今日3つのポイントにまとめてきたので、一個一個紹介していきたいんですが、どうですか。
暇と退屈ってまずありますけど、あれ子さんはたぶん暇を嫌う女ですよね。
そうですね、たぶん学生の頃から暇は作らないっていうイメージで生きてきました。
で、あとそのメディア業界にいた時も、暇な人イコール人気がないっていうレッテルになるから。
業界的にね、やっぱりお休みがある日は売れっ子じゃないっていうレッテルがある中で生きてきたので、あまり良い印象はないかもしれないです。
そういう暇に対してね。で、ところが一方ゆきやさんはたぶん暇大好きだと思うんですけど。
あんまり予定を入れないようにしてるって感じかな。
なるべく、これがビジネス的な話ですけど、やっぱりいろんなものが飛び込んできた時にパッとそれをやれるようにしておきたいじゃん。
忙しすぎると自分のやりたいことができなくなるじゃんっていうのが一番でかいので、なるべく暇なようにしてるっていうのがあります。
で、僕は1日だから5時間ぐらい普通にゲームを練習してますからね。
さすがに今アニメ始まったばっかりだからさすがにちょっと封印してますけど。
特に何にもない時はだいたい4,5時間ぐらいやってますね。練習、ゲームずっとやって。
暇だろう、暇なやつと思われてますよ。
だからゆきやさんの発信とか見てると、やっぱり暇であることってすごい重要だって結構言ってくれてると。
なんだけども、結構今現代にある問題として、なんか忙しいのに予定は入ってるのになんか退屈だなみたいな。
ないですか?
あれこそは多分ないね。
でも多分電車とか東京とか僕もたまに行って出張するんだけど、電車の中でスマホゲームをものすごい楽しそうにやってる人ってあんまりいないです。
なんかもう。
虚無感というかね、もの意識ぐらい。
疲れてるのもあると思うんですよ。
予定も入ってて仕事もあって、でもなんか退屈だなって思ってしまう。
これの原因ってなんだろうっていうのはまず一つ目なんですけどね。
まずね、この本の中で面白いのが、暇と退屈をはっきりと別物って分けてくれてるんですよね。
で、暇っていうのは単純にやることがない時間。
秋の予定、さっきゆきやさんが言った予定を空けておく。
これがまず暇である。
別にそれもポジティブもネガティブもあんまりないと。
で、退屈っていうのはそうじゃなくて、何かをしたいのにすることができないっていう苦痛なんですよね。
で、今現代で言われてる、僕らは陥ってるのが多忙な退屈。
なんかこうパラドックスを抱えてるじゃないですか。
なんか予定とかいろいろあるけど、なんかそれ自体に退屈してる。
その人生に退屈してる。
家と職場の行き来でなんか退屈する。
ゆきやさんの話じゃないですけど、なんか会社で働いてる自分にちょっと退屈してたような時期が多分あったと思うんですよね。
そう。で、こういうふうに分けていると。
で、なんだけど、この本のその退屈っていうものがじゃあどこから来たのかっていうことを言ってくれていて、
それ何かというとですね、人類の歴史の中でこの退屈は発明されたと。
で、もともとはそのいわゆる誘導生活ですよね。
あの狩猟採集、なんかこう木の実採ったりとかする、あの誘導生活を僕らはしていたと。
その時に退屈っていうのは実は存在してなかった。
何でかっていうと、場所変わったりする。
で、そうすると景色が変わる。
じゃあそこまたなんかこの木の実が採れる採れない。探さないといけない。
でもその後、今から1万年ぐらい前に定住生活をするようになって、その時にこの退屈が生まれてしまったんだ。
定住によって。
要するにその植物とか育てるんだけど、その間時間が生まれたわけですよね。
で、本来ただ狩猟生活で何か忙しくしていて、いろんな刺激が入ってきてたのに、
同じ場所にいるから刺激が入りにくくなると。
そうした時に退屈ってものが生まれたと。
だから人類の文明は1万年前、1万年前といってもずっと今まで誘導生活してたから、最近ようやく定住し始めて、
この定住によって僕たちはつい退屈をしてしまうと。
だから別に現代のスマホだったりとかそういうものが原因ではなくて、ずっとこの退屈の構造の中にあると。
それが今そのスマホ疲れしたりとか、なんかそういったもので退屈という現象で出てきてしまっているっていうような考察をしてくれてるんですね。
面白くないですか。
なるほどーって思います。
で、ここから結構気をつけないといけない2つ目のポイントが、この暇と退屈ってあるんだけど、
僕らはこの暇というものを今搾取されている。
で、その搾取されているのが実はまた退屈を生み出していると。
これは大きな大きな資本主義だったりとか何かの流れも感じるんですね。
で、例えば退屈してる時って、なんか何、どういう時とかありますか。
なさそうな。
あるんですか。
退屈してる時、私本当に思い浮かばないんですよね。
退屈してる時。
いつももう時間が経っておりんごしてるし、本も読んでるし。
素晴らしい人生です。
でもそれ考えると、やっぱり私もフリーアナウンサー時代とか、やりたくない仕事をやっぱり受ける時もあって、
その間、なんでこれをしてるんだろうなっていう気持ちのまま、やっぱり時を過ごす時はやっぱり退屈だなって思いながら、
とにかく就業時間を逆計算して、あと何時間、あと何時間って思ってたことはありません。
変えようみたいな。
なるほど。
生垣さんは、僕はね、生垣さんの退屈を一つ分かるんですけど、
僕が2017年に何もやってない時に、島並海道でいろいろやりたいんですよねってことを、生垣さんに延々と1時間喋り続けたことがあって、生垣さん草抜いてました。
草抜きながら聞いてくれて。
後半退屈してました。
なんかやりながらきついよね。
いや、退屈はだからしてない。草抜きながらだから大丈夫。
草抜きながらってきつい。
きつい。
生垣さんもやっぱり時たま退屈する瞬間とか、東京とか行った時ってどうなんですか?
東京は別に、打ち合わせとかだるいよね。
分かりきった打ち合わせは退屈だよね。
僕はでも対処法はあるから、別にプログラミング、バイブコーディング作ってないとか、ブログ書いたりしながら打ち合わせで、つまんない打ち合わせは大体仕事しながら。
ほんとはあんま退屈しないですからね。
退屈する時間を別のことをちゃんとやるっていう感じで、それを誤魔化しながら生きてます。
私もさっきの時間はポケットに英単語帳とか入れて、何とか有意義な時間にしようとしてた。
すごく大器用感で。
面白い面白い。いいですね。
多分ちょっと特殊なケースだと思うんですよね。
多分さっき言って、多忙な退屈。
結構仕事とか埋まってて、会議もあって、それこそクライアントとのお見舞いとかも行かされて、疲れて帰ってきて。
その瞬間ってアレコさんみたいに、じゃあ英語の勉強今からできるぞとか、本読むぞとかで、なかなかみんな疲れてできない。
疲れててね。
そういう時につい退屈を紛らわそうとして、やっぱり今見てしまうのが多分スマホだと思うんですよ。
スマホだったり、いわゆるYouTubeネットフリ。
今本当に結構SNSで問題になってるのが、割と炎上多いじゃないですか。
常に誰かが怒られてたりとか謝ってたりとか、いろんな事件が今Xに開くとすごい出てきますよね。
多いですね。
実は一般的に僕らはこの退屈を紛らわそうとして、つい事件を求めてしまうんだ。
この事件って何かというと、具体的な刑事事件だけではなくて、
今日と昨日を区別してくれる出来事。もっと言うと興奮を求めてるんですね。
やっぱりXとか見てると、本当に関係ないそういう何か何とか人が何とかしたってやつに関係ない人が書き込んでる。
これは良くないとか、それこそ今参院選だからいろんな生徒のバリ憎悪が流れてきたりとかするんだけど、
多分あれで結局興奮して、今日は面白いものが見れた。
また次の日もスマホ開いたら面白いものが見えたって言って、
この多忙なんだけど退屈していて、その退屈をその事件とか興奮で紛らわそうとしてる。
もっと言うと逆に本当に快楽を求められてる人は少ないって書いてるんですよ。
自分が本当に心から楽しめるものみたいなものを求められてる人は実は少なくて、
それ本当に難しいことなんだと。
さっきのギターキットのマックさんの本じゃないけど、
道徳的なみんな会社に行かないといけない、そういったもので実は退屈してると。
自分の倫理的直感、自分はこれ嫌だけどやらないっていうことをちょっと諦めてしまって。
でもこれだと退屈するから事件を求める。
事件を求めて興奮するんだけど、それは結局何も解決をしてくれないから、また多忙な退屈に戻ってしまうっていう。
この暇、結局そういう時間があるんだけど、それを結局事件とかそういうことで紛らわせてしまって、
本当に自分がしたいことと向き合えてないから、一生満足しないまま、またその退屈のループに入ってしまうっていうのを2つ目のポイントで言ってくれていて。
特に面白いキーワードが、消費と浪費を区別してくれてるんですよね。
なんかどうですかね?小人浪費って聞いたらどっちが悪そうですか?
浪費の方が、やっぱり周平氏が、「なんでそれ買ったん?」っていうようなものが思い浮かべます。
必要です。浪費してる。
この中で言ってるのは、ちゃんと浪費せよって言ってるんですね。消費は必要なものだから消費してる。浪費はいらないものを買ったっていう感覚があるんだけど、
実は定義としては合ってるんだけど、消費っていうのは商品そのものではなくて、それにくっついてるオシャレさとかステータス、いわゆる記号を消費している。
要するにブランド品って色々あるじゃないですか。服とかもね。
ブランド品を欲しいんじゃなくて、ブランド品を買ってる自分が好きとか、それを消費してたりとか。
それこそSNSとかでネタフリでこれが流行ってるよっていうと、それをYouTubeとかの倍速とかファスト映画とかで見て、自分も見たよってついていくとか。
これあるよね。結構トレンドとかでもね。そういうふうに、ちゃんと物事を向き合ってるわけじゃなくて、それを消費しているだけの記号だけを消費してるから、これ一生満足が来ないんですよね。
それと違って浪費は何かというと、物そのものと直接関わって、それを心ゆくまで味わい尽くすこと。
美味しいご飯に没頭するとか、好きな音楽の世界にどっぷりはまるとか。物は有限だから、この浪費には必ず終わりが来ると。
それが本当の満足で、つまり贅沢につながると。
そう、だからまさに一番最初の冒頭で貴族のようにいきましょうって一言で言ったんですけど、貴族は消費をしてたんじゃなくて、ちゃんと浪費をしてた。
暇があり、いわゆる勇敢階級とかって言ったりしますけどね。暇があるって言われる言葉ですけど、その暇をちゃんと味わい尽くしてたわけですね、貴族たちはね。
チェスをしたりとか武道会をしたりとか、あんなのは無駄だよとかではなくて、ちゃんとそういう風に味わい尽くしてた音楽でも何でも本でも。
それが2つ目のポイント。だからこれ自分の暇をつい退屈を感じて、事件とか簡単なもので解決すればするほど、
そういうマーケティングとかそういう資本主義の罠のループにはまって、一生その消費のループが抜け出せなくなる。
ある意味消費がもしかしたら浪費っぽくなってしまうかもしれない。僕らのイメージで言うとね。ちゃんと浪費せよっていう風に返ってくると思います。どうですか?面白くないですか?
そうですね、ちょっと固定感ね。ぐるっと。
だから浪費はいいんですよ。
周平氏はその文脈では何を浪費してる?
時間を浪費してる。
お布団の中で。
贅沢な話。めちゃくちゃ贅沢や。
昨日か一昨日も、男にはやらなきゃいけない時がある。お布団から出る時だ!とか言って。
やめても。頑張ってこれ紹介するのにキャラがブレすぎたでしょ。やらないといけない時がある。
でも本妻のこの仕組みというか設定も割と僕は浪費的だと思うんですよ。だって例えばさ、別に紙の本って読まなくてもいいじゃん。
別に電子版でもいい。
しかも通読するとかっていう体験、本を読むっていう体験って割とこれも贅沢なのかなと思うんですよ。浪費だと思うんですよ。
浪費って本当にこの本の中でのいうことね。
だって別にこれもさ、これつまみ食いしてるけど、そういうことYouTubeで調べて、ポイントだけ漁って、えーこういうこと言ってるんだね、でもいいはずなんですよ。
でもこれは結論だけ読んでも意味ねえよって実はこの国務さん書いてくれているんですね。通読するって体験が大事だって言ってて。
だからそれも多分この本妻のそのコンセプトにもちょっとつながってくるかもしれない。
本を紙の本でよってゆっくりカフェで読んだりとか通読する。通読しなくても例えば読み続けるとかね。
そういうのもなんか僕は浪費につながるからこの番組にもつながってるんじゃないかなというふうに思ったというのをちょっと入れさせてもらいました。
はい、最後のポイントです。これはねもう本当最後のところも最高に面白い。
あげちゃうねえ。
何かというとですね、ハイデガーを登場してます。哲学者ハイデガー。
あれハイデガーなんか紹介したような気がする。
青い表紙の。
なんか昔家さんが読んで泣いたっていう。
あの本まだ紹介してないね。
幸福のなんとかでしたよね。
王子。
ごめんヤムチャさんごめん。
名前が出るこれ。
明日死ぬ幸福のなんとか。
読みました読みました。
読んだ読んだ。泣いちゃった泣いちゃった。
そこで出てきたハイデガー先生が登場するんですが、割とねこれ国文先生がですねハイデガーをぶった切ってくれてます。
であのさっきあのなんだっけメディアの仕事でどうしてもつまらないとこがあったら。
メディアっていうか下積みの時ですね。
下積みの時か。で単語帳見てた。何かについて退屈させられてるって言ってたんですけど退屈を3つの形式にハイデガー先生は分けてくれてるんですね。
そう面白いよね。
でまず第一形式退屈の第一形式何かによって退屈させられてる。
例えばあの無人駅で遅れてる電車を待ってる。電車が遅延している。
あーもうなんかせっかく乗ろうと思ったのにあー待たないといけない退屈だなこれが第一形式。
で第二形式は何かに際して退屈する。
これまさに何かこうパーティーとか飲み会楽しんでるはずなのにふと自分ここで何してるんだろう。
さっきアレコさん言って私この時間何なんだろうって言ってたと思う。
やりたいことが他にあるのにっていう状態。
これが第二形式っていう。でこれを現代人のデフォルト状態っていう風に言ってると。
で3つ目の第三形式がなんとなく退屈だって。
これ一番深い退屈。
特定な何かが原因じゃなくて存在そのものに色あせて見えるような感覚。
っていう風に3つに分けてくれてるんだけど。
ちょっとここ難しいのハイデガー先生はじゃあこれどうしたら抜け出せるかっていうと第三形式のこのなんとなく退屈だを抜け出すためには決断をするしかないと。
これちょっと自己啓発書っぽい話なんだけど。
要するに俺はこれで生きていくんだという決断をすれば第三形式から抜け出せるんだってハイデガー先生は言ってると。
なんだけど国分先生ここぶった切ってくれてて。
それこれで生きていくって決めたら第一形式に戻っちゃうよと。
要するに多忙な退屈ですよね。
要するに自分は仕事とかしてこういうことをやったり色々してるけど。
でもなんか退屈だなって思ってしまう。
その第一形式に結局戻ってしまうからずっとループしてんじゃんかっていう風に言ってる。
ここがその好きなことで生きていこうとか自分のミッション決めたら人生が充実するんだって自己啓発書たくさんあるんだけど。
それと全く同じ構造だっていう。
結局決めたことでもうそれを縛られると自分で。
縛られてるけどそれは結局退屈を自分で紛らわしてるだけだという風に言ってるんですね。
それじゃあ国分先生はどうやって生きていけばいいんですかというような問いがまた出てくると思うんですけど。
これ解決策として実は猫のように生きるのが出てくる。
まさかの?
嘘ついたごめん。そこまでは言ってない。
なんでそんな堂々と嘘ついた。
そこまでは言ってたんだけど僕が読んでこれまさに猫のように生きるというメッセージになるじゃんっていう風に思ったんだけど。
しかね。
まず国分先生はそこで出してるのが哲学者のスピノザ。
この前なんかポッドキャストでスピノサスも。
ちょっと関係ないね。
出されてましたけどスピノザですね。
コナティスっていう概念をスピノザは言ってくれて。
コナティスって何かというと今夏だから暑いけど暑かったら勝手に汗出るって体温が下がるじゃん。
これホメオスタシスって言います。
体の向上性機能。
こんな感じで自分は自分らしくあり続けるっていうものが人間には備わっていると。
これをスピノザコナティスって言ってこれを大事にしろって言ってて。
それを国分先生がここで出してくれてるんですね。
で無理やり人生の目的なんか別に決めなくてもいいと。
自分の内なる声に耳をすませて聞きなさいと。
何を喜びを示すかってね。
まさにさっきの本かもしれないけど。
ここで僕はこれを猫だと思ったんです。
猫ってそれこそ暇そうだけど退屈はしてない感じしますよね。
そうですね。
家の瀬戸さんという猫を見てると退屈のイメージはないかもしれない。
寝てても退屈そうには見えない。
しっかり寝てるし、毛づくろいしてる時も一生懸命毛づくろいしてるし、
虫があったら追いかけるし、窓から外見て景色を見るしね。
常に没頭してると。
なんでこれになるかというと、国分先生がコナティスっていう概念を出しながら、
要するに二つの状態を行き来するといいと。
それ何かというと動物になる時間と人間である時間っていうものを行き来するようにしましょうという解決策を出してくれてます。
動物になるって何かというと、時間を忘れるぐらい何か、我を忘れて没頭することを持つ。
もうそれを楽しいみたいなやると。
でも同時に人間である。
その没頭してるのをふと我に変えて、その状況を客観的に見れることも大事だと。
この両方を行き来する中で、自分の性質みたいなものは見つかるし、
その退屈と上手に付き合っていけるというような解決策を出してて。
さらにもっと言うと、楽しむことには訓練が必要だっていうふうに締めくくってくれてるんですよ。
つまり、この退屈だな、SNS見て面白かった、予言がある人生は終末論、うわーみたいなことで事件を見て興奮して、
昨日と今日分けてOK、また同じことを繰り返すのではなくて、
本当に自分の退屈だったり暇と向き合う。
自分のコナテスっていうのを確認していく。
それはいろんなことをやったり、いろんな本を読んだり、いろんな人と会っていかないと見つからないことなので、これも大事だと。
僕はこれを見た時に、池早さんまさにずっと音楽SNOWっていうAIの音楽生成アプリを使ってて、
めちゃくちゃ面白そうに音楽作ってて、僕はその音楽の面白さっていうのがやっぱり理解できなかったんです。
これは僕が多分音楽というものをしっかりと味わい尽くしてないから理解できなかったんだ。
池早さん逆にクラシックとかそういういろんな音楽を聴いて、水素学もやってたから、本当に音楽が好きなんだなって。
その差を僕はこの本を読み直すことによって改めて認識できたんですね。
池早さんは芸術とかも見るし、それはそれまでちゃんと美術館の時間とか本を読む時間っていうのをちゃんと浪費してたからできる。
楽しみ方をちゃんと訓練してるから楽しめるんだというようなことを思ったと。
ありがとうございます。
それは面白い。楽しむためには訓練が必要っていうのがいい言葉ですよね。
軽いものばっかりだと薄いところしか楽しめない。
やっぱりある程度のストレスをかけてやっていくと、よりその物事だったり他のものとかがすごい楽しくなって、
しかもそこでやっぱりもう無限に没頭できるようになっていくんですよね。
僕はスマブラという格闘ゲームをずっとやって、1日5時間だろうか6時間くらいできますけど、
スマブラっていうゲームはやったことある人は分かると思うんですけど、
難しいんです。
普通の人は多分2,3時間やって挫折するんです。
勝てないし、よくわかんないし、操作難しいし、やめよってなるんですけど、
僕は相性がいいからそういうのもやるぞと何回も挫折しそうになっていて、
4回くらいやめようと思ったんですよ。
勝てないからやめたい、やめたい、やめたいと思いながらやって、
でもここでやめたら負けるみたいな感じで、人生に負けるみたいな勢いでやってたら、
2年くらいやってたらもうずっと没頭できるようになったんですよね。
それまでの2年も地獄でもやるたびにスコアが下がるし、
自分が負けてくるのは悔しいし、でもそれも自分のせいじゃん。
でもやめたい、やめたい、これもう全部やめてやろうかみたいなことを思いながらソフト何回も消そうと思って、
いやでもここで負けたらダメだと思って、やってたらでも楽しめるようになったんだよね。
だから訓練なんですよ、楽しむために。
何でもそうで、多分スポーツでも音楽でも何でも多分そうですよね。
やっぱり辛い瞬間っていうのがあって、他の人と比較しちゃったりもする。
自分の愚かさとか自分の未熟さを感じちゃうよね。
何か楽しんでる瞬間にふと。
そこをでも頑張って掘って掘っていくと、
無限に楽しめるような瞬間っていうのが多分あるっていうのはすごい、
僕自身は経験しているので。
そういうものを見つけると退屈な時間ほんとなくなるよね。
ひたすら僕は暇があったらスマブラやるし、別にスマブラ音楽も好きだから音楽も作ったり。
退屈だなんて思う瞬間がもうなくなるよね。
没頭されてる。
没頭することがたくさんあります。
有子さんは何か没頭してる?
今池早さんの話を伺ってた時に共通するなって思ったのは、
私ももともと音楽は好きな方だったんですよ。
でも自分の好きな音楽を聴くのが好きっていうタイプで、
それでラジオDJになってから音楽番組を担当することになった時、
すごく苦しくなって、自分が知らない音楽がこんなに多くて、
私よりも音楽について知識がたくさんある人しか周りにいなかったから、
いかに私が浅はかで音楽を聴くのが嫌になってしまった時期があって、
でもやっぱりその中で拙いというか、
何も知らない自分と向き合うことでしか番組を続けていけないから、
とにかく勉強を頑張って、勉強っていう形を取ったんですけど、
知らない音楽をとにかく知っていこうっていう、
自分の世代じゃない世代の音楽もたくさん勉強しようと思って、
やっぱり2年、3年かかってから、
ちょっと自分が好きじゃない音楽を好きになれるようになってきたっていう、
まだにこの鍛えてから楽しめるようになったっていうのがあったなって本当に思いました。
めちゃくちゃいい学びですね。
だから僕自身もブログとかそういったものは最初全然うまくいかなかったけど、
続けて続けていくうちにだんだん楽しめるようになったから、
楽しむためのトレーニングすごく大事。
でもそれをする間ってすごく、だってある種お金にならないじゃないですか。
ゲームもそうだし、音楽を勉強したって別に仕事の幅ちょっと増えるかもしれないけど、
直接的に収入が増えるわけじゃない。
ってなったものを、じゃあそこに時間をかけようと思えるかどうか、
これって多分人間であると難しいと思うんですよね。
だからそれを多分この国分先生は一瞬動物になる。
要するにそんなこと関係ない。別にお金とか時間とか関係ない。
もうそれに没頭するんだ。まさに猫のように。
僕は猫のようにキルを作った。
池谷さんに相談して作った時に、やっぱり人間をやめようっていう一言、
キーワードで入れてたんですよね。
そういう時間が僕たちには必要だと。
この最後の締め方として国分さんすごいいいなと思ったのが、
別に僕は答えを持ってるわけじゃない。
その答えをみんながどうやったらこういうふうに貴族のように生きていけるか、
暇をちゃんと楽しめるようになるか、どういう社会になっていけるか、
あなた一人一人が考えて実践していきましょう。
そういうことを問いかけとして残してくれてて、池谷さんじゃないけど。
僕はその一つの答えを猫のように生きるプロジェクトを続けていくことだな。
一人一人が猫のように生きるというOSをインストールして、
人間と猫を行き来するというか、そういったことを改めて思って、
自分の事業これちゃんとやっていかないといけないなと思った一冊でございました。