1. ハト組ホームルーム
  2. #008 生きるってことは認識す..
2025-02-23 20:12

#008 生きるってことは認識することである。

生きるってことは認識することである。

「生きる」ってどういうこと? ゆるっと始まった今回のトークは、「生きる」ということを深く考察していく流れになりました。 あなたも、一緒に「生きる」ってどういうことなのか考えてみませんか? ぜひ、最後までお聴きくださいね。

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📗ハト組ホームルームとは?

看護師で僧侶の玉置 妙憂 (たまおき みょうゆう)さんと、マジシャンでインプロヴァイザー(即興俳優)の日向 大祐(ひゅうが だいすけ)がお送りする、生きづらさを感じた時に聴くと少しだけ気持ちが軽くなるホームルーム番組です。

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🎧今週のハト組ホームルームは?🎧

毎週、テーマを決めずにお話ししてるハト組ホームルーム。 話終わってみないと、何を話すのかわかっていません! 今週は、どんな内容のお話になったのか? ぜひ、最後までお聴きください。

【注目のトピック】
  • 今回のタイトルは2500年前のお釈迦さまの言葉。
  • 看護ケア病棟での話。
  • "生きている"ってなんだ?どういうことなんだろう。
  • お釈迦さまはもう一つ言っている「自分が見たもの、感じたものだけを信じなさい」
  • 知らぬが仏って、もっと深い意味があるのかも。
  • ホモ・サピエンスであることが諸刃の剣。

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👤玉置 妙憂プロフィール👤

看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネ-ジャー・看護教員 非営利一般社団法人大慈学苑代表 専修大学法学部法律学科卒業。夫を在宅で看取ったことをきっかけに、出家。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」並びに「日本スピリチュアルケア実践協会」を設立し、終末期、ひきこもり、不登校、子育て、希死念慮、遺族の喪失悲嘆まで、幅広いスピリチュアルケア活動を実践している。 著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社)『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版)『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア 』(光文社新書)、他多数。 ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」パーソナリティ。

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👤日向 大祐プロフィール👤

マジシャン・インプロヴァイザー(即興俳優) 東京大学大学院修了。観客の目の前で見せるクロースアップマジックの分野で2009年「Blackpool Magic Convention」にて優勝し、日本人初の欧州チャンピオンとなる。また、即興俳優としての活動も行い、国内外で数多くのステージに出演。 2011年以降、マジックに演劇、即興劇(インプロ)、音楽、パントマイムなどの要素を融合させた独自のスタイル「シアトリカルマジックライブ」を上演し、劇場でのソロ公演活動を精力的に行う。2018年のソロ公演では東京・上野の劇場に1,000人を動員。著書に「3分で心をつかむ かんたんマジック(KADOKAWA)」など。 2024年現在、飲食店でのディナーショー・法人のパーティーなどに多数出演中。

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今週も最後までお聴きいただきありがとうございました。 この番組は、人生に花を咲かせるPODCAST番組をお届けするLifebloom.funの制作でお送りいたしました。

 

サマリー

このエピソードでは、認識が生きることの本質であるという視点から、人間の生きている状態を探求しています。特に、医療現場における生と死の認識、自己と他者との関係の影響、そしてお釈迦様の教えと現代の認識との関連について考察しています。人間の進化とコミュニケーションの重要性が語られ、ホモサピエンスがチームプレイや噂話を通じて他の人類を駆逐した過程が説明されています。また、現代の情報過多が精神衛生に与える影響についても考察され、ありのままの認識の重要性が強調されています。

生きることと認識
ハト組ホームルーム
ハト組ホームルーム出席をとります。
みわゆうさん。
はい。
そして、私、ヒューガー大助。
はい。
ということで、8回目でございます。
毎回毎回何回目ですって言うと、そのうちきっと
そのうち。
あまり言わないようにしようと思いましたけど。
10くらいまでだったらね、数えられるけどね。
そうですよ。もうね、124回目ですとか言い出したら
本当に。
心配になりますが。
たぶんあっていると思いますね、今回は。
前々回に、生きるってことは意識することであるっていう。
お釈迦様の認識が。
そうそう、認識すること。
なんか外から、外にあるものを認識することっていうのが
まず生きることだっていうね。
それはもともとお釈迦様が言ってたことなんですね。
生きることっていうか、生きているとはっていうことなんだよね。
その辺ってさ、難しくない?
私、時々、看護ケア病棟っていうところにいるから。
要はもう、週末医療の現場ってことですよね。
嫁いくばくもない方がいらっしゃる場所。
患者さんっていうか、その方からね、入院されてる方から
お聞きすることがあるんだけど、
もうこんなになっちゃって、何もできないし、食べられないし、
寝ているだけだし、生きててもしょうがないんだよ。
こんなのは生きているってことにならないからね。
もう早くお迎えが来た方がいい、なんて言葉を聞くんだけど、
その時に、生きてらっしゃるわけですよ、もちろん。
心臓も動いてれば、呼吸もしてる。
でも、その方にとったら、もう生きているとは言えないんだっていう状態だっていうのは
そうなんだろうなっていうのが、ひしひしと伝わってくるわけ。
他者との関係と生
となると、人間が生きているって、どういうことなんだろうなって、
そういう切り口いっぱいあるんじゃないかなと思って。
定義というか、その人とってのを生きている。
そう。だから、あれだよ、医療的に言ったら、ガス交換ができてます。
ガス交換ができてます。脳波が動いてます。心臓が鼓動を打ってますって、
この3つが揃ってたら、みたいな言い方をするけどさ。
でも、呼吸は機械でしてます。息の出し入れ、機械でしてます。
心臓もサポートしてます。
でも、ご本人としてはもう何も言えないし、何も食べれないし、
もちろん立つこともできないし、ただただここに寝てらっしゃるだけなんですよ。
っていう状態になった時に、自分だったらどう?
それでも俺は生きてるって感じ?
それはもう意識はある。
あるかどうかわかんないけど、発信はできない。
僕の場合だったら、どこかな?
やっぱり今の僕だったら、他者と関われないとなると、
生きてるっていう感じはしなくなっちゃうかもしれないかなとか。
それは人それぞれだからいいんだよ。
発信できない。人と関われない。
だったら生きてるってことには自分としてはなりません。
じゃあさっき言ったみたいな状態に、ものすごく大事な人、自分にとって。
ものすごく愛してる人がそういう状態になったら、同じように言える?
もし大事な人だったら、たとえ何も言わなくても、この物体として会ってほしい。
彼は生きてるよ、彼女は生きてるよって言いたくならない?
そうですね。だから俗に言う脳死の状態とか。
意識戻らないとずっといる、でも生かされてるって言ったらいいか?
って状態の時に、もういいですよって言わないですよね。普通の感覚では。
だってコンタクト取れないし、もう死んでも同然ですからなんてとても言わないじゃん。
でも自分のことだと、それができないならもう生きててもしょうがないかな、生きてるうちにはならないって言えちゃったりするわけよ。
だから本当のところ、人が生きているっていうのはどういうことなんだろうなって。
本当に一つの答えはないと思うんですけど、
自分がどうこうっていう前に、例えばさっきおっしゃった、自分大事な人が、
要はタンパク質の塊として代謝をしています。生命体として保っています。
なんだけど意識はないっていう時に、なんでそこでもういいですよってならないかって言ったら、
他者の命に対してはね、例えば自分の勝手なイメージとかを追いつけて、
中身も含めて命として捉えてるから、その中身がいつかフッと戻ってくるんじゃないかって期待も込めて、もういいですとは言えないとかもあるし、
あとやっぱりその物理的な姿形にも、なんかただの物体ではない何かを常に自分が宿してるんだなっていうふうに思ってた。
当事者だったら、いやもういいよって早く死にたいって言うかもしれないけど、周りは確かにそういうところは言えないよなって。
だから亡骸もね、断ち切れてから、亡骸のことも大事に扱って、ちゃんとリスペクトを持って、能感してってあるわけじゃないですか。
人間だけですよね。
現代の認識との関連
うん、確かに。だからさ、そうやって考えていくと、どういうふうに人が生きているとはっていうのを捉えればいいんだろうなって、答えないよね、確かにね。
で、そのところにお釈迦様は、人間が生きているとは認識することであるというふうに話をしたわけ。
認識するっていうのは、特に別にさ、大きな仕事しなくても、今日はいい天気だなとか、花が咲いてるなとかさ、風が吹いてるなとか認識してるじゃない。
それだけであなたは生きているということだよっていうわけ。
もっと言うとさっきみたいに、機械が体中について、コミュニケーション取れないんですよってなったとするじゃない。
でもその人の体って、外の気温が暑くなると汗をかいたりするわけよ。
それはさ、暑いということをちゃんと認識して、自分の体を冷やそうと思ってさ、細胞レベルかもしれないけど汗をかくわけじゃない。
でもそれを見たら、認識してるってことなわけよ。
あ、その反応することも認識してる。
そういうこと、そういうこと。
結局、認識ってなんだっていうことになっちゃいますよね。
まあ確かに。
そうなのよ。
でね、だからかつて2500年前は、それで、なるほど、認識することが生きているということなんだってよかったんだけど、今AIよ。
ね。
前に立つと認識して熱測ってくれるじゃん。
うん。
でもあれが生きてるのか。
生きてるのか。
みたいな。
ね。
だから、その前もこの話したかもしれないけど、認識するっていう心とか神経とか脳の動きっていうのも、ある意味物理的な作用でもあると捉えたら、なんかパッキリと分けられない感じもするんですよね。
うん。
で、何て言うんでしょう。マトリックスって映画があったんですけど。
あったね。
あれって、あ、ご覧になりました?
あの、ちらっとしか見てない。
そんなに深く見てないんですけど、1個目で面白いなと思ったのは、人間がみんなね、こう、チューブにつながれて生きてるんですよ。
で、コンピューターに飼われてるわけですよ。
エネルギー源として、栄養を口から入れられて、で、細胞をちゃんと健やかに保たれて、その発生する体温をコンピューターシステムのエネルギー源に変えてっていうシステムに人間がいっぱいカプセルにもうずらーっとこう閉じ込められて、ただ、バイオ液の中で生きてるんですよ。
でも、脳にちゃんとコンピューターがそれぞれの現実世界の人格を与えて、バーチャルの世界で社会を営ませてるんですよ。
すごい映画だなと思ったんですけど、でもこれって生きてるって言えるんだろうかって思ったら、確かに彼らもその中で自分で脳でね、体は本当はバイオ液の中で使ってるんだけど、脳の意識としてはその世界の中であれこれ考えて動いて、友達と会って、やってるっていう映画なんですよ。
それ見た時に分かんなくなって、生きてるって、これも生きてるわ、体はちゃんと生きてるし、脳は脳で認識してるし、となると、それでも違和感を覚えるっていうことは、現代人である自分が、要は、ただ認識してるっていうことじゃなくて、脳が認識して体が動いてっていうところの、それがなるべく同じ場所にいるというか、
脳が命令して体も一緒についてって、脳もその場所にいてまた反応してっていうことができないと、僕の感覚で生きてるって言わないんだろうな。
でもさ、きっとそのカプセルにさ、バイオされてる人たちは、自分が動いてると思ってるわけでしょ。脳の中でだって。
そういうバーチャルを見ててさ、実際に今言ったみたいなさ、自分の考えと体が連動してるっていうふうに思ってるわけでしょ。
思ってるんですよ。思わされてるんですけどね。
え、うちらもそうだったりしてない。
いや、だからそういう発想の映画じゃないですか。そうなのかもみたいな。
で、実際に僕子供の頃思ったことありますもん。
全部これ見てるの幻影で、うまく言えないけど、脳が見てる映像であってとか思ったりすることもあるし、実際そういう映画あるんですよ。
また映画になっちゃうと、ジム・キャリーの映画で、自分以外は全員エキストラで、その人の人生を脇役をみんな演じてるんですよ。
で、その街には所々にカメラがあって、その主役の一挙手一投足を実はテレビ番組として他の下界の人が見て楽しんでるんですよ。
っていうタイトル、えっとね、後で調べればわかるんですけど、ジム・キャリー主演の映画があったんですよ。
それ見たときに確かにそういうのもあるような。
だって自分が見てないところでは、他の人がその役を演じてないかもしれない。
妙優さんと今話してますけど、これ僕妙優さんと別れて、僕はもうすっかり、
ああ、今日も自分のヒューガー大好き役終わったわーっつって顔でね、
くつろいでるかもしれないけど、見えないわけですから。
知らぬが仏って言いますけど、見えなかったらないんですから。
本当だよ、そうだよ、本当そうだよね。
そういう意味で人間が見れる認識できるって、本当にごく狭い範囲に。
まったくその通りだよ。
そう、だからね、お釈迦様ももう1個言ってる。
自分が見たもの、感じたものだけを信じろって。
要するに聞いたこと、あの人さ、こうこうこうだったんだってよっていう風に言うと、
うちら信じちゃうじゃない。え、そんな人だったんだみたいな。
でも見てないじゃん。だから絶対そんなの信じちゃダメだよって。
自分で見たもの、感じたものだけを信じなさいって。
今のさ、私たちが認識できる範囲なんて本当に極小だよねっていうところにつながるよね。
でもその極小だけなんだよ、信じられるのは本当は。
自分の中で勝手に想像で広げてしまったりとか、
あと他人の噂話というか、そういうのも影響されちゃったりとか。
でもそういうことってだいたい不幸になりますよね。
だいたい不幸よ、だいたい不幸。
仮にこの収録が終わったら他のところに行ってさ、全然違う人になってたとしてもだよ。
なってたとしても私が見てる第三はこれなんだから、これを信じればいいんだよ。
他で何をしてようが。
私には関係ないんだよ。
なんか知らぬが仏って言葉の本当の意味ってその辺にあるのかな、ちょっと最近思うんですよね。
そうだね、知らぬが仏ってなんかこう、ヘヘヘみたいなさ、ちょっとこう、ちょいと悪口的なというか感じるけど、
そうじゃなくてもしかしたらもっとこう深いのかもね。
自分が見えるものだけを信じなさいっていう意味なのかな、ちょっと最近思いますよね。
知らないものはないのと一緒だからって。
人類の進化とコミュニケーション
誹謗中傷とかね、いろいろ噂話とか。
本当そう。自分が見てないし聞いてないし、関わってもいないことに振り回されてさ、
バカバカしいじゃない?
あの人こうだったんだよとかさ、あそこすごく美味しいんだよとかさ、いろんな噂入ってくるけど、
見てないし聞いてないし、何もしてないのに、
えー悔しい、あっちで食べた方が良かったわ、あっちの方が美味しかったんだってなんて、なんかもったいないだけだよね。
だからSNSで疲れちゃう人ってそういうことなのと思うんですよね。
そこだよ、ほんとそう。
みんなSNSでね、もちろんね、丸っきり嘘ではないけども、本当にごく上積みだけをね、切り取って見てて、
あの人良いなーとか、私あれあれば良かったわーとかっていうことによってね、
だんだん自分の精神衛生的な方面が良くなくなっていくのはやっぱあるなと思うし、
確かね、岡田斗司夫さんの動画化なんかで聞いた、引きかじった話なんですけど、
人間のホモサピエンス、我々ゾック一族ですよね。
でもいわゆるこう、人類っていうもの他にもいっぱい本当はいたんですよ。
ホモデレタルとか、ホモエレクトロスとかいっぱいいたらしいですよね。
ちょっと間違ってたら恥ずかしいんですけど、いっぱいいて。
で、その中で、まあだから要は、
サルカが進化したものの中のホモサピエンスだけが他を滅ぼしていったんですよね。
みんないろんな人類がいたんですよ。
なぜ残れたの?
残れたのが、やっぱりホモサピエンスっていうのが、
他の類人猿というか、霊長類の方が、
体はでかかったりとか、2メートル近くあったりして、力も強くて、
一対一なら勝てないっていうゾックも結構いたんだけど、
そいつらを何で滅ぼせたかっていうと、
チームプレイができるようになったからと。
チームプレイするために言葉が生まれて、
言葉が生まれると、やっぱ社会が生まれるんですよね。
で、噂話とかもできるようになるんですよ。
噂話ってめちゃめちゃ高度な言語の使い方らしいんですよ。
今目の前にリンゴがありますよじゃなくて、
なんかあそこのリンゴおいしいらしいぜ。
目の前にないものも言えるようになる。
それはすごいことだって。
だからあいつすごく強くて、向こうの村でライバルのやつを倒したらしいぜ。
あいつすげえよ。
あいつの元に集まったらみんな一つになれるぜ。
うおーって言って、
そういう噂話だけじゃないと思うけど、
言語による人間関係もそうだし、
なんか一つになれるって噂にもらったのかもしれないけど、
それで他の人類を駆逐していったって言うんですよね。
そうなんだ。
でも、だからこそ生きづらいとか不幸になる面も、
不幸っていうか、
そうだね。
目の前に見えてないものまで入ってきてしまう。
そうだね。
だからそれがいい方向に行けばいいけど、
良くない方向に行った時には、
もろはの刃だったんだ。
現代の情報過多
そうなんです。
ホモサピエンスの持つこの能力は。
そうなんですよ。
うーん。
だからここがね、進化のまさに妙というか、
ほんとだね。
前回妙っていう感じの話してたじゃないですか。
妙、どういう意味でしたっけ?妙って。
たえなるって意味だと思ってたけど、
でも珍妙の妙でもあるからね。
だからポジティブでもネガティブでもあるみたいな印象があるんだけど、
まあ、たえなるってことはいっぱいあるってこと?
豊かなとかそんなイメージを持ってたけど。
でもね、それこそ言語を獲得して、
お互いのね、
まあ、何でしょう、
情報伝達とかはスムーズになったのかもしれないけど、
でも今の現代で、
なんかそのせいで人の言葉で傷ついたり、
自分の頭の中でそのネガティブな言葉を反響させて、
一人で傷ついたりってことが起きがちなので、
ただただ目の前のものを見るっていかに難しいか、
いや難しいって言っちゃいけないですね。
難しいってあんま言わないようにしようと思ってた。
いいね、いいね。
そうだね、難しいって言っちゃうと追われたもんね。
交渉事とかしてても、
ココいかがですか?
いやーちょっとそれ難しいですねって言うと、
難しいけど何とかなるんかいって思ってるじゃないですか。
いやダメですって言ってくれていいのに。
自分も言いがちだから、
ちょっとやめようと思ってるんですが、
難しいっていうよりもなるべくね、
ただただありのまま受け止めるってことに近づけたらいいなとは思いますね。
確かにそうだよ。
だからやっぱあんばいだろうね。
せっかく他の方々を投げ倒して生き残れたという能力は確かにすごい。
見てないこともそうなんだって。
そのことによって多分知識量とか、
擬似経験値みたいなものがむちゃくちゃ増えたんだと思うんだよね。
だからそれはいい。
でもそのことによって自分が苦しむようでは意味がないから、
だからそうなった時には見たものだけ、聞いたものだけ、
自分が触ったものだけを信じるっていうところを原点に戻るっていうか。
ありのままの認識
だからどっちも持ってて、
本当いいあんばいにすればいいんじゃない?
それこそ使い分けという概念を知るというか。
そうそう。
知るってやっぱりそういうところですよね。
確かに。
この話聞いてちょっとでもね、別にそんなにいつも言ってるように、
これで何か人生変わったなんて人が出るとは全然思ってないんですけど、
でも何でしょうね。
そうなんだと知ることっていうのはひとつまた、
あんばいをね、あんばいって塩と梅じゃない。
塩梅。
塩と梅の区別もついてなかったらあんばいの塩がないわけ。
本当そうだ。
塩があることと梅があることを知っていただいたらいいなっていう。
そういう意味で賢くなれたらいいなって思っております。
なんか今回も思った以上に話が広がり、
これ僕のせいなんですかね。
思いついちゃうと喋りたくなっちゃうんですけど、
毎回こんな感じでカフェのだばなしを聞いていただくみたいなコンセプトで喋っておりますが、
ぜひ皆様からもリアクションいただければと思っておりますので、
フォームの方からですね、こんなこと思ったよとかね、
あと最近こんなことがありましてとか寄せていただけたら話ネタにさせていただくかもしれませんし、
あとハトグミホームルームオンラインということで、
ズームでこういうお話をみんなでしようみたいな回もやっておりますので、
よかったらぜひ参加したいよという胸も表明していただけたらと思っております。
ちょっと今日長くなっちゃいましたがまた次回お会いしましょうということでありがとうございました。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。
お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
概要欄にありますリンクからお便りやハトグミホームルームオンラインへの参加表明も受け付けております。
お気軽にご連絡ください。
それではまたお耳にかかりましょう。
ご機嫌よう。さようなら。
この番組は人生に花を咲かせるポッドキャスト番組をお届けする
lifebloom.fanがお送りいたしました。
20:12

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