本つまみぐいラジオ。この番組は、本を読まなくても、本のおいしいところだけを一口サイズで耳からつまみぐいできちゃうラジオです。
今回のテーマは、AI時代に読むべき宗教本となっておりまして、私の一冊をご紹介させていただきます。
秋書房から出されている命の秘技、レイチェルカーソン、センスオブワンダーの教えというタイトルで、
評論家、そして随筆家でいらっしゃる若松英介さんという方が書かれた本なんですけど、
最近異形の念を感じた瞬間ってありますか?
異形の念ね。いいですね。
ちょうど先日、滋賀県の甲賀市に行って、
アブラヒ神社ってすごい歴史的な、重要文化財になってるような神社に行って、
神社を参拝してみたんですけど、やっぱすげーなーっていう、異形のね。
とんでもないものを作ったなって、ある種神様も感じるし、歴史的な。
皆さんの残してきたものとかあふれてすげーなーっていう異形の念をまさに感じたばっかりですね。
まさに。そういう瞬間があると一瞬でもあります。
風が強い日あったじゃないですか。うちの小民家が。
小民家がガタガタ揺れてる日。
あの日かな、出た時にやっぱ近くの森の木がブワー揺れてて、
強風で台風ぐらいあったんだけど、
でも家の前の庭はあんま吹いてなかったんですよね。
それを見た時に、やっぱり昔の人ってこういう風に風があんまり来ないエリアを選んで水が出て、
だからすごい、僕からしたら20年住んでる家だけど、
何百年とこういう土地なのかなーとかって思って、木が守ってくれてるじゃないけど、
身近なところで僕は感じましたね。
確かに。私もその日、しゅーちゃんに写真とか動画見せてもらった時に、
僕の凄さ、凄み感じたと思うんだけど、
なんかチャットGPTも聞いてみたんですよ、実は。
異形の念を感じさせて、私に。
そういう。
喋っちゃいました。
異形の念を感じさせてって通ったんですけど、
いいですよって来て、
夜明け前、世界はまだ眠っていて空気がひんやりしている。
耳を澄ませば遠くで鳥が一羽だけ鳴く。
その声がやけに澄んで聞こえてる。
空も、東の空が白み始めて薄い青に溶けていく。
言葉はなくてもただ息を呑むしかない。これが異形の念ですって来たんですよ。
なんか違うんだよなって思ってしまって。
先になんかチャットGPTで聞いてる時になんかもう難しそうだね。
そうなんですよ。
実はAIって異形の念みたいな宗教的な感性を代わりに味わってもくれないし与えてもくれないなって思ったんですよね。
レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーっていうのは自然に対する驚きだったりとか感動の感性をちゃんと大切にしていこうねっていうような本なんですけど、
そのレイチェル・カーソンの本を哲学とか宗教とか詩、そのポエムの視点から読み解いた本がこの一冊になってるんですよ。
で、AIって情報はいくらでも出してはくれるんですけど、池早さんの心が震える瞬間って検索しても出てこないし、中変子の心が震える瞬間も検索しても出てこない。
それっぽいのは。
お布団の中じゃないって出てくる。
でも本当にそれ、心震えてますかっていう人は震えてる。
震えてるような気がしてる。本当に心が震える瞬間というのは、お布団から出て自分が前を向いて行動した時に出てくるんじゃないでしょうか。
プロコーチです。
まあね、でもそのAIからは出てこないんじゃないかなっていうところで、これからの時代、AI時代の宗教は、私たち一人一人の心の奥のそのワンダーの電源を入れることなんじゃないかというようなことを語ってくれてるのがこの本なので、ちょっと今日はね、その宗教本としても3つのポイントで解説していきたいと思います。
ある秋の嵐の夜、私は1歳8ヶ月になったばかりの老井の路上を毛布にくるんで、雨の降る暗闇の中を海岸へ降りていきました。
海辺には大きな波の音が轟き渡り、白い波頭が叫び声を上げては崩れ、波しぶきを投げつけてきます。
私たちは真っ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。
その時、不思議なことに私たちは心の底から湧き上がる喜びに満たされて、一緒に笑い声を上げていました。
っていうようなのが、これセンスオブワンダーの冒頭に出てくる印象的な文章なんですけど。
これって、このレイチェル・カンソンと老井の路上たちって、これこれだから楽しいし、喜び感じたんですとか言えるものでもないし、
じゃあこういった感情を3行で論理的に語ってくださいって言われてもできるようなものではないと思うんですよ。
なんか言葉にできないけど、確かに自分生きてるなって思う瞬間ってあるじゃないですか。
自然を見る時とかそうですけど、ありますか?
自然を前にした時に、どういった時に自分生きてるなって、言葉にできないけど生きてるなって思う瞬間?
でもなんかそのシチュエーションに近いんだけど、ほんとに瀬戸内ってもう波がないじゃん。
もう毎日行っても何もないけど、台風が来た時はほんとサーフィンできるぐらいすっごい荒波で押し寄せて、南側の海に行くんですけど、
だから僕、台風の時に畑の良しとか水路とか海行っちゃダメなのは知ってるんですけど、安全なところから荒れた海を見るのが結構好きで、
普段見てる海と全く違うんですよ。
それがあんま思っちゃいけないって思うんだけど、楽しいって思っちゃうんですよ、子供の頃から。
だから親父も船を持ってたから、台風来たら船の様子見に行こうって言って、一回もう波が、風がひどくて船の怒りが外れて、船がもう取れてたんですよね。
その状況もピンチなんだけど、なんか楽しかったっていうのを記憶として。
こんなに波ってすごいんだ、風ってすごいんだっていう、その驚きと。
で、そこから家に帰ったら、一応ね、山が守ってくれてる位置なので、
あ、ここかしこいた、すげえなみたいな台風が来ても、ちゃんと家が飛ばないとこに家建ててたんだ、さっきのね、冒頭の話じゃないけど。
それはすごい、すごくなんか描写できる、このイメージ湧いてくるね。
ちょっと真似はしちゃいけないけれども、でも穏やかな海をいつも見てるからこそ。
だからこそっていうことですよね。
池原さんが確かに、生きてる、でも言葉にはできないみたいな。
難しいな、難しいですね。
でもやっぱりイメージしやすいのは自然のお話だよね。
僕らのところだと、やっぱあれかな、今時期なんかちょっと近づいてきますけど、朝やっぱ凍ってんすよね。
地面が凍ってて下柱出て、ちょっといい時期になったけど、
下柱が溶けて、地面から蒸気がブワーッと上がってきて、
全体が霧に包まれているっていうか、霧が発生してる。
その中に自分たちがいるっていう状況がある。
あれはなんかすごい感覚になります。
で、日差しも霧の奥から太陽が出て。
幻想的な。
幻想的ですよね、一言で言う幻想的な空気の中で、なんだここはみたいな感じで。
生きてるって感じというか、なんか不思議な感覚になるのはありますね。
これってでもなんかあれですね、東京じゃもしかしたら感じられにくいね、景色。
景色的にたぶんないでしょうからね。
だから、ゆきりぃさんもたまに東京行くと思いますけど、ほんとに空がないよね。
福岡もそうかもしれないけど、ビル群見るとさ、見てもビルがあるから、向こう側がね。
隙間空って感じだね。
そう。
おもしろい。
でも、たぶんおそらくは夕焼けだったりとか、海だったりとか、自然だったり。
私なんかは瀬戸さんの寝息とか聞いてるときにすごく、言葉にできないけど生きてるなって、命があるなっていうのを感じたり。
めちゃくちゃ動物苦手で、うちに来たときも、瀬戸さん苦手で猫苦手で、なんで一緒に暮らさないといけないの?ぐらい思ってたのが、
今はもう自分自ら布団に入れて、瀬戸さんあったかいから、瀬戸さん来てって、ギューってしながら寝てるもんね。
可愛いからね、あれですけど。感じてしまうけど。
でもそうやって今、いろんなのが出てきたけど、なぜかわかんないけどっていう感覚。
なぜかわかんないけどっていう感覚を切り捨てずに、大事にとっておく感性っていうのが大事になってくるんじゃないかなって思ったんですよ。
だからその、わからないままにしておくのって、たぶん今苦手だと思うんですよね。
すぐ調べて答え知りたくなっちゃう。だって調べたらわかるし。
でもそのわからないままにして、ちょっと過ごしてみるっていうのを取り入れてみるのはどうかなって思ったんです。
日常的にどうすればいいのか。
素晴らしいまとめですね。
それを若松英介さんもやっぱり捉えてらっしゃるっていうのが勉強になってるんですけれども。
2つ目のポイント。
命は利用じゃなくて、恐れ敬うものっていうポイントでして、
私たち、もう現代特に何でも使えるか使えないかって判断しがちだと思うんですよ。
コスパ、生産性とか、効率の良さとか、仕事でもSNSでも、自分に対しても。
今はAIそのものに対しても、このAIは使える、このAIは使えないとかにもなっちゃってるし、
とにかくそれが判断基準になりがち。
この本で取り上げられてる別のレイチェルカーソンの本の、沈黙の春っていうのがあって、
まさに利用しすぎた世界の話を描かれてる本なんですよ。
農薬めっちゃ便利だから、もう使えるから巻きまくろうみたいになって。
一見人間にとってはメリットばっかりに見えたものなんだけど、でも気づけば、あれ鳥が鳴いてない。
気づいたら、あれ春が来ても花が咲いてないとかいうような感じになっていくような話なんですけど、
若松さんも人間と自然っていうのは共に、本当は命なのに、人間はそのつながりを利用するためにだけに使ってきたっていうふうに振り返ってらっしゃって。
ここでね、宗教っていうのに立ち返るんですけど、宗教って聞くとだいたい教祖様がおすすめしてた食べ物を食べようとか。
ちょっとごめんな、私が宗教にハマったことがないのでわかんないんですけど。
教祖様がこの音楽いいって言ってたから聴こうみたいな。
例えば宗教があんまり、教祖様がこのポーズするからこのポーズしようみたいなことも多分イメージとしては大きい。
私の中では大きいんですけど、でも本当の本当の根本にあるのは、自分よりも遥かに大きなものの前でちょっと背筋が伸びるみたいな感覚なんじゃないかなって思うんですよ。
例えばさっき言ったその大きな広大なうねるような海の前に立った時だとか、山の上からもうすごい広がる雲の景色を見たりだとか、誰かと突然お別れをすることになった時とかって、これって人間の都合だけでは測りきれない感覚ってあるじゃないですか。
こればっかりは、天才とかもそうですけど、人間にはどうしようもないものってあって、それこそが命への威敬につながってくるんじゃないかな。
あまりにも私たちは生きていく世界、全部が当たり前に見えちゃってるけど、すべて今目の前に見えてるものを使い倒すっていう感覚ではなくて、すべてのものに対してごめんなさいとかありがとうございますっていう、
そういう、それを伝える相手と見る力、その力を身につけておくのがこれから大事だよねっていうのがポイント2つ目でございます。利用しない、利用するものじゃないってこと。ごめんなさいとかありがとうございますを言う相手として見るってことです。