でもさ、そのプロデューサー論から言うと、
エリーを僕プロデュースしてないからさ、
逆に、すごく歌が張ってて、アグレッシブなエリ子の歌じゃない部分。
広告もちょっと開催したら、やっぱ本人たちもそうなるのかもしれないけどね。
ガーって行った分だけちょっとこう、ゆるい感じとかに行っちゃったじゃない。
だから、僕はそこに対して、曲を提供したっていうようなスタンスだから。
だから、レコーディング行ってないよね、俺。
そうですね。
だいたい佐久間君と俺、スタジオ入ってたことあんまないよ。
ほとんどないです。
たぶんないと思います。
ないよね。ないと思いますよ。
あ、でもスピードのファミリーの時に、
ファミリーの時はちょっと。
突然、Eさんが、これ疲れたから、今ディレクションしろって言われて。
これはいい話なんですよ。
ファミリー、そうかそうか。
俺ね、そうそう、あのね、すごい覚えてる。
スピードっていう塊がいて、僕が関わった最後の曲がファミリーなのね。
で、あれはもう本当にアルバムの中で1曲僕が提供したみたいな感じ。
だから、それまでは2000年の最初の解散するまで3年半、
全曲作詞作曲しておいて、歌も全部録ってたわけ。
で、もうそこにはものすごいイメージとテーマがあって、もう言い切っちゃって。
でもそこから解散して何回か再結成して、アルバムもちょっとちょっと出して、
いううちにもうあれ12、13年でしょ。
だからもう僕の中のスピードっていうものではなくて、
スピードというアーティストが出すアルバムだと。
だから僕は歌に対しての録り方も何のアイディアもなかった。
ちょっと録って。
そうそうそう、だからすごい覚えてる。
そういうことだったんですね。
やっぱりプロデュースって僕の場合は人と違うからね、
もっといろんな定義があるかもしれないけども、
もうこれだと思ったら絶対言い切っちゃうっていうタイプだから。
そうじゃないときは急に、ちょっとお任せ。
いや困りましたよ結構。
録り方も独特で、2人で一気に録るじゃないですか。
それはもう僕が発案したやり方で。
いつもこうなんですかって聞いて、あ、そうだそうだって。
2人突っ込んじゃうんだよね。
だいたい2人がユニゾンだったからユニゾンで歌って、
どっちかソロのパートがあるけども、ソロのパートの後に交互で出てくるじゃない。
2人でユニゾンの時に、2人のユニゾンの声が1つのキャラになってたから、
それを後で録ると音程が気になったりするじゃない。
だから2人のばらけた声を聞いたこと一回もないんだよね、ユニゾンは。
だからちょっとフラットしたり、全部オッケーしてたから、
今のパワーとシーンはいいけどボリュームだけちょっとチェンジってなったかもしれないけど、
結局やっぱり勢いだから。
だから最初の3年半は一回も僕ハモりたくなくて、
ハモりということを全然してないんだよ。
ハモった時点で大人だし。
ハモった時点で勢いがなくなるし。
めちゃめちゃ歌が走ってる。
ボディアンドソウルなんかリズムのヒロゴとエリーがこの辺にいるんだよね。
これジャストだとすっげーとカットリング。
うわー、おっせーと思う。
だからそういうのがすごいあったので、
1回ブリーチってアルバムをね、2003年に解散した後に1回作って、
僕以外の人たちも混ぜながら、
僕は曲順を全部決めたんだけども、
僕誰か僕誰かって全部ミルフィーユみたいにさ、
ハサミならんっていうアルバムだったんだけども、
あの時も僕は逆にいろんな人たちと交わりながら、
僕の楽曲を出していくっていうプロデュースとしては結構燃えてたんだよね。
だったらこういこうかなとかさ。
ブリーチもすごく面白いなと。
あの時はさすがに、
なんていうのかな、
最初はいわゆる4×1だったんだよね。
4人で1つ。
だからハモらない。
だけど解散してみんないろんな人生とかいろんなとこ行ってきて、帰ってきて、
ほら1×4になってたんだよ。
だからこれはハモったほうがいいなと僕は思った。
それも綺麗にハモるっていうよりもそれなりに。
というのはブリーチで。
で、あの時のファミリーに関してはもうノンアイディア。
なんもアイディアないもんね。
だってメロディーだって低いじゃん。
ウィリアムで。
2人のパワーも別にあんまり必要ないし。
なんていうのかな、あったかい感じで。
とにかくあったかい感じ。
1回ファミリーだよね。
うちらファミリーだったよねっていう感じにしたかった。
だから、そうか撮ったんだ。
そうですよ。
うん、なるほど。
懐かしい。
ねえ、そうなんだ。