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2025-10-14 41:23

【第110回】オーストラリアの囚人収容所遺跡群(オーストラリア)|フリーマントル刑務所

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-------🎙Pick up 世界遺産🌍-------

『オーストラリアの囚人収容所遺跡群』

2010年登録、文化遺産

保有国:オーストラリア連邦

登録基準:(ⅳ)(ⅵ)


-出演者-

◇ミド(世界遺産アカデミー認定講師、世界遺産検定マイスター)

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◇KANAE(世界遺産アカデミー認定講師、世界遺産検定マイスター)

🕊⁠⁠X (旧twitter)⁠⁠ 📷⁠⁠Instagram⁠⁠ 


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#イキセカ #世界遺産 #旅行 #歴史 #オーストラリア #フリーマントル #刑務所 #負の遺産


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サマリー

今回のエピソードでは、オーストラリアのフリーマントル刑務所について語られています。この刑務所は世界遺産として登録されており、囚人の公正に芸術が用いられたユニークな事例が紹介されます。また、フリーマントルのアクセスや観光の魅力についても触れられています。このエピソードでは、フリーマントル刑務所とイギリス植民地時代における囚人の開拓作業の歴史について議論されており、囚人たちの労働がパースという町の発展に寄与したことや、刑務所内部の詳細な様子が語られています。囚人が描いた美しい絵画や公主台についても触れられています。また、フリーマントル刑務所の歴史とダークツーリズムの重要性についても語られています。囚人収容所遺跡群の見学を通じて、人間の命や罪について深く考えさせられる経験が描かれています。さらに、このエピソードではフリーマントル刑務所に焦点を当て、その歴史や遺跡について語られており、オーストラリアの囚人収容所の重要性と訪れることの魅力についても触れられています。

オーストラリアの世界遺産
世界遺産検定前さーのミドとKANAEがお送りする
行きたくなる世界遺産
さあ、始まりました。この番組は、学校の教科書や旅行雑誌には載っていない
世界遺産の魅力について厚く迫る番組です。
KANAEさん、世界遺産とはどういうものですか?
はい、世界遺産は多数多様なものが登録されています。
各国にいろんな違いがあるので、その違いを認め合って争いを隠していくためのもので、
いろんな違いを知るための教科書からのものです。
はい、ということで、オーストラリアに行ってきたんですよ。
帰れなさそうで。
行ってきたんですけど、ちょっと聞いて欲しい話があって。
家族で行ったんで、荷物とかすごいから
家族で行ったんだ。
3日分の服だけ用意して、現地のコインランドリーで洗濯したんですよ。
でもね、初めて現地のコインランドリー使ったんですよ。
そしたらさ、オーストラリアの人ってさ、夜あんまりあれなんですね。
働かないんですね。
コインランドリーって普通日本だったら24時間じゃないですか。
9時に終わっちゃうんですよ。
あー、なるほどね。
それって無人っていうわけではないんですか?
無人なんですよ。
無人なのに?
無人なのに、そうなんですよ。
で、急いで行って、バーって回して、ボタンを押した瞬間に、
あれ、ここだけ6ドルだなって思って。
他のやつ7ドルなんですよ。
自分も回したやつだけ6ドルで、え?って思ったら、ペットオンリーだったんですよ。
えー、やば。
で、子供服とかあるから、うわって思って、途中で終了できないんですよ。
はいはいはい。
40分、マジですよね。
えー。
で、待って、うわ、最悪だわって思いながら、
あの、普通のね、人間のやつっていうか、普通のやつに入れたんですよ。
えー、分かれてるんだ。
その時点で、8時ぐらいですかね。
あ、もう乾燥機まで使えんしって思って、
まあ、しょうがないから、もう脱水だけ終わったら、ホテルで乾かそうと思ってやったんですよ。
はい。
そしたらですね、38分で出てるのに、明らか38分で終わらないんですよ。
えー。
9時になったら、自動ドアで閉まって閉じ込められるんですよね。
えー、こわ。
ほんと2、3分前に終わって、うわーって思って入れようと思ったら、
洗濯機が壊れて脱水されていない。
えー、そんな感じなんだ。
もう水びったびたの、超絶重たい状態で、ボストンバッグに入れて、ホテルまで帰って、
で、もうホテルのシャワーブースで、
こんな脱水されてなかったんだ。
最悪ですよね。で、ご飯も食べれない。
結局、あの、コンビニもさ、日本のコンビニみたいにいっぱいあるわけじゃないんで、
なんか、こんぐらいのサンドウィッチとかロールしかないんですけど、
明らかにちょっとサンドウィッチがなんか、なんていうんですか、体調悪いサンドウィッチみたいな。
あー。
これ、あーって思って、
えー。
スナック菓子ですわ。
大変だったんですね。
もうなんか、何に当たったらいいかわからないから、
僕も家族も、もううちの奥さんも、もうなんかキレる寸前で、
もう、もうなんか、FワードPみたいな感じで。
なんかさ、いろんなクオリティがさ、日本を基準にしていっちゃうからさ、
たぶん、なっちゃうんでしょうね。
そうですね。
いやー、コインランドリーはちょっと予想外ですね、そのままではね。
そうなんです。はい。
あんまりこうね、普段物に当たったりしたらいけないと思っていたんですけど、
当たった?
あの時ばっかりは、いや、当たってないですけど、
思い切り、その乾燥機を削ってやろうかなと思って、
あー、確かにね。
直前でフゥーって思って。
壊して帰ってやりたかったですね。
フゥーフゥーって。
確かに。
まあでもね、値段になりました。
まあ確かにね、それも一つの思い出ですよね。
そうなんです。
はい、ということで皆さん、ダークツーリズムってご存知ですか?
フリーマントルの歴史と特色
知らなかった。
ダークツーリズムね。
世界遺産ではね、フヌイさんと言われるような場所もあるんで、
結構なじみの単語なんですけども、
案に観光を楽しむだけじゃなくて、
人間の教訓とか、歴史上の反省を学びながら、
平和に生かしていくようなことを目的とする観光のことなんですけど、
はい、ちょっと私、今回初めて海外でダークツーリズムをしてきたので、
そちらのね、感想を踏まえながら。
ね、こんな日焼けしてまで行ってきたわけですね。
そうですね、ちょっとダークになって。
ダークになってました。
ということで、今回ご紹介する世界遺産は、
オーストラリアの囚人収容所遺跡群から、
フリーマントル刑務所をご紹介します。
オーストラリアの囚人収容所遺跡群に関しては、
この生き世家でも第14回でお話ししているので、
歴史的な背景とか深く知りたい方は、
そちらをちょっと聞いていただきたいんですけども、
今回はね、このオーストラリアのパースっていうところから、
フリーマントルっていう場所に行って、
そこのフリーマントル刑務所に実際に行ってきたので、
はい、ちょっとその様子をね、細かくご紹介できれば。
刑務所ですね。
刑務所です、プリズンです。
刑務所入ったことありますか?
ない。
ないか。
ないない。
話をながらで、ありますねって言うかと思ったんですけど。
ないです。
ないですか。
今打ち上げるって。
今入ったことあるよとかさ、言ったら怖いでしょって。
そうですね、そうですね。
はい。
入って言ってきますよって。
言ってきますよ。
ないよ、ない。
はい。
そうなんです。
はい、ここもね、世界遺産に登録されています。
なんとね、西オーストラリアにあるんですけども、
西オーストラリア州として、建造物では初めて世界遺産に登録されたのが、
このフリーマントの刑務所になっているんですね。
はい。
で、この刑務所っていうのが、他の刑務所ではあまり見られないような特徴もありまして、
なんと囚人の強制というか、公正に芸術を用いたっていうね、ちょっと面白いポイントがあるんですよ。
ここもちょっとユニークだったので、ここも踏まえてご紹介できればと思います。
なんか、ただこう真っ暗な環境とか暗い、寂しいようなっていう感じじゃない?
あ、そうですね、おっしゃるとおりです。
ただ、重たかったです、空気は。
重いですよね、刑務所だからね。
そうですね、やっぱ重たかったです。
早速ちょっとそのフリーマントルっていう場所なんですけど、
フリーマントルは西オーストラリア州の州都であるパースからですね、
電車で約30分で行ったところにあります。
なんで、すごい観光しやすい場所かなと思いますね。
アクセスいいですね。
1本で行けるので。
で、フリーマントル駅からも徒歩10分から15分ぐらいで到着できるし、
このフリーマントルっていう場所もオーストラリアの開拓にすごく関わっている場所なんで、
その開拓時代から残るレンガ作りの建物とか、
そのヨーロッパから入ってきたバロック町の建物がいっぱい残ってるんですよ。
英国植民地時代のってことですか?
Yes。
でもって、フリーマントルに関しては完全に当時のままの建物が残ってるんで、
高いビルが一つもないんですよ。
すべて2階建てか3階建て。高くて3階で。
で、2階建てのテラス状になってる建物がいっぱいあります。
なんかね、僕近いなって思ったのがアメリカのニューオーリンズとかちょっと近いなと思ったんですけど、
テラス状の2階建ての建物。
中には1894年かなに作られたフリーマントルマーケットとかもね、すごく有名な場所もある。
一緒に観光できる場所。
マーケットね。
マーケット。はい、あります。
お家族でみんなで行ったんですか?
そうですね。
えーすごい。
行きました。
そうなんだ。
そうなんです。
ということもあって、このフリーマントルっていう場所はすごくパースからもね、すぐ行ける場所なんで、観光しやすい場所になってます。
ということで、世界遺産ですね。
オーストラリアの囚人収容所、遺跡群っていう世界遺産のちょっと振り返りだけ。
詳しいことは第14回で話してるんで、本当に概略だけつまんでもう1回説明できればなと思うんですけども、
世界遺産としては2010年に登録されてるんですけども、
オーストラリアに点在する18世紀から19世紀のオーストラリア開拓時代に作られた囚人の収容関連の遺跡がすべてで11箇所まとめて1つの世界遺産として登録されています。
囚人収容所の背景
で、これがね、どういう世界遺産かっていうこと、ほんと軽くなんですけど、軽く触ると産業革命時代のイエスに戻るんですよね、話が。
今まで人間の手で工場で働いて織物とか作ってたのが、機械ができたことによって人の手がいらなくなります。
ということで大幅なリストラがイギリス国内で起こるんですよね。
どうなったかというと町中に不老者だったり、家がない人たちであふれかえてしまったと。
皆さんご飯食べれないんで、万力窃盗、強盗、虐奪、あるいは社会の不満から暴行、強姦、もうあらゆる犯罪を尽くすものがイギリス国内で蔓延しちゃうんですよね。
そうしないと生きれなかったんでしょうね、そしてね。
ということでイギリス政府はこの様子を見て何とかしないといけないということで政策を考えるんですが、救済する政策じゃなくてむしろですね、強気で取り締める政策をしちゃうんです。
万引きだろうがやった瞬間に金庫50年年みたいな感じで。
厳しい。イギリスらしいという。
そうですね。強行作為に出ちゃうんです。
でも食べるものがないから、やっていけないから、当然それで犯罪が減るわけではなくてですね、イギリス国内のそういった監獄はですね、人であふれかえっちゃうわけですよね。
そんなにやっぱいっぱいいたんだ。
いっぱいいました。もう食べれないから。
そうか。
ひもじくて。
そうですよね。
ってなった時に、もうイギリスで入る場所がないってなった時に、当時イギリスが植民地支配を進めていたオーストラリアっていうところにここに牢屋を作って、ここに送り込んで入れちゃおうっていうことでした。
足りなくなったから?
うん。
えー。
やばいですよね。
やばいですね。
そうか。でもそれくらいさ、貧困層がいたっていうことですもんね、当時。
フリーマントル刑務所の歴史
まあ今でもよく言いますよね、社会の2割が富裕層で8割が貧困層みたいな話がありますけど、イギリスもそんな状態で。
かつオーストラリアっていう土地がイギリス植民地にしたんですけど、まだ未開の地だったんで、囚人なんで労働をするわけじゃないですか。
その労働の一環で開拓させてたっていう。
当時のイギリス政府からすると一石二鳥だった。
捕まった人たちからするとたまたまんじゃないですけど、いって知らない土地に送られて開拓させられるっていうね。
っていう歴史があって、その名残が収容所関連の遺跡として11箇所、世界遺産として登録されてるわけですね。
このフリーマントルも同じようにイギリスから男性の囚人が送り込まれてきました。
1850年代になるんですけども、複数回送り込まれてきて、合計1万人ぐらいの男性の囚人が来たと言われています。
彼らがまず進めていこうとしたのが、イギリス人の入植地であるスワンリバーっていう大きい川なんですよ。
そこを開拓することを目的に送り込まれたんですけども、
最初に彼らがやったのは、彼らがその後入る監獄ですね。
フリーマントル刑務所を作ることだったと。
皮肉ですよね。自分たちが入る場所を平等で作るっていう。
そういうのも多いですよね。海外の遺跡とかも遺産とかもそうだけど、結局作らされちゃってそこに入るみたいなね。
最初は掘ったて小屋とかだったんでしょうかね。
スワンリバーっていうのは、パースとかフリーマントル流れる大きな川なんですよ。
フリーマントルっていう場所は本当にスワンリバーの河口にあって、そこからインド洋に出るっていう港町になってるんですけど、
フリーマントルからちょっと川を上っているところにあるのがパースなんですよね。
パースって水辺の町なんで、海に明示した港町って思われる方多いんですけど、あれ海じゃなくて川なんです、実は。
めちゃめちゃでかい川なんですけどね。海にしか見えないんですけど。
ということはフリーマントルもそうだけど、パースっていう町も開拓によって作られた。
だから裏返せば、囚人たちの労働、オーストラリアの囚人収容所遺跡群に直接関わってできた都市っていうことなんですよね。
刑務所のツアーと囚人の暮らし
っていうことがね、フリーマントル刑務所だけじゃなくて、パースという町からも開拓を感じることができます。
オーストラリアって、私メルボルンしか行ってないんですけど、メルボルンも植民地時代のできた建物とかがあったりとか、そういうのを彷彿させるような近代の建物と当時の建物が混ざってるっていうのがすごく印象的だったんですけれども、
そのまま残っているっていうのもね、また本当に植民地としてここが使われてたんだろうなっていうのがわかるんで、ちょっとこうね、不思議な気持ちというか、そういうのないじゃないですか。
わかります、わかります。
ああそうだったんだ、ここに来てたんだみたいな、なりますよね。
そうですよね。きっと今残ってなくてもインフラもとか、もともとオリジナルの道路も多分そういう人たちが作ったんだろうし、なんか独特ですよねオーストラリアって。
そうですね。
街の作りっていうか。
ということでフリーマントル刑務所ができたわけですけども、その後この刑務所にはですね、1991年に役目を終えるまで約136年間の間に9000人以上の囚人がこの刑務所に入っていたと言われています。
このフリーマントル刑務所はちょっと注意点があって、中に入るには自由に見学できなくて、絶対に何かしらのツアーに参加しないと入れないんです。
ちょっとね、動画を回せたら僕撮ろうと思ったんですけど、さすがにちょっとツアー中そういう雰囲気じゃなかったんで、でもここに入れて帰ってきてるんで、お楽しみあるということで。
ツアーもね、僕参加したのは一般的な刑務所の歴史、その世界遺産としての歴史と囚人たちの暮らしがわかるっていう本当一般的なツアーだったんですけど、中にはアダルトオンリーで結構過激な内容のものもあったりします。
刑罰みたいな。
僕は入ってないんですけど、この妻がパースに昔住んでたんで、行ったことがあって、その時アダルトオンリーのツアー参加したらしいんですけど、結構ムゴいらしいです。
なのであんまりちょっとそういうの苦手な方は一般的なツアーに参加することをおすすめします。
無理やり行ってもね、結構やられちゃいますもんね。
ツアーに参加して建物に入るんですけど、まず最初に見るのが厨房なんです。
厨房ももちろん囚人たちが、彼らが食べる食事を労働として作ってたわけですけど、ここで働いてたのはモハンシューと呼ばれるね、善良だった、刑の軽い人たちなんですよね。
盗み焼けとかの人か。
そう、多分でしょうね。
これ理由ってわかります?
何か想像というか。
え?何?モハンシューの?
が料理を作ってたっていう。
なんか変なものを入れたりとかしないかとか。
そうですね、その通りです。
なんかね、そういう重罪を起こして、なんか悪い心を持ってる人がいたら、なんか毒物入れたりとかさ。
あとは純粋にナイフとか刃物を取り扱うんで、持たせられないっていうのもあったらしいんですけど、
意外になったのが、フリーマントル刑務所では実は夕食に時々ステーキも出てたらしいです。
ステーキ?めっちゃ豪華ですね。
めっちゃ豪華ですよね。
ステーキ食べれるんだ。
これね、ちょっとえ?って思ったんですけど。
何のステーキなのそれ?そこの現地のっていうかオーストラリアのさ。
OGビーフでしょうね。
何かな?おいしそう。
入りたいと思わないけど。
そうなんだ。
で、進んでいくと皆さんね、多分刑務所といったら想像する、独房のエリアがあるんです。
重罪の方々の?
はいはいはい。
これはね、本当に物々しい重苦しい空気の中にあるんですけど。
窓とかはない?
まだあるんですけど、やっぱ廊下があって、1階から屋根まで吹き抜けになってるんです。
監守が見えやすいように。
で、3階建てのテラス式になっていて、お部屋のドアがバーっと並んでるから。
で、当時の独房の窓利用はそのまま残ってるんで、見ることができる。
1800年代から使われてるんで、初期の独房から、本当刑務所が閉じる前の間取りの移り替えとかを見れて面白かったんですけど、
本当初期とかすごいですね。
クローゼットの中みたいな。
真っ暗?
そうだし、細狭い。多分何畳だろう?2畳あるかなっていうぐらい。
そこでさ、全部を完結するんですよね、生活内。
それがね、当初のはハンモックと壁に備え付けのテーブルぐらいしかなくて、トイレがないんですよ。
どうしてたんですか?
多分外じゃないですかね。決められた時間、自由にトイレもできなかったんじゃないかなと。
お腹いっぱいになっちゃったらどうするんだろう?
でもそこから徐々に年代が変わっていくと、1960年代くらいになると、今の独房とほぼ変わらないようなベッドがあって、
机と椅子があって、トイレ、便器があるっていうような形のものが残ってましたね。
ちょっと重々しい感じの。
独房入る方を手洗いで出すっていうのもなかなか勇気がいりますよね。
そうですね。出してたのかどうかも分かんないですけどね、垂れ出し流しだったかもしれないし。
バケツとかかもしれないし。
1800年代なんで、あんまり人間としての尊厳も与えられなかったんじゃないかなっていう想像もしてますね。
大学貿易の時代なんて尊厳なんてなかったし、そういうくらいのタイミングじゃないですか。
人として扱われてなかったという状態だったかもしれないですね。
そうですね。かと思えばですね、いくつかの部屋はものすごい絵が施されている部屋なんです。
これが冒頭にお伝えした、芸術によって囚人を強制、公正させていたっていう。
公正のためにデザイン性のあるものを施すってこと?
そう。これすごいのが、写真写ってるかもしれないですけど、ちょっと壁に絵が描かれているわけじゃなくて、
部屋だから4面壁があるわけじゃないですか。4面全部に壁一面に絵が描かれていて、天井とか窓の3とかにもペイントされてるんですよ。
本当にそこだけ見ると、とてもここが牢屋の中にしかとは見えない、デザイナーのお部屋かなっていう。
それはあらかじめ施してあるところに囚人を入れているってことですか?
それはね、もともとは囚人が描き始めたらしいんですよ。
そういう多分、絵描きだったのかなっていう人は、めちゃめちゃ上手いんですよ、絵も。
ラッセンの絵みたいな。下手な絵じゃなくて、絵描いてて。
で、もともとはやっぱりダメなんです。オフィシャルには絵画っていうのは絶対ダメなんですよ。
暗号の伝達とかに。
確かにね、怖い。
絶対ダメなんですけども、フリーマントル刑務所の中で絵を描くこととか、
芸術作業が囚人の心のゆだりをもたらして、公正に役立てるっていうデータが取れたらしくて、
それが分かってからは、表向きには禁止されてるけど、暗黙の了解で許容されてたっていうお話がありました。
その中、不思議な絵とかなかったんですか?
芸術と公主台
何?
精神状態の。
絵はね、全然そういうのがなくて、本当に絵として美しい絵。
えー、そうなんだ。
だから、やっぱりフリーマントル港町なんで、海のテイストの水色とブルーの一面部屋になっている美しい絵もあれば、
なんかその砂漠地帯なのかな、茶色とアフリカの色合いっていうか、っていうお部屋もあったりとかして、
絵が施されている部屋によって、その人の趣味がすごい分かる。
ちゃんと絵が上手い人が多分描いてる。
そうなんだ。
だし、お部屋だけじゃなくて、面会の部屋とかのちょっとしたところにデザインっていうのが描かれていたりとかしてて、
すごいオシャレだなって。
なんかオシャレっていう表現があっているのか分からないんですけど、率直にオシャレって感じちゃいましたね。
なんかその、幼稚園みたいなね。幼稚園とかもそんな感じじゃないですか、壁紙とかね。
あー。
なんか感性を働かせるようなものとかね、そういう目的もあるんですかね。
そうですね。本当になんか絵として美しかったんで、なんかそれがこんな重苦しい独房の中で見られるっていうのが、なんだこれっていう感覚。
すごい単純に冒頭にね、金谷さん言ったように、思いだけのなんか感情じゃなくて、なんかへーっていう、面白いっていうのがありましたね。
ということで、最後にね、ツアーの最後に行ったのが公主台で。
公主台。
はい。処刑所です。
はい。
死刑執行する部屋です。
このフリーマントリー刑務所では公主刑がされてたんですけど、行くと本当に独房のすぐ近くなんですよね。こんな近いのっていうところに。
へー。
外なんですけど、公主台がありまして。
フリーマントル刑務所の見学
天井にね、鉄パイプがあって、そこに紐が、ロープが垂らされていて、輪っかになってるんです。
で、椅子が置いてあって、床が開閉式で開くようになっていると。
日本みたいな感じなんですね。
そうですね。
で、地下通路があって、そこで遺体を回収するようになってるんですけど、もう本当にそのまま残ってて、1960年代ぐらいまで使われてたみたいです。
へー。
なんで囚人が座って、手綱をかけられて、目隠ししてなんですかね。
で、ドンってやったら床が落ちて、そのままギュってなるっていう。
へー。
見させてもらいました、最後に。
うーん。
まあ本当、どんより。
どんより。
本当。
どんより。
確かにね。
みんなで見た?
みんなで見た。
どんな感じでした?息子さんとかまあまあ結構わかるじゃないですか。
何するのっていう。
何するの確かにね、衝撃ですよね。
もう全部包み隠さず話しましたけどね、死刑っていうのがあってっていう。
なんか囚人だし、もともとね、初期に連れてこられた人たちっていうのは多分そういう手段じゃなくて、
本当になんだろう、1900年代入ってからの残虐な犯罪を犯した方々が、そこで放死刑してたんじゃないかなと思うんですけど、
まあね、言っても悪い人たちだけど、人の命のなんていうかっていうものをちょっと考えさせられたなっていう場所でしたね。
ということで、今回ちょっと初めてダークツーリズムっていうものを海外でしてきたわけですけど、
なんか本当にいろんな感情で、暗くてどんよりするし、でもなんかそのオーストラリアのできた形成の元になったわけじゃないですか。
そういうなんか開拓の歴史もわかれば、なんかその絵が後世に使えたっていう、
あ、そうなんだっていう結構ポジティブな発見もあるし、
でもなんか命の重たさっていうか、罪を犯すということの重みというか、
確かに刑務所っていうのはやっぱ処刑場は必ずありますからね。
そうなんですっていう、なんかちょっと一言ではうまく話せない、いろんな感情感想がドバッと押し寄せてきました。
うまくちょっと伝えられないですけど、
でもそういうものなのかなとちょっと思いましたね。
一言じゃなんか感想を述べられない。
ただ、行くとやっぱその街の出来方っていうか、この街ができた理由っていうのがすごくわかる気がして、
それがやっぱアイデンティティにもなっているのかなって思うんですよ。
ダークツーリズムの意義
なんか広島もやっぱそうですけど、地元の原爆っていうものを外して広島っていうアイデンティティがないし、
なんかそういった場所って暗い歴史とか繁盛っていうのは起こっているけど、
それが今の人たちのアイデンティティにもなっているのかなっていうのはちょっと感じましたね。
まあ確かにそうですよね。
その歴史をもって多分、なんか私たちも形成してもらうじゃないけど、
作られていくじゃないですか。考え方とかも育んでもらえるしとか。
どうでした?
いやー、でも私ね、大学時代、法律学科で刑法とか結構やってたんですよ。
だからいろんな国の刑法というか処刑法とかもいろいろあったりとか、殺人のこととかも結構やってたりはしたので、
途中的に興味のある場所でもあるんです。
でも、実際刑務所を回るっていうのはやったことがなくて、
サンフランシスコに行った時はアルカトラズっていう結構有名な刑務所として使われてた場所があって、
そこ行こうかなと思ったんですけれども、一貫性ちょっと一人だったので、現地で。
なかなか一人であそこを回るっていうのもちょっと勇気があるなって思ったので、行かなかったんですけれども、
でもすごい興味があるかなとか、国によってやっぱり刑務所のあり方とか、どういう考え方っていうか、
出刑、刑事じゃないの、監獄されている人に対してどういう扱いだったんだとかもちょっと違うじゃないですか。
そうですね。
それこそイギリス寮だったわけだから、イギリスから来た考え方とか文化とかも取り入れられつつのそういう場所だったと思うんですけれども、
アメリカっていうのもまたちょっと違いがあったりとか、それこそ日本も日本って違いがあるしとか。
確かに。
でもね、罪を犯すっていうのはこういうことなのかなとか、果たしてこの罪に対してこの扱いっていうのが正しいものなのかも分からないね。
それも考えました。
考えました。
あるんですけれども、人間が決めたことだからそれに対して正しいって判断するかどうかっていうのは人それぞれの価値観かもしれないけれども、
なんか人が試行錯誤していって変えてきて今こうなっているものって考えると、ちょっとこう仕方ないのかって思う部分もあるしとかね。
いろいろ考えさせられるんだろうなとかね、思いますね。
そうですね。
まあきっとベストはないんでしょうね。
最善を探るしかないっていうか。
でもきっと変わってきてるじゃないですか。
だって三角防疫があった時代なんてさ、黒人奴隷制があるっていう、それが当たり前の時代だったけれども、どんどんそれがさ、それ良くないよって塗り替えられてきて変わっていって今があるっていうのを考えると、やっぱり刑務所にも同じような歴史があるしとかね。
そうですね。
これからも変わっていくんだろうなって思うしね。
そうですね。
ちょっと言い忘れたんですけど、当然そのイギリスから来た犯罪者の方以外にも現地のアボリジニを捕まえて入りつたっていうこともあるので、やっぱそれなりに反省を残している場所で。
そうですよね。
旅行の一つのエッセンスとして、単に観光を楽しむっていうのもありなんですけど、こういった不の場所とか歴史とか教訓について考える目的で、そういった場所を巡るのも一つなんかより観光を奥行きを与えてくれるというか、視点をもっと豊かにしてくれると思うので、
ぜひダークツーリズムということができる場所であれば参考にしていただけたら嬉しいなと思いまして、今回ご紹介させていただきました。
観光と歴史の融合
はい。
ということで、今回の世界遺産はオーストラリアの囚人収容所遺跡群からフリーマントル刑務所でした。
はい、ありがとうございます。
ちょっとどんよりしちゃいましたね。
どんより、でも私もちょっと不の遺産はね、海外のとかも行ったことがないから、今度ちょっと行ってみたいなって思います。
ああ、そうね。ちょっと聞きたいですね。なんかいろんな人の視点で。
はい。
ということで、今回もお便りが来ているので。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
いつも全部読んでます。
全部読んでます。
はい。ありがとうございます。
本当に惜しいんですけども、今回もピックアップ制でご紹介できればと思います。
ではまず、僕から。
はい。
第106回LGMの遠景統一のエピソードから、むっちゃんさんからお便りいただきました。
ありがとうございます。
みどさん、かないさん、こんにちは。
こんにちは。
みどさんはカエサルがお好きなんですね。
私もカエサルの大胆さが面白くてすごく好きで、みどさんが好きだというのを聞いたとき、みどさん、お前もかと思いました。
みどさんがおっしゃっていたように、そこの土地についての歴史だったりを学んでから行くというのは、歴史だったりを学んでから行くというのは、世界遺産に限らずそこをより楽しめるようになるし、そこから感じるものも多くなるような気がします。
知識をつけるのは好きなので、私も旅行前には歴史について調べてから行こうと思いました。
という感想をいただきました。
ありがとうございます。
聞きながら行ってくださる方が最近多くて、行き先を聞いたからここに行きますとか、きっと旅の現地のどこを回るとか、どういう歴史があるというのも参考にしてもらっているのかなというのを、最近実感しつつあるんですけれども、こうやって使っていただけるとすごく嬉しいです。
ヨーロッパ方面に行っている方で、聞いてから行ってくださる方が多いですよね。
多いですね。
モンサンミッシェルに行くバスの中で100回のモンサンミッシェルのエピソードを聞いてくださったというリスナーさんもいたり。
場所によってはガイドさんとかをつけなくても、モールができているものとかも結構あったりするので。
オーディオガイドとしてもね。
全然使っていただけるから。
それこそモンサンミッシェルなんかオーディオガイドで行けるんじゃないかなと思っているので。
今回のフリーマントルとかみたいに中に入って、どういうところなのかっていうすごい詳細のところまでやるのはオーディオガイドとかあった方が分かりやすいと思うんですけれども、
そうじゃないところとかもね、基本的にガイドつけないで回ったりとかもしていますもんね。
だから聞いていただいてガイドガイドしていただくっていうのはありかなって。嬉しいです。
ムーチャーさんありがとうございます。
ありがとうございます。
そして。
私からですかね。
第107回アルルの回ですね。
こちらにフェリックスさんからお便りいただいております。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ローマ帝国が滅んでも要塞としてまた住宅として利用され、その建築様式をロマネスク建築群に継承させたことに、アルル円形陶器場の意義があるんですね。
余談ですが、神戸、福島、東京で開催予定のごっこ展では、夜のカフェテラスが20年ぶりに来日します。
なんと。
ありがとうございます。
夜のカフェテラスは僕が好きなごっこの絵ということで紹介したんですけど、
日本に来るんですか。
ですね。
結構そこら中で見るかも。
そうですよね。
あの色合い、なんかカルディみたいな色合い。
カルディの袋っぽい感じがしますけれどもね。
これもちょっとチェックしたいですね。
気になりました。お話聞いてなおさら。
ありがとうございます。
続いて第108回シーギリアの会にタモンさんからお便りをいただきましてありがとうございます。
ありがとうございます。
カッサパ一世の母は庶民ので、対して弟の母は高い身分の女性だったとか、壁画の女性に母を重ねていたのかなと思いました。
排水技術は現代人が失った第六感的な力を使っていたのかもです。
ちなみにブザービート第2話には、みなみさんがゲストで出ていましたねということで。
みなみ圭介さんね。
私もね、気づきました。
バスケの練習試合のシーンかな。
なんか見たことある人がいるくらい。
わかりますね。
そういう感覚で見ちゃうから。
あれっていうね。
なんか知ってもらうくらいの。
誰かが他のところも出てなかったなーくらいの感覚で見てて。
よく考えたら、あらこれみなみさんじゃないかと思って。
みなみさん出てましたね。
バスケやっていらっしゃったんですよね。
バスケ選手っていう感じの風格で出てましたね。
ありがとうございます。
カオサパー1世は弟と母親が違うんですね。
そうか。
いろんな思いがあったんでしょうね、そこに。
シリギリアの世俗の話でも本当に血で血を争うような話ですもんね。
その話はさ、若干グロテスクというかさ、何だろうね。
そういう家族感があるけれども、
基本的に隠れ住んで自分の好きなように内装を施したりっていうお話は
私個人的にすごく好きで。
確かに。
野島の下院城とかもそうなんですけれども。
ルートビヒね。
ルートビヒってすごく芸術が好きでとか、
彼もね、政治にあまり関与しなかったとか、
いろいろ問題があったので、
追放されちゃったけれども、
でもそういう周囲に没頭して作った。
面白いですよね。
だって18世紀じゃないですか。
18世紀って建築用紙じゃなくて、
それを中世が好きだから、
そういうのを作っちゃって、
それがゆくゆく世界遺産になるわけじゃないですか。
本当に個人の趣味思考が
先々世界遺産になるかもしれないということですよね。
確かに。
でもさ、あそこの面白いところは、
ルートビヒって誰にも自分の芸術とか作品を見られたくなかった。
城に人を入れたくなかったわけですよ。
でも今はさ、
彼が亡くなってからはいろんな人たちが、
彼が亡くなってすぐ公開されたらしいんですけど。
ちょっとこうね。
やっぱ独占欲って良くないもんですね。
確かに。
そうなっちゃうんだなとかさ、
やっぱ彼は本当は変って欲しくないところに
踏み入れるんだなという感覚で、
現地にもし行くんだったらそういう感覚になるのかなと。
世界遺産にもなっちゃって。
とんでもない日が来ちゃうんだから。
結構そういうね、
作品大好きですよ。
余談だったんですけど。
ありがとうございます。
ということで、
行きたくなる世界遺産では
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50超えるようになってきたんで
100以上の星の投票数があると
すごく番組も盛り上がるかなと思うので
それだけでもっともっと頑張ろうと思えるので
です。
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今週はこの辺りですかね。
はい。
また来週。
こうご期待あれということで。
はい。
ではまた来週お会いしましょう。
バイバイ。
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41:23

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