チームの新たな視点
ハイパーコラボレーションがお届けするPodcast、組織の未来地図、ナビゲーターの寺嶋です。
ナビゲーターの吉田です。
この番組では、デジタル時代における組織の経営やマネジメントは、どのような地点で考え、デザインするのか、
また、それをどのように導入していくのか、皆さんと一緒に地図を描くように進めていきます。
はい。今回も高田さんによるハイパーチームマネジメント勉強会第10回チームについて、ど真ん中が来ましたね。
来ましたね。来た来たって感じでした。
そしてサブタイトルは、チームは痛みを感じるかという問いにいかに答えるか、
また恋はいかなる問いかという思考の無限キャベツのようなテーマで、今回は設定されておりました。
この回について吉田さんとまた語っていきたいと思います。吉田さんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
高田さんからの提供された情報の重要なところ、高田さんもおっしゃってましたけれども、ポイントを挙げると、
情報の非対称性ということを考えることが大切である。かつて情報というのは、権力者、国王とか、もしくは経営者とか、
そういうトップの方がたくさん持っていて、下々の方々はあまり情報を持たないことによって、権力の源泉として情報が使われてた。
でも今インターネットが発達して、情報というのが権力者でも下々の者でも対象になってきているということが変わってきているという、
これが一つのキーワードと、あと問いの立て方、問い自体をどう定義するのかが大切である。
AですかBですかと聞かれると、AかBかというふうに考えちゃうんですが、
A、B以外にもあるのではないかということをきちんと問うということが学問へ挑む姿勢として大切だということを言われていました。
そんな視点を得たときに、このデジタル時代、情報が非対称性を失った現代、チームってどういうものなのか、どうあるべきなのかというのを考える回だったと思うんですけれども、
チームの痛みを感じるとは
岡田さん曰く、ハイパーコラボレーションという会社はチームを生命体として扱っていると、私は思うと言ってくれてました。
そんな夜会に吉田さんも参加して、ブレイクアウトルームでちょっと楽しい話をされてみたんですけど、どんな体験でしたか。
ご一緒をしてくださったのが、学校の先生をされている方だったんですけれども、
その方が本当に巧みな言語化能力を持っている方で、本当にインスパイアされた感じでしたね。
キーワードとして非常に心に残っていたのが、チームと言える状態というのは、ただ人がそこに集まっているということではなくて、心が通い合っている状態があってこそチームだと。
それによって生きるチームになる。
私と一緒にセッションに入ってくださった方は、非常に職場で辛い思いをされていて、それと真逆、生きるチームじゃなかったのだという言葉をおっしゃっていて、心が通い合ってないというお話をされていました。
その場ではこの言葉は出てこなかったんですけれども、非常に刺激的なお話を色々聞かせていただいた後、ブレイクアウトセッションが終わって、改めてこのチームは痛みを感じるのかという今回のタイトルを見たときにずっと降ってきたのが、
チームは痛みを感じるかではなくて、痛みを感じてこそチームと言えるっていう逆の表現が頭に急に湧いてきたというのがあったね。
これも二重構造の問いなようになっていて、すごく考えさせられることですね。
一方ですね、我々ハイパーコラボレーション、ハイパーチームマネジメントというサービスを提供しだしてから4年間がたって、何十チームというチームを見てきて、何百人という方にこのプロジェクトを通じて接しているんですけれども、
その方々でどう吉田さん対応して見てきていましたか。
ありがとうございます。いろいろ会社の文化によって様々な特徴があるのは当たり前なんですけれども、割とよくお目にかかるのはプログラムを導入する前の段階で、やっぱり働く場に自分は存在している。
そしてそれがメンバーであったり、リーダーであったり、マネージャーであったり、部長さんであったり、いろいろするわけなんですけれども、いずれにしても我々は働くということを企業の中でやっているのだ。
その前提に立つと、私たちは何がしかの成果を生み出す労働力なのだって、そういう言葉は使わないんですけれども、決してそう表現はしないんですけれども、
自分自身のことも周りの人のことも、そう見出しているというケースが非常に多くて、もちろん仕事だから成果を出さねばっていうのはある種のコミットメントですし、100%悪いことではないんですけど、
あまりにもそちら側に触れすぎてしまっていると、それこそですね、そのチームは痛みを感じないのに、支援人と我々の方がその状況を見て痛みを感じてしまう。痛々しいなっていうふうに、逆に私たちがプログラムを導入する前は感じることだったりしますね。
でもまた手間味噌になっちゃうかもしれないんですけども、ハイパーチームマネジメントを通じて変わったというか、あ、働くことの喜びってこういうことなんだっていうのにたどり着く人たちもたくさん見てきたわけじゃないですか。
コミュニケーションの重要性
見てきましたね。
あれはどういう変化が起きているんでしょうね。
それちょっと今日考えてみたいですよね。
うちのプログラムを入れると変わるんですっていうのは言えば言えますけど、そこの変化が起きる理由っていうのを今日はせっかくこのテーマなので探求してみたいなと思っているところだったんですが、前提として成果を生み出すというのが、一人一人を労力として見てるわけなんですよね。
だからその人が辛い思いをしてやってるのか、楽々とやっているのか、何か楽しんでいるのか、あるいは嫌気がさしてるけど仕方がない自分の作業だからやってるのかっていうのはあんまり関係なくて、これは他者をそう思ってるだけじゃなくて、そういうケースで自分のこともそう見てるってケースを認識できるんですけど、
その場合はやっぱり成果物っていう何がしかのアウトプットが出来上がるっていうことがあってこそそこに存在する価値であるっていうふうに見出しているわけなんですよね。
私たち振り返りの中で、今週一週間どんな気持ちで過ごしてきましたか、あなたのやったことに付随していた感情はどんなものだったんでしょうかっていうのをチームで共有し合う振り返りの時間がありますけれども、そのとき自分のことを労力って見出しているとその質問に答えられないんですね。
人の感情も別に気にしないけれども、同時に自分が何を感じていたかっていうのに全く認知がない。
今何を言いましたかぐらいな感じで、仕事なのでなるべく感情は気にしないで、感情の起伏で喜んだり悲しんだりみたいなことが起きないように淡々とやっていますからっていうお返事をいただくときが時々あるんですけれども。
でもそういう方も4週間振り返りをして、チームで共に活動していると、ついこの間のケースは本当に感動したんですけれども、最初冒頭そういう感じで、淡々と仕事ですからって言ってた方が、3週目ぐらいから変わってきて、こうやってみんなで一緒に活動することの意味がわかってきた気がするって言い始まってたんですね。
で、最後の4週目においてはですね、個人で何かその作業を完了するよりも、人と一緒にやると嬉しいのはなぜだろうかって自分に問いかけてたんです。つまり、自分は嬉しいという感情が湧いた前と比較して、っていう自己認識をされていて、そのことに自分でびっくりしてたっていうのが、非常に印象的で。
変な例えかもしれないですけど、ロボットが王子様の魔法にかけられて人間に戻ったって言うんですかね。なんかそんなシーンを横で見せてもらったような感じがしたんですね。
馬鹿に言ったら泣いちゃいそうです。
泣いちゃいます。泣きそうです、私は本当に。
で、その時に感じたのが、チームメンバーっていうのが労力の集まり、目標を達成する労力の集まりではなくて、明らかに仲間になってたんですね。
私たちはチームを作るって言った時に、仲間として活動するってことを自分は望んでんだなっていうのを、まさにそういった言葉を聞いた時に、自分でも自覚したっていうところでした。
相手にも価値があり、そして自分にも価値があり、その価値を認め合うっていう仲間だってことですよね。
価値を認め合うっていうことも、ものすごく重要な点ではありますけど、さっきの勉強会の中で言われてた言葉、ブレイクアウト戦争の中で言われてた言葉を借りるならば、心が通い合う人たちになった。仲間イコール。
なんかそういう感じがして、だからAという成果が出たからこの人は優れた人だ、価値のある人だとか、何かを知ってるから自分は優秀だ、価値のある人間だではなくて、仲間として存在しているその人に価値を見出すっていうことができるようになってきてるっていう感じがして。
さっきの心が通い合う、そして仲間として相手を見るっていうことが、いかに重要なことかっていうのを感じたところでした。
で、さっきの寺嶋さんの質問にもう一回立ち返ってみると、なぜこれが起きるかっていうところが一番謎ってあり探究のポイントだと思うんですけども。
ちょっと話がそれるかもしれないんですけど、こんな経験ないですかね。ずっとずっと長い間同じ組織にいた、昔仲悪かった上司とかメンバーなのに、ちょっと期間を置いて何年か後にもう一回会ってみると、なんか妙な仲間感があるみたいな。
あれ私結構不思議だなって思うときがあるんですよね。昔は仕事の関係が薄れてきたからとか、自分が年取ったからみたいなことも要素としてはあるとは思うんですけども、
一つ接点の数とか一緒にいた時間の長さみたいなことが、純粋に人の関係性を変えていくような感覚があるんですね。
特に仕事をするときに、もともとは机をくっつけてとか、それこそインターネットがここまで発達しなかった頃は電話で話したりとか、その場で話しながら仕事をしている機会が多かった職場の中から、
それこそEメールとか電子ツールが増えていく中で、会話コミュニケーションというのが約束をして会議の時間をとって、接点をわざわざ作らなければ話をできない。あとはテキストベースの情報のやりとりのみっていうことがボリュームとしては増えていって、
非同期のコミュニケーションが取れないとやっぱりスムーズに仕事が進まないから、そういったデジタルツールも発展してきたし、テキストでのコミュニケーションというのは増えていったわけなんですけれども、そういった時間的にすれ違う、そして生で声でコミュニケーションを取る機会が減っていくっていうこと自体が、
人が会議的になって、信用しにくい状態を作るひとつのきっかけではないかなというふうに感じているんですね。私たちのプログラムの中で、皆さんが変化していくことのひとつの理由に、毎日話す。たった15分ではありますけれども、
毎日必ず自分の状況を話す。そして相手の状況を聞く。問題がそこに存在するならばその場で解決するっていうのを、毎日やってる。週の始めはみんなで計画を立てる。週末は一緒に振り返るっていうのを、毎週毎週毎週毎週4週間1ヶ月間これを続けていくっていうことをやっているわけですけど、
この対話の頻度っていうことが、人が一人一人持っている物語を解釈するすごく重要な要素となっていて、1回1時間話しました。ではなくて、毎日それを積み上げているっていうことで、その時、今ここにいるこの人とその物語を一つずつ積み上げていっていて、あなたの状況がわかるように私はなっていますよっていうのが、
痛みを感じ合えるようなチームになっていく一つの土壌じゃないかなというふうに感じています。
話の内容もそうなんでしょうけども、やっぱり毎日聞く、毎日話すことによってその話のトーンとかコア色とかそういうもので変化もわかったりしますよね。
チームの成長と痛み
わかりますよね、本当にね。そういった関心が向いていくっていうことがもう一つすごく重要なところなんじゃないかなと思いますね。
今の話は接触仮説っていうふうに言われたりします。接触した頻度が高いという人にはなじみを感じていくっていうのはあると思うんですね。
人間ってやっぱり動物の本能として他者に対する警戒心というのは一定量持っているはずなんです。どんな人に対しても。
もしかしてこの人に近づきすぎると傷つけられるんじゃなかろうかとか、うまく自分のことを好ましく思ってくれるだろうかみたいな警戒心っていうのは必ず誰でも強かったり弱かったりするにしても持っていると思うんですね。
そこに見えないボーダーがあるとするならば、接触仮説のように接点が増えていくことによってボーダーというのが薄まっていって、人と人との距離が怖ければ遠くに離れたくなりますけど近づいていって大丈夫だっていう感覚になると思うんですね。
さあそうだからみんな話しなさいよって言うのは簡単なんですが、みんなただでさえそういう非動機でコミュニケーションを取るほうがずっと仕事の生産性が上がるっていう忙しい環境下にいる中で、ある種の強制力があるような枠組みを用意してあげないとボーダーを越えて接触していくっていうことを、さああなたたち自由にやりなさいはなかなかできないと思うんですね。
その中で朝会とか就事計画だったり振り返りっていうのは、その接触の枠組みであり、人がボーダーを越えていくことをちょっと背中を押すというか、応援させるように仕向けるからくりではあるかなというふうに感じています。
そうですね。社会で働いていると、人というのは人と共に何かをするのが当たり前なので、ほっといても一緒に共同が始まるだろうなって思ってたりするんでしょうけども、実際は警戒心のほうが先に立っているので、できれば交わりたくないという気持ちが最初に芽生えてる。
うんうん、まさに。
はい。でも大人なんだから仲良くしなさいよっていうふうになっているわけですよね。
それは難しいですよね。みんな警戒してるのに、同じチームなんだからさとか、あなたはAというチームのメンバーなんだからさって言われても、ナチュラルな状態はやっぱり警戒心のほうが先に立つのは当たり前じゃないかなと思います。
そういう意味で組を用意してあげるってことが大切だってことですよね。
そうやって接触していって、その中で仕事だからっていう前提もありますしチームですからゴールを共に描くっていうことをやっていくわけなんですけれども、その中で皆さんが発見していくのは、こういうことを自分が望んでいたんだな、あなたはこういうことを望んでいるんですね。
じゃあそれを一緒にやっていきましょうっていう、共に描くゴール感が芽生えてきて、一緒にそれを達成していくと嬉しい、あるいはそれがたまたまうまくいかないと悔しいみたいな感情が湧いてきて、人の痛みが分かる、あるいはチーム自体が痛みを感じられる生命体になっていくっていう感覚はすごく我々のご支援しているチームを見ててもよく感じることではありますね。
役割と協力の重要性
その状態になると高野さんがもう一つ紹介してくれた、群れは意識を持つというような状態になっていくっていうことですね。
そうですね。デジタル時代のマネジメントを短期間で実現していきますということを歌っていますけど、我々のハイパーチームマネジメントのプログラムとしては。
それはデジタルツールを巧みに使えるチームになるという要素はもちろん中に埋め込まれていますけど、それが主題ではなくて、デジタル環境によって引き裂かれてしまった、警戒心を持った個人がもう一度チームとして働く喜びを取り戻すっていうことがやっぱり主眼になっていると思いますね。
そういうことですね。いい勇気を得られました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
余談になるんですけども、吉田さんには一回ご紹介しましたが、板橋の志村坂上に吉田という蕎麦屋があるんですよ。
はい、はい、聞きました。
ここの蕎麦屋がですね、オープンキッチンで働いている方々が見えるんですね、簡単に座ってると。
葛藤風の蕎麦屋なので、皆さん役割が決まっていて、揚げ場とか焼き方とかワンカタとか煮方とか、それぞれ役割してるんですけども、全員がカウンターの外を見てお客さんがオーダーするんじゃないかという気を使ってくれていて、
お客さんのオーダーが入ったり、食べ物が出来上がると、その人がお客さんのところを運んで行ったり、オーダー取りに行ったりすると、持ち場から離れるじゃないですか。
そうすると、別の役割の人がその持ち場にヒュッと入って料理を仕上げたり、助け合ったりしてるっていうのを無言で行うんですよね。
まるで一つの生命体のような蕎麦屋さんなので、一度行ってみてください、皆さんも。
はい、行きます。ぜひ私も行くので、皆さんも。
今の話はここまで語ってなかったすごく重要な話があると思うんですけれども、それは持ち場の名前、ちょっと蕎麦屋さんの名前忘れましたけど。
揚げ場とか焼き方とか。
その役割名があるってことがものすごく重要なんだと思うんです。
Aさんという人がやっているよくわからない全体的な仕事を、その人が抜けたから肩代わりしようって言ったってできないんですよ。
でも今、焼き場っていう、名前のニュアンスからするとなんか焼いてんだろうと。
焼いてます。
その焼く仕事、焼く役割が抜けたっていうことがわかるので、だから助けられるんですね。
人間の頭じゃないですか。胃とか腸とか肝臓とか、それぞれ名前がついて役割を果たしていますけれども、
これが内臓っていうざっくりした名前だと、何がどう悪くて今体調悪いのかってわかんないですけど、
ここにちょっと今海洋があって、いうことになったらそれは手当てできるし、
体の中でもそれが認識されて、そこを治すという行為が体の中で細胞的に起きるんだとは思うんですけど、
名前がついてて役割が分かれている。
これは決して、分業でバラバラになって相手のことを知らない状態にするという意味ではなくて、
あるいはそのおかげでチーム全体が少し忙しくなるっていう、
このまさに痛みを感じるあるいは状況を認識するために非常に重要な例だったと思いました。
ぜひ見に行ってください。
まずは吉田という蕎麦屋でそれを体験したいと思います。
吉田さん今日も楽しい話ありがとうございました。
また次回よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
皆さんもありがとうございました。