1. IBUKI STATION
  2. #12 リッキー・ゲイツさん・井..

藤代きよさん(木星社)、井原知一さん(TOMO’S PIT)、リッキー・ゲイツさん(Conceptual Runner)にお越しいただき、お話を伺いました。

イベントでのトークセッションの様子

リッキー・ゲイツさんは、木星社から『アメリカを巡る旅 3,700マイルを走って見つけた、僕たちのこと。』を出版されています。

https://mokusei222.stores.jp/items/629bef2a0536240ecb81bc44

リッキー・ゲイツさんが井原知一さんと共に京都で講演会などを終えられた帰りに、皆さんでUNKNOWN KYOTOに寄って頂きました。

なかなかお会いできないゲストの方々に、活動の内容など、貴重なお話が聴けました。

(この配信は、木星社のThursdayとの同時配信です。Thursdayでもお聴き頂けます https://listen.style/p/mokusei222

サマリー

アメリカから来られた特別ゲストのリッキー・ゲイツさんと井原知一さんと共に、京都で開催されているトレイルランニングイベントについてお話しています。リッキーさんは長年にわたりランニングでご活躍されており、プロジェクトベースのランニングにも取り組まれています。リッキー・ゲイツさんはアメリカを横断するランニングプロジェクトを通じて、土地や人々に興味を持ち、アメリカの真実を知りたいという思いから旅に出られたとのことです。彼は写真を撮影する際には、人々の笑顔だけでなく、その笑顔の裏側に隠れた本当の表情や人柄を捉えることにも力を注がれているそうです。また、リッキー・ゲイツさん、井原知一さん、藤代きよさんのエッセイストやランナーとしてのお活動についてもお話がありました。このエピソードでは、トレラン文化部の活動やランニングの魅力についてもお話がされています。

目次

00:05
近藤淳也
よろしくお願いします。
井原知一
よろしくお願いします。
藤代きよ
こんにちは。
近藤淳也
こんにちは。
京都でのランニングイベント
藤代きよ
Hello.
Yes.
近藤淳也
ちょっと今日はポッドキャスト、アンノーンラジオを最初撮る予定だったんですけれども、
木星社の藤代さんの回を撮ろうと思っていたら、特別ゲストがいらっしゃいまして。
急遽。
びっくりしました。
ちょっとなので、急遽これはIBUKI STATIONとして撮ろうかなっていう感じですけれども、
じゃあちょっとご紹介をいただいてもいいでしょうか、藤代さん。
藤代きよ
はい、こんにちは。藤代きよと言います。
木星社っていう出版社をやってて、トレールランニングもやってますね。
今日たまたま、井原知一選手とリッキー・ゲイツがアメリカから来てくれているので、
3人で押しかけたという感じですね。
じゃあともさん、軽く自己紹介。
井原知一
フィジカルアーティストの井原知一です。こんにちは。
こんにちは。
TOMO'S PITという会社でオンラインコーチングのビジネスをやっていたり、
とにかく100%ランニングに関わることをやっている会社です。
今日はですね、リッキーが来ているということで京都に来ておりまして、
昨日はNADIさんのイベントで少し京都の路地裏を走ったりして、
リッキーの本もありますので、そのトークセッションということで、
リッキーと初めて対面して一緒に一晩過ごして、
今朝はダイモンズだったり何千字の方を走りに行って、
トレイルメディテーションを朝からしてきました。
近藤淳也
よろしくお願いします。
Rickey Gates
よろしくお願いします。
藤代きよ
来たことあるんですけど 京都 初めてで アメリカを巡る旅っていう
本を自分が作ったので その本の紹介 とかですね いろんなことをしに
日本に来てますという感じで 今日 ありがとうございますということ
近藤淳也
ですね
はい こちらこそありがとうございます 豪華ゲストで
トークセッションと何気ない話題
近藤淳也
豪華ゲスト はい じゃあメインは リッキーさんの本を木星社さんで
今回出されていて それのイベント で京都に来られてるっていうこと
藤代きよ
ですよね
はい もともとリッキーが北アルプス とか富士山をアメリカの方を連れて
ツアーしてガイドするっていう 予定が今年の夏にあって 日本に
来るって言ったので その前に京都 に来てと言ったら4日間ぐらい時間
をくれて 一緒に本の話をしたり 居原 友さんと走ったり話したり
っていう そんな時間を京都で一緒に 過ごすという感じで 今 京都に来て
くれてる感じですね
なるほど
京都はもともとよく知ってて やっぱり ずっと来たいと思ってたと
なかなかコロナとかもあって来れない かったので 今回 非常に楽しみ
にして来たという そんな流れですね
近藤淳也
なるほど どうでしたか 京都の 山は
井原知一
そうですね 僕はもう何回か京都 の山 京都一周トレイルだったり
ナディさんが企画してる買って 100マイルもありまして WTK100という
Welcome to Kyoto 100っていうものが あって 京都って本当にトレイル
と身近な町なんだなっていうのが 印象的で 今日もちょっとロード
2,3キロ走ったらすぐ山に行ける っていうような環境で トレイル
ランナーとしてはすごくいい場所 だなっていう感じがしますね
はい
藤代きよ
はい
Rickey Gates
うんうん 神社とかお寺とか 通ってて 大文字の山を見ることができて
すごくいい感じがしますね
うんうん 神社とかお寺とか通ってて 大文字の山上行ったんですけど
町の景色も綺麗で 自撮りもしてましたけど
サンキュー
藤代きよ
で 鳥の跡 さえずりとか みたいなことを 見ることができて
すごくいい感じがしますね
そうですね
うん
はい
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
あと さえずりとか そういうのも聞こえて 非常に良かったなって言ってますね
で 突然 りき立ち止まって何かなと思ったら アプリでその鳥の声を判別するアプリを持ってて
で 何の鳥かっていうのを検出しようとしてたりとか
なんか結構こう ふと立ち止まったりして あのミントの匂いがするとか言って
井原知一
立ち止まって道端の草の匂い嗅いでみたりとか 結構面白い発見をする人なんだなっていうね
大門寺でミントの匂いがするって言って それでなんか彷徨って これは違う これは違う どっから匂いしてるんだ
結局見つからなかったんですけど
近藤淳也
見つからなかったんです
井原知一
そういった観点もあって なんかこう 山の楽しみ方もいろいろあるんだなと思いながら 見させてもらいました
藤代きよ
なんかそんな朝でしたね 今日は
近藤淳也
でも歩いたり走ったりすると早いんですよね
早いです
早いのに突然止まる感じですか
井原知一
そうですね
近藤淳也
そうですね
藤代きよ
西京国のスタジアムの周りをおとといぐるぐるぐるぐる走ったんですよ
最後の一周みんな全力だったんですけど
リッキーめちゃめちゃ早くて 一人だけ全然ほぼ汗もかいてないし 息も上がってないしっていう感じ
やっぱこう すごい強いんだなと思いましたけどね
近藤淳也
そうですよね
実は僕は大門寺山のふもとに住んでるんで 朝ほんと散歩で登れるぐらいの距離なので
井原知一
銀閣寺の
藤代きよ
銀閣寺山でした
近藤淳也
なので嬉しいですけど
そうですか じゃあイベントの方はどうでした
藤代きよ
そうですね 京都ではトレイルランニングショップのモンキークルーで
ランニングしてビール飲んでっていうのを最初にやって
結構リッキーファンが来て本人サイン リッキーがしてくれたりとかして
過ごして 一夜明けて昨日がお昼になで北山で
ランニングをして神山大神社 下山大神社 ぐるぐるあのあたり含めて
ランニングをして その後にトークセッションをやって
夜に成功者ですね 本屋さんの成功者でまたトークセッションをやってっていう
そんな1日だったんですけど
結構な人が来てくれましたよね
昼もまあ10人 14人ぐらいなのかな
夜はもう満席で25人とかっていう感じで
結構本当にこうみんな来てくれて
昼は結構会場もちょっとアットホームな感じの会場だったんで
割と沸き上げていろんな話をしてと
夜は結構さらにもっと深い話
割と哲学的な話が結構いろいろ出てきて
井原知一
きょうさんは通訳大変だったんじゃないですか
藤代きよ
大変でしたね 夜の方はトムさんと2人がかりで通訳して
井原知一
なんかこう質問に対しての回答が思いもよらない回答だったりっていう
プロジェクトベースのランニング
井原知一
なんですかね お坊さんみたいな人ですね
そうですね
近藤淳也
そうですか ちょっとよろしければどんな内容だったか軽く
井原知一
例えばどんな話しましたっけ
藤代きよ
なんか僕が一番 昨日の特に夜のセッションで聞いてて
一番印象が残ったのはある方が
Q&Aセッションで質問されて
ランニングできなくなったりとかしちゃった時に悲しくなると
例えば友達もランニングやめちゃったりとかして
友達も怒りなくなっちゃったりとか
自分が例えば怪我とかで走れなくなったりすると
ランニングってやっぱり楽しいものだったので
きっとすごい悲しいんじゃないかと
そういう時にどうしたらいいのかっていうようなちょっと深い質問が出た時に
リッキーは瞑想もよくやるし
ランニングっていうことだけじゃなくて
その瞑想をやる中でランナーズハイみたいな状態にもなれることもあるし
別にそんな悲しいことでもないっていうようなことを言ってたのは結構深いことを言ってて
走らないことが走ることだみたいな不思議な
井原知一
何ですか?
走らないことが走ることなんだ
藤代きよ
そういうような回答とか言い回しをしてたりとか
あとはすごくニュートラルなところに戻ってくるっていうことも結構いて
いい時も悪い時もそれは絶対に永遠には続かないんだみたいなことを言ってて
だから悪い状態だったとしてもそれが絶対には続かないし
その時に分かってると自分をニュートラルにまた戻せることができるし
逆にいい時にワーッと範囲になりすぎずに
いい時も別に一生続くわけじゃないから
あんまり一喜一憂せずにニュートラルに過ごすっていうようなことを言ってたりとか
井原知一
質問の中でやっぱりウルトラって過酷なスポーツなんで
辛く大変になった時ってリッキーはどうするんですかっていう質問に対して
リッキーは辛いこともずっと続くわけではない
浮く時があると
浮いてる時もずっとそんなハイな時は続かないと
なので彼は痛みとか伴った時はそれをニュートラルの方に持ってくような作業をして
かつ今度ハイな時なんかすごく楽しいし
ヒューヒューってやる時もあえてそれをずっと続かせるんじゃなくて
やっぱり中心に戻して
常に真ん中にいるっていうことを意識して行動してるっていうような
近藤淳也
これはもうでもランニングだけじゃなく人生に通じる話ですね
そんな話をしてたんですか
井原知一
結構深い話をいっぱいしましたよね
近藤淳也
それはなかなか面白かったでしょうね
ちょっとそもそもリッキーさんのことを知らない方もいると思うんで
改めてになりますけど
リッキーさんって何者かっていうのを教えていただいてもいいでしょうか
藤代きよ
学校を卒業してトレーラーナーとしてキャリアをまずスタートしたと
そもそも学校時代はクロスカウントリーをずっとやってて
そこでかなり打ち込んで
本当に全米の選ばれるか選ばれないかとか
それぐらいのすごいレーサーとしてやってたんだけど
その後トレーラーニングをするようになって
井原知一
学校を卒業してトレーラーニングを始めたんですか
Rickey Gates
高校でクロスカウントリーを4年やって
その後は学校に行って1年だけトレーラーニングをして
その後は3年間は学校のことだけやって
その後はトレーラーニングが好きになって
トレーラーニングは世界を見るのにとても良い方法だった
ヨーロッパから始めた
ヨーロッパに3回目の長いシーズンに来て
5ヶ月の長いシーズンで
レースからレースに行って
短いレースに行って
1時間から2時間
今の私の道のように始めた
井原知一
サルマンがどこで見つけたんですか
Rickey Gates
サルマンが探してくれたのはその頃だった
最初は1年間はフリーペアで
その後はビデオでストーリーを伝えることに
協力を始めた
学生時代、高校時代までずっとクロスカウントリーをやっていて
井原知一
それで大学に進学して
大学では1年間クロスカウントリーをやったけど
残り3年間というのは学生だったと
学生卒業してから旅行するのがとても好きになって
旅行するんだったら旅行先で移動する手段はランニングだと
24歳から以降はヨーロッパに3年間ぐらい連続で行くんですけど
その連続も毎年5、6ヶ月間行って
ヨーロッパの国々を回って
開催されているレースのところも回って
10キロ、20キロぐらいの短いレースを楽しみながら
いろんな国を回っていくっていうことをしていたら
サルマンにこのレースに行って
楽しみながらいろんな国を回っていくっていうことをしていたら
サルマンにこの選手いいなってことで目につけられて
サルマンとのレーションシップができたということを言ってましたね
藤代きよ
結構やっぱりなかなか早いランナーで
活躍はずっと長らくしてたっていう感じですよね
Rickey Gates
そうですよね
長い間のレースを終わって
私はプロジェクトベースのランナーを集中し始めました
これはストーリーを語るランナーです
時間や距離や
終わった場所や
そういったことに関しては
もちろん地域を探索すること
周りの人たちを知ること
自分自身を知ること
私の最初の大きなプロジェクトは
2017年にアメリカを走り
サンフランシスコからサウス・カリライナまで
約6,000キロの距離を走りました
その後は
私が毎つの街を呼んでいる
別のプロジェクトで
全ての街をサンフランシスコで走り
約2,000キロの距離を走りました
約6週間の間
その2つのプロジェクトから
私の住んでいるニューメキシコの
小さなプロジェクトが出てきました
そして
私はそれぞれのプロジェクトについて
時々考えています
それらを実現するための
時間や努力が必要です
藤代きよ
アスリート的に
さっきみたいに世界中回りながら走っていて
だんだん今度はレースとかじゃなくて
プロジェクトベースのランニング
という言い方をしていたと思うのですが
そういうランニングにどんどん切り替わってきて
ランニングプロジェクト
藤代きよ
ランニングをしながら
人に会ったり
土地のことを知ったりというような
そういうところにどんどん興味が向いていって
アメリカを巡る旅で
3,700マイルアメリカをずっと
横断したりとか
エブリッシングストリートといって
サンフランシスコの全部の道を
地図を片手に全部走る
総距離が2,000キロぐらい
近藤淳也
2,000キロぐらいですか
藤代きよ
登りも
5万メートルぐらいでしたっけ
井原知一
そうですね 5万メーター
藤代きよ
5万メーター登るというプロジェクトを
やってGPSでログで全部
走った軌跡を
記録してというようなそういうプロジェクトを
通して土地の
ことをいろいろ知るようなことを
やったりとか あとニューメキシコでも
そんなもうちょっと小さいことを
小さいプロジェクトをやったりとかという
そういうプロジェクトベースのランニングで
距離とか記録とか
いわゆるレース的なそういうものとは
また違ったランニングに
どんどん変わってきて
今そういうふうな
ことをやってるという そういうランニング
だからアスリート
時代から今に至るまで
いろんな形でランニング
っていうのを捉えてる
人が力月っていう人
そういう感じの方ですかね
井原知一
アメリカの
クロスカントリーしたときの
軌跡も自分で決めた
ルートを走るんですけど
スタートはサウスカロライナって言って
結構サウスカロライナって
アメリカだと田舎とか
偏見あるような
サウスって偏見あるようなところ
なんですかね 昔南北戦争って
あったときにやっぱり今でもやっぱり
北と南で
偏見があるような感じも
する中で2017年に
やったとしてもちょうど
クリントンと
トランプが
どっちが
プレジデントになるんだっていうことで
赤と青でアメリカが
戦い合ってたっていうような
時期で
リッキーとしても
皆さんが
青でも赤でも
偏見あったり
実際は
青と赤で
やり合ってるんだけども
言ってみたらちょっと違うんじゃないかっていうのを
自分で知るために
そこをスタートするっていう
そしてゴールがサンフランシスコっていうのは
自分がその当時住んでたゴールにして
その中でもやっぱり
トレイルを多く
使っていきたいんで
トレイルを多く入れたりとか
川を多く入れたりとか
言ってましたよね
選び方のルートっていうのが
ただ単に右から左じゃなくて
いろいろと本人なりの
アメリカを自分で
見たいっていう
体験してみたいっていうラインなんですよね
藤代きよ
そういう
コースとか
どういう道を行くかっていうところから
含めて自分で考えながらやる
そういう
やり方をされてるみたいですね
近藤淳也
最近はね
それが今職業なんですか
藤代きよ
奥様が
アーティストで
アーティストじゃないんですけど
アーティストで
奥様がフルタイムで
いろんなお仕事されてて
リッキーはプロジェクトごとに
日本まわったりとか
アメリカのお客様を連れて
今回も日本に来たりとか
あとは例えば
アラスカにリッキーがガイドして
ツアー行ったりとか
山小屋を重装していくような
そういう旅っていうのを
アメリカの真実
藤代きよ
企画してやったりとかっていうのを
年に何度か
やってるっていう
近藤淳也
そういうフレキシブルな
藤代きよ
それをお仕事されてるんですね
井原知一
今回
我々のこの後に
彼のお客さんを
アメリカから連れてきて
白馬の方のアルプス行って
トレッキングツアーすると思うんですけど
そういったツアーを年に
4,5個やってるっていうのも
職業に打ちに入るみたいですね
近藤淳也
実は僕は自転車で
アメリカを横断したことが
ありまして
藤代きよ
20歳の時に
近藤淳也
横断
そうなんですよ
なので僕もなんとなく
藤代きよ
長さは分かってると思うんですけど
近藤淳也
いやでも走ってって
ちょっと考えつかないですけど
どうして
横断なんかしようと思ったんですかね
藤代きよ
アメリカから
Rickey Gates
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
井原知一
アメリカから
Rickey Gates
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
アメリカから
うん
井原知一
うん
やっぱなんか世界中を
色々と旅してきて
もうまぁヨーロップア
スアウスアメリカ
アジア
日本 いっぱい行ってきて
で唯一やっぱ
日本 自分の国を
あのーこう トラベルするっていうのは
あまり経験していなくて
それを発見したいタイミングだったし
あとはやっぱりこれから自分が年をとって 加齢していくと、そこまで今みたいなことができなくなってくるという現実もありながら、家族も持っていくとさらに時間が使えなくなっていくというときに、この時期しかないなというところで選んだみたいですね。
藤代きよ
そうですね。あと、本人に書いてあるところももうちょっとあって、やっぱりその選挙のところで結構やっぱり立地的にも驚いた結果になって、
アメリカってどうなってるんだろうっていうのを非常に強く思うようになった。特に南部って行ったことがなかったところもいっぱい、
リキーにとってもあったということで、その南部とか知らないところにあえて行くことでアメリカっていうのを改めてどういうことなのかっていうのを見つめに
行く旅っていうのをするっていう、そういうタイミングだったっていうようなことも言ってますね。
近藤淳也
自分の国を知りたかったってことですけど、何かわかりましたか?アメリカはどういう国でしたか?
Rickey Gates
アメリカはどういう国でしたか?
アメリカはどういう国でしたか?
藤代きよ
なんかまた、昨日の夜みたいに段々深い話になってくるんですよね、リキーに話を聞いてると。
今言ってたのは、選挙とかいろんなことで、メディアはやっぱりアメリカっていろんなところが違うとか、いろんなことがあだこだって言うんだけど、
旅に出て実際に道を進みながら人に会ってみると、やっぱり人って別に安全なほうがいいってみんな思うし、
例えば家族をもうちょっと守りたいっていうふうにも思うし、自由にやりたいっていうふうに思ってるっていうところもあるし、
やっぱり人に会うことで、メディアがいろんなテレビとか新聞とか広告的にいろんなことを言ってるっていうことじゃなくて、
自分で思うものを見たときに、そういうふうなアメリカっていうのは見えてくるっていう、そんなような感触ですかねっていう感じですかね。
近藤淳也
なるほど。一つ一つの人と会って、見ていけばそれぞれの人がいるっていうのがわかってくるみたいなことですかね。
藤代きよ
やっぱり自分の足で本当に出て行って、自分で人に会って、それをどういうふうに自分が見えるかっていうのをずっと体感し続けた人っていう感じですよね、リッキーって。
井原知一
僕も話は変わるかもしれないんですけど、僕が初めて韓国に行ったときに感じたような思いというか、
おじいちゃんとかおばあちゃんから聞いてた韓国と父親母から聞いてた韓国、自分が行ってみた韓国っていうのが行ってみると違うっていうところで、
あれ、結局同じ人じゃん。しゃべる言語も違うんだけど、こんなあったかい人たちだったんだなっていうふうに実際に思ってみたり、
実際にメディアが言っているところとの差がすごく、自分の中でこんなにも違うんだっていうのは実感しましたね。
それはもう韓国だけじゃなくて、いろいろアジアの国も行ったんですけど、行ってみると全然違うなっていうのは本当に、
井戸の中のカワジじゃないですけど、出てみると本当に見て触ってしゃべってやるとやっぱり違うなっていう。
やっぱり真実って自分が見たものなんだな、だから偏見ってよくないなとは思いましたね。
近藤淳也
そんな簡単にね、人をくくってアメリカ人はこうだとか韓国人はこうだなんてそんな単純なわけがないですもんね。
写真から捉える
近藤淳也
個別の人間はそれぞれ別々ですし。
藤代きよ
そうですね。だからリッキーの本にもすごいいっぱいいろんな人が出てくるんですよね。
アメリカって人くくりの中でリッキーが自分の足で歩いて実際に会った人たちのことがいっぱい書いてあるんですけど、それぞれがやっぱり全然違うんですよね。
政治信頼も違う人がいっぱい出てくるし、アメリカの中でも言葉の使い方とか発音が全然違うみたいな話もいっぱい出てくるし、
結構つぶさに見ていくと全然アメリカっていう中だけでももう本当にいろんな違いっていうのがすごく描かれていて出てくるので、
それを全部見て全部自分で記録したっていうのはやっぱすごいなって思いますね。
面白いですよね。
近藤淳也
ただなんかそういうちょっと政治的なというか関心があったっていうことですけど、
実際のアメリカを巡る旅の本の写真を見ていた僕の写真の印象はちょっとユーモがあるっていうか、ちょっと面白い感じというか、
なんて言ったらいいんですかね、まなざしがあったかいんですかね。
なんかそういうものを感じたんですけど、写真を撮るときに何にカメラを向けるかっていうところで意識されてたこととかってあるんですか?
藤代きよ
特に写真を撮るときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何にカメラを向けるかっていうときに何
Rickey Gates
何を向けたらいいのかのところがあり、なぜそのための写真とほかにどんなことを撮ったかっていうところについて
凍らせてもらうっぽいそれだけではなくシンプルな設定して、優しい取写する予定になりました
そのあとは見終わって、20 reachdayだったんです tuvo
私の意図はポートレットを手に入れましたが
誰かに会いに行くのは簡単ではありません
「あなたの写真を撮ってもらえますか?」と言うのも簡単ではありません
彼らがそう言ったとしても
あなたは素晴らしい写真を撮ることはできません
誰かに会いに行って
彼らと話をしましょう
自分を紹介し
あなたが何をしているのか教えて
自分について聞かせて
1分か数分もかかるかもしれませんが
あなたが何をしているのかについて
本当に興味を持っているとき
人々はかなり心地よいです
彼らの人生について
少しずつ疑うこともあります
だから私は
同じ人の写真をたくさん撮ります
その人の笑顔を
その人の笑顔を
その人の笑顔を
それぞれのカメラを
それぞれのカメラを
それぞれのカメラを
彼らがその言い方を
彼らの笑顔を取り除いて
彼らの笑顔を取り除いて
カメラに一瞬おさめます
そしてそこで
私のことを
真の人間になることができます
とても楽しい
とても楽しい
とても興味深い
とても興味深い
エクササイズ
私の国の
エクササイズ
藤代きよ
写真を撮るときのプロセスも すごい考えてる感じですね
ポートレートをいっぱい撮ろうと思って 行ったんだけど
まずは写ってくださる方が コンフォタブルな状態・場所で
撮るっていうことを非常に心がけてやってて
1分とか数分っていうふうに 撮ったりとかっていうことをやるんだけど
ジェニューインターレストって 本当に興味があるっていうことを
考えながら撮るようにすると
いろんな話をしたりしながら その人が笑って笑顔でいるんだけど
その笑顔を 笑顔が終わった瞬間に見えるその人の
本当の表情とか そういう視線みたいなことを
最終的には撮るようにしていて 当然笑顔も写真とかも撮るんだけど
そういう笑顔で隠された さらに奥にある
その人の人となりっていうようなことを 撮れるような形で
撮影をしていたという そんなことを言ってますよね
エッセイストとランナーの活動
藤代きよ
なんか 笑顔じゃないんだみたいな その先なんだみたいなね すごいな
近藤淳也
でもそれでやっぱりその人っぽい表情が すごい並んでたんだなっていうのが分かりました
いやー面白いですね
井原知一
ランナーっていうか
藤代きよ
写真家?エッセイスト?
Rickey Gates
エッセイスト?
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
エッセイスト
それをとても大切にして、それを持っていきました。
それは、他のアーティストから来る必要があったような気がしました。
それが、私にとっては、本当に深い意味を持っているのです。
藤代きよ
リッキーってそんな色んなことやってるか、どういう風な人なんだろうねって聞いたら、
友達が彫刻家で、小さいギャラリーのキュレーターでアーティストの友達がいて、
リッキーのプロジェクトを色々見てて、
ランナーの自己表現としてのランニング
藤代きよ
リッキーってコンセプチュアルランナーだねって言ったと、それがすごく気に入ってて、
自分のことを言うとしたらコンセプチュアルランナーかなと。
伊原敦さんはフィジカルアーティストとおっしゃってると思うんですけど、
コンセプチュアルランナーっていう風に言ってて、
ランニングをメディアとか自分の表現として捉えてて、
例えば、ランニングをすることで石を削っていくような彫刻にもなるようなことかもしれないし、
そんなような何かしらの表現をしていくようなものだという風に捉えてると。
昨日も言ってたんですけど、
ランナーとかアスリートとか決まった肩書きというよりは、
コンセプチュアルランナーとして、
色んなプロジェクトベースなことをやっていくような、
そんな風に自分のことを捉えてるという。
近藤淳也
いや、いい名前ですね。
井原知一
マーベルとかの映画で、アントマンじゃないけど、
ランニングマンじゃないけど、なんか出てきそうな感じですね。
ランニングをツールに、悪者を退治してるみたいな。
藤代きよ
退治?
井原知一
何言おうかわからないですけど。
近藤淳也
スーパーヒーロー。
藤代きよ
ランニングは武器でやるみたいな。
結構独特な感じですよね。
だから、ランニング自体が何かしらのそういう表現になっていって、
伊原ともさんも自分の走る軌跡を世界中に刻んでいきたいみたいなことをよくおっしゃってると思います。
それもある種の地球っていうフィールドに絵を描いていくような、
そういうちょっとアーティスティックな側面もあると思いますし、
お二人ともそういうところですごいなと思いますよね。
近藤淳也
伊原さんのお話もぜひちょっと伺いたいんですけれども、せっかくなので。
本当世界中の100マイルレースとあちこちずっと演説されてますけど、
いろんなところで語られてるかもしれないですけど、
改めてどうしてというか、なぜそれをされているかっていうのは。
井原知一
そうですね。
14年前に体重が100キロ近くありまして、
それで入社した会社、アメアスポーツというところに入社したときに、
その初年度に展示会があって、
僕のいた部署っていうのはトレッドミルを取り扱う部署で、
そのトレッドミルとかストレンスマシンを使って、
BMIを減らそうっていう企画がありまして、
僕が入社したときは、僕が一番下っ端だったんで、
お前太ってるし、お前伊原やれっていうことで、はいわかりましたっていうことで、
僕がもうその企画に、コンテストに参加させてもらって、
それでトレッドミルの上で、もう100キロぐらいあったんで、
歩くのは精一杯なので、走るどころか。
たまにそれを5キロやったら、3ヶ月間で7キロ減って、
歩く喜び、走る喜びっていうのを感じていて、
その頃はやっぱり体格もでかいし、
もともとストレスがきっかけで体が大きくなってしまったんですけど、
やっぱり今じゃすごくポジティブ変換期とか、
ポジティブな僕のイメージがあるかもしれないんですけど、
そのときは内向的だったり、
マイナスのことも少し考える時期もあったり、
家から出たくないときもあったり、
自分の姿を鏡で見るのもあまり興味なくなってしまったりっていう中で、
グランドスラムの挑戦と100マイルレースの人気
井原知一
やっぱり走ることが自分を変えていったきっかけで、
ちょっとずつ7キロも痩せると、
自分の体を少し鏡で見るのも好きになる時期も出てきたりして、
やっぱり走ることが3ヶ月間やっただけで、
毎朝顔を洗うような普通の出来事というか生活になっていって、
それで次の目標は何かないかなと思ったときに、
トレイランのポスターが車内に貼ってあったので、
近藤淳也
そんなきっかけなんですか?
井原知一
次はお前それやれって言われたら、はいわかりましたになりますっていうのがきっかけで、
マダラオフォレストレイルの15キロ、
その当時5キロが最大の距離だったので、
もう3倍の距離なんてもうちょっと考えづらかったんですけども、
実際やってみて、走って、走り終えて、
その大会ってその当時は15キロと50キロの大会があって、
僕たちが終わった後にその50キロのトップの選手から一番最後の選手まで、
ゴールの手前でその先輩と一緒に芝の上で座りながら見てて、
一人一人がすごくかっこよくて、
来年はこれ出ましょうっていう話をしてですね、
それで50キロを目指して、
そしたら徐々に距離も増えていって、
その翌年しっかり50キロも完走して、
70キロ、100キロ、110キロ、
そして100マイルっていうところにたどり着いて、
距離を伸ばしていくごとに自分の得意性が出てきたというか、
自分はこういうのが得意なんだっていうのも気が付けたりして、
あとはやっぱり距離を伸ばすとまた強靭な人たちも増えてきて、
その人たちとの出会いとか、
その人たちからの刺激だったりっていうのもものすごくポジティブが、
雪だるま式に距離と一緒に周りの友達もどんどんどんどん大きくなっていって、
それがもうとにかく楽しくて、
今はそんな過程もありながら、
1回目の100マイルを走って、
そして今は68本100マイルを走り終えて、
夢だったグランドスラムっていうのを今年挑戦してまして、
アメリカの最古の5レースを4つ完走すると、
グランドスラムの称号が与えられるんですけども、
そのうちの僕は5レース中5レースを目指していて、
3レース走り終えて、
で、来週4000目を走って、
9月の上旬にまた5000目を走り終えてっていうところですね。
近藤淳也
なるほど。
1年間でその5個やると、グランドスラムになるんですよね。
井原知一
そうですね。
それも結構密集していまして、3.5ヶ月で5レースなんで、
ほんとに1レースごとに3週間ぐらいしか空いてないんで、
日本とアメリカを逃避しながらチャレンジしてるっていう状況ですね。
近藤淳也
結構アメリカのレースが多いですかね、伊原さんは。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
なんかそこは理由ってのはあるんですか?
井原知一
もともと働いた会社がアメリカのプリコっていう会社で、
シアトルにヘッドコートがあって、
それで僕がアジアのオペレーションマネージャーだったんで、
アメリカには年に2回行ったりとかする機会があって、
まずアメリカに出張に行くと日程が決まると、
まず全部まで100マイルがないか探してですね。
ウルトラサイオンプっていう便利なサイトがあって、
それを探すと大体アメリカって今、
日本じゃ100マイルって多分10レースぐらいしかないと思うんですけど、
アメリカって今300から400くらいあると思うんですね。
だからどっかの始末、どっかでやってるんですよね。
それをまず走るのをきっかけに、
アメリカ、そういった理由で多いですね。
だからまだ、ヨーロッパのレースはまだ1回も走ったことないんですね。
そうなんですか。
近藤淳也
多い印象はありましたけど、どうせかゼロだったんですか。
井原知一
ゼロですね。
近藤淳也
そうですか。
なるほど、じゃあその100回やるぞっていうのも基本アメリカのレース。
井原知一
いえ、もう本当にこだわらず、興味があるレースは走りたいですし、
UTMBっていうみんなが知ってるレースも走ってみたいですし、
過去にはトレッドミルの上で100マイル走ったこともありますし、
400mのトラックを400周したりとか、
1.5kmを190周したりとか、いろいろレースは楽しいと思ったことは基本的にやってきました。
近藤淳也
なるほど、グランドスラムはどうですか、このままいけそう。
井原知一
そうですね、とにかくこのグランドスラムは、
まずはオールドドミニオン、ウェスタンステイツ、ベルモント、レッドビル、バサチってあるんですけど、
ウェスタンステイツっていう、一番アメリカで古いレースにエントリーするためにはロッテリーがあって、
それに通るの、当選するのがすごく難しくて、
僕はもうクジ運が悪いんで、もう10年間もあったんですよね、コロナの1年間を入れると。
で、やっと願いも叶って、
ウェスタンステイツ走るんだったらグランドスラムは絶対やりたいってニコイシだったので、
なので、10年間待ってたので、本当にもう夢のような時間ですね。
当選走るレースがグランドスラムじゃなくて、今はこの3.5ヶ月間の、今はもうグランドスラム中っていうところで楽しんでます。
近藤淳也
ぜひ達成してほしいです。
井原知一
ありがとうございます。
近藤淳也
最近日本も100枚レース結構増えてきてると思うんですけど、
その辺はどういうふうにご覧になれてますか?
井原知一
いや、とてもいいですね。
やっぱり楽しいことやってると、
楽しい人が集まって、どんどんどんどん大きくなるものだと、
僕は、それはランニングだけじゃなくても、
そういう世の中の何でも楽しいことはどんどん広がっていくと思うので、
そういった意味でもやっぱり過酷ですけど、
過酷だからこそ、反対面には達成すると喜びがあって、
楽しさがあると思うんですね。
だから、レース以外にも勝手100マイルっていう、勝手にみんなでやっちゃうっていうのもありますね。
なので、そういったものもレース以上にあるんじゃないですかね。
僕は全部数えたことはないんですけども、
いろんな県で勝手100マイルっていうのをやってまして、
僕自身も初めて走った100マイルはTDTっていうところでやってまして、
先日は、いぶきさんのGPSをお借りして、
昔まではそういったデバイスがなかったので、
誰がどこにいるのか、運営側がちょっとわからないんで、
それで各エイドで名前と税金をチェックしてってやってたんですけども、
やっぱりGPSがあるとすぐ、みんながどこにいるかっていう軌跡も残りますし、
ピンポイントであともう何キロで来るっていうのもわかるんで、
運営がすごく楽でしたね。
そういったデバイスを使いながらやったりとかしてます。
いつか、100マイル100タイムって目指してるんですけど、
いつか1年間かけて、毎週勝手100マイルをですね、カレンダーに埋めて、
なんか行ってみたいですね。
友散歩じゃないけど、チー散歩でしたっけ?テレビ番組で。
チーさんが散歩しに行くみたいな感じで。
藤代きよ
散歩で。
井原知一
散歩で毎週どっかの地方に行って、うまくそこの土地の100マイル埋められるんだったら、
毎週ちょっと100マイル行ってみたいっていうようなこともちょっと考えてますけど。
近藤淳也
それはそれでトモさんの日本を知る民かもしれないですね。
井原知一
そうですね。
藤代きよ
そうですね、ほんとね。
井原知一
その時はまたデバイスの方を。
近藤淳也
勇気もご活用いただければと思います。
僕はアメリカのハードロックに庭香里さんのサポートで行ったことがありまして、
その規模の小ささっていうか、アットホームな感じがすごく印象的で、
観走者全員が表彰式に呼ばれて、
すごいファミリーって運営の方も言ってましたけど、
こういうのもあるんだってすごい印象的だったんですけど、
最近日本でできてる100マイルレースも、ちょっと規模の小さいものも多いじゃないですか、
あればあれでみんな顔が見えてて、
エイドのために同じ人がまた現れて、またこの人いるなっていう感じで、
だんだん仲良くなっていくみたいな、
なんかああいう規模の100マイルっていうのもすごく面白いなって感じていて、
ちっちゃいのがいっぱいあるのもすごい特徴が出てきますし、
面白いなってちょっと感想みたいになっちゃいますけど、思ってます。
井原知一
いろいろ色があってもいいと思うんですよね。
だからこれが良いとか悪いとかっていうのはもうなくて、
そのレースもアートなんでしょうね。
そうですね、ほんとそうですよね。
藤代きよ
ランナーだけじゃなくて、いろんな人も含めてその時間が成り立っているとすると、
複合的にいろいろ関係しながら、
その瞬間が出来上がっていくっていう、
みんなでやるっていう感じの作品ですね。
その1日2日みたいなのが。
近藤淳也
そうですね。
藤代きよ
面白いですね。
近藤淳也
そんな方々を束ねて、
トレラン文化部の活動
近藤淳也
束ねてはなんか、藤城さんは本を出されてますけど、
なんですかね、これはトレラン文化部みたいな感じの活動ですか?
藤代きよ
そうですね、きっとトレラン文化部かもしれないですね。
東京のランボイズ、ランガールズ、
ペッカーバラさんがやられてるお店で、
読書とランニングの会っていうのをやったりしてるんですけど、
読書とランニングって、
文化っぽいこととスポーツっぽいことって、
全然違うふうに言葉としては捉えられることが多いと思うんですけど、
僕の中では読書とランニングってすごい似てるなって思ってて、
本って1ページ1ページ読んでいくと、
いつの間にか知らなかった世界に入っていけるじゃないですか。
ランニングの魅力
藤代きよ
小説でもドキュメンタリーでも見たことのなかった物語の中に行けたりとかするし、
ランニングも一歩一歩進んでいくと、
行ったことなかった頂上に行けたりとか、
行ったことなかった距離走れたりとかって、
全然違うことを体験できるので、
一個一個やっていくと、
なんか全然違うことになっていくっていう意味で、
すごく読書とランニングもすごい似てるなってすごく思ってるので、
自分の中では実は文化部なんですけど、
全部共通していることが結構多いかなっていうふうには思ってますね。
井原知一
そんな感じで本を作っております。
近藤淳也
そうですよね。
領域としてはランニング?スポーツですか?
藤代きよ
そうですね。
自分の興味のある分野のものがやっぱり多くて、
そうするとやっぱりランニング、旅、自然、スポーツっていうのが、
今はすごく多いですかね。
井原知一
ランニング、5冊ぐらい今出してるんですけど、
藤代きよ
4つぐらいはランニングですね。
サッカーとかもちょっと出したりとかしてるんですけど、
スポーツ全般っていうのが今多いですかね。
近藤淳也
なるほどなるほど。
ちょっとあれですね、藤代さんの話はまた…
藤代きよ
はい、はい、いろいろと。
近藤淳也
アンノウンでね、お仕事されてるんで。
藤代きよ
はい、そうですね。
ぜひぜひまた詳しくは。
近藤淳也
詳しくはまた撮り直しましょうか。
はい、ぜひぜひ。
いやーでもじゃあ今日本当に、こんな感じでじゃあ、
そろそろ終わりたいと思いますけど、
面白い話を聞かせていただいてありがとうございます。
藤代きよ
ありがとうございます。
Rickey Gates
Thank you so much.
近藤淳也
なんかあります?大丈夫ですか?
井原知一
そうですね、僕は最近ランニングやってて思うことは、
もともとそのランニングを始めたきっかけが、
体重を落とすための挑戦であって、
それでそこからトレランっていう楽しいスポーツと出会って、
で、それが距離が15キロ、50キロ、70キロ、100キロ、
レースが自分の目的だったんですけど、
最近こう走ってて思うことは、
やっぱりこの走ってきたからこそ、
見えなかった景色が見えたっていう、
14年前に僕は今100マイルを68本、
体重が大きくて家で閉じこもってた時に、
そんなことになるとは思ってもみなかったので、
で、その当時っていうのはね、サラリーマンをやってて、
今は僕は100マイルを68本走ってて、
そしてランニングコーチで、
人にランニングを教える職業に就いていて、
っていうことが絶対そんなことを想像もできなかったんですよね。
ただその走り続けてきた結果、
いろんな人と出会って、いろんな刺激をもらって、
いろいろな状況も変わって、
いろんな世界も見てきて、
考え方も変わって、
で、見えてきた世界もあるんですね。
で、僕は14年前にランニングを始めて、
そして今が46で、
そして100マイル100タイムを終えたら、
90歳で100マイル走りたいっていう目標があるので、
そうすると今から44年後になるわけなんですよね。
そうすると今日生まれた子供が44歳になってて、
僕が90歳で一緒に100マイル走るかもしれない、
っていう場面を想像するとワクワクしますし、
14年前に今が想像してなかった僕が、
おそらく44年後の僕は想像できないと思うんですよね。
でもどうやってそこにたどり着くかって言ったら、
毎日走り続けることだと思うんですよね。
だから今は目的がレースとかっていう目的もありますけど、
その見えない目的に向かって走ることで、
また新たに出会えるっていう。
今日も朝も一緒にリッキーとキヨさんとヤノ君と走ってたんですけど、
走り続けて良かったねっていう会話をしたんですよね。
走り続けなかったら、今日朝6時に起きて、
福寿大橋で待ち合わせして、
そしてちょっと20キロぐらい走って、
そしてトレイルも楽しんで、小鳥のさえずりも楽しんで、
川から出てくる水を飲んだり、
2時間ぐらいで20キロぐらい走って、
やっぱりランナーしかできない体験を
今うちらがやってるんだっていうことをすごく感じていて、
だからこんな場面が、今日だって最高だったんですけど、
こんな場面が絶対明日明後日、1年後、5年後、10年後って、
また誰かの繋がりができて、走ることで繋がって、
出会えて、また何かをできるっていうことができるんで、
本当にランニングしてきて良かったし、
ランニングは続けていきたいなと僕は思ってますね。
はい。
藤代きよ
みなさんにメッセージはありますか?
Rickey Gates
短いメッセージはありますか?
いいえ、私はここにいることを幸せに思います。
藤代きよ
いやもう本当にこれ来れて良かったなと。
いろいろとトークセッションとかいろいろ話してたんで、
いろいろ話したなって感じですかね、力輝はね。
僕の方はまた改めてですね、本の話もさせていただいて、
近々、近藤さんにもぜひお送りするんですけど、
またちょっと本とランニングの新しいプロジェクトも近々アナウンスしますので、
キーの本もそうですし、他の本も、
あとは次の新しいプロジェクトも控えてますので、
ぜひお楽しみにと思っております。
近藤淳也
はい、それは楽しみですね。
はい、じゃあどうも今日はありがとうございます。
藤代きよ
ありがとうございます。
井原知一
ありがとうございました。
近藤淳也
はい。
54:48
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