1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2024-09-25 54:17

#252 【雑談】ソクラテス以前の哲学者たちの凄さ/やりたい事から逃げない

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

このエピソードでは、ソクラテス以前の哲学者たちの思想や影響について議論されており、時代背景や世界観の変化が取り上げられています。特に、デモクリトスの原子論やパルメニデスの哲学が後の哲学者たちにどのように影響を与えたのかが詳しく掘り下げられています。また、ソクラテス以前の哲学者たちの思考法や宇宙観について探求し、人間の存在意義や責任について考察がなされます。さらに、カレン・バラットによる新しい実在論の意味や自己理解の重要性が議論されています。著者は、自身の創作意欲や本を書くことへの心理的抵抗に向き合いながら、新たな自己理解を深める過程を描写しています。また、自己表現と創造性についての洞察が語られ、クリエイティブなプロセスへのアプローチや年齢に関係なく自己表現を追求する重要性が強調されています。最後に、ソクラテス以前の古代ギリシャ哲学者たちの影響や哲学の深みについて、今後の研究と考察の展望が示されています。

ソクラテス以前の哲学者たち
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ソクラテス以前の哲学者たちということで、お疲れ様でした。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
いやー、面白かったね。
あ、良かったです。ちょっとね、長くなっちゃったかなと思って心配してたんですけど。
いや、でも全然ね、早く言ったんだけど、当時の資料が多分少ないから、人となりとかさ、面白エピソードみたいなのはどうしてもないんだろうっていう。
まあ、そうね、なかなかね。
その中身だけでもね、すごい面白かったね。
あ、良かったです。良かったです。
でも、本当になんか僕も、まさかここまで面白くなるとは、面白くなるとはっていうか、面白いと感じるとはっていうところが正直あって。
あ、そうなの?
うん。やっぱなんか知識的に、例えばテレスっていうのはもっとこんなこと言ってましたとかさ、ヘラグリトスって実はみたいな話かと思うけど、やっぱりそれぞれの関係性とか発展性っていうところがすごい感じられたんで、今回。
そう、あったし、やっぱり自分の中でもそういうものをなんとなく訪れた気がして、やっぱりなんかこう、ずっと考えてることだけ、やっぱり僕らの考えてることってすごい過去の歴史とか常識にかなり左右されてるっていうか、枠が作られてるし、世界観とか宇宙から見たところもやっぱりその枠の中でしか見れないんだけど、
やっぱりこの時代の古代ギリシャってそれが結構ね、移り変わった時期なんだろうなとか、それこそポリスがね、もうちょっと力が弱まっていくとかそういうところも含めて世界的な影響もあると思うんだけれども、やっぱりそういう変化の激しい時代で世界観とかも変化してるのかなとかって思ったときに、めっちゃ面白いみたいな。
はいはいはいはい。
そう、それってのはそういう感じなんですよね。
なるほどなるほど。
そう、なんかデモクリートすごかったな、やっぱりこう、あるものとないものっていう、前回ねこれも結構話したけど、特に空虚さとか隙間っていうものもあるものに含めていいんだとかって考えられる発想力?
いやー、なんかそれが隙間がある以上じゃなくて、ちゃんと話を聞いた時に、ああそうかもみたいに思えるぐらい、ちゃんと考え尽くす。
だから、あるものはあるんだっていう、例えば師匠が言ってます。その中で、あるものはあるしないものもある、隙間もあるんです以上とかだとちょっと弱いじゃないですか。
そうねそうね。
それもあの、女神が言ってますとかってさ、私も言い始めたらちょっと気味がないというか。
結局ね。
すごいそうではあるけど、ある意味その、パルメギネスは少しそういうイメージを持っちゃったんだけど、めちゃくちゃすごいことを言って、あとは細かいことは言わずに誰かの解説待ちみたいなさ。
すごく頭の良い人に解説してもらうとか見せてもらって、そこから広げてもらうのがマッチみたいなさ、にちょっと見えるというか。
そんなことはないかもしれないけれども、立ち位置としてはちょっとそういうふうに見えて。
だからね、その人なりの凄さもあるんだけれども、そこをちゃんとやり尽くしたパルメギネスの弟子たちというかね、そこの凄さも感じたよね。
だから本当に何か言ってくれたら、僕はちょっと発動したんだけど聞かれて、なんでそのパルメギネスってそんなやつというかそんな感じなのに、
その子のある種思想の土台になるくらいというか、そんだけ周囲の人に衝撃を与えたのかっていうことで。
確かにちょっと僕もそもそもあんまり気にしなかったし、ちょっと知られてもあんまりわからなかったんだよね。
へー、なるほどなるほど。バシッと書いてなかったのか。
そうそうそう。エレア派の基盤となりましたとかって書いてたけど、なんで基盤になったのとか、なんでエレア派って言われるくらい影響力を持ったのっていう話は、
もしかしたらもっとちゃんと知られれば出てくるかもしれないんだけれども、ちょっとわかんない。
そうだよね。だってさ、古代アテネでめちゃくちゃサッカーが流行ってるじゃん。
はいはいはい。
で、その中で、バスケ面白いってよーって言って、次からもうバスケしかできないというか、もうサッカーじゃなくてバスケでしょみたいな新たなブーム立ち上げるってさ、相当大変じゃん。
いや、そうそうそうそう。
もう熱狂的にみんなサッカーやってるとこで、おいバスケ面白いよーっつってさ、流行んないじゃん。
パルメニデスの影響
流行んない、流行んないね。
で、それをやってるように見えて、なんでバスケ流行らせたの?みたいな。どうやって?っていうのはすごいね。
だからサッカーやってる人たちの中で、ちょっと飽きてきてるとか、ちょっと詰めきれてないルールみたいなものがあってもやもやしてる人たちが、
あ、そっちの方がスポーツのルールとして面白いかもみたいな。
実際サッカーとバスケはどっちも面白いけれども、サッカーからバスケに移ったすごい人たちみたいなものが本当に果たしていたのか、それは誰だったのかとかね。
で、やっぱり一個ね、プライベートの時にちょっとだけ増えたと思うんですけれども、やっぱりそれまでのまさに万物は丸々ゲームだよね。
やっぱりやりすぎた時に、それをゲームチェンジしたっていうところはまさに後だろうなと思ってて。
だからサッカーの話で言うと、サッカーやってないんだけど、サッカーに似た競技がたくさん生まれちゃって、
サッカー、アルファ、サッカー、ベータみたいなもので、俺のサッカーの方が楽しいとかって言った時に、
お前ら結局サッカーしか知らないじゃん、こっちにバスケってもっといいものがあるんだぜって言われた時に、確かに俺らサッカーしか知らなかったみたいな。
そういうふうな状況だとすると、やっぱり新しいもの好きというか、サッカー、アルファ、ベータ、ガンマとかって言う時に、
結局なんだよとかって言った人がそっちに行きたくなるみたいな、そういう気持ちはわかるのかなと思うんだよね。
そうだね。あとはもう1個、今の話を聞きながら思ったのが、パルメニアンスはすごく頭のいい人がパルメニアンスの存在を気づいた、みたいな言い方もあるし、
絶対その一面は側面はあると思うんだけども、一方でこれもあるんじゃないかって思ったんだけど、
例えばYouTubeっていうプラットフォームがあった時に、まだ黎明期だよね、にぶち上げた人たち、
黎明期とかもう泣いた時に、YouTubeすげえすげえって言ってどんどんみんな参入して、そこで有名になっていこう、そこで結果を出していこうっていう時に、
どんどんやっぱり競合ができて、YouTubeゲームの範囲がどんどん狭まっていく。
やっぱり万物ゲームもどんどん水とか無限とか空気よりすごいものを言えるみたいな、もうちょっと言えなくなってくるし、
そういうの言ったところで、中々目にも止まりづらくなってくる。
中で、なんかTikTokあるらしいよ、そっちの方が目立つらしいよ、まだブルーオーシャンらしいよ、みたいな。
いやーでもそれにしても、そのTikTok自体に魅力なきゃ映んないからね。そういった意味でパルメイディスが新しいプラットフォーム作ったっていう。
でも本当そう思う。もちろん歴史の答えだけでいろんなことを当時も言ってた人はいるだろうし、
今だってTikTokの周りには似てるようなサービスはいっぱいあったけど、やっぱり買ったのはTikTokだったみたいな話でいくと、
やっぱり買ったのはパルメイディスのやっぱりそういうあるはある、あらぬはあらぬゲームだったけど、
他のゲームはいっぱいある中でやっぱりそこに何かがあったんだろうね。
ムーブメントが起きる何かが。
どちらにせよってことか。
どちらにせよ。
本物だったってこと。本物は間違いないってことか。
やっぱり起きてることはまさに言ってくれたことに近い。
当時の哲学っていうところが混練したところから、次のプラットフォーム、次のプラットフォームってやっぱり。
その中にスクラテスっていうのが次のプラットフォーマーとしているわけで。
話に近い形でYouTubeがあって、TikTokがあって、今あと何があるかちょっともうおじさんだからわからないんだけど今。
もっとリアルタイムなやつがあってみたいな話だったときに、
そういう人類の流れとか歴史っていうところを繰り返すなってやっぱり思うよね。
なるほどなるほど。
だからさっきスクラテスがまた次のプラットフォームみたいな話してくれたけれども、
一旦パルメニレスが作ったゲームでは、デモクリトスのギアアトムっていうやばい回答を出しちゃった。
っていうとこではあるのかな、一旦。
もちろんそれ以外にもいろいろあるんだけれども、それ以外に人もいるんだけど、
なんかやっぱりデモクリトスのアトム論、原子論っていうものはやっぱすごいねっていうものではあるって感じかな。
ただやっぱりそうなると今度は、あるある何言わないゲームとか、あるとは何かゲームの次、原子とは何かゲームがまた出てきて。
あー、まあそうか。
そうなるじゃない、やっぱり。
そうなるか。
2匹目とか3匹目の土壌みたいな話になるよね、たぶんね。
とは何かってもう刑事上の話してんのに、とは何かをさらに突き詰めていく予知があるっちゃあるのか。
あるある。
では隙間とはどういう性質かとかさ、アトムっていうものは結局、
じゃあ例えば何個ぐらいあるのかとかって、いくらでもこうやってできちゃうじゃん、やっぱりやろうとしたら。
確かに。だからそうだよね、それはもし本当だとしたら、
あ、そうそう、あ、思い出した。
何だ何だ。
そう、その話を聞いて、デモクニトスって罪だなって思ったんだけど、
何々ということ?
このアトム論から想定されるのが、
アトムっていう、人間にも岩にも空にも空気にも宇宙にも共通するようなゼロっていうものがありますと、
そのゼロとないってものとあるってもののゼロと一応組み合わせ、
その組み合わせで人間にもなり得るし、石にもなり得るっていうのは、
もうこのデモクニトスってすごく納得するんだけれども、やっぱりそれ聞いちゃうと、
自分みたいな世俗のアテネ市民、考えちゃうのは、
待てよと、そんなすごい物質があるのかいと、
じゃあ金作っちゃおう、錬金術で待てよと。
錬金術になるよね。
そこに簡単に結構結びつくんじゃない?と思って、
錬金術って多分結構マジでやられてきたでしょ?
マジだね、マジでやった。
でも今って金作れるんだけど、
金を発掘したり買うよりもコストが高いってだけで金は作れると、
錬金術も達成はしてるんだけれども、
結構失敗してるし、
こっちの世界では神はいらなくなるって言うけど、
結構神を冒涜した行為ではあるじゃん。
ハーデの錬金術師とかわかりやすいけど、やっぱり人体錬成とかやったら大変となるわけじゃない?
不老不死みたいな。
まさに人を錬成できますみたいなさ。
結構そういう発想の元にもなる罪な飛躍だなと思った。
ほんのりそうね。
ほんのりそう?
ほんとにごめんね。
ちょっと母音がしたからほんのりとほんとにが混ざりましたね。
本当にそうで、当時もう一個大事な概念として、
ソクラテス以前の哲学者たち
ちょっと言ったんですけど、プシュ系は魂っていう話があったんですけど、
デモクインタスのアトムとかを突き詰めると、魂ってなんだ?とか、
魂ってそもそもある?ない?とか、生きてる?死んでる?の違いってなんだ?みたいな話になってくるんだろうなと思うんですよね。
確かに前回デモクインタス、色とか味、甘味苦味もそれであるみたいな話してたから、
ピタスとプシュ系もそれであるって言えちゃうんだね。
言えちゃう。
なんかちょっとね、ごめん、そこ覚えてないから申し訳ないんですけど、
なんかね、そこにも増えてたはず、デモクインタスの。
そうなんだ。
まさにそうだよね。やっぱり全てはアトムと空気を0と1であるってなれば、
仮に亡くなった、死んだ人間もそれをある種巻き戻せばとか、
その適切な状態にやれば生き返らせられるみたいなことって全然あるよねってなるだろうし。
そうだよね。そこの配列がちょっと崩れた時だっていうふうに思えちゃうもんね。
ね。
前回ちょっとだけ言ったリンリとか、当時はないと思うけど、
まさに生命感みたいな話とかっていうところには直結するような話だなと思うと、
これやっぱりね、今回のスクラトゥス以前っていう話もそうだし、
宇宙観と世界観の重要性
哲学やっても常に思うんだけれども、
人間感とか宇宙感みたいなものってやっぱりめちゃめちゃ大事だなって思うのよね。
だって、それがやっぱりこの宇宙、
ある種個人の、あるいは社会の世界の見方とか、
やっぱり物事の捉え方っていうところを完全に基準になっていってるわけじゃん、それが。
やっぱり神が宇宙を作ったって言えば、神が作ったっていう基準の中で僕らは生きるし。
いや、そんじゃなくて、ゼロと一のデジタルな世界だって思えば、
神なんていないから別に何やってもいいじゃんみたいなことも正当化されるみたいな。
ちょっと今極端な話だけど、
やっぱりどういう世界観、宇宙観を持って生きているかってやっぱりすげえ大事だって常に思ってて。
だからこそやっぱりそれをアップデートし続けたいし、
知らない宇宙観とか世界観があったら知りたいって思うんですよ、僕自身は。
最近それに関連してめちゃめちゃ面白い部分があったんですけど、
それこそ哲学の中でも、新しい実在論とかって言われる、かなり現代の話の領域があるんだけど、
そこの一つみたいな中で、カレン・バラットさんっていう哲学者がいて、
その人が書いた本がやっと翻訳されたみたいな感じなんですよね、去年かな。
めっちゃ高いの、9000円くらいして。
それ聞いたかも、同じやつかな。
物理学者であり哲学者であるみたいな人。
聞いたかも。
たしかに雑談で。
なんでもう一回言ったかっていうと、もう一回とかちゃんと読んだって話なんですけど、
前だってまだ途中だったよね、読み始めたみたいな。
やっと読んだんですけど、まさに宇宙観とか世界観っていうのが何でできるかというか、
何によってそれが立ち現れてくるかっていうと、この人は装置だって言ってるのね。
機械装置とかの装置。
まさに機械装置とかの装置。
適切な装置っていうのは、これはもともと物理学者だから、
素粒子とかの研究とかを元に言ってるんだけど、
素粒子とかってあんまり詳しくは深入りしないですけど、
そういうことでよくあるシェーディングはね、語的には話でいくと、
要は観測しないと何が起こってるかわからないというか、
確率的にしか起きてる物事っていうのは言えないみたいな話があるじゃないですか。
要は素粒子みたいな粒子っていうものがどこにあるかとか、
どういう振る舞いをするかっていうところは確率的にしか記述できませんみたいな話なんだけど、
ってことは、何か装置を挟むとその場所が確定するとかその場所がわかるっていうことは、
その装置があって初めて現実は確定してますよねっていうふうなことをこの人は解きほぐしてるんだよね。
たしかにね。ある意味人間は万物の尺度である的な話だよね、ある意味。
そうそう。だから人間というものを装置だと捉えると、
まさに装置が尺度であるっていうのは、その通りじゃいわゆる物差しで測るか、
体重計で測るかによって全然違うっていう話と同じで、
人間が万物の尺度であるっていうのは、人間というものを装置として考えたら、
それは人間というものは基準になるよねっていう話に置き換えられるわけなんだよね。
世界がそういうふうな振る舞いをしてるとしてね、確率的に。
そういう振る舞いはしてるんだけど、ミクロの分にはしてるんだけど、
そういう時に人間という装置を分解すると、やっぱりその人のまさに世界観とか宇宙観っていうものによって、
何が基準かっていうことが変わってきます。要は神を基準にするのか、原始を基準にするのかっていうことも変わってくるじゃない。
なるほど。人間って言っちゃうと人間いっぱいになっちゃうけど、
いわゆるハヤトがとかって個別を個人にしていくと、それぞれまだあるよねっていうね。
あるある。なので、やっぱり装置としての人間、
彼はこれをエージェンシーとかで言ったりして、人間だけじゃなくて他のものも含めるんだけど、
そういう登場人物のあり方によって世界っていうのは変わるっていうのが、
いわゆるファンタジーじゃなくて、それは現実なんだっていう話なんだよね。
自己理解と装置としての人間
はいはいはい。
なので、これも最近読んだ本に、ちょっと無理矢理結びつけるというか、
すごい連想しちゃうんだけど、これも言ったかな、ごめん。
ちょっと最近何言ったかわからないからあれなんですけど、
さっき言ってた星の王子様っていう本を読んだんですよ。
それも言ってた言ってた。小説面白いみたいな。
そうそう面白い中で星の王子様を読んでて、それがまさに繋がったんですけど、
それは一番残ってるのが、これも言ったかもしれないですけど、
僕は僕の場内に責任があるって言葉があって、
星の王子様がね、もともといた星に一輪だけ咲いてる薔薇があるんだけど、
その薔薇に対して、薔薇に僕は責任があるからある人は戻らなきゃみたいな、
そんな感じのことを言うんだけど、
これって要は、宇宙というか世界に対して自分っていうものが責任を持っている。
よくこれは、自己啓発的な文脈で言うとちょっと浅い言葉になっちゃって、
要は、世界っていうのはあなたが本当に作り出してるんです、みたいなさ。
そういうことって言われたりするんだけど、
やっぱり自分の宇宙観とか世界観っていうものから世界ができてるっていうことの逆転っていうのは、
本当にあるんだなって最近思ってるよね。
なるほど、自責志向ってやつね。
自責、確かに自己啓発系とそうなんだけど、
要は、似てるのかな?
いや、違うと思うよ。
かえとが話してることとは違うと思う。
それちょっと違うんだけど、
やっぱり自分が生きているこの世界に自分は責任があるし、
そもそも自分が生きている世界と自分っていうものは絶対に切り離せないというか、
両方が同じタイミングで生まれているっていうことは、
このカレンバラードさんっていう人の本とか読んでも、
むしろそっちがある種、物理学的にも正しい世界観なんだなってことを最近感じてるんだよね。
はいはいはいはい、わかるわかる。
そういう考え方で生きてると、
自分の宇宙観、世界観ってものが自分にとって適切かとか、
それってものがよりもっといい世界観とか宇宙観とかあるんじゃないかっていう風なことも考えられるようになるし、
そこにちゃんと意味が生まれてくる。
前回デモクレートさんの時に、
障が気だったよって言って、
アトム論だとやっぱり宇宙から意味が消えるんだけど、
それもあくまでもアトム論っていうものを基準にして生きている装置としての人間ならそうっていうだけの話なので、
自分、カンのハヤトっていう人間がどんな装置としてこの世で生きていきたいかっていうこと自体は、
いわゆる選べるっていう風な世界観は結構面白いなって思ってるんだよね。
今のハヤトの話聞いて思ったのが、
ハヤトが哲学を勉強するとか、
あとは自分が何者であるのかを知りたいみたいなのがあって、
今の装置の話を踏まえると、
めちゃくちゃ腑に落ちる部分とか、
めちゃくちゃ説明しやすい部分って出てくるよなって思って、
ハヤトは最初さ、
人間って価値観とか社会観とか、
そういった一般常識みたいなものにある意味縛られてたりするっていう話があったんだけれども、
人間個人個人がそれぞれの装置を持ってるって考えたときに、
装置ってものが生まれた環境、国、家庭とかである程度形作られますと。
まず哲学をやるっていうときに、
どういった装置があるのかわかりますっていうところと、
あとはその前に、もしくは同時進行で、
まずは何より先に、
自分が見たものを理解するんじゃなくて、
それってソリューション1現れでしかないから、
どうでもいいんだよね、自分が見えてるものとか自分が感じてることって、
実は本当はどうでもよくて、
一番大事なのは、自分がどういう装置なのか、
そここそが一番大事で、
だから自分探しとか自分を知るっていうのは、
すごくフワフワしてるからわかりづらいんだけれども、
自分の装置をまずは解明すること、
理解することが自分探しであって、
そっから、まずそれを知らないとどう分解して、どう改造して、
どうアップデートして、もしくはどう削っていけばいいかもわかんないから、
まずは解明しましょうと。その上で、
さっき言った、どんな世界観があるんでしょうかっていうものを、
自分で意識的には、
自分の装置を作っていきましょう。
というのが、実績との大きな違いみたいな、
全然世界観が違うやつはその辺なのかなって。
本当に言ってくれた通りだと思うし、
僕もそれで踏み落ちた部分があって、
そういう機遇として、フィルターみたいな話もあったりする。
要は、この情報は通すけど、この情報はシャットアウトするみたいな感じで、
自分を表現することもあるし、
あるいは人によっては、いわゆる、
観音君って修行っぽいよねみたいな話を言うこともあって、
世の中の中で何か足りないものを求めて修行し続けようみたいな、
そういうイメージとかもあると思うんだけど、
装置っていうのは一番しっくりきたんだよね。
別にそれは、
物としてっていうよりは、
自分が見えるものに限界があるし、
自分が仮に、基準の装置でいうと、
自分が物差しだったら、
重さを測るのは適宜しないってのが分かるわけじゃないですか。
それが分かんないと、
哲学者たちの影響
重いものも測れるはずだとかって言って、頑張って測ろうとしたみたいな。
そういう時に、君は物差しだからって言ってくれたら、
すげえ楽だよねみたいなこともあって、
逆に言うと、それを理解した上で、
自分に合ったものに変えていくとか、
世の中にどんな装置があるのかってことを理解することで、
あるいはその装置を見たときに、
世の中がどんなふうに見えるのかとか、立ち上がられるのかっていうのを知ることで、
自分もそっちに行きたいって思えるみたいな。
そういうことがすごくクリアになったっていう感じだし、
あとそれは手伝う人だけじゃなくて、
星野王子様は世の時にも、
しかもそれが、自分だけに向かわない。
要は、自分の装置だけを見分けばいいかって言うか、そうじゃなくて、
当然、測るもの、測られるものってのがあった時に、
それやっぱり不可軍なんだよね。
だから測られるもの、星野王子様にとってのバラっていうものがあった時に、
やっぱりバラっていうものにも目を向けないといけないというか、
それを無視して自分だけ変わるっていうことがあり得ない。
っていうことも含めて、
人間って深いなーみたいなことを感じたんですよね。
確かに確かに。
さっきの話には確かに、
すごくセルフィッシュというか、
自分の装置だけしか考えてないけれども、
確かに、
そういうと、ある意味他人ではね、
他の人の装置もあるし、
物の装置もあるし、さっきのバラみたいなね。
確かに、それを今度は想像できるようにというか、
下手したら理解だよね。
これって100%は無理かもしれないけれども、
自分の装置の構造を理解することで、
でもこれって多分、制度の多い少ないはあると思うんだけど、
結構皆さんやってると思うんだけど、
やっぱ、人が何かの物事についてこういうふうに喋った時に、
この人はこういう物事を考える人だとか、
あるいはその奥が分かる部分。
パターン化できる部分みたいな?
パターンというか、
装置みたいなもの、その人の人柄とか価値観みたいなものを置き換えると、
この人はこういう価値観を持ってるんだな、
例えば同じで現象に出会った時に、
この人は怒る、この人は喜ぶ、
この人は悲しむみたいなことだった時とか、
こういう人は前向き、こういう人は後ろ向きだ、みたいなことがあるじゃん。
それで持って、その人の性格とか価値観を測っていくと思うんだけど、
そこもさ、自分が自分のフィルターに対して、装置に対して、
鈍いと、感覚が。
多分人に対しても鈍くなっちゃうよね。
表面的に、何怒ってるんだよって逆にこっちがうどん食べたりとか、
こっちも怒っちゃったりとかして。
そしたら怒った時に、こういう装置だからこうやって怒ってるんだってことは、
そうだよねって同感するなり、
その怒りはおかしいって、やっぱりその怒りに対してちゃんと怒る。
感情に感情で怒ってるんじゃなくて、感情に対して理論的に怒るみたいなね。
そこもあるだろうしとか、そこは本当に関係。
お互いだし。
そこが、だからできるとこの人は、
そのフィルターがあるってこと分かってないんだろうなってどこまでこっちは分かんなきゃいけないかとか、
逆もまた確かにこの人はめちゃくちゃ俺の、
こっちの装置を自分が思ってる以上にこっちの装置のこと分かってそうだ、やべえみたいな。
性格も逆にもあるかもしれないしとか、
すごい例えるとめちゃくちゃ面白いなって。
すごい楽しんでる、今。
いろんなことがね、それで言葉とかイメージが膨らむ部分もあると思うし、
だからやっぱり常にお伝えして、自分自身は意味っていうものに興味・関心がありますとか、
ホワイトヘッドやりましたとかも含めてなんだけど、
その辺が今やっと繋がりそうな気がしているというか、
大きな見取り図として、
この辺に自分の行きたい方向性がありそうっていうのが改めてやっと見えてきた部分もあって、
面白いんだよなって、カレンバラッタさんの本の中には、
物質と意味は同じだというか、物と意味っていうものはほぼイコールなんだみたいな。
そういうのも書いてるんだ、意味について。
例えばね、英語でmatterってあるじゃないですか。
matterっていう言葉って、いわゆる物とかまさにね。
物事みたいな、よくわかんない。
そう、両方あるじゃない。
まさに物事で、matterっていうのは問題でもあり物質でもあるみたいな、
そういうふうなところの掛け言葉的な形も正直語ってたりするんだけど、
だからやっぱり物っていうのはただ独立した、いわゆる無色透明なものではない。
物として現れた瞬間に何らかの自分との相互作用とか、
世界に至られた時の意味を持ってるっていう話が書いてあって、
それとかは本当にすげえなっていうか、
全然違う価値観、世界観だなって思ったんだよね。
創作への道
はいはいはい、なるほど。
そう、だから、例えば空とか、
あとそういうものは表れだよね、四季即絶空みたいなものを、
最先端の物理学者であり哲学者である人が、
めっちゃ言語化してくれたみたいなフォームみたいな。
そうね、言語化だし、やっぱり解像度高く、物理学的な知見のもとで話しかけてるみたいな話だね。
そう、ちょっとごめんなさい、なんかバーってまた喋っちゃったんですけど、
何だろうな、なんか。
いやー、でもありがたい。その本多分読めないからさ、難しくて。
紙くらいで教えていただけるとさっきみたいにさ、装置からみたいなさ、
もう読んでもいないのにね、もう人は装置であるとかって、
もう読んだ気になれちゃう。
言えちゃうからね、確かに。
良くないことだけど、でも面白い。
まあね、そんなことも思いながら日々過ごしてるんですけど、
なんかそういうこともあって、最近ちょっとこれまたぶっ飛んだっていうか、
また全然違う話なんですけど、
なんか最近っていうか、昔からずっと本読むのも好きで、
その哲学書とかだけじゃなくて、いわゆるファンタジーみたいなものとか好きなんですけど、
なんかずっと自分も書きたいとか、そういう話を生み出したいって思いはあるんですよ。
みんなもたぶんあると思うんですけど、そういう夢というか、
いつかは本を書きたいみたいなのって考えたことある人もいると思うんですけど。
まあそれこそあれでもね、落書きでお絵かき練習したりとか、
ちょっとなんか書いてみたりとかっていうね、創作意欲的な。
意欲的な、うん。
で、やっぱりね、最近そう思ったのは自分も、
あ、哲学本、ちょっとまた本気で今書こうと思ってますって話なんだけど。
何を?
物語、小説を。
哲学書?
小説を。
哲学書は別に書いても意味ないから。
小説?
小説を、うん。
これ、何回も書きたいなと思ってちょっと考えては、
説詞っていうのはもう繰り返してるんだけど。
はいはいはい、なんか題材はあるってこと?
題材はある、うん。
まだあんまり言わないですけど。
で、なんでそう思ったかとか、思ったかっていうと、
なんか、いろいろ勉強課に出たりとか、
本読んだりとかってやってるんですけど、
なんかふと、今ね9月で勉強課1個終わりそうなんだけど、
次何しようかなとかって考えるわけよ。
だいぶやっぱりさ、埋めるよね時間を。
埋めちゃうじゃん、埋めちゃうじゃん。
で、ふと思ったら、なんでこんなに時間埋めてるんだろうとか、
なんでこんなにやりたいこと探ししてんだろうなと思った時に、
ほんとにやりたいことってなんだっけって考えると、
一番上に絶対に本を書くってことが出てくるよね。
へー、あ、そうなんだ。
本は常に書きたい、これは別に、
別に僕文才とかあるとは思わないし、
そういう方にありがちな世の中を見る、
すごい独自の目線とかってのもないっていうのを自覚してるんだけど、
それがないからといって書かない理由にはならないじゃないですか。
まあ、そうだね。
それこそ、ナロウ系とかも含めていろんな小説とか、
オンラインでも含めて書く場とか、出す場はいくらでもあるわけだから、
だった時に、もしかして俺、本書きたい書きたいって言ってるけど、
本を書かないために他のことやってないってちょっと思ったの。
へー、そうなんだ。それは面白い。
一番やりたいことがもう見えてるのに、それに着手しなくていい。
要はそれをやったらさ、自分には文才がないとかさ、
文章を書きたいって言ってるうちは自由だけど、
書いた瞬間やっぱり苦しいとか大変だとかさ、
才能がなかったとかに向き合わなきゃいけないじゃん。
そうだね。
だから目を背けるためにスケジュール埋めてないってことに思って、
へー、それかなり割とマジで思った。
マジで思った。ハッとした。
もしかしてって思って。
だった時に、この空いた時間というか、その時間で本を書くってことに向き合わないと、
もしかしたら俺は、別にダメではないけど、
そこに心理的な抵抗感があるんじゃないかって思ったのね。
別に上手く書けなくてもいいし、別に面白くなくてもいいし、
別に誰に呼ばれなくてもいいけど、一回書き上げてみるってことが大事なんじゃないかみたいな。
確かに、それは成仏させてあげた方がいいよね。
そうそう、その気持ちはね。
思って、今ちょっと、そういう人も周囲に3時間は絶対にブロックして、
本を書く、文章を書くってことでやってみようって思ってるんだよね。
自己理解の深化
へー、なるほど。
はいはい、そのね、まさに今日のスウチュの話でいうとさ、小説かどうかはどうでもよくて、
その考えたプロセスが面白いね。
やっぱりそういうことを思う自分とか、
やっぱり調べると面白くって、さっきみたいなさ、
装置としての話を考えたときに、
自分がこういうふうに世界を見てますっていう、そういう装置があるわけじゃない、人間っていう装置がね。
で、やっぱりそれが独立性があるとか面白いから、
例えば本として売れるとか、エッセイが売れるとかってあると思うんだけど、
やっぱりその、自分という装置をやっぱり表現しようと思うと、
やっぱりそういう表現形式になるんだなってことも改めて逆に思ったのよ。
要は、例えばなんかね、じゃあ僕が哲学、それですラジオやってるから哲学、
親しみやすくなる本を書きますとかっていうのも一時期思ってたんだけど、
それはなんか違うなって逆に思えたのよ。
自己表現の重要性
それって、自分の内から湧き上がるものじゃないなってこと?その純粋に。
そう、純粋湧き上がるものじゃないし、
同じ本を書くとか本を出すって仮に行為だとしても、
それは別に自分がやらなくてもいいなっていうか、
それこそ哲学者のね、本当に大学院でやってらっしゃる方がやった方が絶対にいいものになるし、
思うんだけど、でも自分しか何か書けないものがもしある、
それはちょっと思い上がりではあると思うんだけど、
書いたものが仮に自分という装置を通じて書いたものだとしたら、
それには何か意味がある、別に売れるとか売れないとか、
読まれるとか読まないとかっていうのを超えたまさに成仏だよね。
自分にとっての意味はあるっていう風に初めて思え、本当に思えたというか。
はいはいはい、なるほど。
だから全然面白くなんないかもしれないし、
何だろうな、別になんないと思うけど、
書き上げるっていうことに初めてちゃんと意味を見出したというか。
ほうほうほうほう。
っていうのが34年経って、ちゃんとあったんですって感じなんだよね。
なるほどなるほど、いいんじゃないでしょうか。
だから、それこそ曲を作るとか、
まさに絵を描くとかも同じだと思うんだけど、
さっきの哲学の方を描くは、どっちかというと、
確かにそこって難しいと思うんだけど、
100%、別に100%じゃなくてもいいんだけど、
本当に自分がやりたいからやる、仕方がないから出ちゃうみたいなものなのかと、
例えば哲学書が入っているときって、
それってどっちかというと、例えば音楽で言えばさ、
それで食べていく、音楽で有名になりたいっていうのと、
もう作りたくて仕方がなくてもなんか出てきちゃう音楽で、
一致している人がめちゃくちゃ幸せだろうというのも、
じゃあそれが一生一致し続ける人っていうよりかって言ったら、なかなか少ないとは思うし、
それは仕事になった途端、逆に言うとそれが得意な人もいるかもしれないし、ビジネスがね。
逆に苦手な人もいるかもしれないし。
っていう意味で、まずそれをやろうっていうのはすごく純粋にいいと思うし、
だから本当は若いうちにできるといいかもしれないけど、
逆に言うと若すぎるとわかんない、それがどっちかだったりとか、
その、俯瞰で見えなさすぎて、
それこそね、「この映画なんで売れない?」とか、「この曲はなんでYouTubeで3回しか再生されない?」みたいな。
全然視界が悪いみたいなさ。
100万再生されて、1週間で登録者数がとりあえず1万達成してとか、
でも現実は10回再生しかされないし、登録者も3人しかおらないしみたいな、
どこに押しつぶされちゃうかもしれないけれども、
これが1週間と30日ぐらいで落ち着いた頃に始められるっていうのはある意味幸せなことかもしれないし。
逆にね、変に夢を見すぎなくていいし。
だから、本当にそういったクリエイターの方と自分を比べるなんて本当に恐れる話だけれども、
やっぱりそういった人たちって、もちろん分析して売れる曲を作る、売れる本を書くっていう人ももちろんいらっしゃれば、
それ両方やる人がたぶん一番生き延びてくるのとは思うんだけど、才能もありつつっていう。
で、やっぱりその才能もないし、別にそこにやったりしたり時間をちゃんとかけてるわけではない自分がいたとして、
別に書くことはたぶんできる。
曲を作るっていうのは挫折したし、やっぱり音楽のスキルがなかった。
小説のいろんなスキルはもちろんあるのは分かってるんだけど、
すやさんもそれは学んでて楽しいの、やっぱり。
書くっていう時にどんなステップでとか、あとやっぱりその小説を書くための本とかって世の中にいっぱいあったりするんだけど、
それを読んでるのが楽しいし、そこからやっぱりやろうという気持ちになるんだよね、ちゃんと。
だからやっぱりそれが合ってると思うと、なんかやって損はないなみたいな。
別に仕事でやってるわけでもないから、まさに純粋にできる。
っていう意味での、やっぱりそこに関して今この30代半ばで向き合えるっていうのは結構面白いし、
逆にそれ向き合った時に見えてくる何かがあるんじゃないかっていう期待はもちろんあるんだけど。
なるほど。
だからそうだね。
それは面白いな。そこで失敗するかもしれないのを許せない自分がいたわけだね、たぶんね。絶対に許せなかったんだね。
いや、許せなかったっていうよりは、なんだろうね、たぶん傷つきたくなかったんだろうね。
だってやったらさ、打ち止めされることはもうわかってるじゃん。自分に才能がないっていうことはもうわかってるわけで。
才能がないっていうか、どうなんだろうな、そこは、うーん、わかんない。
要はそれはあれでしょ。夢の話で要は才能っていうのは今すごいふわふわした才能。
要はなんか普段からすごい言葉がとどってて、要はそれってさ、努力に裏付けられてるもんだし、なんだろうな。
もっと言うと、楽していい小説が書けるようなことないわけじゃん。
ないと思う。
いい作品が出せるってないわけじゃん。でも、今僕はその状態なんだよ。
要はなんかふわふわってやったらいいもの生まれるんじゃないかなっていうぐらいが一番幸せだったりするじゃない、逆に言うとね。
まあわかるわかる。
やらない人、外から見てる人だから。
うん。
そこに入った瞬間にやっぱり全然違うというか打ち止めされるわけだけど、逆にそれをちゃんと味わったほうがいいなって思うようになったって感じかもしれない。
はいはいはいはい。
うん。そこに責任をちゃんと持とうと思ったっていう感じ。
ふーん。
うん。
で、外から見えてたっていうのがなんか、自分の中で。
そうそうそう。見えたよっていう。
ふわっと。
うん。
それ気づいてなかった?それ。
気づいてなかった。
あー。
あー、それはいいね。
そう。
本も書きたいなって言ってたけども、それって10代くらいから言ってるから、なんかそういう昔の、なんだろうな、ちょっと残りがみたいなもんだよねって思ったんだけど。
年齢を超えた挑戦
あー、それ思ってたんだ。
うん、そうそうそう。逆にそれもでもやっぱり向き合わないようにするための多分方便っていうかね。
はいはいはいはい。
防衛機能じゃないですか、やっぱり。
うーん。
うん。
なるほど。まあでも分かれる気はする。例えば、そうださっき音楽のお話で言うと、ギター若い頃に弾けなかった人。
あー。
あきら、もしくは弾かなかった人。
うん。
が、じゃあ30代になってから始めましょう。
うん。
っていうのは、結構、あのなんだろうな、勇気がいるかもしれないよね。
そうね。
うん。
勇気がいるというか、やっぱりまあ、別にもちろんできるだろうと思うけど、じゃあやっぱりね、その好きな曲を弾きたいとかさ、
うん。
あのね、イメージするようなぐらいでかっこよく弾きたいとかってなるとやっぱすごく挫折の道しかないよね。挫折の道とか挫折するポイントがいっぱいあるわけじゃない。指が痛いとかさ。
そうそうそう。
なんか。
きついと思う。
そうそうそうそう。ね。っていう中で、やっぱりその挫折も踏まえて進んでいくっていうことはやっぱり勇気がいるよね。
うん。
そうね。
うん。
勇気と時間と。
そうね。
ちょっと確保は確かに。
そうそうそうそう。
いるかも。
うん。
ね。逆に言うと、その自分の装置として、やっぱそれをそういう装置でありたいって思った瞬間に、なんかできるというか。
うんうんうん。
うん。
売れたいとか、モテたいとか、人にすごい価値観を変化させたいとか、読んだ人に感動を与えたいとかって、もちろんなくはないよ。なくはないんだけど、それが別に真っ先には来ないから、もはや。
うんうんうん。
うん。
そこが真っ先に、例えば30代のギターを始めるおっさんにしても、売れたいとかさ。
そうそうそうそう。
絶対、人に上手いって言われたりとか、あわよくば今からでも、実はちょっと才能があって、YouTube相談に結果が出るっていうのは、全然期待はするのは自然なことだし、してもいいと思うという意味で、それはすごく健全なことだと思う。
逆に、それが全くないって言ったら、嘘だと思うし、じゃあなんだよそれ。
うんうんうん。
っていう部分もあるから。
そうそうそうそう。
うん。
だからやっぱりそこのバランスはあって思うし、あ、あとそうだそうだ、これちょっと言おうと思ってたんだけど、最近ニュースで、マンガの新人賞を取った人のニュースがあったんだけど、
ほうほうほう。
取った方が81歳だったのね。
80何歳?
81歳の方が新人賞を取りましたと。
ほうほうほうほう。
で、その方は一応過去にもマンガ出したりとか、そういう参考文化したこともあるから、純粋な新人かどうかってなったらしいんだけど、
でもその医者の勤務医をしながらそういうマンガをコツコツ書き続けてて、今回賞を取りましたみたいなニュースになってて、
ほうほうほう。
逆に言うとやっぱり、年齢はもちろん関係はあるんだけれども、持ってるよりはないなっていうことも思ったんだよね。
逆に言うと、そういうことを考えてた時にニュースに見たことのやっぱり入り方も違いだよね。
81歳で新人賞取ってる場合だったら俺もまだ30歳、35歳、4歳だしなみたいな。
10年ぐらいやったらなんかあるかもしれないし、でも10年って言ったらやんないから、とりあえず半年ぐらいでなんかとりあえず書こうみたいな。
創作への期待
そういうことがスッと腹落ちたみたいな、そんな感覚だよね。
めちゃくちゃ良さそうだし、全然小説とかやったら有理しないですね。
水旗着ながら新人なんとか賞とか。
全然いらっしゃるじゃん、そういう方もね。
だからできるとは思わないけど、だからやらない理由にはならないなっていう感覚?
で、今はそういうところにまたいろいろやってるなって思ってるかもしれないですけど。
公開するの?
書き上げたらするよ。
いきなり出版社に送るとかじゃなくて、とりあえず公開する感じ?
それはあるかもしれない。まず一回そういう書に出してみるとかっていうのはするかもしれないけど。
そこはね。
それはもう記念受験的なもんだ。
楽しみだね、ぜひぜひ。あんま長くないのでお願いします。
いや、多分長いと思うよ。
普通に1本の長編小説ぐらい書きたいと思ってるから。
いきなり?すごいね。
やっぱり憧れがあるんだよね。
短いのは2万字ぐらいのは書いたことがあるんだよ。
たぶん中編、ちょっとした小編ぐらいのやつ。
やっぱり長い物語を書きたいって思いがあるから。
へー、そうなんだ。
これ憧れです、完全に。
なるほど、わかりました。
じゃああれはね、ちょっと身内だから意見とかね、ここどう?みたいなのが途中であったら、
プロットだけでもどう?みたいなのがあるので聞かせてください。
それは伝えて良くなるっていうのはあるっていうか、そうだっていう話はね。
はい、そんな感じでちょっと雑談を繰り広げてきたんですけれども、
古代ギリシャ哲学の探求
次回はですね、前回の話でもさせたとおり、またソクラテスの時代とか、
ソクラテスよりちょっと後ぐらいの時代。
言っても古代ギリシャですね、ギリシャの哲学者というのを取り上げて、
いわゆる有名人オンパレードみたいな哲学者が本当に最低見たところがあるんで、
そこを深めることで、ギリシャの哲学の深みというか、
これからまた僕も台本作るんだろうなんですけど、
そこはまた皆さんとよりさらに深く掘り下げていきたいなというふうに思っておりますという感じですね。
はい、わかりました。
今回はね、雑談を書いたことでちょっとおのんびり来ましたけれども、
これを挟みつつ次回はですね、ソフィストから、しばらくこの古代ギリシャの世界から浸ってますけど、
次回ももうちょっと浸りつつ楽しんでいきたいと思います。
はい。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
54:17

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