1. 本つまみぐいラジオ
  2. 【10-2】1万年かけて失われた..
2025-10-15 30:18

【10-2】1万年かけて失われた思考OSを取り戻せ「中動態の世界」

今回のテーマは「あなたの知らない歴史」


【1話目】イケハヤ:万物の黎明

【2話目】しゅうへい:中動態の世界 意志と責任の考古学

【3話目】幸あれこ:⁠⁠⁠むかしむかし あるところにウェルビーイングがありました

【4話目】3人で楽屋トーク:3冊のつまみぐいからそれぞれが思ったこと、コメントの紹介など


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本つまラジオは、オーディオでも動画でも好きなスタイルで視聴可能。

通勤や戸外でのながら聞きには「無料ダウンロード機能」がおすすめ。

オーディオもビデオも、ギガ消費なしで外でゆったり楽しめます。


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「本つまみぐいラジオ」とは?

読書好き3人が集まって、カフェで雑談しているようなゆるいラジオ番組。


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【こんな方にオススメ】

・忙しくてなかなか本を読む時間がない

・面白い本をサクッと知りたい

・幅広いテーマの書籍と出会いたい


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【本好き3人の紹介】


・幸あれこ(司会)

こどもの頃から本が大好き。

熱を出して寝込んでいても、枕元に本を持ってきて読んでしまう努力家タイプの読書家。

ただ、読んだ本の内容はすぐ忘れる。

元フリーアナウンサーで、人気ラジオ番組のパーソナリティ経験もあり。

斜め右下からの誰も予想できないコメントを繰り出す。

極度の方向音痴で、「ほくろがある方が東」と覚えてなんとか生きている。


幸あれこのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sachiareco⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

幸あれこのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠心をほぐすラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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・イケダハヤト(イケハヤ)

標高500mの高知の限界集落に生息するイケボ。

無類の本好きで、自身の書籍「まだ東京で消耗してるの?(幻冬舎新書)」、「武器としての書く技術(KADOKAWA)」など10冊以上出版。

ビジネス系インフルエンサーでもあり、YouTube、Xなど含めたフォロワー数は80万人を超える。

2014年に東京から高知に移住すると、ヤフーニュースで炎上。

東京で消耗はしてないが、高知の山奥で花粉症で消耗中。

音楽はマーラー、エスニック料理はビリヤニ好き。


イケハヤのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/IHayato⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

イケハヤのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠イケハヤラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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・しゅうへい(多重債務)

本よりも「本を読んでいる自分が好き」。怠け者の読書家。

インスタライブ中の「オススメ本教えてください」というコメントに、「この本すごくいいですよ」とまだ読んでない本を紹介したことがある。

この番組の収録スタジオでもある「LLACハウス」を2024年10月に瀬戸内の島に建設。

建設費8,000万円のうち6,000万円は銀行借入。

2022年に自身初の書籍となる「お金の不安ゼロ化メソッド(KADOKAWA)」を出版。

日々返済に追われ、「お金の不安しかない」と心境を吐露する。


しゅうへいのX:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/shupeiman⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

しゅうへいのポッドキャスト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠1年後の自分を楽にするラジオ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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番組の感想、つまみぐいして欲しいテーマなどのリクエストも募集中。

番組のハッシュタグは「#本つま」。

放送にいただいたコメントなどは、「楽屋トーク(4本目)」で紹介しています。

あなたのお便りお待ちしています。


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サマリー

このエピソードでは、国文広一郎の著書『中動態の世界』を通じて、言語の歴史や自由の概念について考察します。特に、能動体と受動体だけでは説明できない現象を「中動態」を用いて考えることで、文法と社会の相互作用についての新たな視点が提供されています。また、中動体の概念を通じて、社会の変化と自由化についても考察されています。スピノザの哲学が中動体の理解にどのように寄与するかを探り、内面的な変化と自由を結びつける重要性が語られています。さらに、スピノザ哲学を通じて、中動態の視点から人間の意思や責任について考察されています。自由と受動の相互作用が私たちの決定に与える影響についても討論されています。

中動態に関する基本概念
本つまみぐいラジオ。この番組は、本を読まなくても、本のおいしいところだけを一口サイズで耳からつまみぐいできちゃうラジオです。
今回は、あなたの知らない歴史というテーマで本を持ってきていただいておりますが、今回はしゅうへい氏の本ですね。
国文広一郎さんの【中動態の世界】意志と責任の考古学という。どうですか。僕がこんな本を持ってくると思いましたか?
確かに。身長文庫の割と分厚めのやつよく読みましたね。
国文さん大好き。
これね、先に言っておくと難しすぎて挫折しそうで、僕は今日恐竜の歴史にしようかなと思いました。
振り幅が。
もうちょっとライトな方に。
6600万年前に隕石が落ちてみたいな。にしたかったけど、それはグッとこらえて、ちゃんと【中動態の世界】。
でもこれね、本当に読んでよかった。もうこれ本つまなかったら読んでなかったんじゃないかな。
僕も確かに【暇と退屈の輪郭】めちゃくちゃ面白くてハマったんだけど、ちょっとこれはね、買ったんだけど本当に手が出せなくて。
歴史って言った時に、あれ、そういえばこれ言語の歴史だなと思ってちょっと読み始めたんですけど、読み始めたらですね、きつい。きついです。
この本一言で言うとですね、まさに今日テーマがあなたの知らない歴史なので、言語の歴史を解き明かす。
で、解き明かすことで何がわかるかというと、本当の自由がわかる。
真の自由がわかります。
もっと言うとですね、これ読むと、あれちょっと今の世界やばない?僕らが生きているこの世界。
って思えるような本になってて、まさにさっきの万物の例明もそうですけど。
ちょっと危機を感じるような。
そう危機を。ちょっと今の世界まずいんじゃないですか?っていうのが本当に。
陰謀論とかではなくて、それが実は言葉の影響をものすごい僕らってこの社会受けてる。
また、もちろん社会が言葉に影響を与えてる、言語に影響を与えてるっていうのも部分もあるんですけど。
自由って聞くとどうです?
僕らフリーランス的に生きてるので、フリーランス、自由だ!みたいな、あるじゃないですか。
でもぶっちゃけ、全然自由じゃなくないですか。
さっき池谷さん、どこに住むとか、離脱の自由とかはあるけど、だからといって好き勝手できるわけじゃないじゃないですか。
ですよね。
なんだかんだ意外にやることも多いし、自分で決めなければいけないという。
分かる分かる。
決断も多い気がしますね。
最近そんな見なくなるけど、キラキラフリーランス会話みたいなのあったじゃないですか。
私のアフタヌーンパーティーしたんですよ。
羨ましい。
でもそんなことないよね。
まさによくある自由の勘違い。
何でも好きにできるんじゃなくて、結局自由って制限の中でどうするかっていうこと。
体だって自由に動かせるけど、じゃあ腕を3本にできますかって言ったらできない。
できない。
ですよね。
っていうところなんですが、そういう自由の前提を置きつつ、
じゃあこの中導体っていう言語の様式ですよ、形式ですよね。
その歴史みたいなものを紐解いていくと、
じゃあ本当に僕らが求めるべき自由みたいなものが見えてくるというのを、
3つのポイントで紹介していきたいと思います。
今までで一番頭良さそうな声です。
さすが朝4時まで。朝4時までやってたわけあるね。
寝不足で。
朝4時までですよ、リスナーの皆さん。
それぐらい僕は本と向き合ってるんですよ。
私寝れないんですよ。
早く寝ようよって言うけど。
準備を早く終わらせなさいよって話なんだ。
メガネ持ちながらコナンみたいになってるのやめてよ。
徹夜の聖火を見せてください。
期待値が上がるの嫌なんだけど。
3つのポイントでいきます。
まず1つ目、そもそも中導体って何ですか?
文法と責任の関係
これあんま聞いたことないワードですよね。
聞かないワードですね。
聞いたことあるので言うと、似たような言葉で言うと。
ハンバーガー食べたいとか?
どういうこと?
めでたいとか?
陰を踏むとかそういう話じゃなくて。
これ似たようなやつないな。
ここ中を書いただけで。
中国大陸。
わかんない。何を思ったの?
英語めっちゃ好きですよね。英検準一級じゃないですか。
英語の方?
英語の文法で出てくるじゃん。中導体以外で。
なんかこの胴体みたいな。
半導体?
なんでわざとやってるでしょ。
マジで英語ってだって英語って。
昨日の朝4時まで夫婦でどんな打ち寄せしてたんやと思われるか。
たいっていう英語が出てこない。
の。
の?
もうね、受導体とかの。
なるほどね、文法用語。
めちゃくちゃやったじゃないですか。勉強。
全然文法用語は出てこない。
あんまりそういうの覚えない方だったから。
そういうことか。
まさにだから、能動体受導体って今の世界ですよね。
する、されると。
実は中導体っていうのは昔あったんだけど忘れられている文法形式の一つであると。
でもよくわからないじゃないですか、中導体って。
今の世界って要するに能動と受動って説明つきますよね。
例えばボールを投げるとか、ボールを投げつけられたとか、
する、されるで説明つくじゃないですか。
能動と受動で完結してますよね。
そうですね、どっちか。
自動詞とか他動詞とかもちろんあったけど。
愛する、愛される。
とかありましたよね。
で、僕らはそれで別にいいじゃんって思ってる。
別に何の疑問もないですよね。
え、なんか能動と受動以外あった方がいいんじゃないかって思わないよね。
でもね、これ読むと言うと、あれ、僕らの世界って結構危ういなって思うんですよ。
で、どういうことかというと、
する、されるの世界なわけよね。
例えばだけど、かつ揚げってあるじゃないですか。
ポッケ、飛んで音鳴らしてみーやってやつですね。
ポッケに入ってるんちゃうんかい。
どの時代の。
ポッケって可愛いよね。
なんでちょっと用事語なんだよそれだけ。
ポッケ、ポッケ鳴らしてみーや。
ポッケ、ポッケ鳴らしてみーや。
ぐちゃぐちゃしてる。
いい人なのかもしれないですね、実は。
実はかつ揚げって。
あんま入ってないの入れといてるみたいな。
はい、で、じゃあ、えっと。
そうですね、そういうかつ揚げをするといいことですけど。
例えばさ、あれ子さんが駅屋さんにさっきみたいな感じでかつ揚げをちょっとしてみてください。
いいですか。
え、兄ちゃん、ちょっと飛んでみーや。
ポッケある?
で、まあまあお金をちょっと出せって。
あ、じゃあちょっと500円ありますか。
まあいいや、おつこめはじゃあ500円。
お、じゃあ生田さん今500円出したよね。
これってさ、能動と受動どっちだと思います?
えっと、私が出してって言って出したから受動かな。
いやいや、でもそれでもやっぱり500円を差し出したのは能動なのか。
おー、どっちかわかるですね。
今の考察素晴らしい。
今の言葉では、能動と受動だけではこのかつ揚げをうまく説明できないんですよ。
私が欲しいって言ったんだもんね。
そうそうそう。
能動的にやってるのかわかんないのか。
で、例えば生田さんがすごいいい人で、あれ子さんは今日財布忘れてたんで弁当を買えないと。
だから500円をさっきあげるよと。
このじゃあ生田さん500円を差し出しましたと。
これとさっきのかつ揚げの違いを説明できないんですよ。
だってどっちも差し出してるじゃん。
僕らその違いはわかるよね。
文脈の違いで?
そう、わかるわけですよ。
わかるはずなのに、文法的には説明はしきれないわけですよ。
そんな世界に生きてるわけですよね。
ということは、さっきの、今はコミカルな感じだけど、もっと危ないシーンで言うと、
本当に銃を突きつけられて海外でiPhone差し出せとかあるけど、
いやそれ、あなた差し出しましたよねと。
言語の進化と中動体の役割
あなたが出したんですよね。
あなたの責任ですよ、みたいなことを言われがちな世界なんですよ。
かつ揚げだったらみんなわかるけど、
例えばよくあるのが、授業中の居眠りとか。
知ってた?
授業中の居眠りは時々してたのかな?
生田さん、ありました?
僕はもうずっと寝てましたね。
そうなんだ。
めちゃくちゃ意外です。
家で勉強してるから。
学校の勉強は退屈すぎてずっと寝てた。
面白いポップタイプなんですね。
時々居眠りしてたあれ子さんとずっと寝てた生田さん。
僕が先生だったとしたら、
おい生田、何やってんだ。
お前あれ子見習ってちゃんと勉強しろ。
授業中も起きとけって言うけど、
言うじゃないですか、状況知らなかったらね。
でも生田さんがさっき言ったみたいに、
家で勉強してたとか、
例えば親が今入院してて、
妹の授業料稼ぐために新聞配達のアルバイトをしてて、
授業中にどうしても眠くて寝てるっていう状況を聞くと、
なんかその居眠りというものが変わって感じるよね。
でも居眠りしてたらお前の意思だろって言われてしまうのが、
今の状況なわけですよ。
例えばもうちょっと細かいというか、
それ以外の問題とかで言うと、
アルコール遺損とか薬物遺損とかそういったものを、
お前がアルコール飲んだだけだろみたいな。
っていうふうなものでしか説明ができないわけですよね。
またはちょっと惚れるっていうのがありますよね。
僕はあれ子さんに惚れましたけど。
あ、惚れるね。
何だと思ったの?
なんか惚れる。
惚れちゃったみたいな。
まさに英語で惚れるっていうのは。
Dick?
違う違う違う。
Fall in love?
Fall in love、落ちるなんですよね。
落ちるってなんか別に、
自分から落ちようとしてるわけじゃないよね。
だから一目惚れとかもまさに説明がつかないですよ。
だって一目惚れしようとしたわけでもないし、
向こうが一目惚れさせようとしたわけじゃないですよね。
これは何だと。
ここには足りてない視点。
いわゆるperspectiveがあるんですよ。
言ったか?
perspective。
スルーされる以外にちゃんと見るべきものがある。
それがまさに中導体というもので、
その中導体がある世界からすると、
僕らが失ったような視点を取り戻せるわけですよね。
っていうのが一つ目のポイントでございます。
どう?
気になる。
次が気になる。
中導体といういわゆる文法形式が何で失われてしまって、
今僕ら学ばないのかっていうことを簡単に説明するんですけど、
この1万年の間の言語の歴史をめちゃくちゃまとめると、
出来事を描写する言語から、
後遺者、誰がしてるかを確定する言語に変わってしまったわけですね。
その中で中導体というものは失われた。
これ本当に僕、挫折しかけた。
この辺りが文法の話、古代ギリシャ語の文法の話で、
テクネとかメソテイトスとか、
エネルゲイアとか、
いろんなもうやめてっていうものがいっぱい出てきて、
そこで挫折しかけたんですが、
これね、国文小次郎さんすごいのよ。
古代ギリシャ語の授業までちゃんと受けに行って、
そこから本を書いてるっていう。
だからすごい、ちゃんとそこの前提がなければ、
後の議論ができないからちゃんとあるんですけど、
言語好きな人はぜひ読んでみてほしいのよ。
僕はちょっと挫折しかけた。
僕はちょっと挫折って簡単に言うと、
いわゆるそういう進化をしてきた。
実はインドヨーロッパ語族っていうものがあるんですよね。
いわゆる共通祖語とか共通記号とかって言ったりするんですよ。
言語のお母さんみたいな。
何があるかというと、
例えば英語とかラテン語とか、
あとロシア語とか、いろいろオランダ語とか、
そういう結構インドとヨーロッパとかで使われてる言葉の、
元となる言葉があるんだけど、
このインドヨーロッパ語族では、
元々は能動と受動という対立ではなくて、
能動と中動という対立だったんです。
だから受動体っていうのは実は、
後になって生まれた言語様式だっていうことがわかってるんです。
これはまさに言語の考古学みたいなものなんですよね。
それをちゃんと調べていけばするとわかると。
で、中動体はいわゆる受動体に置き換わっていた。
社会の変化と中動体の意味
じゃあ何でそんなことが起こったのかっていうことなんですね。
それは一言で言うと、
出来事の自由化を問う社会の変化があった。
つまり、いわゆる言語のOSが変わったわけなんですよね。
社会の変化とかで。
で、その中にある一番大きなもので言うと、
キリスト神学の罪の概念が関わってると。
要するに、お前は善の行為をするのか、
悪の行為をするのか、
お前どっちを選ぶんだみたいな感じで、
お前がそれをやったのはお前の責任だと。
逆に言うと、
あなたがちゃんと善な心を持ち、
善な行為をすれば、天国に行けますよみたいな。
そういうような世界観になったから、
つまり、やった出来事を、
誰がやったのかっていうのを明確にしていかないといけなかった。
で、まさに中動体っていうのはですね、
これもちょっと説明が難しいんだけども、
するされるではなくて、
その物事が外で起こってるのか、
うちで起こってるのかみたいな概念の違いなんですよね。
ちょっとここすごく難しいんですけど、
要するにそれまでだったら、
古代ギリシャとかそういう世界観であれば、
何々が起こったからって言って、
じゃあそれ誰がしたかとかっていうことはあんまり問われない。
ただそういったことが起こった、
そういうものがあるみたいな。
自分にも影響があるようなものであれば中動体だし、
自分の外に影響するものであれば、
能動だっていうふうに処理をしてた。
でも結局それだけだと、
じゃあ戦争でこの人が殺されたって言ったら、
誰が悪いのかみたいな。
まさに罪は誰の中にあるのかみたいなのを、
問いただすような社会の変化が起こったからこそ、
こういう中動体っていうものが、
だんだんその視点が少なくなっていって、
中動体、どっちがしたのか、されたのか、
はっきりしなさいよというような社会に変わっていったから、
亡くなっていったというようなものなんです。
スピノザの哲学と内側の変化
でも細かい話で言うと、
中動体的な視点っていうのはやっぱり失われてはいない。
僕らの中に必ずある。
さっきの恋に落ちるとか、
一目惚れをするとか、
物思いにふけるとか。
ただ僕らはそれを、
能動と自動のどちらでもないんだけども、
なんとなく理解しているという状況なんですね。
ここまでどうですか?
中動体を失った歴史を。
そこに関してはものすごい細かく書いてくれてるので、
この中動体について知りたいという方は、
ぜひこれちょっと読んでほしいです。
最後3つ目のポイント。
こういった中動体を学ぶことによって、
なんで本当の自由につながるのかということですね。
これ最後出てくるんですよ、あの方が。
スピノザさんです。
スピノザ哲学が最後に出てきますね。
スピノザと中動体って何か関係あるんですか?
ってことなんですけど、
実はスピノザ自体は、
中動体とか別に言及はしてない。
じゃあなんで?って言うんですけど、
スピノザはヘブライ語文法功用っていう、
文法本を出してるんですよ。
エチカは有名ですけど、
そういう文法本を出してると。
その中で7つ目の動詞の体、
みたいなものを提唱していて、
それが内在原因っていうものなんですね。
うちにある原因で、
スピノザ自体の考えとか哲学、
非常に難しいじゃないですか。
厄介というか。
神とか出てくるね、最終的に。
神が出てきて、
実体は神しかねえと。
じゃああらゆるもの、
このものみたいに見えてるものは、
神が形を変えた変状って言うんですけど、
それの様態であると。
僕らは神で、
神が変状して、
今この瞬間、
こういうものにただなっているだけ。
っていうことらしいんですよね。
っていうところで、
何を、スピリチャル系ですか?
みたいな。
なりそうなんだけど。
それで結構スピノザ哲学って、
癖があるって言われるんだけど、
実はそうじゃなくて、
こういうふうに、
スピノザは文法から、
ちゃんとものすごくスペシャリストで、
まさに中道体のような視点を持ってたと。
国文さんはここで書いてるわけですね。
まさにスピノザの哲学自体が、
本当の自由に関して、
非常に端的に表してると。
別のインタビューであったんですけど、
いわゆる17世紀って、
哲学がものすごく進化して、
まさに僕らは、
今この民主主義とかって、
17世紀、18世紀の、
多分その哲学、
カントとかいろいろいましたけど、
その辺によって、
僕らは今生きてるんだけども、
もしスピノザが、
あの当時メインの哲学者になっていたら、
スピノザ的な視点が続いて、
歴史が立ってたら、
全然僕らと違ったOSで生きてただろう、
というようなことを、
どっかのインタビューで話してたんですね。
それがどういうものかというと、
本当の自由は何かということなんですけど、
まずさっき言った、
僕はあらゆる実体は、
神しか存在しない。
神イコール、すなわち自然である。
なんだけど、
神に外側はないって言ってるわけですよ。
スピノザは。
神はもう神で、
全てなんだから、
全てに外側はねえだろう。
アレコさんどうですか?
そうですね。
何を外側って、
その細胞からってこと?
細胞の外側ってことですか?
すごい難しい概念になってくる。
アレコさんに外側ってないよね、たぶんね。
私の外側?
だから細胞の外側?
錠剤菌みたいになるし。
難しいよね。
どこまでが、
そうそう錠剤菌?
どこまでなってくると、
どこまでかってなっちゃうけど。
非常に難しい。
僕もね、
本当に全然、
完璧には理解できてないんだけど、
イコール神に外側はないと。
全て神なんで、
僕ら含めてね。
空気も。
そうそう、
それは神が変形した姿なんだということで、
神って、
そういう神ではなくて、
死んだ晩商みたいな。
自然そのものです。
自然ってものの外側って、
全部自然じゃないですか?
そうですね。
あらゆるものが。
そうなんですよ。
で、
そういう世界観であると。
じゃあ、
そうするとさ、
さっきの受道と能道と中道の話ですると、
神は外側を持たないんだったら、
僕らその内側で全部やってるから、
僕らこうやっているのも、
全部何かしら、
変状、
何かが起こって、
影響を受けて、
僕らこうやって今存在してる。
ってことは、
僕らってもう、
全部受道なんじゃないの?
何かをずっと受けてる。
って思うよね。
でも、
実はそうじゃなくて、
確かに、
僕らこうやって今いたりとかするのは、
何か神が変状して存在しているんだけども、
その中で、
じゃあ、
自分の中で何かが変わるわけじゃないですか。
例えば、
今池早さんの万物の霊明王の本を聞いて、
歴史観が変わったよね。
それは、
確かに池早さんの影響を受けて、
変わっているんだけども、
でも、
話を聞いて、
自分の中で熟成していくというか、
何か考えが変わっていく感じって、
内側で起こってるじゃないですか。
だし、
例えば、
さっきのかつあげの話じゃないけど、
かつあげするよりも、
誰かに500円渡していった方が、
気持ちがいいよねっていうような変化が、
自分の中で、
内的なプロセスで変わっていった。
それも、
実は、
変化ですよね。
これじゃあ、
受道かっていうと、
そうじゃなくて、
こうやって影響を受けているんだけど、
その影響を自分の中で熟成していく、
この過程自体は、
濃度的な変化であると。
内側で変わっている。
これも結局、
二次的な変状っていうふうに言って、
本当にちょっと、
いやこしいのが、
一回外から受け、
その中で、
またプロセスで変わっていくと。
要するに、
この濃度と受道があると。
濃度と受道っていうか。
呼吸がそうですよね。
バッてシューって酸素が入っていって、
そしたら心臓の中で、
ポンプが動き出して、
それで二酸化炭素を作りますよね。
それが受道と濃度ってことか。
ここ入ってくるときは受道なんだけど。
自分の中でね、
確かに。
でもそういうのありました。
血液とかも、
要するにそういう何かの様態であって、
血液が流れている。
受道っぽいけど、
意外に濃度で作ってるみたい。
そうそう。
まさに面白い。
スピノザワは濃度と受道に関しては、
濃度は良い行為だと。
受道はなるべくないほうがいい。
そのくらいの整理が本当に上手なんですけど、
ちょっとまだ理解しきれてないんだけど。
だからそういうふうに、
じゃあ何か、
要するに二次的な変状ですよね。
自分の中で変わっていくプロセスを、
これをスピノザワはコナッツ。
っていうふうに言ってる。
もちろん国文先生の考察ではあるんだけど、
要するにスピノザワを大事にするのは、
コナッツ。
自分の性質を大事にしなさいと。
暇と退屈の倫理学の中でも言いましたよね。
自分がどうしてもそれをしてしまうというか、
自分がそれをしてるときが、
エネルギー感が高いみたいな、
そういう自分の性質が大事だと。
このコナッツイコールまさに、
変状する能力だっていうふうに書いてあるんですね。
どういう影響を受けるかっていうのは、
もちろん受道でしかないんだけども、
その中で自分の内的なプロセスを回していく、
能動的な変化みたいなのが、
いわゆる変状する能力であり、
その変状する能力がコナッツである。
たぶん池早さんはどんなに、
サラリーマンをやれとか、
いろんなメッセージを社会的に受けるわけじゃないですか。
安定した会社に入れとか、
変状する能力とコナッツ
普通に生きれば一番だとか、
独立なんかできないっていう、
いろんな言葉とかを受けながらも、
池早さんの中で、
いや、それなんか違えよなと。
もっといろんな生き方あるかもしれないよね、
たぶんブログを書いたりとか、
NFTやったりとかしてて、
それはたぶん池早さんの中で、
変状する能力、
コナッツみたいなのがあると思うんですよね。
そういうことですよね。
そう。で、
これ面白い例えがあるんだけど、
農工馬と競争馬の違いは、
農工馬と牛よりも違うっていうふうにあるんですよ。
そう。
これがまさにコナッツの説明で、
非常にわかりやすいんですけど、
農工馬って。
馬、だから馬ですよね。
畑の上を歩く馬ですよね。
そうそう。で、農工馬と競争馬っていうと、
まさに畑で働いてる馬とレースに出てる馬。
この違いよりも、
農工馬と競争馬の違いは、
農工馬と牛よりも違う。
だって、農工馬と牛と馬なんてさ、
馬と牛なんてさ、
全然違うわけじゃないですか。
その違いよりも、
農工馬と競争馬は違うっていうふうに、
同じ馬なの。
それなぜならば、
農工馬はとにかくその重たいものを引く、
という能力、
というか返上する能力を持っていて、
でも競争馬は、
要するに人を上に乗せて、
そして速く走るというようなものを、
獲得していこうとするというか、
それにあったように返上している。
そういうふうに紹介してくれてるんですよね。
だから、コメントがちょっと長くなってしまったんだけど、
何が言いたいかというと、
本当の自由っていうのは、
自分の中で起こるプロセスみたいな、
中動態とスピノザ哲学
この後返上する能力みたいなものを、
理解する。
僕らは、
例えばさ、
好きに生きていくって決めるじゃん。
でもその決めたというプロセスは、
多分、
自分が勝手に決めたというよりも、
いろんな社会の変化とか、
いろんな人の声とかを聞きながら決めた、
っていうようなプロセスが必ずある。
それが、
能動受動だけでは説明できない。
いわゆる中道体というもので、
中道体みたいな世界観で見ていくといいと。
だから最後、
勝上げで説明ができないって言ったじゃないですか。
それは何かというと、
このスピノザ的な中道体視点を入れると説明がついて、
困ってる人にお金を渡すのと、
落とされたお金を渡すの違いはどういうものかというと、
困ってる人にお金を渡すっていうのは要するに、
そういうことをしていくと人は喜ぶのだというものを、
いいなと思う自分の価値観がその中にはあるよね。
でも、
そういうものがあるから渡したんだっていうことが分かるじゃないですか。
でも、
落とされて渡すのはそうじゃない。
落とされていて、
いわゆるすごい受動的なものが強くて渡しているっていうふうに説明がつくよね。
でも、寄付とかするっていうのはどちらかというと、
中道体的な視点でいうと、
そういう何かいろんな影響を受けるのが自分の中で変わっていったものが、
こういう人にいいものを渡したほうがいいなと。
そういうふうに思えるのはコナーとしてでもあるし、
そういう返上する能力を獲得してるからこそ、
そういうふうになるよねというような話でございます。
自由と意思の相互作用
なるほどね。
結構それは本文も最後はスピノザ哲学の話に繋がってるんですね。
繋がってるんですよ。
スピノザにいってるんですよ。
でもスピノザは別に中道体に関しては、
特に研究はしてないというか、
ヘブライ語の中で同じような概念について言ってるから、
でもスピノザは多分中道体みたいなものをちゃんと理解してたんだと。
国文さんの考察なんですね。
結構分厚い本ですね、その前とね。
物語があるというか、本の流れもね。
言語の歴史から始まり、
最後は国文先生お得意のとかスピノザ哲学の方を、
さらに分かりやすく紐解きながら、
自由とか責任とか意思とか、
そういう話をまとめている一冊ということです。
素晴らしいまとめ。
読んでみよう。
そういう話は好きなんで、めっちゃ面白い。
これはね、本当に骨太でした。
挫折してます。
あ、してるのか。
だからもう一個例えると、
自転車に乗るときは別にさ、
力づくで支配しようみたいなものはあんまりないわけじゃないですか。
自転車をなんかやるじゃないですか。
でも自転車と一体になってますよね、乗りこなすって。
つまりそれは、自ら変容させてるわけですよ。
自転車に対して自分の体を。
だって自転車に乗れないって、
じゃあ自転車うまく扱えないじゃないですか。
あほじょりにつけるけど、
でも乗れ始めたらめっちゃ簡単に自転車って乗れますよ。
だからペンとかも一緒だよね。
だからそういうふうに、
自由っていうのは、
自転車を力づくで支配するのではなくて、
自転車と一体になって、
自由にいろんな場所に行けることが自由だと。
これは面白いよね。
だから、何でも好き勝手やるってことではないっていうのは、
言いたいってことです。
難しい。
難しいよね。
一番周平史上、一番ちゃんと難しいと。
ほんとだよ、これ。
いろんなワードが出てきたらちゃんと。
出てきた、たしかに出てきました。
難しい言葉がいっぱい出てきた。
これでもかなりはしょったんですけどね。
そしてはしょるとよくわからない部分が出てくるから。
出てくるから。
これはもうしょうがない。
でも僕はだいたい言わんとすることが伝わってる。
池淡さんも気になるっておっしゃってた。
とにかくする、されるだけでは、
僕らの世界は今成り立ってるけど、
怖いよねって、いろんな中毒とかも含めて。
面白いね。
文法っていう観点から、
そういう意思とか責任っていうところを描き直して、
自分の中の能動っていう、
心の中の能動っていうことに気づいていって、
それからある種の自由っていうのを気づいていきましょうみたいな、
メッセージ性なんだろうなと思いながら、
ちゃんと読みますわ、それ。
自分でこれを決めたって思っても、
それは実は自分で決めてないよね。
それは良いことも悪いことも含めて。
いや、これ、だから自分でちゃんと考える力ないと、
あれだね、出てこない答えだね、これを。
そうだね。
これってどっちなんだろうとか、
そのまま受け身のまま生きてるとわかんないっていうか。
私自身もじゃあこれはって日頃から問う癖がないと、
全然思いつかない考え方っていうか。
いろんなプロセスが走っているっていうふうに考えるといいかもね。
自分が決めたとか、
あなたの責任でしょ、あなたの意思でしょじゃなくて、
いろんな影響を僕らは受けまくっていて、
かつ受けてるんだけど、内側のプロセスもまたあるから、
それの結局相互作用でしかないっていう。
このもん好き。
深いお話。
僕が昼間で寝るのも結局自分の意思ではない可能性があるわけですね。
私もそれ途中でも、
だからこの本読んで気が楽になったって言ってたんだろうね。
言い訳につかそういう言い訳を与えてくれる一冊なのか。
何回も言ってたんだけど、これすごく気が楽になるんで。
それはあるけど。
言い訳にするというよりかはどっちかというと、
先延ばしするっていうのは、
いろんな影響を受けて先延ばししちゃうコマトスを持っている。
その性質を。
それを返上する能力をうまく形成逆にしていくことによって変えられるかもしれない。
今日の朝4時までやってた奴もよく言うわマジで。
全然ギリギリじゃねえよ。
意思力とかそういう話じゃない。
気延ばししまくって、
今日の朝4時までやってた奴も言うことじゃねえな。
さすがに。
裏話はカットさせて。
いいオチでございました。
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では次回は私この印刷をご紹介いたしますので、
ウェルビングの歴史についてです。
お楽しみです。
次回もお楽しみに!
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