1. 働くひとのたち話
  2. 【107】少し変わったアルバイ..
2024-12-04 28:57

【107】少し変わったアルバイト経験を今に活かす

改めて話してみると、お互い特殊なアルバイト遍歴と経験だったようです。皆さんも昔を思い返しながら、もしくは今アルバイトをしている方や、まさにこの冬初めてアルバイトをする!という方には、ちょっとした小話としてお聴きいただければ嬉しいです。


---

BGMはこちらよりお借りしております。

BGMer http://bgmer.net

---

■ 番組ホームページ(各種リンクあります)

https://tonari-connect.jimdosite.com/

■ おたよりお待ちしております!

https://forms.gle/uMJvXaQ6ieZK2SV38

■ Xもあります(お気軽に覗いてみてください)

https://twitter.com/tonari_kojima

https://twitter.com/andc_funada

---

■ コジマが、生まれて初めて「小説」を書きました

(あらすじ紹介)

アパレル業界に身を置く二人の主人公、ユカとハヤカワの物語。時代は2005年…29歳のユカは急成長するアパレルショップのトップ店長として活躍し、充実した日々を送っています。そんなユカが、ほんの少し先…未来を感じる事が出来るという奇妙な能力に気付き、本来の能力をさらに発揮するようになります。一方で2025年、50歳のハヤカワはかつて、ユカと共に成功を収めた人間でしたが、今は冴えない落ちぶれた日々。そんなある日、とあるきっかけで20年前に戻り、再び若き日のユカと出会います。ハヤカワは過去の失敗を繰り返さないために、未来を変えるために奮闘する、過去と未来が交錯するアパレル業界SFストーリーです。

https://note.com/tonari_kojima/n/nc4972f5660ef

(全編無料です)

■ コジマが、生まれて初めて「本」を書きました

「アパレル勤務、私は明日、三十歳。: 小売業界で苦悩する方に伝えたい事」

30歳で、様々な苦悩を抱えながらアパレル業界を去り、その後「衣食住のコンサルタント」として15年間を必死に生き抜いたからこそ書ける、業界のリアルとその後のキャリアイメージ。

ポッドキャスト番組「働くひとのたち話」のコジマサトシ(小島智史)が、普段はあまり語られないアパレル業界のリアルを、独自の観点と目線で初寄稿。アパレル、その他の小売業界で苦悩する全ての働くひとに捧げる。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CV7HK4S9

Amazon Kindle電子版にて、販売中です。

(Unlimited会員の方は無料です)

---

■ 物欲インサイト!

「働くひとのたち話」を運営するコジマサトシが、ソロ活動として「何か欲しいものを買うまでに考えた事」について、自分を【n=1】 として自問自答しながらお話する番組です。商品そのもののレビューなどは基本ありません。

40代男性の一般消費者の目線と、衣食住コンサルタントの視点が絡まり合った、複雑かつ趣味的であり、安易かつミーハーな、自分の消費行動を振り返ります。

https://open.spotify.com/show/5eJCPevV0cy0GdIREp2HJO

サマリー

このエピソードでは、船田さんと小島さんがそれぞれのアルバイト経験について語り合い、初めてのアルバイトやその後の仕事に関する思い出を共有しています。特に、スーパーマーケットやパン屋での経験が印象に残り、働く仲間との関係や仕事の楽しさについても触れています。また、アルバイト経験が現在の生活にどのように活かされているかを探求しています。ラーメン屋やビアガーデン、ティッシュ配り、エキストラなどのユニークな仕事を通じて、人間関係や女性が多い職場の経験について語り、アルバイトの重要性が強調されています。さらに、初めてのお給料の衝撃や、人との関わりを通して得た学びについても言及されています。

初めてのアルバイト
この番組は、オフィスで道を塞ぎながら、働く上での悩みや、たわいもない話、
時には卒期のことや、ロジック話などをガヤガヤと話している、そんな働く人の立ち話をイメージした番組となっております。
皆さん、お仕事お疲れ様です。船田です。
お仕事お疲れ様でございます。コジマでございます。
はい、では船田さん、今日のテーマをお願いします。
はい、あのちょっと小島さん、若い時の記憶を呼び起こしてほしいんですけど。
ちょっと大変できると頑張りません。
アルバイトとか、もちろんしてたと思うんですよね。
若い時とか、学生の時とか。
はい、しました。
ちょっと今日は、私と小島さんのアルバイト変歴について、今までどういうことをやってきたのか。
確かに、共有してないですね。
私も小島さんもあんまり知らないので、ちょっとそこら辺をお話ししていこうかなと思ってます。
わかりました。どうしましょうか、順番というか。
そうですね。
どっちからでもいいんですけど。
ちなみに、一番初めにアルバイトしたのって、おいくつの時ですか。
高校3年生の、もう学校終わってるタイミング初めてかな。リアルにはちゃんとやってるのは。
一応なんかが、部活もやってたのと、なんか禁止って形になってたんですよ、届けるとさないと。
なので、単発でなんかティッシュ配ったりとか、1日だけしたりとかしたけど、ちゃんとアルバイトとして面接受けて。
っていうのは、確か高校3年生の2月ぐらいやったと思います。
その初めてのアルバイトは何だったんですか。
それは、近所のスーパーですね。スーパーマーケット。
それは、先にそこに働いてる友達がいて、なんか紹介みたいな形で行って。
僕は、どっかで話したことあるかもしれないけど、レジに行きたかったんですよね。
レジやってみたかったんですけど、総財部に回されたんですよ。
総財部。やってたこと、当時思い出すと、前コロッケの話したことあると思うんです、確か。
コロッケをいかに上手に揚げるかみたいな話したことある。
コロッケ揚げたりとか、唐揚げ揚げたりとか、一応寿司製造マシンみたいな、シャリが固まって出てくるマシンがあるんで、
そこに朝のパードさんが切ってくれた刺身を乗せるっていうか、寿司っぽいものを作るっていうような仕事。
なんかそんなお惣菜作るっていう、夜の晩御飯用のお惣菜作るみたいな仕事でしたからね。
ただ、2月からなので、そのまま大学生になったので、2ヶ月ぐらいで辞めましたけど。
そうなんですね。
聞いてた話とちゃうみたいなことがあったりとかって、レジした方もあるしね。
そっか、そうですよね。そこが。
それが初めて。
パン屋での経験
なるほど。
時期的には私もそうですね、高校で部活引退して、高3、部活引退してても受験とか終わったのかな。
記憶が私、すみません、思い出してくださいって言っときながら自分が思い出せてないんですけど。
高校生の時に親に学校に一応申請出してもらって始めたんですけど、どうしてもパン屋さんで働いてみたくて。
パンが好きだったので。
すごいですね、パン屋さんなんか。
自転車で近所のパン屋を巡って、どこか募集してないかなって。当時は張り紙で出てるじゃないですか、よく店頭の。
そうですね、そうでしたね。
そうです、昔で。
一応無料掲載紙みたいなのもあるにはあったけど、足で稼いだほうが早かった時代で。
足で稼ぐ派なんで、チャリンコで回ってたら、駅のパン屋さんだったんですけど、そこでバイト募集があったので。
そこで初めてやりましたね。
パン屋さんか、すごいですね。
楽しかったです。レジもやったし、パンも作る、ベークって言うんですけど、作る方もやらせてもらったりしました。
それは本当に知らなかったですね。最近はパンはお焼きになってるんですか?
焼いてませんよ。トースターで焼くぐらいですよ、トースターで。
それは僕でもできるけど。
でも楽しかったですね。卒業した以降も、担任の時もやってたので。
結構長く続けられたんですか?
そうですね、何年かはやってましたね。
じゃあ、働きたかったってのもあるだろうし、いいとこだったんですね、環境的にも。
今日も働く仲間もよかったし、店長もいい人だったし。
多様なアルバイト
素晴らしいですね。
どんなに私がミスをしても、笑って怒ってくれる。
怒ってるのかい。
作る時にどうしてもいっぱい入れたくなっちゃうんですよね、中身を。あんことかも。
やっぱり世間知らずなので、限界とかそういうのはわかんないじゃないですか。
限界で怒られてるの?
ふならさん入れすぎだよ、それって言われて。
でもいっぱい入ってたからおいしいじゃないですか、とか言って反向かい。
そういう感覚。
それは結構笑って怒る感じになるかな。
こっちの方がお客さんは喜ぶんだよっていうのは、まあまあ意地であるよねって思いながら、
経営者としての店長の立場もあるかなってことだから。
ダメだよ、みたいな。
そういうお互い楽しく言い合いながらやらせてもらってましたね。
いいですね。
重大な緊張が。
ハートフルな感じで、僕はいいと思いますね。
そうですね、ありがたいことに。
僕の総財部経験は、わりとそういう温かみある話はあんまないから。
だいたい僕が入るのが夕方だったんですよね。
学校がない日もあったけど、夕方入って、そこの時間までで、確か4時ぐらいだったと思うんですよ、夕方の。
で、アパートのお母様たちがいらっしゃって、そこで引き継いで交代して、僕が入ったら帰っていかれるみたいなんで、
30分ぐらいクロスするタイミングがあったんですよ。
引き継ぎというかね、交代するっていうので。
来てすぐ帰るじゃないって。
僕が当時だから18歳とか。
で、たぶん20後半から30代ぐらいの、僕からしたらお姉さまですよ、その時は。
そうですね。
そこで社会の厳しさをいっぱい教えてもらった気がする。
そうなんですね、お姉さま方から。
あの店長はこうだから気をつけろみたいな。
そういうこと、情報がいろいろと。
よく思い返せば、女性陣と働くことがなんて心地いいんだって思ったのはそのタイミングからかもしれません。
なるほど。
そうですね、その後もアパレルに入ってね。
そうそう、レースアパレルですから。
そうですよね。
なんかそこは結構、もしかしたら与えた影響がでかいかも。
いい人たちだったかっていうのが大きいかも、それは。
そうですね。
そこから繋がるのか。
一緒になって店長の悪口を言い過ぎないということも。
学んだ。
早口から学べましたね、それは。
そうそうそうでした。
本当に責任知らずで怖いなって思うぐらいいろんな失敗やってたので、私も。
どんなんかあります?
さっきのあんこを勝手に詰めすぎるとかはだいぶハーブですね。
あとレジもやってたので、パン屋では。
昔はレジも手打ちだったんですじゃないですか。
昔はこうやって。
しかもパンとかだとバーコードをつける感じじゃないでしょうからね。
つけないので、全部値段もパンの値段も部門も覚えて、
結構大量に買われたお客様がいて、トレーを2つ分ぐらい買っていくお客様がいて、
めっちゃいっぱい来たと思ってレジ売ってたんですよ、ババババって。
最後にお会計が、え?15万とかってその桁になっちゃって。
お客様も、え?15万?みたいになって。
単純に私のミスなんですけど。
そうでしょうね。
何を間違ったか、パン屋で10万台の売り上げ屋の合計が出てしまい。
客単価15万はないと思う。お互いだからそこでビクって止まったんでしょうけど。
お客様も苦笑いしながら、もう一回言い直しますねって言って。
あり得ないよねそれは。
あたふたあたふたっていう。
よかったですよ、気づく金額でよかったね。
絶対あり得ないと分かるから。
1個分ぐらいだったらね、気づかずにお客様に損させちゃったかもしれないですけど。
貰いすぎると後で揉めるからね。
そうですよね。
そんなこともやりかしですね。
でもやっぱりそういうスーパーとか、そういう小売りとかが多いですよね。最初のバイトとかって。
やっぱり募集も多かったですし。
そうですね。
学生とかになるとね、働ける時間も限定的になってくると、そういうアルバイトはやっぱり多かったかなって気がします。
特に高校生とか、1日開けれないパターンだとね。
他は何やりました?
僕ね、大学入ってすぐ始めたものが、これね、ちょっともう今やないんですけど、どう表現したらいいか分からないんですけど、
僕は当時大阪にいて、大阪で言えば南馬と梅田っていう場所がございました。
南馬は繁華街ですと。
そこにですね、僕自身はほとんどやらないんですけど、鋭馬の馬券を売る場所っていうのがあったんです。
場外馬券売り場っていう。
そこの様子は多分想像全く使わなくていいんですけど、そこにご飯食べる場所があるんですね。
イメージとしては屋台をイメージしてもらった方が早いと思うので、屋台をイメージしてください。
それが一つの空間にザーッとつながって並んでて、この屋台ではラーメン売ってます。
お好み焼きと焼きそばとたこ焼き売ってます。
大阪だから特にね。
おでん売ってますとか。
そういう風にいろいろいろんな食事、ホットスナックみたいなものが食べられるみたいな空間が広がってて、そこで働いてたんですよ。
面白いシステムで、そこは僕土日だけしか行ってなかったんですけど、鋭馬自体は多分土日だけしか行ってないので、その日が開催日ってことで営業するんですけど、
その日行ったら基本はパートの方々で回してらっしゃって、学生バイトっていうのは人員が今日少ないところでヘルプスタッフみたいな感じなので、
今日はラーメンのとこ入ってくださいとか、今日はたこ焼き入ってくださいとか、今日はおでんのとこ入ってとか、今日かき氷入ってとかっていう感じで、行くまで何に入るかわからない時々みたいな。
それ全部覚えること多いですね。
ただね、これもあくまでやっぱり、ラーメンだったらラーメンの仕込みってめちゃくちゃ大変じゃないですか。
それ全部パートの方々がやってらっしゃって。
そうなんですね。
どちらかというとね、学生バイトに求めてるのは、タイ名でのお金のやり取りとか、提供。
やっぱそこで週に土日とかしか行かなくて、いつ行ってもいいみたいな感じなんですよ。来週どうしますみたいな。
なんだかんだ言って、僕がラーメンに入ろうとは結構多かったので、なんか作ってましたね、最後の方は。
そうなんですね。
仕込みされてるものをただ茹でて、スープ入れて、具材乗っけて出すぐらいなんですけど。
ラーメンと多かったのでもあれかな、たこ焼きよく焼いてましたね、僕。焼きそばと。
じゃあプロですね、もうそこらへん。焼かせたら。
これはね、あんまり言いすぎると関西人の中でこうね、また買いが起きるんで。
たこ焼きといえば、はい。
まだまだもうゲノゲノゲですから。
そうなんですね。
全然もう仕事にも及びません。っていうような、なんかちょっと変わった。
平たく言うと飲食業なんですけど、ちょっと特殊な形態だと思うので。
そうですね。こんなのできるのはいいですね。飽きない。
裏話的に言うとですね、働きやすい環境と、しんどい場所ってのはあるわけです。
そっか。
それはまず環境面の話と、そこに働くメンバーの話があって。
言ってもやっぱりね、夏とか鉄板の場合はやっぱ熱いわけですよ。
熱いですよね、はい。
だからたこ焼き焼きそばお好み焼きって結構やっぱり人気なので、
特に関西の大阪のお店ですから、そこそこそれがね、結構おいしかったですよ、僕が食べても。
ユニークなアルバイト経験
結構並ぶので、ひっきりなしにずっと炒め続けたり、焼き続けたりするんで。
楽しいんだけど、熱いっていう、汗だくになるっていう過酷さっていう。
ラーメンも忙しかった。
その環境系。
で、人のとこは、そこのやっぱね、おつぼねとは言いませんけど、ラーメンの主任パートさんみたいな。
各部署にいらっしゃるので。
そことの相性みたいなのあったかな。
そうか。
やっぱ馬が合う方と。
そうですよね、合う合わないありますよね。
なんかチャラチャラして学生の場合とかみたいな。
いう人もいましたから。
ほとんど90%以上の方だったわね。
今度は逆に、その当時僕が19歳とか、形とかですよ。
働いていらっしゃる方はね、上の方でやっぱり60歳とか。
だから孫クラスだった。
そうですね。
若いパートさんもいらっしゃいましたけどね、30歳後半前半とか。
だからね、結構その孫みたいな扱い方されるから、もうそんないっぱい働かなくていいから後ろでビールでも飲んでなさいみたいな。
お酒はいいです、ジュースでいいですみたいな。
でもなんか。
気がつく。
当時はだから僕はその環境にたくさんの祖母がいるような。
でもアルバイトならではですよね、そこまで結構年が離れてる。
会社でもなくはないけど、アルバイトってほんとやたら年の差っていうのもパターンとしてあるじゃないですか、一緒に働くっていうの。
今考えたら当時自分が20歳だからこそできることですけど、40歳差で同じ環境で働いたのは、たぶん後にも先にもそれが最後ですね。
そうですよね。
そう思うとアルバイトって幅広いわって思っちゃいますね。
ビアガーデンのアルバイト
あれはいい経験でしたね。
確かに。
お年玉とかもらっちゃったりしたな。
めっちゃ孫じゃないですか。
羨ましい、それいいな。
肩もんだりしたな。
おばあちゃんじゃないですか、ほんとに。
でもみんなね、はっさらつ働いてらっしゃるんでめちゃめちゃ元気でしたよ。
いい仲間ですね、そこは。またある意味年の差を超えた。
忘れないですからね、記憶にすごく生命残ってるから。
いいですわ。
そこも女社会なんです。
そうだ。やっぱなんかあるんですね、そういう辿る人生。
パート3、女性5名と牧師1人男みたいな。
年齢だけでだいぶ違うけど。
まあそう、確かに。
でも楽しかったです。
そらんさんはパン屋さんの後何だったんですか。
私でもその後期間限定夏だけビアガーデンのバイトやったりとか、それを2年連続やったりとか。
近所にビアガーデンやる場所があって、そこでよくある野球場ドームとかである。
何リットルの樽を背負って直球に入れるやつあるじゃないですか。
私結構背もあるので、そういうのやらされてましたね。
それならちょっとこれお前背負えやつって。
まさしくあのビール球場での売り子さんみたいな。
みたいな、あんなかわいい格好はしてないですけど。
当時と今という売り方が違うと思うけど。
あれを背負ってとか、そういうのも。
お客様がちょうだいって言われたらその人のとこ行って、ピシューってあげるんですけど、
すみません泡だらけになっちゃったみたいな。
まあまあね、そういう場だと許されるしね。
そうそうそうそう。
でもそこではいろいろ調理とかをやってくれたのをよそったりとか、いろいろやってましたね。
洗い場とかもやったし。
とにかく疲れたけど、でもそこで出会った仲間は今も友達だったりするので。
おーすごいですね。
とかあとはでもさっき小島さんちょっと言ってましたけど、日雇いでティッシュ配りとか。
これはたぶん僕らの世代は1回は通っていたじゃないですか。
でもこれがティッシュ配りだけだと思って、そこの事務所というか行ったら、
じゃあちょっとこれに着替えてって言われて、なんかユニフォーム渡されたんですよ。
えっ聞いてない!みたいな。
それ話聞いていい話?
その衣装がポロシャツにテニスブックが履いているようなプリーツのミニスカートみたいなの渡されて、
帽子渡されてキャップを。
これに着替えてティッシュ配りをしてくださいみたいな。
コンタクトレンズの会社さんのティッシュだったんですけど、
いたな当時。
いました。それ私じゃないですか。違うか。
さすがに大阪にいたから。
大阪ですもんね。
それで都内だったんですけど、都内のあとある駅で、
何とかコンタクトですお願いしますとか言ってずっと配ってたりとか。
いましたね。
もう今ね、そんなのハケなんて言われないと思いますけど。
まあね、ちょっとね。
そう、そんなのもやったし、あとはあれです。
ミーハー精神でエキストラのバイトとかやってました。
すごいですね。それはドラマとか映画とかってことですか?
ドラマとか映画もあったし、あとは反乱のとか。
ということは何回かやってるんですね。一本だけではなくて。
やってます。じゃなくて何回か。
すごいですね。
たまに私、映画とかエキストラで映ったことあるんですよ。
それはエキストラですからね。映ることもあるでしょ。
別に国民的な有名番組で、そうですねって言ってたわけではなくて。
それはやったことないですね。
それはエキストラじゃないのか。
普通の。
そっちの世界は全くわかんないですね、でもね。僕は。
それで芸能人三田さんにミーハー精神でやって。
ああ、あんなに芸能人って顔ちっちゃいんだみたいな。
キャキャキャキャ内心してました。
でもそれこそアルバイトだからこそやれることだと思うし。
それってステップアップとして本当に役者さんを目指していくためにっていうニュアンスで、
今社会人というか学生じゃない立場でやってる方もいらっしゃると思いますけど。
アルバイトの意義
皆さんはその環境をちょっとってことですね。
それはでも僕は全く想像つかないというか、やろうと思ったこともないです。
そうですね、あんまりないです。
でもやっぱりそこは挨拶はすごく大事にしてくださいと言われて。
業界ですね、なんかね。
別に業界人じゃ自分はないけど、それで言ったらおはようございますとかちゃんと言うとか。
でも大事ですからね、それどこでもそうだしね。
それはすごく大事だなって。
その方もちゃんとそういう挨拶をしてたので、皆さんこういう環境でやってるんだっていうのは覚えてますね。
でも挨拶とかね、たぶん部活とかで鍛えられてるでしょうから。
そうですね。
遠距離挨拶なんかは別に何もくくりもしないでしょうからね。
なるほどね、全然そう聞くと辿った流れは全然やっぱり違いますね。
そうですね。
やってきたことはね。
でも小島さんがそういうアルバイトの時に自然と女性が多い職場にいるっていうのが。
でもね、当時は別に思ってなかったんですよ。
今までも考えたことなかったので、話しててそうだなって思い始めたから、それをちょっと強調して話してるんですけど。
面白い。
でも変な苦手意識がなくなったのはあるんかもしれません。
やっぱ自分の性別とは違う性別の人と一緒に働くっていうのは、もっと緊張するものかもしれないし、しなしたしないんだろうけど。
その緊張感みたいなものは感じなかったですね。
僕次が最後になっちゃうんですけど、アルバイトで行くと。
新卒で会社入るまでの大学生の期間になるんですけど、それがお洋服屋さんですね、まさしく。
ただそれは男性用の服、メンズの洋服屋さんで、まさしく雨かじが流行ったタイミングでの雨かじのショップ。
ジーンズとかメインで売ってる店。
チェーンの有名なところとかではないんですけど、そこで働いて、絶対アパレルだって思ったって感じ。
そこで決まるわけですね。
過去の経歴でいうと飲食もやってるから、飲食業界も受けたって話以前してるんですけど、やっぱ小売りであり、外食かアパレルだなっていうのは、僕はアルバイトからチクチクされたような感じ。
ただ思い返せば、これもメンズショップなんだけど、女性アルバイトの方が多かった。
そうなんだ。
店長だけ男性で、後のメンバー全部女性で。
そういう星なんでしょうね。
下っ端の、僕だけ一番若造がいるみたいな。
社会人アルバイトっていうかね、皆さんフリーターみたいな方々だったんで。
でも大変可愛がっていただきまして、その方の中の一人は未だにフェイスブックですごくたまにやり取りあるし、インスタとかは相互でフォローしてるんで。
そうなんですね。
だから僕が当時21歳とか、その方が僕の記憶だと24歳後とかだったんで、そっからスライドしてるから、すごいですよね。
その当時の小島さんを知ってる貴重な人ですね。
そうそう。だから、でもね、これも思い返した。僕ね、そのお姉さまにね、コージーって呼ばれてたんですよ。
コージー?
小島だから。
そっかそっかそっか。どこらへんかと思ったけど、確かに小島だから。
小島だから。で、あのコージーが…みたいな。
親目線。そんな年離れてるわけじゃないけどね。
まあ、お姉さん目線かな。姉的な目線で見てくれてたと思うんですけど。
まあ、そりゃ21くらいの男の子が、今や40半ばになってるから、だいぶそれはね。
ひみじみ感じますよね。
おっさんになったなと思われてると思うんですけど。
お互いね、同じ感じ。
今でもそのつながりが嬉しいかなっていう。
そうですね。
だいたいまあまあ、そっちの話は話せば長いけど、今回のエピソードのテーマにおいてはそんな感じですね。
いやでも、この日雇いも混ぜると、日雇いの人数を数えたりするのあるじゃないですか。来場冊数とか。
おー。
ガチャガチャガチャガチャって。
そういうのもやったしとかで。
雇われますか?
はい、雇われます。で、それが次の日のドコドコのドコドコモール、初日来場者何人とかっていうのが出るんですけど、新聞に。
で、それの何人かを私が数えましたっていう。
でも分かんない時あります。あれ?何人通った今?みたいな。5人ぐらいかな?ガチャガチャガチャみたいな時もありましたけど。
あれー、集中力いりますよね。
いりますよ。
ねー。
集中してるからちょっとウトウトしちゃうんですよ。椅子に座ってると。あれ?今何人通った?っていうね。
まあね。
すみません。そんなにお金もらって。
いやいや。でもね、今でも交通用調査とかはその方法でやってますしね。
そうですね。
たまに見ますけどね。ちょっと暑い中だとね、大変そうなとか思うけど。
でもやっぱりこう、いろんなアルバイト経験してから社会に出るとね、やっぱ突然出るよりは少しステップを踏みながら出ていけるから。
アルバイトってそういった意味では大事ですよね。
まあそうですね。僕自身だけで言うと、人に押し付けない意味で言うと、雇いでめちゃくちゃ良かったなと思っているので。
お小遣いが欲しかったっていう動機ではあるんですけど、自分の必要なものを買うためとか。
それはまあ趣味的なものもあるし、必要なものを買わないといけないとかってことでやってたんですけど、やっといて良かったなとは当然思ってます。
そうですね。
これはさっきも言ってた。一番でもね、思ったのがやっぱチャレンジしたことないことにチャレンジしたっていうので、
うまくいったことがあるっていうのを、なんかこう自分の何だろうな、よりどころにしてたことはあるので。
アルバイト経験の意義
なんか直接的にその当時やってたことがね、今生きてるかって言うとね、雇役技術はさすがにちょっと今生きてないし。
そうなんですよね。
経験値としてはすごく意味があったと思います。
じゃあ今に生かされてるかって言ったら、ダイレクトにってのはないけど、でもやっぱちょこちょこと、本当に世間知らず、学生で世間知らずがそういった社会の人と一緒に働いて、
いっぱい勉強になることとか、その人たちからとっては当たり前のことだけど、自分にとっては全部が知らない知らないってことだったので、
ファックスの送り方一つにしても、その当時ファックスだったから、そういうのとかもいろいろ教えてもらったしとか、挨拶もそうだし、あと人への聞く場合とか、
高校の時に大学生のお姉さんの働き部とか見てると、やっぱすごいスマートなんですよね。
周りへの配慮の仕方とかも、そういうのを見て、こうやって人に配慮するんだとかっていうのも勉強になったな。
そういうのがいろいろと少しずつはつながっているんだろうなと思います。吸収できてるなと思いますね。
なかなか社会に出る前に社会人の人と触れるっていうことができる貴重な場所ではあるとは思うので、
どんな職種がいいとかっていうことじゃなく、やったらやっただけ意味はあるだろうし、
その感動ってやっぱり回数が増えれば薄れていくもんだと思うんだけど、初めて働いてお給料ですって言われたことは忘れてないから、
自分で稼いだお金ってのはね、これはなんか忘れていきますね。
お金、やったことに対して対価をもらえることに感謝という気持ちは変わらないけど、初めてもらった給料の衝撃には勝てないから、
なねながらね。それでも僕みんなそうやと思うけどね。
その時ってこんなにお金もらえるんだみたいな。お小遣いからお小遣いしかもらったことなかったから。
普通の人はそうでしょうね。
お小遣いでそんなに何万ももらうことないじゃないですか。うわーみたいな感動はありましたね、確かに。
やっぱりちょっと桁が違いますよね。もちろんそれは働いた報酬なので。
なかなかね、自分がお小遣い的にっていうことでいくと選べる選択肢が増えたりするんでしょうけど、
なかなかアルバイト事情の話は結構デリケートな部分もあるとは思っているので、生活のためにやらないといけなくて選べないとかっていうこともあるだろうから、
そこはなんかそういう方にとっては、そんなキラキラしたことばっかじゃないよねっていう目線もあると思うけど、
そこでお学んでいらっしゃることはあっただろうし、後々になったら多分それは、
僕みたいにスーパーの総財務2ヶ月辞めてるみたいな話もあるから、
そりゃあそれでなんかこういうアカン大人を見たなとかっていう記憶になってるし、
そりゃあそれでいいと思ってるし、ちょっと今日は触れませんけどね、タイミング的にちょっとね、
バイトって言葉からするとちょっとダークなニュースが最近多いから、
アルバイトっていうところで、なかなかそれでやってみたいからやれるかっていうとそうじゃない環境の方もいらっしゃると思うんだけど、
アルバイトの思い出
やるんだったらめっちゃ目利きしたったらいいと思いますよ。
それは学生の立場であったりとか社会で生まれであれば。
そうですね。
いろいろやってみたい。
大人たちを見てやったらいいと思う。
いろいろちょっとそこで感じ取っていただきたいですね。
そんな感じだと思います。
いやでも小島さんいいじゃないですか。アルバイトの収入も得ながらお年玉でも収入を得るダブルでちょっと。
ちょっと今考えたらやばいですね。
そのバイトやりたいなって思いましたね。
でもそれは一応ね、一生懸命やってないと、だからあの可愛がってる存在とかはやっぱり区別された感じがする。
小島さんもね、肩揉みとかもしてましたしね、一生懸命。
なんかやらしいですよね。
だんだんそう思ってきた。
でもなんかそういう、今も続く関係性もアルバイトを通してあるわけだから。
そうですね。それを今収録してて思い出した感じなので。
でもこれこそね、やっぱりあれだったんですよ。
さっきのお小遣いっていうかお年玉もらったのも、僕は20歳ですと。男ですと。
片居は60歳のパートのお母様かな。
なんかすっげー重い寸胴鍋持っていこうとしてるから。
でも持ってるんですよ。すごいけど。
でも腰痛そうだからあまりにも。
いや、そんなん僕やりますよみたいなのは。
僕からしたらおばあちゃんだったから当時ね、20歳で60歳だから。
60歳の方がおばあちゃんと言ってるわけじゃございませんので。
やっぱそれはね、目の前でそんなことされたら、僕やりますよみたいになるから。
それは手を貸しますよね。
それは貸すでしょ。
うん、貸す貸す。
そんなことがあってだと思いますよ。
そういった親切なお母様には嬉しかったんでしょうね。
いい思い出ですね。そう考えたらね。
そういうことを思い出すきっかけをいただいてありがとうございますとは思ってません。
じゃあよかったです。この手を持ってきて。
そうですね、アルバイトとか忘れてましたね、改めて考えるのはね。
大変なアルバイトもあったけど、結構記憶に残っていることが多いので、楽しかったんだなと思いますね。
そうですね、ぜひね、アルバイト歴みたいなのはね、話のネタとしては結構、世代が違かったりするとね、
こんなバイトあったよねとかっていうのは盛り上がったりすると思うので、
身近な方でやってみてもいいのかなと思います。
特にとんでもないの出てくるじゃないですか、エキストラやってましたみたいな。
え、どんなのみたいな。言えないからね、滅多に。
ぜひどっかの立ち話しで皆さんもやっていただければなと思っています。
そうですね、ぜひとも。
じゃあ以上ですかね。
以上です。
ではここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
28:57

コメント

スクロール