1. IBUKI STATION
  2. Deep Japan Ultra 100 松永紘..
2025-07-01 1:38:56

Deep Japan Ultra 100 松永紘明さんの想い、千葉達雄さん

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Deep Japan Ultra 100公式Liveから、選り抜きの内容をポッドキャストでお届けします!

ゲスト

  • 松永紘明:大会プロデューサー
  • 千葉達雄

ライブの様子

公式Live映像はこちらから

Part1

Part2

Part2-2

Part3

Part4

IBUKI Live
https://ibuki.run/ev/8964194627005662562/map

サマリー

ディープジャパン大会はパンデミックをきっかけに生まれ、海外レースの過酷さと感動を国内で体験できる場を提供している。新潟に住む理由やスポーツ選手としての夢について語られ、自身の経験を基に地域の魅力を伝えている。松永さんと千葉さんは対話を通じて、過去の自転車旅行や留学の経験を語り、日本の労働環境への疑問が浮かび上がる。また、旅や冒険を通じて人間関係を結ぶことの大切さが強調されている。 松永さんと千葉さんが参加する大会「ディープジャパンウルトラマン」は、国内外のランナーに新潟を魅力的に発信することを目的としている。この大会を通じて、地元の自然と文化を体験し、国際的な交流を増やしている。松永さんと千葉さんは人生の経験や自己探求について語り合い、特に人との出会いや感情の大切さ、過去の経験から得た教訓が中心となって話が展開される。 このエピソードでは、松永さんと千葉さんが自分自身の考え方や他者との関係について語る。また、レースのスケジュール変更や大会の運営において、日本に海外選手を招くことの重要性が論じられる。 松永さんと千葉さんは登山やトレイルランニングの過酷さについて語り、過去の大会やルートの工夫、選手たちの体験を紹介する。特に難しい区間やその管理についての話にも触れ、参加者が登山道の選択案件について学ぶ機会が提供される。 ポッドキャストでは、松永さんと千葉さんがディープジャパンのコースやそれに関する経験について語り合い、参加者の増加やコース変更の難しさについて議論する。また、未来の大会の発展に向けた展望も共有される。松永さんと千葉さんの対話を通じて、ディープジャパンの独特な雰囲気や大会の開催についてのエピソードが展開される。特に大会の成長やコースの固定化がもたらした発展、地域のおばあちゃんからの温かい差し入れなど、日本の豊かな文化と人々のつながりが描かれている。

ディープジャパンの背景
IBUKI STATION 行ったものの、いやいやいや、そんな、昼の続きを、本当は昼に聞きたかったことを順番にお聞きしたいんですけども、僕は実は、ディープジャパン初めて来たので、4回目だと思うんですけども、改めて、まずこの大会、ディープジャパンという大会はどうして生まれたのかとか、
どうして生まれたのか。パンデミックですね、一つは。パンデミックがきっかけで、僕はやっぱもう10回以上連続でUTMBの大会に毎年8月とか行っていて、海外レースもずっと回って、プロのアスリートとして2006年ぐらいから活動させて、いろんな方のおかげで活動させていただいてるんですけど、
それが途切れ、海外に行けない、自分がレースに行けない状態になった時に、海外に行ってる時はできなくて、今できることってなんだろうなって思った時に、こういう、要は日本にいながら海外の、海外レースの過酷さと感動と達成感を味わえるような、
そういうものを作る時期なのかなって思って。だから、要は国内に目を向けというか、もううちの近くですね。ここうちから、一番遠いところでうちから1時間なんですよ。
でね、みなさん、これちょっと使っていいんですか?これ大丈夫?コースのね、これがコースがこうあるんですけど、平たく言うとうちはね、うちはこの辺にあって、この辺にあってね、こっから1個、
あ、そうそう、そっちのほうがいい。じゃあ、あのね、あ、そうか、縦のほうがいい?あ、そうか、このほうがいいか。で、うちは、こっちかな?ちょっと待て、うーんとね、ちょっと待てよ、そうそう、長岡市なんだけど、そうですね、うちはこう、まあ言ったら平たく言うとこの辺だとして、地図で言うと、この辺だとして、こっから一番近いところは、まあ、あ、こっちだな、だから一番近いところは、まあ、うん、違うな、やっぱこっちだよね。
はい、こっから1時間、まあ、ここが一番近いところはうちから30分、一番遠いところが1時間、こっちとこっちの端っこが、みたいな、だからうち、うちを平行に、うちから見える山を全部、まあ、結んだみたいな、阿波ヶ岳、えー、相撲んだけ、えー、そして浅草、まあ、浅草だけは実際見えないんですけど、うん、っていう感じなんですよ、だからうちから見える、ね、ところでやりたかったし、まあ、あとは、あのー、今、なんていうのかな、
まあ、僕自身、世界中、こう、いろいろ、ね、ワールドシリーズをいろんな方のおかげで回らせていただいている中で、その世界の、あのー、なんて言うんでしょう、もうそろそろ押していい?うん、世界の、あのー、舞台を回っていて、えー、自分が走っているエリア、例えば相撲んだけとか、あと、まあ、浅草だけとか、まあ、もちろん阿波ヶ岳とか、そういったエリアが、僕は世界のその、僕が今まで回っている世界の舞台に出て匹敵するような、
あの魅力を持つんで、だからそれを、まあ、知ってもらいたいな、あのね、世界中のレース回ればよくわかるんですけど、大体みんなオーガナイザー、そんなもんで、あの、うちのとこ、みんな、これいいとこだからみんな来てよ、みたいな、うん、それからスタートしているところは基本ほとんどというか、多分それ以外の理由あんま聞いたことないけど、みたいな、
でも僕もシンプルに、なんかそういうふうに思ったんで、だから世界中回ったときに、ああ、うちのところのこの山でも全然なんかワールドシリーズが例えば、ね、ふさわしいなとか、世界中の人にが来ても、あのなんか、ね、喜んでもらえる景色だなとか、ずっと思ってたんで、
だからそれを実現するには、あの、この、この機会は日本に、要は缶詰になっているこの機会、すごいいい機会だなと思ったんで、その機会に、えー、まあ立ち上げたというか、うん。
じゃあ、もともと、あの練習講座とかよく通われてた山を繋いでっていう感じですか?
そう、そうですね。基本的にはそうですね。自分が行っているとこ。で、ただ自分が行っているところの山が、まあ例えば阿波畑と相門岳と浅草岳は、もうまあ別々の山なわけですよ。
まあ別々の山っていうか、それなりに離れてるから、それをどう繋げるかみたいなのがあったんで、だからまあ繋ぐためにこう、いろいろね、まあ地図には載ってない道をいろいろ走り回って、
こう、やるみたいなのはありましたけど。
そもそも新潟に住まれてるのは、どうしてだった?
おー、はいはいはいはい。飛ぶね、いいね。はいはい。なんで新潟に住んでるか?
えーとね、なんで、まあ要は僕はですね、小さい時プロのスポーツ選手になりたかったわけですよ。
作家選手ですか?
えー、まずは作家選手。まあ静岡なんで、もうみんな周りで、もう絶対プロになってやるんだ、まあ僕は絶対プロになってやるんだと思って、もう朝から晩までひたすら練習して、で、なんていうんですかね、あのー、それこそこれなんか多分中尾さんとのポッドキャストでも喋ったと思うんだけど、あのー何、えー、もう、もう作家選手になることしか考えてないから、で、いろんな変な筋トレとか自分で考えてやったりとか、
あと週6で山走って、まあ要は体力勝負だから作家は、なんでそういう実習練をして、えーっていう、まあ変な小学生だったわけですよ。まあでも、小学生で山走ってたんですか?山走った、もう自分で、そう自分で、だから、うん、あの山っていうか山道ね、まずは坂道、アスファルトの坂道とか、で、たまにこうなんか茶畑とかがあるんで、そういうところの道下ったりとかして遊んでて、
でもそれはだから基本的にその、なんだ、サッカーのプロになるためにやってたんですよね。だからその、うん、それで、えー、でもまあ作家は静岡で、えーと高校まで行き、で、結局高校でそのプロのサッカー選手になれない、要はそっから推薦で大学に行けなかったし、まあそうか、まあ高校からそのままプロにもなれなかったし、
あー、プロにはこれはなれないんだなっていう現実を叩きつけられたときに、じゃあでもプロのスポーツ選手になりたい、でも何だろうなって言って、次僕は思ったのは、スキーね。うん、僕スキー好きだったんですよ。小さい頃からね。でも年に1回とかしか勝てなかったから。
大学は静岡からだったんですか? そう、そう、もう遠いんで、そうなんですよ。それで、あの年に1回、まあだからでも興味あったんで、だからじゃあ大学はあの、ゆうきぐりに行こうって思って。だから新潟とか長野とか北海道とかの大学受けて、まあでたまたま新潟に会員があったから新潟に来て。
あ、そうだった。そうそうそうそうそうだった。じゃあ大学で新潟に。うん、そうです。大学で新潟に来ました。うん。で、そのまま住み着いた。住み着いた。あのね、住み着き、そうだな、住み着いた、実はね、で、その後、うーんと、まあなんて言うんだろうな、
まあ僕は日本、自転車でその後旅も結構大学の時、日本一周したりイギリス一周したり世界中、あの世界20カ国ぐらい回って、で、その時にまあ僕は好きなことを仕事に自由に行きたいなって改めて思い、で、で、スポーツ選手っていう夢を、だからまあまずそこでスキーの選手になろうと思ってやっていて、まあある程度は行くんですけど、例えばゆきぐりの人にはやっぱかなわないっていうか、もうなんだろうな、センス?
自己実現の旅
まあ小さい頃から。
そうそう、もうなんか絶対的なセンスというか、もうそういうのはかなわない。だから要はそこで、えーとまあね、スキーの、例えばインストラクターのライセンスを、例えば日本も取ったし、カナダとかのライセンスも取って、で、日本とかカナダの山こもってやってましたけども、まあまあこれ以上はダメなんだなっていうのがあるし、まあ現実を突きつけられた時に、じゃあスキーの次なんだろうって言って、で、まあそのね、好きなことを仕事に自由に行きたいって思ったからやっぱりスポーツ選手っていうのはあったんで、
で、その時に、あー、なんかないかなってこう思ってた時に、たまたまあの大学生の時に雑誌で、まあ雑誌は今日も計測していただいてるあの会社が出してるあの雑誌ですよ、そうそうそうそう、あれをね、そうそうそうですよ、
たまたまなんか学職じゃないや、学校のさ、売店みたいなとこにあって、ちょっと立ち読みして、まああんま良くないけど立ち読みして、で、見かけて、日本一過酷なレースって書いてあって、日本一過酷って何だろうって思って、まあ僕ももうその頃ね、世界中自転車で回ったりしてたし、で、実はね、その頃もう100キロマラソンとかで行ったんですよ、ロードの、そうそうそう、大学生で、で、あんまりいないでしょ、大学生、大学、例えば、
そうそうそう、1年、2年と4年、まあ1年、そうそう19とか20歳そこそこの時に出て、それはあれですよ、でもさ、今思ったでしょ、そんなあんまり、例えば10代の子が100キロマラソン出てないじゃないですか、だから出たの、話のネタだよみたいな、僕その頃はめちゃめちゃ結構なんだろうな、まあいいや、まあとりあえず話のネタに出たらいいかなと思って、
で、出てたんですよ、まあでも1回出て、で、出た時に、まあなぜかわかんないけど、ああこれじゃあプロになれないなって、もういや圧倒的な差だったから、もうトップと、トップが何だ7時間台とかで、僕はすげー頑張って10時間台とか、3時間も離れてこれ、まあトップにはなれねえなとか思って、なぜかトップになろうとはしてたんですけど、
で、その時に、まあそのさっき言った日本一各国のレースってのを見つけて、でそれが、日本三角耐久レースっていう、ハセツネっていうやつですよ、あれが、そう、ハセガワツネオさんにまつわる、だからあんなに荷物がいろいろね制限があって、補給ね、水しかもらえないし、一箇所しかなくてみたいな、
エベレストに最後アタックするためだから、みたいなさ、まあ今のトレイルランニングの他の大会とはもう完全な別のなんていうさ、ね、多分、だからそういう意味じゃ、多分あれはトレイルランニングの大会じゃないですよね、多分、だってあれ山のサミット訓練のための、なるべく補給少なくして、どんだけね、自己完結でやるかっていう、
アクティビティだから、だからそういう意味じゃ、ね、一見一緒かもしれないけど、コンセプトは全然違うと思う、だって今の普通の大会は、エイドね、あの、エイドなんだ、豪華でなんぼみたいなさ、そうそうそうそう、豪華でなんぼみたいな、あるでしょ、豪華でなんぼって感じじゃないですか、そこ競ってるとかあるじゃないですか、
だから、まあそういうのと相反するから、まあなんか、ね、そういう意味じゃトレイルランニングの大会とはちょっと違うのかなって、まあ客観的には思いますけど、まあまあそれはともかく、まあそれの大会に出て、で、1回目が何時間だったかな、10時間くらいで、で、2回目に9時、1回目が11時間半くらいかな、で、2回目が9時間半くらいかな、になって、で、まあこれ結構いけるかなって思って、
で、そこからスポンサーを探し始めたり、うん、して、現在に至るみたいな、大学卒業して、だいぶ端折った?大学卒業して、はいはい、そのまあ長谷恒、えっとね、大学院、あれ長谷川恒岡、日本三角体系レッスンに出たのは、たぶん1回目に出たのはね、大学4年生で、で、僕は大学院まで行ってるんで、別にね、勉強したかったわけじゃなくて、旅したかったんですよ、
世界中もっと旅したかったし、まあ言ったら平手国や就職したくなかったっていうか、あのどうやってお金稼ぐの、どうやって生きていこうのかなっていうのはすごい迷ってたから、その好きなことで仕事に自由に生きるとは決めてたものをどうやってお金稼ぐんだみたいな、だからお金を稼ぐ方法がまだ見つかってなかったし、まあ執行猶予みたいなものですよ、先延ばしにしてたわけ、だから大学院行ったんですけど、だから別に大学でね、勉強したかったわけじゃないんですけど、
まあそう、そんな感じです。
分かります。大学がサイクリング部で進路は決まらず大学院に行った。
一緒、一緒っていうか、まあまあそういう感じです。
自転車で旅したんですか?
サイクリング部でした。
サイクリング部さ、僕サイクリング部の方は、九州回ってた人いたな、サイクリング部、自転車部ですって言って、でもサイクリング部と自転車部って違うんですか?一緒?
どこの話ですか?
それはね、その子はね、多分大阪だった、関西だったと思う。で、その子は自転車部、私自転車部でつって、なんか自転車部で九州の九州連山とか、
山田に入る?
いや、まあそうだし、油封院から入って、山田、麻生の方抜ける道とかを行ってとかって話してて、その子はなんか、自転車部って言ってた気がするんですよ、サイクリング部じゃなくて。
だから、自転車部ってなんか結構旅系なのかなとか思いながら聞いてたけど、で、その子確か、薬師場とかにもなんか行ったって言ってたけど、自転車部で。
分かんないけど、僕の記憶の違いかもしれないけど、まあでもそんなこと言ってて、で、自転車部旅をしてたんですか?それとも、競輪系のなんか、なんだろうな。
両方やってたんですけど、ほとんど大学時代はサイクリング部だったんですよ。
え、じゃあ、それはどういうこと?サイクリング部ってな。
旅をしてました。
じゃあ、林口袋もやり続けた。
日本一周したって。
で、どういう風にしたの?それは休学して?
いろいろ繋げたらって感じで。
いや、僕もそうっすよ。
自転車旅行の冒険
実際やったのは、柔断は結構1回で、2回に分けて、里見関から宗谷見関まで1回、山ばっかりで。
で、南は南で分けてみたいな。
そうですね。
じゃあ、2回に分けてみたいな。
あと、アメリカオーナーとか。
すげえ、アメリカオーナーなんてヤバすぎるじゃないですか。
あれイメージしたらヤバいでしょ。
なんかでも、それちょっと聞いたか見たかもしれないけど、それは僕はマジすごい勇気っすね。
いや、でも言葉が通じるんで。
いやいやいや、言葉通じるって言ったってマジ砂漠じゃないですか、そこ。
だって、ちょっと間違いや、間違いやっていうか、アクシデントで次の町普通に着けないわけで、次の町普通に100、200キロとか離れてるでしょ?
もうちょっと北の方だったんですよ。
ああ、そうっすか。ほら、こんな話になってくるわけ。
でもあれですね。
え、いくらでも話し合う。
先行がサイクリングだったって。
まあ、これ松坂寛夫さんあんま聞きたくないかもしれないけども。
でもさっき出てくるところなんですよ。
あ、そうなの?なんと。
そう。いろんな話されてたんですよ。
あ、されてた。
ちょっと慣れそうで、どういうふうに言うか、敬語をちょっと。
ああ、して。
聞かせていただきました。
そういう感じの今あれなんですね。流れできて。
で、今僕がえじきになってるっていう。
まあまあ、でもね、すごいな。アメリカって、あの、勇気なかったな、それは。
でもさっきいろんな海外も言ったんだって。
いや、言ったけど、僕ヨーロッパだから、ヨーロッパやっぱ近いし、町と町が圧倒で。
例えば、僕がスタートしたのは、例えばワルシャワスタートして、チェコ行って、で、オーストリア行って、で、多分どこ行ったんだっけな。
スイスのほう行ってとか、で、ドイツを南に下り、ルクセンブルクに行って、オランダ行って、パリに抜けるみたいな。
それは、だって町近いし。
いやー、でもそれはまた、いろんな国行って。
おしゃれですね、おしゃれ。
パリゴール。
いいですね。
パリゴールしたかったんですよ、なんとか。
スタート地点は、他の、全然また違う話だけど、他の旅で出会った子が、ワルシャワ、ポランドの子がいたんで、その子の地域に行きたかったから、ワルシャワをスタートにして。
だから要は、何だろう、それもその前の旅で知り合った人を訪ねる旅みたいな。
だから最初に、最初の海外、僕はイギリスだったんです。
イギリス一周した時に、出会った子たちに、ヨーロッパに散らばってたから、それを全部結んでやろうと思って、なるべく結んで行って、最後はパリがいいかな、みたいな感じの旅で。
いいですね。
留学と労働環境の考察
でもアメリカはないわ。
いやいやいや。
新婚旅行はどこ行ったんですか?
新婚旅行は、それ聞かなかったんですか?松山さん。
はい。
なんで?聞けば言ってくれたはずなのに。
2回ぐらいだったね。
僕は静岡からスタートして、九州まで行き、薬島に行き、その後、船ですよ、そこはね。
九州まで自走して行って、薬島に行って、一回また九州に戻って、その後今度は宮古島まで船で行って、
今度は宮古島までからは、今度は愛知県ぐらいまで一気に船で戻り、また静岡まで帰るみたいなやつとか。
あとそれは1回目で、2回目がニュージーランド。
2回目はニュージーランド?
2回目はその年にニュージーランドのオークランド。
それも知り合いがいたんで、オークランドに知り合いがいたから、そこからスタートして南下して行って、クラッシュ・チャーチャーまで行って、
あとは冬ですね。
何回進行旅行行ってるんですか?
3回した。
3回進行旅行したんですか?
北海道の大学院の2年生の時に、普通はマスターコースだと、大学院2年ってめっちゃ忙しかったでしょ?
いや、僕中退しました。
僕はなるべく、ちゃんと勉強する時は勉強して、スカーだけ取って、自分が選べる権利を得てから、一番楽な研究室に行ってたんで。
だから、卒業する時の卒業研究科は一番楽なところに行ってたんで。
普通はもうめちゃめちゃ、多分10月ぐらいから2月ぐらいまでもうなんか、夜も寝てないですみたいな、今日の僕みたいですみたいなさ。
富谷城みたいな。
いや、みんな富谷城に住んでる感じでした。
夜寝ないみたいな。
なんかすげえ、僕は基本的に夜ちゃんと寝るタイプなんで。
夜寝ないと、効率悪いなって思ってるタイプだから。
朝起きて、朝だったら5分で終わること、夜で1時間とかかけてバカみたいじゃんって思ってるタイプの人間なんで。
絶対洋服買う人が基本しないんで。
だから、めんどくさい仕事は夜しちゃダメだと思ってるタイプだから。
なんでこの子たちみんななんかヒヒ言うながら、寝てなって言いながらさ、朝昼夜逆転してこの子やってんのかなとか思いながら見てましたけど。
でもそうなってる、大学院2年生って大体みんなそうなっちゃってて。
でもそんな中、僕はさよならーって僕行ってきますみたいな感じで。
旅に出てたんで。
大学の先生も知らない。僕が北海道にいることは知らないぐらいの。
その当時の最新のテレワークですよ。
北海道のスキー場から大学院の最後の卒業研究の論文出すみたいな。
本人たぶん気づいてない。今も気づいてないと思ってる。
そうだね、今も気づいてない。だって交流がないから。
そういうわけのわからない学生ですよね。
これ全然ディープジャパンにたどり着かないで。
もうちょっと進めますか。
大丈夫かな?
はい、本堂さん。
要するに、あれですか、いきなりプロトライルランナーってことですか?お仕事としては。
まあ、だから、愛知県に大学卒業し、
でも、そこもね、なるべくはしおるけど、ちょっと長いけど。
なるべくはしおるんだけどね。
僕は日本で暮らせない、日本で生きていけないって思ったんで、だからもう留学するしかないと思ったし、
でも留学しようと思ったんですよ。
いろんな英語のスコアとかをとって、行けるってなったときに、条件が整ったときに、
いや待てよ、僕は勉強というか研究が好き。
大学とか大学院って要は研究なわけじゃないですか、特に海外なんか。
僕、海外の別の言語で、すげえ出るの大変な海外の大学に行って、
しかも別に研究が好きなわけ、やりたいわけじゃないのに、行って大丈夫なのか。
だって僕は海外にただ要は脱出したいだけなのに、
っていうことにある種気が付いて。
なんでそんな脱出したかったんですか。
いや、だって日本じゃ僕は生きていけないって思ってましたもん。
だってまず、8時、5時って言いながら、8時、5時じゃないじゃないですか。
サービス残業するような。
学校がさ、学校じゃない。
就業時間があって。
それは僕はよく分かったし、旅してた中でいろんな国の方のライフスタイルを聞いてると、
普通に3ヶ月休んだって元のポジションに戻れるとか、そんなの普通に聞いてた中で、
いや、無理だな、日本の会社絶対無理だと思って。
分かるわ。
そうでしょ、1ヶ月絶対。
1ヶ月。
結構共通点があるでしょ。
シンパシーを感じ始めてる。
似てる。
だってさ、僕大学院とか卒業して、大学院の時の冬が、
北海道のルッスリゾートでインサクターのバイトしてて、
そこから南下してって、要は就職先に行く時に、
俺の人生終わったかもしれんって。
もうこういう自由な1ヶ月、1ヶ月じゃない、3ヶ月とかっていうホリデーは、
俺は一生取れないのかもしれないって、その不安しかなかった。
南下していく時に、愛知県に向かって。
一回愛知に就職決まって。
その就職した理由は、僕は新卒だったのに、
新卒のサイトというか、そういうのは一切見ずに、キャリアのリクナビネクストみたいな、
キャリアのところを全部探してて。
何でかっていうと、新卒でわけのわからない部署に行かされるのは嫌で、
だからもう海外に行きたかっただけだから、海外駐在員っていうポジションに、
僕を直接送り込んでくれる会社を探してたんだ。
だから中途の海外駐在員っていうのを探してた。
すごい変でしょ。
そこは、愛知県の会社で僕を、イタリアって書いてあって、
イタリア行きたいと思って。
イタリア人の気質わかったし、旅してた時に、
こいつらめちゃめちゃ楽しそうだし、すげえ。
関西の方はラテン系だと思ってるんですけど、距離が近い。
話すると距離近くない?近いでしょ。
東京の方に比べると、縁をやって話してる時に、
3歩くらい近いよね。ぐいっとくるでしょ。
僕は、それは全然嫌いじゃないっていうか、
僕はどっちかっていうとラテンタイプだから、
遠いと寂しいじゃないの?近く寄ってよ、みたいな感じだからさ。
だからイタリアが気質なわけでしょ。
だからイタリアとかいいなって思って、
だからイタリアに駐在して、すぐ駐在したら、
現地の会社に入ろうっていう。
そういう目論みでその会社に入ったんです。
だから愛知県に行ったんですけど。
でもそれは愛知県に送ってくれる。
今もう話、黙っちゃってるから、
僕に話をしろっていう感じだと今話しますけど。
ホリデーが取れないって、
絶望してなんかしたところからは?
だから日本の会社に入るつもりはなかったわけでしょ。
愛知県の会社に入ったけど、
愛知県の会社はイタリアに送ってくれるって言うから入っただけで。
日本の会社に入るつもりは基本なくて、
日本の会社を通じて海外に送ってもらって、
その現地の会社に入りたかったっていう。
そういうだけの話で、
僕はそこをうまく利用させていただこうと思ったんですけど、
帰郷と新たな挑戦
結局そのイタリアに送ってくれるのは、
3年?とか言われて。
3年はないなって。
開けた瞬間に死んだ目の魚のような顔をした人たちが並んでて、
うわーもうここ、自分が、
言葉を選ばなければ自分腐るなっていうか、
もう終わっちゃうなって思った。
だから誰とも目も合わせたくなかったし。
もうだから入って、もうダメだって。
入ったその日からこの会社は辞めるしかないって思ったから、
じゃあどうやって生きていこうかなって。
だから真剣にまた考えてやってたんですけど、
誰とも基本ほぼ必要なくて一切話ししないし、
昼休みはすぐ外行って、
さっき見た弁当みたいなの持ってて、
行き帰りは走ってたし、
全然接手もなく、飲み会みたいなのは絶対行かないし、
そういう感じでもう辞めることを前提に通って、
その会社だって3年も待ってられないし、
しかもその前に中国に行けって、
いや中国に行けばまだ分かったとしても、
僕と松山寛夫さんと結婚してたから、
しかも単身で行けって、いやそれはもうないですねって、
僕はそれをすぐ断ったし、
っていう感じで、だからもう辞めようと思って、
次の会社も別にだから、
僕はもう日本の会社は無理だって分かってる中で、
とりあえずまずはもうこの愛知県は無理だなって思ったんですよ。
愛知県はもう1時間、2時間くらいかけて、
さなげ山とかっていうところに、
チャリで行かなきゃいけない。
僕は車もうそのとこ持ってなかったから、
もう全部手放して、
北海道から南下してきたと同時に、
車手放して、もうチャリしかなかったから。
チャリで行ける、一番近い山はさなげで、
片道1時間半はかかって、多くてチャリだけで3時間で。
愛知県は山がいいですよね。
空気もそんなに、その中で2時間とか、
要はもう5時間トレーニングのうち3時間がチャリでみたいな、
そんな生活を毎週末していたんですけど、
だからそれはちょっともう愛知県は無理だなって思って、
じゃあとりあえずはもう1回新潟に戻ろうか。
松山寛子さんの実家もたまたま新潟だったし、
だからとりあえず新潟の会社はどっかないかなって、
ある会社に受かって、
新潟にすぐ、何ヶ月後かな、
最初の会社辞めたのは多分、
4、5、6、7、8。
意外に持ってますね。
3ヶ月とかで辞めるかなって思ってた。
最初のボーナス、
最初のボーナスだっけ?
初任休とボーナス。
ディープジャパンウルトラマンの始まり
初任休とボーナスみたいなのもあったし、
だから8月ぐらいまでやりましょう。
だから5ヶ月ぐらい。意外と長かった。
そんな言われたの初めてだよ。
でもこうやって前置きしてるからね、
1ヶ月か1日か。
もうちょっと買いつまんで。
来ちゃう。来たら80のトップが来ちゃう。
来ちゃうからさ、あと10分ぐらいで向こう行かなきゃいけないのにみたいな。
ディープジャパンの話。
じゃあもう全部切ろうか。
無事に新潟来ましたよ。
いろいろあって、
プロのトレールランナーがあって、
コロナがあって、ディープジャパンを。
そもそもトレールランナーズの大会を
いろいろやっている中で、
コロナの中で作ろうとしたっていう。
そういうことですね。
ご自身が海外に行けなくなってしまったから、
海外に飛敵するぐらいのレースを作ろうっていう。
日本にいながらにして海外レースに飛敵するような感動と達成感と、
そして過酷さ?
お味わえるような。
みんなも海外に行けないわけだからさ。
っていう感じでしたね。
日本の魅力を発信
出てきたのが、これ。ディープジャパンウルトラマン。
あとは、
これは今あれなんで、
とりあえず日本の中の何とかっていう大会をやろうとしてはなくて、
ジャパンってつけたかったのは、世界の中の日本ですよっていう。
日本の大会なんでしょ。
世界中の人から日本に来てねっていう意味でジャパンってつけて。
日本の大会で、ジャパンってついてる大会はたぶんうちだけだと思うんですよ。
確かに。そうかもしれないですね。
とっちゃったわけ。ジャパンを。先に。
だからあるんですか?
そう。ジャパンは、ジャパンをやりたかったわけ。
だから、そこはもう松永カラスもよく知ってるけども、結構そこはこだわっていて。
だから世界の中の日本にピンを刺して、
世界の中の日本の大会なんですよ。
だから日本の中のどこかの大会なんですよっていうつもりはさらさらないから。最初から。
だからこの書家さんに書いていただいて、海外の人がクールだなって思うようなデザインもそうだし、
タイトルというかは意識してやってますね。
だから最初から海外の人にみんな来てねって。自分が海外に行って楽しいし。
だから僕も去年よりも海外の選手が増えてるし、
全体の人数の割には、
全体が330とかの中で50人くらいが海外選手なんで、
人数の割合的には結構高めなんですよね。
50人ですか?
50人くらいだと思うよ。
7人に1人ってフォトキャストでおっしゃってました。
言ってた?
覚えてないんですか?
覚えてない。
僕はフォトキャストに一切原稿とかもないし、
喋ろうとしてるそういうのもないからさ、
完全に長尾さんはよく知ってるけれども、
完全にダラダラ喋ってるだけだから、
思いついた通りにパーって言ってすぐ忘れてるんで、
何言ったか全然覚えてないし。
7人に1人でおっしゃってました。
聞いてる人が覚えてるっていう。
いつの回で言ったかも全然覚えてないけど。
ありがとうございます。
最初から視点がグローバルというか、
世界の中でこういうレースを作ったほうがいいっていう視点で。
だから新潟を世界に本気で発信するためにこの大会をやってるっていうか、
あとは日本を本気で世界に発信するためにやってるっていうか。
新潟県、これ新潟県の国定公園内なんで、県なんですよ。
国定公園なんですか?
国定公園の特別地区って結構ややこしい。
国定公園内で一番網が密な、外すのが大変なとこなんですけど、
そこに行くときも僕はこういうもので世界中を回って、
ここの場所は世界の舞台にふさわしいんで、
ぜひともこういう大会を、
新潟を世界に発信するためにやらせてくださいって言って、
ちょっと上司に聞いてみますみたいな感じになって、
何日かして分かりましたっていう風になって、
教科はいただいたっていう。
でも全国的に見れば、
僕は別に新潟をって言ったけども、新潟県に対しては。
でも僕は日本の魅力を世界に本気で発信したいなと思ってるんで。
これは日本の原点だと思うんですね。
この地域の人の感じとか、
古き良き日本というか、
観光地では全くない、
今日本に来てる観光客は、
海外から来てる観光客は、
正直かなりインバウンドで、
ある種潤ってはいると思うけれども、
海外の人から見たら、
大会の進化と参加者の増加
日本人いなくない?みたいな。
そういう感じになっちゃった。
例えば川口小町もそうだし、
平日の川口小町、
日本人と海外の人どっちが多いかって、
外歩いてるの海外の人多いわけで、
海外のツーリストは絶対そんなところに行きたいわけじゃなくて、
僕が海外に行ってる時に、
日本人がいるところに行きたくないんだよ。
そうでしょ?
意味ないよね。
そうじゃないところに行きたいわけだから、
ここなんかまさに誰も絶対ないから。
だから本気で日本の魅力を感じていただけると思うんで、
実際今日も海外から来た選手ね、
ここはいいとこだよ、最高だよってみんな言ってくれて、
それは多分ね、いろいろ話してたら、
自分たちは別にツーリストプレスに行きたいわけじゃないし、
海外にヨーロッパ人がいっぱいいるところに行きたいわけじゃないから、
みんな言ってるんで、
だからそういう意味でも、
喜んでもらえてるんじゃないかなとは思います。
だから少しずつ海外の選手も増えてるだろうし、
日本の選手ももちろん増えているだろうし、
みなさんのおかげでこういうライブもしていただき、
ありがたき幸せです。
ゆるいですけど。
1回、2回、3回、4回って大会が4年続いていますけど、
この4年での変化っていうのはどういう変化がありますか?
4年での変化?
特に最初結構立ち上げってやっぱり大変だったんじゃないかと、
立ち上げっていうのはご苦労されたんじゃないかと思いますけど。
めちゃめちゃそうですね。
シーガイダンとか、
レイクビーは?
いろいろ大変そうだなって。
僕は二羽さんに立ち上げの頃、いろいろ結構電話して、
あと中谷君とか、
タンバ100をやられてる中谷選手とか、今走ってるけど、
いろいろ話をして、
初先輩方、100マイルを立ち上げた初先輩方がどんな感じで進んでたか、
結構相談したわけですよ。
それなりに大変だったんですけど。
いいじゃん、苦労話はやめようよ。
急に?
つまんないでしょ。
そうなんですか。
こんなことで苦労しましたとか、
それはなんだろうな。
別に同情得たいわけじゃないし、
それはしょうがないことで、
なんて言うんでしょうね。こんな大変だったんですよ、みたいな。
そんなに好きじゃないっていうか、
苦労を見せたくないタイプ?
見せたくないっていうか、そんな大変、めちゃめちゃ大変だったけど、
どんなに語ったってその大変さは結局伝わらないんで、
アーシャー諦めてるから、そこは。
ものすごい大変だったけど。
っていうぐらいですよ。
ディテールを言ったところで、
たぶんね、やったことがなければ、それはわからないから。
でも今の言葉のトーンでわかったでしょ。
まあまあ重そうだったでしょ、その大変さは。
まあまあ重そうだったと思うので。
それで十分。
それでたぶん十分だと思う。
すごい大変だったでしょ。
今も大変かもしれないけど。
シガイチとかね。
いろいろガイアから聞いてるからさ。
まああんまり大変そうだなって思いながら。
でも僕そんなに、
だから人の苦労話も聞きたいとは思わないし、
聞くんだったら絶対僕は、
本当に興味あったら近藤さんから直接、
例えばシガイチで何やどこで、
誰が本当に大変だったんですかと聞くけど、
別に僕はそこそんなに興味ないっていうか、
そこに焦点を開けると、
ただ単に茨の道に進んでいくだけだと思うんで、
別に僕はそんなことは知らずに、
ファーンと実行できる方がいいんで、
みんなが賛成してくれて、みんなが応援してくれて、
みんながハッピーになるような方がいいんで。
だから苦労話はあんまり役に立たないって思ってるタイプの人間だから。
なるほど。じゃあちょっと質問変えますけど。
4回繰り返す中で、多分変化はあると思うんですよね。
それをどういうふうな変化を経て、
4回目に至ってきたかっていう。
一言ずつ言うとね。
教えていただいて。
1回目。
誕生と分裂。
分裂って何?
2回目。
ちょっと待って。めっちゃ気になるんですけど。
まず言った通りに行きますか。
2回目。
新たな出会いと再スタート。
リスタート?
3回目。
安全性を一段階上げる。
そして持続可能な大会にする。
4回目。
今年。
3回目と4回目っていうのは、
例えばこのライブであったり、
あとは自動創業じゃないけど、
なるべくみんなで分担して、
分業を進める。
より持続可能な大会運営にしていく。
要はその負担も少なくするし、
少なくなるから持続しやすくなるっていうか。
スタッフ一人一人の負担を軽減していくために。
そうですね。だから人数を増やし、
みんなでなるべく分業をする。
それを進める。
自分でみんな一人で抱え込まずに、
なるべくシェアしながら、
要はこうなってるやつをいっぱいの人で支え合うみたいな。
で、より楽にやれるという。
っていう感じですかね。
なるほど。ここはとっても簡潔に。
単語できましたけど、中身がよくわからないですけど。
よくわからない?
ちょっと分裂とか気になりますけど。
3と4はなんとなくね、わかりやすい。
見えるよね。去年と今年だから。
感じですけど。
1回目と2回目はちょっと。
1回目、僕なんだっけ、誕生と分裂。
誕生と分裂。
要は誕生っていうのはゼロを1にするんで、
今までなかったものを生み出すってことだから、
やっぱりこうなんて言うんだろうな。
摩擦が起きるわけですよ。
抵抗がある。
今まであったものをちょっと大きくしていくのと、
ないものに出しちゃうんで、
だから何それみたいな。
それは対地元もそうだし、対自治体ももちろんそうだし、
対このコミュニティにもそうだし、
今まで何それみたいな。
だからそれに対しての抵抗というか、
逆風というか。
1回できてしまえばさ、
それを少しずついじっていくのって、
また何かやってるんだねぐらいで済むじゃないですか。
去年もこうやってたんで。
そうそう。
言うとね。
前からやってるんですね。
やってたなってしたねって、
知ってる知ってるって感じじゃないですか。
でもそうじゃない場合って、
だからゼロが1になるときってのはやっぱその、
抵抗があったりするわけで。
そこがですよね。
で、あとはそれによって、
何だろうな。
いざという時に色々見えてくる、
人の本性ですか。
言ったら。
言ったら今まで全然そういうのがなくて、
いきなりやろうとした時に、
その色んな人たちの本性が出てきて、
本当はこの人こういう風に考えてたんだなとか、
そういうのがあって、
去っていく人は去っていくし、
来てくれる人はまた来てくれるけれども、
だから誕生と分離。
じゃあチームで立ち上げて変わった方もいたけど、
その後また違うメンバーが。
そうそう。
のが新たな時代になったってことですかね。
そうそう。
で、次の年は去っていた中に、
そこにスペースができるから、
スペースができた時により良い人というか、
人生のリズムと出会い
より自分にふさわしい人というか。
新しい出会いが入ってくるってことですか。
だからスペースが空けばね、
基本なんか入ってくるわけじゃないですか。
だからそういう言ったらあれですよね。
輪廻転生っていうんですか、そういうのって。
再生していくみたいなさ。
リズムの中で誕生し、みたいなさ。
そういうサイクルのたぶんただ一つだったと思う。
なるほどね。
今思えば。
なんかちょいちょい仏教的なものを感じるんですけど、
先ほどね、今を生きるみたいな話もあるんですけど、
なんかそういうお詳しいというか。
いやいや僕はね、別になんだろう、
仏教でもないっていうか、
僕は僕の宗教だと思ってるんでどちらかというと。
外的に何か捉えて、
外から何かを学ぼうってあんまりしてなくて。
より自分を深く知ろうとはしてるし、
より深く自分を見つめてっていうのは考えてるし、
そのためにはやっぱり今を生きることは大事だなとか、
それは自分が感じてること。
自分が感じてる。
僕は愚か者ですから、
愚者は軽減から学ぶって感じで。
いろんな経験をしてきて、
やっぱこうなんだな、やっぱああなんだなみたいな。
だからその中で、
やっぱり今に集中しなきゃダメだなって思って今に集中したり、
あとは、やっぱり欲は捨てていかなきゃダメだなって思ったり、
やっぱり自分にプレッシャーかけるのは良くないなとか、
憧れてる人にやっぱり、
例えばとにかく時間を過ごしたり、
あとその人だったらどうするかなって考えたりすることとか、
そういうのは自分を成長させたりすることにすごい大事だなとか、
それは本当に自分の経験から来てるだけなんで、
難しいこういうのを読んで、
何とかだなとか言うのは全くないです。
ないですね。
全部自分の経験で自分で閃いたところ。
だから原点は自転車で旅してる時ですよ。
自転車で1日中12時間ぐらいチャリこいてる時に、
息抜きで頑張ってれば道は開けるんだなってふと思ったりだとか、
自分が本当に全力でやってたら、
本当にまずい時にはちゃんと助けるのが来るんだなとか、
でもそこは本気で自分がやってなかったら来ないんだし、
自分が本気だからこういう助けてくれる人がいるんだなとか、
あとは自分がこう動けば世界は回ってくるんだなっていうか、
要は自分が外に出たから出会う人っているわけじゃないですか。
旅に出るっていうのは。
旅に出ない限り絶対その人に会わないわけで。
だからそういうことを思ったりだとかして、
だからそういうのの連続ですよ。
今走ってる時もそうだし、
普通にあーって思いつくことを自分の中で、
これは大事だからなと思いながら、
それを元に生きてるっていうこと。
だからそれを外的に何か文章があって、
じゃあこれを暗記して何かしようとか、
そういうのは全くなくて。
ご自身で生きる中で。
出会いの価値
自分の経験の中で思い浮かんでる話。
分かりました、はい。
京都でもないし、
例えば在家出家とかしてるわけじゃないし、
出家してるもちろんわけでもないし、
修行僧でもないし。
在家出家って言ってましたね、さっき。
在家出家、誰が?
奥さん。
奥さんが。
何が?
在家出家してるみたいな。
在家出家みたいですって言ってましたけど、
非常にストイックだっていう。
お金を全然使わないって言ってました。
使う必要感じないからね、全然。
どこ?
双口登山口。
80キロのトップが降りてくるんですかね。
今80キロのトップは、
大竹を降りてきているところぐらいですかね。
小米レース、つかささん。
せいじさんがさっき会って、
せいじさんが小米グランドトップでやってるよって。
せいじさんがリタイアしてた。
最初からよくスタートしてくれたなと思って。
でも詳しい話はそういうのは本人に聞いたほうがいいと思うんで。
さっきナンパしました。
来た、ここに来た。
来てくださいって言ってました。
それは本人に聞いた方がいいと思うんで。
僕はもう8時50分に向こう行かなきゃいけないかなと思ったけども。
大丈夫そうですね。
ちょっと余裕がありそうですね。
余裕がありそうで。
ちょっとじゃあ続きの話も聞きたいですけども。
その音階を続けてこられているんですけども、
もともとはこの大会が日本にあるぞ、こういう山が日本にあるぞということで、
世界の人にも知ってもらおうということで始めればという話をしたけど、
今のところのその手応え?
達成状況とか手応えとか。
松永さんとしては今どういうふうに捉えていますか?
いや、何でしょうね。
最初に思いついた言葉は、
まあ出来過ぎですかねみたいなところもあるし、
何だろうな、
その数字だけじゃ書かれないものってあるんで。
っていうのは何かっていうと、
今日は朝応援に来てくれた、
例えば塩谷川エイドですごい盛り上げてくださっている
イリシオ川山岳会の会長さん、土田克恵さんとか、
あと徒長のライオンズクラブの西川さんとか、
田田さんとか、そういった方々は、
僕は多分この大会に出会わなかったし、
そして他にビジターセンターっていう鴨市のビジターセンターって最奥地ですけど、
そこでエイドを盛り上げてくださっている
安中さんとかその友達の上山さんとか、
もうその方々も絶対会わなかっただろうし、
そのコース上に一部にしている、
ちょっと暑くなってきた。
コース上の一部にしている、
なんていうんですかね、
ゴンの神岳ってところがあるんですけど、
そのゴンの神岳の地元で主って呼ばれてるような人とか、
そういう人に、
何だろうな、なんとかさ、
ちょっとこういうのやるんで、
ぜひそこまたちょっと今年もやってもらえません?
24時間以上キャンプして、
そう言って言うと、
いや、俺そういうの大好きだから、とか言って、
今年もやるよ、もちろん、みたいな言ってくれたりとか、
そういう方々に出会えたこと、
なんかそれは、
例えば、
例えで言って正しいかどうかわかんないですけど、
お金じゃ買えないものじゃないですか、完全に。
大会の例えば、
正直1回目も2回目も大掛かりでとかさ、
そういうのは別に、
どうでもよくはないけど、
なんていうのかな、
そんな数字で僕ら生きてるわけじゃ結局ないわけだから、
感情で生きてるっていうか、
そういう意味では、
例えば大会の規模感として、
某ワールドシリーズとか某ワールドメジャーズとかに比べれば、
数字的には100分の1とかになってるのかもしれないけれども、
だからといって別に、
豊かな生活が遅れてないかっていうと、
別に豊かな出会いがあり、
かけがえのない人と出会って、
これをやらなかったら、
一生絶対出会うこともなかった人たちと、
だってさっき言った方、
名前出していいか微妙だけど、
ある方なんかさ、
冬になったら、
わざわざちょっとこっち来たからさ、
豆腐置いてくねとかさ、
うちでグミ取れたからこれ置いてくねとかさ、
うちの山菜取れたから置いてくねとかさ、
しょっちゅう来てくれて、
遠い親戚よりも家族みたいな、
そういう存在の方ができるっていうのは、
かけがえのない豊かな、
豊かだなっていうか、
そういうのをすごい感じるんで、
だからそういうのを全部含めて、
でき過ぎなんじゃないかなっていう意味ですね。
一つの側面じゃないじゃないですか、これって。
あと海外の選手が来てくれて、
今日なんかもギリギリ目指して始め、
スモン30Kも結構海外の選手が多くて、
あの人数の割には10人くらいいたし、
そういう意味では、
僕自身自分が日本にいる感じじゃなくて、
海外にいる感じで楽しかったし、
海外に行く行かないのコストとか考えた時にも、
そういうのも引き入れたら、
全然いいんじゃないかなっていうか。
経験から学ぶこと
なんかポートキャストでもね、
自分が行くんじゃなくて、
新潟にいながら世界中に友達を作れる方法を見つけたみたいなことじゃなかった?
そうですね。
よく聞いていただいて大変ありがとうございます。
僕は全然覚えてないけども、
どの回で言ったのか全然覚えてないけど、
まあでもそうですよ。
そういう意味では本当になんか、
大変ちゃ大変ですけど、それはね。
皆さん言ってくださるんで、
いやー本当に大変でしょうねって言ってくれるんだけど、
まあ想像以上に多分大変だと思うんだけど、
僕の手伝ってくれる方は、
いやー松浦さん、僕だったらちょっと一人二人やっちゃってますねみたいな。
どういうこと?
とても耐えられないさそれはみたいな言ってるぐらい。
ピーしちゃってますねみたいな。
それはもう無理ですねみたいな。
よくやってますねみたいな。
言われますけど。
まあでもそういうことももちろんありつつ、
だからそういうのはある種負の側面なのかもしれないけども、
でもそれを考え方、こんなの全部考え方じゃないですか。
すごい、何て言うんですか、
普通だったら絶対しない平山里みたいな感じとか、
そういう、わかるでしょ。
俺はもう謝っとくしかねえなっていうか、
ここはもう、はいかしこまりましたみたいな、
こうやってやってるしかないわけの、
言ったらある種なんだろう、政治家みたいな感じの、
ふたち振る舞いをしなきゃいけないなとか、
そういうこともやっぱあるわけで、
いろんなことを経験させていただけるんで、
自分の経験値はもちろん上がるし、
だからそういう意味では、
それも含め、
それを全部お金に換算したら相当な額がいいんじゃないかなっていうか、
例えばね。
それは換算できないけど、
だから自分でやるっていうのはすごい大事なことであり、
言うだけじゃなくてやるっていうか。
なんかもう悟りを感じますけど、
言葉言えねえ。
ちょっと細かい話っていうか、
あえて煽るような感じになるかもしれないけど、
いいですよ、いいですよ。
なんでそんなことになるねんとか、なんでそんなこと言うねんとか、
ちょっと怒りが芽生えるときって僕はあると思うんです。
特に人が絡むと自分の思い通りにもちろんならないことの方が多いと思いますし、
ちょっと困難すぎても怒りを抱いてしまうとか、
ちょっと僕なんかあるんですけど、
そういうのって松永さんあるんですか?
あります。
そういうときどういうふうに考えてるんですか?
あるけど、
あるけど、
なんだろうな、
あるけどですね、
僕がこれだけこれを正しいって思ってるぐらい、
この人は全く逆の方向、108度逆のことをめちゃめちゃ強く正しいって思ってるんだろうなっていう思うだけで、
もう愛入れないです。
だからその人を理解しようとかも思ってないし、
その人を例えば説得しようとも全く思わないし、
それは無駄な努力だから、
僕がこれだけこれを正しいって思うぐらい、
あなたは全く逆のことを正しいって思う可能性ってあるわけだから、
仕方ないですよね。
逆にもしですよ、
僕がその人に対して、
いやいやそうじゃないんですよ、
それをねじ曲げようとして、
力づくでね、
解き伏せようとしたとするじゃないですか、
誰かにそれを僕はやられると思う。
なるほど。
やったことは返ってくるはずだから。
What goes around comes around.
自分がやったことは、
巡り巡って自分に返ってくるはずなんで、
だからそんなことをすれば、
自己の考え方と他者への理解
そういうふうにされてもしょうがないわけだから、
だからいやいやいやそんな絶対嫌だから、
僕は僕の道を、
僕は僕の道行くんで、
ほっといてくださいって行きたいわけだから、
だからこの人はこういう感じだから、
じゃあほっとこうって思う。
純粋に。
そりゃイラッとするけど、
イラッとした後に、
ああまあそれは当然だよねって、
僕がこれくらい真剣にこれを正しいって思ってるんだから、
あなたはこれを全く違うことは真剣に正しいって思ってるんですねって、
ただそれだけの話だから、
しょうがないよねって言う。
確かにね。
そういう反対のこだわりが。
そういうこといっぱいあったと思うんですけど、
僕もいっぱいそういうのあったし、
え、本当にこれがどういう解釈で正しくないっていうか、
なんでこれを応援して応援されないのかわからない、
わけがわからないなみたいな。
っていう思うことはもちろんあったし、
でもその時にふと思ったんですよ、ある時。
この人なんでこんなにこう思うんだろうなって思った時に、
ああそうかと。
だから僕がこれだけこれを自分で絶対正しいって思ってると思うぐらい強く、
この人は自分と僕と違うことを真剣に正しいって思ってるんだなっていうことが
よくわかったから。
よくわかったんで。
だからそれであるし、
だからなんか腑に落ちたっていうか。
っていう感じですよね。
だからありますよ、もちろん怒りは湧いてくることはあるけど。
でもあんまり意味ないんで。
怒っても。
人は変えられないし、これはよく僕思うんですけど、
人を変えようとするエネルギーほど意味のないことないんで。
人を変えるよりやっぱり自分変えた方がいいし。
人を変えようっていうエネルギーは、
ほんとただの無駄だと思うから。
要は自分が正しいって思ってるわけじゃないですか。
でも自分は正しいっていうのはないと思う。
ないと思うっていうか、なんだろうな。
自分は正しいって思って、
自分は絶対間違えるはずないっていうことはありえないわけじゃないですか。
いろいろなこと間違えてるし。
いろんな人から、360度いろんな角度の人が見てる人がいて、
自分のことを誰かは絶対あいつ間違ってるって思われてるはずだし。
全員が正しいっていうのは全員が正しいっていうんだね。
絶対ないから。
だから当然そんなありえないんで。
だからそんなどうでもいいことにエネルギー使うより、
だから僕は基本的にそういうことを考え出したら、
今この瞬間に集中しよう。
自分のことに集中しよう。
本当に今やるべきことはなんだ。
目を覚ませみたいな。
そういう感じですね。
レースの運営と海外選手の招致
勉強になります。
このままポッドキャスト撮った方が良かったねみたいな感じかもしれないけど。
だいぶ抽象的な話になってきたんで。
ちょっと具体的なことも聞いていいですか。
いいです。もちろん。
いいですか。
今年30キロができたのはなんでだったんですか。
めっちゃ具体的な話になってきました。
急にレース。
スッと戻ってきましたね。
目が覚めるような質問だったね。
直球。
スッと来たね。
非常に具体的な。
非常に具体的に。
2つ3つ理由があって、
これは別にそんなに隠すようなことでもないんで言いますけど、
まずはそもそも2点変えたわけですよ。
1週間ずらしたんですね。
それは、カガスパ、エンジュランスラン、100、byUTMBが発表され、
僕らは一応決めてたけど、
発表されて日程がもう一緒で、
発表される直前か何かかな。
どうやらそうらしいよみたいな話になった時に、
僕は基本的に噂を信じないタイプの人間なんで、
長本人に聞こうと思って、長本人に電話したわけです。
直球。
すぐ電話して、
コーラだったんですけど、
実際何日なんですかって聞いたら、
いやいや、こういう日でって。
え、まさや君のあれ、何?
あ、その日なんだ。
あ、そうなんだみたいな感じで。
で、僕がそれを聞いた時に、
分かりました。僕らはすぐ動かします。
一応リッカーさんとかにも相談して、
いやあ、動かした方がいいだろうみたいな話。
ボランティアとかもね、大変だし。
だから、それはまず動かし、
なんでこの話をしたかっていうと、
それに繋がるんですけど、
カーがスパバイUTMBに来てくれた、
これを機械に日本に切れてくれた人に、
1週間後のこっちに来てよみたいな。
なるほど。
いい機械だからさ、リブジャパンもついでに走りに来てよって。
日本海沿いにね。
そうそう、ちょっと移動すればいいだけだから。
で、やっぱり実際ね、
スモンサーティーケアは来てくれたし、
ウォンルマンもいたのかな。
マレーシアのね、バイUTMBのマレーシア出てる選手とか、
マレーシアから来てくれたし。
あと、数名いていらして、
もう一発目から。
だから、そういう意味では、
僕らは海外の選手をより日本に呼びたいし、
で、海外の選手をこの入広瀬っていう、
もう多分一生海外に行くことはないであろうっていう、
おじいちゃん、おばあちゃんたちが来てるところに来てもらって、
はぁー、みたいなさ。
日本の原風景な感じで。
そうそう、原風景を、
もちろん海外の選手も知ってもらいたいし、
おじいちゃん、おばあちゃんにも、
海外旅行に行ったかのような国際的なこうさ、
ある種エキサイティングな経験というか、
お祭りみたいな感じの経験をしていただきたいなって思うから。
大会の成功と地元の関わり
だから一人でも多くの方を呼びたいから。
関わってくださる方、
全ての人生が変わるようなきっかけを提供したい。
だからそういう意味で、
一週間後だから、
その方が出やすいような距離カテゴリーを作ろうと思って作ったし、
まあそうですね。
それに付随して、
ある選手はさ、
もうそれに出るっていう話になった時に、
いやー、うちもやっぱ出てほしいからさ、
って言って、
じゃあこれ作るから出てよって、
いいよ、みたいな感じになるし、
だからそういう感じですよね。
なるほどね。
それが一番大きいですかね。
じゃあまあ、ガスパーと連戦で、
そうですね、連携してというか。
せっかく日本に来たんだったら、
もう一周滞在伸ばして、新潟交わっていってほしいっていう。
そうそうそうですね。
たださすがに160キロとかは厳しいだろうってことですね。
まあ普通はいないけど、
でもあの日本人で、
日本人の方でもやっぱね、
2週連続で、やっぱ向こうは100キロ出て、
こっちは30キロ出るみたいな。
アミル選手とかね。
そうそうとかね、いるし。
そうですよね。
そういう選手も、やっぱ来てくれることになったし、
いろんな日程で、
何だろうな、
今年は、
いやー今年は多分ちょっと難しいですねって言ってた、
ある選手も、
あ!
30キロなら、
ちょっとこの後、
タカオでなんかあれがありますけど、
じゃあ行きますよみたいな言ってくれたりとか。
あの方ですね。
あの方が。
あの方ね。
そうそうそう。
そういうね、やっぱ。
橋休めの方ですか?
そうそう橋休めの方。
橋休めって言ってましたよ。
3人揃って。
さっき。
橋休めでしょ?
橋休め。
橋休め?
橋休めって言ったんだ。
さっきあの。
そうなんだ、
橋休めじゃないんだ。
僕は橋休めって言ったと思った。
どっちだったんだろう?
橋休めかな?
僕は橋休めって言ってるって聞こえてたからさ。
橋休めじゃないんですか?
でもまあ、
あれですよね。
意味的には橋休めですよね。
まあね。
まあ足だろうが橋だろうがどっちでもいいけど。
この際。
来年もあのね、
逆にお前らじゃなくてっていう。
そうですね。
トリプルクラウンというか、
トリプルヒットしようって言ってくれたんで。
まあそれはそれで嬉しいし。
聖宮さんも短い方にまた出たい。
そうですね。
いや全然いいと思うんですよ。
結構面白かったですねあの3人。
そうでしょ。
じゃあそういう理由で短いカテゴリーができて。
そうそうそうそう。
できて。
まあなんでそれぞれの楽しみ方が。
より幅広く。
このGP JAPAN ULTRA 100を楽しんでいただけたと思うんで。
だからまあそういう意味だね。
あとは、
あのやっぱりね80キロと160キロ、
実際やってみてそうだったんですけど、
地元の方、
この地元の宇和沼とか、
入広瀬はちょっとあれだけど、
宇和沼市の方で、
80キロとか160キロはちょっと無理だけど、
30キロなら出てみようかなってきましたみたいな。
地元の方。
そう、宇和沼市の方とかもいらっしゃるし、
やっぱりそういう方で、
あとね、
まずじゃあ30キロなら出てもいいかなって。
30キロをまず出ていただいて、
いきなり80キロは難しいから、
だからステップアップしていただくっていうか。
だから要は刻んだ感じですよね。
ステップをね。
うん。
ですね。
なるほど。
はい。
で、まあね、
まずひとまず1カテゴリーが終わって、
はい。
まあ今、
1カテゴリーは。
ロングカテゴリーが2つ進行中ですけど、
今のところ、
うん。
今年の印象とか、
まあ30キロのちょっと、
まあ皆さんほぼ全員こう、
迎えられたような。
30キロは全員僕迎えたはず。
そうですね。
一人残らず。
全員ですか。
うんうん、ちゃんと。
それが僕の、
一番のなんだろう、
大事にしてるゴールなんで、
ゴール的な目標というか、
まあまあそうですね、
一人残らず何とかしてこう、
まあそう去年は2人くらい、
ああーっつって、
まあでもインタビューはしましたけど、
ああごめんみたいな。
まあそうなんで、
まあでもとにかく全員ね、
迎えるようといつもしてるんで、
まあ今年もね、
迎えるつもりで、
まあ迎えられるんじゃないかと思うんですけど、
まあまあそれは大事にしてることですけど。
そこの印象はどうですか?
今年の選手迎えてみて今のところ。
うーん、
まあいや正直、
そのなんか、
なんかこう難しいこと言うつもりなく、
基本的にあれでしたね、
あのー、
天気?
やっぱ涼しくてみんな良かったんじゃないかなって感じですよね。
うんうん。
率直に。
まずあの感想を聞いてると、
うん。
やっぱ涼しかった良かったんだなっていう、
去年は暑くて残念でしたみたいな、
うん。
去年走った選手はね、
そう言って言ってくれましたし、
うん。
だからまあそういう意味では、
天候に恵まれてんじゃないかなと思いますね。
うーん。
うん。
別に正直、
ねえ、
そんなこうなんか、
ねえこう、
まあ平穏な天気で来てますから、
うんうん。
そういう意味では、
結構恵まれた状況なんじゃないかなって思うんで、
いやー、
登山の過酷さ
こっからこれね、
まだこの二口の登山口、
これ、
この夜通し、
登ってって、
そして、
160キロの選手も今、
みんなぐっちゃぐちゃに今、
登ってってくるわけじゃないですか。
そうですね。
そうですね。
混ざって。
混ざって。
コマイ選手がいよいよ、
降りた?
降りてきてる気がしますね。
ここに来たかな?
うーん。
さっき途中で、
あ、
通過しました。
あ、
もう通過した。
1位コマイが通過した。
あ、
もう通過しちゃった。
あ、
そうですか、
すみません。
じゃあ、
取り逃した。
はい。
取り逃したわけじゃなくて、
あれですよね、
多分、
撮ってたけど、
しゃべりすぎた。
あれだよね、
切り替えの問題だったんだよね、
きっとね。
はいはいはいはいはい。
ずっとここでいたはずですもんね、
このカメラ。
そうですよね。
でも、
スーって行かれたんかもしれないですね。
ああ、
ああ、
もう、
ここまでもロードなんで。
うーん。
まあ、
反対向きにライトが通ったかもしれない。
ですね、
そうですね。
あれは聞かないんですか、
あれ、
あれ。
何?
あの、
2キロ。
2キロ。
あ、
そうそうそう、
2キロ。
2キロ。
2キロ。
2キロ。
2キロ。
2キロ。
あ、
そうそうそう、
大会の歴史
2キロ。
2キロ。
2キロ。
2キロ。
2キロ。
ああ、
いや、
ヒルじゃない。
違った。
ヒルなんかは、
もう、
そんな、
なんていうんですかね、
ごめんね、
ヒルは、
でも、
なんか、
そんな、
もう、
遠い昔から、
もう、
いるんで、
その、
もう、
それよりも前の段階から、
もう、
すごい、
すごいいます。
ああ、
そうですか。
うん、
いるんで、
別にヒルが、
その2キロにだけヒルがいっぱいいるとかじゃないし。
ああ、
そうです。
なんじゃこりゃ。
うん、
なんじゃこりゃ。
なんじゃこりゃって、
どうしたらなるかな。
あはは。
でも、
景色かな。
ああ、
景色ね。
まあ、
ある種景色っちゃ景色かもしんないですけど。
この。
ああ、
これで、
僕が答えると。
ああ、
お願いします。
いう感じでしょ。
はい。
あの、
そうだな。
まあ、
行けばわかるんだけど、
まあ、
えっと、
ちょっと歴史をひも解けば、
1回目に、
1回目、
僕らはレジェンド8と呼んでいて、
もう、
8人しか完走しなかったんですよ、
フルコースは。
うん。
それは、
まあ、
天候の関係で、
ちょっと雨が降ってきて、
雨が降り、
かつ、
結構、
まあ、
夜の区間に、
そこがある区間があって、
そこをボリュームゾーンが通過すると、
いやあ、
ここは本当にまずいんだよねってところを、
まあ、
そういう状況になっちゃったんで、
だから、
1回止めたんですよね。
うん。
レース自体を。
でも、
それを、
そこの区間を、
その状況にもかかわらず、
ちゃんと突破していった、
あの、
強者たちが、
8人いて、
まあ、
それはやっぱ海外でね、
とか、
トルデジアンとか、
走ってる選手とか、
もう、
そういう選手だけだったんですけど、
まあ、
その選手たちだけが突破したんだけど、
あの、
そこの区間は、
もう避けなきゃいけないなって。
うん。
で、
そこの区間をどうやって避けたら、
いやいや、
そこの区間があって、
えっと、
要は毎年雨で中止になる、
大会になって。
わかった。
うん。
なんだ?
あの、
洋水路。
あー、
洋水路ね。
洋水路は、
もう外したけど、
うん、
確かに外した。
よく覚えてますね。
っていうか、
よくそれ知ってますね。
うん。
うん、
でもね、
洋水路の区間じゃない。
洋水路は実際ね、
400メートルかな。
まあ、
そうなんですね。
激冷たいって、
みんな言ってくれたけど、
でも、
でね、
あの、
ゲルミアス選手に、
その話するやん、
おい、
秋、
僕秋って言われてるんで、
お前それは、
復活させようぜ、
みたいな。
絶対海外選手から受けるから。
いや、
だから僕は海外選手から受けると思ってたから、
それを入れてたんだけど、
まあ、
初回は要は海外選手はゼロなわけでしょ。
誰も来れないからさ。
うん。
そう、
だから、
まあ、
なんか、
そうなっちゃったけど、
まあね、
うん、
まあ、
でも、
洋水路じゃないし。
まあ、
僕は話し途中で言ってるんだけど。
すいません。
いや、
大丈夫、
いいの、
いいのよ。
話ししてる途中のその、
要は、
その話をまた戻すと、
要はそこの区間は、
避けなきゃいけないなって思ったんで、
要は、
雨が降ったら中止になる大会って、
まずいじゃないですか。
うん。
雨が降ったら中止。
うん。
ね。
雨が降ったら中止はまずいでしょ。
うんうん。
ね。
雨が降ったら必ず、
もう一回止めて、
選手を輸送して、
みたいな。
そんな大会さ、
大会として。
だからもう、
その区間は覗こうと思って、
その区間をこう、
避けられるようなルートを、
まあ地元の方とか、
あと、
まあ三学会の方とか、
あと県とかの方と相談して、
あの又木さんが使ってたような、
そういうルートをちょっとまあ、
いろいろ調べ上げて、
で、
そこを実際僕が、
あの何億も何億もして、
えーと、
いやここだったらいけそうな、
っていうところを、
まあマーキングをして、
で、
みんなで一回こう、
コースを開拓をして、
っていうエリアがあるんですけど、
ルートの工夫と体験
そこが、
うーんと、
まあ平たく言うと、
登山道じゃないわけですよ。
又木だからさ。
けもの道みたいな。
もうけもの道、
そうですね、
平たく言えばけもの道だし、
そう、で、
本当のけもの道って、
たぶんね、
あのー、
たぶんみんな行ったことあんまないんだと思う。
僕自身も含め。
本当のけもの道ってのは。
うん。
でもあれは本当のけもの道だな、
っていう以上のけもの道だから、
そうだから、
要は、
もう歩くしかないんですよ、
そこの区間。
2キロ。
ほぼ走れないし、
ほぼずっと何かに捕まってるしかないし、
みたいな。
何かに捕まってる?
木とかに捕まって、
そういう状態なんですか?
捕みながら行かないと、
うん。
傾斜が急ってことですか?
急だし、
傾斜は急だし、
で、
なんか、
歩きづらい、
進みづらいみたいな。
うん。
なんかそういう感じの道で、
だから何時間ここでかかる?
要は100、
そこは110キロ超えてるぐらい?
あ、
ここですか?
この北のループ?
そうそう、
北のループ。
飯浦亭から飯浦亭のループでしょ。
あー。
そこのビジターセンターから飯浦亭の間ですね。
なるほど。
そう。
しかもその最後の後半みたいな。
あー。
じゃあ、
ひるく間でもある。
ひるく間でもある。
さらには。
ダメ押しみたいな。
なるほど。
で、
大体みんな、
えっと、
灼熱?
うん。
昼間。
えー。
めちゃ暑くて。
うん。
だからこのループのその、
で、
このループはきついってみんな多分分かってると思うんですよ。
みんな言ってました。
そうでしょ。
で、
このループはきついんだけど、
そのループはきついんだけど、
えーと、
あー、
ここまでこれだ。
あー、
きついって言いながらここまで来た。
あー、
ここまで来た。
あー、
きついって言いながら、
あー、
で、
あー、
じゃあ、
あとはもう、
次の江戸まで多分5キロかとかね、
なんかいろいろか、
結構近いじゃん。
もう来たなっていう、
こうなんだろう、
ある種浮き浮きというかさ、
ねえ、
ってなった時に、
え?
みたいな。
ここ行くの?
みたいな感じの、
えーと、
こうまっすぐ行ってると、
いきなり90度曲げられて、
はい、
こちらです。
みたいに言われて、
もう奈落の底みたいなところにまあ、
誘われる。
なるほど。
えー。
で、
そこがもうだから、
あー、
あー、
とどめが刺されちゃうみたいな、
ふーん、
ふーん、
ふーん、
感じのエリアで。
なるほど。
なかなか、
そうですね、
愉快な。
うん。
うん。
だから僕らは、
その思想キャンプっていうのを、
年3回やってるんですけど、
このループだけを回る思想キャンプも1回してい、
5月の、
えーと、
連休明け、
だから来年で言うと5月の10日ぐらいかな?
9日?10日?
ぐらいに。
はい。
やってるんですけど、
そこは、
ディープジャパン160今日どうしても参加したい感想したいんだったら その首都キャンプはまあ参加した方がいいんじゃないでしょうかねって僕はいつも
ディープジャパンのコース
ポッドキャストでは言ってるところなんです いい原友方さんもあのまあ3回大きな山登るけど核心部はこのループだって言ってましたけど
ましたまあ圧倒的ですよ 圧倒的ね標高とか見るだけだとなかなか伝わらないそういうタグチーミノリさんもね
あの卓蔵さんもさあみんなこの線アップ 線アップのねそのこの3つの大きな山に目が行きがちで
あのこれをみんなねこうなんとかしようって思いがちだけれども でも僕らこのディープジャパンのワンハンドシックしていけばまぁ実際170キロありますけど
その累積が1万メートルあるって言ってるんで 3000メートルしかまだその3つで使ってないわけです
確かに7000残ってるんだからね 7000どこに隠れてるのみたいな そうですよね
そう でその30このループは35キロ累積2700なんで
でもその数字上にそこには その最後のその2キロっていう秘密が隠されている
そう っていう
はいまあ僕は散々僕のポッドキャストを聞いている方多分もう耳にタコができた ぐらい聞いてると思うんで
はい35キロ累積2700っていうのも数字がよくわかってると思うんで僕ももう本当に丸暗記した ぐらいもうよく覚えてるから
でもそのループはね 思想キャンプで結構フレッシュな人たちとこう回っていっても軽く10時間とかかかるから
110キロ進んできた時にてかここで90キロスタートはイーラテからイーラテのイーラテのスタート 最初のスタートは90何キロだと思うんですけど
速攻93キロ走ってきた中で そのループに突入するんで
フレッシュな足で10時間軽くすぐかかっちゃうぐらいですから 早い人たぶん8時間とかフレッシュでね
フレッシュな状態で8時間かかる まあ本当にフレッシュでどんぐらいあったのちょっと覚えてないけど
まあ普通に6時間とか全然軽くかかるんで すごい頑張ってというかちゃんと涼しい時期に状況良くても
だから 相当時間かかる
ですよ
だからそこそういう区間があるんでその後しばらくロードなんですけど みんなね
なんかロードのことは忘れてくれる なんかね思い思い返せば確かにロードは多いんだけどみたいでもロードの印象はね
多分みんななくなっているんですよ そのもうだからあまりに進まないからちょっとボーナス区間あった方がいいでしょみたいな
感じで考えてくださってまぁ実際ここも本当はオリジナルでオリジナルコースの話は 多分みんなしなかったと思うけどオリジナルコースがあって
まあ僕らはある選手と一緒に話してるのはまあそれはオリジナルコースは クレイジージャパン
ディープジャパンじゃなくてクレイジージャパンって言う あのまあそれがオリジナルコースだからゼロですよ
ゼロバージョンがあってそれは まあもっとそのこのロードもものすごいロード区間はロードの割合はそうだな1割2割ぐらいに
抑えてもうほぼ全部トレイルか砂利道かみたいな 常にアップダウンあるんで
うん そうそれは本当にあのある選手2人僕と3人で3人でもあった時に
あのまあ雨とか夜とか要は不可試験というか 本番よりもきつい状況で走ったりしたんですけどまぁそんなとその時には
ああ 3日で回る予定だったんですけど
4日かかって松永さんがじゃあ僕は3日で行ったけど 予定通りでも他の2人はああ
まあ一人は4日かかり もう一人は
リタイアリタイアもうやめてもう今でもかちょっとなんか体調に帰りますみたいな うん
まあそれぐらいクレイジーなコースそうそうそれなりの選手たちですよ もちろん
屈強なじゃあこの中盤というかあのこのこのループはほぼ一緒ですね じゃあいい裏手の後のこのロードがさらに山に入るとかそういう感じですかね
そうですねとかそこもね今思い返せばまあほんとよくそれ それマジやばいなっていうかあと
あとはそうだなぁループはほぼオリジナルだけどこの浅草だけ周辺も大きく違うし いい
うんスモンだけの使い方も全然違うんで 今使っているコースは使いますけど
もっと他のコースも使ってたんで うん
そうなるとめちゃめちゃロード少ないんですよ で
うんあのめちゃめちゃ
電波がない
何がないって電波がないよ本当にだからもう本当にあの はいあのね
音者音者中瀬になっちゃいますこれ以上に行き止まってもう全然もう本当に じゃあまあもっと激しいコースのそう構想もあったけどそう
まあちょっとそれはやりすぎっていう風になったなったってことですねまあいろんな 要は許可申請出してた時にあのことごとくいろんなところから ng が出て
でまぁここに落ち着いたんですけどまあでも何がいい今思えば結果的に まあさあガーさんとかね結構話したり保護の選手とかとも話してんですよはオリジナル
コースを一緒に走ってくれた選手とかその構想時代から相談してた選手とかといろいろ 話しすると
まあこれぐらいでちょうど良かったのね
そうですねそうそう今これでこの状態でみんなこういう感じで言ってくれてるんだから オリジナルコースはまあ本当に
大会の発展と課題
そうまあ当時その2人と走った時に 感想したら優勝だねって
てか誰感想するのこれみたいな 言われ言われたぐらいだったから
まああの簡単すぎて困ってるって人は聞いたことないですねああまあまあそうね それは良かったですね
そうですね まあ160キロあればね普通簡単じゃそもそもないと思うなそうですね
そもそもね じゃあそれでこういうコースになってそうですねはい
うんもうこれからはじゃあこのコースベースに あもうずっとは基本的にそうですねやっぱりコースいじってる時代は
大会を発展させることは極めて難しいと思います多分それは主催者みんな思うと思うけど 要はコース変えるってすごい
エネルギーというか時間とかもうなんかいろんなことをあの 変えながら毎年いけないから例えばもういろんなタイムスケジュール
あの子のマップとかエイドの場所とかあと何だろうタイムスケジュその何エイド間の距離 とかそういう何でホームページのそういう表示とか
もうもう何か悪い形はすげー仕事が増えるわけですよ 毎回毎回新しい列立ち上げるみたいな
わかりますよねコース変えれば分かります絶対だがコース変えたくないじゃないですか そうでコース変えだコース変えてる間コースを変えるそれにエネルギーを取られちゃうんで
だからまあ今だからえっと去年と今年はもう完全にコースは一緒にできたし だからまあそういう意味ではようやくこう発展モードに入ったかなうん
やっぱだからこういうねライブを入れてみたいだとかもできるようになったし これ今多分コース変えてたら多分こういうのできないと思う
いびきさんを入れたりだとかねそういうこともなったりだとか なんで
そういう意味では 本当になんだろうなさっき言っての発展モード
発展段階に来たのかなと思いますね 今後何か発展していく方向性ってのは
あるんですか いやあると思いますよそりゃまあ今イメージしていることはいろいろあるし
例えば例えば まあ例えばまあまずあれですねそんな具体的なところ言えばあの
会場とか会場中編の駐車場がすべて満車になるぐらいまず参加者が集まるっていうか 単純に言うと
まあそこはまあ 近い目標というか
あのこのグランドとか色々ねちょっと駐車場が散乱してるっていうかバラバラになってるんですよ
何かしかあって 今まだねグランドもまだもうちょっと使えるし
で他のところまだ全然空いてるしだからそういう そういう感じになってますね
新たなゲストもやってきましたけど 入られますか
どうぞどうぞ
はい
面白いTシャツ 面白いTシャツ着てる
なんで?
僕これ使いますよ
これあのあれですよ油断するとね 僕と千葉さんのねあの質疑乙女になっちゃう
そうそうそうそう
あーそうですよね
はい はい
これこうだよね
はいあのだいぶ松永さんにはこの体感のこと聞けたので だいぶわかってきました
わかってきました? まだまだ大丈夫日曜日まで喋れますからね
全然いけると思います
いける口ですからね いける口ですからみたいな
なんかはい 千葉さんもお疲れ様です
あーお疲れ様です
いいTシャツ着てくださって ちょっともうちょっと見せていただいてね
特別なやつしかもらえないディープですからね 一応販売してるんですけどね
販売してるんですか? 販売してるはずですよ
ほんとだ 字が違いますね
欲しい? ありがとうございます ウエストさんで販売してるんで
ディープですか? 欲しい
やばい
それを松永かなこさんに言ったら 多分そのうちスーッと出てくると思いますけど
そうそうそう
マジックワードが入ってる これで全て終わるっていう
免財布ですよね パタン ペタンみたいな
なんかあったときに ディープですからねって
だから結局 ディープですからっつって それでことするみたいな
これが通用するのは ディープとOSJだけですから 日本では
これが通用するのは この2大大会だけですから
それは大変光栄ですけど
日本の2大コンテンツってことです
いやいやいや そんなもう
I IITTTみたいな感じのね
1000人集める時に 大変千葉さんには色々相談しようと思ってるんで
また日付ぜひ 色んな事聞いてるんですよ
千葉さんにはね 色んな電話して
困った時しか電話してくれないっていうね
そうね
選手も主催者も困ったときとあと 出たいとき
出たいときごめんなさい
そうだね確かにその通りですね 癒やしいよね
癒やしい感じだよね
でもあれですか1000人規模にこれ をしたいってことですか
いやこれはまず今の店員でとりあえず いいかなと思う
今の店員が今の倍ぐらい1.5倍から 1.8倍とかだと思うんでだからそれは
それで僕は全然いいかなと思って いますけどまずは
これいきなり1000人規模にしよう とは正直思っていないというか
今のところは
はいはいはい
うん
勝手に的になればもちろんいい とは思いますけど
はい
でも
ここのコースだよね
うんこのコースだよね
うん
でもやっぱりこのコースは特に 突然1000人にしていいことは多分
ないと思うんで
はいはい
やっぱり経験僕らも積んでいって 経験値を上げた上でおくれよる
まあいろんなね
はいはい
なんていうトラブルシューティング をどんどんどんどん重ねていった
上で
1000人に結果的になっているんだ ったら多分対応できると思うん
ですけど
いきなりなんかボーンって来ちゃ いましたってなっちゃったら
来ちゃいましたみたいな感じにな っちゃうと思うんで
だからそれは今のところないですね
結構慎重にそこは考えているんで
でも年々海外の方本当に増えて いますよね
ありがたいですね
受付海外の人が多いんじゃない かって初日とかだと
未来への展望
本当です
そうですね前日受付はねそうかも しれないですね
いやでも僕はそれを望んでいる っていうか
他のね日本の大会が他の大会どう 思っているか分からないですけど
僕すごいやっぱ自分が楽しいから
はい
まあそうですね
そう自分が楽しいからもう自由 にこうさなんかいい感じじゃない
ですか
日本にいる感じじゃなくてさなんか こうこういう感じじゃなくてさ
いいよね楽しくやろうねみたいな さ
そうでしょみたいな行こうぜみたいな 感じの
はいはい
いいじゃないですか
そうそうだからそういう雰囲気 は僕は自分が好きなんで
だから海外の選手は日本人にも 積極的にもちろん僕はね全員に
同じように話しかけますけど僕は 海外の選手にも積極的に話はかけ
るし
同じようにだからそういうのも 通じてくれているのかもしれない
はい
でもいいですよねいい雰囲気だ と思います
本当ですか
はい
いや大変高いです
いやいやいや本当にね
もう百戦錬磨
いやいやいや
大会の初回と関わり
百戦錬磨の千葉さんに
いやいやいや
年2回1000人規模やられている
いやいやいや
もう本当にもうなんだろう僕の 生き地引きだと思って
すみません困ったときにはすぐ 電話しちゃいましたみたいな
できることがあれば
いや本当にいつも千葉さんには お世話になっているんで本当に
ありがたいですけども
千葉さん受付会場で筆計品のチェック をされていましたけども
はい
この大会はずっと関わらなかった ですか
そうですね初回大会からご相談 を受けてちょっとね初回が結構
大変だったんですよね
大変だったね
ちょっと縦続きのレースも松永 さんやられててちょっと大変だ
っていうことで福田立花先生が その我々の一段
一段
岡島さんとか我々の満島富士チーム でできることをやろうということで
割とドバッていって何とかやった っていう経緯があって
初回から携わらせてもらってます
ディープジャパンの魅力
もう僕それ例えば福田立花さん もそうだし長岡さんもそうだし
千葉さんもそうだしあと松井さん とかあと高木さんとかもう全員
も知る限りの日本のいろんな経験 をされているオーナー以外にみんな
電話して
そうですね
電話させていただいて僕全員に 電話して結果的に千葉さんとか
福田立花さんとか何とかするべ みたいな感じで
そうですね
そうそう
結構大変だったんですよ本当に 参加するときが割といろいろな
ことがあってこれはちょっと助け てあげないといけないだろうっていう
ふうにちょっと我々全部私だけ じゃなくてみんな思ったような
感じだったんですよね
これはやるべきだという感じで やったんですよね
何年前でした
あれ2022年ですかねあの年は本当に さっき大変だったんで済ました
けど大変だったんで済ましたんです けどどれくらい大変だった
どこまで言っていいか分かんない からね
僕は何でも言っていいんですけど 僕がやったことだから千葉さん
がやったことを僕が聞いて僕が 千葉さんのことを言うのはまずい
と思う
だから同じ感じで千葉さんは僕が いろいろ起こったことをだいたい
知ってるからだから千葉さんは 言っちゃいけないこととかもある
かもって思って気を使っていただ いてるんで
でも年々良くなってますよね
そうですね本当に本当にだから 僕さっき3年目から4年目はようやく
発展モードに入れたかなっていう のはコースを固定できたから
それは本当に大きいかなと思って
千葉さんから見てディープジャパン の今の印象ってどんな感じですか
ディープジャパンはやっぱり独特 の雰囲気ですよね
本当にディープというか日本の 奥深いところに行って本当の日本の
里山というか北アルプスとかそういう ところじゃない意味での日本の
山岳地域のほうに時間を置くという か
エイドも結構すごいというか僕ら からするとこんなところでエイド
作るんだっていうような本当に 田舎の日本の行ってないですよ
行ってないです
イデシオ川とか本当に昔の地球 50年ぐらい農協だったみたいな
ところを使ってるんですよ
どこだった
イデシオ川今トップ選手が過ぎ たりとかしてるんですけど
CP5からそことかは本当にある意味 歴史的建造物ですよ
みたいなところでやってたりとか だから結構海外の人とかもああ
と思うと思うんですよね
プライベートビルディングですか 完全なパブリックじゃないんです
そこなんかは
そうなんですね
全然市の公民館とかそういうの じゃ全くないんで
そこの上にねヨロヅヤみたいな のがあるんですよ昔ながらのヨロ
ヅヤが中に肉とか売ってるんですけど 道挟んで目の前にすっごい古い
給油機械があって
給油機
あ給油機
ガソリン入れるやつ
ガソリンをそこで入れるんですよ でももちろんデジタルじゃない
んですよここは
カチカチカチカチカチカチって やつがあるっていう僕も生まれた
初めて見たかもしれないみたいな やつがあって本当なんですかノスタリディック
ジャパンですね
興奮しますよね
なんか日本の原風景を走るみたいな こんな感じがしますよね
なるほどね
すごい
電車も知ってますこれすごくいい 電車なんですよここ通って
日本屈指の補給なんだえっと非 共戦
はいそういってみても本当にこう 1日4本
4本
はい景色がね素晴らしく良くて本当に こう
電車マニアすごいですよ
ノスタリディックジャパンですよ 本当に
別名はね
別名は
あもしれない
なるほどね
古き良き日本
あとエイドの人も地元の方もいらっしゃ ってさっきカメラマンさんとか
仲良くなってて地元のおばあちゃん が持ってきてとか言って2日連続
なんか差し入れしてくれたりとか してるみたいな本当に温かいですよ
すごい
と思います松永さんワールドですよ ね
松永さんの印象はどういう印象 ですか
松永さんはね初めはこの大会やる 前までは割と海外とかともすごく
一番初めから僕らの世代の中でも つながってて大会誘致とかも結構
松永さんの印象
積極的だったんでトレイランドズ カップとかもやられてたからすごく
スマートな方なんだろうなと何事 もそつなく人間付き合いとかも
やるような方なんだろうなと思 ったんですけど実際付き合って
みるとギリと認知をできた方だった のでずいぶん印象が変わりました
よね
うん
確かにお話しかたって言っても 僕もだいぶ
ですよね
今日松永ワールドが分かってき ました
スタンドですからあれ
スタンド
スタンドってジョジョね
ジョジョ
あれだジョジョ
そう僕ジョジョ全然見ないけど 松永さんめっちゃ見るけど
あるいは領域展開的な感じです からね
領域展開的な松永ワールドって 感じですからね
独特の雰囲気ですよねだから松永 さんのレースは独特の雰囲気が
あるからそういうのすごい大切 だと思うんですよね
世界観
世界観
そうですね世界観は大事にして ますね使う言葉も含めそこは
ある種一貫性を持たせて千葉さん にはよく言われますけどねやっぱ
なんかこう芯が通ってるという か
絶対自分だったらやんないなって こと結構やっぱ思いますもんね
例えばどういうこと
例えばね今日朝みんなでブレイフィング やるから朝5時くらいですよ5時
6時とかで千葉さんも来てください ってやるんですけどやることブレイフィング
じゃなくて山に向かってワンって 言ってるっていうあれ何でしたっけ
今日この3日間も最高の3日間になり ましたって完了させるんですよ
山に向かってワンって
ヒューヒューっていう
儀式
それブレイフィングじゃないじゃん と思うんじゃないですかそれは
別にブレイフィングじゃないじゃん とか思うんですけどそういうのが
自分にはもう全然発想ないんで そういうのが
儀式っすよ
僕もヒューとかやらなきゃいけない なって思います
ラップの一つもやらなきゃいけない なかなって思うんですけど
いやいやそれはないと思います けど僕はこういうキャラなんで
そうだからそれはすごくある意味 羨ましいなと思いますね
大丈夫ですよ千葉さん
大丈夫ですか
何がっていうのは僕が持ってる 札は僕の札で千葉さんは僕が持って
ない札をいっぱい持ってるから 千葉さんちょっとすいませんそれ
買ってくださいってなるわけで 僕が持ってて千葉さんが持ってない
札は僕に言ってくれれば僕が貸す しお互い助け合いでいいと
そうそうできないことはやっぱり できないからだからそれはなんか
羨ましがっても意味ないと思うし 僕千葉さんが僕を羨ましがって
くださってるかもしれないけど 僕は千葉さんのことを羨ましがって
るから
本当ですか
そんなもんすよ
そんなもんすかね
そうでしょみんなだいたい隣の 芝青く見えるってよく言うわけ
でだからそれはだからこそチーム ワークの必要だと思うんで自分
が得意なことを持ち寄ってチーム をだから今回のこういうこれも
要は千葉さんは僕と全く違うわけ で僕と違う長所を持っていて
とか強みがあって僕にはできない ことをできるからすごいチーム
として成り立つわけでお互いが 補い合うというかだからそれは
立花さんにしろ長岡さんにしろ 松井さんにしろもちろん松永
さんとかそういうメンバーがみんな 違うお互い多分それは私はできない
ですっていうのは持ってるけど 逆に私はこれはできますっていう
のを持ってるからそれが補い合って チームとなってるんでだから本当に
ありがたいです
本当に松井さん面白いですよ今日 本当に一番今日面白いなと思った
のは初めと一緒にトークするんですけど わーって言ってわーって言うん
ですけどでも今それを考えなくて いいって言ったからそれ言わなきゃ
いいのにって初めからと思って 最高だって言ってみんなに対して
でもそれは今考えなくていいって 言わなくていいのにと思ったけど
そういう本当に面白い松永さん は自分に本当なくて本当に会え
ない場合ほど魅力的な人は本当に
ありがとうございます大変ありがたい
です
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
はい
01:38:56

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