1. 楽しくおしゃべり❗まこにぃの部屋
  2. 不自由の中に、自由がある。
2025-10-12 10:35

不自由の中に、自由がある。

最近ね、「ママがやりたいことを我慢してるのはおかしい」
そんな言葉を、あちこちで耳にするようになった。

ママだって、自分の人生を生きていい。
やりたいことを諦める必要なんてない。
――うん、それは本当にその通り。
でも、僕はそこに少しだけ、違和感を覚えるんだ。

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#いつもありがとうございます
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サマリー

このエピソードでは、家庭や子供を持つことによる自由の在り方について考察しています。自由が制限されると感じる場面もありますが、それは新たな形の自由であり、愛と責任の中に美しさが存在することを伝えています。

00:05
こんばんは、おはようございます。こんにちは、楽しくおしゃべり❗まこにぃの部屋です。
いつも聞いてくれて、本当にありがとうございます。そして、いいねやコメントも、とってもとっても嬉しいです。
本当に感謝しております。
前にね、いいねやコメントの数とかね、あんまり気にしてないって言ったことがあるんですけど、
それは本心なんですけども、やっぱりね、いいねやコメントをたくさんいただけると嬉しいね。
なので、いいねやコメントお待ちしております。
思ったことをガンガン書いていただいたりしていただけると嬉しいです。
さて、今日は日曜日ということでですね、雑談、いつもね、雑談ベースでやらせていただいてるんですけども、
今日はね、ちょっとお話ししたいなっていうことがあったので、
ちょっとね、チャッピーに相談しながら台本にしていただいて、それを参考に放送をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
家庭における自由の再考
最近、ママがやりたいことを我慢しているのがおかしいみたいなね、ことをよくあちこちで聞くようになったなって思うんですよね。
この前もどっかで聞いたんですけども。
ママだってね、自分の人生を生きていいと、やりたいことを諦める必要なんてないって。
それはね、本当にその通りだと思います。
でもね、僕はそこに少しだけちょっと違和感を覚えるんですね。
それはまるで、結婚や子供が自由を奪う存在みたいな空気を感じる時があるんですね。
でもそれはちょっとなんか怖いなって、違うなって思いますね、僕は。
結婚したり子供を持ったりするっていうことは、自分以外の誰かと人生を重ねていく、人生を生きていくっていうことですよね。
そこには当然制限も出てくるし、思い通りにならないことだって山ほど出てきます。
自分の時間なんてほとんどなくなりますね。
朝から晩まで誰かのために動く日も、というかほとんどそういうことになっていくんじゃないかなと思います。
子供が小さい時とかね。
まだ夫婦二人の時はね、まだそういうこともないかもしれませんけども、子供が生まれたりするとね、そういうこともあると思います。
でもそれって奪われた自由なんでしょうか。
僕はそうは思いません。
それは自分が選んだ自由の形なんじゃないかなと、また別の自由の形なんじゃないかなと思います。
誰かと一緒に生きるっていうことは、新しい自由のあり方なんじゃないかなって、また変わるんですね、一人の時とは。
選択と責任
何かを得るっていうことは、何かを手放す、失うっていうことにもなります。
そのバランスの上で僕らは生きていますね。
一人の時は自分の時間を自由に使いましたね。
でも誰かを愛するようになると、その自由は少しずつ形を変えていきますよね。
自分のための自由から、誰かの笑顔のための自由へと。
それを犠牲と呼ぶか、愛と呼ぶか、それはきっとその人の心のあり方次第なんじゃないかなと思いますけども。
それは人それぞれなのでね、僕がどういうかということではありませんけども。
ママがやりたいことをやればいい。
それはね、本当に僕もそう思います。
それはママがやりたいことはやっていいんです。
それは制限があることじゃないです。
でも子供がいるからできないとかね、家庭があるから無理だ。
そうやって生きてしまうと、まるで子供や家庭が敵みたいな感じに聞こえてしまうんですね。
そうやって言っているわけではないかもしれないけど、そういう雰囲気みたいなのが漂ったりしませんか。
そういうことを僕は思ってしまうんですけども。
多分そういうことを言っているわけではないんですけど、
そうやって言っちゃう人もいるかもしれませんけど、それはちょっと何か違うなって。
本当は子供も家庭も足枷じゃないんですよね。
ただ、自由の形を変えてくれる存在なんだと思います。
昔のように動けなくても、今だからこそ見える景色がありますね。
家庭を持つことってそういうことなんじゃないでしょうか。
狭まるんじゃなくて、世界の深さが変わるんだと思います。
もちろん、現実は奇麗事だけじゃないです。
パパもママも疲れています。
お互いに、なんで自分ばっかりって思うこともありますね。
でもそれでいいんです。
完璧な家庭なんてどこにもありません。
でも、そこで大事なのは、どっちかが我慢しているかを争うことじゃないんじゃないでしょうか。
そうじゃなくて、どうやったらお互い様でいられるかを考えられることが大事なんじゃないかなと思います。
今日は私がやるから、明日はお願いね。
それぐらいの会話ができる関係が一番強いんじゃないかなと思います。
家庭って、そうやって少しずつ支え合っていくもんだと思います。
僕はね、こう思ってます。
そんなの分かってて家庭を持ったんじゃんって。
冷たく聞こえるかもしれませんけども、
これは現実をちゃんと見ているっていうことでもあるんじゃないかなと思います。
皆さんが現実をちゃんと見てないっていうことじゃないんですけど、
でも僕は思っちゃうんですよね。
そんなの分かってて結婚したんじゃん。
そんなの分かってて子供を作ったんでしょって。
自由が減るのは分かってた。
時間がなるのも分かってたよね。
それでもこの人と生きたいって思ったんですよ。
それでもこの命を育てたいって思ったんですよ。
その覚悟が選択の重みなんですね。
自分が選択したんです。
だから後から自由がないって長くのはちょっと違うんじゃないかなって僕は思っちゃいます。
自分が選んだ道なら、その中で自由を見つければいいんです。
見つけていけばいいんですよ。
その中で自由を見つけましょう。
何かのせいで自分の自由がなくなるっていうのはちょっと違うんですよ。
それはちょっと違います。
自分が選んだ道なの。
それが本当の意味での大人の自由なんじゃないかなって思います。
自分の夢が一旦止まっても、それが消えたわけじゃない。
静かに胸の奥で息をしているだけです。
いつかまた動き出すその日まで、誰かの夢を支える時間があっていいと思います。
その時間だって絶対意味はあります。
不自由の中の自由
ママが誰かのために働く時間も、動く時間も、
パパが家庭のために汗をかく時間も、
全部が誰かのために生きるという美しい証です。
家庭は足枷じゃない。
そこには愛と責任と日常という名の奇跡があります。
不自由の中にこそ、自分で選んだ自由がちゃんと息づいています。
自由って奪われるものじゃない。
見つけ直すものなんではないでしょうか。
だから今日も焦らなくていい。
子供を寝かしつけた後、ふと自分の時間ができたら、
その静けさの中で、私は今どんな自由を生きているんだろうって、
少しだけ考えてみてほしいです。
きっとね、気づくと思う。
あの日、誰かと生きると決めた自分の中に、
今もちゃんと自由は生きている。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
不自由に見える毎日こそが、
本当の自由を教えてくれる時間なのかもしれませんね。
今日のお相手もまこにぃでした。
それでは皆さん、お幸せに。
またねー。
今日もありがとう。
10:35

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