なので紹介をさせていただきたいと思います。
大きな影響を与えた1冊ですね。
大事な1冊で、しゅうへい氏が持ってきてくれたのは。
僕がですね、国文広一郎さんの「暇と退屈の倫理学」。
これ結構ね、2023年東大・京大で一番読まれた本ということで。
多分出たのは10年くらい前なんですけど、今でも根強い人気で。
本当好きなことで生きていこうとかいうメッセージをぶった切ってくれてます。
そういうよくある自己啓発的なものをね、あるいい感じでぶった切ってくれてるので。
ある種本当に池谷さんと共通点で言うと、生き方が見つかるかもしれない。
そんな本になっております。
はい。で、私が「言葉の風景・哲学のレンズ」っていうエッセイ本を持ってきました。
日本の哲学者が書かれたエッセイ本なんですけど、おそらく池谷さんとしゅうへい氏が持ってこなさそうな本ということで。
こちら紹介させて。ちょっとエッセイだから難しいなと思ったけど、なんとか紹介させていただけたらと思っております。
いいですね。哲学でこう、なんかね。
違う?それぞれ切り口。
なんかそれぞれ視点がまた違いそうですね。
一冊ずつ紹介し終わった後に、また3人でまとめ会、アフタートークもありますので。
楽屋トーク的なね。
それも楽しみですね。
はい。じゃあ早速池谷さんの一冊から。
いきましょうか。
7回目となるとトップバッターであんまり緊張しなくなって。
この本はすごい、内容はかなりシンプル。
当たり前で14歳から。
中学生でも読めるという前提で書かれていて、非常に語り口も読みやすい語り口で書いてくれているんで。
内容はすごく読みやすいですよね。
だけど本当にシンプルに、哲学っていうものはなるほどこういうことかっていうのを教えてくれつつ。
そしてもう問いかけがすごく入っているんで。
自分のその人生とかについてとか自分の考え方とかについてすごくこう。
今読んでも全然、僕はもう39かですけど、今読んでも読み直しても全然面白い。
若い頃に僕も影響を受けたっていう一冊で。
この本の中にはいろんなテーマが入っています。
その本当に自由とか、死とか、友情、愛情、理想、現実、規則、他人とは何か、心はどこにあるとかだって、自分とは誰であるかみたいな。
本当に様々な哲学的なテーマっていうのをかなり書かれているんですけど。
その中でせっかくな今日は3つぐらいかな。
僕がつまみ食いなんでね。
持ってきて、先にその3つ言うと。
まずはそのクエスチョンの中で、なぜ人を殺してはいけないのかっていうテーマです。
これが面白いね。
これが一つ目。
善悪の話です。
あと次は自由の話。
自由ですね。
不自由、自由の話。
で、あとは最後は死っていう、死ぬっていうところについて池田明子さんはどんなことを語って、どういうふうに問いかけているのかっていうところをつまみ食いで紹介していこうと思います。
というところで。
最初のクエスチョンで言うと、なぜ人を殺してはいけないのか。
なんでだと思いますかっていうのから入ってるんです。
難しい。
どう答えますかっていう。
これがまあ一つの哲学ですよね。
簡単には、いやそりゃそうでしょとか思っちゃうけど。
本当に本当に、今ここに生まれてきた赤ちゃんに問いかけられたら説明が難しいよね。
それは難しいよね。
怖い。
シチュエーションからして難しい。
ねえ、純粋無垢な赤ちゃんに。
急にもう哲学の世界からホラー映画になっちゃう。
もう伝えようかなってなっちゃうけど。
理由、本当の本質的な理由って何ですかね。
こんだけ振っといて。
スタートしていけないと思うんですけど。
難しい。
映画化なんかで、シーンか分からないのを覚えてるのが、
人を殺しちゃいけないなんてことないんですよみたいなのを、なんかで見たことがある。
それこそ今って実際戦争って行われてて、そこではいわゆる人を殺すことが何か目標、KPIみたいになってしまうんですね。
状況によってはそうせざるを得ない状況が実際この100年間で見てもあったと。
だから殺してはいけないみたいなものは実際存在しないんじゃないかみたいなのもあるんじゃないかなってちょっと思った。
実際今も戦争を世界でもやってます。
そういうところで本当に人を殺してもいいし、むしろそれが殺すことがある種正しい。
アンダーされたりするのもあるし。
人を殺しちゃいけないっていうクエスチョンってすごい深くて。
なんかその当たり前じゃんとか。
よくあるのは法律でも決まってるしとかっていうのはあるけど、
やっぱりそれはすごく浅いっていう表現はしてないんですけど、
もっと深掘りができるよねっていう話をまず説の中で書いてるんですよね。
彼女のイケライクさんのかなり根本的に言ってること、
すごくかなり直感的にわかりやすいことを言ってて、
結局僕らっていうのは良いこと、善とか悪っていうのはそもそも知ってるよねっていう前提から始まったんですよね。
これ確かに本の中にある言葉ですけど、
なんで人を殺しちゃいけないのかっていう質問が出る時点で、
人を殺しちゃいけないことは知ってるでしょ。
そういう理論の転換をしてるんですよ。
でも確かにそうやっちゃいけないことが分かってるからなんでダメなんですかっていう話がある。
いいと思ってたらそんなクエスチョンなんか出ないじゃないですか。
人を殺していいよってそれが善だっていうことをやったらさ、
なんで人を殺しちゃいけないのかっていう多分クエスチョンが発生してないんですよ。
やっちゃいけないこととか良くないってことが分かってるからなんでそれはダメなんですかみたいな話がある。
ということはもうそもそもそれって知ってるから じゃあそういうもんなんじゃないかっていうようなことを言っていて
で、彼女だとその倫理的直感みたいなキーワードになっていて で、確かこの本の中にある言葉ですけど道徳と倫理っていう2つのキーワードを
池田彦さんで分けて考えていると。で、これ多分池田明子流の整理なんで 一般的な整理では多分慣れてますけど彼女は道徳っていうのは悪いことはしてはいけないからしない
っていうものがある。まあ悪いことはしちゃダメだ。法律とかいろんなさ決まってじゃん まあ悪いことはしちゃいけない
人を殺すのは悪いことだからしてはいけないことだから人を殺しちゃいけない でも倫理ってのが違うと悪いことはしたくないからしない
自分が決めること。他の人がこれはダメだダメだって言ってるのに従うのは道徳 っていうものに対して道徳的に生きていくこと
どっちかというとそれは多分多少ネガティブに見ていてそうでなくて悪いことはしたくないと 私はしたくない
だからそれをしない。だってあるいはこれは良いことだから私はそれがしたいからする っていうように考えていく
っていうふうにことをね教えてくれている。めっちゃわかりやすい整理ですね。 善悪みたいなものっていうのは実は僕らもう直感的にすでに知っている
だからこれはどっかの乱価の本で読んだんですけどそう例えばなんかちょっと小さいさ プールがあってそこで子猫がさなんか溺れてたさ
多分普通助けると思うんだよね。なんかあえて助けない人多分あんまいないじゃん。ちっちゃい子猫がね 溺れてニャニャって言ったら普通助けるよねってそれに多分すごく近くて
まあ何か良いことをするっていうのはそれがもうやっぱりやるべきだってこと。僕ら別に説明をしないでなんで 溺れて猫を助けなきゃいけないんですかなって多分誰も言わないじゃん
いや普通助けるよねみたいな。で多分それは同じで人を殺しちゃいけないってことも僕らは知ってるんですよね
やってはいけないというかやりたくないからそんなこと。でやりたくないっていうその感情がまずあってそれに従ってちゃんと善悪手の判断していくっていうことが多分大事なんじゃないのっていうことでまあ僕らはだからもともと持ってるんですよね
その善っていうのを判断したり悪手の判断したりする能力を持ってるんでそれに従って日々ちゃんと判断していくと。でもしでもそれを自分でこの直感を裏切ってしまうと
彼女はその多分不自由になるって表現してるんですね。自分が本当はこれはしたくないしたくないからやりたくないやらないものを分かっているけれどもそれをなんでしょうね
俺は本当はこんなことはしたくないんだけど周りから言われてからやらなきゃいけないってなどさその直感を裏切っている。自分は倫理的な判断でこれはやってはいけないってことは分かっているしやりたくないんだけど
いろんな時代のルールとかいろんなもの文化とかでやりたくないんだけどやらなきゃいけないって言った瞬間にそれがすごい不自由になるっていう
それを不自由と言ってますね
そうそこを不自由って繋げてるふうに僕は読み解いてますね。これはでも若い頃の僕にかなり影響を与えてサラリーマンとかねやっててさまさになんかやりたくない
いや純粋にしたくないんですけどみたいなことをやらなきゃいけないじゃない。本当に細かいのが上司の反抗を集める反抗スタンプラリーみたいなのをマジでやってたんですよ
やだよね恥ずかしいよねなんだあの子みたいなそんな俺したくないしと思いながらさでもさやんなきゃいけないからやってるっていうその瞬間ってすげー不自由な感じするじゃん
すごい細かい話だけどでもそこのなんか不自由って結局次の自由の話も入っていっちゃう話なんだけど
自由っていうのはでもそうやってなんでしょうその瞬間僕は不自由さを感じるわけでしょ
でもそれって結局なんでしょう自分で選んでるじゃんっていう話もあるわけですね自分が大企業に入ってさスタンプラリーをやっていてそれは俺はやりたくないんだけどやりたくないんだけどやらなきゃいけないから不自由だって思ってる自分はさ
これはでもよく考えるとお前が決めてることじゃないかと別にそこでもちろんなんだろうねこの会社おかしいみたいなことをさ言うのもありだけど
というかでもそれをお前会社辞めるって選択肢あるじゃんとか言ったりね他の選択肢があるわけだから
2つ目の論点でとこのイケラックソンの論点だとこれもすごくシンプルでいいなと思うその自由というのはその気づくものであると
自分は自由であるってことに気づいていくでやっぱりいろいろこうね道徳とか倫理とかそういうものの摩擦の中に生きていくと
自分が不自由な感じを抱いてしまって本当はこんなことしたくないけどしやらなきゃいけないだったりこんなことがしたいんだけどそれを何でしょ
ねいややれない例えば母親だからできないとか会社員だからできないとかまああれフリーランスだから経営者だからとかさ
なんかなんとかだからできないみたいなものではこう我々生きてとそういうものがこうふつーとこうそういうもの縛られながら生きていくけど
一回ちょっと立ち止まって気づけと気づくといやそれお前が全部自分で選択しているものでその選択すらも別に自由だから
別に会社員僕はまあこの本を読んだから会社辞めたわけではないですけど会社辞めた時とか振り返っていくと本当にそういうことを気づいたんですよね
別に会社会社にいるって判断してるの俺らし別にじゃあ別に辞めても辞めるのも自由だよなっていうね
でそこでなんかね変になんか自分の中で社会人になったから会社は3年勤めなきゃいけないとかさ今も言わないけど僕の頃やっぱ言われてて最低3年
勤めなきゃいけないとかもそれまさになんか道徳だよねなんかそういうふうに3年で辞めてはいけないみたいなルールがある中ででも俺はやりたくないでそれでもやりたくないって思いながら会社員を続けてるのはやっぱり自分が決めてることだから
って言ってまあそれ僕はだからそこに気づいたかなまあある種自由になれたっていうような話なんかに多分近しいことが書いてあってでこれを14歳のさ中学生とかに結構ちゃんと丁寧にねこういうことを教えてくれる
そんなねところがあってすごいまあここまで行ってもかなり分かりやすいんですよすごい分かりやすいみんなのなんかこう多分なんか体験したことがあることをしているのですごく分かりやすく教えてくれてるんですよね
いや14歳の人に説明するというのが一番難しかったりするよね
スッと入りにくいことだしねなんか哲学的でもある程度は伝わるっていう年代で言葉選んで
だからこれを知ってたらあの中学校の時はよくわからない拘束耳に髪かかっちゃダメとかスカートもあったでしょ膝上なんとかで追ってたらダメだった
サスペンダーもダメだったんだよねサスペンダーで釣り上げるっていう持ってないですみたいな
そう私だけだけど
そういうものに対しても別にそのいちいち先生にやっかみを言いたいわけじゃないけど自分で判断できるよね
確かに拘束とか先生はそう言うけど自分はそういうことは別にしたいしたくないとか
池谷さんは若き生き早もあれだったんですよでも会社辞めるときにそういう思考をしたというかそういう思考に助けられたという経験があるんですよね
スパッと辞めた感じがあってそれは変わらないんだと思うんですけど
自分池谷さんの中ではそういうぐるぐるしたはしたんですよ
そうでしょうねやっぱりそういう当時の常識とかもあるしねっていう中で
いやそうですよね今の話で言うとさこれまさにあれですよその規則の話があって
こういう考え方すごいいいなと思ってこの子供たちに向けて語ってるんですよね
まさに拘束だよねどうしようもない拘束があるとそういうときに
君はでもどうしてもたぶん髪を染めちゃいけないっていうルールがあったらどうしても髪を染めたいんだったら
もうこの拘束は自分で破るしかないと決めたんだったらそれだけの覚悟と責任でもって破ればいい
なぜならそれが君が本当にしたいことだからっていうことがあって
君が君の人生で本当にしたいことを君の自由で決めたんだから規則を破ることの報いとして
罰を受けることになって決して悔いなどないはずだ
これヤバいよねこれを14歳の若者に言ってるすげえパンクでいいなって
本当にかっこいいですね
規則を破ることが悪いとかではないとお前が破りたいんだったらやめればいいし
その罰を受けるのもお前らしいそれが自由と責任であるみたいな話で
会社を辞めるっていうのは近いものはあるよね
自分で自由な判断をしてその当時の常識だったり
ある種の何かに背いて責任を取らなきゃいけない
誰も他の人が責任を取ってくれるわけではないけど
でも自分で選択したことだから
それが他の人が何と言われようがある種の罰を受けようが
でもそれでも俺はやりたいんだって思うことをやりなさいっていうことは
めっちゃパンクでいいよね
すごい好き
一番のきっかけは何だったんですか?
辞めるってもうこれは辞めるって決めた
でもそれこそやりたくないからやりたくないみたいな話で
うちの会社は残業代出ない会社だったんですよ
固定の残業代が入っているみたいな感じの会社で
残業代出ないから普通に帰るじゃん定時終わったら
僕ずっと帰ってたんですけど
ある日クライアントの飲み会を入れられてたんですよ勝手に
僕確かに予定入ったのそもそもあるじゃんそういうこと
今日行けないんですけどみたいなこと言ったら
お前それは社会人としてどうかと思うみたいなこと言われて
やめようかなと思って
もうそれで積み重ねがあるけど
積み重ねがあるけどそれはすごいきっかけだったのはよく覚えてますね
そうなんですね
よくボイシーで池谷さん話してたのが電話係
お昼にみんなランチ食べに行って池谷さん弁当かなって
でもいないから池谷さん出るしかない
なんで俺が島にいてしかもブログ書きたいのに
ブログ書くために自分で弁当食べてさあブログ書こうって
俺しかいない島にみたいなさ
あれをやりたくないけどしたくないから
でも完全にスルーもできないじゃんさすがに
いるけど取らない
したくないけどやることはもういないなみたいなあの不自由さで
でもその不自由さを選択してるのは自分だから
そういう風に教えてくれる
でもやっぱり僕ら生きてるとそういう不自由さっていうのは絶対感じながら言ってください
不自由さっていうのは意外と自分でもう選択してるもので
いろんな肩書とかに縛られてあなたが選択してきたものだから
一回そこをフラットに見て良いこととか悪いこと
っていうのは私たち内在的に知ってるから
それに従ってまずいろいろ判断してみようと
で彼女は他にも何者でもない私
イコールノーバディっていうキーワードをすごく掲げていて
何者でもない私
要するにこれだからリブライカキャットとかに近いかもしれない
人間っていうかもう何者でもないと
何者でもない私っていうものに一回立ち帰って肩書とか
いろんなものを捨てた上でそこで一回自由になる
自由な資座を手にしてみる
っていうようなある種の思考の訓練というかそういうことも教えてくれて
僕らもやっぱりこうやって仕事していくと
僕も今アニメを作ってアニメの原作者みたいな
それも立派な肩書かもしれないし
なんか僕もそこに誇りを持ってるけど
でもそこは何でしょうね
いろんなものに重みがあって縛られていって
そこでまた不自由さみたいなのが当然出てくるわけだよね
一回でもノーバディであると
何者でもない自分、私っていうものが
実はそれが本当の姿
っていうところに立ち帰ることの重要性なんかも
これはこの本の中ではそこまでは書いてないんですけど
彼女の著作家が結構ね
この何者でもない私みたいなキーワードになっていたしますね
なんか仏教的でもあるんですね
仏教的です本当に
そこが自由に繋がっていくっていう
すごくシンプルな話だよね
やっぱり自分で折りを作って
自分で鍵かけて
それ不自由だ不自由だって言うけど
お前自分で鍵かけて
自分で折り作ってんじゃんみたいな
すごいねそういう感じのね
私はねなんとかだからとかっていうのは
一回やめようよってことをまた語ってくれると
すごくわかりやすいいい哲学ですよね
大事そうなんだね
人生教訓
そうですね3つ目で言うと