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伊秩弘将のMusic Share Lounge
伊秩弘将さんは今後、音楽というのは漠然としてますけど、
好きな方向、それから自分が楽しい方向とか色々ありますけど、
どういう方向に向かっているんですか?
僕自身?
そうそう。
僕はずっと、なぜか作曲家になったんですね。
僕はそういうつもりはなかったんですけど、たまたま売り込んだら、
これちょっと、あの子にいいんじゃないの?みたいなことで、
これ作曲家になるものに業界入りできたんだって思ったのがきっかけだったんですね。
私もそうなんですよ。
それまで普通に売り込んだんですよ。自分で歌おうと思って。
ずっと来て、それが40年、来年になるわけですけど、
まあ、1回くらいね、アルバムそろそろ作ってもいいかなという気持ちになってきてるかな。
そうしないと、なんか自分に対して、結局こっちでいい感じになったから、
なんかそのまま来ちゃっただけの人生だなと思うのもなんなんで、
自分のアルバムというものを。
僕3枚作ってんですけど、ちっとも自分のアルバムじゃなかったんで、今思うとね。
そうなんですか?
全く自分のことはっきりできなくて、なかなか難しいですよね、自分の。
僕はそれ全然わからない世界だからあれですけど、何が難しいんですか?
まず歌詞が難しいですよね。歌詞と、やっぱり欲があるから売れたいと思う。
だから当時のサウンドみたいなのに取り入れたりとか、今聞くと本当気持ち悪いですよね。
でもやっぱり売りたいっていうのは、作る人にとっては誰もが持つ感情ですよね。
でもそれ人に対して曲作るんであればいいんだけど、僕が歌うイメージは、
自分だっていうことになると。
自分がちゃんと出した上で、まあいいよねっていう。
それがめちゃめちゃ売れなくても、コアがすごい付くのでもいいし、
とにかくそういうような感じじゃなかったので。
そうなんですか。でも間もなくそれが実現する可能性が。
実現したいかなとちょっと思ってますけどね。
いいですね。すごいのを期待したいと思います。
いやいやいや、もう今回3曲提供させていただいて。
いやいやいや。
僕の、そこに赤澤がいますけど、
何か言われた時に嫌だなと思うんじゃないですか。
普通は、わけの分かんないアナウンサー崩れの楽曲を作るっていうのは、
どこから行くんですか、これ。
憧れっていうのはすごくいい曲だと僕は思うんですけど、評判もいいし。
あれはどういう形で詩が先なんですか、曲が先なんですか。
曲先です。憧れともう1曲は。
ロマンに関しては詩が先なんです。
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詩が先なのは100%のうち5%もないんですよ。
だから詩に対して曲を作るのはすごい新鮮だったのと。
作りづらいんですか。
作りづらい…全く違いますね。
無から作る曲とそれに当てる曲。
でも何か当てていったらできちゃったって感じですかね。
そうなんだ。憧れは詩が先、曲が先なんですね。
どういう風にして着想するんですか。
やっぱりなんすかね、声が清らかだったんですよ。
僕の声、何を聞いて清らかだと思ったんですか。
曲がったところが1個まで。
その映画はすごくハマったんですよ、僕の中で。
とにかく映画の中で映える感じというところと、
ちゃんと滑舌よく歌詞を歌っていただけそうな感じというところかな。
あの曲は僕がいただいたんですけど、
誰か他の方でカバーしてもらって、
すごい人がいたらめちゃくちゃ売れそうだと思うんだけど。
いやいやいや。
ダメなの?
ダメですよ。
あれはだけど、もったいない感じすごく。
申し訳ない。ありがとうございました。
いやいや、もうめちゃめちゃドンクしてた。
でも誰でもお願いすれば作ってくれるわけじゃないですよね。
イメージがわからないと作れない。
やっぱそうなんだ。
でもイメージ湧きましたんで。
本当ですか?ありがとうございました。
イメージ湧きました。
本当に、過去いろいろ作っていただいて、
やっぱ憧れは最高だと僕は思ってるんですけどね。
いや嬉しいです。
ありがとうございました。
あれは歌詞もすごくよかったんで。
そうですよね。
このぐらいの歳になるとね、一日でいろいろ考えちゃいますよね。
今、僕と先ほど確認したら一回り違うんですよね。
そうなんですよ。
63ですよね。
そうですね。この前なりましてね。
どうですか?全然中年の延長線上に立ってるぐらいの感じですよね。
まだそうでしょうけどね。どうですか?
僕もそんな感じで、それこそご協力いただいた川崎実監督のロバマンが68歳だったんですよね。
あの頃まではまだ中年が続いている感じでいたんだけど、70歳を超えるとやっぱりいろいろ来ますね。
入院も去年しましたけど、入院経験はあります?
ありますね。ありますけど結構昔ですからね。
そこはおかげさまでね、入院したのは僕は登校拒否に一回なって。
そんな事態があった?
自立神経失調症って言われて入院したんですけど、隣が女子の部屋で、こっちは男子でね。毎日楽しくて楽しくて。
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これ学校見たら落ち着いて。
戸川恭子さんって言ったよね。
僕戸川恭子さんと仕事したんですよ。
その話を今日ね、是非したかったんですよ。
僕もね、戸川恭子さんが亡くなったのが本当に悲しくて。
それこそ矢沢さんにインタビューしてることもあって。
当時中学2年生の時の同い年でね。
すっごいいい子で。
同い年なんだ。
すっごい初めて会ったのに。
しかも入院してる。
え、その時期に?
そう。その時隣の病室だったんです。
僕、新人さんっていうあだ名で初めて入ってきたから。
みんな紹介してくれて。学校みたいですよね。
今思ってみんな元気なんですよ。病棟が。
ここで毎日遊んでて。
消灯した後もみんなで遊んでた。
その時に彼女が行ってくれたから楽しい入院生活。
で、学校戻った時に性格変わってて。
どうも。って感じ。
それは素敵な体験だったなぁ。
要するに入院した時に出会ったの?
そう。その時隣の病室にいて。
彼女がいろいろ紹介してくれて。
僕はだから11PMってフリーになってから
村野武典さんと戸川京子ちゃんと僕と
3人で予備があって、なぜか結構親しくなって。
戸川純さんお姉さんとも番組をテレ朝かなんかでやったことがあるのかな。
たまたま僕が住んでるところと戸川京子ちゃんが住んでるところが近かったんだと思うんですけど
高板のあたりかな。
あそこのセブンイレブンに僕が車で行って買い物したら
戸川京子ちゃんもいたことがあって
この辺りに住んでるんだってことになって
そしたらほとんどなく結婚した後かな
それでしばらくしたら病気か何かでお亡くなりになっちゃった。
当時も全息とかで生きてたみたいな。
で、11PMのyoutubeを先週も見ましたよ。
本当に?そんなの残ってます?
僕は矢沢さん好きじゃないですか。
当時キャットストリートを作った山崎政樹さんという方で
彼がMPMに出てた回を何回も見てるんですよ。
そこに当然テレビさんもいらっしゃって
当時一番トレンドなブルーのブルーゾーンに赤のシャツ
一番トレンドな格好してた。
伊藤石家座さんかテレビさんかみたいな。
よく言うわ。それはありえない。
とにかくスタイリストさん任せだからファッションに関しては。
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しつこいようですが、矢沢さんの初めて出た写真集の表紙もブルーと赤なんですよ。
当時流行ってたんですよ。
それを着てらっしゃって。後で見てください。
わかりました。
その時の山崎政樹さんと伊藤石家座さんと。
懐かしいな。そうなんだ。
だからそうなんですよ。
毎週。
戸川恭子さんとはその後はお付き合いというか交流はあったんですか?
歌もちょっと歌ってて。
渋谷のライブハウスとかに来てたんですけど。
まさかなくなっちゃうと思う。
すごい早人ですよね。
戸川淳さんとはあまり。
あったことはないですね。
そうなんですか。
テレビさんの中で何パーセントかテレビの人っていう感じは。
相当少ないパーセントでしたけどね。
あれ見たら皆さんも。
わかりました。
僕も久々にそれを忘れてますけど見させていただきたいと思います。
ぜひぜひ。
この番組はラウンジトーク番組なんですけど。
ラウンジっぽくなってきました。
そうね。割と感じがね。
でもいいな。
趣味はどうなんですか?
息抜きするっていうのも必要でしょ?
そういうのは何をやるの?
さっきあれですよね。
写ったと。東大の。
僕も趣味がこうじて再開発とかホテルの開業とかが好き。
東京のすり替わりって僕も小さい頃森ビルの何倍ビルがいっぱいあって。
なんだ森ビルだけこんなにいっぱいビルがあったのか。
見ながら東京のすり替わりを白黒からカラーテレビになることを見てたんですけど。
ちょうど2000年ぐらいから再開発さらに加速してる間にホテルも開業してて。
開業すると必ずマスコミ来るじゃないですか。
最初に開業時に見たい人なんで。
そこに行くと2回ぐらいニュースに僕映ってる。
そういう映り方いいですね。
なんで映ってるんだって感じなんですけど。
たまたま僕車でホッと駐車場止めちゃって。
正面外観まで閉鎖されてるんですよ。
なんだけどふーって登ってきたら普通にエロヒムまで来れちゃって。
何かやってるなって映っちゃって。
そういうのが趣味です。
いい趣味だよな。
いい趣味。
そうなんだ。
でもテレビさんライブの黄金時代っていうのは
いわゆる僕らが本当にまだ中高生で超ガキだったんですけど
あのアイドルがとかあの人がっていう人ばっかり出てましたよね。
そうですね。
だから僕がちょうど若いアイドルが来てくださる番組っていうのは
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テレテレワイドって番組で
とにかくその時代は日本放送が
ラジオ局では一番聞かれてる曲だったんですよね。
で文化放送は2番手3番手みたいな感じで
その時間帯はね、勝つってことは難しかったんですけど
僕は深夜放送やりたくて入ったのにクビになって
それであんまり気乗りしない感じで
中学生高校生下手すると小学生ぐらいまでが聞いてる時間帯で
すごいやる気ない感じでいたんですけど
ディレクターがね、プロデューサーがすごい人で
とにかく日本放送に勝つってことを目標にやってる人で
最初からダイヤル回したら文化放送を聞いてるんじゃなくて
日本放送を聞いてるような番組にしろっていう
これがもう本当に大方針ですごいこと言うなと思って
そしたらもうその人の思ってる通り
全て番組のジングルとか内容とかも
当時の日本放送をパクってる感じの番組を作り上げたんですよね
それでたのきんブームがちょうど来たのも幸いして
そのたのきんの中のマッチとよっちゃんをぶん取って
としちゃんが日本放送を撮られて
TBSはたのきんがいなかったかな
テレビはやってたけど
それで後松田聖子さんが僕のファミリーでいてっていう
強力な婦人でそれが交渉して
後はスケベなコーナー
バスルームから愛を込めてなんて一般の人が
ラジオだから裸になるお風呂に入って
最後トークをして体の一部を叩くっていうね
それ一番やわけちゃう
当時はお金もあったから
クラス全員ラジカ発生プレゼントなんていう
大盤振る舞いもやったり
だからそれがまた口コミに乗るっていう
読み身を多分プロデューサーしたんですよね
金あるから
ラジオの時代です
すごいですよね
だからそれが交渉して
僕も絶対勝てると思ってなかった
半年で一番になって
その後3年半ぐらいは
ずっと何も努力しなくても
一番なれたっていう時代でしたね
すごいですね
だからもうとにかくアイドルも
番組が数字取れば
いろんなアイドルが来てくれたり
アーティストも来てくださったりするっていうね
いろんな方と会い
そうですね
それがいわゆる若者向けの番組だったんで
僕自身もアナウンスを続けるには
もう多分この番組がずっと1位なんてありえない
そしたらやっぱり2位になっちゃって
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このまま続けてると
多分他のセクションに
多分僕は移動させられるっていう思いから
会社辞めちゃうんですけどね
ご褒美でヨーロッパ旅行か
なんかさせてもらったんですけど
行ってるうちに辞めようと思って
帰ってきてもうすぐ辞表
それは周りびっくりしました
そうですね
まあそうですね
だからまだ吉田使い道あると思ってたみたいで
当時の平成部長が辞表を取らないで
逃げ回ったりしてくれたんで
またやれかなと思いながら
ヨーロッパと何があったんだろう
そうですね
それでやる気満々っていうのがまた
これはさっきの繰り返しになるけど
その時間帯はいろんな人が
美野さんがやったりして
いろんな方がやったんだけど
一番になれない
今に哲夫さんって今にのてっちゃんが
もうね十数年一番の時間だったんですね
昼晩ね
でそこを夜若者向けに
二番になっちゃったんで
そこをやれって振りになってから言われたんで
続いて一年だろうなと思ったのが
これが20年間やることになって
でも最初から一番じゃないですこれは
5年くらい苦労して
よく文化放送も我慢したと思うんですけど
フリーの立場で
そうですね
これもだから一回上がっちゃうと
なかなか結構長く続いて
ありがたい番組になったんですけどね
フリーと違います立ち位置は
これが終わっちゃったら
それこそ極穴だったら
まだちょっと多少は仕事あるかなと思うけど
全くなくなるだろうなっていう思いは
強くありましたからね
20年も過ぎた
そうですね
でもラジオとテレビだとやっぱ
僕はラジオが好きだったんですけどね
しかもやっぱり
その良い時代のラジオっていうのが
今なんかいろいろ
発言も厳しくなったりするじゃないですか
だからこれがやっぱり
面白くさせなくしてるっていう
一番の原因だと思いますけどね
僕なんかもやっぱり
セイゴさんとかずっと見てましたからね
やっぱりテレビでは素敵な
なんかね何も食べたことないんじゃないかみたいな
ラジオになるとガーッと
かわしのりこになるわけですよ
ああいうギャップがすごく素敵で
そういうところがラジオの魅力ですよね
それがちょっとあまりにも
いろんな意味で厳しくなっちゃうと
出しにくくなっちゃうから
昔は本当にエグいコーナーいっぱいありましたもんね
今だったらやっぱり放送できないし
クレーム入る
でも当時もね
クレームはあったはずだと思いますよね
クレームでも
それを一応スタッフが
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会社のスタッフの人たちが
番組スタッフが壁になって
一応やり取りはしてる時代があったと思いますよね
壁ないですからね
ないですからね
職ですもんね
社員も少なくなってるし
だから僕が入社した頃は
350人ぐらいいたんですよ社員
それが今100人に満たないですからね
だからそういう意味でも
やっぱ力は弱まってるなって感じはしますよね
今ラジオの役割とか
いやーやっぱりあれですよね
結局その世の中を動かしてるのは
やっぱり政府であり
政治家の人たちが動かしてるわけですけど
それが一方通行になっちゃうと
それこそ国自体っていうか
世の中の状況ってあんまりいいことじゃなくなるわけで
それのアンチみたいなものを
やっぱりある程度
2分するくらいの形でいるようなところを
やっぱり目指すメディアであってほしいなと思いますよね
そのものを報道したりするんじゃなくて
やっぱりそこにはポリシーとか
今は確実になんか
やっぱり今Xとか
インスタグラムとかいろんなものがありまして
そっちの方での流れと違う形で
メディアっていうのが存在してるっていうね
だからそれがもうちょっとなんだろうな
主流よりでない形っていうのが取れるメディアが
もうちょっと生まれないと
幸せになれないんじゃないかなと思いますよね
やっぱり皆さんが叩かれることを恐れちゃってる
っていう感じがありますよね
だからちょっとつまんない
っていうのはそこが一番なんじゃないかな
だからやっぱりその垣根もなくなっちゃったし
一般の普通のリスナーの方も
デジタルを手にしちゃってるから
だからなかなか難しいですね
今AIっていうのが出てきて
これがまたなかなかすごいもので
いいものではあるんだけど危険な感じってありません?
あります
だって僕もチャットGPT使ったりなんかして
いろいろなことを相談したりしてると
明らかに向こう人格持ってて
意思を持ってて
こっちより上にいますよね
だから確実に人間と対峙する存在になっちゃってますよね
今すでにね
だからこれはAIがAIを作り始めちゃったら
できないですよね
だからどこまで行っても環状じゃないじゃないですか
ゼロ一の世界じゃないですか
今までの膨大なるデータからの
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ですから明らかに人間性とは違うんで
これは怖いですよね
イジイさんは結構使ってます?
使い始めてます
でもやっぱマイナスの要素っていうのはまだあるでしょ
要するにAIに逃げてるみたいな
見方をしてる人もいて
まだそのAIの
ちゃんとした形っていうのは出来上がってない過渡期だから
どうなんですかねこれ
使ってる今段階でしょうけど
もうすぐね
台頭にスタッフとしてもっていうところになってくると
使い方とかいう次元じゃなくなりますよね
ですからとにかく進化のスピードが速すぎて
そこが怖いですね
YouTubeで佐藤光郎さんという
すごい方がいらっしゃるんですけど
要するにもうAI同士で会話をされてる
それも人間が会話をしてることを傍受して
何かやってるっていうのまでは分かってるみたいだけど
実際に悪いAIもあるみたいで
戦争に完全に深く関わっちゃって
それで現実に人が殺されたりみたいなことも
起こってるっていうのは非常に
僕らみたいな庶民みたいな
じゃない水面下では当然もっともっとものすごい進化があって
その順番にこだしにしてるような気がする
もう全然進んじゃってる怖さは
ありますよね
感じますよね
それがもう隠しきれないと思ってますね
これどうなんですかね将来的には
イジスタンの見通しとしてはどうなんですか
人類はAIにやられちゃう可能性が
やられちゃいますね
だから一番いいまとめ方すると
トリムさんと僕は結構いい時代に歩んできた
もうね寿命的に言っても
いい時代で終わるっていう感じがするからね
これから若い人が生きていく時代っていうのは
想像もつかないようなことが起こりそうな気がしますよね
モラルとか全部崩壊しますからね
今まで教えてきたようなこととかね
こうだといいよねって
そうなりたたなくなるっていうのは
なんかかわいそうだし恐ろしいなと思うので
うまく言い切りますかね
最後はちょっと暗い話になりましたけどね
今日いろんなお話を
ありがとうございました
ということでいよいよ朝に迫りましたが
吉田テルミ、ロバだけど75歳
マイク生活50周年プラス1入院したけど
まだまだマイクは離さない
離さないでいただきたいです
24:02
当然ロバの日なので6月8日の月曜日
週明けすぐですね
会場は東京お茶の水の全伝通ホールで
18時半からの開演
司会はミオちゃん
それからゲストは私
イジチヒラマサと小池みな実さんということで
このイベントはですね
僕がテルミさんに提供させていただいた曲の原曲を
ピアノで弾きあたりさせていただいて
テルミさんの美声を僕の横で聴かせていただいて
俺の声はいらないよね
イジチさんの演奏だけがいいと思う
いやいやいや
声が仕事
歌もお仕事
当日は在校でのライブ配信もありますので
来れないよという方はぜひライブ配信も
SNS等でチェックして
見ていただきたいと思っております
じゃあいよいよ
はい
あさってよろしくお願いします
よろしくお願いします
ありがとうございました