KJ法の実践と効果
中野はありつつ、この本の中に出てきている、KJ法中野をしっかりした訓練なくやっても、あんまり上手くいきません。みんな研修受けてください、みたいな感じのトーンだったり。
ブレインストーミング中野が結構後半に出てくるのよ。KJ法を素直に身につけた人が大多数を占めた世界が素晴らしいみたいなのが出てくるんだけど。
まあ、なんて言うんだろう。
本当か?っていう話と、私が2010何年代に行った広告会社の中の、このKJ法を用いたワークホント、ゴミみたいな場だったから。
残念ながら、50年60年経っても、川喜多先生がおっしゃるような世界にはならなかったですね。残念です、みたいな。
ブレインストーミングっていうところをきっかけにすると、結構良い場になりますよ、みたいな話もあるんだけど、ブレストって結局あんまりそれ自体も良い場ってあんまりなかったな、みたいな。
私が体験しちゃってる場としての発想の場っていうので、KJ法もそうだし、このKJ法の周辺にあるような技法っていうのがあんまり効果的に採用している場にいたことがないから。
この本の言っていることは、当時そういうのは良かったんでしょうねと思いつつ、やっぱりKJ法ですね、これから令和の時代にって言えるかっていうと、
一旦、大学の教養課程で勉強いただいて、次何するかはまた次世代の人が考えてくださいっていう感想かな。
本当に超ベーシックな要素を分からなくなった時に、要素を一旦バラバラに置いてみて、それをぼんやり眺めてみて、見えてくるものを考えましょうっていうことだけは、あんまり意味あるかもしれないですねっていう、それぐらいだよね。
うん、そうだね。要素と全体とに立ち戻れるように。
そうそう、にしましょうっていう。
うん、そうだね。それは本当におっしゃる通りですっていう感じだったかな。
自分の中で構造とかを一旦考えようとか、説得ようとかじゃなくて、一旦要素をバッて置いてみて、そこから全体を見直してみようっていうのはそうかなとは思う。
うん、そうだね。でもみきさんと同じように、私も発想法とか想像性みたいなやつ、ストレングスファインダー何回やっても上の方に来ないからさ。
ストレングスファインダーって一回やったら基本変わんないらしいよ。
本当?もう俺3回ぐらい、独立する直前と独立してから2年ぐらい経った時と、5年ぐらい経った時ってやったんだけど、下の方は変わるけど上の方は全然変わんないから、でもいいなって。
上の方変わんないよね。しかもお互い1位運命志向だよね。
え?運命志向?
じゃない?お互い。
私違った気がするぞ?
前に1回試合してもらった時は運命志向だったよ。
運命志向そんなに上にあったかな?
1位だった。
本当?
私も1位だったから、1位一緒の人初めて見たと思って。
じゃあ、それがそうなんだ。
でも、運命志向の人たちってさ、すごいこれ偏見だけど、発想とか豊かにならなさそうだよね。
だって、成るようになるしかないじゃないですか。
思いつかないのはしょうがないですよね、みたいな。諦めがち。
だからそうなんだよね。でも憧れはあるから、確かに発想法を考えたいなっていう。
そうなんだ、野見さんもそんなのあったんだ。
わかんないけど、よくそんなこと思いつきますねって言われることは増えてる気がするのよ、最近。
だから自分では実感は全くないんだけど、発想法ができるようになっているのか、
それとも相対的に私の周りに、発想力が私より相対的にさらに薄い環境にいるようになってしまったのかわからないけど、
相対的に発揮できるところにはいるのかもしれない。
発想でバリュー出せたっていうことはあんまないわ。
じゃあそんな野見さんが普段どんなふうに物事を捉え、解釈し、発想を広げることに使っているのかっていう話をしようじゃないか。
いいよ、しようじゃないか。
まず自己評価としては、人から発想豊かですねみたいな、そんなことよく思いつきますねって言われるようなことが増えてきてできてる気がします。
それは何をやってるからだと思ってますか?
何をやってるからか…
何が効いてると思う?直接的じゃなくてもいいけど。テニスやってるからとかでもいいんだけど。
それはそうかも。テニスと将棋はすげえ効いてる気がする。
特に将棋の方がデカいのかな。
例えば将棋ってコマの動き方も決まってるし、盤面の広さも9×9の81マスしかないからさ、
普通の人から考えると制約が大きい環境じゃない?
だし歴史も長いからさ、過去その狭い盤面、限られたコマでほとんどやり尽くされたんじゃないかと思うかもしれないけど、
例えば藤井壮太君の将棋とか見てるとすっごいクリエイティブなのよ。
見てて。プロ棋士の人たちもそれに驚いたりしてるわけ。へーって言いながら見てるのよ。
でも彼からすると変なことをやってるつもりは多分ないと思うのね。
当たり前のことを当たり前にやるっていう。
他の棋士の人たちはなんで驚いていて藤井君は驚いてないかというと、
普通の棋士の人って手の流れみたいなのがあるのよ。
頭に置いているパッケージみたいなのがあるわけ。
こういうコマがここにいたらそれに対してこうアタックしていくっていうこととか。
フレームワークみたいな?
フレームワークとして物事を捉えてるんだけど、藤井君ってもっと原理原則に立ち返って、
相手より早く自分が相手の王様を詰ませたらいいんでしょっていう物事の見方をしてるのよ。
なるほど。
だから、お互いに当たり前っていう観点で見てるんだけど、物事を見ているフレームワークが違って、
藤井君の方がもっとありもののフレームワークに頼らず、もっと本質的なところで考えるっていう。
テニスも同じような思想があるんだけど。
仕事をやってるとさ、いろんな小さいものから大きいものまでいろんなフレームワークがあるじゃない?
だからそれをそれだけ正してあげて、あとは当たり前に考えるっていうのが一番バリューが出るしいいのかなと思っていると、
それに従ってると発想が豊かですねって言われることが増えてるのかもね。将棋が効いてるのかもね。
ビジネスにおける発想の活用
将棋をやるんじゃなくて、プロ棋士のプレイスタイルを見るのが効いてるってこと?
見るのも効いてるし、やるのも効いてる。
やってるからわかるのか?プロ棋士の凄さが。
やってないと、AIに読ませると、当然AIが読んでる手と藤井君と同じ手を指すのよ。
ただすごいなーなんだけど、自分でやってると、いかに藤井君の手が見えづらいかっていうのが可視化されるのよ。
私でも見えないし、プロの人でも見えない手を藤井君は指すのよ。
さらに言うと、プロの人は見えてないんじゃなくて、この手は良さそうに見えるけど怖くて指せませんねっていう手を藤井君はガンガン指していくわけ。
だから、見えないんじゃなくて怖いっていう感情との付き合い方も上手いのよ、多分。
なるほどね。
将棋用の言葉を使わないとすごく難しいんだけど、それは自分で指してると、これは確かにこれがやると速度が上がるっていうのは難しいんだけど、
本来だったら相手の王様を5手かかって詰ませるところを、これ1個やっとくだけで4手になるっていう1手節約できるみたいな手があったりするのよ。
でもそれをやると、1手自分は速くなるけど、相手にとって2手速くなる手を指しちゃうと困るじゃない?相対的なものだから。
見たいな時にどうするかみたいなやつはやってないとわかんないから、見るだけじゃなくてやってる時の方が、
単純に新しいフレームワークで見ればいいんだなーみたいな、そうすると新しくなるんだなーじゃなくて、何がブロッカーになってるのか障壁になってるのかをまざまざと体験できるから、それはすごく効いてるかもね。
結構歴史がある対戦的なものを実践しながら研究するっていうこと?めっちゃまとめちゃうと。
そうかもね。この本の後半にも、KJ法の原点には人間が全人的に生きるとはどういうことかっていう、全ての人的に全人的に生きるとはどういうことかを問うているものがある。
これと同じように、歴史があるでも何でもいいんだけど、自分なりにしっくりきてるものがあるとするじゃない。
三木さんだったら、例えば演劇とか舞台とかあるじゃない。その中の新しいものってどうやって生まれてるんだろうとか、そこの中で当たり前とされてることって、つまり仕事の中でどういうことなんだろうみたいなやつを何て言うんだろうね。
照らし合わせてっていうのともまた違うんだけど。
なるほどね。ちょっとわかった気がする。
どうやって生まれてるんだろうっていうね。
そうそう。原則的には同じことなはずだろうと思ってるのよ、私も。
将棋で創造的なアイディアを出すっていうことと、ビジネスの現場で創造的なことをやるっていうのは基本同じことだろうと思ったときに、さてどうすると私はそれを実践できるんだろうを考えてやることやらないことを考えてるっていう感じかな。
えー、そんなこと考えてたのか。なるほど。
そんなこと考えるようになったんじゃない。しようとはあんま思わないけど。
あー、そっか。将棋とかテニスをやる中で自然とそういうことを。
そうそうそう。テニスだったら単純に1ポイント死ぬほど取った1ポイントと意味わかんないミスして失った1ポイントと同じ1ポイントなわけじゃん。
数値としては。
同じ1ポイントだからさ、仕事の場においてはめっちゃ頑張って評価された1ポイントっていうのってさ、すっげーくだらないことで失った信用みたいなやつは原理的には同じことだよなーみたいなこととかさ。
自然に自分の中の当たり前として入ってくるとちょっと発想力豊かですねって言われるように。
へー。
なったのかもな。
てっきりさ、この人たちは死ぬほどさ、いろんな情報を撮影に吸収し続けてさ、
いるからさ、そういう情報の過剰摂取みたいなこととか言ってくるのかと思ったら全然違ったわ。
意味あんのかな?過剰摂取。あんまりどうだろう。
知ってるくない?のぞみさん。
発想力の探求
そうだね、多いかもね。ニュースレターも毎週書かなきゃいけないし、書かなきゃいけないって誰に言われてるわけでもないけど、書いてるから触れてるメディアの量も多いし。
それはじゃあ何のためにやってたの?
なんか面白いなーみたいな。
楽しいから。
そうそう、楽しいから。見てておもろいやん。
それは発想には聞いてる感じは全然ないんだ。それが面白いなーって。
あーわからん。つながってないことはないと思うけど、どうだろうねー。あんまりつながってる感じは個人的にはないかも。
うーん。
あんのかなー。
毎週そういうたくさんのいろんなものに触れるのをやめたとしても、少なくとも今の仕事をやる中で発想力豊かですねって言われることは別に減らない気がする。
減らないと信じたい。もう願望だけど。
いやいやいや、大事なことだよね。
みきさん、最近会った人でこの人発想力豊かだなーっていう人は誰がいたわけ?
いないかな、そんなに。発想で仕事してないから。
あんまり仕事の場でも普段でもあんまりない。
中高の同級生とかでさ、こいつ発想力豊かだったなーみたいなやつもあんまりバッとは思いつかんの?
あんまり思わなきゃ間違いなかった。
変なところ掘り起こしても。
私は今何に憧れていたんだろうね。クリエイティブになりたいっていうこのぼんやりとしたものは何だったんだろうね。
具体的にこの人があるって言うわけじゃなくて、単純に今やってる仕事って結構答えとか見えてて、そこに向かってコツコツ進めていくみたいな感じだから、そういうじゃない仕事があったらいいのになーみたいな、ただそのくらいの話だったかもしれないけど。
ちょっと違った話かもしれないけど、発想力豊かみたいなやつもさ、私も中高の時には全くそういう目で人を見ていなくてさ、野球しかしてないから。
野球で発想力とか別にないじゃない?
すげークリエイティブな研究とかもちろんあるんだけど、あんまり感じることもなく。
やっぱりさっき言ったKJ法意味わかんないっていうその博報堂のグループの会議もやりつつ、一方でクリエイティブディレクターみたいな人が職種としていてさ、
なんだこの人みたいな人ももちろんいるんだけど、この人すげーなーっていう人もいるのよ。コピーライティングとかさ、製品のタグラインを書かせるとすげーみたいな人はやっぱりいて、そういう人が初めての発想法として素晴らしいなって思う人だったのよ。
この人発想がすげーなーって思う人は、私の中でその時思ってたのは3タイプぐらいいるなっていうのを勝手に思っててさ、タイプ1は毎回これって何と似てるんだろうばっかり言うのよ。
広告っぽい。
広告っぽいじゃん。その人も新卒からずっと東大文学部卒、広告会社入試はずっとクリエイティブやってますっていう人なんだけど、お客さんの課題も何と似てるんだろうもとくし、それをメタ化、抽象化させたり具体化させたりしながら、とにかく似たもの、それ別に成功事例が云々とかじゃなくて、
あなたの言っていることはナイル川と同じですみたいな、いい似たものを取っていくのが上手いっていうパターンの人が1位、2位はさっき私が言った藤井聡太くんみたいなやつなんだけど、根本原理の捉え方が上手いみたいな。
つまりこういうゲームをやってるんですよみたいな。
つまりこういうことなんですっていうのが、何て言うんだろう、想像的な。選挙におけるNHKの橘隆みたいな人。こういうゲームなんでこういうプレイやってるんですっていう。
ゲームの捉え方が上手いっていうのと、3つ目はスーパー掛け合わせみたいな意味わかんないところとの掛け合わせで時に来るっていう。
エチゴとイチゴ似てるから新潟でイチゴ作るのどうすかみたいな。は?みたいなことだけど、そういうところから意味あるものを取ってくるっていう3つ目ぐらいの人がいて。
なんかいろんなアプローチがあるなと思った記憶があり、あれが初めての接触だったなというのを今話しながら思い出したね。
広告業界の発想法
そういう意味で私の思うクリエイティブの中に、アウトプットがクリエイティブっていうのもあるんですけど、お悩み事とかを一瞬で解決する能力のある人いるじゃん。
一緒に占い師みたいなヒーリング能力みたいなのがあるっていうか、一緒にいたらみんなのこと元気にするタイプのやついるじゃん。あれも結構クリエイティブだなって思うけどね。
それは何で役に立つなーっていうことでもあるわけだけど、みぎさんの中で何でそれは発想っていう文脈の中に入るの?
発想なのかわかんないけど、人のタイプを瞬時に見て、この人はこれが欲しいはずみたいなことの本人も気づいてないようなところを見抜く力みたいな。
はー、なるほど。
さっきも野由さんから言うとパターン2に見てて、こういうゲームでしょみたいなのが一瞬でわかるときも、事柄に対してこういうゲームでしょってわかる人と、事柄とかは全然わかんないんだけど、対人についてはあなたはこういうことでしょみたいなことがすぐわかる人っているなーって今思った。
別に悩みにも効いた結果、こうしたらいいじゃん、こうしたらいいじゃんが想像的でなくてもいいんだけど、光の当て方がそっから行くんだっていう人ならっていうこと?
そうそうそう、なんかもうちょっと言語的じゃなかったりとかもするけど、そういう人ってなんか。
なるほどね。
野由さんの話聞いて思ったのが、私は結構その2番的なこういうゲームでしょを根本から言って、しかもみんなに確かにみたいに思わせる人のことをかっこいいと思ってるわ。
なるほど、そのみきさんがこの発想法できるといいなーっていう憧れは2番っぽい?
そうそう、その中には2番っぽい、なんかキラリと光るアイディアとか一言でキャッチなこと言うとか私ないから、ないし欲しいと思ってないから、持ちは持ちやだぜみたいな感じに思うけど、2番できてると私がやってたらよかったのにって思うわ。
良かった、整理をして良かった。