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「訪問看護師の私が、父の介護で考えた"限界"について」
2026-02-04 28:13

「訪問看護師の私が、父の介護で考えた"限界"について」


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こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。看護師と看護と私、8回目の配信になります。
前回は、自分の限界を知るという話をさせていただいたんですけども、
今日は、私が実際に父の介護をしていたときに、その限界を知るということをどんなふうに意識して生活をしたのか、
していたのかというのを、限界をテーマにしてお話ししたいなと思っています。よろしくお願いします。
お話しするにあたって、私とか、私の家族構成とかをお伝えしようと思うんですけども、
私はですね、今から6年前に都会から田舎というか山の方に移住をしました。
そして、その年に娘を出産したんですね。私が43歳になるときかな、43よりちょっと手前のときかな。
それから、出産してから半年過ぎてですね、実家では父と母が2人で暮らしてたんですけども、
父がある朝、脳出血で倒れたというわけなんですね。
その後遺症で右肩まひ、右の腕と右足が動かなくなって、
あと言語障害が残って、自分の言いたいことが言葉にうまくできないという、そういう状態になりました。
介護で言うと、養介護4という状態になりました。
最初は入院していたんですけど、退院をしてね、今後の生活をどうしていくかということを決めないといけないですよね。
もともと私が生まれ育った時の家族というのは、父母と兄と私の4人だったんですけども、
父が倒れて、一緒に住んでいた母ですけど、自分に介護はできないと、家に帰ってきてもらうのは難しいということでした。
私自身は新しい土地で、子供が小さくて、結構自分の生活に必死な時期でした。
その中で私が父を引き取ってという選択というのは、ちょっと難しい、考えられない状況だったですね。
そんな中で、転倒のリスクも大きかったんですけど、家族がそこを承知であれば入居していただいて構わないですよと言ってくださった
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兄の家の近くにあるサービス付き高齢者住宅がありまして、そこに入居することが決まって、
そこで3年間お世話になりました。
その場所でこれから先ずっとお世話になるだろうと思っていた中で、急展開で私の家で父も一緒に生活をするというふうに決めたきっかけというのは、
父が本当に短い期間に急激に体重が15キロほど減って、すごい重度の貧血になって、結構衰弱していったんですね。
病気する前の父は80歳とかだったんですけど、ソフトボール行ったりカラオケ行ったり、結構活動的というか、そういう生活をしている人でした。
父自身は病気になってからもずっと元の自分に戻りたいという気持ちが強かったですよね。
実際には以前の状態に戻ることは難しくて、どんなに頑張っても思うように体が動かないので、そういう自分にも気力も体力も少しずつ落ちていったという感じですね。
父は元気な頃から、俺はピンピンコロリで死にたいんや、みたいなことをよく言ってたんですけど、そんな人生うまいこといかへんで、とか私は返してましたけど、本当にそうなってしまったなという感じをしていました。
急激に体重が減ったのと貧血があったので、病院で精密検査を受けるかどうかという話がもちろん出てきて、それを判断していく必要があったんですね。
この時、入院をして治療をするというより、日々の生活を大切にするという選択肢も増やして考えました。
正直、私はこの時に、もうちょっと残されている命ってそんなに長くないんちゃうかなという見立てというか、そういう感じがあって、穏やかに過ごしてもらいたいなという気持ちがありました。
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それから、私自身の中にはできるだけ父と一緒の時間を過ごして、できることをしたいなという気持ちがありました。
定期的に父に会いには行っていたけれども、車で2時間半かかるんですよね。
そのことも看板を見て、超個人的な思いですけど、最後の時のイメージができなくて、このままやと私自身悔やまれるなという気持ちが大きかったんですよね。
私と私の夫と娘と父が一緒に暮らし始めて、10ヶ月経って父は亡くなったんですけど、父との暮らす生活にあたって、
これまで訪問看護師として、訪問看護師を今もしているんですけど、出会わせていただいた利用者さんとか、そのご家族の姿とかご様子とか思い出しながら、自分の親の介護を向き合っていくという。
そんな時間として父の介護では、自分の人生の経験と知識を入れ込むようにして関わったという感じがあります。
私は10年、訪問看護師として仕事をしているんですけど、介護の世界って正解はないなというのを常々感じています。
この仕事をしているとよくわかるんですけど、行っているお宅って同じ家って一つもないって当たり前のことなんですけど、それぞれの家にそれぞれの家族の形があって、家族って情緒的なつながりも濃いから、感情だってポジティブなものばかりとも限らないじゃないですか。
その中でそれぞれの生活があって、事情があって、その中で今っていう時間を生きているっていうね。そんな感じをしています。
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だから私の場合もね、一般的に介護は夫がするとか、介護は妻がするみたいなとかね、そういうのがあるかもしれないですけど、
なので、母がいるのにね、なんで娘のあなたが介護しているの?みたいなことも実際に言われたりしましたし、だから母から見るとちょっとなんかおかしなように見えていることもあるかもしれないけど、私の家族ではそれでよかったっていうね。それでいいというね、なんかそういうのがありますよね。
介護している中では、いろんな問題とか課題が出てきて、その時々に選択をしていかなければならなかったりするんですけど、
それぞれ利用者さんであれ、家族であれっていうね、それぞれに良い方法を専門職とか、他に地域にある資源とか、その地域によって違うと思いますけど、活用しながら考えてつなげていくっていうね。
その中で様々な感情を経験したりとかね、しますし、どうしようもないこととかも起こったりね、日知も察知もいかないようなこととかも出てきたりするんですけど、その中でやっぱりもうできる限り、その人にとって家族にとって良い方法って何かっていうのも考えて、考えて考えてみたいな。
それをずっと繰り返していくもんないなっていう、そういう認識が私にはあります。
私と夫と娘と父がね、4人で生活することになったんですけど、この生活に入るにあたって、私は意識してたことがあって、それは常にそれぞれの限界っていうのを意識してたんですね。
父の限界、母の限界、兄の限界、夫の限界、娘の限界、医療介護サービスの限界、それから私自身の限界、誰がどこまでならできて、どこからはできへんのかっていうね、それをできるだけ合間にせんと、はっきりさせながら生活を組み立てていくっていうことを意識しました。
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1つお伝えしたいことですけど、父の介護を10ヶ月間、少ないというか、短い時間でしたけど、その中で、これね、うまくいった話ではないです。
そもそも介護に正解ないって言ってるので、1つの事例か、事例ですかね。
ただ、私なりの介護やったなっていう、良くも悪くも、私なりの時間で、しんどくてね、きつく当たってしまったこともあったし、残念な自分にも出会ったりしましたけど、
それも含めて、私と父の時間でもあって、私家族と父との時間を過ごしたなって思ってます。
介護の中で色々あったんですけど、その中でね、私自身を救ってたのは、私自身だったなっていうのも、私が訪問看護師をしてて、利用者さんとかご家族に大事にしてもらいたいと思っていることって、まずは自分を大事にすることとか、自分に思いやりを持つことなんですよね。
訪問看護師としては、そういったできることをね、可能性とかね、道しるべみたいなのをね、情報提供したり、環境を整備するっていうね、そういう役割だと思ってて。
だから私は、介護者として、父の介護の中で、まず自分が無理しなくて大丈夫やっていうことを、自分に許すことができたなっていうのは思いますね。
話は戻るんですけど、私がね、父と一緒に暮らしたいってね、思ったからって、私一人で決められないじゃないですか。
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で、大前提として、父自身の意思が必要やし、何より、私の家族である夫と娘の気持ちも必要じゃないですか。
そこに兄の気持ちだったり、母の気持ちだったり、この人たちの話をきちんと聞く必要がありました。
で、私の気持ちを一番最初に打ち明けたのは、夫です。
もし父が一緒にここで住みたいって言ったら、この家で父を見たいけど、一緒に住むっていうのどうかなと、私の気持ちをそのまま伝えました。
家のお父の介護はね、介護サービスを利用するつもりでしたし、それ以外は私がするつもりでした。
ただ、自分ができないことっていうのは、車椅子生活なのでね、外出の時に車椅子を押してもらったりすることはお願いしたいと思ってたんですよね。
というのは娘がまだちっちゃいので、抱っこしながら車椅子を押すっていうのはなかなか難しいなと思ったんですよね。
なのでそれはお願いしてました。お願いしたいということを伝えました。
で、夫ですけど、かなり面食らいますよね。面食らってました。
2週間ほども考えたかな。
そんな後で考えて、いいよって言ってくれたんですよね。
これは本当に夫にとっては、のっぺきならない覚悟のいる選択だったと思いますしね。
一緒に過ごした日々の夫の姿を振り返っても、感謝しかないかなという感じです。
娘、次言ったらいいよって、ちょっと嬉しそうに返事してましたけど。
兄と母は、もし一緒に住むんだったら、お父さんはそれが一番嬉しいと思うと言って賛成してくれました。
それで最後に父に、家で一緒に暮らせへんって尋ねましたね。
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父は一緒に暮らすことを選択して、家族みんなの意思が確認できて、ちょっと合意形成ができたっていうんですかね。
で、父が我が家に来ることになりました。
それから実際に父が私の家で生活するにあたって、私の中にはどうしても守るべきというものがあったんですよね。
それは父との生活を大切にしたがらも、これまでの私たちの生活をちゃんと守るっていうことでした。
私も夫も仕事をしていて、日中は家には誰もいないんです。
で、父が昼間にどんなふうに過ごすのかとか、どんな行動をとるのかとか、それも一緒に暮らしてみないと正直わからん部分も結構あって。
環境が変わったら、行動とか考え方とかで、いろいろどう変わるか予測できへんかったりすることがあるんですけど、
一般的にもね、こういう環境が変わった時っていうのは、最初の2週間くらいはほんまによく様子を見なあかんですよね、と私は認識してますけど。
なので、最初の2週間は父の様子を見る期間に加わってたんですけど、それ以降は自分たちの生活を戻していく方向に調整しました。
最近は、家にペットとかの様子を見るために作られたのかな。
カメラつけてね、スマホでその様子を見れるっていうのがあるのご存知ですかね。
あれもすごい安価でですね、簡単でね、それも使わせてもらいましたね。
はい、余談なんですけど。
で、父なんですけどね、本当は日中はデイサービスに行ってもらってっていうのが、介護する側としては理想的やったんですけど、父は拒否したので行けませんでしたね。
なので、昼ご飯の食事会場にヘルパーさんに入ってもらって、入浴は週に2回訪問入浴さんに来てもらって。
でも、肺便もね、ちょっと1人でというか、肺便出なかったんで、出してもらわないといけなかったんで、週2回訪問看護さんに行って肺便コントロールをしてもらいました。
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で、家に来て、落ち着いてきたんですよね。
でも気持ちとして、父は自分の家に帰りたいっていうのが一番ですから。
でも、この今の歩けないような状態では自宅に帰れないということはありましたので、目標ですかね、家に帰るって目標を持って、週に1回訪問リハビリさんにも来てもらいました。
あと忘れてはならないのは、応診の先生ですよね。応診の先生にも月に2回訪問してもらいましたね。
あと、月に1回はね、私と夫と娘の3人の時間を持つためにショートステイを利用しました。
これが父にとってはちょっと行きたくないものですね。
けど、生活を長く守るために、私自身を守るためにも、このショートステイっていうのはどうしても必要なことやと思ったから行ってもらいました。
私自身を守ることが父を守ることにもつながるって考えてたし、それも父にも伝えてましたね。
あと、いっぱいありますね。
私は父と関わるときね、看護師として関わらないってことを最初に自分の中で決めてました。
なので、結局父が家に来てから、熱は何度か測りましたし、たまに脈を取ることもあったけど、血圧は測ったことは一度もないですね。
ただその代わり、家族として関わりました。
みんなで一緒にテーブルを囲んでご飯食べたり、外食をしたり、公園行ったり、そういう時間を大切にしました。
もしね、私の体が二つあったら、父にやってあげれたことは他にもいろいろあったでしょうけど、
一つの体で生活をしながら続けることは難しいなと判断しました。
だからあえてしませんでした。
後になって後悔に至った感覚っていうのは今もありますけど、その時の私はこう思ってました。
やってあげたいことと実際にできることは同じじゃない?
これが限界っていうことかな?
父はね、家に来てから貧血の薬と食用上で体重も少しずつ戻って、貧血も改善していきました。
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だからもうお見通りやなと思ってたんですけど、元気になったんですよね。
けどまあ、家に来てから10ヶ月ほど経ったある朝ね、右の口の端がね、少し下に下がっていましてね、
ご飯を食べると少しむせるような感じがあって、嫌やなと思ったんですけど、
すぐにね、おうちの先生に来てもらって、そしてそのまま救急車で病院に向かいました。
その時にまさかそのまま行ってしまおうとは恥ずかしながら想像してなかったんですけど、
ただこう退院してきたら、これまでのようにご飯を食べることはできへんよな。
介護もこれまで以上に必要になるなっていう、そうこう覚悟した時間になりましたね。
で、その入院でね、病室に向かうストレッチャーでね、行ったんですけど、ストレッチャーで大年だしたんですよね。
で、挨拶もね、何の声かけもせずにね、父はもう病室に行ってしまってね、私たち家に帰ったんですけど、
その夜中に父はあっけなくですね、息を引き取りました。
これが私の父の介護体験記というかね、です。
他にもたくさんエピソードあるんですけど、この度はですね、限界ということをテーマにしたかったので、そういった話をしてみました。
最後にですね、なんで私がこういうふうに自分のことを話してみようかなって言うとですね、
ケアをすることにおいてね、知識っていうのは必要だと思っているからなんです。
前回、ミルトン・メイヤロフっていう方のケアの本質の本の話を引用したんですけど、
そのメイヤロフがね、ケアの要素の一番目に挙げているのが知識なんですよね。
私自身はその知識によって助けられたことがたくさんあって、正解のない介護の現場なんやけども、
多くの事例とか考えたり、決定するための指針に役立てられるようなものっていうのは、
多くの人にとっても必要とされているんじゃないかなと思っているからなんですね。
これまでね、私自身の仕事の中でもたくさんの困難事例があって、
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これどうしたらいいんってわからなすぎて泣いたこともたくさんありますけど、
でもみんなで知恵を絞ってうまくいったり、時期が過ぎて風向きが変わっていったりするってこともね、
あるってこともね、私の経験や知識になっているし、
そういう知識を持っている人ってこの世の中にたくさんいるはずなんですよね。
私自身がこれまで出会わせてもらったたくさんの方に助けられて今があるように、
いつか私も誰かの何かになれるといいなっていう気持ちを込めて配信しました。
もう長くなりましたね。
すいませんが今日はね、こんなことでこれで終わりにします。
お付き合いくださりありがとうございました。最後までありがとうございました。
では、よかったらまた聞いてください。
ではでは。さよなら。
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