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2023-11-17 44:09

三霊山を踏破する新レース!Sacred Tri-Summits Endurance Raceについて聴く

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日本を代表する三霊山、<白山><御嶽山><富士山>のピークを己の脚だけでつなぐ、総距離約450km/獲得標高約22,000mの山岳縦走レース、Sacred Tri-Summits Endurance Race (通称:STS)。副実行委員長、林田さんと、実行委員の安田さんに、レースの誕生のきっかけや当日の様子などをお話を伺いました。

 

 

サマリー

2023年8月9日、日本に新しいロングトレイルのレースが誕生しました。その名前はSTS、Sacred Tri-Summits Endurance Raceと言います。白山、御嶽山、富士山の3つの三霊山をつないで、日本海から太平洋へ450キロのコースを進むレースです。大会の開始時には想像以上に暑い気温で、選手たちはバイオリズム的にもきつい状況でスタートしています。レース展開では、序盤にポール選手が飛び出し、その後牧野選手が追いかける形で続いています。中央地区を越える時点で多くの選手が離脱し、最終的にはポール選手、牧野選手、貝瀬さん、木村さんの4人が残りました。第一回のSTS Sacred Tri-Summits Endurance Raceでは、牧野選手、木村選手、貝瀬選手の3人がゴールに到達し、レースの完走者は3人でした。今後の開催も検討されています。新レース「Sacred Tri-Summits Endurance Race」の課題と今後の開催目標について話し合われています。

STSレースの背景
近藤淳也
2023年8月9日、日本に新しいロングトレイルのレースが誕生しました。
その名前はSTS、Sacred Tri-Summits Endurance Raceと言います。
白山、本竹、富士山の3つの三霊山をつないで、日本海から太平洋へ450キロのコースを進むレースです。
この大会は、IBUKIを使って実況が行われました。
今回は、STSの副実行委員長、林田さんと、実行委員でコースの下見などを担当された安田さんにお話を伺いました。
桑原佑輔
それでは、今回はSTS、Sacred Tri-Summits Endurance Race 2023の実行委員会の方々にお話を伺っていきたいと思います。
今回は安田さんと林田さんにお越しいただきました。
お二人どうぞよろしくお願いいたします。
林田 裕介
よろしくお願いします。
桑原佑輔
そもそもこのSTS、どういった大会だったのかというのをご説明いただいてもいいでしょうか。
林田 裕介
このSTSなんですけども、この企画を思いついたのが、
日本にはいろいろな山霊山ですとか、そういった強度の文化に根付いた山々がたくさんあるんですけども、
その中でもとりわけ、この白山、御岳、富士山、あとは立山、
こちらの4つの霊山というのは、もう日本有数の霊山としてものすごく長い歴史を持っておりまして、
こちらを舞台に何かできたらいいなというのをぼんやりと以前から考えていたんですけども、
今回はちょっと木村君と一緒に何かやろうということになりまして、
そのうち白山と御岳と富士山、こちらの山山を結んだ場合に、
日本海から太平洋まで一直線でつながるということを僕の方で発見いたしまして、
その点を木村君の方に提案しましたところ、ちょっと面白いからぜひやろうという話になって、
STSレースの特徴
林田 裕介
そこから詳細なコース作りという形で、レースの全体像がだんだんできてきたという流れになります。
近藤淳也
今回のイベントは、経緯としては山霊山が一直線につながるというところから始まったということだったんですけど、
これは一応レースなんですかね。
林田 裕介
これはそうですね、レースとしてやっておりましたね。
近藤淳也
このコースを一番最初に登場するのは誰だというようなところで、
トランスジャパンみたいな形で競っていくというようなコンセプトなんですかね。
林田 裕介
あくまで題材はレースなんですけども、
そもそもこのコースを完走できる人は果たしているのかという部分もあったので、
そこはもう本当レースレースではなくて、そこまでも命をかけるレースではありませんよということをずっと言い続けて、
自分へのチームという形で皆さんには参加していただいておりました。
近藤淳也
なるほど。トランスジャパンのご経験者の方も多いと思うんですけど、
そのTJRに対する特徴といいますか、何か違いみたいなことは逆にコンセプトとしてはあったりするんでしょうか。
林田 裕介
トランスジャパンの方がやっぱり日本の代表するアルプスを重装していくというのに対しまして、
こちらはあくまでもこの三麗山を自らの足で踏破するということをテーマとしておりました。
なので、こちらは山が中心、山が結構多かったんですが、
こちらも道道が結構多いっていう、そういった性格の違いがあるのかなと思います。
トランスジャパンの方が現在山小屋での復旧であったりですとか、
サポートの方は一切受けてはならないというルールがあるんです。
こちらはそれに対しまして山小屋ですとかそういったところは常識の範囲内での利用は全然OKと、
サポートの方も全然受けていいよという風なルールの違いというのを明確にしておりました。
結構トランスジャパンをやっていて、結構応援の方がサポートとして参加したいという方もたくさんいらっしゃるというのも、
ちょっと感じていた部分もありまして、本当応援の方も選手もみんなで一緒に楽しもうという大会を今回目指して、
そういったルール作りに進めていただきました。
近藤淳也
なるほど。じゃあいろんな方が大会に関わることができるという開かれているところがあるということですね。
林田 裕介
そうですね。
近藤淳也
あとちょっとコース的なところなんですけど、TJRの場合はチェックポイントが何個もあって、
それを通っていればその間は自由という形だと思うんですけど、このSTSの場合というのはどういう風なルールになっていたんでしょうか。
林田 裕介
チェックポイントも今回計12箇所用意、スタートとゴール含めて13箇所用意なんですけども、
その間は結構山と山との間が多いというのもあって、そこはもう本当Googleマップとかで調べたら、
だいたい最短距離をちょっと1回通るような形で設定しておりますので、
基本そのルートに沿って行っていただくっていうのを原則としておりました。
っていうのもかなり補給とかがシビアになっているパートもございましたので、
そこは補給ができる箇所を下調べした上で、そこを通るようにというような狙いがあって、そういう風にルールの方を設定いただきました。
近藤淳也
なるほど。じゃあチェックポイントの間は一応自由だけど、実質はそのコースを行くのが唯一の選択肢になるっていうような。
林田 裕介
そうですね。それ以外だとちょっと補給が厳しくなったりですとか、サポートもいけない場所があったりとか、そういったちょっと危険ディスクもありましたので、原則はコースに行ってくるという風にしておりました。
STSレース参加資格と準備
近藤淳也
なるほど。南アルプスのところでちょっと二手に分かれているような印象を僕は受けたんですけど、あそこはどういう。
すみません、これレース中のことになっちゃうかもしれないですけど、あれはどういうことだったんですかね。
林田 裕介
基本的にはもう中央を越えた後は南を越えるっていうのが正式なコースではあるんですけども、今回の目的がこの白山、大竹、富士山の3つを通るっていうのを大きなコンセプトとしておりますので、
もし迂回できるんだったら、そちらの方が安全だと選手が判断したのであれば、もうそちらを優先しても構わないという風にその場で判断をいたしまして、
そちらの迂回コースっていうのも、もう本当現場で判断を続けていただきました。
あとは選手の体力面っていう部分もありましたので、その辺も踏まえて選手の判断という風にしておりました。
近藤淳也
なるほど。じゃあ元々は一応基本コースが決まっていたけど、途中でその状況の変化で選択可能になったっていうことが起きたんですかね。
林田 裕介
そうですね。
近藤淳也
そういうことだったんですね。
林田 裕介
実際、迂回するとプラス100キロ以上プラスになるんですけども、そこを本当にやるのかっていう部分もありまして、
どっちがきついんだっていう部分も踏まえて選手に判断をそこは委ねて、もう別コースもOKという風に判断していただきました。
近藤淳也
なるほど。ありがとうございます。
あとはその参加資格ですけど、今回っていうのは一般公募みたいなことはされたんですかね。
それともお声掛けされた方だけが出られたっていうようなイベントになるんですか。
林田 裕介
今回は一般はもう募集はしませんでしたね。
というのもやっぱりかなり僕らの未知の部分、このコースについて未知の部分が多くありすぎましたので、
実践している人しかとても誘えないなというのがありまして、今回は一般の参加というのは見送りまして、知り合いだけという形にさせていただきました。
近藤淳也
なるほど。そういう募集要項みたいなものがなかったので、どうやったら出られたんだろうみたいなのがちょっと気になってたんですけど、
まずは一旦そういう山の力を分かっている人に声をかけてやられたっていう形だったんですかね。
林田 裕介
そうですね。
近藤淳也
なるほどなるほど。人数も大体これぐらいの想定で最初から準備されてたんでしょうか。
林田 裕介
そうですね。多くとも15人ぐらいかなというふうに考えておりまして、
なかなか夏休みでもありますので、なかなか参加できる方もちょっと厳しいという方も多かったんですけども、
保田 直宏
うまい具合にちょうどいい人数にまとまりまして、13人という形で進めていただきました。
桑原佑輔
なるほど。大会の準備開催するまでにあたってこういうところが特に大変だったみたいなところってありますか。
林田 裕介
そうですね。大変だったのはやはりコースの選定が第一に大変だったのかなというふうに思います。
今回トランスジャパンのようにアルプスを重装するとはちょっと違いまして、山と山との間がかなり距離が空きますので、
その間をどういうふうにつなぐのかっていうところがかなり難しく、
途中お店とか全くない状況、そういった状況の道が100キロぐらい続くところもあるんですけども、
そういったところをどういうふうにクリアさせるのかっていうところが結構ずっと頭の中でずっとぐるぐる回っていた部分なのかなというふうに思います。
桑原佑輔
100キロ間が空くっていうところはどういった形で対応されたんですか。
林田 裕介
今回の実行委員会の中でちょっと体調不良と言いますか、ちょっと怪我の影響なので選手として参加できないものもおりましたので、
その実行委員の方が移動エイドという形で、そういった何もないルートに車でポイントポイントに現れては選手の水を補給したりですとか、
そういったサポートの方を引き受けてもらって、何とかその100キロを全員活かせようということで動いていただきました。
あとは大会の直前になるんですけども、僕らも最初はエイド自体もなしにというつもりだったんですが、
前にちょっとこの夏の暑さとこの距離っていうことを考えまして、急遽、
施設エイド、応援の方の施設エイドも全然OKというふうに途中で切り替えまして、各SNSなどでアナウンスをさせていただきました。
そうすると結構その出場選手のフォロワーであったりですとか、そういった方がもう自主的に自主エイドを出してくださりまして、
その辺でかなり選手の方に助けていただくことができました。
そこはもうこちらからお願いするのではなくて、本当もうただエイドOKということにして、
かなりのたくさんの方がエイドを出してくださって、本当それはすごいなというふうに今回思いました。
桑原佑輔
すごいですね。ちなみにレースが始まって、序盤のレース展開というか、最初の方はお二人もちょっと走られていたと思うんですけれども、どういった形だったんでしょうか。
暑さとスタートでの厳しい状況
林田 裕介
かなり気温が高く、ちょっと想像以上といいますか、この企画を掲げたのが冬だったんですよ。
なのでまさか暑くなるとは誰も思わなくて、しかも冬で、トランスジャパンが深夜の0時スタートじゃないですか。
それで深夜0時スタートというのは、かなりバイオリズム的にかなりきつい部分がありまして、
それで今回お昼の12時にスタートしたんですけれども、まさかこれがこんなにきついとはということで、
かなり選手の皆さんには恨み節を言われることとなりました。
桑原佑輔
そうですよね。8月の日中にスタートというのはなかなか一番暑い時間で。
林田 裕介
そうですね。はい、ちょっとこれは次回以降の反省点として。
桑原佑輔
なるほど。
林田 裕介
結構安田君が週1はかなりやられたり、その辺安田さんどれくらいやられてました?
保田 直宏
そうですね。もう多分スタートの時点で35度とかもう37度とか、多分もう体感で言うと40度近くありまして、
最初のその神社ですね、白山の神社の白姫神社ですかね。白姫神社ですよね。
まで20キロぐらいあるんですけども、そこまではみんなで歩くっていうような形でみんなで歩いてたんですけど、
その時点で汗が止まらず、靴の中ももう汗でぐちょぐちょで、スタートしてもう20キロぐらいで、
もう僕は足に豆をすくってしまいまして、でも足裏も真っ白で。
でも実行委員長の木村さんに、お前何してんのって言われまして、もう大丈夫とか言われて、
その後もう脱水症状になって、40キロでも僕はもうリタイアしようか迷うぐらい疲弊しきってましたね。
近藤淳也
スタート後のお写真を拝見すると、なんかね日傘をさしてる選手が何名もいらっしゃって、こんなレース見たことないなっていう感じでしたけど。
林田 裕介
そうですね、日傘はこれはもうマストアイテムだな。
多分これからの季節、これからの来年以降の夏は、多分夏以降の大会は日傘が綺麗じゃないかなと今回思いました。
保田 直宏
本当に日傘をさしながら日中道路を歩いてると、もう本当に何をしてる人なのかもよくわからないような、
ような感じで車の中から見られるような視線を浴びてましたね。
林田 裕介
ちなみにレース展開としては、どなたが序盤の段階では早かったりとか、そういうのは何かありましたでしょうか。
序盤のレース展開
林田 裕介
そこの白山、最初の白山姫神社を越えたところで、
今回の注目選手のポール選手がかなり飛び出しまして、そこからかなりトップを独走していたのかなというふうに思います。
それに続くように牧野選手がポール選手を追うように続きまして、そのポジションがずっと後半まで続いたかなというふうに思います。
桑原佑輔
安田さんはマメができてしまって、かなり脱水もひどかったということだったんですけど、40キロ以降とかそういうところは持ち直しをされたんですか。
保田 直宏
いえいえ、全く持ち直しを聞かずですね。僕の個人的なレース展開でいうと、単独独走状態の再開で40キロ時点でちょっと大休憩をさせていただいて、
皆さんやっぱり白山を夜、夜間、深夜に頂上に着くような計画でやっておられたんですけど、僕が着いたのはもう次の日の早朝も次ぐらいの9時ぐらいに着くというような全く予定とは違うような展開でした。
近藤淳也
ちなみにですけど、今回のイブキの方では表示されてなかったかもしれないですけど、今田さん、女性の選手が一人いらっしゃったと思うんですけど、今田さんはどのあたりにいらっしゃったんですかね。
林田 裕介
今田さんは白山までとりあえずパート参加という形で参加されてまして、その後また中央からまた復帰されるというようなお話だったんですけども、白山までは僕ら3パックの後ろあたりにいらっしゃいました。
最初のロードでは一緒に行動をしておりまして、5位とか6位ぐらい、結構上位の方で動いていらっしゃいました。かなり親越の女王でもありますので、かなり実力は上がりましたね。
近藤淳也
なるほど、さすがですね。
じゃあ部分参加だったんでその地図には出てなかったっていうことですかね。
林田 裕介
そうですね、今回フル参加の方だけイブキを持っていただきました。
近藤淳也
なるほど。
桑原佑輔
ポール選手は落ちずにそのままずっと独走状態でどんどん走られていったんですか。
林田 裕介
ずっと走ってたみたいで、もともと僕が刺さった選手なんですけども、全然走るの苦手だよって言ってたんですけども、
今回はポール君自身も驚くぐらいロードが走れたみたいで、すごい俺頑張ってるよって言ってて、すごいロードもずっと走ってたみたいですね。
近藤淳也
すごいですね。ちなみにポール選手ってどういう方だったんでしょうか。
林田 裕介
はい、今長野県の小谷村に住んでいるアメリカ出身の選手なんですけども、こういったロングトレイルが大好きで、よく山に行ったりとかしておりまして、
トランスジャパンも目指しておりまして、その中で僕も知り合いまして、よくそれから一緒に山に行ったりとかしているという仲なんですけども、
本当山でのスピードがとても速くて、結構国内でも有数の下りの速さだと僕は思っております。
ただ結構ロードの練習がなかなか雪深いところに住んでいるということもあって、なかなかロードの練習ができないよというふうに嘆いておりまして、
その辺でちょっと苦労はしているみたいなんですけども、もう1年中山にこもっているというようなすごい選手ですね。
近藤淳也
なるほど。じゃあ日本にいらっしゃる外国人の方っていうことなんですね。
林田 裕介
そうですね。もう日本でご結婚もされて、ずっと日本に住んでいらっしゃるんです。
桑原佑輔
そうなると、中盤以降はまた牧野さんとポールさんがお二人抜け出した形で、また後続がどんどん続いていくようなレース展開だったという感じですかね。
林田 裕介
そうですね。
桑原佑輔
後半の方をどんどんお伺いしていきたいんですけれども、ポールさんと牧野さんが抜け出されている状態から、後半になるにつれ何かレースは動いていくところはあったんでしょうか。
中央地区の離脱と残った選手たち
林田 裕介
後半、中央を越えたあたりから結構離脱者が多くなりまして、中央を越える前、御崎の手前でまた一人の方をされました。
その他のフル参加の選手は順調に御崎を越えて中央を進んでいったんですけれども、かなり中央で大量に迎えられる方々が多くなりまして、
中央を越えた時点で、ほとんどの上位の4人以外の選手がすべて離脱という形になってしまいました。そこには僕も安田君も含まれているんですけれども。
桑原佑輔
ちなみに残られたのが、ポールさん、牧野さん、あとはカイセさんですね。
林田 裕介
はい、カイセさんと事故委員長の木村さんの4人ですね。
桑原佑輔
4名の方が残られて。
林田 裕介
そうですね。カイセさんもかなり事態が寸前まで行っていらっしゃったんですけども、
ちょっと1回、中央を越えた時点でもうちょっとやめたいなというようなこともおっしゃったんですが、
1回寝てから考えようということで引き止めまして、そこで1回休んでいただいて、
これから自分の体力とこれからのコースを考えた上で、南を迂回するというコースを選択されて、
それをもうOKですよということで承諾しまして、そのまま続行という形とさせていただきました。
桑原佑輔
なるほど。そこで先ほどの南を迂回する100キロ増えるけれども、行かれたというところがカイセさんだったんですね。
林田 裕介
そうですね。
近藤淳也
ちなみに安田さんは何があったんですか?
保田 直宏
僕はやっぱり前半の脱水症状とですね、あと足裏のトラブルが結構ひどくって、
中央アルプスの一番最初の基礎駒畑に上がった時にですね、やっぱりちょっと足裏が痛いのもあってバランスを崩してちょっと大転倒しまして、
デンブを打って続けられるか続けられないかかなり微妙なぐらいの転倒だったので迷ってたんですが、
かなり中央アルプスの夜間ってすごく風が強くてですね、
外に出た時にすごい風でちょっとこれは続けられるか、このまま続けたらちょっと事故になってしまうかなっていうような判断で、
もうこれ以上は進まないようにしますというような判断にさせてもらいました。
近藤淳也
なるほど。それで駒畑のロープウェイを乗ってたんですかね?
保田 直宏
僕ともう一方、菊地選手っていう選手は駒畑のホテルがやってたので、そこにちょっと泊まらせていただいて、
その次の日にロープウェイで降りさせてもらいました。
近藤淳也
それもちょっとね、いぶきが拝見していて、ロープウェイに乗ってらっしゃる方がいるなと思ってちょっと見てたんですけど、そういうことだったんですね。
保田 直宏
はい、林田さんも。
林田 裕介
そうですね、僕も足裏をかなりやられておりまして、駒畑登る時点で足裏がもう痛くて痛くて、まともに下れない状態だったんですけども、
なんとか中央まで来れたんですが、もう痛み止めもちょっと効かないぐらい足裏が痛くなりまして、
僕もそのままだとちょっと安全に中央を下れないなというふうに判断をいたしまして、離滞を決意しました。
ちょうどその時、有吉選手も同じ場所に近くにいて、
そしたらちょうどそこでバッタリ出会って、ちょうど自分も辞めたところだよっていうふうにおっしゃってて、
それで自分と有吉選手2人でロープウェイで下に下ってしまいました。
近藤淳也
なるほど、それでかなりたくさんの方が駒畑ロープウェイに乗ってたっていう。
保田 直宏
そうですね。
近藤淳也
なるほど、でもまあそういう安全管理も自分で判断できるっていうこともやっぱり今回の大事なところだと。
林田 裕介
そうですね、そこが僕の中では一番大事なところかなと思っておりましたね。
近藤淳也
なるほど、あとこのぐらいのタイミングになってくると日本列島に結構台風が近づいていて、
こちらでもちょっと雨雲を重ね合わせたりしながら、ちょっと心配してみてたんですけど、
林田 裕介
その辺の天候とかはどんな様子だったんでしょうか。
僕、安田君はもうそこに突入する前に辞めてしまったので、直前で辞めたんですけども、
ちょうど上位の3選手、牧野選手、ポール選手、木村選手がちょうどその真中に南アルプスに突入しておりまして、
最初はポール選手と牧野選手が駒畑、貝駒畑に差し掛かっていたんですけども、
そこで上空の風がもうものすごいことになって登れないという連絡が、
事故位の方に2人から来まして、一回下段して様子を見るというふうな連絡がございまして、
状況その場は分からなかったんで、一旦それはOKというふうにしたんですけども、
その後どうするかなというふうに思ってたんですが、ちょっと迂回して行きたいというふうな相談があったんですけども、
そこは現場で判断、現場で危なければもう全然やっていいよという話をしまして、
その場はとりあえず待ってくれ、そのまま天候が治まるのを待ってくれという指示を出しました。
そうこうしているうちに木村選手が追いつきまして、
ちょうどその時は天候の方もだいぶ上空の方が穏やかになっていたということで、
3人揃って海駒駒形を越えて続行するということで進んでいただくことになりました。
近藤淳也
なるほど。ポール選手と牧野選手は1回海駒の直前まで行かれて、北沢峠に戻っているということですね。
林田 裕介
そうですね、1回戻っています。
近藤淳也
それはもう天候の影響でということだったんですね。
林田 裕介
そうですね、代わりのルートはないかというような相談もあって、
自分はもうリタイアしていたので、そこで急いで別ルートも検討してすぐに提案したんですけども、
ちょっとそっちちょっときつすぎるというような意見もあったりとかして、
結局一旦停滞するというような判断を選手はしましたね。
近藤淳也
なるほど。そこで先頭が3人になるという展開ですかね。
林田 裕介
そうですね、そこで3人が並ぶという展開です。
桑原佑輔
そこから並んでからはどのように進んでいったんでしょうか。
林田 裕介
並んで海駒形を3人で下っていたようなんですが、
途中でポール選手のペースがかなり落ちてきたみたいでして、
そこで他2人が一旦そのペースに合わせるのがなかなか辛いという部分があったので、
2人が先行してポール君はマイペースで進むという形になって、
先に牧野選手と木村選手が降りてきて、
ポール選手はそれから2、3時間後ぐらいに降りてきたという形になります。
桑原佑輔
結構そこでポール選手との差が開いていったということですね。
林田 裕介
そうですね、ポール選手の前半でのペースがかなり効いていたみたいでして、
本人的には全然体力的にはいけるということだったんですけれども、
もうちょっと下段したところを見たら、かなり辛そうな表情でして、
ここで辞めたいというような本人からの進行で、
カイコ・モカダキョを下段したところで、
そこでストップ、終了という形でポール君は離脱していきました。
桑原佑輔
そうだったんですね。
ではその段階でも残りは3人になられたということですかね。
林田 裕介
そうですね、迂回しているカイセさん含めて3人が相続をしていました。
近藤淳也
ハヤシダさん富士山登ってませんでした。
林田 裕介
あれはですね、僕のダミーというか、
自己委員の一人の青谷さんが、今回選手ではなくてカメラマンとして選手に対応していたんですけれども、
富士山での絶景というのをどうしても撮りたいというような大会としても撮りたいという思いもございましたので、
僕のいぶきの方を買いまして、カワインに登っていただきました。
近藤淳也
そういうことだったんですね。
林田 裕介
はい。
近藤淳也
なるほど。
林田 裕介
もしも青谷さんに何かあったらいけないってことで、僕のいぶきの方を渡して、
僕のいぶきだけサンレーザーに登っていただいて。
近藤淳也
なるほど。
いや、林田さん復活したのかなと思ってたんですけど、そういうことだったんですね。
はい。
保田 直宏
気持ちは行きたかったんですけどね。
桑原佑輔
はい、最後はあれですね、ゴールの方には3人が皆さん近づいていっていると思うんですけれども、
最終的にゴールはどうなっていったかというところを教えていただいてもよろしいでしょうか。
ゴールへの到達
林田 裕介
はい、ゴールは実際僕らだいたい夕方ぐらいかなというふうに最初は予想していたんですけども、
かなりトップの牧野選手のペースがなかなか落ちず、ちょっと驚くほどのペースで箱根も越えてきまして、
実際にはもう昼過ぎ2時ぐらいだったかな、安田さん。
保田 直宏
はい、2時ぐらいですね。
林田 裕介
はい、そういうぐらいにもう来てたというふうな声が上がりまして、気づいたらもうゴール近くまで来てまして、
そのまま一番最初の感想者として牧野選手がゴールに致しました。
それが続いた3時間後なんですけども、当初牧野選手とかなり差があったので、
もっと引き続きというふうに思っていたんですが、木村選手とそれと合流した楓選手が共に箱根の方を越えてまいりまして、
途中ちょっと楓さんのペースが落ちてしまって木村君の方が先にゴールの方に近づいてきたんですけども、
牧野選手から数時間後、まだ明るい時間のうちに木村選手の方がゴールに飛び込んでまいりました。
近藤淳也
4時7分ですね。
林田 裕介
そこで木村君が終わるかなと思ったんですけども、そこでいきなり木村選手がきびつを返して逆走をしだしまして、
一度何だ何だというふうに騒いだのも、ちょっと想然となったんですけども、
終盤まで一緒にいた楓選手を置いてきてしまったので、どうしても一緒にゴールしたいということで、
一旦また楓選手を迎えに行くという、他のレースでは聞いたことのない展開が生まれてしまいまして。
桑原佑輔
戻られたんですね。
近藤淳也
じゃあ木村さんはゴールせずにこれ帰っているんですか?海岸の近くに。
林田 裕介
一回ゴールしてやった上で、また楓選手を迎えに逆走してしまいました。
桑原佑輔
すごいですね。
レースの完走者と今後の展望
桑原佑輔
最終的にはこの第一回のSTSで完走された方は3人いらっしゃったということになるんですかね?
林田 裕介
そうですね。もう3人も完走者が出て、
最初は本当に完走できる人いないんじゃないかと思っていたところに、
3人も完走してくれて本当によかったなと思っています。
桑原佑輔
すごいですね。
トップの木村選手はゴールされた後、完走等々何かお話されていましたか?
林田 裕介
いやもう、恨み節をたくさん隠していられました。
二度と出ないと言われました。
そう言いながら多分また出たくなるんだろうと思ってはいるんですけど。
桑原佑輔
走られているお二人的にもやっぱり今回の熱さっていうのはすごかったですか?
保田 直宏
そうですね。二度と出たくないなと思いました。
同じく本当に炎天下のロード、昼間はもう全く進まないので、
いかに涼しい時に進むかということをもうちょっと考えて進めたほうがいいんだなというふうに色々勉強になりましたね。
桑原佑輔
他の選手の方も熱さのところであったりとか、そういうところが感想としては多かったですか?
林田 裕介
熱さとあとはロードの長さのところがものすごくみんな嫌な顔していました。
実際この企画コースを作っている中で、
トランスジャパンと違ってロードが多い部分は距離が稼げるので、実際もうちょっと楽かなというふうに甘く見てた部分が正直ありまして、
ただ実際やってみると山行くよりきついじゃないかっていう結論。
全然水場はないわ、日陰はないわで、これはちょっと誤算だったねっていう話をしました。
桑原佑輔
そうなんですね。おっしゃってる通りロードとかのほうがちょっと距離稼げそうだなと思いますけど、実際はそうじゃなかったんですね。
林田 裕介
実際は120キロのロードを行くのに24時間ぐらいかかってしまったりとかしてますので、
しかもアップダウンがかなり激しくて、もう一つの山を越えたぐらいロードだけで稼げたりするので、
そこはちょっと舐めてたなと実行変換えながら思っています。
あと一番印象に残っているのが、ゴールの小田原市に入ってからの、
かなり小田原の地元の方々が、小田原をゴールにしてくださってありがとうございますというようなことをおっしゃってくださいまして、
これはもう乾燥する以上の収穫が今回あったなというふうに、そういったお声を聞いて思いました。
桑原佑輔
安田さんは何か良かったところというか、これは何か印象に残ったなということは何かありますか。
保田 直宏
そうですね。ちょっと嫌なところと重複しているような感じはあるんですけども、ある意味、
博山を降りてから御岳山までの120キロっていうのが、多分こんな長距離レースで、
ロードを120キロ、しかも峠道を登らされるレースなので多分他にはないと思いますので、
これがある意味このSDSの特徴であり、きついところでもあるんですけど良いところなのかなと。
120キロが終わった時点で、もうかなりレース終わったなぐらいの疲労感があったので、
そういうところがこのレースの特徴であり良いところなのかなと思いました。
近藤淳也
今回イブキを使っていただいたかと思うんですけど、
イブキを使っていただいた経緯とか、実際使ってみてどうだったかというのをよろしければ教えてください。
林田 裕介
イブキさんを導入させていただいた経緯としては、やっぱり選手の安全を第一に考えた場合に、
この長距離のコース上でどこに選手がいるか把握できることがとても管理面でプラスになるなというふうに感じたからというのが第一になります。
あとはそれをSNS等で拡散によって応援の方が来やすくしたりですとか、
それを見て観戦して楽しんでいただくというのが第二目的でございまして、
今回導入の方をステップいただきました。
実際イブキを見て応援に来ましたというふうな応援の方もたくさんいらっしゃったりとかしまして、
本当にすごい大会としてはありがたい影響があったなというふうに思っています。
保田 直宏
結構走っている途中でもイブキを見てそれを追いかけてきてくれることが多かったので、
本当に暗いロードの中、深夜にもかかわらず声かけていただいたりとかがあったので、
近藤淳也
本当にGPSイブキがあったおかげかなと思いましたね。元気になったので。
選手にもそうやって元気が届いていたっていうのは嬉しいですね。
桑原佑輔
嬉しいですね。
先ほどの林田さんのお話にもあったんですけれども、
林田 裕介
今後の開催であったりとか展望みたいなところについても少しお聞かせいただいてもいいですか。
今後次回についてなんですが、
まず今のところ開催する方向で現在検討に入っております。
課題とスタート時間の検討
林田 裕介
あとは色々な問題、例えば実行委員の数の問題とかスタッフの問題ですとか、
あとは施設営業に頼りっぱなしではいけないというような思いもございますので、
その辺をどういうふうに解決していくのか、これから検討していく課題なのかなというふうに思っています。
あとはスタート時間ですね。
そういったところもルールも含めて色々検討していく課題がいっぱいあるなというふうに今回思っております。
桑原佑輔
また時期としては、夏の8月の前半から中間、長頃にかけてという感じですかね。
林田 裕介
そうですね。やっぱり約1週間ほど時間を用意したい部分もございますので、
それがちょっと用意できる、参加者の方が用意しやすい時期となると、やっぱり夏のお盆休みの時期なのかなというふうに思っています。
近藤淳也
その時期になるとトランスジャパンも2年に1回開催になるかと思うんですけど、その辺は同じ年にも開催されていくんですかね。
林田 裕介
いえ、そこはもうトランスジャパンのある年は我々も開催はちょっとせずに、その裏年で開催の方を企画しています。
近藤淳也
なるほど。
林田 裕介
トランスジャパンが開催されると、実際こちらに参加する選手もかなり厳しい。
人が集まらないという部分もあったりですとか、あとは山がちょっと重なる部分もあったりとかして、
ご迷惑かけるわけにはいかないなという思いもあるので、そこはもう隔年で続けられるなら続けていきたいなというふうに思っています。
隔年での開催と特徴の残す意向
林田 裕介
なるほど。ということはトランスジャパンのない年の代わりに目指せるような大会になっていくという感じなんですかね。
そうですね。実際来年またトランスジャパンがあるんですけども、そこには実行委員の中から安田選手を含め参加を目指す方もいらっしゃいますので、
そこはもう勝たないようにしたいなというふうに思っています。
近藤淳也
なるほど。あとロードが思ったよりきつかったという話がありましたが、そこはもう特徴としては残していって、
結構コースとしてはそのまま使っていくような感じなんですかね。
林田 裕介
そうですね。そこは良くも悪くもこのSTSの特徴だと思いますので、名物だとして選手には挑んでいただきたいと思います。
桑原佑輔
はい。そうですね。では次回は2025年になるんですかね。
林田 裕介
そうですね。今のところ2025年を目標にしています。
桑原佑輔
はい。そうですね。開催が、今回お話を伺ってまたより一層楽しみになりました。
保田 直宏
ありがとうございます。
桑原佑輔
はい。それでは今回のインタビューはこれで終わりにしたいなと思いますが、今回はインタビューを受けていただいて本当にありがとうございました。
保田 直宏
ありがとうございました。
林田 裕介
ありがとうございました。
近藤淳也
ありがとうございました。
44:09

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