1. 本つまみぐいラジオ
  2. 【12-2】無我の見方 「私」か..
2025-12-17 27:08

【12-2】無我の見方 「私」から自由になる生き方

▼ あなたの投票を待ってます!(「本つまみぐいラジオ」をよろしくお願いします)

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今回のテーマは「AI時代に読むべき宗教本」


【1話目】イケハヤ:世界神話学入門

【2話目】しゅうへい:無我の見方 「私」から自由になる生き方

【3話目】幸あれこ:⁠⁠⁠いのちの秘義 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の教え

【4話目】3人で楽屋トーク:3冊のつまみぐいからそれぞれが思ったこと、コメントの紹介など


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棚を所有して「本つまみぐいラジオ」を応援


・収録スタジオ「LLACハウス」の本棚を1つ所有できます

・月額3,000円〜(6ヶ月以上の契約をお願いしています)

・申し込みフォームに入力して置きたい本を送るだけ

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※必ず紹介されるわけではありません

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本つまラジオは、オーディオでも動画でも好きなスタイルで視聴可能。

通勤や戸外でのながら聞きには「無料ダウンロード機能」がおすすめ。

オーディオもビデオも、ギガ消費なしで外でゆったり楽しめます。


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「本つまみぐいラジオ」とは?

読書好き3人が集まって、カフェで雑談しているようなゆるいラジオ番組。


収録スタジオ:LLACハウス(愛媛県今治市大島)

https://www.llac-house.me


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【こんな方にオススメ】

・忙しくてなかなか本を読む時間がない

・面白い本をサクッと知りたい

・幅広いテーマの書籍と出会いたい


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【本好き3人の紹介】


・幸あれこ(司会)

こどもの頃から本が大好き。

熱を出して寝込んでいても、枕元に本を持ってきて読んでしまう努力家タイプの読書家。

ただ、読んだ本の内容はすぐ忘れる。

元フリーアナウンサーで、人気ラジオ番組のパーソナリティ経験もあり。

斜め右下からの誰も予想できないコメントを繰り出す。

極度の方向音痴で、「ほくろがある方が東」と覚えてなんとか生きている。


幸あれこのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sachiareco⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

幸あれこのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠心をほぐすラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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・イケダハヤト(イケハヤ)

標高500mの高知の限界集落に生息するイケボ。

無類の本好きで、自身の書籍「まだ東京で消耗してるの?(幻冬舎新書)」、「武器としての書く技術(KADOKAWA)」など10冊以上出版。

ビジネス系インフルエンサーでもあり、YouTube、Xなど含めたフォロワー数は80万人を超える。

2014年に東京から高知に移住すると、ヤフーニュースで炎上。

東京で消耗はしてないが、高知の山奥で花粉症で消耗中。

音楽はマーラー、エスニック料理はビリヤニ好き。


イケハヤのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/IHayato⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

イケハヤのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠イケハヤラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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・しゅうへい(多重債務)

本よりも「本を読んでいる自分が好き」。怠け者の読書家。

インスタライブ中の「オススメ本教えてください」というコメントに、「この本すごくいいですよ」とまだ読んでない本を紹介したことがある。

この番組の収録スタジオでもある「LLACハウス」を2024年10月に瀬戸内の島に建設。

建設費8,000万円のうち6,000万円は銀行借入。

2022年に自身初の書籍となる「お金の不安ゼロ化メソッド(KADOKAWA)」を出版。

日々返済に追われ、「お金の不安しかない」と心境を吐露する。


しゅうへいのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/shupeiman⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

しゅうへいのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠1年後の自分を楽にするラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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番組の感想、つまみぐいして欲しいテーマなどのリクエストも募集中。

番組のハッシュタグは「#本つま」。

放送にいただいたコメントなどは、「楽屋トーク(4本目)」で紹介しています。

あなたのお便りお待ちしています。


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サマリー

ポッドキャストでは、スマナサーラ長老の著書「無我の味方」をもとに、自我やアイデンティティからの解放について探求しています。仏教の教えと脳科学の見解を融合させ、自我の概念がどのように形成され、私たちにどのような影響を与えるかを論じています。このエピソードでは、宗教と自我の関係、特に自我から自由になる無我の考え方に焦点を当てています。自我の存在が人間社会に与える影響や、自我が生き方に与える束縛について考察し、無我の視点から本当の自由を見出すことの重要性が語られています。また、無我の見方を通じて自己を超える生き方や、自分らしさについての考察が行われます。さらに、仏教とスピノザ哲学の共通点が紹介され、自分らしさを育むことの重要性が強調されています。

00:01
本つまみぐいラジオ。この番組は、本を読まなくても、本のおいしいところだけを一口サイズで、耳からつまみぐいできちゃうラジオです。
本つまみぐいラジオ、いつもお楽しみいただいているリスナーのあなた、ぜひまず投票をよろしくお願いします。
ジャパンポッドキャストアウォーズというね、おすすめの番組を紹介できるというか、推薦してもらえるような
ポッドキャスト大賞みたいな感じですね。
あるので、概要欄のリンクから、ぜひあなたの清き一票がめちゃくちゃ大事です。ポチッとリンクから飛んでみてください。よろしくお願いいたします。
1分ぐらいで終わりますね。
仏教と無我の概念
はい、すぐ終わります。今回のテーマがですね、AI時代に読むべき宗教本となってまして、宗平氏の本をご紹介いただきます。
ということで、2冊目でございます。今回はですね、スマナサーラ長老の無我の味方という本を持ってきました。
スマナサーラさんといえば、生き家さんは実は対談本を出しているんですよね。
懐かしいね、10年以上前なのかな。
僕は生き家さんの対談本を見て、読んで、仏教を読もうってなって、
仏教って僕は宗教だと思ってたので、
成仏みたいな、が仏教のイメージじゃないですか。
なんだけど、スマナサーラ長老と生き家さんの本を読むときに、
いわゆる仏教は科学である。お釈迦様は科学を説いたのであるっていう回答で、
マジで?みたいな、そういうところからすごいのめり込んでいって、
実はそれを、いろんな仏教の知恵とかを見たり読んだりすると、
ちょっと心が楽になるというか、そういった効果を感じて、
結構僕もいろんな仏教本を読んできたんですが、
いろいろ読む中で、いろんな仏教本が面白いんですけど、
スマナサーラ長老の本が非常にわかりやすくて、
読みやすいのと、たとえ話の神だと思ってて、
例えば、一切皆苦ってありますよね。すべては苦しみだと。
なわけねえやんって割と思うんだけど、
例えばスマナサーラ長老は言ってるのは、
ピアノでも同じドの音をずっとドだけやってたらきついやろ。
そうじゃなくて、音楽もドから見に行ったりとか、
それこそコード進行で変わるから音楽って楽しめる。
だから結局同じ音がずっと続くのは句だから、
その句が変わるから音楽って音楽を楽しめるみたいな、
たとえをしてくれてたりとか。
もちろんブッダ自体がたとえ話のすごい人みたいな感じなんですけど、
すごく本当に身近な距離に感じるような感じで書いてくれてる本なんですけど、
宗教本ということで、
いや、仏教は宗教って思うんだけど、
実はこの本の中では、宗教はあかんねって書いてる。
あかんねっていうか、
まさに今日のどういう本かというと、
宗教と少し離れるかもしれない。
無我って書いてるので、
いわゆる私らしさとかアイデンティティについて書いてくれてるんですね。
で、仏教の立場から書いてくれてるんだけど、
その中で、ちょっとこの後も話すんですけど、
宗教が結局自我を生み出して、
その自我によって僕たちは苦しめられているっていうような話をしてくれてるんです。
それが非常にわかりやすいので、
そういったところでちょっと話していきたいんですが、
池田さんも初期仏教とさっきお話がありましたが、
スマラサーダ長老が、いわゆるジョーザブ仏教、テイラワーダ教ですよね。
の教えの方で、
要するに仏教って大乗仏教とかっていろいろあるんですけど、
特にこの仏陀の教えを脈々とつぐしゅう派っていうのがジョーザブ仏教なので、
本当に仏陀が言ったことを割と本当にちゃんと現代に伝えてくれて、
やっぱり変わっちゃうんですよね。
やっぱ空とかの概念も結局仏陀の後の500年後ぐらいに出てきたので、
今日は結構割と仏陀が何を言って、
それをどう解釈、現代版で解釈するのかっていうような一冊にもなってるということなので、
3つのポイントで話していきたいと思います。
1つ目のポイントはですね、無我ですよね。
無我。
なわけないやんと。
私っていう感覚ってありますよね。
ありますよね。
うん。
荒子さんいないんですよって言ったらどうですか?
いや、いますよって。
冷静に言いますね。
なりますね。
そうそう、冷静にね。
なんだけど、実はですね、
これはちょっと仏教と、
ちょっとこの本の直接的な内容から外れるんですけど、
能科学的にも今無我って割と正しい。
明らかにされていて、
僕少し前に紹介した、
能の話のテーマあったじゃないですか。
あの時に、なぜ私は私であるのかっていう、
アニルセスさんの本を紹介したと思うんですよ。
で、あそこで何を言ったかというと、
結局その能科学的にも、
僕らのその私っていう感覚は、
結局いろんな感覚器官、
視覚とか目とか嗅覚とか耳とか、
いろんな感覚器官が音が入ってきて、
それを感じてるのが私なっていう話だったんですけど、
で、その感覚器官の束みたいなものが集まって、
それぞれ能は全て予測誤差を最小にする、
みたいなことをしてるわけです。
常に予測するのが能の器官だって話を、
あの中でしたと思うんですけど、
で、その予測誤差を最小にする見積もりを、
ずっとして続けてる自分の感覚の集まり、
みたいなのが私だっていうような、
感覚の束っていうのが私、
っていう話があったんですけど、
まさに仏教は2600年前に、
その話をしてるわけですよ。
すごくないですか?
この21世紀に入って、
いろんな神経とかの調べたり、
電子的な検査をして分かってきたことを、
2600年前にもうバシッと結論出してくれてるわけですよ。
かっこいい。
かっこいい。
それを、
仏陀はなんて言ったかって言うと、
五運無我っていう形で残してるんですよね。
さっきのその能の器官、
能っていうのもいろんな感覚器官の束であり、
それぞれを予測してる。
五運無我って何かっていうと、
人間を5つの集まりとして分析していて、
識、体ですよね。
寿っていう感覚。
相、イメージ、概念。
行、エネルギー、衝動。
識、認識。
この5つそれぞれが無我ですよと。
要するにこの5つ全て、
生成から消滅までずっと繰り返してる。
例えば体だってあれですよね。
細胞がずっと何十兆個って細胞があるけど、
たぶん1年ぐらいでガラッと変わっていて、
生まれたてのあれ子さんと、
生まれたての生き早さんと、
今のあれ子さん生き早さんって、
並べて見たときに別人ですよね。
160センチ、170センチで出てきたわけじゃないよね。
もう最初はみんな3キロぐらいで出てきて、
この人とこの人って、
30年40年経ったときに、
同じ人ですかって言ったらどうです?
同じ人?
聞いてました。
聞いてたけど、同じ人ではない。
だよね。でも名前は同じだよね。
名前は変わってないはず。
あれ子ちゃんって言われて育ってきたし、
生き早さんも生き早さんで。
生き早って呼ばれてたら家で面白いけどね。
友達からは呼ばれてる。
結局だから、生まれたての人と、
30年経った人とは同一人物ではないだろう。
細胞も全部変わっているんだから。
これがそのゴウムが。
それぞれが感覚だったり。
感覚もそうですよね。
痛かった。肘とか詰めて痛いってなっても、
5分ぐらい経ったら治るじゃないですか。
それが治んなかったら、
もう一生ずっと痛いって言ってるわけですよね。
そういうふうに5つのどれを見ても、
これが本当の自分だとか、
実体だっていうものはない。
この5つのものが連続していて、
いろんな感覚が切り替わったり、
同時に来たりとかしながらしてるから、
自分たちは無我ですよということを、
仏教は言ってくれてるんだけども、
それは自体は最新の脳科学的にも合ってる。
あんまりしっくり来てないんですか?
来てますよ。
来てる来てる。
ムッとしてるけど大丈夫?
大丈夫です。
実社会でも割と無我ですよね。
村上周平っていう感じで生きてるし、
池田ハヤトっていう感じで生きてるかもしれないですけど、
実は割と固定の自分はいないっていう感覚って、
正しいと思っていて、
これ平野圭一郎さんが、
私とは何か、個人から分人へという分人主義、
分ける人の話をしてるんですけど、
そことも仏教の無我ってすごいつながってくるというようなところで、
ちょっと最初に無我っていうのが、
まず脳科学的にも正しいし、
仏教はそれを2600万年前にボウム無我って形で解いていたし、
実社会でも、
今は司会の有子さんですけど、
家に帰ったら本名に戻りますよね。
池田さんも、みんなの前では池田ですけど、
家族の前とか娘さんの前では父親になって、
池田さんが多分インドネシアとか行ったら多分、
あんまり池田って知らないから、
ただの日本人とか、
または中国人、
僕もニューヨークとか行ったときに、
中国人ってよく思われてましたけど、
ってことは、本当に場所変えた瞬間に、
自分っていうものがどんどん変わって、
露天してしまうっていうところも、
実社会でいうと、
分人っていうものが無我に近い概念であるというようなことを思うんですが、
自我の形成
ここからは2つ目のポイント。
じゃあ、何でその無我がデフォルトなのに、
2600年前に解いて、
脳科学的にも無我なのに、
実社会でも分人なのに、
何で自我という、私という感覚はあるのか。
あと、今だと私らしさみたいなものをすごく求められるじゃないですか。
個性。
出せ、個性が大事って言われる。
何でそんな風になったのかっていうことなんですが、
ここから結構、宗教化をディスってくれてます。
すみません、ちょうど面白い。
まず、なぜ自我が生まれたのかっていうところで言うと、
自我は宗教化が作り出した商品だって言ってますよね。
結構、ちょうどそういういい感じの切り口が。
結構、切れ味鋭いもの。
もうめちゃくちゃ切れるナイフですよ。
僕なんかダンボールカッターですけどね。
ダンボールカッター?
ダンボールカッターが分からなかった。
まず、さっきの神話の世界から想像してほしいんですけど、
畑耕すのに自我っていらないじゃないですか。
私が畑を耕すんだって思わなくても、畑って耕せるし、
作物って作れますよね。
でも、そういう中で何が起こるかって言うと、
まさに天災とか貴金とか、雨が降らないとかさ、
そうなるとどうです?
何か作物育ててて雨が降らない。
困ります。
困りますよね。
じゃあ、そんな時に僕がわーっと現れて、
雨降らしたいですか?
雨降らないの怖いでしょ?
雨降らしてあげますよ。
こういう風に祈ってくださいって言ったらどう?
お願いします。
信じちゃうよね。
まさに死の恐怖ですよ、食べ物が作れない。
自我と宗教の関係
死の恐怖っていうものを、ある種煽ることによって、
宗教家っていうのは、
食べ物とか作ってる人から、
あがめられてきた。
そういう人たちを頼らないと、
雨も降ったり降らなかったりとか絶対起こるわけですよね。
今でもいろんなことが起こって、昔もあったわけで、
その都度その都度出てきて、
祈ってたら雨が降りますよ、私の通りにしなさい。
いつか雨降るんですよ。
アフリカの雨漕いする民族を調べた研究って聞いたことあります?
研究家が雨漕いを調べに行ったんだって、絶対に降るらしい。
その人たちが雨漕いをしたら。
研究家が調べて戻ってきて発表したら、
確かにあの人が雨漕いしたら、民族が雨漕いしたら降りますと。
理由は、降るまで雨漕いするからですって。
すごいよね、成功法則みたいな。
そうですね。
やる気出てきた。
大丈夫ですか、今日。
大丈夫、大丈夫。
どこに行ってるんですか。
聞いてるよ。
聞いてるか。
とにかく食べ物が食べれないとか、何かあったら困る。
なんなら今度は死ぬと自我がなくなってしまうと、
宗教家っていうのは商品が使えなくなるので。
いや、死後も世界があるんですよ。
今の幸福、そして死んだ後の幸福もあるし、
何ならこんなことをすると永遠に不幸が訪れますよ、
みたいなことを語るわけですよね。
自我の進化と権力
宗教家が存在するための概念が自我なんですよ。
自我があることによって、
自分が死ぬのが怖いっていう感覚あるじゃないですか。
自分が死ぬのが怖い。
だからその自我を、
自我というかものを死ぬのが怖いというのを直してあげますよ。
こうしたら解決しますよって宗教家の仕事とか存在が出てきた。
その後、歴史が進むようになって、
今度は自我、魂があるかないかっていうことを
考えられる人っていうのはそんなに多くないわけですよね。
ちょっと言い方悪いですけど、
要するにみんな作ったりとかしてて忙しい。
子供を育ててて忙しい。
考える暇がない。
なので、代わりに宗教家たちの方が考えて、
その教えを伝えることによって、
自我があるんですか?魂があるんですか?
私は何でこんなにつらいんですか?
その答えはこうですよっていうふうに答えることによって、
要するに、そういう教会とかに人は頼らざるを得なくなった。
その結果、何が起こったかというと、
今度は教会が権力を持って、
とか、あと王様っていうのは神に指名された、
王権真珠説みたいなのがあるじゃないですか。
あんな感じで、とにかく王様は神みたいになったりとか、
その王様神を信じることによって、
私たちは救われるんだみたいなものになると。
要するに、そういうふうに人を支配するために、
その自我が存在してた方が楽だったわけですよね。
そういった大きな流れがあって、
脈々ときて、僕らも当たり前に自分がいるとか、
自分は何のために生まれたのかな?
指名は何かな?みたいなことを考える。
考えることは悪くないんだけど、考えすぎる。
執着してしまうと。
スマラサーチョローは、自我という概念に執着しているうちは、
精神的に弱いままだとバッサリと切ってくれてるんですね。
なので、キリスト教とかいろんな教えとかあるんですけど、
それ全部聞いていくと明らかに矛盾してるんですよね。
例えばですけど、
私はキリスト教の方から聞いてみたことがあります。
神様がなぜ人々をひどい目にあわせるのでしょうか?
すると、それは何次らが罪人だからと言われました。
しかし私たちに宿っているという魂は、
永遠不滅に絶対変わらないもののはずです。
その魂が罪で汚れているのだとしたら、どうなってしまうのでしょうか?
そうすると彼らはこうも言うのです。
魂は汚れます。
だから魂は清らかにしなければなりません。
もし魂が罪で汚れたり清浄になったりするのならば、
それは永久不滅の魂って言えることができるのか?
簡単に汚れてしまう。
そんなもんで大丈夫なの?みたいな。
結構詰めていくと矛盾してるよね。
だからその矛盾はなぜかっていうと、
やっぱり自我っていうものがあった方が、
国民だったりとか民をある種ちょっと支配、
コントロールしやすかったってことなんですよね。
無我の生き方
すごく魅力的な商品が自我であったということなんです。
で、ここまでどうですか?
まずその無我っていう考え方が、
脳科学的にも正しいとされていて、
じゃあなんで自我が生まれたのかっていうのは、
宗教の背景があると。
さっきの多分池田さんの神話にもつながるんですけど、
多分その頃ってあんまり自我がそんなに。
自分たちは自然の中にいて、
私というかもうみんな一緒だよと。
それは変わんないよねっていう話なんだよねっていうことから、
宗教とかもうちょっと神話、
老らしあがったの神話みたいなのが入ってきて、
より権力報道が出てきていう話になって。
語り直してもらった感じだし。
僕ちょうど会ったことあるからすごい分かるけど、
あの人めっちゃベランメイク帳なんだよね。
ベランメイク帳。
なんとかなんだよ。
江戸っ子っぽいね。
なんとかでいいみたいな感じだよね。
すげえね、江戸っ子っぽいんだよね。
めっちゃスリランカの人なのに。
YouTube残ってますけど、そんな感じですよね。
ベランメイク帳なんだよね。
っていうのをちょっとなんとなく思い出してしまいましたが、
結構挑戦的な本でいいですね。
そうそうそう。
最後3つ目のポイントなんですけど、
じゃあ、このテーマ自体は個性とかアイデンティティとか、
お前らしさを出していけって言われてるこの世界。
何ならAI時代ってまさにそれからもっと言われるじゃないですか。
汎用的なことはみんな言えるんだから、
お前の個性強みは何かって言われてるけど、
結構これって割ときつくないですか。
こんな従順に従えっていろいろ教育を受けてきたのに、
急に社会に出た時に個性出せる。
しかもAI、それはAIで言えるから。
じゃあ何やったらいいですかみたいな。
割と結構本当に困る社会だかなというふうに思うんですけど、
じゃあ仏教無が解いてるんだったら、
自分らしさってどうなるみたいな。
ここありますよ。
自我がない生き方は自由自在。
自由自在ってことは自分らしく生きてる感じがするじゃないですか。
なんで無我と自分らしさは相反しないのか。
実はむしろ無我から始める生き方は最高の生き方だっていうふうに
最後書いてくれてるんですが、
例え話の中に川です。
川。
思い浮かべてください。川。
何川が思い浮かびましたか。
何川?
信濃川。
トネ川とか荒川とか、
あとは池谷さんのニオド川っていうのが、
日本一水質がきれいな川がある。
めちゃくちゃきれい。
カヌーとかすごいいいんですけど、
そんな川があるんですけど、
川ってさ、
どこからどこまでがそれこそ信濃川なのかって、
地理的には決まってますけど、
例えば何でもいいですよ。
もしニオド川でも眺めたときに、
10秒、20秒こうやって川を眺めたら、
何が起こりますか。
何が起こる?
何も起こらない。
確かに。
水がどんどん流れてますよね。
流れていって、
でも20秒前の川と全く同じかっていうと、
どうです?
20秒前の水じゃない水が来てますよね。
来てますよね。
あとはコップとかで、
あれ子さんがそのニオド川の水質がきれいだから、
すくうじゃないですか。
これはニオド川ですか?
川、リバーではない。
ないですよね。
でももともとの水っていうのは水であり、
川にもなるし、
それがダムにもなるし、
噴水にもなるし、
なんなら気水域に行ったら淡水に混ざって、
海にもなったりすると。
水ってすごいどんどんどんどん流転して変わって、
存在自体が変わっていくと、
コップの水からね。
まさに自分という存在も川みたいなものだと。
自分、私がいるって固定の私がいるんじゃなくて、
因縁の流れなんだっていう。
それをめんどくさいから自分っていうふうに、
概念として1回置いてるだけですよっていう。
その面白いのが、
さっきの細胞が変わってるって話があったじゃないですか。
1年とかでガラッと変わるってことは、
それだけじゃなくて、
この話を聞く前とか、
池谷さんの神話を聞く前の自分と変わってるわけですよね。
考え方とか知ることによって。
それだけ変わるってことは、
部屋から入ったスマナサーラちょうどが、
たぶんこの部屋に現れたときに、
その瞬間スマナサーラ1号だと。
ここで話してもらったら2号、3号、4号になって、
出ていくときにはスマナサーラ302号みたいになると。
でもバージョンがどんどん変わってるからね。
でもそれをいちいち、
スマナサーラ1号が出ていって、
スマナサーラ302号が来てきたよって、
めんどくさいやん。
めんどくさいから、
じゃあこれスマナサーラでいいやんというような書き方をしてくれて、
これめちゃくちゃ面白いようになってますね。
だってトネ川とかシナノ川とかニューノ川は、
もうたぶん変わってるんですよね。
だけどそれを、
いやもうそれは川があるっていうふうに言った方が楽だよね。
っていうふうにしてるから、
自分っていうものを、
その流れのパターン、
川の流れのパターンってやっぱあるじゃないですか。
こうやって曲がったり下がったりする。
それは自分らしさと似てるよねっていうことを書いてくれてるんですよね。
流れのパターン自体は、
自分らしさ自体は変えることは可能だと。
で、その自分という存在を小さな川に例えたときに、
この小さな川をどういうふうに管理していくか、改善していくかってことが大事だと。
いわゆる倫理学、どうやって生きていくかってことですよね。
だからその川の中に、
それこそ黒いインクとか落としたらどうなりますか。
川に。
汚れちゃうんですね。
汚れちゃうんですよね。
それがきれいになるのは結構時間かかるわけですよ。
たくさん水が流れないと。
だから自分にも悪い言葉だったりとか悪い人とかがついたりとかすると、
やっぱそれがきれいになるのに時間がかかるし、
そのパターンが変わるのにもやっぱ時間が変わってしまう。
僕も昼まで寝てしまうっていう、
その自分らしい川の流れがあるんですけど、
これ良くないですよね。
この川の流れはやっぱちょっとずつ改めないといけないけど、
無我の見方
明日から5時起きするって言ったところで、
急に川の流れは変わってくれないわけですよ。
ゆっくりゆっくり護岸工事をしたりとか、
変えていかないといけないわけですね。
どうしたんですか?
なんかよく分からない。
嘘?今早起き続いてるんですか?
早起き続いてるってか1日も。
あれ?なんか一瞬頑張ってXの朝スペースやってたけど、
あれやってないの?
ダメじゃん。川の流れ変わってねえじゃん。戻ってんじゃん。
川の流れってのは変わりにくいんですね。
なるほどね。偉そうに見ながら。早起きそうができない。
だから耳が痛い話なんですけど、
自分の流れをしっかり管理して、
自分にも他人にも役立つ人間になって。
自分で言っとるやん。
エゴドムスマナー社長が言ってくれてるじゃん。
これが本当の自分探しだと。
自分らしさなんだっていうことです。
無我っていうのは固定の自分がないっていうことですけど、
農家学的にも正しいと言われてますけど、
それとだからといって適当に生きていいわけではなくて、
自分らしさという川の流れのパターンみたいなのができてしまうんだと。
このパターン自体をちゃんと改善していきましょうねっていうのが、
仏教的なよく生きるための考え方なんですよね。
そうっていうのが最後に書いてくれてて非常に読みやすいんですが、
これなんかすごい似てるなと思ったのが、
スピノザのエチカ。スピノザ哲学の倫理学ね。
エチカもまさに仏教と似てるのかなと思った。
実体は神の実って言ってるんですよね、スピノザも。
すべての古物、僕らもそうだけど、
神が変形した様態って言ってるわけですよ。
なんかこれって流れに似てるなと思うんですよ、仏教がと。
諸行無常だったり。
あとは自由意志とかはないってエチカは言ってるし、
でも仏教的にも演技なので、
自分が今こうやってホットキャストをやろうとしてるのも、
結局前の何かの決定事項があって、
いけはさんのブログを読んでとか、
全部出発点っていうのが実はあって、
それを見えてないだけであって、
さっき言った川の流れのパターンっていうのも、
自分らしさっていうとコナトスに似てるのかなって、
どうしても自分の川の流れのパターンになってしまう、
そういった自分の独自性みたいなものをちゃんと認識していこうと。
哲学と仏教の共通点
それを伸ばしていった方がいいよねみたいなところにも繋がるのかなって、
ちょっと僕の中で、
最近スピノザ説がかまってるので、
なんか仏教との共通点みたいなものがね、見えてきたと。
早く早起きはできるようになった方がいいんじゃないかなと思う。
ちょっと早起きしようとすると、すぐ川の流れが変わっちゃうんですね。
実はですね、この本、産画新社さんから憲法いただいたんですね。
昔ちょっと打ち合わせっていうか、
インスタから連絡いただいて、
実はこれね3冊セットなんですよ。
無我の見方、無常の見方、苦の見方。
まだ無常の見方は僕は読めてないんですけど、
苦もめちゃくちゃ読みやすかったですね。
これ昔産画新社さんって、
昔株式会社産画っていう会社だったんですけど、
実は破産申立てをしてて、
元産画社員の方々がクラファンをして産画新社というのを立ち上げて、
今こういうふうにスマナーサーラ長老の考え方とかを、
わかりやすく書籍にまとめてくれてるので、
ぜひですね皆さん、仏教ちょっと面白いなと思った方とか、
もうちょっと知りたいなっていう方は、
この3冊でもいいですし、どれか1冊でもいいので、
読んでいただけるといいかなというふうに思います。
フの見方もすごい読意がついてますね。
読んでる感がある。
そうです、一生懸命つけてきました。
読みやすいですよ。
読みやすいです。
本当に読みやすい。
本当に読みやすい。
本当に身近な日常の例えをしてくれるので、
スッと入ってくるので、おすすめでございます。
10冊ご紹介いただきました。
仏教についても何か思われた?
川の流れってよく出てきますよねって思いました。
老子も川の例えをするし、
何かミソラヒマレさんも川の流れのように言うし、
たどればね、秋元さんなんですけど、
みんなやっぱ川の流れを思い浮かべて、
なんで川なんだろうって思うけど、
川以外にそういうものがないんですよね。
移り変わっていくというか、流れがずっと流れて。
他にないのか。
身近なところにあったからなのかな。
かなって思ったり。
川の神話とかありそうだね。
川の神様でこんな人がいたりとか。
川はやっぱり蛇です。
だいたいどこも蛇と。
川って流人神話。
いろんなところに川があるところはだいたい蛇に。
流人伝の神話があって。
面白い。
千と千尋も結局それだったりしたよね。
川が出てきます。
桃太郎も川でね。
どんぶら子ね。
川ってすごいなって思いながら。
すげえ感動だった。
すごいね、すぐ品の川が出てくるってね。
やっぱりそれはもう勉強したんで。
川といえば品の川かっていうのはあるんですけど。
なんかね、本当に思ったんですよ。
川、そういえば川ってよく表されるなって。
人生とかね、私たちに対してって思いました。
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じゃあ次回は私がこの一冊紹介させていただきます。
命の灯、またちょっと違った切り口の宗教本になるかと思います。
次回もお楽しみに。
27:08

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