい。
はい。ごめんなさい。
そういうカフェ文化もあるのがウィーンです。
あとは、第一次世界大戦とか、第二次世界大戦という激しい変動があったので、
またそこでいろいろと塗り替えられたものもありますし、
ちょっと変わってきている、そんな時代なんじゃないかなと思いますが、
でも、そこから復興することで、再び文化的な都市として再生していくんですね。
それが近代におけるウィーンの出来事です。
っていう感じですが、でも何だろう、
今日でもウィーンとかって、文化的にもそうだし、博物館もあるし、
音楽イベントとか、特に有名ですよね。
ウィーンといえば。
そうですね。
なので、当時というか、昔からずっと続いている文化を、
今でも観客側で楽しめるっていうのでは、すごい貴重な場所かなって思いますね。
そうですね。いくら近代的になったとしても、今でもウィーンは都ですよね。
そうですよね。素晴らしいなって思いますね。
まだ美しい建築物とかも残ってるし、いっぱいあるけど、
でも、こういう2000年という長い歴史を伝えるものとしては、非常に貴重な遺産ですし、
過去から現代とどのように変化してきたのかを、感じることができるような場所なんじゃないかなというところでございます。
素敵です。
素敵です。ということで、今日はウィーンの歴史地区をお話しさせていただきました。
ありがとうございます。
行きつけか。
はい、ということで、どうでしたでしょうか?
いやね、やっぱウィーンはウィーンですね。
ウィーンはウィーンだよね。
わかる?
例えるものもないくらい確立したものですよね。
そう。パリって言ったらさ、みんなパリっていう街を想像できるじゃないですか。
ウィーンも一緒で、ウィーンはさ、やっぱ、何があってもウィーンなんだよ。
変わらない。
でもそうですね、それはわかります、言ってることは。
いやね、なんかほら、今キキさんっていう話で、新しい建物、ベルベデーレ宮殿の庭園から見た直線上に、近代的な高層ビルが建っちゃったみたいな、景観悪化みたいな問題もあったりね、開発問題とかもあるけど、
さっきのかなえさんの話聞いてても、やっぱそうだなって思ったんですけど、
ウィーンっていうのは、古い文化に新しい文化が常にミックスされて出てきた街じゃないですか。
城壁を取り払ってリンクストラーゼを作ったっていうか、
常に古いものと新しいものの融合によって出来上がってる街なんで、
なんかその価値観も、もしかすると今から見ると景観悪化かもしれないけど、
20年30年先から見ると、違う科学反応に見えたりするんじゃないかなとも思ってみたり。
思います。なんか当時のままじゃないっていうところもまたいい点だなって思ってて、
この国ってこういう国なんだなぁが、なんとなくわかるじゃないですか。
わかる。わかります。
いろんな時代のものが残っているっていうのは、それだけ素晴らしいなって感じるし、
そうそう、それはすごく思いますね。
そうね。
確かにね、ビルがさ、いきなりニューヨークのマンハッタンみたいなの来たら、
それはびっくりするよ。
なんじゃこりゃって思いますよね。
それはびっくりするけどさ。
確かに。
いい感じに時計あってさ、やっぱりそこに住んでる人たちの思いっていうか、
ウィーンの方たちにとっての、歴史都市ウィーンっていうものが崩れなければ、
引き続きウィーンっていう街並みが、新しいものと古いものをおんこちしんで、
ずっとずっと未完成のまま作られ続けるんじゃないかなって思ってて。
そうですね。
そういうのも含めて、ウィーンはウィーンだよって思っちゃいました。
ウィーンはウィーンだよね。ありがとうございます。
ビルが建てようと、スケート場ができようと、ウィーンはウィーンなんですよ。
そうなんですよ。変わらないんですよ。
とか言って、1回も言ったことないんですけど。
私もですけど。でもさ、別に変わらないものもあって、ちょっと話したいことがあったんですが、
音楽文化としてね、非常に有名ですが、
その音楽文化の強さっていうのは、私もずっと幼い頃から感じていて、
ピアノやってましたもんね。
そうなんですよ。幼少期からピアノを、だいたい10年くらいやってたんですけど、
そういう時も、やっぱクラシックなので、彼らというか有名な作曲家の曲を弾くわけですよ。
でも、それってよく考えたら、全然知らない、というか遠い遠い時代の、遠い日本人の私が、
その作曲家の曲を弾いてるわけじゃないですか。
そうですね。
そうなんですよ。
それって、ほんと継承する力っていうのがものすごいなって思うし、
本人がね、もしできてたら、かなりびっくりするとか、感動する出来事なんじゃないかなって思うんですよ。
確かに。
時代も全然違うし、
確かにそうっすね。
全然違う人種の人が作り上げた曲を、全然遠いところにいる自分が弾いてるんですよ。
いやー、タイムリープしてますね。
そうそうそう。
ほんと。
当たり前のように弾いてきたけど、でもこうやって、なんだろう、
知らない間に、文化とか音楽の継承者になってた人っていっぱいいるんだろうなって思って、
こうやって引き継がれていくんだろうなっていうのも感じますね。
いや、ちょっと深いですね、今のは。
不可思議?
不可思議。
不可思議ですか。
不可思議。
音楽ってそういうのがあるからいいっすよね。
なんか、建物とは違ってさ、無形なものだからさ、
はい。
なんていうんですか、それがこう、なんていうかな、形を変えることってないじゃないですか。
うん。
曲調が変わったりとかさ、あるかもしれないけど、
そうですね。
基本的には、やっぱ音楽って残るんじゃないですか、楽譜がある限り。
残ります、はい。
で、それをさ、その100年、200年、数百年の先の人が、たしなめるっていうのは、
やっぱなんか、音楽ってすごいなって思います。
僕は音楽全くやってこなくて、
僕はほんと、10段階評価で、3とか4とか。
そんな?
うん。
そんな音楽って厳しい?
僕は音楽は、9評価か、9評価で、一番、僕は。
そうなんですか。
えー、意外でした。
そう。
みどさんだって、よく演歌歌ってるから。
いやいやいやいやいや。
違うか。
違う違う違う。
聞いたことないか。
最近演歌は歌わないんで、僕。
あ、そうですか。
お尻かじる虫とか。
これ、懐かしいな。
懐かしい。
ありましたね。
あったあった。
そんなお話は、面白いですけどもね。
そういう継承の文化、継承者っていうのが、世界中にたくさんいるんだなって、
それくらい強いものがある、ウィーンの歴史地区でございました。
ありがとうございます。
ということで、今回もお便りが届いているので、紹介できればと思います。
2つ届きました。
はい。
エピソードは、第84回、岩の墓の岩屈教会群についてのエピソードです。
ありがとうございます。
まず1つ目は、リラの僧侶さんから届きました。
はい。
みどさん、カナエさん、ご無沙汰しております。リラの僧侶です。
なんとリニューアルした生き世家の最初のエピソードが、ブルガリアじゃないですか。
2回連続で聞いちゃいました。
嬉しい。
しかもブルガリアにある10の世界遺産の中でもあまり情報のない岩の墓の岩屈教会群を取り上げて読まれて嬉しすぎです。
すごいテンション上がってくれてる。
ルーマニアとの国境の街ルセからタクシーで20分くらいで行けるとのことですが、
私は残念ながらルセから国際列車で通過しましたが、岩屈教会には行けませんでした。
そしてブルガリアの歴史はなかなか書籍がなく、唯一ケンブリッジ版世界各国史シリーズにブルガリアの歴史という本があります。
ブルガル人はアジア系でも今もブルガリアの人でも髪の色が黒い人が多くいます。
そう考えると親近感が湧きますね。
そしてなんといってもヨーグルト。
ブルガリアには牛、水牛、羊、ヤギと様々なミルクのヨーグルトがあります。
どれも味が違って美味しいです。
日本で有名なブルガリアヨーグルトは本当にブルガリアで発見されたヨーグルト菌で作っているそうです。
ちゃんと守られてる。
すいません、興奮して色々書いてしまいました。
嬉しい。
私の中では神回となりました。これからも毎週の放送を楽しみにしています。
ありがとうございます。神回いただきました。
神回です。
ブルガリアってどこにしようかなって迷って。
でも基本的には知名度はそこまでないさんが多いかなと思うけれども、その中でもなかなかいかないんじゃないかなってところをチョイスしたので。
こういう風に言っていただいて本当に嬉しいです。
このエピソードは絶対リーダさん喜ぶだろうなって思っていましたが、想像を超える喜びをのようで。
通過しちゃったんですね。
その悔しさとかも含めて伝わってきました。
リーダさんは本当にブルガリアには精通した方で、ご縁が深い方だと思うので、次の機会にぜひ行って感想を聞きたいですね。
お聞かせください。ぜひです。
ということでリーダのソウルさんありがとうございます。
もう一つ岩の間の岩屑協会群のエピソードからお便りをいただいています。
フェリックスさんからです。
ブルガリアが帝国だったという認識がなかったのですが、花江さんの説明がとてもわかりやすかったです。
日本でいうと第一次ブルガリア帝国は大化の開始あたりから藤原道長あたりまで、第二次ブルガリア帝国はちょうど鎌倉時代と同時期。
第三次ブルガリア帝国と言われると、ブルガリア王国は明治末期から第二次世界大戦敗戦まで、第二次世界大戦時には数軸側として参戦します。
岩の間の岩屑協会群は岩をくり抜いて作られた点で、インドのエロラ石骨群、アジャンター石骨群や中国のバッコークスに似ていますが、
インドや中国の石骨がどこかシックな印象に比べて、何か晴れやかでシンプルな印象があります。
岩の間の岩屑協会群のフレスコ画の技法など、ビザンツ美術の伝統から継承されたものでしょうか。
アイアソフィア大聖像のフレスコ画の流れを組むものなのかなと興味が湧きました。
これからも楽しみにしています。
いただきました。
ありがとうございます。
そして岩屑協会群とか岩屑の遺産って結構ありますよね。
確かに言われてみると、他の岩屑系の宗教施設に比べると色味があって、しかも淡くて。
そうですね。ちゃんと色づきしてるっていう点でも特徴的かもしれないです。
フレスコ画もね、見てみたいですね。岩の間の。
いや、触ってみたいですね。ダメだけど。それはダメだけど。
触るの好きですよね。
触りたい。旧市街とかの、結構話してるけどね。建物とかはさ、触れるじゃないですか。道路とかに面してる建物。
確かに確かに。
触っちゃいますね。私。
リンクストラーセとかも触りたい。
触らない。道路?
道路。
床?
アスファルト?
検査してる人じゃない?
アスファルトはどうかな?でもほら、リンクストラーセって比較的新しい方だから、あんまり興奮しないかも。
ダメですか?
やっぱその、中世とかそれ以前のものですよね。
全く同じものがあるんですよ。その当時の人がいた時からあるわけで。
でもさ、あれ、城壁の跡みたいなの残ってない?完全に埋められたんかな?
あるんじゃないかな。でもそれこそローマ時代のものとかも残ってたりするので。
ほら、横浜のさ、港未来のさ、昔ここにマユ積んで運ぶ列車が通った、列車の跡がありますよみたいな感じでさ、列車の渡ちの跡が床とかに埋まってますけど、
なんかああいうのあったら、触れるかもしれない。
確かにね。そういう、ここに何があったよとかはありそう。
ちょっと、そうね。で、そう考えるとやっぱその、石窟チューノは、ちゃんとそのまんまが残ってるから。
なんか、みなさん、何何チューノは?って言いますよね。
なんかちょっとさ、おじいちゃんみたいなさ、入りますよね、たまにね。
石窟というのは。
そう、石窟というのはね、そのまんまの状態に残ってるから、その街とは違ってまたね、楽しめる。
そのまんまの状態は楽しめる。
思います。
はい。
ということで、フェリクさんありがとうございます。
ありがとうございます。
ということで、いきたくなる世界さんでは、皆様からのお便りをお待ちしております。
このエピソードの概要欄にあるリンクから投稿してください。
はい。
番組フォローが満の方、アップル、ポッドキャスト、スポティファイ、アマゾンミュージックなどから、ぜひともフォロー、フォロー、フォローをよろしくお願いします。
お願いします。3回言いました。
そして、各種ね、媒体から評価付けもできますので、ぜひ、星4つ、高評価、よろしくお願いします。
お願いします。
Xの投稿はカタカナでハッシュタグ、生き世家とつけてポストしてください。
皆さんとの合流を楽しみにしています。
はい。
はたまた生き世家ではですね、サポートブラウンというものも用意しております。
はい。
こちらはですね、ノート。われわれ実はノートの記事も書いております。
書いております。
時折。
時折ね。
そちらも楽しんでいただきつつ。
しばしばね。
しばしば。
オープン。
ねえ、それさ、しばしばってなんだよって思いながらやってましたよね。
やってた。
しょっちゅう、しょっちゅう。
なんでしばしばって。
何しばしばって、使わないじゃんみたいな。
オープン。
下唇を歯でトゥルンってして、オープンね。
しばしば書いておりますから。
そちらもね、ぜひ楽しんでいただきつつ。
ノートの方でサポートプランというふうな皆さんからギフをね、募って、それを番組の資金に当てております。
こちらも2つプランがありますので、ぜひ、ぜひ、ぜひ、われわれにね、うれしいです。
暑いね。
はい。
暑い気持ちでお話ししてます。
参加いただいた方はノートの方で限定エピソードだったりとか。
はい。
一番グレードの高い方では動画の方も。
そうですね。
はい、ちょっと載せております。
載せちゃっております。
はい。
はい。
ぜひ、楽しんでいただけたらうれしいなと思います。
はい。
ということで、また来週もお会いしましょう。
バイバイ。
バイバイ。
この番組は、たもんさん、ゆかさん、フェリックスさん、こぴよさん、ちこさん、こんちゃんさん、リベルタさん、とこさんの提供でお届けしました。
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