-
-
AKIKO
街の草花のモミジバフウの実が揺れる冬、まっくろくろすけみたいだ、君と笑った景色、021番からご紹介いたしております。
どうもありがとうございます。
ひろひろし
ありがとうございます。
AKIKO
Leafさん、ありがとうございます。
本当にLeafさんの、大切なメンバーですね、百人百首の。
ひろひろし
そうですね、はい。
AKIKO
Leafさんの短歌を通して、私は日本の季節、特に京都を想像して、京都の季節がこういう風に変わっていったのかな、なんて想像しておりますよ。
近藤さんの朝の散歩とLeafさんの百人百首で、季節の移り変わり、京都の季節がどうなっているかなと思いを馳せております。
ひろひろし
いいですね。
AKIKO
そしてフウの実って知っていますか?
ひろひろし
いや、これは、どういう木なんですか?僕ちょっとよくわからなかったんですけど。
AKIKO
私ね、調べたんです。私もわからなくて、私すごい小さい、5ミリぐらい、5ミリかせいぜい1センチぐらいのトゲトゲしたものが、足のズボンの裾とかにいっぱいついてっていう経験はあるんですよ、子供の時も。
ひろひろし
そんなちっちゃいんですね、これ。
AKIKO
いや、それかと思ったんですけど、それなら知っていると思ったんですけど、私他のウェブサイトなども見て調べたところ、フウの実はどうやら直径3センチぐらいあるらしい。
木だし、私が思ってたそのすごい小さい5ミリから1センチのものではないんだと思うと、見たことがないです、これ。
なんかね、木になっている姿とかも本当にかわいいし、3センチのサイズだったら本当にまっくろくろすけみたいですね。
ひろひろし
確かにね。
AKIKO
それか観察力が足りなかったのかな、だから気づけてないのかな。
ひろひろし
これ一個ちょっと教えていただきたいんですけど、この短歌って、転がして笑う子供を見つめればって書いてあるじゃないですか。
で、その後にあの頃の風っていう風で出てくるじゃないですか。
これ転がしているのは、やっぱり子供なんですかね、それとも風なんですかね。
いや、最初にシンプルに読むと、子供が転がして、なんか遊んでいるのかなと思ったんですけど、
あの頃の風が頬を撫でていくから、あ、じゃあでも風で転がるっていうこともあるよなって思っていて、どっちなんだろうっていう。
この、なんと言ったらいいのかな、このノスタルジックがミルフィーユみたいになっている感じなんですよね、この短歌。
AKIKO
ノスタルジックがミルフィーユ、素晴らしい名言出ました。
ノスタルジックがミルフィーユっていう感じします。
そしてたぶんそうなんですよ。
いや、本当にそうなんじゃないですか。
まっくろくろすけって言われたところで、ジブリのトトロの映像を思い浮かべて、そこのノスタルジックもあるし。
それでこれ、Leafさんの声日記というか、このボッドキャストの中でも、
そのモミジバフウというのが、たくさん穴が開いていて、その中に種が入っているんだそうなんですよ、このトゲトゲの中に。
で、それがたぶん軽いんだと思うんですよね。
だから風に乗って種を遠くに運ぶっていうこともおっしゃってたんですけれども、
子供が転がして遊んでいる姿っていうのもとっても想像できますよね。
ひろひろし
そう、でその、あの頃のっていうことだから、記憶を呼び起こしていると思うんです。
で、そのあの頃の記憶っていうのが、ここにタイトルにね、君と笑った景色ってあるんですけど、
それは子供の頃の思い出が蘇ってきたのか、それともそのあの頃の風、頬を撫でゆくって書いてあるから、
あの頃の風が、なんか冬の、春に向けてのこの柔らかい風だったのか、それとも冷たい中の風だったのか、
どっちなんだろうとかね、いやそれ両方なのかとかね、って考えると何か幾重にもそういうノスタルジックが何か重なってるなと思って。
AKIKO
それで、このポッドキャストの中では、このフウの実のことをLeafさんは宇宙のようだというふうに言っています。
なんか宇宙のよう、宇宙ですよ、宇宙。
ひろひろし
宇宙ですか。
AKIKO
これを、このフウの実が宇宙のように、中に種も入っているし、その中に新しい命も入っているし、
で、それがたぶん冬になって、それが落ちてきているフウの実と、あとその矢に残っているフウの実というのを見て、
AKIKO
そしてその人間の営みも想像するというふうに、宇宙の広がりを感じるというふうにもお話になっています。
ひろひろし
なるほど、生命の神秘と言いますか。
AKIKO
はい、そういうふうにまさにおっしゃっていたと思います。
ひろひろし
はあ、すごいなあ。
AKIKO
そして生命の神秘って宇宙だと思うと、そうやっていく、たくさんのたくさんの命のまさにミルフィーユじゃないですか。
命がたくさんうつろっていくというその感じ。
ひろひろし
いいですね。
すごいなあ。
AKIKO
すごいなあ。
それでね、今回はLeafさんはいつもエッセイという形でnoteにエッセイをアップされて、
LISTENのポッドキャストの中では書き起こしはなしでというスタイルで、いつも街の草花の番組はなさっているんですが、
今回エッセイへのリンクが貼ってなかったんですよ。
ひろひろし
なるほど。
AKIKO
これはお忘れなのか。
私みたいに、あ、やんなきゃと思ってて。
ひろひろし
どうでしょうか。
AKIKO
あるのか、もしくはいろいろなスタイルで自由になさっているということなのかと思ったんですけれども、
私もこのエッセイをですね、Leafさんの声を聞いて、さらに文字も読んで味わうというこの習慣が、
ありましたものですから、Leafさんの声で味わうだけではなくて、さらにもう一歩、もう一歩、味わいたくなったんですね。
ひろひろし
なるほど。
AKIKO
さらに私は最近マイクを買ったりもしておりますので、朗読とかをすごいしたい気分で、
で、それで先ほどですね、このLeafさんのLISTENのこの録音を、耳で聞きながらそれを自分でも話す、
で、それを録音するっていうチャレンジをしてみました。
ひろひろし
なるほど。
AKIKO
今はZoomで録音しているので、ちょっと音質が、Zoomが録音した音質になっているので、
そんなには良くないとは思うんですけれども、Leafさんのエッセイの部分については、ローカルで録音したものを後で編集して、
アップしたいと思いますので、はい、Leafさんのエッセイを勝手に録音させていただきました。
はい、百人百首の中でご紹介させていただければと思います。
ひろひろし
Akikoさんも嗜んでいるというかね、楽しんでますね。
AKIKO
はい、あれですよね、なんか今話しながら思いましたけど、マイクを試したいみたいなそのテックな興味っていうのもすごいあるわけですよ。
ひろひろし
はいはいはい。
AKIKO
ただ、エッセイを朗読したい、作品を読みたいっていうのは、もうちょっとこうアートな興味なわけですよ。
ひろひろし
はいはいはい。
AKIKO
特にこのダイナミックマイクを私は買って、すごいなんかね楽器みたいだなって思ってるんです。
この距離の取り方とか、自分の体の立ち方とかもすごく練習がいる感じだし、
ひろひろし
なるほど。
AKIKO
で、なんかこういう風に発声するとこういう声が出るんだとか、こういうものを、こういうことを話すときはこんな感じの声で話したいとか、
なんかすごく楽器の練習をしている感じがしているんですよ。
ひろひろし
なるほど。
はい。
AKIKO
ポッドキャストっていうのは比較的そこをすごく融合させた趣味してくるのかもしれませんね、Leafさんのみならず。
ひろひろし
そうですね、やっぱりこう朗読をされるというか、それこそドラマをするみたいな方もいらっしゃいますし、
それこそ読んだ本の一節を紹介するっていうポッドキャストもあるでしょうし、やっぱりいろんな楽しみ方があるかなと思いますね。
AKIKO
ありがとうございます、宇宙にいる私を思い出させていただいて、本当にどうもありがとうございます。
またお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
ひろひろし
よろしくお願いします。
AKIKO
転がして 笑う子どもを 見つめれば あの頃の風 頬を撫でゆく
公園を歩いていると足元に何かが転がっているのに気づきました。
それはトゲトゲの小さな球体で、どこか不思議な存在感があります。
手にとってみると、少し固く指先にトゲの感触が心地よく伝わってきます。
これ何だろう、子供の頃の冒険心がよみがえったような気持ちになり、ついじっくり眺めてしまいました。
その実はふうの木の実。
まるでジブリ映画に出てくるまっくろくろすけが公園でひょっこり顔を出したような、どこか愛らしい姿でした。
ふと顔を上げると冬の空に向かって伸びたふうの木の枝に、いくつかの実がまだしがみつくように揺れています。
落ちた実とまだ木に残っている実、そのコントラストがどこか人生の旅立ちと残るものの物語を感じさせます。
自然の小さな営みがふと私の心をつかんで離しませんでした。
ふうの木は北アメリカを原産とする落葉樹です。
正式にはアメリカフウという風に呼ばれていますが、街路樹の木や公園で日本でもよく見られます。
秋には葉が赤やオレンジ色に染まって紅葉がとても美しいことで知られています。
ふうの実もユニークです。
その姿は小さな宇宙のようで、固いトゲトゲの球体の中にたくさんの小さな穴が開いています。
この穴には種子が収まっていて、風に乗ったり小鳥に運ばれたりして、新しい命の旅を始めます。
一見するとただの変わった形の実ですが、その中に生命のサイクルが詰まっていると知ると、なんだか特別な存在に思えてきますね。
ふうの実を見つけると子供の頃を思い出す人もいるのではないでしょうか。
友達と公園で見つけた実を拾い集めて、転がしたり投げあったり、「痛い!」と言いながらも、笑い声が止まらない遊び道具だったことを覚えています。
大人になった今、落ちたふうの実を見ると掃除が大変だなぁと思うかもしれません。
でも、自然が作ったこの小さなアート作品に、子供たちは遊びの可能性を見つけているのです。
そう考えると、あのトゲトゲの実もまた大切な自然の贈り物の一つかもしれません。
冬の風に揺れるふうの実、それを見ているとなんだか旅立ちを考えさせられます。
実が木から離れ地面に落ちる、そして風に吹かれてどこかへ運ばれたり、雨に流されたり、やがて新しい木が芽を出すかもしれません。
木に残る実もあれば、先に旅立つ実もある、この姿は私たち人間の人生にも少し似ているような気もします。
あるものは新しい場所に進み、あるものはその場に留まりながらも役割を果たしていく、
どちらも同じように大切で愛しい存在です。
もし次に公園や道端でふうの実を見つけたら、少し立ち止まってみてください。
そのトゲトゲの形を眺めながら想像してみましょう。
どんな木の上で育まれ、どんな風に落ちてきたのか、そしてこの先どんな命の旅をするのか。
自然界にある小さなものに目を向けると、いつもの景色がちょっとだけ違って見えることがあります。
忙しい毎日の中でも、こうして足元に広がる小さな宇宙に気づけると、心が少し豊かになる気がしませんか。
ふうの実を通して感じるのは、自然の中に隠された命の循環の素晴らしさです。
普段はなんだか変わった形の実だなと思うだけのものも、その裏には驚くほどたくさんの物語が隠されています。
小さな実の中に命が詰まっている。
それを知ると、自然の世界がもっと身近に、そして愛おしく感じられるのではないでしょうか。
次にあなたがふうの実を見つけた時、ぜひ少しだけ立ち止まって、その物語を感じてみてください。
それはきっと特別な時間になるはずです。
今日も元気に楽しく。