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はい、というわけで、昨日の続きです。
セックスロボットと人造肉っていう本の中のですね、
セックスロボットの章ですね、第一章の話なんですけど、
その、著者が女性なのもあってね、
ちょっとこう、そういうわりとね、分かりやすいボンキュッポンみたいなね、
プロポーションしてるみたいなのとかね、足が異様に開くみたいなのを見て、
いやいや、女の人こんなんじゃねーしみたいな感じで、
ちょっと半笑いで若干茶化しながらというか、
開発者の人たちに突っ込んでいったりしてるんですよね。
でですね、結構この問題ってどう考えたもんかなと思った話が中に出てきて、
日本とか中国とか東アジアの方では、
未成年の、子供のセックスロボットじゃないですけど、セックストールですね。
明らかにこれはもう子供でしょっていうののセックストールっていうものがおぞましいことに存在すると。
で、存在していると。
で、それを作っている人の言い分は、これがあるから、
そういう欲望を持った人が犯罪を起こさずに済むんだみたいな、
というような言い分があると。
一方で、その著者の人は、そうなんじゃなくて、
そういう欲望を抱いている原因みたいなことに取り組んだ方がいいんじゃないの、
みたいなことをこの本で言ってるんですよね。
で、結構この人はルポルタージュなんですけど、別にこれは悪いことじゃないんですが、
すごい中立的に出来事を捉えているというよりは、
わりと自分のものの見方、意見みたいなのをバンバン入れてくる方で、
セックスロボット全体に対してはどうかと思うという立場なんですよね。
その中でも、未成年のロボット、セックストールっていうのは本当に危ないものであると。
で、それを持ちたい、そういう欲望の原因にこそ向き合うべきじゃないの、
っていうようなことを言ってるんですよね。
結構その後のバイオニクの章でも同じようなことを言っていて、
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肉を食いたいという欲望にこそコミットするべきなんじゃないか、みたいな。
バイオニクを作ろうとかじゃなくて、肉を食いたいという気持ちこそ、
その原因にこそ行った方がいいんじゃないか、みたいな、
そういうファンダメンタルな考え方をする人なんですけど。
これを見た時に、これはなかなか難しい問題だなと思ったんですよね。
というのは、その欲望の原因こそ解消されるべきだというか、
みたいなことをこの人は言っているんですよね。
セックストールを作るんじゃなくて、みたいな。
なんだけど、それって人のある種の自然な欲求みたいなものですね。
その欲求を持っちゃダメだっていうことではあるんですよね。
もっと言っちゃうと、そういう欲求を持っている人間はいてはダメだっていうことなんですよね。
まあ、居た方がいいか、居ない方がいいかって言ったら、居ない方がいい気はするんですけど、
居るものもしょうがないよなって思うんですよね。
その人が抱いた欲望みたいなものを、どんな恐ろしい欲望でも否定できない気がするんですよね。
そこに被害が発生するんだったら、もちろん否定するというか、それなりの責任だったりとかみたいなことは追うべきなんですけど、
ただその欲望自体を否定するっていうのは、その人の存在理由とかその人の生き方みたいなこととかを否定することで、
どっちかっていうと、だったら確かにそういう道路があって、それで自分の欲求みたいなものをちょっとでも満たせるんだったら、
それがあった方がいいんじゃない?っていうふうには思いましたね。
まあ、すげえ難しい問題だなと思ったんですけど、結構この辺どういうふうに考えるかって人によるだろうなと思ったんですけど。
でですね、それはちょっと話は逸れてるんですが、面白かったのはですね、
この人がいろんな3人くらいかな、いろんなセックスロボットの開発者にインタビューしに行くんですけど、みんな同じことを言うんですよね。
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確かにこれはセックスをするために作られたものであると、作ったものであると、だけどそれが目的じゃないんだと。
そこに商業的な要請があるから、そういうのを作ってくれっていうのがあるからそれをやってるんだけど、
僕らはもっと高尚なものを作っているみたいな、まあそんな感じなんですよね。
でですね、その高尚さっていうのは何かっていうと、人間らしさみたいな。
ちゃんと受け答えしたりとか、ちゃんと自然な表情みたいなことをやって、
その人形が家にいると本当に満たされたような、本当にちゃんと人間がいるような気がする。
それによってその利用者の人がすごく幸せな気持ちになるみたいな。
みたいなことをこそ目指していると。
だから別に今は一番最初は本当それが商業的な理由からセックスというところから始まってるんだけど、
将来的には二足歩行もできるようになって、家事をこなしたりとか、みたいなこととかもできるようにしたいみたいな。
だからそういう本当にパーフェクトヒューマンみたいなのをね、僕らは作ってるんだよみたいな話を割とみんな反韻で押したようにするんですよね。
でですね、それを3人目ぐらいに取材してまた同じ開始があったときに、この人がようやくわかったって言って書いてたことが、
結構、剪立したんですけど、不意に何もかも合点が言ったのだ。
セックスロボットを作っている人たちは、新時代の奴隷を作っているのだ。
もちろん人間の奴隷ではないが、この先いつか、人間とほとんど見分けがつかなくなる奴隷だ。
それがうまくいけば大切に扱う必要がなく、私たちのすべての望みを叶えるためだけに生きて、
人間がやりたがらないあらゆることをしてくれる者との共同生活が当たり前になるだろう。
って言ってるんですよね。
だから確かに、実際にセックスは入り口であって、それだけが目的ではなかったと。
じゃあ究極これ何作ってんのって言ったら、奴隷だったと言ってですね、確かにって思ったんですよね。
でですね、これのビビったポイントっていうのが、もともと古代は奴隷当たり前だったわけですよね。
奴隷当たり前で、奴隷をある種のものとして扱って、売買して、好きなように扱いますっていう感じだったわけですけど、
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次第にですね、奴隷良くないよねみたいな、人権意識みたいなのがですね、
ルソーとかあの辺の流れから芽生えてきて、奴隷ってやっぱり良くないんじゃないのって感じになってきて、
人間との間での奴隷っていうのは犯罪としては今でもありますけど、基本的にはない方向になってたわけですよね。
じゃあ奴隷がない世界っていうのはどういう世界かっていうと、人と人が対等な世界であると。
人と人が対等に接するときに発生するのが、ママならなさであると。
で、なんか上手いこといかないなみたいな、女の子をデートに誘ってもついてきてくれないとかみたいなことももちろん含まれるわけですけど、
そういうママならなさみたいなものが発生したと。
で、そのママならなさ、対等に人と人が向き合うことっていうことが、
今、あらゆる局面で人に求められていることだと思うんですよね。
でですね、それはそういうことを求められて、そういうふうに人が勤めようとする。
人が人と人が対等に向き合うというふうにみんな勤めようとする。
そういう社会というか世界みたいなのって、いい方向に向かっているっていうような感覚が僕の中にはあったんですけど、
このロボットっていうものが、セックスを皮切りにどんどん作られていくっていう中でですね、
それがそのママならなさの中で、ママならなさってやはり問題であり、
その問題を解決するために作られた奴隷だったと。
っていうことがですね、この取材の中でこの女性が気づいたわけですよね。
なんか怖ええなって思って。
もともと奴隷を持っていた。だけどそれが持てなくなった。
で、人と人が対等に向き合わざるを得なくなった。
人と人の間にママならないみたいなものが生まれて、それらをみんな尊重し合うという社会になっていったんだけど、
それは一方で問題でも実は潜在的にあって、その問題を解決するためにそういうロボットが生まれてきたと。
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っていうのでですね、これはなかなかそうかと思ったんですよね。
なんというか、ちょっと自分の中の世界観みたいなのが少し変わるくらい、ちょっとおーってなったんですけど。
なんていうんですかね、怖ええなというかなんというか。
でですね、そんな感じで、ただいろいろね、この本の中でもいろんなそれを問題意識したりする人たちの言葉とかも取り上げられてますけど、
実際それが大きなビジネスにならんとしているっていうことを見てもわかる通り、
そういう流れは止めようと思っても止められないわけですよね。
みんなが欲しているものはどうせ広がっていくっていう部分があると。
で、広がっていったときに、本当にそれこそみんな、究極論すると一家に一台そういうロボットがいますみたいな状態になったときに、
その後に多分追っかけて倫理観が変わっていくと思うんですよね。
今持っている倫理観みたいなものが、今までのテクノロジーに裏打ちされたものであり、
倫理観より早く社会は勝手に変わっていき、そこに勝手にビジネスの芽が生まれて勝手にどんどん世界は変わっていって、
さて、一家に一台みんなセックスロボット持ってんな。この世界での倫理観ってどんなの?みたいな追っかけで倫理観が変わっていくんだと思うんですよね。
っていうのは多分ですけど、今のスーパーのパックで中に入って売られている肉を古代の人が見たとき、狩猟している人が見たときって、すごい倫理的嫌悪感があるはずなんですよね。
どういう感情かは想像つかないですけど、ちょっと倫理的にこれはないなっていう感じだと思うんですよ。なんておぞましいって思うと思うんですよね。
そこが人間が不可逆にヤバい方向に変わっていっているふうにも見えて、でも実は僕らって長い期間ずっとそれまでの倫理観からするとヤバくないっていう方向に社会の変容に合わせて勝手に変わっていってる。
それは止めようがないし、止める必要もないかもしれない。
その状態になった人間が過去の倫理観からするとおぞましかったりとか、人として不完全に見えるかもしれないけど、その時の倫理観からすると別に何ら問題ないですっていうようなことなんだろうなと思ったんですよね。
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っていうような感じで、テクノロジーと社会の変容、世界の変容と倫理観が変わっていくこと、それによって人間の在り方みたいなのが変わっていくことみたいなことが意外と伝わってくるので、これはなかなか面白いなっていうふうに思いました。
というわけで、まだ半分しか読んでないですけど、残り半分も楽しく読もうと思います。
本日はありがとうございました。失礼します。