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伊秩弘将のMusic Share Lounge   #6 プロデューサー論
2026-06-27 21:53

伊秩弘将のMusic Share Lounge  #6 プロデューサー論

spotify youtube

音楽活動歴40年の音楽プロデューサー伊秩弘将が過去、現在、未来を俯瞰しながら音楽の魅力と本日をプロの視点でゆっくり共有するラウンジトーク番組。

第6回は プロデューサー論

出演:伊秩弘将            

   佐久間誠

制作・著作:アワーソングス第2制作部 2nd Lab.

https://oursongs2ndlab.com

https://x.com/OS_2ndlab

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サマリー

音楽プロデューサーの伊秩弘将が、作編曲家の作間誠をゲストに迎え、「プロデューサー論」をテーマに語る回。二人は2005年の今井絵理子のソロアルバム制作が初仕事だったが、直接会うのは初めてで、電話でのやり取りが多かったという。伊秩は、2000年代に入り音楽への向き合い方が変化したこと、特にSPEED解散後の自身の心境の変化に触れる。作間は、伊秩の楽曲アレンジを多く手がける中で、伊秩のプロデュース手法が「これだと思ったら言い切る」タイプである一方、時には「お任せ」というスタンスもあることを語る。特にSPEEDの楽曲制作においては、初期はユニゾンを重視し、ハモリを避けることで勢いを保っていたが、再結成後の楽曲ではハモリを取り入れるなど、時代や状況に応じた変化があったことを明かす。また、伊秩はサウンドプロデューサーではなく、頭の中のイメージを伝え、出てきたものに対して意見を言うスタイルであると説明。一方で、共作クレジットが増える現状には疑問を呈し、自身の創作スタイルはピアノ一本でコードとメロディの関係性を重視していると語る。番組後半では、アイドルグループのプロデュース経験や、AIによるボーカル生成といった現代の音楽制作のトピックにも触れ、シンガーにとっての「その人にしかできないもの」や「ライブ」の重要性を再確認する。最後に、アワソンゴス第二制作部での新人アーティスト募集についても告知された。

番組紹介とゲスト紹介、初仕事の思い出
伊秩弘将のMusic Share Lounge
皆さん、こんばんは。音楽プロデューサーの伊秩弘将です。
伊秩弘将のMusic Share Lounge、この番組はですね、音楽活動歴の来年40周年を迎える私、伊秩弘将が、過去、現在、未来を俯瞰しながら、音楽の魅力と本質を、僕なりの視点でゆっくりとシェアするラウンジトーク番組となっております。
今回のテーマは、プロデューサー論となっております。ということで、今回のゲストは、僕の楽曲を結構ね、いっぱいアレンジしてもらっている作編曲家の作間誠さんです。どうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
改めて、こうやって話すの初めてだね。
そうですね。電話ではしょっちゅう喋ってますけど。
電話ってのは良いよね。昭和っぽいよね。
やっぱりうちら未だに電話だよね。顔が見えないけども、声のニュアンスがわかった方がいいみたいな。
伊秩さん、たぶん一番電話で喋ってます。
そうだと思う。未だにそうだもんな、僕の場合。
なので、何曲ぐらいやった?いつから最初だった?覚えてない?
伊秩さんの最初は2005年なんですよ。
2005年のイマエリコのソロのアルバムを作った時に。
会ったっけ?
会ってはいないんです。これから伊秩さんから電話が来ますって言われて、家で正座して待って。
正座してないだろ。
ああ、来たって感じで。
アルバム?
一曲だけ実際に頼んだ。ピアノのバラードの来ていること全てに。
ああ、長いタイトルってやつだよね。
それが最初でしたね。
2000年を越えて21世紀になってから、この四半世紀は何だろうな。
いつが昔で、いつが最近かわかんないんだよね。
2000年を越えちゃってるじゃん、うちら。
確かにそうですね。
そこを越えちゃうと2005年、去年つってもわかんないぐらいの感じで。
さすがに90年代は昔に感じますか?
うん、そうだね。90年代っていうのは独特の時代だったからね。
2000年に入っていろんなことが変わってきたので、
やっぱり考え方も含め、音楽に対する接し方も含め変わってきたから。
特にあの頃、音楽にそんなに熱くなくてね、
なんかちょっと燃え尽き症候群みたいなところがあって。
だから2045年ってね、そんな辺りだったんだよね、僕自身の中では。
そうですか。
なんかこう、いつも満遍なく真面目にやるタイプじゃなくて、
お、来た来た来た!っていう時にやるタイプだから。
なんかあの頃はね、なんかちょっと、なんだろうな。
やっぱり2000年の3月にスピードが解散して、
そこから先、ソロのアルバムを本人たちの広告が出して、
これで2002年、3年ぐらいでしょ。
だから、何かまた探さなきゃいけないなと思うんですよ。
あー、なるほど。
うん、っていう辺り。
2005年の時に、自分がいろいろやっていいもんなのかと思って、
イジシさんの存在を知ってたんで、
これ、お前デシャバってことしてんじゃねーよとかって言われんのかなと思って電話で、
結構ビクビクしながら出ましたよ。
伊秩の音楽観の変化とプロデュース手法
でもさ、そのプロデューサー論から言うと、
エリーを僕プロデュースしてないからさ、
逆に、すごく歌が張ってて、アグレッシブなエリ子の歌じゃない部分。
広告もちょっと開催したら、やっぱ本人たちもそうなるのかもしれないけどね。
ガーって行った分だけちょっとこう、ゆるい感じとかに行っちゃったじゃない。
だから、僕はそこに対して、曲を提供したっていうようなスタンスだから。
だから、レコーディング行ってないよね、俺。
そうですね。
だいたい佐久間君と俺、スタジオ入ってたことあんまないよ。
ほとんどないです。
たぶんないと思います。
ないよね。ないと思いますよ。
あ、でもスピードのファミリーの時に、
ファミリーの時はちょっと。
突然、Eさんが、これ疲れたから、今ディレクションしろって言われて。
これはいい話なんですよ。
ファミリー、そうかそうか。
俺ね、そうそう、あのね、すごい覚えてる。
スピードっていう塊がいて、僕が関わった最後の曲がファミリーなのね。
で、あれはもう本当にアルバムの中で1曲僕が提供したみたいな感じ。
だから、それまでは2000年の最初の解散するまで3年半、
全曲作詞作曲しておいて、歌も全部録ってたわけ。
で、もうそこにはものすごいイメージとテーマがあって、もう言い切っちゃって。
でもそこから解散して何回か再結成して、アルバムもちょっとちょっと出して、
いううちにもうあれ12、13年でしょ。
だからもう僕の中のスピードっていうものではなくて、
スピードというアーティストが出すアルバムだと。
だから僕は歌に対しての録り方も何のアイディアもなかった。
ちょっと録って。
そうそうそう、だからすごい覚えてる。
そういうことだったんですね。
やっぱりプロデュースって僕の場合は人と違うからね、
もっといろんな定義があるかもしれないけども、
もうこれだと思ったら絶対言い切っちゃうっていうタイプだから。
そうじゃないときは急に、ちょっとお任せ。
いや困りましたよ結構。
録り方も独特で、2人で一気に録るじゃないですか。
それはもう僕が発案したやり方で。
いつもこうなんですかって聞いて、あ、そうだそうだって。
2人突っ込んじゃうんだよね。
だいたい2人がユニゾンだったからユニゾンで歌って、
どっちかソロのパートがあるけども、ソロのパートの後に交互で出てくるじゃない。
2人でユニゾンの時に、2人のユニゾンの声が1つのキャラになってたから、
それを後で録ると音程が気になったりするじゃない。
だから2人のばらけた声を聞いたこと一回もないんだよね、ユニゾンは。
だからちょっとフラットしたり、全部オッケーしてたから、
今のパワーとシーンはいいけどボリュームだけちょっとチェンジってなったかもしれないけど、
結局やっぱり勢いだから。
だから最初の3年半は一回も僕ハモりたくなくて、
ハモりということを全然してないんだよ。
ハモった時点で大人だし。
ハモった時点で勢いがなくなるし。
めちゃめちゃ歌が走ってる。
ボディアンドソウルなんかリズムのヒロゴとエリーがこの辺にいるんだよね。
これジャストだとすっげーとカットリング。
うわー、おっせーと思う。
だからそういうのがすごいあったので、
1回ブリーチってアルバムをね、2003年に解散した後に1回作って、
僕以外の人たちも混ぜながら、
僕は曲順を全部決めたんだけども、
僕誰か僕誰かって全部ミルフィーユみたいにさ、
ハサミならんっていうアルバムだったんだけども、
あの時も僕は逆にいろんな人たちと交わりながら、
僕の楽曲を出していくっていうプロデュースとしては結構燃えてたんだよね。
だったらこういこうかなとかさ。
ブリーチもすごく面白いなと。
あの時はさすがに、
なんていうのかな、
最初はいわゆる4×1だったんだよね。
4人で1つ。
だからハモらない。
だけど解散してみんないろんな人生とかいろんなとこ行ってきて、帰ってきて、
ほら1×4になってたんだよ。
だからこれはハモったほうがいいなと僕は思った。
それも綺麗にハモるっていうよりもそれなりに。
というのはブリーチで。
で、あの時のファミリーに関してはもうノンアイディア。
なんもアイディアないもんね。
だってメロディーだって低いじゃん。
ウィリアムで。
2人のパワーも別にあんまり必要ないし。
なんていうのかな、あったかい感じで。
とにかくあったかい感じ。
1回ファミリーだよね。
うちらファミリーだったよねっていう感じにしたかった。
だから、そうか撮ったんだ。
そうですよ。
うん、なるほど。
懐かしい。
ねえ、そうなんだ。
プロデューサーの定義と伊秩の創作スタイル
で、プロデュースって何か質問ある?
よく言われるのはそのトータル的にプロデュースするとか
サウンドをプロデュースするとか結構部分的な部分とか
いろいろあると思うんですけども
イジシさんはぶっちゃけどっちなのかなと。
分かってんじゃん。
もちろん分かってますけどね。
僕はサウンドは素人だからね。
これ言ったら怒られてたかもしれないけど
頭の中でいろんなものが鳴ってて
水島もそうだし、佐久間君もそうなんだけども
それを伝えて出てきたものに対して
すごく言う感じ。
そうですね。
よく言えば自分のキャパシティじゃないものが出てきたら
おおっていうことも言えるかもだし
実際やってみてっていうところに全部入り込んじゃうと
っていうところがあるかな。
だからサウンドプロデューサーではありません。
世の中的にはサウンドプロデューサーっていうのは
あまりフューチャーされないっていうか
今はでも本当にみんなでやってるじゃない
だからサウンドプロデュースもそうだし
メインのメロを作る人もそうだし
みんなで作ってるよね。
俺あれ駄目なんだよ。
それが今主流みたいな感じで
もうクレジットにいっぱい名前を変えた。
あんなのやる気しないもん。
だって俺がこのメロディーを作ってこれどうだよっていう
モチベーションがすごくあるのに
それがアイスボックスって昔ね
池田と中西圭三とみんなで
あれはすごい楽しかった
Aメロ作ったら俺がサビ作ろうっていう
スタジオでずっとやってたから
CD変えました。
あれがそれこそそういう
みんなでコライドしながらやるっていう
走りで94年だからね
今から32年3年くらい前か
あの時はそういう意味で楽しかったんだけど
今はすごい仕事としてそうなっちゃってるでしょ
創作の段階から
しかも僕の場合ピアノ一本じゃない?いまだに
だからそういう人が現場に行ってもね
困っちゃう
とにかくうちでずっとこう
曲がコードとメロの関係ってのはすごい大事だから
すごい考えてやってて
よしできた
だから俺の曲ピアノ一本で全部成り立っちゃう
ボディ&ソウルもホワイトラブも
それがさ
そこでパワー全部使っちゃって言いながら
その後に客観視しながらその曲をどう風にするか
最初ボディ&ソウルもあの頃ユーロが前世だったから
最初水嶋が僕は言ったんだけど
埋まってたんだよね最初の音源がね
いや隙間だから絶対隙間だからって
隙間隙間隙間って
このスティールとムーヴの感じが
ずっとビートの四つ打ちで
埋没されないパワーに繋がるんだと
僕がスピードに対して思ったから
絶対休符に存在感を持たせたかったのね
だから休符がないよね休符がないよねって
ああいう風になってきたんだ
ギターのカッティングとか
だからすごい
独断と偏見
だからみんなユーロが出てくると思ったんじゃない?
周りがスピードのデビュー曲って
だからカップリングで
一応これはいいんだけど
もしこれが外れたら
ということでハンドマックミックスっていうのを
勝手に作られて
あの四つ打ちのボディアンドソウルが
カップリングで入ってるんだよね
もしこれヤバかったら
もうチェンジしようみたいなところが
どっかあったかもしれないんだよね
そのぐらいに大人なサウンドで
そうですね
僕は絶対それだったら
本人たちのスピリットというものが
埋没されちゃうと思ったから
だからああいうダンスにもつながる
言われてみれば確かに
ユーロで来るのが普通かなって感じたんですね
あの時代だと
特にテレビに出てたじゃない
夜の日
すごいポピュラリティを感じる
歌謡界でも生きていけそうな
可愛い四人立ちであるから
そこを押すことも全然あるんだけど
得体の死ねないパワーを僕は感じちゃって
そこは給付だ
カッティングだと思ったんだよね
正解とかどうか分かんないけどね
SPEEDの楽曲制作と時代背景
でも結果が出てるから正解だったんじゃないですか
その後ステディでしょ
ステディの時は
最初踊んなくていいと思う
ドラマの主題歌だったからね
ドラマの主題歌にちょっと合わせながらも
全部合わせないで
今度は恋愛ソングかな
で踊るところと
ブラックな
ヒップホップの部分は
水島に多分
メロはどっちかっていうと
全然ヒップホップじゃないメロ
どっちかっていうとポップス
スピードの楽曲全部一回聞いてもらえると皆さん分かるんだけど
ダンスミュージックじゃないんですよ
ダンスミュージックだと思って作ったら
マイグラジエーションもなければ
アライブもないじゃん
スピードの楽曲ソングを作りたいと思ってるから
そういう風になれるわけで
彼女たちはダンスミュージックだと思ったら
そのくらい語れるくらいだったんだけど
時を経てずっと社団されてね
ファミリーとかになると
同窓会っぽい
だってスピードランドっていうベストアルバムを
その後に2010年に出した時も
ボーカル取るの辛かったもんね
最初はもう本当に一曲一曲すっごい熱かったんだけど
それをさ、全曲取り直しでしょ
カラオケみたいなんだよ
みんな本人たちも歌いこなせてるし
綺麗だしさ
だからね、あれを歌えればきつかったな
なんとかやったけどね
だからそういうのがスピードかな
普通ミュージシャンによっては違うよね
別にもう熱くないよねじゃない
パタンもいっぱいあるんじゃない
だからそのぐらいかな
一緒にやって何か思い出とかある?
パレットとかね
もちろんアイドル系が多かったですけど
最初、さくま君が僕の曲を張り歌で歌ってくれて
まこちゃんとか呼んでて
女の子用に上げて
結構可愛い声になって
うちによく最近聞いてるんだよ
最近まこちゃんも通り過ぎてAIになっちゃって
そうですね
すごい時代ですね
逆に借り歌でAI聞かせるとさ
この子誰だ?連れてこいみたいな話
いませんって
むしろその
ちゃんと本番で歌おうとしてる人たちも困っちゃうみたいな
そうですね
ブレスからニュアンスから全部本物以上
いいのか悪いのかちょっとまだ分かんないですけどね
シンガーということを志してる人にとっては
すげえライバルではあるんだけど
価値観が変わるかな
何が大事かっていう
その人にしかできないものとか
ライブとか
生とかということだよねこれから
アイドルプロデュースと現代の音楽制作
イギリスちゃんとやった曲の中
アーティスト的に一番思い出があるのは
アイドリングネオ
あれはちゃんとプロデュースしたね
歌割りも全部決めたね
あれは面白かった
ディープスの時もそうなんだけど
歌手じゃないじゃない?アイドルじゃない?
だけどその中にも声が面白かったり
キャラが面白いものが歌に出てる
の歌割り
というのは面白かった
音程がそんなに良くない
一番最初に歌割らせたり
それが絶対そうだ
ディープスの地下もそうだったけど
なんか匂いがあるんだよね
それをやったりとかしてて
あれは頑張ったと思う
アイデアがあった
楽曲も面白かったですよ
10年以上前か
ショコラロマンティックとかいいよね
一緒にやった
いい曲だ
あと何か覚えてるかな
そうですね
めちゃくちゃ多くて
スタジオに行ったことないもんね
そうなんですけどね
今現在でもうちのアーティスト
ヒーナちゃんとかもやってますね
そうだね
だから
洋服みたいなもの
今日は洋服っていう話じゃなくてね
この楽曲に対してどういうものが合うか
合うものを作間君がつけてくれる時もあれば
ミスマッチなものが面白かったりとか
っていうところがやっぱり
面白いところかな
あんまりイジさんに
これダメだとか
そういうことは言われたことがないんですよね
アイドルに関してとか
全体的なアイデアとかないので
いいじゃん
みたいな感じだったと思う
イジさんのこの生まれにのせた分
こんなことを思ってるんだろうなっていうのが
なんとなく分かってきてはいるんですけど
だとしたら逆にこっちでやってみようかなとか
逆の方向で逆に出す時もあります
こういう話したことがあったんだね
番組告知とエンディング
そういった意味ではあれじゃない?
この話を経て何か今後やることに対しては面白くない
そうですね
今日は本当に
ラウンジにいるみたいだった
もっとやればよかったね
お知らせですが僕やさくまくんが所属している
アワソンゴス第二政策部では
随時新人アーティストタレントを募集している
僕もオーディションを解散していまして
別でアワソンゴス第二政策部のXアカウントで
詳細を確認してもらえればと思います
新たな才能とか新たな発信力の持った人たちと
出会いたいなと思っております
次回は7月11日21時の配信で
ミュージックシェアラウンジお会いしましょう
今日はありがとうございました
21:53

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