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2020-07-17 19:16

「愛するということ」第2回:”愛は能動である”

今回は、エーリッヒ・フロムの名作「愛するということ」を取り上げました。いろんなことが起きて世界が喧しい今だからこそ、愛について考えます。第2回は各界著名人の方々がこの本を読んだ感想をシェアしつつ、改めて自分たちの過去の経験を振り返ります。

みき(@miki_apreciar
のぞみ(@CobeAssocie

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書籍紹介(Amazonより) 愛は技術であり、学ぶことができる―― 私たち現代人は、愛に渇えつつも、現実にはエネルギーの大半を、成功、威信、金、権力といった目標のために費やし、愛する技術を学ぼうとはしない。 愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。

 -- 菊地成孔さん

「愛ってこんなに面倒くさいものなの」?と思うでしょうけれども、こんなに面倒くさいんです。 あらゆる愛の実践が、歌の歌詞だけになってしまった現代に残された、今となっては喰えないぐらいにキツイ本です。 「ずっとそばにいるよ」とか「声聞けないと死にそうだよ」とかいった言葉に本気でグッと来るような人は、読まない方が良いかもしれません。

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そもそも、愛の理論というところに、この本のテーマが映ってくると。
愛の理論、どうでした?どんな理論がありましたか、愛には。
愛をいろんな種類の愛に分類してましたよね。兄弟愛とか、自己愛とか、親子の愛とか。
最初は、実存。性愛を多く語ってますね。最初は、人間の実存に目指しているものだよって言ってますけど。
実存に目指している、というのは。
さっきも言いましたけど、人間って同調したい生き物だし、何よりも孤独を埋めたいという生き物であって。
孤独を感じている限り埋めたいとか、恐怖とか不安を覚えてしまう人間である。
だから、そこの本能に対して、解決しようと思う中の一つに愛がある、みたいな。
ただ、ただそこで表層的な孤独感とかを埋めるためだけに愛を使うのは、ただの勘違いである、みたいな。
生物として、そもそも埋め込まれている何かでもある。しかしその中にどうしても生まれてくる個人的な寂しさとかっていうのを、
じゃあこれで愛で埋めよう、みたいなことは、やるのはもう悪種である。やっちゃダメだよ、というのが最初のわけですね。
その辺がたぶんさっきの、ちょっと話をした自由からの闘争の中にも一部出てくるところだったんですね。
恐怖感とか、孤独感みたいなところから、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、そうですね。
ヴァンゲリオン的なやつがね、シンジ君的なやつが言ってましたね。
だからその孤独とかを埋めようとして、相手から何か愛情を引き出そう、引き出そう、とか愛されよう、みたいな形になっちゃうと、ちょっと違って、
そういう感情とかが同調したい気持ちに自覚的になって、自ら能動的に愛すっていうアクションに、その気持ちを変換できるときに初めて、
生まれるというか、愛する技術が培われるんでしょうね。
この次が兄弟愛かなんかでしたよね。
そうですね。
兄弟愛から親子愛に行って、みたいなのが次に続いてくる感じでしたよね。
責任とかそういうことが生まれてくる兄弟愛、そういうところで動いていくとか。
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親子になっていくと、いつか離れていくものに対しても、愛さなきゃいけないし、離れていった後には自分の愛の形を変えなきゃいけない。
そう、難しいですよね。
親の中に子供を所有物みたいにしてしまって、愛がねじれてしまうこともある、みたいな。
私これ結構、すごく頻繁に周りでも起きてるなって思うんですよね。
私も29なんで、周りに子供が小さい人が多くて、1歳とか2歳とかで、こんなに子育て大変だったら、自分の子供を、子供だけは自分の絶対だ、みたいに思わないと愛せないとかって言ってる人とかもいるし、難しいなって思います。
そういうふうに思わないとやってられない、みたいな気持ちもわかるから、切り替えとか難しいなって思いました。
子供を自分と切り離すのって、すごい難しいなって思いますね。よく思います。
確かに、自分が果たせなかった何かを達成させたいがために、子供に何かいろいろやらせるみたいな親もいるじゃないですか。
そうとか、愛ゆえに自分の期待を全部つねこむ、みたいなことはすごいあると思ってて。
そして、それは愛ではないと言うんですね。
そう、でもそれは愛ではないってフロムは言ってて、私は愛ではないっていう気持ちに同意もできるけど、でもなんか、そういうふうに感じないとやってられない気持ちもわかるなって。子供を育てたことないけど、難しいなって。
そう思わないとやってられない。
っていう部分もあるんじゃないのかなって思いましたね。
そうでしょうね。なるほどな。
これ、なんていうんですか。出版社かな。
これは、キノクニア書店のウェブページの中に、この本の紹介ページの中に各界の方々からのメッセージって書いて、本当にいろんな分野の人がこの本を読んで紹介してるんですよ。
有名なとこだとモデルのアンさんとか。
アンさんとか。
あとは他に、よく有名な人だと詩人の谷川俊太郎さんとか。
あと夏木麻里さん。
あとビジネス界隈で。
あらがみさんとか。
そうですね。
あと、亡くなっちゃいましたけど、日野原先生。
せいろか病院の日野原先生とかが書いてるんですけど。
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その中の、どこだったっけな。
この菊池誠子さんが、「愛ってこんなにめんどくさいものなのかと思うでしょうけれども、こんなにめんどくさいんです。」って書いていて。
読むと、「いや、わかるんだけどさ。」みたいな。
で、「めんどくさいな。」ってやっぱり言うんですよね。
こういうやつね。
これ愛って言っちゃダメ?みたいなやつ出てきますよね。
いろんな人が結構いろんなふうにこの本を捉えていて、すごくすごくすごく面白かったなと思ってましたね。
ざっとこれいろんな人がメッセージ書いてるんですけど、
みゆきさん的に、「これわかるわ。」とか、「これ共感できるわ。」みたいな人のタイプがある気がしていて。
はいはいはい。
私は菊池誠子さんのずっとそばにいるよとか、声聞けないと死にそうだよとかいった言葉で本気でグッとくるような人は読まないほうが良いっていうのはわかると思って。
それは自分がそういう人じゃない?
自分がそういう言葉で本気でグッとくる人のことをちょっとなんだろうって思ってるので。
結構いますよね。言ってほしいっていう人もいますし、言うようにしてるよっていう人もいますし。
いる感じですよね。
いるんですけどね。
なるほどなー。なるほどなー。
でも谷川慎太郎さんの、「読むものの人生経験が深まるにつれて、この本は進化を発揮すると思う。」って書いてて。
これ確かにそうだなと思って10年前に読んでおきたかったし、ちゃんと先の社長のアドバイスに従って。
読んで、今もう1回読んでたらまた違ったんじゃない?って思いますし。
この10年の差分がわかるように。
今愛してるってことを読んでるんだよねって話を友達にしたら、何か読んでたことがあって。
なんか私、この本を読んでから今の旦那と見つけて、付き合って結婚したのとかって言ってて。
はー、みたいな。
愛してる。
ちゃんと読んでたから、下手な男とか引っ張らずにちゃんといいの見つけられたわみたいな言われて。
そうですねみたいな。
私ももっと早く読んでいけばよかったって思いました。
へー。
この本でも周りでも好きな人いるなぁ。
その人全然、愛せてないけど。
全然愛せてないけど。
全然愛せてないけど好き。
全然愛せてないけど、この本を読んでなかったらもっとヤバい人になってたんでしょうね。
バランス取ってるんだと思うんですけど。
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なるほど。
そうだよな。
元々働いてた会社の社長といくつくらいの方だったんですか?人生経験と豊かなるっていうのと言うと。
その社長は、その時20個くらいだったのかな。
18歳の時36してだったと思うんで。
だから今はプラス10とかなってて、今50近いのかって感じだと思います。
なるほど。
今の、さっきの社長の愛が足りねーんだよ、から思ったことというか、これかなと思ったんですけど。
私新卒で働いてた会社で、その時設定はなかったんですけど、辞められて別の会社をやられてる高松さんっていう人がYouTuberなんですよ。
YouTuberっていうか、YouTubeもやっている会社の代表なんですけど。
その人が、プロフェッショナルとして、大事にするものは愛と想像力だって話をしてたんですよ。
私がいた外資系のコンサルティングファーム、一応外資系コンサルティングファームってやつなんですけど。
ザってやつですよね。
ザってやつなんですけど、大事にされてるもののうちの一つが、チャームって言われるものなんですよ。
可愛げですね。
で、可愛げを生み出すためには何をすべきかっていう話で、この愛と想像力っていうのが出てくるんですけど。
その高松さんがYouTubeの中でどんな例を引いてるかで言うと、その飲み会の場面を想像しろと。
目の前の人のグラスが空いていて、その人に何か飲みますかって聞くことは、これは愛と想像力だって言うんですよ。
それでいいの?
だからまずその相手が、このグラスが空いてるっていうことに気づけることがまず愛であると。
その人がどういう状態なのかなっていうことを観察するっていうことじゃないですか。
能力ですよね。
これは愛だと。
だとしたらこの人は何か飲みたいんじゃないかなってことを想像する力。
それをほっとくこともできるわけですよ。
あの人のグラス空いてんな、以上。
はいはい。
逆?
逆か。
想像力があって気づけるって話か。
だから想像力があると、その人が足りないってことに気づけると。
で、何かその人にしてあげたいっていう愛が生まれてくると、そこにはその人のチャームが生まれるって話をしてたんですよ。
何か気づけるっていう想像力と、それに対して自分がそれに何かしてあげたいっていう、能動的な行動、放置しないってことですよね。
それが掛け合わせるとチャームになるんだって話をしていて。
たぶん社長が言ってたのは、その掛け合わせなのかなと思ったんですよ。
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確かに。
これここに置いとくのは明らかにまずいだろっていうときに、何でそういう想像力が働かないんだっていうことと、
それが自分に関係があろうとなかろうと、それに対してコミットするのって愛でしょっていうことだと思うんですよ。
わかる。というか私もその照明会社でバイトしてるときにめちゃくちゃ想像力がないって怒られてたことをすっごい思い出しました。
愛と想像力の話をしてたんですね。
だからそういうことか。社長は想像力を持ってほしくて、私にその本を勧めていたのかもしれない。
だけどそれを想像できないから読まなかったっていう、想像力がないから。
想像力。
そういうことだったのか。
なんかこの想像力って、人生経験が深まっていけばいくほど、この本の味わいが深くなるっていうのはそういうことかなと思っていて。
やっぱり愛と想像力ってセットだと思うんですよ。
はいはい、そうですね。
で、何て言うんだろう、気づくとしてあげたい、何かに気づいたときにそれをしてあげたいっていうことが積み重なっていくと、
その人の愛の姿勢が強くなっていくような気がするし、
つまり気づける機会が増えれば増えるほど、その人の愛っていう技術を開発する場も増えるわけじゃないですか。
そういう意味で愛と想像力ってセットなんだなっていうのと、
あと全然別個に思って、私がいろいろずらずらっと書いた中で一番グッときたのは、
この松浦彩太郎さん。
私この人の本すっごい好きなんですけど、
この愛とは自然と涙が流れることっていうのって、
さっきの愛とは能動的ななんとかであるっていう定義と全然別個にしてめちゃくちゃいい表現だなと思ったんですよ。
そうですね、これはグッときますね。
自然と涙が流れることって、これ多分想像力と愛の掛け合わせだと思うんですよ。
自然と涙が流れる瞬間って、言ったら自分に何か危機が迫っているわけでもないし、
自らが辛いことがあったわけでもないけど、
その状況を考えたりとか、相手のことをおもんばかった時に、
涙が流れるぐらい強い感情が自分の中に生まれるってことじゃないですか。
この愛とは自然と涙が流れることっていうのは、めちゃくちゃいいなと思ったんですよ。
そうですね。
自然と涙が流れるってないですもんね。ないっていうか、確かにコンテンツとかが、
日本のエンタメとかもいかに泣かせるかみたいな感じで、こっちも泣きに行くみたいな資本主義の構図ってあるから、
自然と涙が流れるって。
この愛とは自然と涙が流れること、愛するとは全てを信じることから学ぶ工夫と発案に満ちた無償の生き方である。
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いいなって思いました。
こういうのを書ける人、すげえよな。
この文章が書けるっていうこと自体にすごい愛情深いものを感じますよね、人柄に。
分かる、分かるですね。そもそもそうですよね。
本当そうですよね。
例えば自分が松浦八太郎だとして、この一文書いてくれって言われて、
書いてくれたらいくらですみたいな案件があったとするじゃないですか。
全然愛がない状態だと、とりあえず文字数埋めるかみたいな。
なんか適当に書いちゃうと思うんですよ。
で、なんかこの上のいくつかの書いてるやつを見ると、
これちょっと適当に書いたんだなみたいなやつも多分あるじゃないですか。
はいはいはい、ありますあります。
ある中でこういうことを紡いで書けるって、これはもう愛ですよね。
愛の能力高いよな。
でも絶対、人はこの愛ファーストで生きてる人と、
そうじゃない、尊徳ファーストで生きてる人いると思いますね。どうしても。
最近会った愛ファーストの人、どんな人だったか教えてください。
例えば何て言ったらいいですかね。
フラッと今から会いたいから会おうよって言って、
会ってそのまま深い会話ができるとかって言うのとかもすごい愛な感じがするんですけど、
なんか違うのかな。
面白い。確かにそういう関係性っていいですね。
そうですね、難しいと自分で言っといてあれですけど。
その尊徳感情ね。
自分が新卒で入った外資コンサルに究極合わねえなと思ったシーンの話していいですか。
はいはいはい。
尊徳感情じゃないんだけど、
人間を合理性モンスターみたいな感じで捉えて動くところがあるわけですよ。
みんなもちろんそうではなくて、さっき申し上げたみたいなチャームが大事って言ってる人もいるので、
そういうわけではないんですけど、
とある偉い人と一緒にタクシーに乗ってるときに、
その人の奥さんとどうやって知り合ったんですかみたいな話にふとなって、
その人は俺も遊んでたんだけど、
それぞれ結婚するかと思い立ったときに、
今まで自分が好きだった人と自分を好きになってくれた人を全部書き上げていって、
機能的に出していったとこういう要素の人なんだなみたいな。
自分が好きになるのはこういう要素の人で、
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自分が好きになってくれる人はこういう要素の人でっていうのを、
ワーッと書き出していって、プロファイリングして、
それに合う人を見つけてくれっていうのを5人の友人に依頼をして、
依頼された人に一人一人会っていくようにしたっていうことを言ってたんですよ。
まあでもいるな、そういう人。
いるじゃないですか、そういう人。
結構これ極端な例だと思うんですけど、
恋愛においてもある種マッチングアプリでこういう状況があるとこういう風にマッチするみたいな、
アルゴリズムを使いますみたいな話も、
それに部分的に足を踏み入れているところがあると思うんですけど、
結構その極端な例だと思っていて、
なんかそれでやってさ、
いやなんか俺それでやったんだよって、
そうですかっていう、
それはさ、私はいいと思うわけですよ。
一人一人いろんな恋愛の形があっていいと思うんですけど、
いやそれをさ、なんで周りの人がやらないかわかんないんだよねって言われた瞬間に、
あ、俺絶対この会社でやっていけないわって思ったんですよ。
確かに。
なんか、なんていうのか、
それってやること自体もなかなかのことだなと思いながら、
そうじゃないことに対する想像力がなかなかないわけじゃないですか。
そうですね。
合理的にやればこんなに楽にできるのに、
それをやらない人がいるなんて私は信じられないみたいな人だけど。
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