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伊秩弘将のMusic Share Lounge
みなさん、こんばんは。音楽プロデューサーの伊秩弘将です。
今回3回目になりますけども、伊秩弘将のMusic Share Lounge
この番組はですね、来年いよいよ40周年を迎える私、伊秩弘将が
どうやってこの業界に入ってきたのかということとか、今の心境、それから
これからの音楽に対しての諸々を語っていきたいという
ラウンジトーク番組になっております。この番組のアシスタントはこの方です。
アシスタントのヒーナです。よろしくお願いします。
昨年9月1日、作詞作曲のWANNABE KISSでデビューさせていただきました。
どうですか?
歌詞を見た時に、すごい大人っぽいなって思って、
その時、まだ私が10代で歌詞を見た時に、
大人っぽいな、私に表現できるかなってちょっと思ったんですけど、
曲も聴いて、歌詞も一緒に見てて、
この曲、私が絶対歌いたいって思って、
自分なりにですけど、ちょっと表現してみて、
声のイメージからかな。
そういう子供っぽいものではないなっていう感じかな。
女の子というか女性という感じだったんだけども、
やっぱり曲を提供するっていうことに関して言うと、
自分から出てくるものを、そのアーティストのフィルターを通して発表するってことになる。
声なのかキャラクターなのか、ビジュアルなのか、
いろんな要素があるけども、声はでかいね。
声がでかいのと、出来た話をしたいし、
その子のどういうモチベーションがあるのかなとか、
あと目的意識とか、
本話化してたら本話化なり、パワーがめちゃめちゃあったら、
パワーを出すのか、逆にパワーを引っ込めてどうするのか。
そういういろんなことを考えながら、それを音符にするという。
だからすごく面白いよね、音楽ってね。
音の工程だけで、人が必ずメジャー進行、
ドミソーっていうメジャー進行だと明るくなり、
ドミソーってちょっと同じかな。
マイナーコードだと暗い気持ちになる。
なんかすごい音の工程だけでそういう風になるって、
すごい不思議なマジックだなと思ってて、
それはコードにも言えるし、
コードの上にメロが乗ってくるカップリングもすごく大事だし、
そういうことを僕はすごく感じたのは、
1回目に僕は小学校の頃にピアノに出会って、
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なぜか3年生の時に曲作りを開始できて、
すごい天才じゃん、作曲家になりたいと思い、
6年生にいたり、そこからの話をしていなかったよね。
中学に入って、世の中はフォークブームで、
フォークってわかるかな、アコースティックな、
自分で曲を作り始める人たちが出てきたという、
まだ76年くらい、1976年くらい、
だから今から考えると超紀元前の話なんだけど、
70年代の頭っていうのは、まだまだ日本全体が暗くてね、
ようやくテレビがカラーに変わり始めたあたりで、
カラーに変わり始めて何が起こったかっていうと、
アイドルが誕生したのね。
ようやく日本に対してそういうものが出始めた頃だから、
成熟してきて、76、77年くらい、
自分で楽曲を作るっていう人たちが割と前に出てき始めた頃で、
それこそユーミンとかがすでにいて、
飛行機雲とかが出てきて、
僕もそういうことに影響され始めて、
詩を書き始めたんだよね。
中学時代の間に詩曲で100曲くらい作って、
今度は詩曲を作ることがすごく楽しくなって、
今は絶対見せられないようなすごい拙い詩なんだけど、
でも詩曲が100曲くらいできて、
その頃は、
小学校の頃に感じた自分の作曲というものに対しては、
クラシックだったから、
死んでからしか評価できないのかなと思ったんだけど、
そのポップスと出会ったことによって、
もしかしたら、生きてる間に評価されたら、
有名になれるかもしれないみたいなね、簡単に言うと。
という感じだった。まだビートには出会ってないんだよね。
ビートがなくてもできるアコースティックの詩曲に出会った。
高校に入ってからようやくビートに出会うんだけど、
ロックだよね。エアロスミスとかローリングストーンズとか。
そういうものに出会って、自分が歌い始めるんだよね。
もちろん詩曲を作っている時も歌ってはいたんだけど、
人の前で歌おうという気持ちは全くなくて、作品を作ろうと思ってた。
歌い始めたのは高校?
高校の時に文化祭くらいから、
今の俺がリビデオでやっているような、
歌いながら表現するということをしてみたい。
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簡単に言うとデビューしたいという気持ちになってくるよね。
そうですね。
その頃の自分は、小学生時代の作曲家の憧れを置いておいて、
当時の作曲家、作詞家の仕事をしている人たちは、
本当に大御所の人たちで、レコード会社付けの人たちとか、
歌謡会の向こう側にいるようなお偉い先生方しかいなかったので、
恐れ多くも自分がそういう職業になろうとは全く思っていなくて、
単純に自分がデビューしたいという気持ちで思っていて、
文化祭とかで歌って気持ちいいと思いながら、
ここがポイントなんだよね。
結局それは好きってことじゃん、音楽が。
好きなことを職業にするっていうのはこんな甘いもんだよね。
そう。きっかけが私と全く一緒で、
私も高校の文化祭で歌って、それがきっかけだったんですよね。
そうなんだ。でもね、きっかけはいいと思う。
でもそこからが大変だよ。
そうですね。
自分しかいないよね、作曲ってすげえ、俺すげえと思ってたんだけど、
だんだん中学、高校になってくるとみんな作曲してるやつに出会うわけよ。
増えてくるね。
すごいやつも出てくるよね。
コンテストとか出始めると、先々週だっけ、やっぱり一時で落ちたりするわけ。
やっぱり総合力だったりとか。
僕はこだわってたから、難しい曲ばっかり書いてたから。
そういうようなことを経験しながら、
なんとなく自分の中でポピュラリティっていうものに対して、
分かりやすさっていうのかな。
を学びながら、高校時代を好きな気持ち良さとともに売り込みを始める前夜だったんだけども、
18歳の前にそういうことを感じながらやっていて。
18歳の頃から売り込みを始めて、先々週言ってたあるディレクターに対してずっと100本ぐらい売り込んでたんだけども、
作詞家としては引っかかったんだけども、まだまだ僕の主流である曲ということでは全く引っかかってなくて。
今でもあるんだけど、青山一丁目のツインビルっていうのがあるね。
東館、西館っていうのがあって。
東館に先ほどの方がいて、西館に先ほどの森高千里さんのレコード会社があって。
東館の方に佐野本晴さんの本に影響されて、佐野本晴さんっていうのはロックンローラーとして1980年にデビューされた、
非常に歌詞に重きを置いた新しいスタイルのロックンロールスターだったんだけど、
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彼を僕すごく好きで、彼のことを書いた本があって、
そのレコード会社のディレクターが彼のデモテープを2曲聴いて、
佐野君とやってみたいというエピソードが書いてあって、これは好きでね。
アマチュアの自分としてはそういうのに痺れるじゃない。
じゃあ僕は3曲持っていこうと思って。
3曲、〇〇様、この才能にピンときたら電話ください。
今でも忘れない。
バイト先の電話番号書いて、渡しといた。
1月半くらいして12月27日の最後のバイト先にかかってきたんだよね。
かかってきたんですね。
イジチ君電話だよって。
エピックソニーの〇〇です。
年末だから今来れるって言われて。
昼のバイトだったから。
夕方終わって、その日は最後だったから僕はデニムの、
あんまりかっこいい格好してなかったんだよね。
帰る暇もないし。
そのまま行ったら、自分のデビューの話じゃなくて、
渡辺美里っていう子がいると。
去年マイレボリューションでブレイクしたんだけど、
知ってますよって。
彼女の曲を書いてみないかって言われて。
ちょっと一瞬固まった。
デビューじゃねえんだと思ったんだけど、
一瞬固まった後に、これはチャンスかもしれないぞと。
という話が自分の中に噛み砕いて、その短い間に。
だんだん自分の中でこの2,3分の間に盛り上がってきて、
分かりました。年明けに持ってきますって。
エピックの当時のタワーレコードっていうのがあって、
タワーレコードと同じ黄色い袋だったんだよね、エピックも。
そこに美里のレコード2枚入れてもらって、
帰っていったのがすごい思い出深いね。
で、あくる年に曲を作って、1月の5日かな。
1曲すごい気に入ってもらえてね。
話なんだけど、西館の人が怒っちゃってね。
そうなんですか?
あれ?いじちよ。今までずっと俺が面倒見てきたのに。みたいな話があるわけだよ。
そういうのがちょっとあってね。
一回、美里さん断ったんだよね。
それギリギリとして書くなと思って。
泣く泣く断りに行った。
でも、美里の曲はもう当分聴けない。
1曲入りそうだったのに、と思いながら。
2月に入って、もう一回かかってきて。
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とにかく全員集まってるから、もう一回エピックに来てくれと。
行って、とにかくこの曲をやりたいと。
君が思ってるようなことはきっとないから大丈夫だよと。
その足で今度は西館に行って、また連絡きて今会ってきたんです。
イジチすげえな、みたいな話になり。
まあちょっといろいろありまして。
佐藤のデビューの方は、本当に新人として僕をちゃんとやろうとしてくれていたから。
じゃあこっちペンネームで行かせてくださいって僕が言って。
ヒーローって名前にしたの。
名前を変えて。
だって同じ月に出ることになったの。
しかもそちら側の方がちょっと後になっちゃったから。
という感じでこの業界に入ったんで、僕としては嬉しいんだけど、すごいモヤモヤしながら。
いやー大変だなと思いながら。
でも絶対に断りたくなかったんで。
その時は非常に頑張りました。
チャンスですもんね。
だから今僕がイベントやってるんだけども、そういうような気持ちも含め、
やっぱりこの業界というのが音楽をちゃんと自分で発表したり配信したりしながら、
より多くの人たちに聴いてほしいというきっかけの中で、
やっぱりライブっていうのはすごい大事だったりするし、生なんで。
そういう場所を僕は持ってるので、そういうところに今回のオーディションで、
感性とか世界観とかっていうのが僕なりにピンときた人たちは一回出てもらいたいなと思って。
なので皆さん、通称リビドアって言うんだけど、
後でまた話しますけども、このオーディションに対して皆さん応募してもらいたいと思っております。
では教えていただいたオーディションの件について、石井さんから改めてお伺いしたいんですけど、
どのような方にオーディションを受けてもらいたいですか?
そうですね、最近は本当に、昔はやる気とかキラキラしてなきゃとかあったけど、
全然病んでたりする中で作る曲だったり、出てくる言葉とかもあるじゃない。
僕だって病むことってあるわけだし。あるよね。
だから、表に出る出ないというよりも、自分が考えているようなものが音になったものを単純に聴いてみたいなという気持ちなので、
あんまり装飾せず、生な自分を出してもらえれば嬉しいなと思いますね。
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じゃあ特にジャンルとかも。
そうですね。
ここで石井さん出演のスペシャルイベントのお知らせです。
吉田てるみ、ロバだけど75歳。マイク生活50周年プラスワン。
入院したけどまだまだマイクは離さない。日程はロバの日なので6月8日の月曜日。
会場は東京お茶の水の全田通ホールで18時半開演です。
吉田てるみさんのイベントですが、司会はみおちゃん。
イベントは、いじちひろまささんに小池みなみさんと豪華なメンバーです。
詳しくはSNSで情報チェックください。
1回イベントの前にお会いしたいと思ってたんですけど、お会いしまして、
次回の配信で皆さんにどんな感じだったか聞いてもらいたいと思っております。
それはビッグニュースですね。
楽しかったです。
5月30日配信では吉田てるみさんに登場していただきます。
そしていじちさん、私、ひいなも所属しているアワーソングス第2制作部では
随時新人アーティスト、タレントを募集しています。
またいじちひろまささんがオーディションを開催していますので
アワーソングス第2制作部のXアカウントをご確認ください。
そんな感じで3回目。楽しかったです。
ということで次回配信は5月30日土曜日21時となっております。
お会いしてはいじちひろまさでした。
ひいなでした。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。