番組紹介と伊秩弘将の音楽活動
伊秩弘将のMusic Share Lounge
みなさん、こんばんは。音楽プロデューサーの伊秩弘将です。
先々週から始まりました、伊秩弘将のMusic Share Lounge。
この番組は、来年40周年を迎えてしまう私、伊秩弘将が、今までの活動歴、今の心境、これからどういうことをやっていきたいかということを
自分なりに掘り下げながら、自分の音楽というものを、みなさんとシェアしていくラウンジトーク番組となっております。
この番組のアシスタントは、この方です。
アシスタントのヒーナです。よろしくお願いします。
どうも2回目、よろしくお願いします。
作詞家デビューへの道のり
昨年9月、伊秩弘さん作詞作曲の、WANNABE KISSでデビューさせていただきました。
先々週も言ったんですけれども、最初というのは、いろんな思い出深いというか、
今日はその辺の話を、売り込みというか、当時はコンテストというのかな、
そういうことを経ながら、どうやったら音楽というもので、職業というかな、
していけるのかなという、当時僕は22歳。
社会に放り出されたのが22歳。
それまでは何となく、ギリギリまで学校にしがみついていたんだけれども、
いよいよ社会に出たのが22歳なんだけれども、
18歳の頃から、業界なるものに対して門を叩き始めた。
今と違って、さっき言ったコンテストというのが主流で、
レコード会社が非常に力を持っていて、大企業だから、予算もいっぱいあるし、
大きな会場で本選というものは行われていて、審査員もすごい人たちがいっぱい来て、
そこに至るまでには地区予選とか、東京は大きいからさ、
もっと小さな1時、2時、3時とかを経てようやく、本選行くまで4回、5回くらいあるのかな。
どんどん勝ち上がっていかないと。
だいたい1時で落ちていたわけよ。
しかも本選まで行っても、最終的に入賞しないと終わっちゃうし、
1年に1回しかないので、人生終わっちゃうじゃん。
僕は待てない性格だから、矢印を逆にして自分から扉を叩こうかなと思ったのが18歳の時。
そうですね。
自分のことを気に入ってくれそうな方を、今は、それこそシェアになっちゃったけども、
CDもなかなか見なくなってきたけども、大きなレコード盤の後ろに必ずスタッフの名前が書いてあるわけ。
ディレクターとかプロデューサーとかね。
そこの人たちの名前を見て、好きなアーティストの何人かピックアップして、電話をガンガンかけまくり始めて。
それで、レコード会社も7つ8つあったかな、でかいのは。
7つ8つぐらい売り込み始めて。
同じ楽曲に対して、ディレクターが言うことに対してディレクターのメモを書き始めて。
この人いいよな、いいんだけどやっぱりちょっと僕と音楽は合わないなとか、この人ちょっと話しにくいんだけども、僕の本質はすごくついてくるなとか。
すごい自信あったのにこの曲をこういう風に捉えるなみたいな話を、だんだん1年2年やっていくとね。
18、19ぐらいで分かってくるという中で、やっぱり今後ずっと僕の人生に対して非常に影響を与えてくれたお二人に出会っていくんだけども、
その中の一人が僕の作詞家デビューに非常に大きく協力してくれたというか、方がいて。
その人の100本ぐらいかな、デモテープ渡して。
1回そこでデモテープ取って、会議にかけるわけよ。やっぱりレコード会社でかいから。
1ディレクターが会議にかけると、いろんなディレクターがその会議にかけるから、やっぱりその会議で落ちちゃうんだよね結局。
落ちちゃったよとかさ、もっと頑張ろうねみたいな話をしながら、人間関係がすごいできてきてて。
よくラーメンご飯になったり、いつも車でドライブしてるみたいな感じの関係もなってたから。
そういう中で、イジチュの曲は難しいと。でも詩はなかなか面白いんじゃないのっていうことを言ってくれて、
今度デビューする女の子がいるんだけどっていうことで、それが森高千里さんだったのね。
当時17歳で。だから僕は作詞家になるつもりは全くなかったんだけども、なぜか作詞家デビューをそこで果たすと。
だけどこれは業界入りだよね。
コンテストでも本選でも1年に1回しかないようなものでも入れなかったようなものがフッと入れちゃったわけ。
一応、どっちでもいいけど入れたっていうことはデカくてね。
そういった意味では僕は、後で再来週に話すんだけども、作曲家デビューも全く同じ月だったんだよね。
これは測ったように別のアーティストで。
そういうようなものが当時1985年から2年間の間に僕の中でチャンスとして訪れたという意味では、森高千里さんのデビューは僕の中では非常に大きかったですね。
その後の進行とかって。
もう本当にプライベートに飯食いに行ったりとか。
今彼女も57、58、ここまで全くやってると本人も思ってなかったと思うんだけども、
当時17歳だからね。
それこそ40周年になるんだよね。
やっぱり、おいおい彼女のことは掘り下げてまた別のコーナーでいずれやりますが、
一つのブランディングというか、この子のここがすごいよっていうところを見つければ人は生き残れるんだよね。
このデビューの時は何者でもなかったの、彼女は。
ただそれこそデビューしただけ。
しかも友達の応募で優勝したからデビューしただけ。
歌も歌ってみないって感じ。
それが森高千里のデビュー。
なんだけどこれだけ残ってるってことは彼女の中に何かあったと。
森高千里のブランディングと才能
しかも僕を見出してくれたディレクターの人がそれを見出したんだよね、彼女に対して。
それは今度はゆっくり話すわ。
ありがとうございます。
この続きは次回お楽しみということで、オーディションの件を井口さんから改めてお伺いしたく、どんなオーディションですか。
そうですね。オーディションという言葉はいろんな捉え方があるんだけど、
さっきの一つのチケットというか切符みたいな、この業界での切符っていうことでもいいし、
今ってもうそこがすごい曖昧になってきてるから、
何が、っていうところの線がなかなか難しいんだけども、
ただ、音楽ということで一つ皆さんの前で自分の楽曲なのか自分の歌なのかを発表できていくということに関して言うと、
そうだね、やっぱり何かのきっかけになってほしいかなっていうところかな。
それを僕の感性というか、いうところで引っかかってくるものがあれば、ジャンル問わずかなという。
ジャンル問わず。
ありがとうございます。
ここで井口さん出演のスペシャルイベントのお知らせです。
吉田てるみ、ロバだけど75歳。マイク生活50周年プラスワン。
入院したけどまだまだマイクは離さない。日程はロバの日などで6月8日の月曜日。
会場は東京お茶の水の全田通ホールで18時半開演です。
吉田てるみさんのイベントですが司会はみおちゃん。
ゲストは井口ひろまささんに小池みなみさんと豪華のメンバーです。
詳しくはSNSで情報チェックお願いいたします。
吉田さんとは何回かお会いしておりますが、非常にナチュラルで75歳と思えない方です。
なのでイベント前にもう一回プライベートでお話できたらいいかなと思っております。
オーディションと新人募集
私もお二人のトーク楽しみにしております。
情報は各SNSで随時発信していますのでチェックください。
そして井口さんも私ひいなも所属しているアワーソングス第2製作部では随時新人アーティスト、タレントを募集しています。
また井口ひろまささんがオーディションを開催していますので、アワーソングス第2製作部のXアカウントをご確認ください。
今日も2回目終わりましたけども、振り返ると相馬灯のように色々出てくるね。
そうですね。
配信は5月16日土曜日の21時になりますが、再来週になるのかな。
今度は作曲家としてのきっかけ、さっき言ったように全く同じ時期に業界入りした作曲家の方の井口ひろまさを紹介したいと思っております。
お相手は井口ひろまさでした。
ひいなでした。
それではまた来週。