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2022-08-16 21:04

身体を彫る、世界を印す―イレズミ・タトゥーの人類学 #1

のぞみがジュンク堂冷やかしで発見した素敵な本をテーマに。

装丁がいいね!/イレズミの目的はさまざま/嘘つけない部分に印すのって怖い/みたらかっこいい

-- 本紹介 --

皮膚の上で、どのような美や真正性が営まれ、いかなる切実さが争われているのだろうか

マルケサス諸島のテ・パトゥ・ティキ/ニュージーランド・マオリのタ・モコ/タイのサックヤン/カメルーン・狩猟採集民バカのテレ/インド・バイガのイレズミ/台湾原住民のイレズミ/日本土産としてのイレズミ/沖縄のハジチ/千葉のヒップホップファッション・ストア店員のスミ/消えるタトゥー、ジャグア/医学から見たイレズミ/アイヌのシヌイェ

日本初のイレズミ・タトゥーの学術論集。各地の事例を紹介しながら、それぞれの社会の文化、美学、歴史、政治を考察する。

【目次】
まえがき(山本芳美)

第I部 世界編
第1章 顔を横切る黒い帯―マルケサス諸島の文様の変容(桑原牧子)
第2章 ニュージーランド・マオリのタトゥー、タ・モコの復興(秦玲子)
第3章 より善い人を生み出すイレズミ―タイのサックヤンにみる宗教性と暴力(津村文彦)
第4章 「今」の楽しさと関係を刻む人々―カメルーン東南部の狩猟採集民バカのテレ(彭宇潔)

コラム1 インド・バイガのイレズミを振り返って(阿部櫻子)
コラム2 台湾原住民族と植民地時代の記録、そして現在―先住民族の知的財産保護と文化の盗用論をめぐって(山本芳美)
コラム3 どうやって調べるか? ウィリアム・ファーネスとイレズミを例にして―横浜、奄美、沖縄、ボルネオ、ヤップ(山本芳美)

第II部 日本編
第5章 ヴィクトリア朝イングランドにおける「芸術的な」日本のイレズミと商業戦略(マット・ロダー[大貫菜穂 訳])
第6章 沖縄のハジチ(針突)とその調査史―資料蓄積を活かすために(山本芳美)
第7章 関係性としてのタトゥー―千葉市でヒップホップファッション・ストアを営む若者たち(山越英嗣)
第8章 「消えるタトゥー」はタトゥーごっこか―らしさとらしくなさをめぐって(松嶋冴衣)

特別寄稿
第9章 イレズミと医学(小野友道)
第10章 私とシヌイェ(マユンキキ)

00:11
はい、お願いします。
お願いします。
最近はいかがですか、Mikiさん。毎回こういう始まりですけど。
最近はね、緩くやってますね。
継続して。
楽しく。うん。
結構、仕事もそんなに忙しすぎず、いいペースでやっておりますね。
最近、仕事以外で行って楽しかった場所、触れたものなどあれば。
半分仕事ですけど、人のいないで未来を考える系のワークショップみたいなのをやって、それは楽しかったですね。
どんな人と?
それは、運営しているコミュニティの人と一緒に、私がファシリテーターでやったんですけど。
地球が気候変動で崩壊して、その時に浮遊層は河川に逃げちゃって、地球に取り残されたマイノリティだけでこの気候変動を生き延びたとしたら、
その地球はどんな社会になっているか、みたいなのを考えるワークショップをしたんですけど。
へー、だいぶ思考を飛ばした感じのワークショップ。
そうですね。うんうんうんうん。
楽しい。
ちょっと演劇っぽい、即興でロールプレイみたいな感じなんですけど、そこで参加者が突然、なんか思い出してくださいよみたいな。
私たちは、この社会でうまく折り上げつけてやっていく時に、誰に一番苦労したかっていうと、ボーダー賛成じゃないですか?とか言い始めて、
ボーダー賛成って何かっていうと、浮遊層は火星行きのチケットを買えて火星に行けるんですけど、
大体そういう経済的に貧しい人ってマイノリティだから、いわゆる黒人とか、トランスレンダーの方とか、そういうのが残っちゃってたんですけど、
白人の男性とかなんだけど、すごいリッチとかではなかったから、ギリギリ火星のチケットは買えなかったみたいな、
マイノリティでも浮遊層でもないみたいな、地球に残る組ではあったけど、もうちょっと頑張ったら買えたかもしれないみたいなボーダーラインにいた人っていうのがいて、
その人たちが地球と火星の間でサンチマンを抱えてたっていう設定がさすがに生まれて、
そういうボーダーの生き残り、ボーダー賛成みたいなが、やっぱり資本主義的な価値観を捨てきれずに、
その人たちとどうお家をつけてかかっていいことを苦労したじゃないですか、みたいなことがとても発生して、
みんなでボーダー賛成の存在をすんなり受け入れて、面白かったですね。
ボーダー賛成っていうのが微妙に残しながら、新しい何かに適応していく過程ちょうどですね、賛成っていうのが。
時々競争心とか人と比べる力とかを押し付けちゃうみたいな、そんな感じのレサンチマンを抱えた人たちなんですけど。
なんかまた楽しいことやってますね。
03:02
それが面白かったかな。
のぞみさんはいかがですか、最近。
私は昨日仕事の曖昧っていうか、仕事してる振りをして、関西の板見っていう空港があるところなんですけど、板見市っていうところに行ってきたんですよ。
その板見市っていうところで今、吉竹新助店。
あの渋谷じゃない、世田谷でもやってたやつだ。
そうそう、世田谷でやって、今板見でやって、次愛知のどっかに行くのかな。
やってたので、これは行くべと思って行ったんですよ。
やっぱり夏休みシーズン大人気で、10時オープンのところに10時5分ぐらいに行ったんですけども、生理券配布で。
11時半に来てくださいみたいな。
行ってきたら、お子さんがすごく絵本作家さんなので、お子さん連れがとても多く。
でも行ったんですけど、めちゃめちゃ良かったですね。
もともと私、そんなにたくさん吉竹新助さんの絵本を買ったわけじゃないんですけど、伊藤浅さんが見て書いてた、見えるとか見えないとかっていう絵本がすごく好きで。
私もそれだけ持ってて、吉竹新助さんはそれでしか認識しておりません。
でもめっちゃいろんな作品があって、すごく良かったですね。
結構いろんなテーマ。子育てみたいなテーマだったり、あとは夢ってなんだっけみたいなテーマだったり、結構いろんな主題が扱われてるんですけど。
良くて、ズロクみたいなのも買っちゃいましたね。
伊藤浅さんとの文脈でしか知らなかったから、吉竹さんのことを。
伊藤浅さんの本に合わせて絵本作った人って思ってたんですけど、吉竹さんの作家性としても野積さんの好きなところがあったってことですか?
そうですね、結構好きなところのベクトルが振り切れまくっちゃってる感じはあるんですけど。
何かっていうと、全部考え方次第だよね感が強い作風に個人的には感じたんですよ。
夢なんてなくてもいいじゃん、好きにやればいいじゃんみたいなことだったり、子供がわーっと泣いてて辛い時にもそれ考え方次第だよねみたいな。
こういう瞬間って今しかないからさみたいなトーンだったり、結構好きなベクトルではあるはあった感じですね。
あとイラストのトーンもすごく可愛いので、なんか楽しく見れたなーっていう感じがしますね。
全然知らなかったんですけど、もともと普通に会社員やってる時に休憩時間とかに書き始めたのが最初らしいんですよ。
なのでA4の紙とか小さい紙に作品を書いていくっていうのがたくさん壁にうわーっと展示がされていてめちゃくちゃ良かったですね。
06:03
いいですね、いい時間使い方ですね。
いい時間でしたね。
でもいために開催期間少ないんですかね?世田谷で整理券とかは聞かなかったですね。
多分子供向けで夏休み入りたてっていう感じの。
ハイシーズンっていう。
そうそう、ドハイシーズンで多分先週始まって今週まで7月末ぐらいまでが整理券シーズン。
ちょっと短いですね。
実際に開いてるのはもっと8月の真ん中終わりぐらいまで開いてるんですけど、最初にみんなうわっと行くんだと思うんですよね。
お盆の前とかに子供どこ連れてこっかなっていうところの一時着みたいな感じだと思うので。
売店ショップみたいなところもすごく賑わっていていい感じでしたね。
いいですね、良い過ごし方。
文化的な、どうしても業態的に年末とか年度末がすごくパツパツ仕事ばっかりする感じになっちゃうので、夏はちょっといろんなものに触れながら自分の目だったり耳だったりをもう一回磨くっていういい時間にできてるなという感じがするですね。
いいですね。
なので結構今回みきさんと一緒に読むのもハードコアなやつ。
そうですね。
ビジネス感ゼロの本をみきさんと一緒に読んでいくと。
そうですね。
これみきさんにこれにしましょうって言ったのが今これ撮ってる1週間ぐらい前で、この本自体も400ページぐらいあってかつ論文集っていう、なかなかハードなやつをみきさんに提示してしまったなっていう。
でも読み終わりましたよ。
本当ですか?
楽しく読めた。
この身体っていうのかな?身体を掘る世界をインス入れ墨タトゥーの人類学っていう。
私も全然読んだことがなくてたまたま近くの大きい本屋さんのおくまった棚みたいなところに行ってるときにこれが普通に棚にあってこれいいじゃんって買ってみたっていう。
身体を掘る世界の印だ。一番最後に読み仮名ってある。
マジですか?
一番最後のページに。
なんずりとか書いてあるとこですね。
本当だ。身体を掘る世界を印入れ墨タトゥーの人類学と。
内座発見ですよ。だから私本当に一生手に取らなかったと思う。
これね。
まず内容っていうか本のトーンっていうか手に取った。
私もみきさんこれ物理本で読んでると思うんですけど。
表紙の感じ超よくないですかこれ。
いい。いいです。
これいいですよね。
見てたらしんび堂っていう会社さんがエンボス加工でやっている紙らしくて。
09:06
ツイッターにしんび堂手塚博星所っていう人たちの作ってる感じが出てるんですけど。
まあまあ入れ墨タトゥーをテーマにしたものの通り。
紙の質ももちろん素敵だし、柄の入れ方っていうか。
これもねちょっと触ってみると柄になってるのが分かってめっちゃいい感じですよね。
あれですね。ちょっと皮膚っぽい感じの紙質ですね。本当よく見たら。
確かに。確かにね。
エンボス加工でちょっとぷっくりしてるんですけど、それもちょうど入れ墨を入れた時のぷっくり感みたいなイメージがする。
入れ墨入れたことないけど。
確かに。今二人でズーム越しに自らの手元にある本を撫でるっていう不思議な時間になってますけど。
不思議な時間じゃないよ。始まってる。
これめちゃくちゃこの紙のチョイスもいいし、柄の感じもすごい素敵だし。
帯に書かれてるのは入れ墨タトゥーについての日本初の学術論集。各地の事例を紹介しながらそれぞれの社会の文化、美学、歴史、政治を考察すると。
皮膚の上でどのような美が展開し、いかなる思いがせめぎあっているのだろうかと。
のが帯に書いてある。
一個一個論文になっていて、10章プラスコラムがちょこちょこ入ってるっていう。
だから全部テーマは入れ墨タトゥーっていうものになっている本でした。
みきさん1週間グーッと読んでみて、まず総論いかがでしたか。
総論は、入れ墨についてあまり深く考えたことがなかったんですよね。
最近サウナブームで、友達がサウナに行けなくて困ってるっていう文脈で入れ墨をしてる人が浮き彫りになったっていうのが最近のイメージと。
ラランドのサーヤの彼氏ってタトゥーアーティストだよなっていう。
元々の入れ墨のインプットってどれだけって感じでした。
めちゃくちゃ入れ墨入ってるっていうのがよくラジオでいじられてますよね。
しかも顔を検索したらわかるんですけど、本当に予想の5倍入ってますよ。
タトゥーアーティストのヘッデーさんっていう人なんですけど。
ありがとうございます。
だからそれのイメージがあったから、こういうアートとしてのタトゥーってどうなんだろうとか。
なんかちょっと覚えましたね。
確かに入れ墨とかタトゥーみたいなものに触れるのって、
みちさんが一つ目挙げてくれたみたいに日常生活のどっかに行けた行けなかったみたいな話だったり。
12:03
あともう一個はアートとしてのタトゥーっていう。
好きな柄を入れるとか。
その文脈がそれぞれ強い感じになりますよね。
それと、もうちょっと生活に根差した社会とか文化とかによってから養成されて、
代々活用してきたみたいな部分の文化とか生活とか政治にどうタトゥーが影響してるのかっていうのが今回の研究だったかなと思ってて、
そういう文脈で考えたことなかったから、なるほどなと思ったのと、
意外とすんなりわかったのは、タトゥーがお守りのように働いて、
自分を強くしてくれるような気持ちになるみたいな理由でするタトゥーっていうものがあるなと思って。
そのことについては、日本人も結構神社とか行くからなのかわからないですけど、
それは全然何も違和感なかった。
確かにそういう効果あるかもねって、すんなり受け入れられました。
だけど一方で、書かれてる中で、
いねずみを入れること自体で繋がりを可視化するであったり、
デザインとか関係なく入れたこと自体の事実とかが重視されたりするようなことっていうことも結構あるなと思って、
そういうのは結構私的は厳しいというか、
共感できなくて、私は随分個人主義な世界に住んでるんだなとか思いながら読みましたね。
なるほど。
だけどそのいろいろ読み終わった後に改めて、
土地の場所とか実際のいねずみの様子とかを調べたら、
かっこいいわけですよ。
かっこよいと思うんですね。
なんかかっこいいとは思っちゃうから、
こういうかっこいいものをこうやって当たり前のように目の前にしながら過ごしてたら、
逆に何もない肌の方が物足りないとか思うのかなと、
読後の頭の中でイメージするものと、
実際その物を目の前にした時の印象っていうのはまた随分違うのかなとかは思いました。
うーん。
そう論、そんな感じです。
はい、彼氏見ました?
見ました。確かに想像の5倍っていうのを言ってる意味がよく分かりました。
多分この本読む前に、このお名前が何だったっけ?
てっぺ?
てっぺさん。
顔いくんやーって思ったと思うんですよ。
でもこの本読むと、顔入れるのむしろ普通なんやなって思うじゃないですか。
家のとこに入れなかったら意味ないみたいなね。
そうそう。この本も世界を記すっていう風に書いてる通り、
日本のタトゥー入れ墨ってものだけじゃなくて、むしろ最初に出てくるのはポリネシアの地域、
オセアニアのとある島の入れ墨の文化だったり、
先住民の方々のものだったり、あとはタイだったり、
アフリカだったりっていう世界の方から始まって、
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最後は日本の方のがいくつか挙げられてって形だと思うんですけど、
結構序盤のどこだっけ?
マルケサス諸島。
マルケサス諸島?
マルケサス諸島見てたのか、地図貼ってくれてたな。
マルサケス諸島はマルケサス諸島。
マルキースとかマルケサスとか。
タヒチのちょっと北側のとこにある、連なってるような。
ここだと顔にも横にガツッと入れるみたいな感じの文様が、
パターン20個ぐらい書かれてて、
目に横にガツッと入れますみたいなものだったり、
おでこのとこにガツッと入れたり、
目の周りをぐるぐるっと渦巻きみたいにして入れますみたいな。
顔に入れるのがそうなんや。
普通なんや。
だったり、カメルーンの狩猟採集民の方々は、
ガラッというか勢いで、ノリで顔いきますみたいなのが出てきてたり。
むしろだから、そうか、そっちが普通すかっていう風にやってて、
特に驚くのが、この序盤の方の論文っていう感じでしたね。
でも入れ墨の入れ方も、村の村長、村を継ぐ人、市長になる予定の人と、
そうじゃない人で入れる順番が違うとか、
やっぱり何かを区別するために入れてるんですよね。
そうですね。
男性は例えばここに入れるけど、男性は腕に入れるけど、女性は足に入れるとか、
男女の区別だったり、三木さんが言うように身分だったり、
あるいは職業っぽいことで入れる入れないみたいなのがあったり、
っていうのが本当に地域によって様々あるっていう風に書かれてましたよね。
それが衣装とかで違いを別に出す。
違いを出すだけだったら衣装とかでいいのに、そうじゃない、
本当に嘘をつけない部分、他人が真似できない部分に刻み込むっていうのが、
ちょっと私は恐ろしかった、本当に。
うーん、なるほどね。
お前はずっと統一感のある自分でいろよって言われてるような感じ?
はー、なるほどな。
いい感じで、私は結構入れ墨は入れてもいなくてもどっちでもいいじゃん、
自分もいつか入れるかもとか思ってたけど、
やっぱこの嘘をつけない部分に入れるっていうのがめっちゃ嫌だなって思って、
多分入れないだろうなっていう気持ちになりました。
はー、なるほど。
それはね、入れ墨っていうもののある種のずっと続く感、
高級性みたいなものをどれくらい背えるかみたいなこと?
うん。
結局それが割とファッションというよりかは、
本当に身分とか役割みたいなものとかも一緒に背ってる。
関係性みたいなものとか。
ただ装飾する意味、愛じゃない部分がすごい強いってことが分かったので、
よりちょっとやりづらくなった。
あー、確かにね。
後半にある沖縄のハジチの例とかっていうのは、
まさにそういうあなたってこういう所属ですよねみたいなのに合わせて
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手に柄入れるみたいな話でありましたもんね。
個人的には例えば村長とかリーダーとかでも、
今はリーダーとしての自分だけど、
今は休憩みたいなだらしない自分とかでいてもいいっていう時に、
服を着る時は村長っぽく振る舞って、脱いだら休憩みたいな。
脱ぎ気できるようなものだと思うんですよ。
社会的な役割っていうのは。
イエズミって認識しちゃった時に、
そういうことって大丈夫なのかなっていうのが気になった。
なるほど。
多分みきさんの観念が今だとすごく主流というかそうなんだろうなと思うが、
多分最後の方に第8章ぐらいに出てくる消えるタトゥーの話があるじゃないですか。
ジャグアタトゥー?
ジャグアタトゥー。
ジャグアタトゥーのところの中に確か出てきてたのが、
ジャグアタトゥーっていうのとハロウィンの仮想っていうのが
同じ戦場にあるみたいな話が多分出てきてたはずで、
そのキャラクターっていうのは複数の自分っていうのがいて、
その一つの象徴っていうのがハロウィンであるっていうことで、
かつジャグアタトゥーっていうのもこの8章の著者の友人の方は仕事の給食中か何かなんですよね。
なのでちょっと違った自分だからジャグアタトゥーを短期的に入れてみるっていう。
だから本質的に自分が何か違う自分になるわけじゃないけど、
このシーンのこの瞬間のこの自分っていうのでジャグアタトゥーを入れるっていうのが
なるほどなっていう。
みきさんのキャラが複数あってそこを固定しないようにっていうのが
この2022年の今っぽいタトゥーの感覚なんだろうなっていう感じがしますね。
個人主義的ですよね。
だからあんまりその社会に委ねることとか、
つながりの中にいる自分みたいなものは信じられてないっていうことだと思うんですけど。
なるほど、なるほどな。
私なんかどっちかっていうとすごい社会的だなと思いますけどね。
個人主義に振るんだったら、
別に周りなんか関係ないから自分を固定しちゃっていいじゃないですか。
なんだけど社会のある種の一時一時の要請に合わせては
多少自分を変化させようっていう意図があるっていうことなのかなと思うので、
個人主義っていうか社会っぽいのかなと個人的には思いましたけどね。
このジャグアタトゥーだったりハロウィンだったりを見てると
個人主義っていうか社会っていうかそういうものの中にいるっていうことなのかなっていうのを見てましたね。
だからその時にそれが全ての自分であるのは嫌っていうだけですね。
そうですね。
中にいる自分が。
そういうことね。
21:04

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