IBUKI STATION 行ったものの、いやいやいや、そんな、昼の続きを、本当は昼に聞きたかったことを順番にお聞きしたいんですけども、僕は実は、ディープジャパン初めて来たので、4回目だと思うんですけども、改めて、まずこの大会、ディープジャパンという大会はどうして生まれたのかとか、
どうして生まれたのか。パンデミックですね、一つは。パンデミックがきっかけで、僕はやっぱもう10回以上連続でUTMBの大会に毎年8月とか行っていて、海外レースもずっと回って、プロのアスリートとして2006年ぐらいから活動させて、いろんな方のおかげで活動させていただいてるんですけど、
それが途切れ、海外に行けない、自分がレースに行けない状態になった時に、海外に行ってる時はできなくて、今できることってなんだろうなって思った時に、こういう、要は日本にいながら海外の、海外レースの過酷さと感動と達成感を味わえるような、
そういうものを作る時期なのかなって思って。だから、要は国内に目を向けというか、もううちの近くですね。ここうちから、一番遠いところでうちから1時間なんですよ。
でね、みなさん、これちょっと使っていいんですか?これ大丈夫?コースのね、これがコースがこうあるんですけど、平たく言うとうちはね、うちはこの辺にあって、この辺にあってね、こっから1個、
あ、そうそう、そっちのほうがいい。じゃあ、あのね、あ、そうか、縦のほうがいい?あ、そうか、このほうがいいか。で、うちは、こっちかな?ちょっと待て、うーんとね、ちょっと待てよ、そうそう、長岡市なんだけど、そうですね、うちはこう、まあ言ったら平たく言うとこの辺だとして、地図で言うと、この辺だとして、こっから一番近いところは、まあ、あ、こっちだな、だから一番近いところは、まあ、うん、違うな、やっぱこっちだよね。
はい、こっから1時間、まあ、ここが一番近いところはうちから30分、一番遠いところが1時間、こっちとこっちの端っこが、みたいな、だからうち、うちを平行に、うちから見える山を全部、まあ、結んだみたいな、阿波ヶ岳、えー、相撲んだけ、えー、そして浅草、まあ、浅草だけは実際見えないんですけど、うん、っていう感じなんですよ、だからうちから見える、ね、ところでやりたかったし、まあ、あとは、あのー、今、なんていうのかな、
まあ、僕自身、世界中、こう、いろいろ、ね、ワールドシリーズをいろんな方のおかげで回らせていただいている中で、その世界の、あのー、なんて言うんでしょう、もうそろそろ押していい?うん、世界の、あのー、舞台を回っていて、えー、自分が走っているエリア、例えば相撲んだけとか、あと、まあ、浅草だけとか、まあ、もちろん阿波ヶ岳とか、そういったエリアが、僕は世界のその、僕が今まで回っている世界の舞台に出て匹敵するような、
あの魅力を持つんで、だからそれを、まあ、知ってもらいたいな、あのね、世界中のレース回ればよくわかるんですけど、大体みんなオーガナイザー、そんなもんで、あの、うちのとこ、みんな、これいいとこだからみんな来てよ、みたいな、うん、それからスタートしているところは基本ほとんどというか、多分それ以外の理由あんま聞いたことないけど、みたいな、
でも僕もシンプルに、なんかそういうふうに思ったんで、だから世界中回ったときに、ああ、うちのところのこの山でも全然なんかワールドシリーズが例えば、ね、ふさわしいなとか、世界中の人にが来ても、あのなんか、ね、喜んでもらえる景色だなとか、ずっと思ってたんで、
だからそれを実現するには、あの、この、この機会は日本に、要は缶詰になっているこの機会、すごいいい機会だなと思ったんで、その機会に、えー、まあ立ち上げたというか、うん。
じゃあ、もともと、あの練習講座とかよく通われてた山を繋いでっていう感じですか?
そう、そうですね。基本的にはそうですね。自分が行っているとこ。で、ただ自分が行っているところの山が、まあ例えば阿波畑と相門岳と浅草岳は、もうまあ別々の山なわけですよ。
まあ別々の山っていうか、それなりに離れてるから、それをどう繋げるかみたいなのがあったんで、だからまあ繋ぐためにこう、いろいろね、まあ地図には載ってない道をいろいろ走り回って、
こう、やるみたいなのはありましたけど。
そもそも新潟に住まれてるのは、どうしてだった?
おー、はいはいはいはい。飛ぶね、いいね。はいはい。なんで新潟に住んでるか?
えーとね、なんで、まあ要は僕はですね、小さい時プロのスポーツ選手になりたかったわけですよ。
作家選手ですか?
えー、まずは作家選手。まあ静岡なんで、もうみんな周りで、もう絶対プロになってやるんだ、まあ僕は絶対プロになってやるんだと思って、もう朝から晩までひたすら練習して、で、なんていうんですかね、あのー、それこそこれなんか多分中尾さんとのポッドキャストでも喋ったと思うんだけど、あのー何、えー、もう、もう作家選手になることしか考えてないから、で、いろんな変な筋トレとか自分で考えてやったりとか、
あと週6で山走って、まあ要は体力勝負だから作家は、なんでそういう実習練をして、えーっていう、まあ変な小学生だったわけですよ。まあでも、小学生で山走ってたんですか?山走った、もう自分で、そう自分で、だから、うん、あの山っていうか山道ね、まずは坂道、アスファルトの坂道とか、で、たまにこうなんか茶畑とかがあるんで、そういうところの道下ったりとかして遊んでて、
でもそれはだから基本的にその、なんだ、サッカーのプロになるためにやってたんですよね。だからその、うん、それで、えー、でもまあ作家は静岡で、えーと高校まで行き、で、結局高校でそのプロのサッカー選手になれない、要はそっから推薦で大学に行けなかったし、まあそうか、まあ高校からそのままプロにもなれなかったし、
あー、プロにはこれはなれないんだなっていう現実を叩きつけられたときに、じゃあでもプロのスポーツ選手になりたい、でも何だろうなって言って、次僕は思ったのは、スキーね。うん、僕スキー好きだったんですよ。小さい頃からね。でも年に1回とかしか勝てなかったから。
大学は静岡からだったんですか? そう、そう、もう遠いんで、そうなんですよ。それで、あの年に1回、まあだからでも興味あったんで、だからじゃあ大学はあの、ゆうきぐりに行こうって思って。だから新潟とか長野とか北海道とかの大学受けて、まあでたまたま新潟に会員があったから新潟に来て。
あ、そうだった。そうそうそうそうそうだった。じゃあ大学で新潟に。うん、そうです。大学で新潟に来ました。うん。で、そのまま住み着いた。住み着いた。あのね、住み着き、そうだな、住み着いた、実はね、で、その後、うーんと、まあなんて言うんだろうな、
まあ僕は日本、自転車でその後旅も結構大学の時、日本一周したりイギリス一周したり世界中、あの世界20カ国ぐらい回って、で、その時にまあ僕は好きなことを仕事に自由に行きたいなって改めて思い、で、で、スポーツ選手っていう夢を、だからまあまずそこでスキーの選手になろうと思ってやっていて、まあある程度は行くんですけど、例えばゆきぐりの人にはやっぱかなわないっていうか、もうなんだろうな、センス?
まあ小さい頃から。
そうそう、もうなんか絶対的なセンスというか、もうそういうのはかなわない。だから要はそこで、えーとまあね、スキーの、例えばインストラクターのライセンスを、例えば日本も取ったし、カナダとかのライセンスも取って、で、日本とかカナダの山こもってやってましたけども、まあまあこれ以上はダメなんだなっていうのがあるし、まあ現実を突きつけられた時に、じゃあスキーの次なんだろうって言って、で、まあそのね、好きなことを仕事に自由に行きたいって思ったからやっぱりスポーツ選手っていうのはあったんで、
で、その時に、あー、なんかないかなってこう思ってた時に、たまたまあの大学生の時に雑誌で、まあ雑誌は今日も計測していただいてるあの会社が出してるあの雑誌ですよ、そうそうそうそう、あれをね、そうそうそうですよ、
たまたまなんか学職じゃないや、学校のさ、売店みたいなとこにあって、ちょっと立ち読みして、まああんま良くないけど立ち読みして、で、見かけて、日本一過酷なレースって書いてあって、日本一過酷って何だろうって思って、まあ僕ももうその頃ね、世界中自転車で回ったりしてたし、で、実はね、その頃もう100キロマラソンとかで行ったんですよ、ロードの、そうそうそう、大学生で、で、あんまりいないでしょ、大学生、大学、例えば、
そうそうそう、1年、2年と4年、まあ1年、そうそう19とか20歳そこそこの時に出て、それはあれですよ、でもさ、今思ったでしょ、そんなあんまり、例えば10代の子が100キロマラソン出てないじゃないですか、だから出たの、話のネタだよみたいな、僕その頃はめちゃめちゃ結構なんだろうな、まあいいや、まあとりあえず話のネタに出たらいいかなと思って、
で、出てたんですよ、まあでも1回出て、で、出た時に、まあなぜかわかんないけど、ああこれじゃあプロになれないなって、もういや圧倒的な差だったから、もうトップと、トップが何だ7時間台とかで、僕はすげー頑張って10時間台とか、3時間も離れてこれ、まあトップにはなれねえなとか思って、なぜかトップになろうとはしてたんですけど、
で、その時に、まあそのさっき言った日本一各国のレースってのを見つけて、でそれが、日本三角耐久レースっていう、ハセツネっていうやつですよ、あれが、そう、ハセガワツネオさんにまつわる、だからあんなに荷物がいろいろね制限があって、補給ね、水しかもらえないし、一箇所しかなくてみたいな、
エベレストに最後アタックするためだから、みたいなさ、まあ今のトレイルランニングの他の大会とはもう完全な別のなんていうさ、ね、多分、だからそういう意味じゃ、多分あれはトレイルランニングの大会じゃないですよね、多分、だってあれ山のサミット訓練のための、なるべく補給少なくして、どんだけね、自己完結でやるかっていう、
アクティビティだから、だからそういう意味じゃ、ね、一見一緒かもしれないけど、コンセプトは全然違うと思う、だって今の普通の大会は、エイドね、あの、エイドなんだ、豪華でなんぼみたいなさ、そうそうそうそう、豪華でなんぼみたいな、あるでしょ、豪華でなんぼって感じじゃないですか、そこ競ってるとかあるじゃないですか、
だから、まあそういうのと相反するから、まあなんか、ね、そういう意味じゃトレイルランニングの大会とはちょっと違うのかなって、まあ客観的には思いますけど、まあまあそれはともかく、まあそれの大会に出て、で、1回目が何時間だったかな、10時間くらいで、で、2回目に9時、1回目が11時間半くらいかな、で、2回目が9時間半くらいかな、になって、で、まあこれ結構いけるかなって思って、
で、そこからスポンサーを探し始めたり、うん、して、現在に至るみたいな、大学卒業して、だいぶ端折った?大学卒業して、はいはい、そのまあ長谷恒、えっとね、大学院、あれ長谷川恒岡、日本三角体系レッスンに出たのは、たぶん1回目に出たのはね、大学4年生で、で、僕は大学院まで行ってるんで、別にね、勉強したかったわけじゃなくて、旅したかったんですよ、
世界中もっと旅したかったし、まあ言ったら平手国や就職したくなかったっていうか、あのどうやってお金稼ぐの、どうやって生きていこうのかなっていうのはすごい迷ってたから、その好きなことで仕事に自由に生きるとは決めてたものをどうやってお金稼ぐんだみたいな、だからお金を稼ぐ方法がまだ見つかってなかったし、まあ執行猶予みたいなものですよ、先延ばしにしてたわけ、だから大学院行ったんですけど、だから別に大学でね、勉強したかったわけじゃないんですけど、
まあそう、そんな感じです。
分かります。大学がサイクリング部で進路は決まらず大学院に行った。
一緒、一緒っていうか、まあまあそういう感じです。
自転車で旅したんですか?
サイクリング部でした。
サイクリング部さ、僕サイクリング部の方は、九州回ってた人いたな、サイクリング部、自転車部ですって言って、でもサイクリング部と自転車部って違うんですか?一緒?
どこの話ですか?
それはね、その子はね、多分大阪だった、関西だったと思う。で、その子は自転車部、私自転車部でつって、なんか自転車部で九州の九州連山とか、
山田に入る?
いや、まあそうだし、油封院から入って、山田、麻生の方抜ける道とかを行ってとかって話してて、その子はなんか、自転車部って言ってた気がするんですよ、サイクリング部じゃなくて。
だから、自転車部ってなんか結構旅系なのかなとか思いながら聞いてたけど、で、その子確か、薬師場とかにもなんか行ったって言ってたけど、自転車部で。
分かんないけど、僕の記憶の違いかもしれないけど、まあでもそんなこと言ってて、で、自転車部旅をしてたんですか?それとも、競輪系のなんか、なんだろうな。
両方やってたんですけど、ほとんど大学時代はサイクリング部だったんですよ。
え、じゃあ、それはどういうこと?サイクリング部ってな。
旅をしてました。
じゃあ、林口袋もやり続けた。
日本一周したって。
で、どういう風にしたの?それは休学して?
いろいろ繋げたらって感じで。
いや、僕もそうっすよ。
でもアメリカはないわ。
いやいやいや。
新婚旅行はどこ行ったんですか?
新婚旅行は、それ聞かなかったんですか?松山さん。
はい。
なんで?聞けば言ってくれたはずなのに。
2回ぐらいだったね。
僕は静岡からスタートして、九州まで行き、薬島に行き、その後、船ですよ、そこはね。
九州まで自走して行って、薬島に行って、一回また九州に戻って、その後今度は宮古島まで船で行って、
今度は宮古島までからは、今度は愛知県ぐらいまで一気に船で戻り、また静岡まで帰るみたいなやつとか。
あとそれは1回目で、2回目がニュージーランド。
2回目はニュージーランド?
2回目はその年にニュージーランドのオークランド。
それも知り合いがいたんで、オークランドに知り合いがいたから、そこからスタートして南下して行って、クラッシュ・チャーチャーまで行って、
あとは冬ですね。
何回進行旅行行ってるんですか?
3回した。
3回進行旅行したんですか?
北海道の大学院の2年生の時に、普通はマスターコースだと、大学院2年ってめっちゃ忙しかったでしょ?
いや、僕中退しました。
僕はなるべく、ちゃんと勉強する時は勉強して、スカーだけ取って、自分が選べる権利を得てから、一番楽な研究室に行ってたんで。
だから、卒業する時の卒業研究科は一番楽なところに行ってたんで。
普通はもうめちゃめちゃ、多分10月ぐらいから2月ぐらいまでもうなんか、夜も寝てないですみたいな、今日の僕みたいですみたいなさ。
富谷城みたいな。
いや、みんな富谷城に住んでる感じでした。
夜寝ないみたいな。
なんかすげえ、僕は基本的に夜ちゃんと寝るタイプなんで。
夜寝ないと、効率悪いなって思ってるタイプだから。
朝起きて、朝だったら5分で終わること、夜で1時間とかかけてバカみたいじゃんって思ってるタイプの人間なんで。
絶対洋服買う人が基本しないんで。
だから、めんどくさい仕事は夜しちゃダメだと思ってるタイプだから。
なんでこの子たちみんななんかヒヒ言うながら、寝てなって言いながらさ、朝昼夜逆転してこの子やってんのかなとか思いながら見てましたけど。
でもそうなってる、大学院2年生って大体みんなそうなっちゃってて。
でもそんな中、僕はさよならーって僕行ってきますみたいな感じで。
旅に出てたんで。
大学の先生も知らない。僕が北海道にいることは知らないぐらいの。
その当時の最新のテレワークですよ。
北海道のスキー場から大学院の最後の卒業研究の論文出すみたいな。
本人たぶん気づいてない。今も気づいてないと思ってる。
そうだね、今も気づいてない。だって交流がないから。
そういうわけのわからない学生ですよね。
これ全然ディープジャパンにたどり着かないで。
もうちょっと進めますか。
大丈夫かな?
はい、本堂さん。
要するに、あれですか、いきなりプロトライルランナーってことですか?お仕事としては。
まあ、だから、愛知県に大学卒業し、
でも、そこもね、なるべくはしおるけど、ちょっと長いけど。
なるべくはしおるんだけどね。
僕は日本で暮らせない、日本で生きていけないって思ったんで、だからもう留学するしかないと思ったし、
でも留学しようと思ったんですよ。
いろんな英語のスコアとかをとって、行けるってなったときに、条件が整ったときに、
いや待てよ、僕は勉強というか研究が好き。
大学とか大学院って要は研究なわけじゃないですか、特に海外なんか。
僕、海外の別の言語で、すげえ出るの大変な海外の大学に行って、
しかも別に研究が好きなわけ、やりたいわけじゃないのに、行って大丈夫なのか。
だって僕は海外にただ要は脱出したいだけなのに、
っていうことにある種気が付いて。
なんでそんな脱出したかったんですか。
いや、だって日本じゃ僕は生きていけないって思ってましたもん。
だってまず、8時、5時って言いながら、8時、5時じゃないじゃないですか。
サービス残業するような。
学校がさ、学校じゃない。
就業時間があって。
それは僕はよく分かったし、旅してた中でいろんな国の方のライフスタイルを聞いてると、
普通に3ヶ月休んだって元のポジションに戻れるとか、そんなの普通に聞いてた中で、
いや、無理だな、日本の会社絶対無理だと思って。
分かるわ。
そうでしょ、1ヶ月絶対。
1ヶ月。
結構共通点があるでしょ。
シンパシーを感じ始めてる。
似てる。
だってさ、僕大学院とか卒業して、大学院の時の冬が、
北海道のルッスリゾートでインサクターのバイトしてて、
そこから南下してって、要は就職先に行く時に、
俺の人生終わったかもしれんって。
もうこういう自由な1ヶ月、1ヶ月じゃない、3ヶ月とかっていうホリデーは、
俺は一生取れないのかもしれないって、その不安しかなかった。
南下していく時に、愛知県に向かって。
一回愛知に就職決まって。
その就職した理由は、僕は新卒だったのに、
新卒のサイトというか、そういうのは一切見ずに、キャリアのリクナビネクストみたいな、
キャリアのところを全部探してて。
何でかっていうと、新卒でわけのわからない部署に行かされるのは嫌で、
だからもう海外に行きたかっただけだから、海外駐在員っていうポジションに、
僕を直接送り込んでくれる会社を探してたんだ。
だから中途の海外駐在員っていうのを探してた。
すごい変でしょ。
そこは、愛知県の会社で僕を、イタリアって書いてあって、
イタリア行きたいと思って。
イタリア人の気質わかったし、旅してた時に、
こいつらめちゃめちゃ楽しそうだし、すげえ。
関西の方はラテン系だと思ってるんですけど、距離が近い。
話すると距離近くない?近いでしょ。
東京の方に比べると、縁をやって話してる時に、
3歩くらい近いよね。ぐいっとくるでしょ。
僕は、それは全然嫌いじゃないっていうか、
僕はどっちかっていうとラテンタイプだから、
遠いと寂しいじゃないの?近く寄ってよ、みたいな感じだからさ。
だからイタリアが気質なわけでしょ。
だからイタリアとかいいなって思って、
だからイタリアに駐在して、すぐ駐在したら、
現地の会社に入ろうっていう。
そういう目論みでその会社に入ったんです。
だから愛知県に行ったんですけど。
でもそれは愛知県に送ってくれる。
今もう話、黙っちゃってるから、
僕に話をしろっていう感じだと今話しますけど。
ホリデーが取れないって、
絶望してなんかしたところからは?
だから日本の会社に入るつもりはなかったわけでしょ。
愛知県の会社に入ったけど、
愛知県の会社はイタリアに送ってくれるって言うから入っただけで。
日本の会社に入るつもりは基本なくて、
日本の会社を通じて海外に送ってもらって、
その現地の会社に入りたかったっていう。
そういうだけの話で、
僕はそこをうまく利用させていただこうと思ったんですけど、
日本人いなくない?みたいな。
そういう感じになっちゃった。
例えば川口小町もそうだし、
平日の川口小町、
日本人と海外の人どっちが多いかって、
外歩いてるの海外の人多いわけで、
海外のツーリストは絶対そんなところに行きたいわけじゃなくて、
僕が海外に行ってる時に、
日本人がいるところに行きたくないんだよ。
そうでしょ?
意味ないよね。
そうじゃないところに行きたいわけだから、
ここなんかまさに誰も絶対ないから。
だから本気で日本の魅力を感じていただけると思うんで、
実際今日も海外から来た選手ね、
ここはいいとこだよ、最高だよってみんな言ってくれて、
それは多分ね、いろいろ話してたら、
自分たちは別にツーリストプレスに行きたいわけじゃないし、
海外にヨーロッパ人がいっぱいいるところに行きたいわけじゃないから、
みんな言ってるんで、
だからそういう意味でも、
喜んでもらえてるんじゃないかなとは思います。
だから少しずつ海外の選手も増えてるだろうし、
日本の選手ももちろん増えているだろうし、
みなさんのおかげでこういうライブもしていただき、
ありがたき幸せです。
ゆるいですけど。
1回、2回、3回、4回って大会が4年続いていますけど、
この4年での変化っていうのはどういう変化がありますか?
4年での変化?
特に最初結構立ち上げってやっぱり大変だったんじゃないかと、
立ち上げっていうのはご苦労されたんじゃないかと思いますけど。
めちゃめちゃそうですね。
シーガイダンとか、
レイクビーは?
いろいろ大変そうだなって。
僕は二羽さんに立ち上げの頃、いろいろ結構電話して、
あと中谷君とか、
タンバ100をやられてる中谷選手とか、今走ってるけど、
いろいろ話をして、
初先輩方、100マイルを立ち上げた初先輩方がどんな感じで進んでたか、
結構相談したわけですよ。
それなりに大変だったんですけど。
いいじゃん、苦労話はやめようよ。
急に?
つまんないでしょ。
そうなんですか。
こんなことで苦労しましたとか、
それはなんだろうな。
別に同情得たいわけじゃないし、
それはしょうがないことで、
なんて言うんでしょうね。こんな大変だったんですよ、みたいな。
そんなに好きじゃないっていうか、
苦労を見せたくないタイプ?
見せたくないっていうか、そんな大変、めちゃめちゃ大変だったけど、
どんなに語ったってその大変さは結局伝わらないんで、
アーシャー諦めてるから、そこは。
ものすごい大変だったけど。
っていうぐらいですよ。
ディテールを言ったところで、
たぶんね、やったことがなければ、それはわからないから。
でも今の言葉のトーンでわかったでしょ。
まあまあ重そうだったでしょ、その大変さは。
まあまあ重そうだったと思うので。
それで十分。
それでたぶん十分だと思う。
すごい大変だったでしょ。
今も大変かもしれないけど。
シガイチとかね。
いろいろガイアから聞いてるからさ。
まああんまり大変そうだなって思いながら。
でも僕そんなに、
だから人の苦労話も聞きたいとは思わないし、
聞くんだったら絶対僕は、
本当に興味あったら近藤さんから直接、
例えばシガイチで何やどこで、
誰が本当に大変だったんですかと聞くけど、
別に僕はそこそんなに興味ないっていうか、
そこに焦点を開けると、
ただ単に茨の道に進んでいくだけだと思うんで、
別に僕はそんなことは知らずに、
ファーンと実行できる方がいいんで、
みんなが賛成してくれて、みんなが応援してくれて、
みんながハッピーになるような方がいいんで。
だから苦労話はあんまり役に立たないって思ってるタイプの人間だから。
なるほど。じゃあちょっと質問変えますけど。
4回繰り返す中で、多分変化はあると思うんですよね。
それをどういうふうな変化を経て、
4回目に至ってきたかっていう。
一言ずつ言うとね。
教えていただいて。
1回目。
誕生と分裂。
分裂って何?
2回目。
ちょっと待って。めっちゃ気になるんですけど。
まず言った通りに行きますか。
2回目。
新たな出会いと再スタート。
リスタート?
3回目。
安全性を一段階上げる。
そして持続可能な大会にする。
4回目。
今年。
3回目と4回目っていうのは、
例えばこのライブであったり、
あとは自動創業じゃないけど、
なるべくみんなで分担して、
分業を進める。
より持続可能な大会運営にしていく。
要はその負担も少なくするし、
少なくなるから持続しやすくなるっていうか。
スタッフ一人一人の負担を軽減していくために。
そうですね。だから人数を増やし、
みんなでなるべく分業をする。
それを進める。
自分でみんな一人で抱え込まずに、
なるべくシェアしながら、
要はこうなってるやつをいっぱいの人で支え合うみたいな。
で、より楽にやれるという。
っていう感じですかね。
なるほど。ここはとっても簡潔に。
単語できましたけど、中身がよくわからないですけど。
よくわからない?
ちょっと分裂とか気になりますけど。
3と4はなんとなくね、わかりやすい。
見えるよね。去年と今年だから。
感じですけど。
1回目と2回目はちょっと。
1回目、僕なんだっけ、誕生と分裂。
誕生と分裂。
要は誕生っていうのはゼロを1にするんで、
今までなかったものを生み出すってことだから、
やっぱりこうなんて言うんだろうな。
摩擦が起きるわけですよ。
抵抗がある。
今まであったものをちょっと大きくしていくのと、
ないものに出しちゃうんで、
だから何それみたいな。
それは対地元もそうだし、対自治体ももちろんそうだし、
対このコミュニティにもそうだし、
今まで何それみたいな。
だからそれに対しての抵抗というか、
逆風というか。
1回できてしまえばさ、
それを少しずついじっていくのって、
また何かやってるんだねぐらいで済むじゃないですか。
去年もこうやってたんで。
そうそう。
言うとね。
前からやってるんですね。
やってたなってしたねって、
知ってる知ってるって感じじゃないですか。
でもそうじゃない場合って、
だからゼロが1になるときってのはやっぱその、
抵抗があったりするわけで。
そこがですよね。
で、あとはそれによって、
何だろうな。
いざという時に色々見えてくる、
人の本性ですか。
言ったら。
言ったら今まで全然そういうのがなくて、
いきなりやろうとした時に、
その色んな人たちの本性が出てきて、
本当はこの人こういう風に考えてたんだなとか、
そういうのがあって、
去っていく人は去っていくし、
来てくれる人はまた来てくれるけれども、
だから誕生と分離。
じゃあチームで立ち上げて変わった方もいたけど、
その後また違うメンバーが。
そうそう。
のが新たな時代になったってことですかね。
そうそう。
で、次の年は去っていた中に、
そこにスペースができるから、
スペースができた時により良い人というか、
ポッドキャストでは言ってるところなんです いい原友方さんもあのまあ3回大きな山登るけど核心部はこのループだって言ってましたけど
ましたまあ圧倒的ですよ 圧倒的ね標高とか見るだけだとなかなか伝わらないそういうタグチーミノリさんもね
あの卓蔵さんもさあみんなこの線アップ 線アップのねそのこの3つの大きな山に目が行きがちで
あのこれをみんなねこうなんとかしようって思いがちだけれども でも僕らこのディープジャパンのワンハンドシックしていけばまぁ実際170キロありますけど
その累積が1万メートルあるって言ってるんで 3000メートルしかまだその3つで使ってないわけです
確かに7000残ってるんだからね 7000どこに隠れてるのみたいな そうですよね
そう でその30このループは35キロ累積2700なんで
でもその数字上にそこには その最後のその2キロっていう秘密が隠されている
そう っていう
はいまあ僕は散々僕のポッドキャストを聞いている方多分もう耳にタコができた ぐらい聞いてると思うんで
はい35キロ累積2700っていうのも数字がよくわかってると思うんで僕ももう本当に丸暗記した ぐらいもうよく覚えてるから
でもそのループはね 思想キャンプで結構フレッシュな人たちとこう回っていっても軽く10時間とかかかるから
110キロ進んできた時にてかここで90キロスタートはイーラテからイーラテのイーラテのスタート 最初のスタートは90何キロだと思うんですけど
速攻93キロ走ってきた中で そのループに突入するんで
フレッシュな足で10時間軽くすぐかかっちゃうぐらいですから 早い人たぶん8時間とかフレッシュでね
フレッシュな状態で8時間かかる まあ本当にフレッシュでどんぐらいあったのちょっと覚えてないけど
まあ普通に6時間とか全然軽くかかるんで すごい頑張ってというかちゃんと涼しい時期に状況良くても
だから 相当時間かかる
ですよ
だからそこそういう区間があるんでその後しばらくロードなんですけど みんなね
なんかロードのことは忘れてくれる なんかね思い思い返せば確かにロードは多いんだけどみたいでもロードの印象はね
多分みんななくなっているんですよ そのもうだからあまりに進まないからちょっとボーナス区間あった方がいいでしょみたいな
感じで考えてくださってまぁ実際ここも本当はオリジナルでオリジナルコースの話は 多分みんなしなかったと思うけどオリジナルコースがあって
まあ僕らはある選手と一緒に話してるのはまあそれはオリジナルコースは クレイジージャパン
ディープジャパンじゃなくてクレイジージャパンって言う あのまあそれがオリジナルコースだからゼロですよ
ゼロバージョンがあってそれは まあもっとそのこのロードもものすごいロード区間はロードの割合はそうだな1割2割ぐらいに
抑えてもうほぼ全部トレイルか砂利道かみたいな 常にアップダウンあるんで
うん そうそれは本当にあのある選手2人僕と3人で3人でもあった時に
あのまあ雨とか夜とか要は不可試験というか 本番よりもきつい状況で走ったりしたんですけどまぁそんなとその時には
ああ 3日で回る予定だったんですけど
4日かかって松永さんがじゃあ僕は3日で行ったけど 予定通りでも他の2人はああ
まあ一人は4日かかり もう一人は
リタイアリタイアもうやめてもう今でもかちょっとなんか体調に帰りますみたいな うん
まあそれぐらいクレイジーなコースそうそうそれなりの選手たちですよ もちろん
屈強なじゃあこの中盤というかあのこのこのループはほぼ一緒ですね じゃあいい裏手の後のこのロードがさらに山に入るとかそういう感じですかね
そうですねとかそこもね今思い返せばまあほんとよくそれ それマジやばいなっていうかあと
あとはそうだなぁループはほぼオリジナルだけどこの浅草だけ周辺も大きく違うし いい
うんスモンだけの使い方も全然違うんで 今使っているコースは使いますけど
もっと他のコースも使ってたんで うん
そうなるとめちゃめちゃロード少ないんですよ で
うんあのめちゃめちゃ
電波がない
何がないって電波がないよ本当にだからもう本当にあの はいあのね
音者音者中瀬になっちゃいますこれ以上に行き止まってもう全然もう本当に じゃあまあもっと激しいコースのそう構想もあったけどそう
まあちょっとそれはやりすぎっていう風になったなったってことですねまあいろんな 要は許可申請出してた時にあのことごとくいろんなところから ng が出て
でまぁここに落ち着いたんですけどまあでも何がいい今思えば結果的に まあさあガーさんとかね結構話したり保護の選手とかとも話してんですよはオリジナル
コースを一緒に走ってくれた選手とかその構想時代から相談してた選手とかといろいろ 話しすると
まあこれぐらいでちょうど良かったのね
そうですねそうそう今これでこの状態でみんなこういう感じで言ってくれてるんだから オリジナルコースはまあ本当に
そうまあ当時その2人と走った時に 感想したら優勝だねって
てか誰感想するのこれみたいな 言われ言われたぐらいだったから
まああの簡単すぎて困ってるって人は聞いたことないですねああまあまあそうね それは良かったですね
そうですね まあ160キロあればね普通簡単じゃそもそもないと思うなそうですね
そもそもね じゃあそれでこういうコースになってそうですねはい
うんもうこれからはじゃあこのコースベースに あもうずっとは基本的にそうですねやっぱりコースいじってる時代は
大会を発展させることは極めて難しいと思います多分それは主催者みんな思うと思うけど 要はコース変えるってすごい
エネルギーというか時間とかもうなんかいろんなことをあの 変えながら毎年いけないから例えばもういろんなタイムスケジュール
あの子のマップとかエイドの場所とかあと何だろうタイムスケジュその何エイド間の距離 とかそういう何でホームページのそういう表示とか
もうもう何か悪い形はすげー仕事が増えるわけですよ 毎回毎回新しい列立ち上げるみたいな
わかりますよねコース変えれば分かります絶対だがコース変えたくないじゃないですか そうでコース変えだコース変えてる間コースを変えるそれにエネルギーを取られちゃうんで
だからまあ今だからえっと去年と今年はもう完全にコースは一緒にできたし だからまあそういう意味ではようやくこう発展モードに入ったかなうん
やっぱだからこういうねライブを入れてみたいだとかもできるようになったし これ今多分コース変えてたら多分こういうのできないと思う
いびきさんを入れたりだとかねそういうこともなったりだとか なんで
そういう意味では 本当になんだろうなさっき言っての発展モード
発展段階に来たのかなと思いますね 今後何か発展していく方向性ってのは
あるんですか いやあると思いますよそりゃまあ今イメージしていることはいろいろあるし
例えば例えば まあ例えばまあまずあれですねそんな具体的なところ言えばあの
会場とか会場中編の駐車場がすべて満車になるぐらいまず参加者が集まるっていうか 単純に言うと
まあそこはまあ 近い目標というか
あのこのグランドとか色々ねちょっと駐車場が散乱してるっていうかバラバラになってるんですよ
何かしかあって 今まだねグランドもまだもうちょっと使えるし
で他のところまだ全然空いてるしだからそういう そういう感じになってますね
新たなゲストもやってきましたけど 入られますか
どうぞどうぞ
はい
面白いTシャツ 面白いTシャツ着てる
なんで?
僕これ使いますよ
これあのあれですよ油断するとね 僕と千葉さんのねあの質疑乙女になっちゃう
そうそうそうそう
あーそうですよね
はい はい
これこうだよね
はいあのだいぶ松永さんにはこの体感のこと聞けたので だいぶわかってきました
わかってきました? まだまだ大丈夫日曜日まで喋れますからね
全然いけると思います
いける口ですからね いける口ですからみたいな
なんかはい 千葉さんもお疲れ様です
あーお疲れ様です
いいTシャツ着てくださって ちょっともうちょっと見せていただいてね
特別なやつしかもらえないディープですからね 一応販売してるんですけどね
販売してるんですか? 販売してるはずですよ
ほんとだ 字が違いますね
欲しい? ありがとうございます ウエストさんで販売してるんで
ディープですか? 欲しい
やばい
それを松永かなこさんに言ったら 多分そのうちスーッと出てくると思いますけど
そうそうそう
マジックワードが入ってる これで全て終わるっていう
免財布ですよね パタン ペタンみたいな
なんかあったときに ディープですからねって
だから結局 ディープですからっつって それでことするみたいな
これが通用するのは ディープとOSJだけですから 日本では
これが通用するのは この2大大会だけですから
それは大変光栄ですけど
日本の2大コンテンツってことです
いやいやいや そんなもう
I IITTTみたいな感じのね
1000人集める時に 大変千葉さんには色々相談しようと思ってるんで
また日付ぜひ 色んな事聞いてるんですよ
千葉さんにはね 色んな電話して
困った時しか電話してくれないっていうね
そうね
選手も主催者も困ったときとあと 出たいとき
出たいときごめんなさい
そうだね確かにその通りですね 癒やしいよね
癒やしい感じだよね
でもあれですか1000人規模にこれ をしたいってことですか
いやこれはまず今の店員でとりあえず いいかなと思う
今の店員が今の倍ぐらい1.5倍から 1.8倍とかだと思うんでだからそれは
それで僕は全然いいかなと思って いますけどまずは
これいきなり1000人規模にしよう とは正直思っていないというか
今のところは
はいはいはい
うん
勝手に的になればもちろんいい とは思いますけど
はい
でも
ここのコースだよね
うんこのコースだよね
うん
でもやっぱりこのコースは特に 突然1000人にしていいことは多分
ないと思うんで
はいはい
やっぱり経験僕らも積んでいって 経験値を上げた上でおくれよる
まあいろんなね
はいはい
なんていうトラブルシューティング をどんどんどんどん重ねていった
上で
1000人に結果的になっているんだ ったら多分対応できると思うん
ですけど
いきなりなんかボーンって来ちゃ いましたってなっちゃったら
来ちゃいましたみたいな感じにな っちゃうと思うんで
だからそれは今のところないですね
結構慎重にそこは考えているんで
でも年々海外の方本当に増えて いますよね
ありがたいですね
受付海外の人が多いんじゃない かって初日とかだと
もう僕それ例えば福田立花さん もそうだし長岡さんもそうだし
千葉さんもそうだしあと松井さん とかあと高木さんとかもう全員
も知る限りの日本のいろんな経験 をされているオーナー以外にみんな
電話して
そうですね
電話させていただいて僕全員に 電話して結果的に千葉さんとか
福田立花さんとか何とかするべ みたいな感じで
そうですね
そうそう
結構大変だったんですよ本当に 参加するときが割といろいろな
ことがあってこれはちょっと助け てあげないといけないだろうっていう
ふうにちょっと我々全部私だけ じゃなくてみんな思ったような
感じだったんですよね
これはやるべきだという感じで やったんですよね
何年前でした
あれ2022年ですかねあの年は本当に さっき大変だったんで済ました
けど大変だったんで済ましたんです けどどれくらい大変だった
どこまで言っていいか分かんない からね
僕は何でも言っていいんですけど 僕がやったことだから千葉さん
がやったことを僕が聞いて僕が 千葉さんのことを言うのはまずい
と思う
だから同じ感じで千葉さんは僕が いろいろ起こったことをだいたい
知ってるからだから千葉さんは 言っちゃいけないこととかもある
かもって思って気を使っていただ いてるんで
でも年々良くなってますよね
そうですね本当に本当にだから 僕さっき3年目から4年目はようやく
発展モードに入れたかなっていう のはコースを固定できたから
それは本当に大きいかなと思って
千葉さんから見てディープジャパン の今の印象ってどんな感じですか
ディープジャパンはやっぱり独特 の雰囲気ですよね
本当にディープというか日本の 奥深いところに行って本当の日本の
里山というか北アルプスとかそういう ところじゃない意味での日本の
山岳地域のほうに時間を置くという か
エイドも結構すごいというか僕ら からするとこんなところでエイド
作るんだっていうような本当に 田舎の日本の行ってないですよ
ね
行ってないです
イデシオ川とか本当に昔の地球 50年ぐらい農協だったみたいな
ところを使ってるんですよ
どこだった
イデシオ川今トップ選手が過ぎ たりとかしてるんですけど
CP5からそことかは本当にある意味 歴史的建造物ですよ
みたいなところでやってたりとか だから結構海外の人とかもああ
と思うと思うんですよね
プライベートビルディングですか 完全なパブリックじゃないんです
そこなんかは
そうなんですね
全然市の公民館とかそういうの じゃ全くないんで
そこの上にねヨロヅヤみたいな のがあるんですよ昔ながらのヨロ
ヅヤが中に肉とか売ってるんですけど 道挟んで目の前にすっごい古い
給油機械があって
何
給油機
あ給油機
ガソリン入れるやつ
ガソリンをそこで入れるんですよ でももちろんデジタルじゃない
んですよここは
カチカチカチカチカチカチって やつがあるっていう僕も生まれた
初めて見たかもしれないみたいな やつがあって本当なんですかノスタリディック
ジャパンですね
笑
興奮しますよね
なんか日本の原風景を走るみたいな こんな感じがしますよね
なるほどね
すごい
電車も知ってますこれすごくいい 電車なんですよここ通って
日本屈指の補給なんだえっと非 共戦
はいそういってみても本当にこう 1日4本
4本
はい景色がね素晴らしく良くて本当に こう
電車マニアすごいですよ
ノスタリディックジャパンですよ 本当に
別名はね
別名は
あもしれない
なるほどね
古き良き日本
あとエイドの人も地元の方もいらっしゃ ってさっきカメラマンさんとか
仲良くなってて地元のおばあちゃん が持ってきてとか言って2日連続
なんか差し入れしてくれたりとか してるみたいな本当に温かいですよ
ね
すごい
と思います松永さんワールドですよ ね
松永さんの印象はどういう印象 ですか
松永さんはね初めはこの大会やる 前までは割と海外とかともすごく
一番初めから僕らの世代の中でも つながってて大会誘致とかも結構
積極的だったんでトレイランドズ カップとかもやられてたからすごく
スマートな方なんだろうなと何事 もそつなく人間付き合いとかも
やるような方なんだろうなと思 ったんですけど実際付き合って
みるとギリと認知をできた方だった のでずいぶん印象が変わりました
よね
うん
確かにお話しかたって言っても 僕もだいぶ
ですよね
今日松永ワールドが分かってき ました
スタンドですからあれ
スタンド
スタンドってジョジョね
ジョジョ
あれだジョジョ
そう僕ジョジョ全然見ないけど 松永さんめっちゃ見るけど
あるいは領域展開的な感じです からね
領域展開的な松永ワールドって 感じですからね
独特の雰囲気ですよねだから松永 さんのレースは独特の雰囲気が
あるからそういうのすごい大切 だと思うんですよね
世界観
世界観
そうですね世界観は大事にして ますね使う言葉も含めそこは
ある種一貫性を持たせて千葉さん にはよく言われますけどねやっぱ
なんかこう芯が通ってるという か
絶対自分だったらやんないなって こと結構やっぱ思いますもんね
例えばどういうこと
例えばね今日朝みんなでブレイフィング やるから朝5時くらいですよ5時
6時とかで千葉さんも来てください ってやるんですけどやることブレイフィング
じゃなくて山に向かってワンって 言ってるっていうあれ何でしたっけ
今日この3日間も最高の3日間になり ましたって完了させるんですよ
山に向かってワンって
ヒューヒューっていう
儀式
それブレイフィングじゃないじゃん と思うんじゃないですかそれは
別にブレイフィングじゃないじゃん とか思うんですけどそういうのが
自分にはもう全然発想ないんで そういうのが
儀式っすよ
僕もヒューとかやらなきゃいけない なって思います
ラップの一つもやらなきゃいけない なかなって思うんですけど
いやいやそれはないと思います けど僕はこういうキャラなんで
そうだからそれはすごくある意味 羨ましいなと思いますね
大丈夫ですよ千葉さん
大丈夫ですか
何がっていうのは僕が持ってる 札は僕の札で千葉さんは僕が持って
ない札をいっぱい持ってるから 千葉さんちょっとすいませんそれ
買ってくださいってなるわけで 僕が持ってて千葉さんが持ってない
札は僕に言ってくれれば僕が貸す しお互い助け合いでいいと
そうそうできないことはやっぱり できないからだからそれはなんか
羨ましがっても意味ないと思うし 僕千葉さんが僕を羨ましがって
くださってるかもしれないけど 僕は千葉さんのことを羨ましがって
るから
本当ですか
そんなもんすよ
そんなもんすかね
そうでしょみんなだいたい隣の 芝青く見えるってよく言うわけ
でだからそれはだからこそチーム ワークの必要だと思うんで自分
が得意なことを持ち寄ってチーム をだから今回のこういうこれも
要は千葉さんは僕と全く違うわけ で僕と違う長所を持っていて
とか強みがあって僕にはできない ことをできるからすごいチーム
として成り立つわけでお互いが 補い合うというかだからそれは
立花さんにしろ長岡さんにしろ 松井さんにしろもちろん松永
さんとかそういうメンバーがみんな 違うお互い多分それは私はできない
ですっていうのは持ってるけど 逆に私はこれはできますっていう
のを持ってるからそれが補い合って チームとなってるんでだから本当に
ありがたいです
本当に松井さん面白いですよ今日 本当に一番今日面白いなと思った
のは初めと一緒にトークするんですけど わーって言ってわーって言うん
ですけどでも今それを考えなくて いいって言ったからそれ言わなきゃ
いいのにって初めからと思って 最高だって言ってみんなに対して
でもそれは今考えなくていいって 言わなくていいのにと思ったけど
そういう本当に面白い松永さん は自分に本当なくて本当に会え
ない場合ほど魅力的な人は本当に
ありがとうございます大変ありがたい
です
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい