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みなさん、こんにちは。誤り続けるオンナたち、Kayakoです。
Kanaです。この番組は、性格も住む場所もライフステージも何もかも違うけど、なんだかきなおう30代女2人が誤り続ける日々について、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、Kayakoさん、来ました。
来ました。
今日はですね、待ちに待った。
待ちに待った。
読書の誤りや原因ですね。
やった!
私がやりたかっただけ。
ずっとやりたかったけど温めていた読書の誤り。
1回目は一体いつ放送だったのかというと、
すごい前じゃないですか。
めっちゃ前かも。この番組もだってもう2周年迎えましたもんね。だってエピソードナンバー12、13ですよ。
今いくつ?
配信したの2022年。今ね、読書の誤りが順当にいけていれば、129、130なんで。
すごい、じゃあ100。
100以上越しに。
1回やりたってこと。
めっちゃ温めましたね。
我慢した。
でもしょっちゅううちらの話題に出ますもんね。
また読書の誤りやりたいよねみたいな。
でもね、またやるのもねとか言って。
私最近読書会というか、みたいなことしたんですよ。コワーキングスペースで。夏におすすめの本を紹介するみたいな。
めっちゃいいじゃないですか。かななんさん向きのイベント。
そこに出版業界ですごい長く働いてた編集の人、割と有名なベストセラーの本とかも編集されてる人がいらっしゃって、
その人が私のプレゼンテーションを聞いて、紹介が素晴らしくて、
あなたは出版業界に必要な人間だと思うって言ってくれたんですよ。
すごいじゃん。いつでも転職できます。
すごい嬉しかったし、読書の誤りってかやこさんもやばかったから、
つまり我々が読書の誤りをやるっていうことは、出版業界に必要なことなのかもしれないって思ったんですよ。
お墨付きを得たから、ちょっと自信ありますね。
そう。実行肯定感というか、読書の誤り肯定感が上がって。
ピンポイントに上がってる。
やりませんかやこさんって言えたっていう。
なるほどね。だからそこの出版業界の方からのお墨付きがあったからこそ、
さんさんがもう一回やろうと思えたと。
こんなに自分たちが好きなことだけをオーディエンス気にせず語ってもいいのかと思っていたけれども、
なんとこの度オフィシャリーお墨付きを得たということで好き勝手やろうと。
そうかと思って、出版業界に貢献するのであればそれはもう。
誰が何をどこから言っとんねんって感じですけど。
でも私たちとしてはね、テンション上がるトピックなんで。
そうそうそうそう。
読書の誤りって前後編で終わったんでしたっけ?
いや、3本に分かれましたね。
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たぶん初めて3本に分かれたし、前編に至ってはほとんどえくにかおりさんの話をしてただけですかね。
そうですよね。読書の誤りっていうか、えくにかおりの誤りやないかみたいな感じでしたもんね。
でも結構読書の誤り聞かれてる方ですよね、エピソードとしては。
そうそう、初期の頃やっぱり一番聞かれたと言っても過言ではないくらい上位に入ってて、
今となってはちょっとこういろんな意味で私も聞けないんですけど。
2年も前の自分の話とか何があっても聞きたくないです。拷問の一種に入ると思います。
だから聞き返したい読書の誤りをちょっとアップデートしたいなっていうのもありますね。
なるほどなるほど。最近聞いてたポッドキャストでも言ってましたよ。
本の紹介するコンテンツって伸びるみたいな。雑誌とかウェブ記事とかでも。
なんか需要あるんじゃないですかね。
そうですね。
かなさんなんてそういうの大好物な方だから需要あるんじゃないですかねとか言っても、
いや私にはありますけどねみたいな感じですね。
そうですね。私が片っ端からそういうのを読んでるから。
摂取してる側だもんね。
もう分かんないですね。世の中の人の気持ちが。
もう。
盲目すぎて。
そうだね。なんか私そういうコンテンツあんまり見ないというか、
好きな人からしかオススメされたくないっていうタイプなんで、
オススメする人によりますかね。見るかどうかっていうのは。
そうですよね。言ってましたよね。
ここで万語辞して。
はい。
読書の誤りパート2ということでやりましょう。
それでですね。今回。
はい。
前からこういうバタヤンさんがやってるポッドキャストじゃないんですけど、
お題とかもらって本を紹介する企画もやってみたいっていうことを思ってたので、
アンケートも取らせていただいたんですね。
そうですよね。かなさんおもむろにリクスでツイートして、
これはリツイートせねばってなってリツイートしました。
そう。そしたら結構いろんな方がいろんな面白いお題とか、
こんな本を教えてほしいみたいな声をいただいて、
それもすごい良かったので、今回トピックスが盛りだくさんなんですよ。
なるほど。
これは良いですね。
基本的にね。
ありがとうございます。
子さんの山リスナーさんは知ってると思いますけど、
かなさんが99.9%準備して、
私はあと0.01%準備するときもあればしないときもあって、
あと私アドリブですんで。
即興ですので。
トピックがいっぱいあるというのはとてもあれですね、心強いですね。
そうですね。だからかやこさんはこのトピックの大船に乗った気持ちでちょっと今日は参加してもらえたらと思うんですけど、
お便りとかアンケートの皆さんからいただいたリクエストに入る前に、
そこに入っちゃうともうそれベースの話しかできなくなるぐらいトピックスあるんで、
なるほど。
入る前にちょっと最近どんな本を読んだかとか、
この本良かったみたいな話をえぐにかおり的なものがね、話せたらいいんじゃないかなと思ってるんですけど、どうですか?
最近ね、まず読んで良かったって本があるんですよ。
そしてね、読み終わってないんですよ。
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読んでないけど、私たちアヤマリとしては読み終わってない本も良いところは紹介していこうというスタンスですよね。
そうですね。
だから全部読んでないやないかいとか、寛容なところをお前は逃しているじゃないかというツッコミはあるかもしれないけど、
現時点読んだところまでで私がめっちゃ良いと思っている今読んでいる本がね、2冊ありますよ。
はい。
まず一つ目がね、愛するということですね。
はい。
かなさんご存知ですか?
読みましたね。
読んでる人がいるじゃん。
傷を負った時期に読みました。
これどうだろうな、治療薬になるのか劇薬になるのかっていう感じだな、心に傷を負ってる時に読むっていうのは。
愛するということを読み始めたのはですね、私働き始めたじゃないですか、今年に入ってから。
本当に1日数時間だけなんですけど、そこの創業者の方がいろんな本をお勧めしてていろんな人に。
だから勝手にその人が誰かに勧めてる本をスラックの中から発掘して、その人のことが大好きなんで考え方とか、人間としての姿勢が。
だから勝手に、人にお勧めしてるやつを勝手に読んでるっていう。
いいですね。
そう、中の一冊がこの愛するということ、エイリヒフロム、鈴木アキラさんですかね、訳と。
The Art of Loving なんだ、現代。めっちゃいいじゃん。
The Art of Loving。
アートなんだ。
これが良かったんですよ。もうね、私の中でね、パラダイムシフト、パラダイムチェンジが起きましたね。
この愛するということの冒頭から。
愛するということは、フォーリンラブと言うけれども、恋に落ちると言うけれども、愛は感情だと思っていませんかと。
はい、思っています。と思いながら本読むわけじゃないですか。
愛は感情ですよね、みたいな。もう愛が冷めたとかね、そういうことあるじゃないですか。
だけど、愛とは活動なのであるって書いてあるわけですよ。
愛は自分の感情でワッと起き起こって、ワッと冷めて、アンステイボーの不安定な感じで起こるのではなく、
自分自身が能動的に意志を持って選び、アクションしていく活動なんだって書いてあって。
ガガーンみたいな。
そういうこと?ってなって。
いろんな愛がこの中で書いてあるんですよ。
自己愛もあるし、友愛もあるし、親子愛もあるし、恋愛もあるし、神への愛とかもあるんですけれども、
私の中でホットトピックとしてはやっぱり親子愛と恋愛とか夫婦関係の愛ですよね。
でも親子愛に関してはまだまだ子供が幼児なので、そんな難しいフェーズに入ってないと思うんですよね。
これがもっとティーネイジャーとかに子供がなってくると、親子愛ってものすごい悩ましいトピックになってくるんだろうなっていうのは周りを見て思うんですけど、
今はもう力関係が大人が強すぎて正直、無償の愛を何のハードルもなく降り注ぐことができるフェーズなのでそんなに悩んでいない。
やっぱりね、夫婦関係なんですよ。大変なのは。
そうですね。
そうなんですよ。
真香さんもね、傷ついた時に読んだということで。
私のような自己中心的で自己愛が著しく激しいタイプがですね、人生の伴侶を決めて一緒に歩んでいくという決断は、この上なく人間とそして人間と人間の関係性みたいなものに向き合わせてくれるよなと思うここ数年なわけですよ。
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自分語り止まりませんけど。自分語りする番組なんで今更何って感じですけど。
もう嫌だみたいな時あるわけじゃないですか。
もう私は好き勝手に生きたいし、もう縛られたくないし、もういいですみたいな時にもう100年の愛も冷めましたみたいな時とかがあるんだけれども、さっき言ったように冷めないんだっていう意思なんだと思って。
そこから奈落の底まで落ちた時に自分がやっぱり目の前の人を愛するかどうかというのを能動的に選ぶんだっていうのがね衝撃だったわけですよ私は。
ただそうもいかない時ももちろんあるじゃないですか人間。マジやばい奴になった時もあるじゃないですか相手が。
どんなに相手が自分を傷つけてきてとか不条理なことを言ってきて、それでも愛とは選択であるみたいなことを言われたら、死ぬしかないじゃんみたいな気持ちになるじゃないですか。
この不条理はお前次第なんだみたいな。そこは酷くないと思っても読み進めると人間とは矛盾する生き物であるみたいな。
要は愛は活動であるし自分で選ぶものであるしあなた次第なんだみたいなことを言う反面人間そうもいかないよね。
そもそも人間って存在が矛盾しているよねみたいなことも書いてあってちょっと救われるなみたいな気にもなる。
愛は活動であるのこの1個だけでも結構近年稀に見る衝撃だったんですよ私は。
ということがまず言いたかった。
でもかやこさんは割と活動してるタイプに見えますけどね。
そうではあると思う。言語化されてなかったっていうか、向き合おう向き合おうとしては心が折れるみたいなこの動画を繰り返してていたんだけれども、
でもやっぱり自分で愛するっていうことをやっていかないといけないんだっていう覚悟が決まったというか、そういうものだということを改めて認識したみたいなのがすごい大事でしたね。
なるほどね。私あれなんですよね。一番刺さったのは愛することは技術であるっていうところなんですよね。
そこも。
その習得には鍛錬が必要で、よく愛するためにはよく生きなければいけないっていうことを書いてあって、
今私は大変な失敗をしたけれども、技術が足りなくて、その技術が足りなかった背景には鍛錬が足りなかったんだっていうことを思い知ったわけですよ。
だからまだ私には一日一日ちょっとずつ鍛錬を積んでいけば、また誰かを愛するという選択ができる日が来るのではないかと思えた本だったっていう。
それは救いですね。
そうですね。ただ今思うと、結局私は愛するという行為から逃げがちというか、向き合うということから逃げがちで、
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それによって経験値がたまらなくて、鍛錬ができなくて、愛するっていうことにたどり着けないんだなって、今この数年前に読んだ、
自分の感想を読み返して、再び内省してズーンってしてるんですけど。
ちゃんと感想残してるの偉いな。
そうね。技術なんだっていうのはポジティブにもネガティブにも働くし、人を愛するっていうのは人がいて初めて成り立つものだから、勝手に詰めないですもんね、鍛錬を。
そうですね。あらゆる周りの人との関係性とか、そういうことの中にも鍛錬の場は詰まってると思うんですけど、とはいえ徹底的に向き合うみたいなことをした結果、最終的にその道しか選べなかったけど、
それも一つの鍛錬だったと思うしかないけど、今ちょっと。
まあね。
なんの答えも出ないですね、今。
でも私がかなさんの状況を見てて思うのは、かなさんの方が親子愛、家族愛っていう面に関しては鍛錬の場に置かれ続けてると思いますよね、貯金の環境で言うと。
いやどうなんだろう。
いやだって正直厳しいもんな、人様のご家族に対してあれですけど、お母様とかご親族の方とかの話聞いてた時に、やっぱそこに愛をもって接するっていうのがかなり厳しいけど、逃げられないじゃないですか。
逃げてもいいんだけど、全然逃げてもいいと思うんだけど、ある種逃げられないし、逃げるっていう決断は今までしてないわけだから、
そうなったらやっぱそこで積んでるよなって思うんですけどね、人を愛するっていうことの鍛錬。
どうだろう。
筋肉積んでると思うけど。
逃げてますけどね、連絡返さないとかは全然やってるから。
逃げたほうがいい時だってあるからね、いっぱい。
これをやっぱり読んだことによる意味はすごいあったなって思いましたよね。
私に教えてくれた人が、前の会社にいた時に、新卒で人事になった青年だったんですけど、
私に対して、別にいろいろな事件が起きる前にね、自分の愛読書は愛せるということですみたいな、
こういうふうに自分は生きたいと思ってるので、本が好きだったらぜひ読んでくださいって言われたんですよ。
それで積ん読したんですよね。
なるほど、まず積んどいたと。
そしたら読むべき時が訪れたっていうのが数年前の出来事で。
積ん読もんだなという思想をさらに強固にするという。
ちなみに私今、自分が近土でハイライトした箇所を見てるんですけど、
かなさんが言った技術のところをハイライトしてましたわ。
生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることであるというふうに書いてるんですけど、
あともう一つね、何個もハイライトはしてるんですが、
そうだよなって一番最初に思ったのは、大抵の人は愛の問題を愛するという問題、
つまり愛する能力の問題としてではなく、愛される問題として捉えている。
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つまり人々によって重要なのはどうすれば愛されるか。
どうすれば愛される人間になれるのかということだって書いてあって、
確かに言ったらモテメイクとかね、そういうことじゃないですか。
どうやったら自分は市場で選んでもらえるかとか、人に愛されるのかっていうのに焦点を置きがち。
だけど重要なのは、あなたが愛される人間になるとか、誰かに愛されるとかじゃなくて、
自ら愛するということの方なんだよ、みたいに言われてガガーリンって感じでしたね。
ダダーン、なんかマジ、マジそうじゃん、みたいな感じだったんですよ。
あとね、ハイライトしてるのはね、成功、名誉、富、権力、これらの目標を達成する術を学ぶために、
ほとんど全てのエネルギーが費やされてしまうために、愛の技術を学ぶエネルギーが残っていない、と書かれていて、
そうだ、人生って何が大事なんですかね、皆さん、みたいな気持ちになる。
っていう、考えさせてくる本なんですよ、愛するということは。
そうですね、私がパッと見てハイライトしてるところは、自分自身を信じているものだけが他人に対して誠実になれる。
なぜなら、自分に信念を持っているものだけが、自分は将来も現在と同じだろう。
したがって、自分が予想している通りに感じ、行動するだろう、という確信を持てるからだ。
自分自身に対する信念は、他人に対して約束ができるための必須条件である。ってあったんですね。
バチバチにいい文章。
で、私は結局これが常にできてない、本当に。って思い知った。
それか。
上手くいかないだろうって、最初から思ったりとか、自分が愛されるとは思ってないんですよね、最初から。
っていうところが、やっぱりすごいあって、私はどっちかというと、愛することは行為だとは思ってたんですよ。
だから、頑張り続けなければ失うと思ってる、常に。
なるほど。
だけど、その頑張り続けるベクトルとか、自分自身に対して信頼感を持つとか、
その頑張り続けるためのベースの部分ができてないんだなって思った記憶があります。
確かに。
私と母さんは、マジで対局からこの本を読んでいる。
そうですね。
私は愛するということが活動であるということに、目から鱗がボロボロボロと落ちてるけど、母さんはそれは知ってるんだけど、そうじゃなくて、みたいな話になってて。
で、ありますよね、今おっしゃった内容が本の中にも。
まずは自己愛というか、自分自身を愛して本当に愛し尽くせていて、だからこそ他人を自分自身と同じように愛せて、
自分自身を本当に過不足なく愛せてる人は、もう世界中の人に残らず愛せるんだ、みたいな。
どういう世界線?みたいな話に発展していくんですよね。
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そこは私は割とできてるんですよ。
確かに。
自分自身めちゃくちゃ愛してるから。
そこは過不足なく愛せてるので、じゃあ相手に対して、周りに対してどうしていくかっていう本のことで思い悩むわけなんだけど、だから母さんは逆ってことですね。
確かに。これめっちゃ面白いですね。
全く逆の考え方の人が、それぞれにこの本を読んで、別の気づきを得ながら大事な本になるっていうことがね。
すごいっすよね。だからやっぱ愛するということっていうその行為、根源について語っているから、それぞれが自分はこれが足りない、これができてるけど、ここが大事なんだなっていうのがちゃんと響くっていう。
偏ってないし、何かに忖度もしていなくて、本当にその行為そのものについて語ってるから、あーってなるし、結構この最近聖書を勉強してるじゃないですか、ここ1年ぐらい。
そこに常に出てくるのが愛なんですよ、テーマが。
これはすごく神様への愛みたいな章が出てきた時も、そうだなそうだなって思いながら読んでたんですけど、
聖書を読む中で、自分にとって愛って何なんだろうみたいなことを考えることが増えたからこそ、愛するということっていうものを突きつけられて、あーってなる気持ち。言語がむずいけど。
よくありますよ。私は未だ絶望中ですけど、でもこういうことにたどり着けたらいいなとはまだ思ってるけど。
そこはやっぱり技術と言ってくれてないですね。まず才能ではないし、誰しもできることではあるし、そのために何から始めようかみたいなことって書いてあるわけじゃないですか。
大事なのはこういうことだということも書いてあるから、ただこう1回読んで分かった気になるのが怖い本だなって思いました。
そうですね。
すごい難しい。目から鱗が落ちたとか言ってるけど、やっぱり1回読んでなんとなくなるほどね、愛って活動だもんねみたいな、
軽い漢字では落とし込めない、何度も何度も読み返して、3回4回目に噛んだ時に初めて感じる味みたいなのが絶対に人生であるはずの本だなと思ったので。
だからね、読み進めるのめっちゃ時間かかるんですよ。
いいじゃないですか。さっき読み終わってないって言ったじゃないですか。
うん。
寸読こそが完全な読書術であるっていう本があるんですけど。
なんという換算向きの本が存在してるんですね、この世には。
そこで私はね、寸読を肯定してもらったわけなんですが、ぴったり同じフレーズじゃないんですけど、果たして本を読み終わることなんて、そもそも可能なのだろうかみたいな。
全部の文章を目で追ったからといって、別にその内容を読んだと言えるかって言われると、そうとも言えないのではないかみたいなことが書いてあったんですよ。
わかる。何を言いたいかがすごいわかる。
なるほどと思って。だから本はいつまで経ってもそもそも読み終わるものじゃないんだから、10ページ読んで止めてることも、全ページ目を通して忘れていくことも、全部受け止めていこうみたいな気持ちになったんですよね。
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いい本じゃないですか、寸読推奨版。
いい本ですよ。
要は言い過ぎかもしれないですけど、一人の人間みたいなもんじゃないですか。
もうその人の存在をずっと知っていて、なんとなく意識しているみたいなところから、お話を聞いてその人のことを知った気になることもあるし、何回も何回も話して、まだわからないと思う人もいるし、みたいな感じの関わり方を本としていくってことですよね。
そうそうそうそう。わかった気になること自体が危ういってことだから、今そこのところまで考えながら読んだことに意味があるのであって、読み終えた事実はそれほど重要ではないっていうことなんですよ。
励ましてくれる。
今回読書の誤りをするってことはしてたんで、この話をしたいから、超特急で読み終わろうと思えばできないこともなかったわけですよ。
でもやっぱ、今神との愛の章を読んでるんですけど、父の愛と母の愛の違いが、そこに宗教として神をどのように愛するかということに影響していますと。
時代の流れとともに宗教の神への愛も変わってきますとかいうところをね、バーって読むと絶対わかんないですよ。どういうこと?みたいな。
そもそもまた戻って前の章に、母の愛と父の愛をどのように定義していて、私はそれをしっかり納得したんやったっけ?で、また前に戻って読み直して、同じところを読んで、
そうか、母の愛とは無償の愛で、もう100%もらえる愛なんですね。定義によるとね、もちろんケースバイケースと思いますけど、それは母的な愛ですよ。必ずしもみんなが母から得られる愛ではなくて。
だから子供サイドからするとアンコントローラブルなんですよ。母からの愛って無償なんだけど、その愛の形はこっちからどうしようもなくて、もっと愛が欲しいと思っても、それはお母さん次第なんで、どうしようもないんですよ。
逆に父からの愛、この本の定義によると、父的な立場からの父的な愛っていうものは条件があるんですよ。
俺の家徳を継ぐに、それの家徳を継ぐに値する子供なのであれば愛するよ、みたいな感じですよ。
お前が、俺が愛するに値する子供なのか、お前は優秀なのか?俺の言うことを聞いているのか?
それならば愛そうって条件付きの愛で、ものすごくそれは冷淡に思えるんですけど、逆に努力の幅があるんですよ。頑張れば得られる愛なんですよ。
母の愛と違って、無償じゃないんだけど、努力の仕様があるっていう、そこが違うっていうのがこの本の中における父権的、母権的愛なんですけど、
それがどう宗教に関わってくるのかみたいな話を、理解するのにさっと読みできないわけ。
そう、私はその辺をさっと読んじゃったと思う。自分が特に刺さる部分を中心にガップしながら読んでたと思うから、神の愛のところは一旦読み飛ばしたかも。
そうだと思う。私だって聖書今読んでるから、より気になるっていうか、私の中でのキリスト教のプロテスタントの読み方で聖書を読むと、
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神様ってかなり男性なのに、母親的な愛を与えてくるんだなって印象があったのに、晩年キリスト教におけるイエスキリストっていうのは父権的な愛になっていくんだって書いてあって、
あ、そうなんだ、条件がある。それはカトリックとプロテスタントの違いなのかなとか、いろいろ考えちゃって。
説明してくるおばあちゃんもね、プロのそんな神学者とかじゃないから、あれなんだけど、いつも例えにね、母性愛を使ってくるんですよ。
あなたも子供がいて、子供を愛するのにコンディションはないと。条件ないでしょと。子供が嘘ついたとか、わけわからんこと言ってくるからって、愛はそこで途絶えないから、
そういう無性の愛が神から私たちへの愛なんだって、いつも説明してくるのに、本にはそう書いてないから、なぜ?みたいな気持ちなわけ。
で、すごいじっくり読んじゃって、進まなくて、だからあの読料率53%みたいな、止まってます。
本で眠い時に読むと眠くなるのよ、興味あんだけど、難しいから、ついついなんかKindleが顔に落ちてきて寝ようと思って。
いやもうね、眠くなるのも読書の紅葉ですから、全然受け止めていきましょう。
いいと思う。いいと思ってます。ブルーライトじゃないしね、Kindleで読めば。
かなさんのおかげで、それを、え、それ進められたの読書の誤りだったっけ?Kindle進められたの。
そうだ、そうじゃないかな。
そうかも。え、そうかも。それでKindle買ったんですよ、私ね。
そっからKindleライフ充実してます?
そう、充実してる。やっぱブルーライトになんないから、いいなと思って。
かといってね、私やっぱこう、いろんなエピソードではしばし言ってますけど、本を読めるまでにやっぱ3,5年かかってますから、
なかなか2年前に買ったKindleも、ちょっと誇り被りがちみたいな感じだったんですよね。
ただ、全然充電切れないから、たまーに思い出しちゃっても読めるわけなんですよ。
で、最近聞いたね、ポッドキャスト、ヤイヤイラジオさんだったかな、何かで紹介されてて聞いたんですけど、
そこで、なんか全然本を読まなかったそのパーソナリティの方が、去年年間50冊読んだと。
年間50冊って言うと、1週間に1冊レベルですよ、大体ね。
どういう風にやったら読めるようになったかって言ったら、SNS巡回の中にKindleのアプリを入れたと。
Twitter見ます、Instagram見ます、Kindle開きますっていう。
SNSに費やす時間の中にKindleを入れることにして、1分でいいから読むみたいな。
集中して読まなきゃいけないんだみたいな思い込みがあったけど、
それでやっていくと、1分読むと面白くて3分読んで、5分読んでとか、
本って読めば読むほどハマったりするから、それで読めるようになりましたって言ってて、
なるほど!と思って、読むようになって、私もちょっと最近ちょくちょく。
夜に読んでる時に、これはせっかくKindleあるんやから、ブルーライト浴びない方で読んだ方がいいのでは?と思って、
Kindleライフが充実してます。
いいですね。しかもね、暗くても読めますからね。
そうそうそう。暗くても読めるし。
なのに、ブルーライトも出ない。
そうなの、そうなの。
文字も大きくできるし、最近私が使ってるのは、Kindleを、今Kindle端末の話じゃなくて、Kindleアプリの話になっちゃうんですけど、
27:06
KindleをiPhoneで開いた場合、付箋みたいなの作れるんですよ。引用した場所を。
付箋?
ハイライトとは違うの?
ハイライトした部分があるじゃないですか。そこをシェアするみたいな。
かあさんがよくやってるやつでしょ?文字の画像に作るやつでしょ?
そう。画像を生成してくれて、それをスッとシェアできる状態に保存できるんですよ。
だからインスタとかでも使えるし、私みたいにXで、いくつか印象に残ったフレーズを添付するみたいなこともできて。
いいと思ってたんですよ。いいと思ったフレーズをXの本文に入れると長すぎて、感想と一緒にこの文が良かったってやりたいのに、
引用する分が長すぎて感想が書けないみたいなことになるから、めちゃめちゃいいと思ってて、できるんだあれ。
しかもそれを全部書き写したりするのも大変じゃないですか。
だからKindle端末で読んで、それをiPhoneとかで読むときにその機能が使えるんで、それで画像を生成すれば、シェアするときはそれがすごい楽みたいな。
なるほど。
シームレスなんですよ。
すごいな、やっぱKindleもこのソーシャルメディア全盛期に対応してるんですね。
そう。
だってそんなのをシェアするっていう文化に特化しかしてないじゃないですか。
シェアしたいでしょ?画像でシェアしたいでしょ?みたいなことでしょ?
どうなんですかね。でもその自分で撮った絵でもいいですけどね、付箋としてね。
確かに。さっき私がハイライト一覧読み上げたみたいな感じで、そこに飛んでいけて、
ってことはやっぱり画像にできるっていうのは、自分の中で大事な言葉をずっと手元に書いておいておくみたいなことと、
そうですね。
みんなにシェアするっていう。
その二つでしょうかね、機能はね。
進化してんな。
Kindleはいいですよっていうのもね、ちょっと言いたいですね。また再び。
Kindle価値ありますよ。しかも軽いし。一回ダウンロードしてやっぱ電波いらないから、
もう飛行機とか旅行とかいっぱい持っててますよ、私はKindleを。
で、光んないから、暗くなった飛行機でも全然そんなに迷惑かけずに読めるからね。
重量制限引っかからないですから。
うん。軽すぎてね。マジ何グラムなん?みたいな。
意義なんで。それはそう。
もう一冊は?
そうそうもう一冊ね。もう一冊もね、また同じ。
さっきの最近入った会社の私が大好きな創業者の方が他の人に勧めていたやつの中の一冊でして。
よく勧めてるな。
タイトルが反応しない練習。
はいはいはいはいはい。
草薙りゅうしゅんさん。大好評ロングセラー25万部突破って書いてるんで、結構話題になった本なんですかね。
めちゃくちゃ売れましたよこれ。
あらゆる悩みが消えていく。ブッダの超合理的な考え方っていう。
たぶん勧められてなかったら絶対読まなかったタイトルですね。私的には怪しいみたいな。
めっちゃいいですよねこれもね。
岡田さん読んでましたか?さすが。
30:01
私ねこれオーディブルで聞きました。
オーディブルか。
心を整えたくて、気持ちが荒れてた時期に、これを読んだら心が穏やかになるし、なんならオーディブルだったら何回も何回も聞いて、心を整えて眠りに落ちるみたいなことできるからオススメですって言われて読んだ。
いいですね。周りにいっぱいなんか勧めてくれる人がいて。
いやこれはね、さっきのしかも愛するということと並行して読んでるじゃないですか。
結構どっちも心の在り方というか、自分自身の感情との向き合い方。愛は感情ではないっていう話だったのはあれなんですけど。
そういうことを説いていて、なんか並行読みするのにめちゃめちゃ向いてたんですよ。個人的にね。
これもまた読んでいる途中ですので、この反応しない練習という人を私はまだ知っている途中ではあるんですけど。
なんかもう全ては心の反応なんです。みたいなことを言い出すわけですよね。
全ての感情は反応しない練習っていうタイトルですから。
何かにイラッとするとか、悲しくなるとか、打ちひしがられるとか、私なんてとか思ったりとか、全部心の反応ですって言われて。
知ってるけど?みたいな気持ちになるわけですよ。そんなことは知ってますけど?みたいな。
知ってると思うんだけど、人間ってそういう生き物で何かの事象に対して反応してしまうっていう、その事実をまず事実として認識しましょうと。
つまり、なんで私はこういうこと言われて悲しくなってしまうんだとか、ああ悲しい、もうやだやだみたいなのは、もう生理現象みたいなもんだから、
そこに対して何か思っても仕方ないので、あ、心が反応しているなとちょっと俯瞰して思って、
で、じゃあ、そこには必ず原因があるはずなので、その心の反応の原因は何かと。原因が分かれば解決ができます。
みたいな、マジで超合理的な考え方なんですよね。
あ、そう、感情もそのように扱って合理的に処理していくのでありますな、みたいなところから始まって、めっちゃいいわけですよ。
この本は、一応仏陀のみたいなこと書いてあるけど、そこまで仏教寄りの本ではなくて、むしろそこから使えるエッセンスだけ取り出したみたいな印象の本だったのと、
あと、今かやこさんも言ってましたけど、結局自己啓発法にありがちなのって、そんなことは分かっとるわみたいなことが書いてあって、あるある終わるみたいな。
なんか読んだ後に、本当にいいこと言ってもらった、みたいな気持ちになるんだけど、なんだったんだろう、すぐ忘れちゃうみたいな。
この本の場合は、わりと実践的なことが、しかも押し付けがましくなく書いてあるというのが、とても良いところだなと思いました。
まさしくそのとおりで、綺麗にまとめていただきありがとうございます。私ただ、いいと思ったんですよってパッションだけで話し始めるから、話があちこち行くんですけど、
33:05
例えば好きだったことは、判断するっていうのをやめましょう、みたいなことを言ってきて、判断っていうのは、良い悪い、好き嫌い、みたいなことなんですよね。
振り返ると、もう一日が判断で終わってるわけですよ。こんなこと言われた、あいつは嫌なやつだ、これも判断ですよね。
この本が言ってるのは、自分自身に対しても判断してる。こんなこともできないなんて、私はダメなやつだ。そこに判断が入ると。
なんで人が判断してしまうかというと、判断というのは、気持ちいいからですって書いてあるんですよ。そうなん?みたいな。
判断するっていうことが、なぜ気持ちいいかっていうと、分かった気になるかららしいんですよね。
あいつは嫌なやつだっていうことを判断することによって、自分はよしよしが分かっている。
世の中にとって何が善か悪か分かっている。自分に対して自分は劣っていると判断するのも、ある意味俯瞰で見て自分を判断してるわけですよね。
自分はダメだと。何かの基準に照らし合わせて判断していて、自分は世の中のことを分かっている。みたいなふうに思ってる。
っていう自分がもう一人いるわけですよね。落ち込んでる自分ともう一人。それは快感なんだと。あなたは分かっていないけどと。
快感に酔いしれてるんだと判断は。ゴゴーンみたいなのまた。
だったか、ガーリンね。
ガーリンが。ガーリンがなんですよ。そうなんですよ。これもうやりがち。さっきの愛するということじゃないけど、要は夫となんか喧嘩しますとかね。
なった時に、こんなこと言うなんてあいつおかしいだろ間違ってるだろっていうのって、私って、私という体と私っていう脳みそから出てこれない限り全部主観なわけですよ。
なのにあたかも俯瞰的に神のような立場に立って、私は正しく、あいつは間違っているっていうことを判断して気持ちよくなってるんですよね。
それはもちろん自分の心を守る防御反応でもあるんですけど。
なんかそこで止まってしまうと、自分の心が結局は苦しくなるんですよ。間違ってる。間違ってるのになんでこんなこと言ってくるんだって。心の反応に振り回される。
みたいなサイクルをやってるって思うと、まず判断することをやめてみませんか。やめたらどうなるんでしょうか。
本当判断がツボネの始まりですから皆さん。
すべてのことはツボネに起源する当番組。
いちいちうるさいなって。
判断はツボネの始まり。
これ本当でもそうなの本当に。
本当それはそうだわ。自分の判断を過信するというか、自分の判断ことが正しいというふうに思い込みを強固にするということは間違いなくツボネの始まりですね。
人はほっといたら固くなっていくんで、自分の正義感とかを持ちすぎて、正しいと思ってがんじがらめみたいなのがお互いにとって一番つらいんで、そこは今しめていかねばならないですよね。
36:02
本当にそう。
この本は判断とかもとはいえジャッジしちゃうよねっていう。
思わずしちゃうっていうことに対して、そこから一歩引く方法みたいなことまで書いてあるのがいいところなんですよ。
判断しちゃダメだぞ!みたいなことを言って、とはいえ判断はしてしまいますよね、わかりますみたいな。
じゃあどうしましょうかみたいな。
だから判断してしまうことはしょうがないから、判断をしなやりしなきゃ。しなやりしなきゃちょっと行きづらい。
だから単純に判断をして、あいつの言うことは間違ってると思った後に、これも判断だなというふうに客観的に見て心を落ち着けることができて、だから反応しない練習なんですよね。
反応は起きるから。判断だってそう。どうやったらそこと向き合えるかみたいなのがめちゃめちゃいいですよね。
あと判断の延長線上なのかわかんないけど、要は真実と妄想を分けましょうみたいなことが書いてあるんですよ。
すごい正確かわかんないんですけど、例として出されてたのが、すごい教育ママなお母さんがいらっしゃって、娘さんを南韓大学に入れたいと。
スパルタしすぎて娘さんが病んでしまうみたいな例の時に、お母さんはなぜそこまで娘さんにスパルタ教育をしてしまうのかっていうと、
ご自身が行きたかった大学に行けなかったっていうトラウマがあって、そこに縛られていると。
じゃあ、このことはね、確かにお母さんは行きたかった大学に行けなかった。それは事実ですよね、真実。行けなかった。
だけど、そこでまたご自身で判断してるわけですよ。行けなかった自分は価値がないとか、行けなかった自分は周りに対して劣っているとか。
でも、価値がないとか、周りに対して劣っているっていう部分、その判断の部分は真実ではないんですよ。
もしかしたら、その大学に落ちた瞬間に一緒に受けてる人たちと比べて、その試験に対する達成具合では見てなかったかもしれないけど、それがイコールお母さんが価値がないとか、劣っているっていうことにはならないし、
ましてや、それがもう何十年も前の過去だった場合、それは全く現地点の自分から見た真実じゃないじゃないですか。
当時大学に行けなかったお母さんが、今現在価値がないのかって、そんなことは全然ないですよね。
だからそれは妄想なんですよって書いてあるんですよ。過去のトラウマっていうのは。
いつまでも過去に起こったことに執着して、自分はこうなんだっていうふうに囚われ続けるというのは妄想なので、妄想はしなくていいです。みたいに書いてあるわけですよ。
そこが私一番刺さりましたね。妄想癖あるんで。
やっぱり何かあったときに、すごいネガティブなことを爆速で考える癖があるので、読んだから改善できるわけじゃないんですけど、
書いてあったことを、私が感想で書いてあるのは、目を閉じてまた開いて、何が現実で何が妄想で、自分の心の基準は何なのか、常に振り返って反応しない練習をしましょうみたいなことを言っていて、
39:09
結局、妄想は止めなくていいから、あ、妄想してるなっていうことを客観的に捉えられる自分を持てるようになりましょうっていう話なんで、それならいけるかなって、割と思ってますね。
本当にそう、結構極端じゃないけど、本の中では、今目を閉じてください、右手を上に上げてください、グーッと足下さいとか言われて、なんじゃこりゃって思うんですけど、それが現実ですみたいな。今起こっている真実っていうのは、手を感じますよね、動きを感じますよね、みたいな。
それのみが真実であって、他のことは妄想なんですよ。えー、確かに、みたいな。嫌なこととか言われて、あいつは私のことが嫌いなんだろうとか、私のことを指定したいんだみたいな、もう全部妄想。妄想っていう言葉のチョイスいいですよね。
なんていうか、やっちゃってる感あるじゃないですか。やらかしちゃってる感というか、やらなくていいことなんだみたいな、妄言とかのね、妄だから。それがインパクトを与えるというか、それ自身ついついやっちゃうけど、全然やらなくていいんだっていう思いにさせてくれるっていうのがいいなって思いました。
そう、まあ妄想はいいんですよ。私は妄想が生きる糧ぐらいに思ってるんで、なんかやっぱり一つのことからいろんなことが思い浮かぶことって、すごくポジティブな面もいっぱいあると思うんですよ。
まあね、着想も似てるようなものがありますからね。
やっぱそれをしっかりと認識できることができたら、それでいいのではっていうことかなとは思ってますね。
たしかにね、そこを区別するっていうことね。
あとはもう人間とはこういうもんだから仕方ないよねみたいなのが結構書いてありますね。求め続ける心みたいな。
人間の、マズローの五段階欲求みたいなのよく使われるけど、この本ではなんか人間とは、仏教ではなんか七つの欲求っていうものがあって、七つの欲がありますみたいな。
じゃあそれを結局はもう足りない足りないって求め続けるもんなんだと。
どんだけお金が欲しいと思ってお金持ちになっても、それからお金が満たされてもまた別のものが欲しくなるとか。
どれだけ人間関係満たされたいと思って人間関係満たされても他のものが欲しくなるのが人間であって、そうやって求め続ける心に翻弄されてる場合じゃないんだよみたいなのが書いてあって、それはそうだなみたいなのと、
あとなんかどこに書いてあったか今見つけ出せないんですけど、なんかこう相手に対してイラッとする時に原因が三つありますみたいなのが書いてあったんですよ。
なんだったかな。でその三つあるところがちょっと思い出せないんで本当すいませんなんですけど、ただその中で私にガーンってきたのは、やっぱり求めすぎると。
42:01
他人に求めすぎていませんかって書いてて、それこそが、もうさっきから何回も出てきますけど、弟喧嘩した時に相手が悪いとか思ってるけど、あれもしかして私単純に求めすぎてるのかもってはって思ったんですよ。
なんか読んでて、あ、なんかもっとこうしてくれたらいいのにとか、なんか自分だけこうしてみたいなのって、すごい自分都合で自分からの視点で思ってるけど、自分が全然見えてない側面があって、なんかそこを無視して相手に対して勝手に求めているからこそ、このイライラした気持ちっていうのが出ちゃうんじゃないのかな。
だからまあ、すごいしょうもない話ですけど、まあ夫が会社から帰ってきて、疲れてソファーでぐだーっとしてて、さっき私は後期妊婦であり、ずっと疲れていると。できるなら一日中寝ていたいし、特に夫が帰ってきたぐらいの夕方夜にかけてがもうなんか疲労がピークに出して何もしたくないけど、娘はね、3時半とかに帰ってくるから遊びの相手とかしてて、夫が帰ってきたらようやく交代できるみたいな気持ちだけど、
弟で疲れてて、なんか何もできないみたいな。でもその状況を私にシェアすることなく、俺ちょっとごめん今日はこれやからちょっとごめんけど寝かしてとかいうこともなく黙って寝ていると。
女性イライラするわけですよ。なんなん?風邪なん?病気なん?だるいだけなん?なんなん?みたいな感じなんですよ、こっちは。せめてシェアせんかみたいな大人やろみたいな。どうして欲しいか言わずに察して、お前が全部やってくれみたいな態度はなんなんだと。
切れていたけれども、これ判断がまた入ってますよね。これはでも求めすぎなんじゃないか、もしかしてと。相手にも自分と同じようにあれとか、大人とはこういうものだろうみたいなことを押しつけているのではないかと、はっと思えたときに、確かにそうかもな、みたいな気持ちでいられたというか。
捉えられたんで、日々勉強になりますみたいな本です。反応しない練習は。
あーいっぱい喋った。すいませんでした。で謝ってるんですか。今経過した時間を冷静に眺めて、あれ?私が最近ハマってる本だけでこんなに長尺取っていいんだろうかみたいな。
大丈夫です。出版業界に貢献してるんで。出版業界のかなさんが最近読んだ本の話も聞かないと。
あのね、私最近読んだ本、どうしようかなと思ったんですけど。どうしようかな。
純粋に面白かった本をとりあえず一冊だけ紹介して、あとはみんなのおすすめに入っていくのがいいかなと思ってるんですけど。
かなさん、ファンの皆さん本当にすいませんでした。
一番最近グッと来たのは、私が大好きな辻村みずきさんっていう創設の方の、やみはらっていう本なんですよ。漢字で、やみはわかると思うんですけど、お払いの払うね。
45:00
なんかマガマガしいタイトルですね。
闇を払うと書いて、やみはらなんですよ。これは辻村さんが初めて書いたホラー小説なんですね。
なんですけど、これは面白さはどこにあるかというと、ホラーじゃない部分にあって。
そうなの?ホラー小説だけど。
私がホラーゲームとか作ってて、表現したかったものもこういうところにあるなって思ったんですけど、
闇払って今、闇を払うって言ったんですけど、ベースとして2つの言葉がかけられてて、
1つは闇を払うって意味なんですけど、もう1個は闇ハラスメントのことなんですよ。
ハラがね、今ちまたで話題のというか、ずっとね、何々ハラスメントって話題ですけど。
それの定義が、最後に書いてある闇ハラスメント。
精神・心が闇の状態にあることから生ずる自分の事情や思いなどを一方的に相手に押し付け、不快にさせる言動・行為。
本人が意図するしないに関わらず、相手が不快に思い、自身の尊厳を傷つけられたり、脅威を感じた場合はこれにあたる。
闇ハラスメント・闇ハラ、みたいなの書いてあるんですけど。
おー。あるな、闇ハラ。されたことあるわ、それで言うと。
つまり、散々今かやこさんが紹介してきた本で話してきた大切なことの逆ですね。完全に。
謝り続ける女たち、次回に続きます。
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それではまた次回お会いしましょう。
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