1. 本そば ポッドキャスト休憩室
  2. #135 新人書店員だったころ
2024-10-11 2:31:21

#135 新人書店員だったころ

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Xスペースにて公開収録(2024年8月25日) [新人書店員だったころ] 啓文社岡山本店店長 三島政幸さんをゲストに二十数年前の書店員の思い出を赤裸々に語り尽くします。 お品書き 1)入社年紹介 2)入社(バイト)動機 3)初めての仕事 4)初めての担当 5)接客のこと(レジ、図書券販売、問い合わせなど) 6)商品のこと(書籍、雑誌、マルチメディア、第三商材、そのほか) 7)当時ならでは業務(検索、報連相、仕入れ、フェア) 8)単品管理方法(スリップやノート) 9)対外交渉(配本対策、スリップ送付、一覧チェック、商談会、版元企画説明会など) 10)版元営業の思い出 11)売上のこと(売上の推移や人件費などなど) 12)若いときやってたオリジナルフェアや施策などの話 13)初めての店長職 14)待遇・福利厚生など(ボーナス、休み、社員旅行などなど) 15)教わってよかったこと、今でも役に立っていることなど。 参考サイト 年別ベストセラーランキング https://econte.co.jp/c/bestseller/#year=1994

サマリー

このエピソードでは、元書店員のすずきさんとわたなべさんがそれぞれの書店での経験を振り返り、当時の書店業界や出版取次について語ります。彼らは入社のきっかけや「ハリーポッター」などの人気書籍の影響について触れ、書店での思い出を共有します。新人書店員としての経験が語られる中で、著者が本屋での仕事を始めたきっかけや、研修の内容、返品業務など、書店での様々な仕事の苦労や楽しさについて述べられています。また、担当や同僚との交流を通じて、書店業界のリアルな一面が明らかにされます。返品作業や書店での仕事の詳しい様子が描かれ、併せて書店の運営や担当商品の仕分けに関する裏話が紹介されています。新人書店員としての経験や書店業界におけるライトノベルやミステリーの扱いについて語られ、特約システムや書店でのフェアなど、当時の実情や工夫が詳しく解説されています。また、90年代の書店の運営や接客、書籍の発注や返品処理の手法についても話し合われ、当時の書店が新刊を管理し、客注を行っていた方法も触れられています。書店での接客や雑誌の売上の変化、特定のラジオ番組に関連した個人的なエピソードも語られ、主人公が書店員としての経験を通じて接客の面白さに気付く過程や、女性誌と音楽誌の売上についての切実な思いが強調されています。また、業界での営業活動、特にスリップ管理や報酬制度、商談会の参加体験が紹介され、書店員同士の繋がりや営業との関係性が強調されます。新人書店員としての経験と書店の独自性について語り、オリジナルフェアの実施や過去の書店の魅力を振り返りながら、本に対する情熱や努力が描かれます。また、書店業界の変遷を振り返りながら、営業担当者との関係や店長職の課題について語り、書店の役割や福利厚生、社員旅行の思い出に焦点が当たります。仕事の重要性や職場でのコミュニケーションの大切さが強調され、指導方法や経験から得た教訓が紹介され、仕事を意味あるものとして捉える重要性が述べられています。

書店員の経験
お久しぶりです。本のそばには楽しいことがあるをもとに、書店歴25年の元書店員すずきと、
出版取次7年、出版社営業13年、現在書店と出版社の現場をつなぐ一冊取引所運営4年目のわたなべの2人で、
書店員、出版社、一般の読者の方からの素朴な疑問に答えていました。本そばポッドキャスト休憩室でございます。
どうもお久しぶりでございます。
お久しぶりです。2人でなんて言いましたけど、本日は一列とお辞儀して。
たまたまですね、昔の話で書店員の話とかもしたいんだけど、積極作になるとあれだなと思ったのに、
ちょうどいい人がいるなと思って、まさもねさんに来ていただきました。
どうもこんばんは。
ありがとうございます。
ちょっといつものようにのんびりといきたいんですが、進行はさっきちょっとポストしましたが、
あんな感じで、ポストに書いてある感じでやっていきたいなと思っているわけでございます。
お品書きどおりに。
お品書きどおりに。
三島さんは入社は何年になるんですか。
正確に言うと、1989年の12月1日なんですけど、ここにバイトで入ったのが最初。
社員になったのは?
これも厳密に言うと2001年の仕事です。
なるほど。
だから12年ぐらいはフリーターみたいな感じ。
その後の空気感は僕もわかるんで、フリーターで全然OKだった時代ですもんね。
全然OKだった時代ですね。
まあ後ほどそのあたりは。
たぶん話していくと、楽観ムードな私たちに反発を招くかもしれないですけど。
渡辺君は当判ですか、入社は。
大学新卒で当判に入社したのが2000年4月になります。
それまで学生だからバイトとかは特に書店とか関係なく。
そうですね。タイヤチェーンの販売応援みたいなことをやってましたけども。
そういうことやってたんだ。
ロジャースとかに行ってですね。
埼玉の人ならわかると思いますけども。
とにかく学生時代は本屋に行くのが楽しみっていう通学の生き返りで。
まさか高校のときによく行ってた本屋さんの取り継ぎの担当者として、
また同じお店に関わることができるとはみたいなことも体験しております。
ありがとうございます。
私のほうは、バイトで書店に入ったのが1993年なんで平成5年ですね。
高校を辞めてから卒業して、仕事しないまま僕もブラブラしてて、
バイトの募集を張り紙で書店に行ったら会ってっていう感じですね。
1997年に社員になってます。
バイトから社員になれば書店も変わってるんですけど、店は変わってなかったんだけど経営者が変わるみたいな感じで。
2社掛け持ちになってるんですけど。
僕と増村さんは89年から90年代という、まだ書店業界が右肩に上がっていた時代ですよ。
93年はね。バイトの頃はね。
それが96年ピークに下がっていくので、
だいたい僕と三島さんはピークから下がっていくことしか書店してないという世代ですね。
ただいきなり額で下がってた感覚はないじゃないですか。
今と比べればあの頃うちだなと思うぐらいだいぶ違いましたからね。
その辺も今日はお話をしながらやっていきたいなと思っているんです。よろしくお願いいたします。
入社のきっかけ
今回は、あくまでもあの頃こうだったよねぐらいの話なので。
増村さんは現役で、会社は同じですか?入社すると。
ずっと同じです。
じゃあ差し付けのない感じで。
実名言ってもいいんだけど、別にあいってここでは言わないと。
了解でございます。そんな感じでやっていきたいと思っております。
渡辺くんもね、取り継ぎ当判さんはもう退社してますんで。
ぶっちゃけられると思うんですけど。
いやいやいや、ぶっちゃけますよ。
じゃあ始めましょう。
そんなお三方なんですが、お三方というかもう三人なんですが、
まずこの業界に入ったきっかけみたいなのを聞きたいじゃないですか。
増村さんはどうですか。書店に始まって、それまではやっぱり本屋さんに一切してたんですか。
あんまり正直言うとなんとも思ってなくて。
本をその頃は結構読んでて、いわゆるミステリーマニアにもなってた状態ですね。
87年に綾辻さんが十画館を出して新本格っていうブームが始まるんだけど、
そこもリアルタイムで結構追っかけてるから、その辺をずっと読んでて、
割と本を読むのは好きになってた状態。
実生活で言うと大学を辞めてるので、大学を辞めて暇でぐらぐらしてて、
なんかやれや、って親とかに怒られて。
知り合いの人の家庭教師みたいなことでちょっと小銭を稼ぎながらやってるところで、
昼が結局暇だから、なんかバイトでもないかなと思って探してたところに、
今の会社が福山駅前のファッションビルみたいなところに出展するということで、
そこの新規スタッフを募集してたから、そこで応募して採用されたというのが最初。
福山駅前のとあるファッションビルに、もともとそこも別の書店が入ってて、
そこが撤退した後で、今の私がいる会社が出ることになって、そのタイミングで採用された。
じゃあ、別に本屋さんで働くことを目指してやってたわけではない?
別に何か志があったわけでもなくて、空いてた時間だったから、それを採用したわけではなくて、
本屋さんで働くことを目指してやってたわけではなくて、
本屋さんで働くことを目指してやってたわけではなくて、
本は好きだったから、好きな本をいじってて、お金もらえるんだったら、それはいいかなと思って。
どっちかというと、軽いノリな感じの入り方ですよね。
私たちの世代は本当に本を書いてほしかった。志の前に書いてほしかった。
入社の面接で、その時に店長になる小玉さんって、僕の中では師匠の人なんだけど、その人と初めて会うんだけど、
その小玉さんのほかにもっと2人、もっとすごいベテランの店長さんと面接をして、
そのうちの一人の人に、「君はバイトで入るけど、そのまま何もしないままプラプラして、30代でもバイトのままでいるつもりかい?」っていう、
かなりすごいツッコミをされたのをめちゃくちゃ覚えてますね。
人気書籍の影響
実際そのときのお話は、
後から話しますけど、
では渡辺くんは、トウさん、さっきちょっとちらっと話しましたけど、
小杉さんを選んだ理由はなんなんですか。
本当に大事なのは、
あるいは、
カメラの裏側が、
カメラの裏側が、
本当、僕も後から話しますけど。
じゃあ渡辺くんは、トウさん、さっきちょっとちらっと話しましたけど、
小泉さんを選んだ理由は何なんですか。
そうですね。僕、読書家ではないんですけど、
本屋に行くと自分が賢くなったような気がするというか。
本屋に行くことで、自分が高まる感じってあるじゃないですか。
ありますよね。
私、そういう足り気にすがりがちなものですからね。
本屋に行っては雑誌を買ったりとか、文庫本買ったりとか。
そんな感じでも、それこそ高校生ぐらいのときから、
とにかく毎日のように本屋にはいってたんですよ。
大学生のときには、埼玉の川口から埼京線に乗って池袋、新宿に乗り換えてみたいな感じの通学ルートだったんですけども。
吉祥寺にはパルコブックセンターがあり、新宿には木の組み屋さんもあり、
そしてやっぱり池袋ですよね。
リブロがあって、新栄堂書店があって、そして順久堂書店もできると。
大都会じゃん。
90年代後半ですよね。
川口なのに。
川口なのに。そうなんです。
とにかく本屋さんに行って、本を買ったら満足するみたいな感じでやってたわけなんですけれども、
就職活動も周りが始めて、そろそろ俺も自己分析とかやんなきゃなーなんて言って、
絶対内定みたいな分厚木本とか、友達が読んでるのを見て慌てて本屋に買いに行ったりとか、そんな感じでやってた中で、
取次というのがあるのをそこで知るわけですよ。
出版取次っていう業態があること自体は普通知らないもんね。
出版社の就職活動って、今わかんないですけど当時って6月とか7月とか結構遅めなんですよ。
採用してるのは大手が中心だったりするので、新卒で。
就職活動とかはとっとと終わらせたいなと思ってたんですよ、僕は。
あんまり遅くまで引っ張りたくないなーみたいなのがあって。
比較的早めに始まっているところで取次っていうのがあって、
自分が大好きな書店さんを相手にする立ち位置なんだっていうのを知ったときに、「あ、ここだな。」と。
あとは、篠国屋書店さんとかもエントリーシートとかを送って説明会とかに行ったりしてたんですよ。
そういうところで落とされるみたいなですね。
なんですけど、当判に関しては、面接を重ねていくごとにすごく行きたいなって思えたし、
すごい自分にぴったりだなって本当に心から思えて、
途中からいろんなたくさんの就職活動を辞めて、もう当判しか受けないみたいな。
二次面接以降ぐらいからは。
すごいね。
大胆なことをしてましてですね。
当時就職氷河期言ってまして、
2000年でそうか。
99年、2000年、2001年ぐらいまでですかね。
っていう状況だったんですけど、僕は当判に行きたいみたいな感じで、行くことができました。
今でも同期入社のみんなとは仲良かったりとかもしてて、
自分の原点は取り継ぎの血が流れてるなって、今でも思うことがたびたびあるという感じなんですけども。
まああれですよね、やっぱり2000年4月に入って、まずはハリーポッターとかですね。
2001年ってそんな頃ですかね。
チーズはどこへ消えた。
2000年だっけハリーポッターって、そんな昔だったの?
賢者の意志2000年なんですよ。
自分最初特派部ってところで具体名を挙げて生々しいんですけど、
熊沢書店さんの部署。
熊沢さんがすごくハリーポッターを、とにかく予約をたくさん取ってすごく力入れてやってらっしゃってて。
だからハリーポッターの新刊が出ると、テレビ局とかも八王子の熊沢さんの本店に取材に行くみたいな、当時そういう状況が。
すごく印象に残ってるんですけど。
すごい本がたくさん売れる。
チーズはどこへ消えたなんて、書店さんからチーズないんだけどどっかにないかって言われて。
本当に売れたよね。
チーズが本当に消えてなくて、売れすぎてて、従販が間に合わなくて。
本当にどこに行ったんだっていうね。
社内でチーズないかチーズないか探し回ってるという思い出があります。
出版不況ってもちろん言われてたんですけど、
単金レベルではお化けみたいに売れる本がいっぱいあったんで、そういう時代だったんだろうなと。
このスペースのポストに聞いてる方、年度別ランキングがわかるサイトを見つけたので、
90年代以降のランキングを、省略が出るぐらいわかりやすいものがあるので、
参考までにリンクをたどっていただけると見られるんで。
後ほどこれも触れながら話していきたいなと思ってますので、ご参考までに。
チーズ、懐かしいですね。
僕の動機は、自分から言うのはちょっと骨髪かしいんですが、
いたるところでも話してるんですけど、書店を始めたきっかけは何ですか?みたいな感じで。
本好きだったんですか?みたいなことをよくみんなに言われちゃいますよ、書店を始めたときって。
僕ら三島さんと同じように、基本的にフラフラしてて。
ちょうどたまたま当時、付き合ってた彼女がいまして、18歳ですね。
そのときに、僕は漫画家目指したんで、20歳ぐらいまでは何も知らずに漫画を描こうかなと思ってたんですよ。
なので、お金がないんじゃないですか。付き合ってる人がいるのにもかかわらず。
ちょっと遊ぶお金ぐらい稼がらないと思ったときに、フラッと入った本屋さん。
いつも入ってる本屋さんなんですけど、そこのお店の真ん中にでかい柱時計があって、
そこにアルバイト募集って書いてあって、これだと思って。
超楽そうと思って。それだけなんですけど。
家から近いし、家から自転車で15分ぐらいだし、10分ぐらいかな。
っていうふうに入ったお店が、アルバイトから始めた書店で、そこで2年ぐらいかな、確かやってて。
この後また話しますけど、書店の業務って言っても、当時アルバイトって、
本当にそこの本屋さんは、担当者とかは家族でやってたところだから。
あと一応何人かパートさんとかがいるんだけど、僕はまだ18だし、
担当とかそういう業務じゃなくて、もっと裏方。
それこそ返品作ったりだとか、お店の前の自販機のジュース補充したり、
アイスの自販機補充したり。本当そういう雑用。まるまる雑用なんですよ。
そういうのをずっとやってた感じで、2年ぐらいやってたら、
書店員の始まり
そのお店が所持場で閉店しますっていうことになって、
その後、お店もまたなくなっちゃったんで、1年ぐらいまたブラブラしようかなと思ったら、
途中でまた電話がかかってきて、当時の前のお店の店長に電話がかかってきて、
次に本屋さん、地元の本屋さん、しんしん堂っていうところに入るんだけど、
やるかい?って言われたんで、ああ、やってもいいですけどみたいな。
なんかすげえ上から目線で、「やってもいいですけど?」みたいな感じで入って、
そっからバイトなんだけど、まだバイトから入ってるんですよ、そのときは。
僕が漫画を書くって言って、漫画詳しいって。
当時本当に漫画読みまくってて、ほぼ漫画雑誌は全部メイトをしてたし、
漫画もコミックもお金がないけど書きたいとかしてたんですけど、
そんな感じで、ある程度漫画には詳しいGIFはあったんで、
なんかそういう面接で漫画書いてますなって言ったら、
じゃあコミックの担当やんなよって言われて、バイトで担当を始めたって感じですね。
そんなといろいろあるんですけど、そんな感じのきっかけで僕は本当に、
なんかこう、本屋さんでとか、本屋は昔、本が好きでとかっていう感じでは僕もなくて、
漫画は好きでしたけど、コミックはすごい好きだったんですけど、
そこと本屋って、実はあんまりね、漫画が好きだから本屋さんに行くとか、
そもそも、三沢さんもそうだと思うんですけど、
当時って本屋さんっていたいとこにあったんで、あんまり本屋って意識しなかったですよね。
研修と初仕事
そうですね。
うちも市内に10店舗以上本屋さんあったんで、大小含めてね。
いっぱいありましたよね。
そう、あったから、別にいつか本屋さんでみたいなのもなくて、
あまりにも日常すぎて近くにあったんで、
バイト先としてもバイト募集してるからやるみたいな感じ。
コンビニと同じぐらいの感覚ですよね、今のね。
特別何かしらそこで働きたいとかっていうのもそんなにいなかったっていうのは、
一切のここでしたね。
ということで、そんな感じで業界に入った3人なんですが、
初めての仕事。
入って初めての仕事って、三島さんは何やりました、初めて。
バイトからでもいいですけど。
あんまり覚えてないんですけど、
最初に新しく出るお店に採用されたから、
まず研修しましょうって言って、
ある商店街にあった結構古いお店に、
1週間ぐらい研修で入ることになって。
へー、研修になったっていいな。
うん、研修終わりました。
終わったんだ。
朝の荷物を受けて、見分けをして、雑誌開花して、
雑誌も付録をつけるっていう作業とか。
それみんなびっくりしますよね。
付録ってこっちが付けるんやっていうのは。
そう、自分で付けるんだって初めてみんな思いますよね。
これは本当にびっくりしましたね、最初に。
そうそう、あれびっくりする。
それと、あとは返品ですよね。
やっぱり返品が最初じゃないかなと思うんですけど、
品出しのセンスがやっぱりないから、まだ力量がないところで簡単にできるところって言ったら、
そういう雑誌を出す手伝いと返品作業だったと思いますね。
返品作業ね。
だいたい多分、僕もバイトやったときって、
多分これを宛てにされたんだなっていう感じがめっちゃしましたよね。
昔の返品って、今は店によって違うかもしれないけど、
基本的に無伝票とか、もうそのまま箱詰めして送ればいいというのが今のシステムだけど、
当時はいちいち書いてましたよね。
書いてた。
いちいち署名を書いてた。
副写で伝票に書いてた。
3枚副写かなんかで、小説だったら本当にタイトルも書いてて、
雑誌は雑誌コードを書くんだったかな。
書いてた、書いてた、雑誌コード書いてた。
それをワーッと書いて、副写の何枚目かを入れて送るみたいな。
で、何枚目は取引担当に渡すみたいな。
だったと思いますね。
あれはね、僕が働いたとこって、自社便で送ってたんですよ。
はいはいはい。
自社便で、何店舗か、県内に3店舗くらいあったのかな。
自社便で、自社のすごいでかいトラックで回収しに来るんですよ、返品を。
ただほら、自社便だからそんなにしょっちゅう来ないから、
だいたい2週間に1遍とかしか来ないわけですよ。
そうすると、その間ずっと返品作ってると、偉い数になるんだよね、返品の数が。
で、結局1回に出す量が100、200って感じになってて。
バックヤードそれで返品がいっぱいになる。僕が作ってたんですよ、全部。
で、それをトラックに積むのも、僕とトラックの運転手2人だけで積むんですよ、それを。
あれは辛かったね。
それはすごいですね。
ただまあ、ゆるゆるなんで、すごいラジオを聞きながら返品作ってたの、毎回。
大沢有里のYuYu Wildとか流れてたりとかね、こっちだと流れてて。
それをラジオを聞きながら返品をずっと作ってましたね、僕も。
本当に書店員って、バイトだと、今も結局新しいバイトさんだと、
まず返品とか掃除だとか、そういうことを教えますよね。
朝だったら荷明けとか。
僕バイトのときは、おそばんばっかりだったんで、
朝の荷物開けっていうのは、本当に土日にしかやったことなくて。
ただ土日って土曜日しか荷物じゃないじゃないですか。
日中で荷物ないから、あんまり経験的にないんですよね。
バイトの時代ってそんなにあることはあったけど。
まあパートさんたちが朝はいつもやったんで。
で、おそばんで、当時11時ぐらいまでお店が開いてたから。
夕方から入って返品作ったりとか。
土日になると朝からとか、昼間からとかでやったりとかした感じでしたけどね。
営業担当としての挑戦
渡辺君って当判の仕事って一番初めに何やるんですか。
ちょっとさっきの返品伝票の話面白いんで、そこもちょっと引き取りながら話しますと。
まずはですね、大体1ヶ月ぐらいなんですけど、
研修やっぱりするんですよ。
いいなあ、研修あって二人とも。
それでやる内容としては、主に物流系の現場になるんですが、
当時はまだ本社に物流があったわけですよ。
今は当判の本社は新しくなってますけども。
あれでしょ?文京だっけ?
文京営業所っていうのも、ちょっと歩いて行ったところにあって、
そこに専門書センターっていうのと、あと首都圏転売っていうのがありまして、
専門書センターなんかも現場に含まれるわけですけども、
1日2日3日ぐらい、倉庫だったり注文物流のスパンがあって、
短冊を見て仕分けをするわけですよ。
段ボール1個の量になったらそれを記表出荷に回すみたいな。
記表もソーターで読み込ましてやる場合もあるし、
バーボードみたいなのでピッピッピッピやりながら記表するのもあるし。
そういう本当の注文物流と、
あとは取り継ぎ在庫品に関しては、電票が先にできるんですよね。
電票が先にできて、できた電票を見ながら本をピッキングしていくっていう。
あとは新刊のラインって言われてるやつですね。
本当にベルトコンベアに空っぽの段ボールと、新刊も何が何冊でも電票が先に出来上がってくるので。
ベルトコンベアのライン、段ボールが流れてくるライン。
段ボールにその電票がくっついていて、
その電票を目視しながら、自分の背中にあるパレットに積まれた、
搬入されてきた新刊の山から、例えば電票にそれが5とか書いてあったら5冊を手で取って箱に入れるみたいな。
流れ作業でやるんですか。
流れ作業でやるんです。
なんかそういうすごくオールドスクールとはいえ、それより昔に比べたらだいぶ進化してるんだけれども、
つまりそこで5って見たけど間違って4冊しか入れられなかったらコンベア流れてっちゃうし。
ボタンでビーって止めると先輩たちに、「お前なんやってんだよー!」って。
みんなが止まるわけでしょ。
みんなが止まるし、止まるのが多かったら残業とかになるし。
残業だよなーって蹴っつけられたりするような空気感ですよ。
それぞれの物流の現場においては同じ窯の名刺を作った上下関係があって、
自分が取り付きで現場の研修機関ぐらいですけども体験した中で思うのは、
あそこの現場で一緒だったっていうところのネットワークみたいなのが社内にあったりするわけですよ。
それから支店に行ったりとか別の部署に行ったりとかして、
困ったことがあったら、今あそこに俺の先輩のあれがいるとか後輩がいるから、
そいつに頼めばなんとかしてくれるからとかっていう感じで、
上司とかが、どこに誰がいるからそこを頼れみたいなのを。
だから本当にリアルインターネットのネットワークみたいな感じの。
よくわかんないパターンだけど。
だけど組織だよね。
組織なんだけどインフォーマルなグループっていうか。
キーマンがいてみたいなのをちょっと買い物で。
そして現場の話は2週間ぐらいあって、あとはそこから支店に行くんですよね。
僕は埼玉支店にお世話になったんですけども、
他に千葉支店、神奈川支店に行くメンバーとかもいたりとかして、
そうすると今でも当時埼玉支店に一緒にいたメンバーとかすごい仲良かったりとかして、
僕で言ったら船巻さんとかそういう感じなんですよ。
あー、船瀬さんね。
はい。とかは同期で一緒だったりして、今でもあれなんですけど。
また本店、支店みたいなところの支店の空気感みたいなのがあって、
僕は支店もすごくいいなーなんて思ってたんですけれども、
1ヶ月ぐらいやって、新人が大ホールみたいなところに招集かかって、
そこにドコドコ支店、誰誰、誰誰?とか言って、
はい!とか言って立ち上がって、そこの城長にドナドナみたいに連れてかれるみたいな。
へー、そんなのあるんだ。
で、俺は多分超千葉支店に馴染んでたから、
俺は千葉支店になるねなんて言ってたやつが、北陸支店って呼ばれて、
入って立ち上がったんだけど、僕はその真後ろに座ってて、
そいつの背中がプルプルしてたのを今でも忘れられないんですけども。
支店って各地域、昔はね。今もあるところはあるけど、だいぶ減ってるけど。
まあそうですね。とにかくいろんな部署、同期だと広報とか秘書室とかそういう人もいたし、
とにかくいろんな部署に研修の後に配属になる。
だからいろいろ、その間にある人の適正みたいなのも見られてたかもしれないし。
とにかく、なんと私が配属になったのが熊沢書店さんの担当、当時三部だったんですけども。
あんまりないことみたいなんですけど、同じ間に2人配属になったんですよ。
一人は私、もう一人がさっき出てきた船田真樹さんだったんですよ。
新入社員が2人入る。これは地獄だったんですけども。
常にその出来の良し悪しを比べられてしまうんですよね、その仕事を通じて。
船田真樹さんは本当にね、できる子なんで。私はそれでできないんですよ。
失敗らしい失敗は全部熊沢書店さん時代の3年間にやらかしていたんですね。
ただ自分は仕入れとかよりも営業、とにかく書店が好きっていうところがあったので、
本屋さんの近いほうがいいなってすごく思ってたんですよ。
そこからOJTの先輩がついて、いろいろ仕事を教わりながら電話取りから始めてっていうところです。
中で今でも印象的なのは、返品伝票ですよね。カーボン紙を敷いて返品伝票。
書店さんが書いた返品伝票に不備があったものが、販売計算家から回ってくるんですよ。
例えば価格が入ってないとか、なんやらかんやらとか。
そういうときに、販売計算家の人が書店に確認するわけじゃなくて、
営業担当が確認するわけじゃないですか。
そうするとお店の返品伝票とかを見て、お店に電話して、
ここに金融がなかったんですけれども、
ちょっと控え見て確認してもらっていいですかっていう感じのやり取りをしたりするわけですね。
ときにそれをファックス送ったりとかして。
そんなようなことも、取り継ぎの営業担当で何やってんのっていうと、本当何でもやだったんですけど、
当時は特に伝票とか、
あとはさっきの新刊のLINEとかで5冊入れなきゃいけないのに4冊しか入ってなかったら、
書店さんから電話が来て、その矢表に立つのが営業担当なんですよ。
現場のLINEの人は矢表には立たないわけですから。
新人書店員の苦労
で、チーズはどこへ消えたか、全然入ってなかったんだけど、みたいな。
伝票には書いてあるんだけど、すぐ持ってきてくれみたいなことになりかねないわけなんですよ。
俺のミスじゃねえのに、なんで俺こんなにへこまされるようになるのか。
当時はだいぶやさぐれまして、酒のほうに走りまして、
夜な夜な飲んでたら、朝起きれなくてギリギリになっていって、
また、「普通はもうちょっと早く来るもんだぞー!」なんて優しく悟されたりとかしながら、
育てていってたりだったり。
三島さんは当時どこでしたっけ?日刊でしたっけ?
日刊ですね。
でもやっぱり何か入ってないっていうことになると、
日刊の営業担当にこっちの…。
まあそうだね。
もちろんもちろん。
大事記録したりするんですね。
そうそう。
それで、販売計算課なんて名前も出したんですけど、
現場のほうで、ダンボールに原物が入っていて、
現場の人が一応検品もするんでしょうけれども、
手書きの電票が販売計算課に上がって、
それを賞味とか書いてないわけじゃないですか。
賞味の話ちょっとややこしいんですけど、
その取引先で、この賞味でって一本で決まってるところもあれば、
出版社によって別々の賞味のやつとかがあると、
販売計算課の人が賞味帳を見ながら、
賞味を電票のほうに書き足してくるんですよ。
それを入力する人とかもいて、
それが請求とかいうほうに回っていくみたいな。
賞味帳、僕もちょっと見たことあるんですけど、
本当に電話帳みたいな感じのイメージの。
それ門外不出なんでしょ。
まあそうです。門外不出なんですけど。
まあそうだよね。他社の賞味帳はわかっちゃうもんね。
ところが販売計算課の人は、そんなものを見なくても仕事ができるわけですよ。
全部職人になってるんで。
電票の出版社名を見たら、これはこうこうこうこうとか。
僕みたいなペーペーがたまに、この出版社の賞味なんだろうって調べようと思ったら、
電話帳みたいなのを聞かないとわからないんですよ。
中にいる何十何名の人たちは、全部そういうのを反られるような。
取り継ぎのマンパワーっていうか、他にはできないそういう。
あまり取り継ぎって言ったときに、外部からはブラックボックスだとか言われて、
イメージできないようなあらゆることを自分は垣間見てきてしまったので。
書店での仕事の実情
まあまあそれはそうなんですよね。
まあしゃーないっちゃしゃーないみたいなところはあるんですよね、みたいなのがわかる。
三島さん見学とか行ったことあります?取り継ぎとか。
僕ないです。
あ、そうですか。
ブラックボックスと言われてるところの取り継ぎ。
僕、本当に新人のときに見学行くって言われて、見せてやるからって言って。
当時の僕の上司が、元党藩の渡辺君と同じように、同じ釜の飯を食ったみたいな現場の人で、
そういう流れで、当時、今の新しいシャークではない昔のシャークで、
そこで物流関係を全部やってた時代に行ったときに、
本社があって、何階だっけあれ?5階?4階?なんかそういう。
たぶん4階ですね。
4階だよね。
エレベーターとか階段で登ってきて、一番上が食堂なんだよね。
施設とか支店とかの担当者のところを回りながら、
階段登ったりとかエレベーターで行ったらたまに4階とかがガーって開くんですよ。
そうすると、休憩時間だったんだと思うんですけど、
廊下の左右にベンチがあって、そこにうなだれるようにみんなが座ってて、
炭鉱婦みたいな感じの場所で。
もう一個転売があるところに支社があって、担当してるのはそっちだったのかな。
そこで返品とかの受け入れ作業とかもあるんですけど、
当時4階か5階までなんですけど、転売が上にあったりとかしてて、
エレベーターで行くときに途中でみんな出入りするから、結構激しくエレベーターを使うんで。
エレベーターもデカいんですよね、本を置くから。
本を持ち運びするから丈夫で頑丈で、台車でパレットとかでデカいところで行きながらガーって開いたら、
目の前を当判の救護段ボールが横に飛んでたんですよね。
そのぐらいすごかったですよ、昔の取杉さんの。
今はもうオートメーション化してて、灯路地だとか桶側ができちゃってるから。
そうですね。今は全然違うと思いますけどね。
そういうものは全部本社ではないんで、あれですけど。
お二人も電表を手書きしながらやってたところが、
今は電表書かなくていいなんて夢みたいな話ですけど、
これは北書店の佐藤店長が、昔バイト時代に返品をずっと作ってたんだけど、
そうすると出版社も覚えるし、だんだん
なんでこれ返しちゃうんだよ、これ置いといたら売れんじゃねえの?みたいな、
そういう感覚が芽生えてくるとか言ってひたすら見てた。
ああ、それはあったなあ。
僕なんかコミック好きだったから、コミックの返品ってすごい量あるんだよね。
そうするとこれ返しちゃうんだ、とか思いながら。
よくあったし、あと本当すごく単純な仕事ではあるんだけど、
書きながら、文春もう一回返品きたみたいな感じで、
今日の一番たくさん返品が出た版元は?みたいなのを全部チェックしてて、
一人で遊んでましたよ。
正の字で、正の字でずらっと書いて、やってましたね。
いやー、返品はね、手書きのときはしょうがないですよね。
今なんかポストで、アテナ貼ってくれてる人にあげてくれてる人いますけど、懐かしい。
あー、そうですね。
糊もね、すごいでかい業務用の糊を使ってたんですよ。
ベタベタでヘラで縫うやつ。
あれの貼るのがね、超早かったです、僕。
ああそうか、今はだってね、シールみたいな。
そうそうそうそう。
めっちゃ早かったですよ、あれ。
バケツみたいなのに糊が入ってて、
それをヘラでね、アテナを真裏にして10個ぐらい並べるわけですよ、目の前に。
で、そこにヘラでパパパパって裏に糊を貼って、
2枚を裏でパッて重ねて、中枢ってやってベタベタって貼っていくっていう。
パーンって平手打ちかますみたいな感じがあるんですね。
そうそう。
小口、これはたぶん小口書いてあるよね。
小口書いてあったりするんで、そこで50の1と50の2とか書いてあって、
最終的にやったりとか、
あと返品電票入ってるところは電入りって書いたりとかにして送ったりしましたけどね。
そういってね、取り次ぎの話が長すぎたみたいな感じで。
じゃあ、そうするとアドバイトだとそういった仕事、
僕なんかも返品したり、
本当にね、小学校中学生の自転車がすごい夕方多いんで、
駐車場の奥の方広がっちゃって、車止める駐車場まで自転車がたくさんで、
それを整理整頓する仕事とかは夕方あって。
でね、今はそのお店もないんであれなんですけど、
いろいろ取材とかでそういったお店行くとか、
あと昔からやってるお店さん行くと、
やっぱり昔は自転車多かったんだけど、今はほとんどないよね、みたいな感じで。
そういう景色ってなかなかもうないんかなと思って、
自転車がたくさん並んでるとか、東京だとまだあるんだろうけど、
こっちはなかなかね、自転車で子どもたちだけで本屋に行くとかないのかなと、
いうのは感じましたけど、そんな感じでやっちゃえとか。
もうほんとなんか、だがしも扱ってたんで、だがしの補充とかね。
いろいろやってましたよ。
なんか、いろいろそういった部分もあって。
成人誌をよく扱ってたんですよ。僕が初めてバイトしたときに。いわゆるエロ本ですね。
はいはいはい。
担当商品の運営
三島さんのとこってそういうの扱ってます?成人本。
いや、基本はない。
ないですよね。
ちょっと社風的に。基本的に扱わない。
まあ扱ってた店もあったと思うんですけど、僕が行ったところは基本的には置いてなかった。
あんまりそういうところでのトラブル的なものはなかったかな。
僕も初めて行ったときに、その次に新しいのはないんですけど、お店のポリシー的にはそういったものはないんですけど、
一社目のときに初めて本屋さんに入ったときは成人とかもあったんで、
当時ほらまだ18歳だからドキドキするじゃないですか。そういうのを扱うの。
けどね、だんだん慣れてきちゃって何も感じなくなるんですよね。
あ、それはみんな言いますね。
返品とかも。
女性のスタッフでも、うちは成人はなくても、けっこう際どい系のあるじゃないですか。
はい、ありますね。
後に例えば宮沢理恵の部屋の写真ショップで買ったら、いろいろあったから。
そういうのもいろいろあるけど、最初のうちはちょっと恥ずかしがるかもしれないし、
買うほうもちょっと恥ずかしいものを持っていく。
あの若いお姉さんのレジがいるところに、こんな本も買えるかどうかって思うけど、全然こっちは何とも思ってないんだよね。
そう、何も思ってないわけ。本当に何も思わないんだよね。
これは伝聞で聞いた話ですけど、あるベテラン店長さんが、
新人の女性スタッフに教えるときに、例えばちょっとやらしい本とかもあるけど、
そういう子に返品で渡すと、そういう真面目な堅苦しい本もあれば、ちょっとエロい本もあったりする。
こういうのを全部一緒に使ってるのが書店なんだよっていうことを教えるっていうのがあったっていうのを聞いてましたね。
今はだいぶ書店でそういう本を見ることも少なくなったけど、
僕なんかはその返品とかも出てたからね。
品出しとかは当時しなかったけど、整理整頓してこいとか整頓してこいっていうときに回ったりするとね。
意外と売り場を読んでる人も普通に綺麗に戻すからね。あんまり乱れてないんでね。
じゃあ、これで社員になったときに、僕の場合はバイトから担当を持ってましたけど、
担当っていうと三島さんは何から担当されてるんですか?
僕もね、実はバイト時代に三島くん担当を持っていいかなっていうことで、最初に持たされたのが文庫なんですよ。
おー。文庫結構難しいじゃないですか。
結構難しいです。私がその頃いたお店っていうのは、ファッションビルの本当に20代、10代、20代がメインの客層のファッションビルの中にある本屋だったから、
例えば固いものじゃなくて、岩波文庫とか多分扱ってなくて、メインじゃないけどめちゃくちゃシェアが高かったのが、
周永社のコバルト文庫とか、普段したX文庫。その頃に角川がスニーカー文庫が確か創刊されたばっかりだったか、その頃だったかみたいな感じの。
清田港とか。
そうそう。水野涼とかね。ロードソセクション。その頃のオープニングイベントが水野涼サイン会だったんですよ。
すごいサイン会。
でもその頃は水野涼って全然知らなかった。めっちゃ並んでて、なんだこれはって思ったらすごい人気サーカーだったっていうのを後で知るんですけど。
今でいうライトノベル的なものの走りみたいな。
そうですね、あの頃はね。
ジャンルで、スニーカー文庫から栗本薫さんが終わりのないラブソングっていうBL系のものも出されて、出して初めてたりした頃だったから、そこのシェアがものすごく高くて。
後、高段社X文庫ってピンクの背拍子の覚えてます?
覚えてますよ。
あのピンク背拍子がもう2本3本ぐらいあったんですよ。
すごかった。花井愛子さんとか小林なんとかさんとか、藤本ひとみさんも。藤本ひとみさんはどっちかというと小原とぶんこだったと思うけど、
その人気作家も何人もいて、すごい会場だらけの本に衝撃を受けたりしましたね。
読みやすいんですよ。僕も中学校からスニーカーの、さっき言ったひうらこうとかは、
星真一とかでも逆にSF的なノリはそっちから入ってて、小話的な感じとか。
なんか本読むの面白いなーみたいな。その頃からスニーカーはお世話になりました。そんな深くはお世話になってないですけど、入り口としては。
ぶんこの担当をやってたときに、当時店長の小玉さんから、
ぶんこの売り上げって、例えばライトノベルは新刊がめちゃくちゃ売れるけど、機関はそうじゃないかもしれない。
新刊がどのぐらい売れて、平台にあるものがどのぐらい売れてて、
棚からどのぐらい動いてるのかっていうのを、日々スリップを見ながら、このスリップの話もたぶん後で出るかもしれないけど、
スリップで仕分けをして、これは新刊、これは平台、これは棚っていうので仕分けをして、
書店業界の実情
実際に棚の売れがどのぐらいあるかっていうのを出版社別に数を数えて、それをもとに棚のシェアを作ろうっていうことを結構やってましたね、その頃から。
棚の面積というか、取ってる本数と売り上げがちゃんと比率として合ってるかどうかってことですね。
新刊は新刊で、もちろん別のコーナーとしてあるし、平台は新庄文具だったらこの辺を置くとかっていうのが決まってるのがあるけど、
その辺のシェアもちゃんとしていこうっていう風なアイデアがあって、それはすごく細かくやってましたね。
確かに多分、門川、Teens系、昔まだラノベって言われてなかった時代とかは、ラノベはそうだと思うんですけど、棚から売れないから、棚のスペースは在庫量を減らしてでも、逆に新刊だけで増やしたほうがいいとか、そういうことですよね。
そうそう。で、Teensシリーズは一巻から全部揃えておくとかね。それは平台に置いておくとか。
いうようなことは、それはライトノベルにも限らず、例えば文春文庫だったら坂の上の雲が全部平台に揃う時とか、そういうようなこともそこで襲われましたね。
あの頃は、今もそういうところあるかもしれないけど、これは年1回売れるかどうかわかんないけど、置いとかないと恥ずかしいみたいなのはありましたよね。
ありましたありました。
これを置いとかないと、本社としてはいかがなものかみたいな。必ずそういう作家とかがありましたよね。
文庫はね、確かに。
僕はけど、文庫の担当って、もうみんな担当がいたんで、結局ハーミー店長になっちゃったんで、あまり自分で文庫の担当をやることは滅多になくて、
一部レーベルの担当をやりましたけど、専門的な知識が必要なところはあるけど、文庫の担当としての経験は僕はあんまりないんですよね。
あれ、男組、女組でしたっけ?電撃組でしたっけ?
ライトノベルの時代
あーありますね、カドカーの。
電撃組でしたっけ?
いわゆる特約システムですね。
ある程度実績があると、男組に入って、それは男性系のライトモデルの配本が厚くつくみたいな。
とりあえず、ラドベの配本争奪っていうのは、本当にすごくて。
僕もお店で店長だったときに、早々にラドベの売れ方のすごさに目をつけてたのと。
高校時代に、電車で帰るときに先輩と一緒に駅の本屋、後にそこで働くことになる本屋があるんですけど。
帰りに寄ると、カドカーのスニーカーの発売日とかに行くと、先輩が新刊コーナーから全部一冊取ってるわけよ。
上からじゃないんだよね。綺麗なやつって。
取って、綺麗なやつって。これ変わんねえんじゃないかと思ってたんだけど。
結局、その新刊全部毎月買ってるの。その先輩は。
高校の時代とかね。そういうのあって、ラドベの売れ方あって。
だから、栃木県で一時期一番ラドベ売ってたんですよ。
まだみんなラドベのコーナーに気づいてないときに。拡大して。
それから電気組とかにも入っていくことができたんだけど。
だんだんラドベの売れ行きとかも、今どんどんメジャーになっていくと、
スペース取ってたり、集客力の高いお店もあるんで、県内一応なくなっちゃったんですけど。
そういうのもあって。結局電撃組を……。
飾り付けとかでも結構ポイントとかつくんだよね。
ありましたありました。今もありますけどね。昔の方がそういうのをやってましたよね。
担当側も、そのときにはすごい力を入れて、電撃とかそういうのを。
例えば配分が減っちゃうと売り上げが全然違っちゃうから、進化の配分が減っちゃったりするんで。
飾り付けで電撃組の飾り付けをやって、送ったんですよ。
そしたらその年に発表の前に電撃組を外されて、特約が外れちゃった。
県内でたぶん割合があるんですよね、菊池さん。
県別に割合があるんですよ、電撃組。
どんどん売るお店が増えちゃって、うちのお店が頑張っても結局限界があるんで、
だんだん基準は頑張ってるんだけどっていう時代になったときに、電撃組が外されちゃったんだけど、
飾り付けだけはあって、飾り付けの発表は発送をもって開催できるだけなんていう感じになってて。
そんな思いでありますけどね。
ミステリーの進化
ラノベはありますね。
僕の担当はコミックですね。完全にコミック担当で始まって。
当時いろいろフェアもやって、ご当地コミックっていうフェアをやって、
全国の都道府県別に地図作って、平田屋にご当地の舞台になったコミックを全部並べたっていう。
それね、同じことを僕もやったことがある。
やっぱり考えますよね。
考えます考えます。日本地図だったかな、世界地図だったかな、どっちかなんですけど、
日本なら日本で地図を載せて、それぞれのご当地的なところにゆかりの本とかを置いて、日本旅行みたいな感じのフェアをやった気がするな。
そういうフェアはやっぱりやりましたね。
コミックは結構そのあたりは探すの大変でしたけど、そういうのがあったりとか。
あとやっぱり当時僕がちょうどバイト始めた頃って、いろんなコミックがどんどんジャンルが幅広くなる時代なんで、いろんな雑誌も創刊されたりしてて。
当時ね、岡野玲子さんの、ゆめまくらバックさんの音名字を原作にした漫画家の、今では有名ですけど岡野玲子さんの漫画の音名字が出たばっかりなんですよ。
で、それをすごい僕大好きで、めちゃくちゃ売りまくりましたね。それだけは。
結構みんな知らないんですよ、まだね。一巻とかできて。
でね、当時スコラで、意外とね、まだ誰も切れてないんでね、進化も結構ガンガン入ってて、途中で何か品切れになりましたけど、確保できたりとかしててね。
いや、あれはすごい僕も気も入りだった。そういうなんか、自分の面白い本とか好きな本をこうやって平積みにして、お客さんがこんな買ってくれるっていうのはめっちゃ面白いなって、その時初めて知ったんですよ。
なんか担当して、本屋めっちゃ楽しいなと思って。
スコラ版の音名字一巻が1994年に出てますね。
ですよね、そのあたりですよね。たぶんそのあたりですごい覚えてますね。本名字は思い出深い。
あとイニシャルDも確かその時代ぐらいだったと思うかな。
まだ一巻が問い合わせるときに、イニシャルDって僕は知ってたんですけど、他の人が全然こう、注文した人もなんか頭文字Dなんですよって言ってて。
イニシャルDもよくわかんなくて、何なんだろうこれみたいなこと言ってましたけど。そういうのがありましたよね、コミックはね。
本当にアルバイト時代に担当を持つ前に、一覧表やらされてたんですよね、コミックの一覧表。それがほんとつまんなくて嫌で、大変でさ。
棚の本の数を数えるなんてこんなつまんないことないと思って。ストッカーもあるし、当時すごいストッカーあったんで。
コミックはね、すごい量ですもんね。
あの頃ってお掃除ぐらいストック持ってたじゃないですか、コミックなんて。棚の倍ぐらい持ってましたよね。
棚の倍は持ってたけど。
けど本当に品切れと入ってこないんで、従販したときに、本当に品切れた分も含めて注文するし、
棚に品切れが入らない場合は、毎回棚を朝、昼、晩とか何度も見て、売れたらすぐ補充するんですよね、ストッカーからね。
じゃないと関数分まとめて買えなくなっちゃいそうで、4巻だけ売れてると、10巻まで買いたい人が4巻だけ抜けてると買わないから。
そういうふうに隙間なく、その都度その都度埋めてたんですけど、
僕一覧表やらされたときに、担当を持ってなかったときはすごいつまんなかったんです。
担当を持ってから自分で一覧表やると、めちゃくちゃその後の仕事のこともわかるから。
あれ?一覧表めっちゃ楽しいな。これこんだけ売れてんだとか。
これよく売れたな、これとかって実感しながら、じゃあこれもうちょい入れとくかみたいな。
あと一覧表見ながら、ちょっと商品の構成変えようかみたいな考えをしながら一覧表してたから。
やっぱりね、仕事ってね、その個別の、その一つの局地的なものだけを教えて、はい、数数えてやってねって言われたら、
つまんないんだってそのときわかりましたよ。
ちゃんと仕事を教えるときも、その次こういうふうにやって、こういうことにやる、こういう意味があるからこういう仕事やってねってやると、
意味があるから、意味が伝わる、わかるから、やれることもちゃんと発揮するしっていうのを。
ああなるほどって僕は思いましたけど、そんなのちょっと感じましたね。
なんか私が最初に文庫とかやったり、書店員やってた頃って、
僕もミステリーはめちゃくちゃ読んでる状態で入ったけど、あんまりまだ主流とは言い切れないぐらいの時代だったんですよね。
やっぱりミステリーって、僕は本当にあれなんですよ、ミステリー読んでなくて、
本当に書店で割と始まったときに当時の店長はミステリーファンで、
そのときはもう梅の夏が出たときなんですよ。
まだ出たばっかりのときかな。
94年とか?
94年?95年?そんな感じ?
当時の店長に、これめっちゃ面白いからミステリー読んでるんだ、これから入ったほうがいいよって読まされて、それでハマりましたけど。
なんかその頃ってまだ、それこそ綾辻さんとか有栖川さんとかがデビューして活躍してたけど、
まだ書店的にはそんなにメインストリームじゃなくて、
当時のミステリーのメインストリームは、西村京太郎さんとか、内田康雄、森村誠一、山村美沙とかっていうのがメインだったから、
ちょっとこっちとしては肩身が狭いんじゃないけど、もっとこっちに売りたいんだけどなーみたいな感じだったのが、
だんだんとこのミスとかのブームが出てき始めてからね。
ちょっと雰囲気が変わってきて、いよいよ変わり始めるのが京極さんとか、森博さんとかが出始める頃からだったんじゃないかなっていうのをちょっと覚えてますね。
年別ベストランキングを見ると、96年とかだとやっぱり内田康雄さんとか、当時ミステリーのノベルスですからね。
ノベルスはほとんどそういうのがメインでしたもんね。
そうそうそう。内田康雄さんがだってさ、すごいよこれ。96年とかさ、新書ノベルスのランキング1位が姫島殺人事件、内田康雄でしょ。
で2位がシドニーセレタンですよ。
シドニーセレタンのブームもありましたよね。
ありましたね。で、総流伝が3位に入りますけど、田中さん。
総流伝もめっちゃすごかったけどね。
その後ダニエル・スティールのアカデミー出版に入って、内田康雄の幸福の手紙、西村京太郎さん、で、また内田康雄さんみたいな感じで。
で、あと赤川じゅうの見懸命のフォースとか。
で、京極夏彦だった。
そうそう。ようやく京極夏彦だ。
たぶんこの辺が入れ替わりなんでしょうね。ミステリーの主流っていうものが。
そうなんですよ。ここまではどっちかというとまだその本格、いわゆる僕らが読んでた本格ミステリーっていうのはちょっと暴流というか、ちょっと脇の方のブームだったのが、だんだんのし上がってくるというか、メインに進んでくることになるのが90年代後半から2000年代かなっていう感じ。
だいたい僕もそのときは、まず京極夏彦の産めの夏を読んで、めっちゃ面白かった。
当時、京極夏彦の何者かわからなかったんですよ。産めの作だったんですよね。
そうそう。あんまり人前にも出てこなくて。
すごい面白かった。そのときに、たぶん同時期ぐらいに森博史のすべてがいいふうになるが出て、
こっちはすごく乾いた感じだけどこっちも面白いと読まされたら、それも面白くて。
そのまま僕をミステリーの沼にハマさせようとしたのか。
みんなお約束のとおり、千聖寿撮影事件だとか、人格感をお勧めしてくるみたいな感じでしたね。
ノベルスっていうのはだいぶ、今だってノベルスがほぼジャンルとしてはなくなった時代だけど、当時ミステリーといえば高段車ノベルスとか。
毎月、例えば5日に高段車ノベルスが出るとか、10何日に高分車買ったノベルスが出るとか、
門川も何日に出るとか、一応何日か決まってて。
僕らはその頃に高段車ノベルスが5日っていうのがあったから、5日に必ず見に行って。
見に行くけど、地方だからまだ入ってなくて。
翌日か何かに行って、これとこれが出てる、これとこれを買おうみたいな感じで。
買ってたのが、まだ書店になる前とかだったかな。
96年って、実は出版の売り上げのピークなんですよね。
96年って、2兆6564億円で、年間で。
これがピークなんですよ、業界の。
ここからあと右肩下がってくるんですよね。ガンガンガンガン。
当時、ピークの年の売り上げのベストセラーが、1位脳内革命に超勉強法でしょ。
で、3位が神々の諮問ですよ。
グラハムハンコクの話。
いわゆる偽世科学というか、そういう考古学ですね。
新人書店員の思い出
で、あとドラゴンクエストの攻略本ですよ、ドラクエ4かな。
で、あと市原慎太郎の弟。
で、サルガン責任記。
浜田雅俊の余命とかね。
あと桜文庫のあの子とか。すごいですよ。
なんか文化の頂点じゃないですよね、当時の。
頂点ではない。
逆に本を買う人が多かったからこそ、こういうランキングになったんだなって。
グラハムハンコクだってすごい積んでましたもん。
めっちゃ売れましたよ。めっちゃ売れか。
これ今考えたらとんでもないなって思いますけど。
まあそうね。
ただこういう、95年に結構オウムの事件があったりとかして、
意外とそういうオカリティックなものって離れてたんだけど、
こういう逆に言うと考古学っぽい感じの。
ちょっと科学的な分析で。
ちょっと考古学っぽい感じの、
けど深掘りするとこれオカルトじゃんみたいな感じは、まだ残ってた感じですよね。
ランキングが面白いですよね。
95って言うと、Windows 95発売みたいなのがあるから。
書店の業務と接客
あと神戸の地震もあったり、95年っていろんな社会的なことがあって、
95年まではここに幸福の科学の本がすごいランキングに載ってて、
これが翌年は一切なくなるから、オウムのこともあったりとかして。
この辺りからだんだん2000年に入ってくる間の、この数年の間に、
理工書、コンピューター書みたいなところの流れとかも考察すると面白みがあるかもしれないですよね。
もともとパソコン書なんて、一太郎とか、わかんないけど。
仕事で使うか専門的なものぐらいしかなかった。
NECのパソコンみたいなところからね、だんだん変わってきて。
出版社で言うとアスキーとかが仕上がってきた。
そうですよね。
そんな感じでやって、じゃあ当時の書店の仕事とかいろいろ話しましょうか。
接客とかですか。当時僕レジは手打ちのレジで、ポスレジとかバーコードなんてなかったから。
僕は手打ちだったんですけど、三島さんどうでした?
僕も手打ちでした。
ポスは、分類は自分で打たなきゃいけないんですね。
一番押していくみたいな。
そうそう。実用とか、婦人実用とか、法系書とか。
打つ人間が判断しなきゃいけないから。
誰かそばにいたら、「これ何ですかね?」みたいなことを聞いてるけど、
基本的には自分で判断するっていうのが面白い。
お店としてもそんなに細分化してなかったと思うんですよね。
十何種類ぐらいしかなかったと思うんですよ、分類って。
そうですよ。レジのキーの数からするとそんなになかったと思うんですよ。
売上収穫票も簡単、シンプルなんですけど。
僕は90年代、半ばぐらいから売ったんじゃないかな。
本売ったら、文芸賞来たら、一番の1500円売って、
次は二番、コミック四番みたいな感じで。
だいたい二人で売ってたんですよ、当時。忙しいとき。
一人が読んで、一人が打つみたいな。
すごい時代。
例えば、文庫560円とか言って、
隣でハイブロウだけ60円って売って。
そう、二人で売ってたんですよ。
今じゃ一人もレジに立たせないのに。
今はもうセルフレジの時代ですからね。
当時二人で売ってたから。
恥ずかしいなあ。
カートンって言うんでしたっけ?お金を入れるお皿にして、
レジ売るためだけの人がいて、みたいな。
大型店に行けば行くほど、諸作の無駄の無さというか、
捌きの速さがすごく…。
キヌクに会って謎のレジの奥に…。
そうそうそうそう。
あれ一時期あったよね。
お金払うと謎に一回お金を後ろに持って行って…。
1万円預かりで済んだって感じで、出してもらった。
それって効率的にどうなのかと思ったけど。
でも今もキヌクに…。今は違うかな。
今はなんか違う。
セルフもあったけど。
そう、そんな感じでやってて。
懐かしいですね。
あとで出るかもしれないけど、ネットもない、パソコンがそもそもない時代だったから。
例えば問い合わせがあって、この本ありますかって言われたときに、
まあわからんのですよ。
そうなんですよね。
基本的にね。
ほんとわかんない。
自分の店に何冊あるか。
もう今では自分の店にパソコンをパッと見れば、
これは何冊あって、何なら他のチェーン店の何々店には何冊あって、
全部わかるようになってるけど。
当時は全くわからないから、手探りで行くしかなくて。
そういうときに先輩とかに聞くと、
返品と発注の手法
ああ、あれはね、あそこの棚の上から3番目の段の左から5冊目ぐらいにあるよって言ったら、
見に行ったら本当にあったりするんですよ。
それはすごいなと思う。
うちは担当生だったから、そういうので詳しい人に聞くとやっぱり一発っていうのがあるのと。
新刊が入ったら新刊は必ずノートに付けてましたね。
うちは。
例えば何月何日に何の本が何冊入ったっていうのを書いてて、
新刊の問い合わせがあったときに、
それが入ったかどうかっていうのをまずそれを見て調べる。
はいはい、そうでしょうね。
あればどっかにあるんだろう、または売れてるかもしれないけど、
なければ、うちは入ってないですね、みたいな感じになるのはそれで判断する。
これどうやってやってたかな、忘れちゃったな。
めちゃめちゃ昔の本は、日本書籍総目録っていうめちゃくちゃ分厚い辞書みたいなのがあって、
あれが年度で改定されて毎年入るんですけど、
あれに全ての本の情報が載ってるぐらいの勢いの本がありましたよね。
そう。だから観光点数も今と比べると、当時そんなに多くなかったんですよ、実はね。
ただ、その後さ、当判だとスーパー本だっけ、何だっけ、そんなのあったよね。
ちっちゃい検索できる機械。
電話会社に繋がってて、あれね、バンに繋がってたのかな。
液晶の画面にカタカナで署名を入れると、値段とか出るやつがあったんですよ、ちっちゃい端末ね。
そこから発注もできたんですよ。
あの時代で発注できることはバンしかないと思うんですけど。
そこでちゃんとロールの関熱紙で印字できて、そういうのもあったんですよ。
あれも画期的だったんですよ。
だって聞かれたときにその場で本が調べられて、何もなかったかと思うんですよ。
そうですね。
確かにインターネットはなかった時代。
あとは発注なんて電話か、ファックスも当時あったけど、
だいたい電話か、あとスリップに発注してフードで送ったりしてたりしてた。
そうそうそう。それがうちはメインでした。
うちは地方だから、例えば電話かけるのも、
当時って東京に電話するのって何秒10円とかの世帯だったじゃないですか。
あんまりかけれないんですよ。よほど緊急時じゃないと。
価格ついちゃうんですよね、それ万倍をすると。
だから当時は客注もそうだけど、客注短冊を書いたものとか、
あと売れたら売れたスリップに万千をして書いて、
それを束にしたものを週に1回、取りすぎの担当者の人が営業に来るんですよ。
その人にこれ今週の分ですって言って渡して、それを営業さんが持って帰って何かして手配して、
なかったら出版社のスリップはそのまま回って、そこから来て来てなるから、
結局届くまで2、3週間かかるのが当たり前っていうのが昔。
しなぎれっていうのもわかるのも、2、3週間して。
そうだよね。当時本当にね、2週間だって早いぐらいだったもんね。
そうそうそうそう。
熊沢さんって色筆尾とか黄色筆尾みたいに言ってたんですけど、
筆尾カードを作って、短冊を回すときに日付のスタンプを回すと、
棚卸しのときに日付の履歴を見ると、これ死に筋だなーとか嬉しいかなーっていうのが、
本そのものに短冊で情報が入ってるから、それはそれで合理的なんですけど、
それを青袋とか布袋って言ってたんですけど、
さっき正宗さんが封筒って言ってましたけど、そういうかよい袋みたいなもので、
北海道あたりのお店からそういうかよい袋が届くのが、
えらい時間かかるんですよ、なんか。
あー、そうなんだね。
だから届くまでに下手すると2週間ぐらいかかってるんで、それが。
あー、そうです。
まあけど、記録に残す方法って、手作業の時代だったからさ。
コミック担当なんかのときはね、全部入荷数、発売日の入荷数を全部記録して、
販売スリップ確認しながら売れ数考えて書いて、チェックしちゃいとかやってましたよね。
問い合わせもね。
コミックの、うちのお店だとコミック担当の人は、
コミックの新刊の発注を、行けるかどうかわかんないけど、
一応うちが欲しいのはこの数ですっていうのを、
ジャンプコミックのラインナップ表って、壁に貼り出すようなやつがあるじゃないですか。
あれに全部数字書いて。
俺もやってた、それ。
あー、ほんとに?それを営業さんに渡すみたいな。
そう、あれやってた。ダメ元でやるんですよ、ダメ元で。
ダメ元でやるんですよ。
そうそうそう。
でね、考慮してくれたとか、考慮してた気がするし、してないかもしれないしわからないんだけど。
ただ、収益者とかのジャンプコミックスはそうでもないんだけど、
微妙に、さっき言ったスコラとかトクマとか、そのあたりは考慮してくれてる気がしたりとか、
ゆず聞きそうな配分があったりしましたけど。
面白いですよね。
納品、配分した数はわかります。
でも手書きで返品書いてたぐらいなんで、返品の数はわかりませんっていう時代がずっと長くきていて、
返品電費をかかなくていい、イコール返品のデータを取ってそれで入帳するってなった時点で、
納品がわかる、返品もわかる、みたいな時代がやっとくるわけですよね。
まだ遅いけどね、それでも。
それがあって、データで配分変えたらいいよねってやったら、
返品減らそうと思うとどんどん減っていく世界観になっちゃって、
こんなの売上立つわけねえじゃねえかっていう話になって、ダメ元でそういう配分数とか出して、
このお店は相対的に返品、全体としては低いから、
そういうお店の規模を聞いてあげたほうがいいだろうみたいなお店さんであれば、
なるべくそこに沿ったようなできる限りの配分をしたりとかっていうところもいくと思うんですけど。
嘘客中問題とかとも近からず相変わらずなところがありますね。
僕と三島さんの当時の時代ってさ、返品のことなんか言われたことないよね。
そうですね。
返品多いとかって。言うほどのことはないけど言われないと思うし、
普通に業務やってたらそんなに。
まだ返品率とか言われてなかったじゃないですか。
そうそう、言われなかったから。
言ったとてみたいな感じなんですよね。
逆に物があるほうがいいだろうっていう。
売ったもの勝ちみたいな。
だってさ、企画説明会とかそういうのあるじゃない?
そのときにいろんな取材さんも一緒に来てて、いろいろ挨拶のときに、
まだ当時の取材さんが言ったことを覚えてるんだけど、
売上を上げるには在庫を増やすことですって言ったからね。あの頃。
そうすると売上が上がりますって言ったから、豪語したからさ。
そりゃあそうでしょ。
市営はしっかりやりましょうみたいな話になってるんだけど、そういう時代でしたから。
返品データが取れることができたっていうのが、そこをどう捕まえるかみたいな。
まあまあそうね。
書店として売れてないものはあんまり知られてほしくなくて、
売れてるものがガンガン売れてるよって言えるんだけど、
それがやっぱりデータとしてどんどん資格化されてくると、
いやだけどそっちそんな売れてないじゃんですかっていうことが突っ込まれるようになると、
確かにそうなんだけど、売れたい方はこっちだしみたいなものがあったりとかするし。
三島さんがさっき言った取次さんに注文をしてたっていうのはさ、
結構僕なんかは取次に注文することってほとんどなくて、入ったときから。
半元さんに注文することで取次さんに発注することは滅多にないし、
そういうもんじゃないって僕は思ってたから。
雑誌とかそういうものはしょうがない。
取次さんのほうで全部支配してるから雑誌とかムークとかそうなんだけど、
書籍に関してはほとんど発注したことはなくて、半元さんに頼んだから。
書店の発注事情
逆に言うと、今取次さんに書籍の発注を頼り切っちゃってると、
ちょっと時代的にはどうなのかってちょっと思うんだけどね。
今はないですね。
ないよね、さすがにね。
ない。今はそういう話は基本取次の人とはしない。
取次さんも困るんじゃないかなって逆に思っちゃうんですけど。
半元さんに行ったほうがいろいろなことで、
搬入日か何からわかるから確実かなって感じますけどね。
当時はいろいろ発注も、僕も入ったときは取次もあって取次にも発注できるし、
半元にも発注できるし、
どっちに発注すればいいの?実際?っていう話だったりとかありますけどね。
ネットが使えるようになってからはかなり変わったし、
でも基本はね、その頃はわりとこっちも東京の出版社に電話するようになってきてて、
たぶん電話代とかはかなり変わったんだと思うんだけど、
スキップで注文するってことは、機会としては減っていくところになっていったかな。
女性誌と雑誌売り場の変化
まあ書籍のほかにも、当時雑誌なんて、
僕やっぱり社員になるのが97年なんですけど、
その2年後ぐらいにはもう店長になってるんで、
24とか5年はもう駅ビルの店長になってるんですけど。
すごいな。
当時、後に僕が店長になると本店ができるんですよ、新しく。
それに伴って、駅ビルにいた店長がそこの店長になるってことで、
僕は駅ビルにそのときも移動になってたんですけど、店長やる人はいないと。
店長いなくなるんですけど、誰か来るんですかって聞いたら社長に、
まだ決まってないけどって言って、
やるならやるかって言われたら、やりますって言って。
バイトのときから、本屋って店長やったほうが一番面白いなと思ったんで、
店長やりますって言って。
ただ当時、新店ができるから、
上層部の視線が全部本店のほうに、みんなキガキガじゃないか言ってるじゃないですか。
だから駅ビルって、まったくノーマルだったんですよ、会社から。
だから僕、好きかって言ってたんですけど。
それで雑誌がやっぱりめちゃくちゃ売れてて、駅ビルだから。学生が多いんで。
学さんもそうなんですけど。
当時赤文字系の雑誌とか、本当に嫌だった。
発売日が23日と23日とか。
もう退場すぎて、雑誌が。
けどね、すっごい売れた。
本当にあの頃はね、女性誌がすごい売れたんで。
で、あとファッション。
本当にいわゆる、今は旧化になってるのは時代だなと思うけど、
フルーツとかね、ああいうちょっと原宿系のちょっと尖ったファッションとかも、
駅の中の本屋なんで。
結構そういうファッションに関する感度の高い若い人が多かったんで。
異様に売れたね。
うちもファッションビルだったから、JJキャンキャンBBジャンっていうのは大きかった。
あと当時ギャルがちょうど出たんで、かわいいとか。
あの辺のギャル系雑誌もすごい多かったですね。
すごい売れたし。
女性誌は本当にすごかったな、あの頃は。稼ぎかしらでしたね、やっぱり女性誌は。
それでやっぱり集客という面では、女性誌の売り場が立ち読みが多すぎて、
手に取れないぐらい人が集まっちゃうわけですよ。
雑誌のレイアウトをひとつ変えるだけで、売上がガンガン変わってた時代で。
で、やっぱり僕が店長になって初めて、自分でも好き勝手できると思って手につけたのが、
雑誌売り場のレイアウト変更で。
当時はすごく典型的な雑誌の配置だったんですけど、
男性向けが集まるところと女性向けが集まるところを、全体的に島で分けたんですよね。
そしたら全然売上が変わって、2回か2回ぐらい売上が上がってて。
もうね、銅線だけで変わる時代だったんですよ、あの頃の売上が。
本当に女性誌はすごかったっていうのがあるし。
女性誌に助けられたし、何か工夫がすればまだ売上が上がるじゃん、この業界っていうのはまだ全然あった時代でした。
なんか初見のお店で、雑誌の売り場の構成というか、
そういうのを見ると、だいたいこういう感じのお店なんだなっていうのがまだつかめた時代というか。
今それやってももうどういう脚層なのかなとかもう全く分かんないですね、今の時代だと。
あの頃は雑誌にポップ立ててるお店なかったんで、うち結構初めにポップ立ててたんですよ、雑誌に。
本日発売とか再入荷とか追加もしてたんで、雑誌は。
売れてるからね、女性誌なんかもできるものに関しては。
そうするとすぐまたそれで売れたりとか。
あとビジュアル系バンドが結構流行ってた時代なんで、音楽誌もめちゃくちゃ売れてたんですよね、音楽誌が。
ビジュアル系のバンドも含めた音楽の人もそうですし、本当にイキビルの中ってそういうファンが多くて。
当時まだバックナンバーって、今みたいに会社が半年分しか置かないとかじゃなくて、
1年2年ぐらい前まですごいたくさん持ってたんですよ、当時はんもとが。
その音楽誌を1年2年3年前ぐらいまで取れるだけ取ったんですよね。
そしたらこれがバカ売れして、あれは相当取ったね、売り上げを。
やっぱりバックナンバーの管理って難しいんで、それでスリップを作って、
各バックナンバーに自家製のスリップを差し込んで、さっき渡辺くんが言ったような日付カードみたいに、売れたら日付金を押していって補充しかけてたんですよね。
あーなるほど。
すごい売れた、あの頃は。
回転数が日付がどんどん増えていくと、回転数がわかるんじゃないか。
特集してるバンドの雑誌が一番売れるから、そういった形も当時の人気があって。
やっぱりまだインターネットはそんなに一般的じゃないじゃないですか。
バンドとかの昔のインタビューとかなんて、そろそろ読めるわけじゃないし、時代として。
そういう写真もビジュアル的なものも含めて、得られることってほぼできなかったから、時代ですよね。
そういう情報として本のバックナンバーが求められてたっていうのはね。
確かバンドブームの頃に宝島もバンド系の情報が多かった気がしますね。
あ、そうなんだ。
バイトのことはやっぱりそういうバンドファンが多かったし、すごかったあの頃は。
そういう雑誌といえば、僕はそういうようなものですね。
当時の商品のことは話しちゃいますけど、三島さん他に何かありますか?書籍雑誌系で。
接客の重要性
僕は接客のことってやつで話したいことがあったんですよ。
これね、書店で勤め始めてる前に研修1週間、別の店でやって。
レジのバイトも2日目か3日目ぐらいのときに、お客さんが客注品を取りに来ましたと。
ちょっとお名前聞いて出すじゃないですか。
そこでがね、ぬかるみの世界っていう本だったんですよ。
ぬかるみの世界というのは、当時大阪で関西でやっていた日曜日シンナーのラジオ番組。
小福田つるべとしんのしんさんが、日曜の深夜にダラダラと喋ってるだけの番組があって、
それが関西ではものすごい大ブームで、イベントやったら人が集まりすぎて警察がストップをかけるみたいな感じの時代があったんですよ。
その頃の番組本が何冊か出てるんですけど、そのお客さんが買いに来てたぬかるみの世界という番組本で、僕も聞いてたんですよね。
広島だから大阪って基本的にはエリア外だけど、日曜の深夜って基本的にラジオって全部終わってるから、
今もNHKですらラジオ深夜弁っていうのをやってるけど、当時はやってないし、
普通の民放もオールナイトニッポンとかって平日しかやってないから、土日って12時ぐらいに終わっちゃう。
終わった後に、日曜の深夜0時から2時半ぐらいまでダラダラ喋ってる番組がぬかるみの世界だった。
それにめちゃくちゃハマって、本当に2人がダラダラ喋ってるだけなんですよ。
ダラダラ喋ってるだけの番組をずっとやってて、それが面白くてずっと聞いてたら、
そのお客さんが取りに来た本がぬかるみの世界だったから、でもこっちは普通の書店員だし、
お客さんはお客さんだから、全然接点はないというか、全然三人だし、
知らない女性のお客さんに対して、そこでこれ面白いですよねっていうのを何だろうなと思いながら、
レジ打ちながら、ふと聞いてたんですか?みたいなことを、ふっと聞いたら、
その人がずっと真面目な、小難しそうな顔をしてた女性のお客さんが、突然ニマーって笑って、
そうなんですよ、面白いですよねって言ったっていうのが、これが僕の接客のファーストインパクトで、
これね、接客面白いなと思った最初なんですよね。
そこから後に、もちろん書店員といえばクレームの話とかもいっぱいあって、
嫌なお客さんの話もいっぱいあるけど、逆に楽しいっていうか、接客することが面白いって思ったのは、それが最初だったんですよね。
いい話だ。
これ忘れられないから、この話は絶対今日はしようと思って。
ラジオのリスナーってそういうとこありますよね。
そうそう、何か共有するんですよね。
隠れて聞いてる感じがするから、深夜って。
これコサキン聞いたときに、コサキンの本って変なタイトルなんですよ。
ラとかね。
そう。で、あれわざとなんですよね。
そう、わざとなんですよ。
で、それを本屋さんに注文するときに恥ずかしくて。
それって、その人は覚えてるかどうか知んないけど、本のタイトルを考えようっていう。
あったあったあった。
この店の本全部っていうタイトルにして、すいません、この店の本全部くださいって言って。
店員が、え?この店の本全部ですか?
そうです、この店の本全部です。
そう、っていうネタとかね。
そうそう、ラジオってなんとなく隠れて楽しんでる空気がありましたよね。
懐かしいですね。コサキン本とかすごい懐かしい。
そう、コサキン。いまだに紅葉感ありますから、本を出してたら。
紅葉感、田本さんいまだに出してますから。
紅葉感ありますね。
え、ありますからまだ。
鶴間さんがたいていに本出されてましたよね、コサキン。
コサキンという時代っていう本を出してました。
そう、出してましたね。いいですね、懐かしいですね。
懐かしい。そういう接客って、嫌なこともいっぱいあるし、それを控えていくのも大事なんだけど、
一方でそういう面白い、面白いっていうか、よかった経験っていうのも積み重ねていって、
書店にとってはちょっと糧になるんじゃないかなっていうのはずっと思います。
そうですよ。ただお店で品足してるだけが仕事じゃないですからね。そういった部分があるから。
僕なんかは本当に、常連さんからね、ちょっと一人暮らし始めたんですよって話したら、
いきなりなんかすげえいい包丁をもらったりしますからね。
糖質付きの。そういうのはありますよね。
商品のこととかそういったのは、もうちょっと喋ってる感じですけど。
でもさっきの年間ベストセラーとか見てると、めちゃくちゃ懐かしいけど、
一瞬同時に思い出すのが書店的な仕入れの苦労とか。
ありますよー。
思い出すんですよ。
例えばね、94年とかに、ノンフィクションの1位で松本人志の遺書っていうのがあるんですよ。
これがね、当時の朝日新聞社ですよ。
これって、朝日新聞って、今の人って若い書店員はわかんないと思うけど、
スリップの色でフリーヘンピンかフリーヘンピンかが入ってたんですよ。
白とか赤とか。
朝日新聞は赤スリップは委託期間外は買い切りなんですよ。
緑スリップはフリーなんだけど、衣装は赤スリップだったんですよ。
だからそこで、新刊の時はいいけど、新刊の時って逆にない状態で、
もう頼んでも頼んでも来なくて、着始めた頃って、
赤スリップだともう返せなくなる時代に入るから、
ここでどこまで入れるかっていうのが、結構どこの店も苦労したんじゃないかなっていう。
この時僕まだ全然、仕入れの権限とかは収集しなかったけど、
当時の店長が衣装の仕入れですげえ本を仕入れてて、ドヤ顔してたの覚えてるな。
ドヤ顔。
それはもうね、後からすると大勝利ですもんね。
ダウンタウンが、関東で今勢い乗った時、ピークじゃないけどすごかった時ですもんね。
そう。もう勢い乗ってた頃ですよね。
94年だもん、まだバイクだもんね。
FBI心理分析監督が5位なんですよ。
俺、ヒツイたちの沈黙の後、これ読んだもん。
読んだもん、これ。
新人書店員の経験
そうかそうか、そうですよね。ヒツイたちの沈黙ってこれ、影響を受けたんですね。
こういうね、サイコパス系の本がめっちゃ流行ったし。
あとスリップで言うと、文春も昔は白スリップと緑スリップっていうのがあって。
あったね。
白スリップはボーズのところに何年何月って書いてあって、
それは何月待つまでは返品できますよ、これから以降は買い切りになりますよとか。
門川春樹事務所も最初の頃は文芸賞全部買い切りだった。
ああそう、買い切りだった。
あれ、了解取るのも結構大変だった。
技工賞のオウム社もね、緑はフリーだったりとかするね。
そうそうそう、そうです。
やっぱりスリップによって、ある程度そういうふうに書いてたりするところがありますよね。
スリップがある時代ならではの。
そうそうそうそう、わかりやすかった。
反品管理とかってやっぱりスリップだったじゃないですか。
昔はそうでしたね。
僕なんかはポストレジになってもスリップでよく棚に行って発注したりとか、
売れたところの状況を見たりとかはスリップでしたけどね。
昔語りの書店員さんだと、これはアウトなのかもしれないけど、
よその本屋行って気になる本のスリップもいで半分切って、持ってっちゃう人とかね。
俺勝手にやったことはないし、俺はやったことないんだけど。
やられたこともあんまりないんだけど、
一回、他のお店から、元書店員である坂本さんが研修で来させたいと、うちの店に。
見学員に来させたいと。
3人ぐらいの書店員さんを連れて店に行ったことがあって、
そのときにクラフトウェビング紹介のフェアをやってたのね、お店で。
そうしたときに、書店員の人が、「すごいいい本があって、参考にぼっちもやりたいんでいいですか?」って言うから、
なんかメモを取るのかなと思って、「どうぞどうぞ」って言ったら、いきなりスリップの半分もいで。
もい出てくるから、「おいおい」って思ったんだけど。
そういうもんなんだと思いながら。
別に売り上げカードじゃないほうだからいいけどさあと思って。
意外とそういうのがあったりしたよね、当時に。
スリップって裏の方って、売上げデータを取るためのやつだから、1枚1円とか、報酬がついてたんだよね。
出版社に送るとそのお金が返ってくるみたいな。
そう思い出した。
俺、スリップの売上げカードって送るじゃないですか。
昔はほら、売上げデータってそういうしかないから、それを送って判物さんが受け取って、
報酬金じゃなくて、単純に売上げデータとして配本に考慮される重要なデータだから、
それを毎日山積みになった売上げのスリップをちぎっては、判物別の箱に……。
あ、ありましたありました。アクリルの小分けになって。
猿が棒を箱に入れる実験みたいな感じで、高段車ここ、文春ここ、みたいな感じで、毎回毎回たくさんの判物のポケットに……。
郵便局員が年賀状し分けるのと一緒みたいな。
商談会と営業
そうそうそうそう。ガンガン入れて、月1回か何回かにまとめて、一個一個全部封筒に入れて、送るっていう仕事をやってましたよね。
そう思いました。スリップというよりはそれ。
営業行くと、スリップ貯めておいてくださって、
これだけ売れてるよーって渡してくださる方とかもいましたね。
そうそうそうそう。今は売上げカードも軽快化しちゃってるからさ。
スリップから得られる情報ってたくさんあったからね。
あと、廃本体制がそういうことだったりするんですけど、いろいろ話しましたけど、
商談会とか反元説明会は行きました?
若い頃は行ってないですけど、商談会は広島のほうがそんなになかった。
あ、そうなんですか。
あんまりやってないですね。説明会は、よくあれNHK出版の説明会とか、そういうようなところぐらいだったかな。
今でもやってるんですか?NHKの企画宣伝とか。
NHKは今でもやってます。
あの、新講座。
コロナ禍のときはオンラインだったけど、今はまた実際に集まってやってたりしますよ。
ちょっと聞きたいんですけど、お寿司屋さんとか出ます?今。
今年は行ってないから知らないけど。でも前は出てましたね。
僕も前に行ったとき、前ってだいぶ昔ですけど、NHKの企画説明会って、
いろいろ、新年の語学課で、テキストね。
NHKの英語とかフランス語とか、7月のラジオとかテレビのテキストの説明会があるわけですよ。
そこの説明会が行って、ホテルとかそういうところでやるんですけど、
行って、この瞬間になると、出張デマみたいな感じで、お寿司とかが食べ放題なんですよね。
そうですよね。いろいろ食事が出てて。
そうそう。今どうなんだろうな。そこまでやってるのかな。わかんないけど。
昔ほどそんなに豪華じゃない印象が僕もありましたよね。
まあね、今なかなかそういうことをやるところ、ハンマーさんもないんでしょうけど。
あとね、デラボスティーの説明会、僕行ったことあるんですよ。
やってますやってます。やってました。昔やってました。
僕は帝国ホテルでやったやつに行ったことあるんですよ。
呼ばれて帝国ホテルで。
帝国ホテルで行ったら、今年度のデラボスティーの新しく出ている、創刊する雑誌の、
こういう付録の特集とかの、なんか紹介するじゃないですか。
当時フェラーリだったかな。
もうね、すごいの。Vがね、ビデオがね、書店さんの感謝の言葉ばっかりわけ。
ありがとうございますとか言って、書店さん用意しようというような感想で。
で、最後お土産が渡されるんですけど、デラボスティーでイタリアだったっけ会社、フランスだっけ?
イタリアだったと思う。
イタリアですね。
そのイタリアのワインがね、手土産で渡されて。
すごい。
なんかすげえなと思ったけど。そういうのがありましたね、説明会、企画説明会ってね。
そう、ありましたね。
書店の販売戦略
あと各地域でさ、たとえば小学館とかさ、図鑑とかさ、そういったので、各地域ごとにあるじゃないですか。
で、販売室みたいのをさ、必ず地元の予約取る人です。
お店の代謝関わらずさ、逆に言うと小さいお店さんのほうが声かけできるからさ、
すごい量の予約取ったりする人がいてさ、そういう人たちに顔を合わすのがだいたい。
書店の横の繋がりってそういうところじゃないとなかなか顔を合わさないからさ。
あったりとかしてて、そういったのもありましたね、昔はね。
あと、刃元営業ですよ。
これは今と昔って何か違いあるんですか。
どうなんですかね。
あんまり違いがない気がするけど、場所によってたくさん来てたときと来ないときもあるから、
一概に減った、増えたとこはちょっと言えないですけど。
僕でも一番めちゃくちゃ覚えてるのは、一番最初に来た営業さんとか、
一番最初に僕が商談という形で関わらせてもらった営業さんは、早川書房の手塚さんです。
おー。今はもう部長じゃなくてもっと売り切ってるんだよね。
退任された。
あ、そうだっけ。
定年で再雇用かなんかされてたけど、もう多分引退するみたいなことをこの前おっしゃってたと思うので、
手塚さんが一番最初に僕が話しさせてもらった営業さんで、それをもうめちゃくちゃ覚えてますね。
あー、そうなんだ。
だからいまだにお世話になってるし、いまだに手塚さん。
春のときに本屋大賞とかで行ったときに、手塚さんとかで俺はすごい話してた。
新しい部長さんでしたもんね。
すごいね。けどそういうのありますよね。
僕は大山の駅ビルの店長だったときに、SFとかレーベルでやったときに、東京草原のスペースをたくさん取ってたんですよ。
そのときに営業に来たのが、今の東京草原の取締役の矢口さんで、
東京草原に来たときに、矢口さん結構細いしてて、「うちの本こんなに置いても売れませんよ。」って言ったら置いてるって。
だから当時来てた営業さんがね、今偉くなってたりとか。
そうそうそう。そうですそうです。
僕なんかも今、書店辞めてライター仕事とかで取材とかし、インタビューとかのときに声かけるときに、
逆に当時お付き合いになった営業さんが、会社の結構偉い人になったりするから、
なんか話を逆にそっちのほうから通してもらったほうがあるか。
そういう繋がりで僕今、生きながられてますよ。
営業の人とかも多いし。たまに今、本の後ろとかに編集スタッフとかのところに、
営業さんの名前が見たりすると嬉しくなるし。
営業さんは生きてたなあ、よくなあ。
エキビルは特にやっぱり駅の中って、必ず営業のルートの中に入ってるから、来られてきましたよくね。
おもしろいなあ。
売上自体はあれですか、推移とか、さっきちょっとチラッと触れましたけど、
売上としては本当に対前年勝負だったじゃないですか。
対前年勝負でしたね。
あんまりこう……今考えるとすごく大変だ。
大変ですよね。
前年比クリアすることを目標にするなんて、バカバカしいというか今考えると。
でも最初の頃は、ファッションビルの中の商店は結構伸びてた時代だったので、
まだまだ90年代の前半だったし、
100何パーセントみたいなことが普通にあったけど、
90年代後半からはそういうのはなかなか維持するのが難しい感じになってきますよね。
売上で前年比だと、例えば僕が店長を変わった1年目っていうのは、
ある意味前任者のやってたことを否定することによって売上を取れるっていう方向ができるじゃないですか。
今までやってたことじゃなくて、別のこととか大きな変化をすることで売上を上げるっていうことができる。
2年目になると自分との勝負になってくるじゃないですか。
それが絶対に続くから、前年比の勝負って。
本当はその後のことを考えると、よくやってたなって。
前年の売上見ると、去年の俺やるってんじゃんとかって思うと、今年どうするかなみたいなのがあって。
売上を気にすることは店長になってからですか、みひろさんも。
僕は基本はそうでしたね、やっぱり。
気にはしてたけど、良かったから悪かったからどうなるっていうのはこっちはあまり知らなくて、
自分の担当の部署のところが伸びるか伸びないかだけ考えてる。
まあそうですよね、担当のときはね。
いや俺も担当のとき一番楽しかったもんな。
店長は店長でちょっと別の楽しみがあるんだけど、担当は担当で、自分の担当の売上としての勝負っていうのがあるから。
店長になると、単純に売上だけじゃなくて他の数字も見なきゃいけなくなる。
そうなんですよ。要は利益を出さなきゃいけないんですよ。
そうそうそう。
売上がちょっと違うんですよ。
経費を管理するとかいうところが、逆に言うと難しくなってくるので、それはそれで大変ですよね。
人件費とかのことも考えなきゃいけないしね。
人員の配置とかね、いろいろ。
僕、23歳で社員になってるか、たぶん25歳ぐらいで店長になってるのかな。24か25歳ぐらいのときなんですけど。
当時、アルバイトも学生バイトだから、結構10区20でめちゃくちゃ土地近いわけですよ。
だからあの頃は、あんまり俺社員とかバイトっていう区別が……
僕もバイト上がりだから余計なんですけど、全然そういうのはなくて、本当にみんなでワイワイやってた。
あと会社の目も全然向いてなかったところがあったから、本当に余り場になってましたね、バイトの。
バイトがね、呼んでもいないで来るわけですよ。
学校帰りとかは駅だから。
結局学校帰りに寄って、いろいろバックガードで喋ったりとかしたりとかすると。
結構いい感じですね。
そうそう。
市内の大学とかじゃなくて、他の大学に行くときに、ある程度親元を離れて引っ越して一人で行って、
一人で大山っていうところに一人暮らしを始めたら、4月とかにバイトを募集すると、
その子は大山市の中で知り合い誰もいないわけじゃないですか。
そういったときに、お店って居場所になるわけですよ。その子にとって。社会の中でもさ。
それってたぶんね、そういう場所になったんじゃないかなとも思いますけどね。
新人書店員の挑戦
そうするとこっち儲け者で、人がいないときに呼ぶと来てくれるっていうのはありましたけど。
そういうのはあった。ちょっと若かったからね、本当に当時は好き勝手やってましたよね。
あれがあったから、トライアンドエラーもあったりとかして。
PA Booksっていう本出版社のね、今はパイインターナショナルっていう本ですけど、デザイン系の本、13,000円とかの本がたくさんあったんですけど。
高かったですよね、昔のね。
あれね、うちフェアあったんですよ。
へー。
あれでね、20万ぐらい売り上げされました。
すごいじゃないですか。
そうそう。あれをね、やったんです。高い本だけど、売きは売れんだなと思って。
それを売りましたけどね。
でね、刃元の営業さんに、「これ東京だったらめっちゃ売れてますよ!」って言うから、「失礼だな、君は。」って言いましたけど。そんなことやってましたね。
売上げのことはそんな感じで。
あとさっき三島さんのほうで、オリジナルフェアじゃないや、棚の管理とか言ってましたけど、
オリジナルフェアって、さっきの日本地域別以外にも何か思い出のあるフェアとかあります?
いろいろやったんだけど、思い出せないんですけど、
コノミスのフェアは初期の頃にやりました。
まだコノミス自体がそんなに知られてない頃で、2年目か3年目ぐらいで。
その頃に書店になってるから、僕は知ってたから、「これのベスト10を集めたいです。」って言ったら、「やってみー!」って言われて、やったわけ。
そんなに売れたかどうかはちょっと微妙なんですけど。
でもそこで、いわゆるミステリー的な、こっちが好きな世界のミステリーを並べることができたので。
自分としては、そこがオリジナルフェアをやるきっかけだったかなっていうのはちょっと。
なんかあれですよね。やっぱり書店員の面白さというよりも、本屋の懐の深さみたいなのがあって、
とりあえず自分の興味のあるものが何でもフェアにできるっていいですよね。
そうそう。僕の最初の店長の児玉さんとかは、本の雑誌社が好きだったから、本の雑誌絡みのフェアっていうか、コーナーを作っていて。
最初から、新生事とか無礼用、サーの等しい、みたいなフェアがあって。
これ何なんかなと思ったら、これ本の雑誌のあれよ、みたいな感じで。
そういうのが結構好きだったんですよね。
さっきの話、まだインターネットで本がなくて調べない時代とかに、僕、青い本のフェアっていうのをやったんですよ。
青い本だけを探す表紙で。
そのあと何年も書店に辞めるまで色別フェアはやくやるんですけど。
初めてやったときはまだそういうのなくて、ただ青い本を並べたら綺麗だなって思っただけなんですけど、夏にね。
やっぱり当時、いろいろと勉強会などにも活かされてたんで、
それがあって、書店とか交流の中で、店内MDっていう色とかそういったもの、陳列とかも色とかを気にしてるのは結構多いんですよ、普通にね。
文具店とかもそうだし、例えばアパレルランっていうのは店内の配色ってすごい重要視してるんだけど、あと照明とかね。
書店ってそういうのを全然考えてなかったんです、当時。今はどうだかわかんないけど。
で、それを言ってたんで、書店はやっぱり色って気にするべきだろうなとか、すごい若かりし頃純粋にそういうのを思ってたんで。
じゃあ本はやっぱり色で集めるかって思ったときに、青い本を選ぼうと思ったんですけど、インターネットとか照明がわかんないから。
青い本がわかんないですよ。店にある本だって限界があるじゃないですか。
なので、僕結構ね、当時東京の青山ブックセンターとか行って、あと他の店行って、青い本、特にちょっとおしゃれな青山ブックセンター行くとあるじゃないですか。
書店の魅力
そこ行って、ちょっと隠れてメモしながら、青い本を探して、集めてっていうのをやりましたけどね。
なるほど。広島だと、僕も結構いろんな本屋とか行くようになるんだけど、広島のパルコの中にリブロがあって、リブロができた頃のリブロってすごかったんですよね。
なんか、それこそ美術系の本とか。
見たことない本がね。
見たことない本ばっかりあるから、あれは結構参考にするというか、自分で入れようっていうところまではなかなかいかなかったんですけど、めちゃめちゃいい部屋やってるなーみたいなのはずっと感じてたリブロだったしね。
芸術書とかそういったところってやっぱり情報がないんで、
僕なんか東京都内の書店さんとか行って、主にABC、青山ブックセンターなんですけど、そういうとこ見て、入れられそうな本とかはチェックしたりしてやりましたし、写真集なんてわかんないですからね、当時何入れていいか。
そういったのも含めて勉強したりとかしたし、あといろいろこう、当時純駆動池袋店ができたときで、社員と見学しに行ったりして、本屋でエスカリエーターであんなたくさんどんどん登ってても本屋があるなんてとんでもねえと思い、とんでもねえって。
前世の時代になって入ってて。うちの本店がたぶん210坪ぐらいでもでかいって大型店って言われた時代だから、それがもうその後すぐに千坪とかでも当たり前の書店になってて。
そういうふうに、見学行ってよく行きましたよ。本当にチェックして。行くとね、これも入ってないし、うち新刊コナビとかこんなの入ってねえうちと思いながら、悔しいと思いながら。知らない本たくさんあったりとかして。今だったらね、本当に情報自体はネットで調べられるけど、発売したものとか、当時はわかんないからそういうふうに見てましたよね。
うちは当判修法って取材が作ってたね、渡辺くん。
立判、速報ね。
あれは結構目を。
見てました、見てました。めっちゃ見てましたね。
新刊の情報とかね。
新刊とかめっちゃチェックしてましたね。
丸つけて数字入れたりとかして、一応発注しとくかとか。スタッフもみんな見てたんですよね。
あと新しい本だっけ、もう一個差しがあったりとかして。そういう新刊内の本をみんなスタッフも本好きだったりとかするから、これから出る本が楽しいんですよとか。
あれですよ、アリスがアリスのファンがいて、スタッフに。毎回ミステリーとかをチェックしたりとかしてて。
結構羽元さんの、今はFAXですけど、FAXのような原稿が乗り付けして、幅になって送られてくるんですよ。
当時すげー分厚くて。あれを見るのも楽しかったし。
なんとかパックみたいな感じで。
今でいうトランスビューが送ってくるわけですね。これから出る本みたいな。
そうそう。あれをA4のFAX用紙の原稿みたいな感じで、側面が乗り付けになって一応冊子っぽくなってて。
切って放せるんですけど、そういった形で見たりとか。
そういう情報を取り方してましたね。
FAXと言うと、あと思い出すのが、まだうち日本だからNOXなんだけど。
NOXがまだ店舗の在庫情報っていうのが出てない頃。
単純に書紙データと、あと日本に在庫があるかどうかぐらいの感じのことしかまだ分からなかった頃に。
ある本が、例えば客注があって、他のお店にあるかもしれないからっていうことで、
そのタイトルをFAXで注文短冊みたいに書いて、それをA点に送るんですよ、FAXで。
在庫があったら丸して返してくる。
なかったら、そのA点はB点に回すんですよ。
B点はC点に回して、C点はB点に回してっていうローテーションにして。
最初にどこもなかったら全部×になって返ってくるっていう。
客注のFAX、緊急システムみたいなものをやってましたね。
今からするとすごいアナログだけど、それが一番大事な情報というかね。
働いたお店は市内に最大で5店舗、4店舗ぐらいあって、
売上を夕方回収して回るわけですよ、上の人間が。
そのときに持ち出しっていって、さっきのFAXで客注の階段を押すわけじゃないですか。
在庫ありみたいな感じで。
それでありっていうときに、○○点行きみたいな感じでまとめておくと、
ぐるっと回ったときにやり取りできるみたいなシステムありましたね。
やっぱりね、客注で抜いてとかね。
確かにあったんだな。
NOXとかもまだどっかの機関店ぐらいしか揺れてなかったところがあって、
その頃なんかはその店にわざわざ電話して、
すいません、ちょっとNOXで見てもらいたいんですけど。
そして、組織データを探す。
当時はまだ今みたいに○○とかじゃなかったから、
ダイヤルアップだから、NOXがある店もいちいち電話かけるんですよね。
ダイヤルアップで電話して、組織データ探して、
見つかったらそれを電話切るみたいな感じのことをやってましたね。
電話では持たないから。
テレ放題でもないし、テレ放題でいいやからしかないから。
そういうのも今からすると、
めちゃくちゃアナログなことをやってたなっていうのがすごい思い出されますね。
書店の進化
あれだって、レジがバーコードになった時って覚えてます?
覚えてますよ。
俺あんまり覚えてないんですけど、
気づいたらバーコードになってないぐらいで、
あんまり感覚的に覚えてないんだよね。
その時の感動みたいなのが。
そうですね。
でもね、バーコードつき始めたなっていうのもちょっとありましたね。
まだ消費税が3%の頃ってバーコードはついてなくて、
どっか5%ぐらいになった時からつき始めたんじゃなかったかなと思うんですけど。
なんかね、いまいちよく覚えてないんだよな。
さっき思い出そうと思ったんですけど。
ただなんか、
POSレジになって、
初めにサーバーがお店になったんですよね。
外部じゃなくて。
そうだったかもしれない。
売上データも全部お店にスタンダードアローンであったのが、
その後ね、今のようにオンラインでつながるようになって、
レジが要はWindowsになって、
インターネットでつながってますみたいな感じで、
初始データも全部インターネットでつながってるみたいな感じになったときに、
当時まだ僕、インターネットよく落ちるとかあったから、不審感もあったから、
そんなんでレジ大丈夫なんすかって。
夜中とかもし止まったらどうなんすかみたいな。
PCがいかれたらどうなんですかみたいな。
そういうのはありましたけど、今じゃ考えられないけど当時まだそういう不安があって。
責任者としてお店でレジ売ってなくなったらどうすんですかみたいな。
ちょいちょい止まってることもありましたけどね。
トラブルってつけましたよね。
当時ね、クレジットカードもまだPOSレジがないときって、
クレジットカードの変なプラスチックの板があって、
クレジットカードをここにパカッと入れて、上に電表を重ねてガッシャンって。
スライドさせると、クレジットカードの今エンボスになってる暗証番号とかが刻印されて、
そこで金額書いて、電表切るとクレジットカード変えるみたいな感じだったんですよ、昔。
えーそうだったかな。
そうそう。今みたいにオンラインでつながってなくて。
今カード自体もああいうボコッとしてないじゃないですか。
ボコッてさせる必要があったんですよね、そういう決済方式が。
そういうエンボスになってて。
ガッシャンっていうのは、一応外で決済できたから当時。
外売りとかのときにあれ持ってったりとかして。
新年の婦人誌とかあるじゃないですか。
年末に出る。
ちょっとノルマがあるよね。
ノルマがあるやつ。
なんでノルマがあるんだよ。
トイタ販売。たぶん渡辺くんも買い出されてたという。
トイタ販売っていうのもすごいいい言い方ですよね。
トイタを横にして、そこに本を並べて売るみたいな感じの。
なんかあれもさ、だって書店、店頭だけじゃなくてさ、
駅だと朝一、改札の前であったりとかさ。
そうですね。
うちの商店街の店とかだったら、夜の新年のみんな初詣行ったりするじゃないですか。
はいはいはい。
そういうことで、外売りしてたりしましたね。
家計王とかついてるやつね、彼のね。
お世知の読書とかね。
なんであんな頑張って売ってたんだろう。大人の事情?
大人の事情があるでしょうね。
営業と書店の変遷
なんか昔の営業さんは書店に営業行くとあれ買わされたって。
買わされる、そうそう。
いろんなお店で買わされたみたいなね。とんでもねえな、あの親が。
僕の時代はなかったんですけど、初先輩方言うと、
取材の店売っていう商品がある、そこで仕入れられる店売があって。
昔ありましたね。
そこで、昔養護士があったじゃないですか。
現代養護の基礎知識を意味出す知恵蔵三士。
あれが、当時バカ売りするわけじゃないですか。
就活する人たちみんな持ってるし、買うしみたいな、新しいもの。
で、あれを店売に、いわゆる仕入れに行くと、戦争だって言ってましたから。
なんかね、奪い合いだって言ってたよ。
そのぐらい俺らは仕入れに真剣だったんだみたいなことをよくドヤ顔で言われました。
あれとは時刻表ね。
ダイヤ改正時の時刻表ってめちゃくちゃ売れてたらしくて、
それがないっていうことが、要は書店としての役割として存在、レゾンデートとしてどうなんだみたいな。
そういうのがない時代でも、時刻表そんな時代じゃないですよって言っても、
なんか時刻表ねえのか?みたいな。何白切れしてんの?ってことをよく言われましたね。
まあ時刻表は今でもね、まだダイヤ改正でも売れましたけど。
なんだかんだ言って時刻表は生き残ってますね。
店長職の経験
なんだかんだ売れるんですよね。
今はみんな乗り換え案内して調べる時代だけど、やっぱり売れるんですよね。
それもすごいなと思いますけど。
この間のジュアシキップの特集だったっけ?めっちゃ売れたんでしょ?
そうなんですよ。
ジュアシキップだっけ?なんかわかんないけど。
僕全然関係ない話、今思い出したけど、
先ほど取り継ぎの営業担当さんで、学産専門の取り継ぎがあって、日教班なんですけど、
日教班の最初の頃にお付き合いしていた広島支店の営業担当さんが、今の社長の渡部さんなんですよ。渡部社長なんですよ。
渡部さんがまだ若いというか、バリバリしてた頃にうちの小玉さんとめっちゃ仲良くて、
その頃すごくいろいろと冗談とかも言い合ってたりした人が、今社長なんだっていうのが。
前はさっきも営業担当さんが今偉い人になってるっていう話があったけど、
そういえば日教班があったなと思って今思い出しちゃった。
なんだかんだ言って営業担当さんって、僕なんかも書店辞めてもいまだに付き合ってる気もするから。
僕は文具も扱ってたから余計に思うんですけど、文具の業界と比べると、本当に書店、出版業界って、
こんなに小売とメーカーが仲のいい業界なんてないぞと思うぐらいですよね。
本当すごい業界ですけどね。
初めて店長職っていうのはさっき話してしまいましたけど、何年ぐらい店長になったんですか?
厳密に言うのはちょっと忘れた。2010年とかかな。
なるほど。引き継ぎとかそんな感じで、研修受けたとかそういうのなくて。
それはなくて、もう店長になりやみたいな感じで、やったかなー。
戸惑いました?
え?
戸惑いました?
そうですね。でも普段やってることとあんまり変わらなかったから。あんまり変わりはないっていうか。
どうしたねー。
インショップだと結構デベロッパーと話したりすることが多いからですか。
そうなんですよ。それが結構きついところもあって。
それが大変だよね。
いわゆるテナント担当の人とかが、いい人のところもあれば、いつもいやみったらしいことばっかり言う人もいたりして、そこは結構苦労しましたね。
売り上げが悪いと、いつになったら売り上げが良くなるの?みたいなことを言われて、知らんかなと思いながら。
僕、駅ビルのときって、駅がJRがやってるようなところだったから、
実は意外とデベロッパーの上の人もJRからの出向とかそういう人たちなんで、
実はあまり売り上げにうるさくなくて、あんまりデベロッパーから売り上げでうるさく言われたこと一つもなくて。
僕がいたときは、最後に福利厚生でデベロッパーでディズニーランドに電車貸し切って、ディズニーランドまで行ったっていう。
なんだよと。
そんなことあるんですね。
そんなことやってましたよ。JRだから。
すげえなと思いながら。
初めのときの店長職っていうのは、実は店長業を教わったことが僕もほとんどなくて、
あまり身を見真似だし、やれることも、そういう対外的なことで代表として出るけど、
基本的には今までとスタッフ同じだから、そのまま社員から店長になるだけなんで、
あんまりそこは戸惑わなかったですけど、駅のほうが。
どっちかというと、駅ビルの中の本店のほうに店長職で異動になったときは、
会社でも一番売り上げが取れるお店だったし、機関店なんで。
そこはそこでまたちょっとやり方が変わりましたけどね。
でも、僕はいつも思うんですけど、
初店やってるところで、もし隙があれば店長になりたいんだったら、なりたいって言ってなったほうがいいですよね。
僕は思いますけど。
なるほど。
どうせやられたら店長でやったほうがいいと思うんですよね。
大変でもあるけど自分の支えで生きる自由度が高いんで、責任も自分にありますけど。
そうですね。フェアとかの組み合わせとかは自分で考えたりするしね。
いろいろいろなスタッフ間の調整とか、いろいろありますし、
いろいろないないさんと一緒に仕事したくないですみたいな、
俺は学校の先生じゃねえんだからそんなこと言われてもなって思うところもあるけど、
自分のお店として支配できるっていろんなことができるから、
自分がこういうことをやったらいいんじゃないってスタッフの人が思ったことはやれるから。
僕だったら書店員だったら店長までやっちゃったほうが絶対に今後のことも含めて損はないかなと思いますけどね。
社員旅行と業界の文化
あと福利厚生ですよ。待遇福利厚生。
ぶっちゃけボーナスってありました?
ボーナスありましたっていうか、現役の人に聞いたら。
僕はねほぼなかったです。
あ、そうなんですか。
なかったです、ボーナスは。
僕らでもね、いわゆるパートさんも出てました。
いいなあ。
ちょっと、ほんとにちょっとですよ。でも一応なんかあった感じですね。
ボーナスって僕なくて、ほぼなくて、一時期ボーナスがあった時代を聞いてて、
現金で昔はもらってたらしいから、封筒が立ったんだよとか言われて、
俺はもらってねえぞって。もらってねえんだよ、こっちはと思いながら。
あと昔は社員旅行もあったりとか、週一回休みがあったからみんなで出かけたりとか、
たまにお店二日間辞めて一泊二日でとか。
あ、だから定休日があったってことですね。
そうそうそう。昔はそういうのがあったりとかしたし。
ボーナスがなくなったあと一応多少寸死的な感じで、
お疲れ様みたいな感じでもらってた時期もあったけど、だんだんそれもなくなりみたいな感じがありましたけど。
社員旅行はね、うちの会社は昔あったんですよ。
いいねえ。
毎年一回どっかに、一応旅行積み立てみたいなこともやってて、
毎年一回どっかに国内旅行にみんなで行ってましたね。
僕はまだ社員じゃなかった頃なので。
で、一回ね、香港に行ってるんですよ。
海外?
何年だったかな、ちょっと覚えてないんですけど、
3班、3つぐらいの班に分かれて行ってる会が確かあったはず。
あとハワイにも行ったっていう噂が、噂じゃないな。
なんか写紙があるんですよ、うち実は。
すごいすごい。
会社の歴史が本になってるのがあって、
そこで確かハワイ旅行っていうのが昔あったっていうのを読みました。
なにそれ。
で、最近も実は台湾に行こうっていう話があって、
積み立てしてたんですよ、何千円かずつ。
そしたらコロナが始まっちゃって。
これはまだ2020年の感じだと、ちょっと行ける雰囲気じゃねえなみたいな話になって、
結局中止になったっていうのが、最後の社員旅行の可能性があったことがありましたけどね。
休みっていうのも、要は有休ってものがあるようでないというか。
有休はなかったですね、昔はね。
ない、ないっていうか。
基本ないっていう。
形になってなかったって感じかな。
休みもさ、結局自分も店長とかになると、みんなのスタッフが入った後に、最終的に自分で休みに来るところに入れるじゃないですか。
そうです。
この日は絶対休みたいときに、多少お願い、頭下げて他のスタッフに出てもらったりとかするわけだけど、
基本そういう形になって、最終的にこうなると、
高給日っていうのがないし、土日が休みのところを、
水曜日いつも出勤のところを有休取るというのができないじゃないですか。
もうどこが休みになっちゃってるから。
有休っていう存在が、この休みは有休なのかみたいなことが全然説明できないんで、
結果的に有休っていうものがほぼなかったし、
そういったものがどこかに表記されてるわけでもないから、
最終的には、とりあえず月7日ぐらい出勤しておけば、
上から文句言われないぐらいな感じの、7日休みしておけば。
僕、会社で一番休み取ってた人間らしいんですけど。
そうなんですか。
俺で休み取ってたってことは、みんなどんだけ働いてんだよって思いましたけど。
昔は本当に、休みでも片付いてないんだったらゲロみたいな感じのチャプはある程度あったと思うんですけど。
休むんだったらまず自分の仕事片付けてから休むみたいなね。
じゃないと休むんじゃねえみたいなね。
それはまあまあ、いつもなのになかったとは言えないので、ある程度はあったけど。
まあさすがにね、最近はそういうことはコンプラ的に問題が出てくるぐらい。
まあまあね、厳しいからね。
渡辺君はあれでしょ。やっぱり党藩さんといえば、福里厚生はそれなりに。
まあそうですね。
社員旅行とかないの?
社員旅行って部署ごとでそういうのをやるかどうかで。
北陸支店勤務時代は幹事させてもらって、支店の旅行のいろいろ宿を抑えたりとか。
それで夜の宴会のちょっとこう。
いいね。昭和だね。
サンタのコスプレみたいなやつを持ち込んで。
宴会するわけね。
ちょっとそういった、余興じゃないですけどね。
そんなこともありましたけどね。
これは取り継ぎというよりは、出版憲法。
出版憲法っていろいろ。
たとえば私、本社勤務時代テニス部に顔を出してたんですけど、テニスの大会があって。
Dクラスのダブルスで優勝したりしたんですけど、
別のクラスで、今亡くなっちゃいましたけど、対応者の邦博社長がテニスをしてて、そこを対応者さんのテニス部の女性の社員が応援してるみたいなのを目撃したりとかしてて。
やっぱり大きいからいろいろありましたよね。
従業員持株会みたいな、積み立てみたいな感じに近い感じで。
給与転引で財刑とかああいうのとかもありましたね。
あるだろうね。
東派さんはね。
出張行くと手当が。
出張って言っても直行直帰の営業の外回りみたいなのでも、日当が出て。
たぶんお昼ご飯代みたいな。
社員食堂があるから会社いるときとかはあれやけど、
外に行くならお昼代っぽいのもいるよねみたいな感じで、日当みたいなのが出張で出たりするから。
それも勝手に溜まってくるんですよ。
気づいたら退職したときに結構溜まってて、「おおっ!」って思って。
旧東反社奥のときの食堂に何度か行ったことあるんだけどさ、
あそこ行くとなんか学校っぽくていいよね。
でもあれですよね、チャイムみたいなのが鳴ったりとか。
そうそう、チャイム鳴ったりとかね。
現場とかもあるんで。
昔すげえみんな事務所で煙草吸ってたもんね。
煙草はもう石で吸えましたからね。
ね、昔はね。
そうですね。
すごかったよね、昔。すごい煙草を身に吸っててぷかぷか。
昔棚押しとかのときって年一やって、
棚押しって業者を雇わずにリージョンのバイトを雇ったりとか、
書店員の職場環境
スタッフ袖でやるのにね、手書きでやったり。
そうすると、要はお店を閉めるわけよ、その日だけはね。
けどそうするとさ、お店って棚押しなんだかんだ言って夕方までに終わるじゃん。朝からやって。
そうするとみんなその後は会社から一応お金が出て、
みんなで焼肉に行ったり、飲み会みたいなことをスタッフ全員でやったりっていうのはあったかな。
あれぐらいかな、福利厚生中華そういう旅行的なものとかね。
もうちょっと福利厚生と関係ないですけど、
早くRFIDタグ入れれば、途中で話があったコミックの一覧票の結婚チェックとかもいらないし、棚下ろしとかも、
2人一組になって、出版社の人が756円1とか。
そうそうそうそう。
953とかそういうのとかね。
額太がすごいからね。額超薄いからさ。
全部値段バラバラだしさ。
思い出したけど、単品がちょっとだけ触れるけどさ、コミックってビニールでシュリンクするじゃない?
コミックの下のところに月別に色を分けてマジックで、5月は緑だったら緑のラインを引くわけ。
そうすると入った月がわかるから、棚でちょっと下を見れば、この本が何月入ったかわかるから、
例えば品出ししてから、あ、売れてないな、まだ3ヶ月とか、まだ1ヶ月かみたいなことは目印って形でやったよね。
あとスリップに同じ色でチョンってつけたりとか。
それはやってました。
あとカラースリップみたいなものを、1月は黄色とか。
そういうの売ってたよね、たしか。カラースリップを差し込んだりとかやってたよね。
そういうこともやってましたね。
仕事に対する姿勢
そろそろもう時間なんで最後あたりで。
あれですか、教わってよかったこととか今で役に立ったこととか。
特に三島さん現役ですから、昔教わって、今でも。
昔教わったこと?
当時教わってもなくてもいいです。自分で心がけたことは今でもずっと続いてるなとかありますか。
あるんだろうけどいっぱいあるだろうから、ちょっと思い出せないけど。
何がありますかね。何があるかな。
僕でも今本当に心がけてるのは、例えばスタッフが来た時におはようございますって来るじゃないですか。
とか帰る時とかはちゃんと相手の目を見て、おはようございますって言ったり、お疲れ様ですっていうのは。
大事。めっちゃ大事。
機嫌が悪いとさ、誰も見ずにパソコン作業しないままお疲れ様ですっていう上司がいたとして、
感じ悪いじゃないですか。
明日も来てやんないぞみたいな感じの雰囲気になっちゃうから、それは絶対ダメだから。
例えばどういう状況であっても、それは必ず言うっていうのは、
これは多分自然に上の人とかを見てて学んだことかもしれないですけどね。
なんかね、挨拶ってよくさ、挨拶しっかりみたいなのすごい昔からみんな言うしさ、昭和っぽい感じもするけどさ。
けど普通に朝、仕事入ってスタッフ間でも挨拶するときも、
なんかこっちからおはようって相手が、目も合わせずに言うとなんか機嫌悪いのか体調悪いのかとか、
そういうこともあるし、やっぱり挨拶って一言だけでも全然違うしね。
確かにね。
松山君はありますか、取杉魂、いまだに持ってる。
そうですね。
フィジカルなことに、業務の品質、クオリティってフィジカルなことに担保されるっていうか、
あとは手順みたいなものが、例えばミスをなく事務作業をするにはみたいなときに、
こういう手順でやるからミスが気づける、みたいなのってあるわけですよ。
大げさに言うと段取りみたいなものって、取杉の人たちってそういう、
今の取杉の人たちはわかんないですよ。
昔の現場を必ず経験してやってる人たちって、そういうのが染み付いてるので、
僕は何か言われたんだけど、「なべちゃん、指差し確認はしたほうがいいぞ」って言われて、
なんかチェックするときに指差し確認すると結構気づけるからなって言われて。
私結局三島社入ってから直取引きメインでやってたんで、
とんでもなく膨大な営業事務みたいなものを引き受けることになるわけなんですよ。
電表を叩くのも点キーで叩いたりするわけですけど、
電表を作ったら必ずパソコンのディスプレイを指差し確認するんですよ。
まちばの中国論10とかですね。
三島社のときもやってたんだ。
欲しいものは何ですか3とかっていう感じで、
紙にリストで作ってそれを点キーで打っていくんですけど、
定規を当てるんですよ。定規を当てて作業しないと、
一規をずれちゃったりとかして。
あーそうねそうね、リストはね間違いだね。
かなり鉄の定規を当てながら点キー叩いてディスプレイで指差し確認みたいな。
そういうこれをやったらこれやって、これやったらこれやるみたいなのを、
体とともにやっていくとノーミスできるんですよ。
なるほど、フィジカルにね。
フィジカルを織り込むっていうのが結構。
面白い。
狂い騙し。
僕はですね、物事をやるときには必ず意味を誰かに伝えられるようにするとですね。
僕はいつもそうですけど。
僕が書店の社員になったときに、
研修という名目である店長の下についたんですけど、
まぁその店長がね、すごいひどいって言い方。
基本はその人が教わってるんでひどいって言い方じゃないな。
非常に嫌いだったっていうか、ムカついたんですけど。
その人はね、仕事で僕が担当で棚足ならししたときに、
これはなんでそういうふうにしたんだよとか、なんでそこにそういう飾り付けしたんだとか、
毎回突っ込んでくるわけですよね。
なんでここでフェアあったの?みたいな。
それが一個一個ムカついてるんで、
やることやることを、ぐのでも出ないほど正論を言ってやろうと思うことをしながら仕事を考えてたから。
これは突っ込まれたら、この仕事はこういうことのためにやってるんですっていうふうに。
ぐのでも出ないように。
要は説明できるように仕事をしてたから。
そういうふうにムカついてて。
その人はいつも事務所でグリーンガム食ってるんですけど、
早上がり帰ったときに、俺は夜くすめてグリーンガムとか食べてたんですけど。
本当にそういうことって、やることやること、仕事もそうなんですけど、
やってることが何も意味がないことだったら意味でないじゃないですか。
教わったことをただこうやるんですよって言われたことをやってるだけじゃ全然仕事じゃなくて、
自分で考えて、この先どうなるかとか、これをやることによって何が意味があるのかとか、
そういったのってすごい重要なことだから、
そういうのをなんだかんだ言いながらやること、そういうことを反発して、やることに癖がついちゃってて。
だからここに商品を移動するときには、
全体的にこういうふうに左と右、左右、あとはその動線とかがちゃんと意味があって、
ここに置くんですよって。邪魔だから置くんですよってことじゃなくて、
ちゃんとそういうのは全てに置いて、意味を持たせようっていう感じで仕事をしたから。
それはすごい教わったっていうか、
その人のそういうふうな指導方法かわかんないけど、
そういった形で身についたことって、
多分書店仕事だけじゃなくて、何事にも通じるものがあるんじゃないかなとは思ってましたけどね。
けど本当に上司って恵まれてる人もいるだろうけど、
本当にそれ側の人は会わないからね。
僕が一番嫌いなのは、怒るってことって一番安易だと思ってるから、
一番やりたくないがいいんですよ。
人を怒るっていうことは、
その人は二度と怒られたくないから頑張るみたいな方向ってすごい安易だし、
だから怒ることは絶対したくない。
けどそういうことをやる人はいるわけじゃないですか。
あとその人を怒るときに対象とする、
経験から学ぶこと
この人はこんだけできたのになんであなたはできないんだみたいな感じで詰めたりとか、
あと頑張らせるのに仮想的を作らせて頑張らせるとか、
そういうのをやってる人がいて、過去にね。
そういうのも本当に嫌で。
自分のお店の売上立てるときに、
仮想的といって同じ会社の何々をライバルとして、
そこに負けないように頑張ろうみたいな。
そういうのを僕はすごい嫌いで。競争するのがすごい嫌いだから。
そういうのも僕は嫌いだったから。
そういうのもないように怒らずに、
自分のやってる仕事っていうのが、さっき一段表の話もそうですけど、
自分のやってることって、後ろから来たことと、
これから先に進むことっていうのはちゃんと繋がってるんだよっていう意味があるんだよっていうことがね、すごい重要で。
そのあと千葉に行っても、千葉だと本当に書店経験者がいない。
全員で仕事をしなきゃいけないときにも、
やっぱりそういったところでわからないことをゼロベースで仕事をしてるときには、
全てその先がこういうことで、みたいなことはすごく逆に立ったかなとは思いますけどね。
そんな感じで。きれいにまとまったかな。
本当はこのベストセラーランキングでまた後でちょっと……。
ベストセラーの歴史だけでね、たぶん一回できるよ。
私たちはそれなりに90年代から生きてますからね。
あれ見てるだけで、セカチュウのブームがあったなとかって思います。
本当その辺のね、売れてる本の流行りって変化していくわけじゃないですか。
ダビンチ行動とかあったなとか。
電車男って、そっかこの辺りからオタクってものが非常に沁みにきを得ていくんだとかさ。
っていうのが見てて面白いんだけど、これはまた近いうちに。
それはまたやりましょう。
これは面白いですね。
やりたいと思いますので。ちょっと遅くなってすいませんが、
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
もうだいぶしゃべり疲れちゃった。
福島さんにそれがよくなっちゃうから。
12時を超えられないので、寝たいと。
シンデレラだよ。
じゃあ、みささん今日はありがとうございました。
また近いうちに今度はベストセラーで会いましょう。
それではおやすみなさい。さようなら。
02:31:21

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