1. 伊秩弘将のMusic Share lounge
  2. 伊秩弘将のMusic Share Lounge..
伊秩弘将のMusic Share Lounge   #4 吉田照美と語るラジオ黄金時代 前編
2026-05-30 21:16

伊秩弘将のMusic Share Lounge #4 吉田照美と語るラジオ黄金時代 前編

spotify youtube

音楽活動歴40年の音楽プロデューサー伊秩弘将が過去、現在、未来を俯瞰しながら音楽の魅力と本日をプロの視点でゆっくり共有するラウンジトーク番組。

第4回は 番組初ゲストの吉田照美と語るラジオ黄金時代 前編です。

出演:伊秩弘将   

   吉田照美 https://x.com/tim1134

 

制作・著作:アワーソングス第2制作部 2nd Lab.

https://oursongs2ndlab.com

https://x.com/OS_2ndlab

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

音楽プロデューサーの伊秩弘将がパーソナリティを務める「伊秩弘将のMusic Share Lounge」の第4回では、ラジオ界のレジェンドである吉田照美をゲストに迎え、ラジオ黄金時代について語る前編が放送された。 番組ではまず、吉田照美のプロフィールが紹介され、文化放送での数々のヒット番組を手掛けた経歴や、75歳にして油絵画家としても活躍する多才ぶりが明らかになった。吉田は50歳を過ぎてから油絵を始め、漫画も手掛けるなど、新たな挑戦を続けることの喜びを語った。特に、4コマ漫画「ロマロック先生」は、コロナ禍をきっかけにタッグを組んだ絵画教室の先生と共に制作を始め、6年半以上続くライフワークとなっている。 後半では、吉田が9歳の頃にピアノに目覚め、音楽の道を志したきっかけや、17歳で音楽業界に売り込みを始めたエピソードが語られた。また、文化放送のアナウンサー試験に合格した際の奇跡的なエピソードや、深夜番組「セイヤング」での挑戦、そしてシンガーソングライターの松任谷由実や矢沢永吉へのリスペクトについても触れられた。吉田は、自身の人生を「雲をつかむような感じ」と表現しつつも、好きなことを見つけ、打ち込めることの幸せを語り、伊秩も共感を示した。番組の最後には、6月8日に開催される吉田照美のマイク生活50周年記念イベントの告知も行われた。

吉田照美の紹介と多才な活動
スピーカー 2
伊秩弘将のMusic Share Lounge
みなさん、こんばんは。音楽プロデューサーの伊秩弘将です。
伊秩弘将のMusic Share Lounge、この番組はですね、音楽活動歴が来年、いよいよ40周年というあっという間でしたけども、
僕、伊秩弘将が過去、現在、未来を俯瞰しながら、音楽の魅力と本質を、僕なりの視点でゆっくりとシェアするラウンジ・トーク番組となっております。
今回、番組初のゲストをお迎えしたんですが、なんとこの方です。
スピーカー 1
はい、吉田照美です。よろしくお願いします。
スピーカー 2
どうも、どうも、どうも。
スピーカー 1
緊張したいわ。
スピーカー 2
いや、緊張しない。
一回、僕を。
スピーカー 1
そうですね、ラジオ番組でね。
スピーカー 2
お話ししたんですけど、その時は10分、15分ぐらい。
スピーカー 1
そんな短い時間ですよね。
スピーカー 2
ですよね。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
簡単にご紹介させていただきますけども、
1951年1月23日生まれの75歳。
全然見えない。
スピーカー 1
いやいや、とんでもないですよ。70歳を超えると大変ですから、今のうちに実際に申し上げてください。
スピーカー 2
後ほどその話も。
文化放送入社後に、セイヤング、テルテルワイド、やる気満々などのヒット番組を連発しております。
現在で29年。
スピーカー 1
そうですね、もうほぼ30年。
スピーカー 2
伊藤志郎さんとの番組、親父パッションにレギュラー出演。
ラジオ界のリビングレジェンド、帝王の異名を持つ。
スピーカー 1
いやいや、とんでもない。
スピーカー 2
油絵画家としても活動しています。
スピーカー 1
50歳過ぎてからやり始めたんですけどね。
スピーカー 2
何かしっかりはあったんですか?
スピーカー 1
やっぱり子供の頃から、絵とか漫画っていうのには関心とか好きだったんですよね。
だから褒められると絵が褒められたりしてたんで、
でも絵をやるなんていうと食べていけないとかね、漫画ばっかり読んでバカになるとか、
そういうマイナスの価値観が強烈でしたから、スポイルしてたんですけど、
50歳過ぎてから両方ともちょっとやってみようなんていうんで。
スピーカー 2
ご自身でも発信するということですかね。
スピーカー 1
そうですね、そうですね。
もっと早くから始めていれば良かったなと思います。
スピーカー 2
発信するきっかけはあったんですか?
スピーカー 1
絵はね、たまたまヤシロワキさんがよくゲストに来られてて、ラジオにね。
それで絵がすごいお上手なんですよ。
それで一つの作品が、たぶん週刊誌か新聞家に出てて、
見つめるものはとかいう自画像なんですけど、
こういう絵を描きたいなと思ったら、
絵画教室を始められるっていうのがあって、
僕の家の近くだったんですよね。
ヤシロワキさんの事務所とギャラリーと、それからお住まいがね。
有名な中根の交差点のそばなんですけど。
スピーカー 2
そうなんですね。
スピーカー 1
で、もう通いやすいんですよ。
あ、そうなんですか。
すごい良いところだな、やっぱりな。
スピーカー 2
そういうきっかけが。
スピーカー 1
そうですね、重なって。
で、今漫画一緒にやってるタキナミっていうのが、
ヤシロワキさんの所の絵画教室の先生だったんで、
その出会いがありましたね。
スピーカー 2
きっかけがあったんですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
文部科学大臣賞。
スピーカー 1
いやいや、こんなものを頂けるなんて。
スピーカー 2
すごくないですか。
スピーカー 1
いや、すごいですよね。
自分ですごいって言ってるのもおかしいんだけど。
スピーカー 2
やってみたって感じじゃないですか。
スピーカー 1
だけど、何か撮れるという風には全く思ってなかったですけど、
やっぱりテーマと狙いみたいなものが、
うまく審査する人と合致したんでしょうね。
スピーカー 2
素晴らしいですね。
音楽への目覚めと業界への挑戦
スピーカー 1
ありがたいです。
スピーカー 2
4コマ漫画、ロマロック先生もやって。
じゃあもう一つのですね。
スピーカー 1
だから4コマ漫画なんて、とても始めようと思ってなくて、
ちょうどXツイッターで、
100日後に死ぬワニの話っていうのが話題になってて、
ちょうどコロナが流行り始めて、
これが面白いって言うんで、
僕も読んでみようと思って、
慌ててまとめて読んでみたら、
4コマ漫画ならひょっとしたらできるんじゃないかなと。
コロナになったんで、
滝並と一緒に絵をやってたんですけど、
あんまり一緒に会えなくもなったんで、
じゃあちょっと別れた形で協力し合いながら、
漫画4コマをやろうかなっていうんで、
もうそれ始めて6年半かな。
スピーカー 2
相当な数ですよね。
スピーカー 1
そうですね。4コマ漫画最初は週2回発表してましたから、
それが今きつくなって週1になったんですけど、
本には一応2冊、2巻になりましたね。
スピーカー 2
テーマは毎回?
スピーカー 1
バック・トゥ・ザ・フューチャーっていう映画が好きだったんで、
やっぱりタイムスリップものにして、
あと僕の原点っていうのは昭和だし、
だからそこら辺の自分のエピソードで、
初期の頃は描いていくうちに、
今の世の中のことを、
なんとなく描きたくなってきた。
そうですね。
いやいやいや。
スピーカー 2
ご趣味ということではくくらない?
スピーカー 1
いや、ライフワークって大げさですけど、
自分で今、形としては、
どこまで続くか分からないけどやってみようかなと。
スピーカー 2
素敵ですね。
スピーカー 1
いやいや、とんでもない。
スピーカー 2
70代、80代になって会社辞められてね、
60代もそうなんでしょうけど、
することなくて。
スピーカー 1
っていう人多いですよね。
だから好きなこととか、
自分が楽しいことっていうのを見つけられたのは、
幸せだなと思いますよね。
スピーカー 2
時間を忘れて、
スピーカー 1
はいはい、打ち込めるっていうね。
なかなかないですもんね。
スピーカー 2
最大の幸せだと思います。
スピーカー 1
いじさんもずっとそういうことやって。
スピーカー 2
でも、
スピーカー 1
でも最初は何になりたかったんですか?
スピーカー 2
最初から音楽、
スピーカー 1
もういくつの時ですか?
スピーカー 2
9歳の頃。
スピーカー 1
え、そういうきっかけ聞きたい。
9歳の時何があったんですか?
スピーカー 2
ピアノを習いたいと自分で思った。
学校がなんか、
そういう普通の学校なんですけど、
スピーカー 1
お父さん、お母さんがそっちに進めとかそういうのは?
スピーカー 2
そういうのはなくて、
リゼのカルメンっていう曲をみんなで演奏してて、
その中に大太鼓とか、
高教学のスケール感という中で
ピアノのセンシティブな感じのイメージが
耳に反応して、
ピアノ習いたいと思ったら、
その曲ができたんですよ。
スタナイ曲なんですけど。
スピーカー 1
え、9歳の時の作品は今も残っているんですか?
スピーカー 2
残っていますよ。譜面とかで。
それで、僕は死んでから
これはクラシックだから評価される
スピーカー 1
悲しい人生だなと思いながら。
まあまあね。
スピーカー 2
そこからフォークとかロックに出会って、
バンドやったりとかして、
だんだんピックスの方に来て。
スピーカー 1
そっちの方面で一番最初、
画期的な出会いっていうのは誰なんですか?
スピーカー 2
そうですね。
やっぱり高校1年生の時、
勝手な出会いは、
ユーミンさんとか、
スピーカー 1
矢沢さんとかなんですけど。
スピーカー 2
あとは当時のオフコースとか、
ああいう1年のね。
ですけど、業界なる者との
17歳の時かな、
連絡が来て、
お、連絡来た。売り込んだ。
スピーカー 1
すごいな。
スピーカー 2
そこはそんなに早くないかもしれないですけど。
スピーカー 1
もう絶対俺はこれでいけるっていう風に、
9歳の時に思っちゃうわけ?
スピーカー 2
いや、
スピーカー 1
思ったのはいくつの時?
スピーカー 2
あの時は子供ですからね。
やっぱり、
曲作れる人間がいないから周りには、
俺はちょっと天才なんじゃないかなと思って。
スピーカー 1
思いますよね。
スピーカー 2
それだけですから、
将来これで食っていこうっていう話ではない。
だけど、だんだんそういう曲作れる人間も
どんどん出てきて、
コンテストとか落ちまくっていくと、
その中でも自分がいいと思っている曲が
作れてきた経験が
箇所箇所であったもんですから、
それで売り込んで。
スピーカー 1
いくつの時に売り込んだんですか?
17歳くらいからね。
スピーカー 2
売り込み始めたんですけど。
スピーカー 1
だって大人の世界が
ちょっとわからないじゃないですか。
危険だとか、怖いとか、
スピーカー 1
怪しいとか、
いろいろマイナス要素が浮かんでくるんじゃないですか。
よくそこで、
身近にそういう人がいたんですか?
スピーカー 2
いや、コンテストが前世だったので、
年1回のね。
あれ落ちると1年待てないじゃないですか。
僕の場合は特に。
だからどんどんレコード会社に売り込みに行こうと。
ということで電話かけまくって。
そこでやり始めた。
っていうのがきっかけなんですよ。
だからなんか、
それはそれで楽しかったですね。
自分で人生をこじ開けるみたいな。
スピーカー 1
いやでも最初からこじ開けてる感じがすごいな。
スピーカー 2
なんかでもそれはね、
今もでもやっぱりそういうとこありますね。
何かちょっと停滞したりとかしてると、
ここを駄菓子なきゃいけないかどうしようか。
最初こう、
スピーカー 1
いろいろ苦労もあったと思いますけど、
これでやっていけると思ったのが何歳の時なんですか?
スピーカー 2
23の終わりですね。
スピーカー 1
早っ!羨ましいな、そういう人生。
スピーカー 2
いやいやいや。
スピーカー 1
ずっともう雲をつかむような感じで僕なんかいましたからね。
アナウンサーとしてのキャリアとラジオ黄金時代
スピーカー 2
あの文化放送に入社された時は、
1、サラリーマンとしてなんですか?
スピーカー 1
1、アナウンサー。
アナウンサーは死亡してて。
アナウンサー死亡で、
要するにアナウンサー試験に合格して、
深夜放送をやりたいっていう、
それは人には言わなくて、
自分に実力があるかどうかも分からないんで、
とりあえず入れたのが嬉しかったんだけど、
入ってみたら、美濃さんみたいな人がいるわけですよ。
7年先輩ね。
これはもうダメだなと。
スピーカー 2
あのよく、これやりたいんだけどって言って、
でも制作じゃなくて演技で。
そういうんじゃなくて、アナウンサー。
スピーカー 1
アナウンサーでっていうことです。
でもね、受かったのがまぐれだと思ってんです、やっぱり。
最終的には日本放送と文化放送が最終試験に残って、
3人がみんな、僕の大学のサークルの仲間なんです。
就職浪人した栗満太郎っていうね、高橋良一っていう人と、
それからNHKに行った中村勝博っていうやつと、
僕の3人が両方残って、僕が落とされて日本放送。
で、文化放送が合費が決定の日に、うちの電話が故障してて、
電話連絡があるはずだった、当時はね。
それがないから、もう落ちたと思って、
アルバイトの課税教師に行こうと思ったら電報が来て、
明日おいでこう、文化放送っていう短い文面がね、
今でも撮ってありますけど、それで半信半疑で、
電話じゃないのに、受かってんのかなと思って、
翌日行ったら、お前もう10回くらいお前と電話したのに、
誰も出ないじゃないか、鳴ってんのに。
いや、僕はずっと待ってましたよと。
で、うちで電話してみたら、コールはするんだけど、
うちの電話は鳴ってないっていう。
その時だけの故障。
だから、ある意味、神の啓示みたいなのがあって、
だからあんまりいい気になんないよ、合格させてやるけどっていう。
最初に運を使っちゃった感じ。
スピーカー 2
それは絶対忘れない。
スピーカー 1
忘れないですね。
で、アナウンサーになってから、そういうミドさんみたいな、
ああいう人じゃないとアナウンサーは続けられないという絶望があって、
いつまでやってられるか分からないっていう状況の中、
4年たったら深夜放送をやらせてもらえて、
田森さんの裏だったんですよ。
喜んだ後、絶望が来るっていうのが、そういうのがあったんです。
誰も叶わないんじゃないですかね。
スピーカー 2
裏だとやっぱりダメですかね。
スピーカー 1
ダメでしょうね。ダメでしたね。
だからもう開き直って、馬鹿なことをやっていくしかないなみたいな路線に自分で。
ニュースも下手だし、野球とかなんか実況もできないし、
バラエティっていうのはかっこいいだけで、
僕はどっちかというと汚れ仕事の方向でやっていくしかないなっていう、
その頃決心はありましたね。
スピーカー 2
それは当時は不本意だったことが、本意じゃなかったことがね、
結果自我が出てきたっていう意味で言うと良かったんですよ。
スピーカー 1
まあね、結果としてはね、でも先は見通しは、
いじつさんみたいな感じで自分の道を進んでいくっていう感じではやっぱないですよね。
結果待ちで、結果どうだろうって、
絶望で始まってるから、たまたま運が良かっただけで、
セイヤングっていう支援放送はそんなに当たらなかったと思いますけど、
ネタが1個だけ、東大に生業上げ事件っていうのを、
今で言うYouTuberみたいなことをやったんですよ。
だから本郷の東大にだけマスコミがわーっと集まって、
合格発表は受験生の動画が出てる写真が出たり映像が出たりっていうニュースがあるでしょ。
あれに自分が移りたいと。
移れば他の媒体に自分が移ることによって宣伝になるって思ったわけ。
ただ一歩間違えるとひょっとしたらクビになるかな。
そしたらそれがうまくいって、NHKのニュースにも出たり、
賛否両論が巻き起こったんですよね。
それで隣のA六助さんが土曜日TBSで長いラジオやってて、
褒めてくれてね。結構吉田って若いのが面白いことやった。
これが結構味方になってくれて、
あと読売新聞の新聞のラジオテレビ欄で記者の人が書いてくれたコラムで、
日ごろマスコミが学歴変調指示が良くないと言ってる割に、
東大の合格発表だけ取り上げると。
それを皮肉ってて面白かった。
別に皮肉ってないんです。僕が移りたいと。
だからラッキー、その2つがあったんで、
変なアナウンサーが実局にいるなっていう風に、
文化放送内にある程度認識させたっていうことで言えば結構でかいことだったですね。
あとはそういう人との出会い、仲間ですよね。
ついてたっていうことしかないな。
スピーカー 2
それはやっぱりご自分の…
スピーカー 1
いやいや、だってそれは正確にいろいろ考えて、
当時AIでもあればね、これやったらどうだっていうことが測れたけど、
全くないですからね。
スピーカー 2
僕はラジオに対してはね、
アマチュアバンド、アマチュア売り込んでる時代からすると、
僕のライバルみたいなやつがラジオに出るんだ、今度。
それを聞いた時に、うわぁ本当に出てるわ、いるわっていう、
そのくらいものすごい距離を感じました。
スピーカー 1
そうでしょうね。
スピーカー 2
芸能界というか、全くうちらとは違う世界なんだなって、今更思えてます。
影響を受けたアーティストと今後の活動
スピーカー 1
いわゆるシンガーソングライターで、一番イジッサンが影響を受けた人って誰なんですか、日本の。
スピーカー 2
ユーミンです。
スピーカー 1
ユーミンは何がすごいんですか。
スピーカー 2
感性ですね。
やっぱり絵を描いてる人だけあって、
リンゴがあったとしたら、その向こうに何かが置いてあるということをご本人は考えて、
でもうちらには見えないんだけど、
例えばね、そういうようなことの歌詞を書ける人なんですよ。
例えば、ダブルミーニングももちろんそうでしょう。
あとすごくこう、今もうここにあったものがないという、
すごい寂しいのをめちゃめちゃ書ける人なんで、
もう結構泣けますね。
スピーカー 1
作品的には一番衝撃を受けた作品って何なんですか。
スピーカー 2
80年代の頭に年間で2枚ずつアルバムを出してた時代があって、
この辺の作品全部好きですね。
ノーサイドからリンカーネーションから、ラブウォーズから、
途中でトレンドみたいな感じでね、ユーミンが次好きって言ったら好きだみたいなね。
そうなっちゃった90年代の頭までもありましたけど、
スピーカー 2
もちろん新井ユーミンさんの時代でも、
コバルタアワーっていうすごいボックスみたいなものも書けたし、
だから商業としてもちゃんと考えながらブランディングをちゃんとできている。
すごいなって思って。
スピーカー 1
その頃は僕もちょうど深夜放送をやり始めてて、
ユーミンをラジオで取り上げたのはTBSのパックインミュージックで、
林義雄さん辺りからユーミン人気っていうのが火がついた感じがしますよね。
スピーカー 2
僕一回ラジオ呼ばれてね、今日会えるんだってドキドキしてたからちょっと待ち合わせて待ってたんですけど、
横で歯描きを書いて、いつ来るんだろうと思って。
スピーカー 1
パッと見たら。
スピーカー 2
というのがあったんですね。オーラ消えてました。
でもやっぱりラジオ始めるとすごい出てきて。
スピーカー 1
今は刺激を受けるアーティストっていっぱいいるんですか?
スピーカー 2
そんなにいっぱいいないですね。
スピーカー 1
どなたんなんですか?
スピーカー 2
こういう仕事してて怒られちゃうんですけど、いまだに僕が好きって言ったら、
A.R.S.B.I.Sとか矢沢恵吉さん、
70年代、80年代の頭の中高生の時好きだったアーティストがいまだに好きです。
スピーカー 1
矢沢恵吉は何がすごいんですか?
スピーカー 2
そうですね、言葉がすごい。
もう歌詞を書かないから。
スピーカー 1
歌詞を書かないけど、矢沢恵吉の言葉がすごい。
それはどういうことなんですか?
スピーカー 2
責任を持った言葉って言うんですかね。
絶対に僕50年見てきてますから。
すごい。
歌詞を3曲書かせてもらってて、去年すごい喜んでくださって。
その話とかトークに嘘が全くなくて、
できないものはできないし、
絶対に責任がないものに関しては、
若者に対してどう思いますって言ってたって、
若者の別に親でもないけど、
親に言うことは何もないと。
だけどこうしたらいいんじゃないの?みたいな言い方をする。
一個一個すごいなと思って。
スピーカー 1
それはすごいなと僕も思いますけどね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
今度はイベントをお邪魔させていただくんですけど。
吉田てるみ、ロバだけど75歳。
でもこの7年めっちゃ早かったですよね。
スピーカー 1
早かったです。
スピーカー 2
マイク生活50周年プラスワン。
入院したけどまだまだマイクは離さない。
というタイトルのイベントが、もちろんロバの日なので、
6月8日の月曜日になります。
会場が東京お茶の水の全連通ホール。
6時半開演でございます。
司会は三尾さん。
それからゲストは僕、一時広瀬と小池美奈美さんということです。
僕、一応弾き当たりをさせていただこうと思います。
今までの原曲をね。
こんな感じだったんですよって言われたから、
聴いていただきたいなっていうところで、
ちょっとお邪魔させていただくんですけど。
スピーカー 1
でも俺が歌う歌うことになってるのがちょっとあれなんだけど。
スピーカー 2
それはぜひぜひ。
スピーカー 1
非常にちょっと緊張しちゃうな。
スピーカー 2
インターフォンシール貼って在庫で配信されますので、
情報はSNS等をチェックしてください。
アワソングス、随時新人アーティスト、タレントを募集しているらしいです。
あと僕はその別で、一時広瀬さんとしてもオーディションを開催し始めています。
ので、アワソングス第2制作部のエクスカウントをご確認ください。
スピーカー 1
ということで。
スピーカー 2
ありがとうございました。
スピーカー 1
貴重なお話。
スピーカー 2
シェアラウンジでのトークということで。
また今度プライベートで。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
まず6月8日で楽しみにしてます。
また来週もよろしくお願いします。
スピーカー 2
ありがとうございました。
21:16

コメント

スクロール