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2025-08-08 32:47

Ep.128 古典の名作フランケンシュタインを読む!

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今回は久々のネタバレ回!

SFの祖とも言われるフランケンシュタインについて語り合いました!時代を経ても古びない物語について、二人それぞれの視点から語っています。


【紹介した本】

・メアリー シェリー (著)、芹澤 恵 (訳)「フランケンシュタイン」新潮文庫

・メアリー シェリー (著)、小林 章夫 (訳)「フランケンシュタイン」光文社古典新訳文庫


【よりぬき】

・花開いていく現代科学の夜明けの空気

・人ならざるものの存在を通じて人の普遍を浮き上がらせる

・著者の人間的深みが溢れ出る筆致

・全編を通じた悲しみ

・胸を打つ衝撃と生々しさ

・生み出してしまった責任とは?

・いろいろなことを考えさせられる

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生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と、書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
お盆の真っ只中ですね。そうですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ちょっと普段とは違う動きを規制されたり、旅行されたりとか、あるいはお墓前行かれたりとか、知る方も多いのかな、なんていう日になりますね。
もしかしたらいつもと違う場所でね、訪問数を聞いてくださっている方もね、きっとね、いらっしゃるかもね。
それとか、いつも5時即に聞いてくださっている方が、来週、翌週に聞いてくださったりとか。
ああ、ということもね、あるかもね。いろいろイレギュラーなことがある季節かなと思いますけど、
暑いので皆さん、とにかくお水をとって熱中症に気をつけて。本当に塩分も適切にとって。本当に本当に過ごしていただきたいような、そんな夏の日ですね。はい。
そして今回は、先週先々週と告知していました。
本の虫のすすめ3回目のネタバレ回をやりたいと思いまーす。
さつさん、今回ネタバレ回で私たちが読む本は何ですか?
はい、フランキンシュタイン、メアリー・シェリー著。
で、ちょっと新潮文庫版ですが、訳をされている方が、セリザワ・メグミさんですね。
私は実は、今わかったことなんですけれども、私は興文社古典新約文庫版で読んでまして、
役者は違いますか?そうですね、役者さんは小林明雄さんという方が役されています。
じゃあちょっともしかしたら読んでいる内容が微妙にね、印象が違うかもしれないね。
もしかしたらあるかもしれないですね。
まあ、でも大枠というのは変わらないかなと。
元々のものは同じ、原著は同じフランキンシュタイン。
もうね、だから有名すぎてさ、フランキンシュタインという名称を聞いたことないっていう方はいないと思いますけど、
でも意外とさ、印象が違ってさ、思っててさ、多分だと思うんだね。
でもなんか、サブカルチャー、漫画とか、いろんな作品のその後のモチーフで出てくるフランキンシュタインと呼ばれる。
まあこの原著だとフランキンシュタインは怪物というかを作った博士なんだけど。
そうなんよね。怪物側がフランキンシュタインって思われてるよね、多分一般的には。
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そうなんだよね。でもそれをモチーフにしたものって、やっぱりなんとなくこの本をフランキンシュタインを読んで、また考えてみると余計にやけど、
ちょっと悲しみとか寂しさとかを背負ってるキャラがやっぱり多かったのかなとか、ちょっと逆にその現状にあたってふと思ったりもしたかな。
ただやっぱ怖い、怖いけどだけじゃない。
一応恐怖小説って言えるかなって、あとはSF小説のね、祖と言われたりもするみたいなので、SF小説。
だって書かれた時代がもう。
すごいよね。1818年に匿名で最初刊行されているようですね。
1818年って言ったら、
何?何?とか、ムチをさらす。
まあだから、200年前?
ちょうど200年前ぐらいよね。
そもそもこれ、結構、科学史、科学系のその歴史とかを書いてる本でも、やっぱり出てくる本でもあって。
なんで?
公文社文庫版は、公文社古典文庫版は書いてるんだけど、そっちはその前書、著者がメアリー・シェリーさんが書いた前書1831年版と、序文1818年版ある?
前書1831年版はついてるな、で序文1818年初版もついてる。
じゃあ一緒だ一緒だ。
そうそう、そのどっちかに忘れちゃったんだけど、どっちかに書かれてたんだけど、
もともとその、ガルバーニの実験っていう、すごい有名な実験があって、それ何かって言うと、
カエルの足、死んだカエルの足を、フランケンシュタインの中にも出てくる、それが実験なんだけど、
銅とか、鞍炎とか、2種類の金属でカエルの足を挟んで、そこに挟むと勝手に電気が流れて、カエルの足が痙攣する、死んでるのに動くっていうのがあって、
そういうのが発見されたりとか、それをメアリーシェリーさん、女性の方なんですけど、
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夫とバカンスに行った先で、友人夫婦と、夫と4人ですごい話をしてて、その中でそういうような、
ガルバーニ電気っていうのがあって、死んだカエルの足が動く、生と死ってなんだ、みたいなところのお話をしたところから、
それから直接繋がってるわけじゃないけど、休みのバカンスの期間中で、誰が一番恐ろしい恐怖小説を書けるかやってみようよ、みたいな話になった時に、
メアリーシェリーさんの中で、ガルバーニ電気の実験の話と、頭の中で着想が結びついて、私の中、自分の中で本当に怖いものって何かって思うと、
幽霊とかっていうよりも、その生を作り出すというか、自分の中でその生命を、
モテ遊ぶじゃないけど、そういうものに対してすごく恐怖を覚えて、フランケンシュタインの元になるような、ちょっとした短編を書いたっていうところが、序文か前書きに書かれてて、それがすごく私は印象的、まず一つすごく印象的なところで、
やっぱり、よくこの番組でも、私が触れてることかなと思うんですけど、科学って結構その人文と切り離された形で言われるけど、やっぱりそういうふうに、フランケンシュタインという名作を生むその祖児、
SFっていうものが生まれてくる必然として、その科学的な次元というか、が触発して、警鐘を鳴らすとか、そういうような話じゃなくて、もう、アートとしての作品が生まれたっていうのは、すごい、すごいことだなっていう、なんかその、
バカンスの中の話と合わせて、その時代の息遣いみたいなものを、私はその科学の党だと、自分でちょっと思っているんですけれど、
で、まずそこの空気感に触れて、その生々しさも感じたかなっていう、ちょっとあの、さてさんと違う視点かなと思ったところを、まず一つ触れたいなと思った。
全然そんな、ガルバーニ実験っていうものを読んでも、なんだこれやと思いながら読み飛ばしちゃったからさ、私はさ、その、あの有名なカエルの足動く実験家みたいな、ちょっと解像度低いけど、でも、それを聞くと、よりその生と死っていうことと、そのガルバーニ実験が結びついていることの意味がちょっとわかったりとか。
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- なんかそれってやっぱりさ、私らってもうなんか、高校のとか中学の生物とかでもさ、そういう、なんか神経は電気で流れてて、みたいな、なんか、もう教え込まれててるやん。だからなんかその電気で流れてるんだったら、流したら、なんか死んでる肉も系列するんじゃない?みたいな感じやけど、そうじゃなくて、もう、生、死っていうのがあって、そこにさ、たぶん魂みたいな、まだあの、
正気みたいな、生と死をつなぐものみたいなのが、なんかあるんじゃないか?ってな、なんていうの、その渾然一体とした世界観の中で、そういう、動かしがたい、何度でも再現できる実験みたいなのが現れてきたときの、捉えられ方って、どれだけ想像力を刺激しただろう?と思って。
なんかその、素地というか、時代を思ったりもします。
なるほどなぁ、やっぱなんか科学者ならではの、なんかこう、見方ですごくあの、全く自分とも違って面白い。
いやでも本当に、あの、内容の方に入っていきたいと思うんですけど、
なんかサトゥーさんがその、本当に人間の葛藤とか、普遍的な部分を描いてるって、
大きく頷いております。
本当になんていうか、やっぱりその、人間じゃないものを中心にいるじゃないですか、その、あのフランケン。
生まれ出されてしまった存在ですよね。
だから、それの目を通すことによって、逆にこう、人間というものの創造がえぐり出されるみたいな作品だよね。
そうなんですよ、そうなんですよ。
で、そのすごくその、科学的には今の時代と全くこう、あの、その、なんだろう、異なる時代のはずなんだけど、
なんかこう、今でもその、解決できてない、なんか問題とか倫理的な問題の、その命を作り出すっていうことの倫理って何だろうとか、
なんかその作り出された生命っていうものは一体どこ、どういう位置づけになるんだろうとか、その生殖というのはどうなるのかとか、人間ってどこまでそこに立ち入っていいのかとか、
そういう問題って全く未解決であるものの、でも現実的にそれが結構立ち現れている状況にある今でも、やっぱりこの200年ほど前のこの本って全く古びてないどころか、
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むしろなんかある種重要性を増してるとすごい思った。
やっぱりその、なんていうか、あの、ちょっと言葉が適切かわからないんですけど、ひねりがないんですよ。
あ、そうだね。
うーん、そう、さーっと一直線に進んでいく物語だと私すごい思って、
だから、なんだろう、だからこそこう深くそういう生命ってどこまで生命なのか、人間がどこまで立ち入っていいのかとか、そういう問題がより深く刺さってくるなってすごい思った。もう余計なものがこう削ぎ落とされて。
だから多分今のその、科学とかで言うとディテールとかは全然甘いとか、それは当たり前なんですけど、でも私たちが、もし今を生きる、私たちが書こうとして、この正国を板、簡略化というか、
正国を板ってどういう意味だったっけ?
なんか、角の部分をズバンとついた。そういう簡略、簡略というか、簡略化っていうか、ストレートな、芯を射抜く、もうギリギリと引き締めた矢からサッと飛んでいくような鋭さを持った作品って、余計なやっぱり贅肉をどうしてもついてしまうような気がして、
だから本当に、この時代、この空気でないと生み出されなかった名著なんだろうなって思ったりした。
何気にこれが20歳の著者から書き出された当時ものだっていうのを。
いや本当に。
どないだとね。
まあ年齢ではないですけど。
まあね。
でもね、なんか、どれだけの、なんだろうな、その、人間性というものが、その素地があったらこんなものを書けるんやろうって、なんか、もちろん文才っていうこともそうですけど、なんか人間というものの深みがないとこの物語は書けないんじゃないかなっていうふうに思ったりもしたな。
そうやんね。あの、そのフランケンシュタイン博士が作り出した怪物が、あの掘ったて小屋みたいなところで言葉を学んでいくシーンとか、すごい愛説に満ちてるよね。
そうやね。もうなんか、悲しいのよこの物語。
悲しい。
本当に。
なんかさ、あのシーンって、希望に満ちてるんじゃない?
できることが増えていって、俺も仲間に入れてもらえるかもっていう。
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でもそのさ、仲間に入れてもらえるかもっていうのがさ、こう、ボロボロの小屋の中でさ、出られなくて、隙間から覗いてるっていう、すごい客観的な状況も悲しいやん。
悲しい。本当に。で、私たちの頭の中には、もう、やっぱりさ、あの、後の時代のフランケンシュタインと呼ばれるいろんなサブカルテキ派生を知ってるからさ、このままフランケンシュタインが、作られた怪物が受け入れられてハッピーになるわけはないって分かりながらよく出るからさ、
より、なんかつらいっていうか、もう、なんかもう、ページめくる手を止められないけど、もう、止めた意味じゃない。
分かる分かる。止めたい、止まらない、止めたくない、止めたいみたいな。
本当に。そうですよね。本当に。
そう、だからその、さ、あの、やっぱ優しい心を持ってる側面もすごくあるのよね。
そうなんよね。
それがまた、すごい、こう、現代的な、また、こういう問い中かさ、課題にも直結するよね。
だって、心が美しくてもさ、そんな見た目やったら、みんな怖いんだみたいな。
なんかその、あの、フラン、じゃないや、えっとその、作られてしまったその生き物に対しての人々の反応、そのフランケンシュタインも含めての人々の反応っていうのを、なんかこう、こう、一刀両断して、
そんなひどい野郎とも言えきれない自分もいたりして、もし現実にその、あの、その、作られたものを実際に自分が見たとしたらとか、その、例えばさ、その目の見えないさ、こう、
気にかけてる、その老人の家にさ、なんかこう、得体の知れないなんか生き物がおってさ、で、その老人に何かこう、こう、触ろうとしてたら、そしたら自分は同じじゃない行動をとれるのかなとかさ、
まあ、なんかあそこまで何か行かなかったとしても、まあ、ぎょってなって、やっぱり何か、もし、そう、何か自分が銃とか持ってたら、その銃を構えてしまうかもしれないな、とかそう思ったりとかして。
なんかその、フランケンシュタインの、そのフランケンシュタイン博士の動きもすごく生々しいんだよね。
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なんか、最初はその、できるんだ、できそうだっていうこと、自分で生命作れそうだっていうこと自体、その、それがいいとか悪いとかじゃなくて、できそうっていうことに対して夢中になってしまうところとかも、すごい生々しいし。
で、作り出してしまったらもう後は、こう、なんてことをしてしまったんやってなって、その後ちょっと逃避する部分とか。
で、最後のシーンがまたね、すごい印象的で、フランケンシュタイン博士をその、生み出した、彼が生み出した怪物がこう、
棺の前に現れるシーン?
あ、それもあるし、それまでのその、追いかけ合いというか。
氷河のところで追いかける。
氷河でそう、この物語自体があれなんだよね。一応その、氷河であの、フランケンシュタイン博士が自分のその生み出した生き物に追いかけられて、その逃走劇の最中で、北極海であの、冒険をしてた。
フランケンシュタイン、生き物を追いかけたんじゃなかったっけ?
そうだ、追いかけてて、それであの、北極海のあたりまで行って、で、それを冒険家の方が、あの、行き合って、拾い上げて、救助してっていう、そのお姉さんへの手紙っていう。
そうそうそうそう、そっから始まる。
始まって、で、だからその、極端な冒険をしようとしてるっていう、その若者に対して、フランケンシュタイン博士が自分を重ねて語るシーンとか、あれもすごいなんか切々と胸に、迫ってくるんだよね。だからあの、生み出したから悪とか、それを意味嫌ったから悪とか、まあ、そう、なんだけど、みたいな。
単純になんか、それだけで割り切れる問題じゃないっていうか。
そうなんよな。
で、そう、サトゥーさんが触れてくれた、その最後の火継のシーンにも、なんか、二人の関係が、二人って言っていいのかな、そのフランケンシュタイン博士が亡くなるんですよね。
で、その後、その、彼が生み出した、その生き物が、もうすごい身体能力を持ってるから、あの、とても捕まえられなかったんだけれど、その火継の前に現れるっていう、すごく印象的なね、シーンがあって。
あれがもう、なんていうか、その、創造主と作られたものにしかもう、多分わかりえない、何か、もうなんやろ、こういう言葉じゃ違うかもしれないけど、ある種絆に近いような結びつきっていうのをすごい感じさせるシーンで。
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もうちょっと言葉にならない、気持ちに、簡単に言い表せない。
うーん、なんかこう、フィクションではあるんやけど、その、もう本当にこう、まざまざと自分自身がその、こう、世界を知ってしまったかのような、なんか衝撃と生々しさがあるというか、
なんか本当にその話があるんやって、こう思い込んでしまいたくなるぐらい、なんかリアルすぎて、なんか、なんて言ったらいいのかわからないんだけど、
そうだね、そうだね。
言葉にできないなんだけど、そう、うーん、とにかくなんかこう、本気の悪者がおらんから余計に悲しいというか。
うんうんうんうん。
そうなんだよね。
そう、なんか、みんなその行動する、その行動の理由がこう、わかるなって、自分がもしその人の立場、各その人の立場やったとしても、そうなるやろうなって思う。
なんか、でも、なんか、そうだな、例えばその、生み出されてしまったその生き物ではなかったとしても、例えばその、今いる、その、生きている人の中でも、結構こう、見た目が人とは違うような人もいたりする中で、
なんかその人を、何も知識がない状態で、私が見たときに、ぎょってならずにいられるだろうかとか、なんか、こう、ちゃんと自分は、こう、なんて言うのかな、その、何も、それは無理なのかもしれないけど、何もこう、なんて言うのかな、
何も、へだたりを感じず、フィルターを通さず、なんかこう、その人と接したりとか、できるんだろうかな、とか、なんかそういうふうにも思ったりして、
そうやんね、私もその文脈というか、で、その、この、生み出された彼なのかな、怪物の同胞が欲しい、妻が欲しい、っていうのの切実さっていうのが、すごい、やっぱ浮かび上がってくるなと思って、
たぶんさ、あたしらの、その、あたしらというか、普通の人間、自分以外の人間の目っていうのは、変わらないっていうのをさ、いろいろとこう、怪物自体が頑張って歩み寄ろうとしたりとかさ、した中でもう、
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ほめみにしみて、分かってしまったから、もうそれしかないっていう、ある意味すごく思い詰めた言葉、で、それがまた、胸にすごい迫ってくるシーンだったなと思って、博士を問い詰めるというか、作ってほしいっていう、自分の傍れを、連れ合いを作ってほしいっていうのをすごい言って、
博士が、いやそれはもう、俺はできないっていう問答をね、するシーンもすごく印象的だったなと。
フランケンシュタイン博士のその、葛藤もリアルやしね、いやでも作った方がいいのだろうか、いやでも作ってはいけないだろうっていう、葛藤もリアルだし、
なんかその、その生み出した側の責任っていうのを、どこに取るのかっていうことを、もうすごく難しくって、なんだろうその、生み出したからにはその、そういうふうに幸せに生きる権利よっていう意味で、その傍れを作るっていうことが、それ正しいのか正しくないのかとか、なんかもうそれ永遠にこう、
なんかこう、決められない話で、
そうなのね。
なんかその、あまりにも見た目がその、人間からこう、見てこう、嫌悪感とか生理的にこう引き起こしやすいようなその存在が、その、生殖をして子供を産んでいって、
増えていって、
それで人間とどういうふうに付き合っていけるのかとか、
なんかでも、生み出してしまったものを、そこまで追い詰めてしまう以外の方法はなかったのかとか、なんかすごく、なんでしょうね、難しいけど、
本当に考えまくる、難解させられまくる話だったなぁと思って。
いや、本当に結構その、さとゆうさんが言ってくれた繰り返しになっちゃうけど、
本当に現代的な、その、生命倫理とかの、全然解決してないまま進んでる現状っていうのをなんか、これが200年前の本なんやっていうのを思って読むと、本当にすごい、別の恐ろしさも感じたりもしたかなぁ。
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なんか、この問題は、この問題っていうか、このフランケンシュタインが扱ってるテーマは全く古びてないんで、
いや、そうやね。
もう私たちは、ペットのクローンを作ったりするビジネスがさ、日本では認可ないと思うけど、中国とかではもう始まってないとかさ、全くかぶるっていうわけではないけれど、
もちろん。
私たちが選択肢を持ってしまったがゆえに、当然起こりうることだったっていうこともできるし、AI個人とかもさ、今あるやんか。
ああいうのとかもさ、もう倫理が十分な議論がされないまま技術がどんどん進んでいってるっていう現状を考えると、
やっぱり、私の中でちょっと際立って印象に残るのが、そのフランケンシュタインのやっぱり同時代性。
その技術が出てきて、その瞬間にもメアリー・シェリーさんは、それだけの内在しているいろんな課題、問題、波乱っていうのをこう、文学という形で表現して議論をさ、読んだわけじゃない。
それってその、人が科学とどう付き合っていくかっていうののある種、道しるべというか、にもなるようなものだったと多分思うんだよね。
だからそういう意味で、私ちょっと飛躍を感じるかもしれないんですけど、私がやっぱり科学的な話とかを繋いでいかないといけない、科学は科学者のものじゃなくて、みんなのものじゃないといけないと思ってるので、そういうところもすごくあって。
いろんな人がやっぱり、イマジネーションというか、お刺激して、そうすると、そうしたからこそ、見えてくる問題とか、訴えかけるものが生み出されたりとかすると思うんだよね。
だから便利な暮らしとか、そういうなんか、まあそれももちろん大事だと思うけど、だけじゃなくて、人間というその存在、人間って何なのかっていうところに迫っていく上で、一つのその切り口として、その科学的な要素っていうのはあるんじゃないかなと思ってるんだよね。
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そんなことをなんか、ちょっと考えたりもしたら、まあとにかくすごくこう、こういうチャート人文になっちゃうけど、考えさせられる本やな。いろんなことをなんか、うーんって考えさせられる。語彙力が急になくなっちゃったけど、本だなと思って。
またね、時間を置いて読みたいなと思いましたね。結構その、自分のその時々の置かれた度胸とかによって、また感じることは変わってきそうやなっていうのは思ったりしましたね。
といったところで、今回は名作、古典の名作、フランケンシュタインのネタバレ回をお送りしました。みなさんどうでしょう?こう、新しくこう、この機会に読まれた方、もともと読んでいて、また読んだ方とか、これから読む方もいらっしゃるかもしれないですけど、
本当に、色褪せることがない、普遍性のある、やっぱりこう、古典の名著と言われるだけある作品かなと思いますので、すごくね、おすすめしたい、まあその悲しい話ではあるけど、やっぱり読んでほしい本だなっていうふうに思います。
すごいね、本当に胸に残る一冊になるんじゃないかなと思いますので、ぜひぜひ手に取っていただけると嬉しいです。はい。というわけで、今回はフランケンシュタインのネタバレ回でした。はい。では良い読書体験を。良い読書体験を。
本の虫のすすめでは、皆様のご質問、ご感想をお待ちしています。取り上げてほしいトピックも随時募集中です。ツイッターのDM、または番組説明欄に記載しているメールアドレスにご連絡ください。本の虫のすすめは毎週金曜日17時に配信しています。アフターファイブに読書トークをお楽しみください。
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