00:00
生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
今回も始まりました。本の虫のススメ。 渡辺 イェーイ。 なにかいつもと違う声が聞こえる。 渡辺 芝居いじいてたぞ、今のは。
はい、ということで前回に引き続き、千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説になった話、
それからクソったれな俺をマシにするための生活革命を執筆、出版されました齋藤哲長さんにお越しいただきました。
渡辺 はい。 哲長さん、今週もよろしくお願いします。 齋藤 今週もよろしくお願いします。
齋藤 生活革命しながらここにやってまいりました。
哲長さんはね、脱引きこもり中ということで、はるばる来ていただいたわけなんですけれども、なんか前回はね、すごいこう盛り上がってしまって、30分ぐらい語ってる中で、全然この本の主題である生活だとかジェンダーっていうところにたどり着かなかったんですよね。
渡辺 そうなんですよね。英語というか外来語の輸入の仕方とか、私たち自身が多分普段から興味を持っているけど、なかなか深められなかったトピックであるとか、そういったところのお話とか、あとは想定のお話とか、ちょっとまあ、主題にたどり着くまでにもトピックが。
渡辺 そうそう。
なかなかこう、たどり着かなかったんですけど。
渡辺 第一回は序章ね。序章。
序章。そうですそうです。クソ長い序章だったということで。
渡辺 はい。
渡辺 で、今回はじゃあ、何て言うんですかね、主題のところにも踏み込んでいけたらなと思っております。
はい。でですね、でですねって言ってるんですけど、主題の方に踏み込んでないかもしれないんですけど、ちょっと手帳さんに聞いてみたかったことがあって、
これあの、なんだろう、ちょっと内面に踏み込む話なので、もし話したくないとかあったら全然カットしますので、言ってもらえたらと思うんですけど、
なんかその、脱引きこもりをしている中で、なんかこう寂しさとかが生まれてきたっていうことを書いてらっしゃって、最初の方に。
それは大人になる、なってしまったというか、それが悲しさだということを書いてらっしゃったんですけど、なんかその辺をもうちょっと詳しく聞いてみたいなっていう、どういう種類の悲しさなのかっていうことを聞いてみたかったんですけど。
03:06
はいはいはいはい。だから、ある種ずっと引きこもってた時は、まあ本当親か、インターネット越しにルーマニアの人とか、海外の人とかと会って、それくらいで、でもやっぱ肉体というかなんか物理的に存在感を感じられる人は親くらいの。
で、本当に孤独というか、なんかそんな感じだったんですけど、こうね、ちばる出させていただいて、こう、ちばる出させていただいて、社会を自分に、自分を開くっていく中で、まあいろんな人と会って、もう普通に友達ができていったり、
どんどんどんどん知り合い、いろんな風になっていくんですけど、ほら、なんか聞きません?あの、孤独っていうのは、なんか一人で感じるよりも、なんかいろんな人と繋がるからこそ、なんかそういう寂しさを感じるみたいなのを聞きますけど、
俺はちょっとそういうのも、なんか味わったりするというか。で、それの多分一番大きいのは、やっぱここで、クソ俺でも書かせていただいてたんですけど、やっぱり20代を全部かなりずっと一人で過ごして、話す人を親かとか、
そんくらいのやつで話して、で今、なんかそう、ね、なんか、こう、息急ぐようにいろいろな人と会ってますけど、なんかそれはやっぱり、普通に社会開いていく中でコミュニケーションいろいろやっていって、やっていく中で、うわあ、もしかして俺コミュニケーション好きだったんか?
それはネットにしろ、こういうリアルに話すにしろ。そんでさらに、それが極まって、31にして初めての行きつけのバーができるみたいなね。
- 帰ってらっしゃいましたね。 うんうんうんうん、そうそうそうそう。それは楽しいっちゃ楽しいと同時に、うわあ、なんか、でコミュニケーション、行きつけのバーときて、32にして初めて、もしかしたら自分が洋客であるかもしれないという気づきもあったんですよ。
そんな中で、洋客としての最高のときって、なんか20代な、まあ気は、だって体力とかあるし、もうちょっといろいろ挑戦するにいいみたいなのあるし、うわあ、それ全部失っちゃったなあという思いがちょっとだけある。
06:14
- なるほど。 そうそうそう。そんで、でまあまあみんな慰めるために行ってくれるのはわかるんですけど、いやいや20代失っても30代40代これからあるって言ってくれるんですけど、
俺は20代を失ってしまったこと自体がちょっとなんか悲しいんですよみたいな思いがあって、なんか今までいろいろ言ってきたけど、それでも確かに20代を失ったことが寂しいんだよねとか言ってくれたのはほんと1人くらいしかあんまいなくて、
いなくて、やっぱりまあまあみんな20代いろいろやって、なんか満足とかではないがやったはやったなっていう思いがあるんだろうなっていう。なんかそれあってちょいちょいそのね、なんか寂しさ。
やっぱりみんなとは違う人生歩まざるを得なかったんだな俺っていうのを、なんか考えちゃって、そこで寂しくなる時はありますね。- なるほど、私がちょっと一読して感じてた読み方と全然違う意味で、私はなんかもっと軽いって言ったらあれですけど、
やっぱり自分が変わること、それこそ私も自分自分になっちゃうタイプなので、それ自体の寂しさっていうのを勝手に読み取ってたんですけど。
たぶん1回目に乗るでしょうけど、ちばるは生きる、生き様のついての話だった。で今回は生活する、暮らしぶり。だから真逆なんで、そこからそこに行くにあたってはやっぱり成長もあるし、
だから丸くなることだから、何かちょっと捨てるというか、それを置いていく、去るみたいなのもあるわけで。そこもありますよね。そうそうそうそうそうそう。そこもあると同時に、ただより大きかったのはさっき話したような寂しさ。そういうのはありますね。
うーん、なるほど。なんかその、ちばるによって本当に結構人生がかなり変化したわけじゃないですか。やばいくらいね。それでその、正直その引きこもりをしてた時はもう鬱もあったりして、すごい辛い時代だったと思う。
それを抜け出せたってことは、なんか単純に読めば喜びしかないように思えるじゃないですか。なのにそこに悲しみと寂しさが表裏一体だって書いてる。そこの部分をちょっと深く聞いてみたいなと思って、今回ちょっとご質問させてもらったんですけど。なんか今お話を聞いてすごい納得感があるというか、ああそういうことかって。
09:23
あとギリで生き残った。俺生き残ったなあぶねーっていう。だって絶対俺はマジまあ運良かったなっていうのを日々感じるというか、俺みたいに引きこもり脱出できる人はそう感じで。
鬱もある意味ルーマニアで認められたことで、俺はやってきたこと間違ってなかったんだっていう思いを得たことでなんとか鬱がちょっといい感じになったみたいなのもありますし。
だがね、ふと幸せを感じるときにね、後ろにししるいるいがいるっていうのを、俺みたいに運が良くなくて散ってしまったみたいな人もいるんじゃないかってちらつくんですよね。
なんかそれをこう、あの、罪悪感みたいな気持ちがあるっていうことを書いて。ちょっとありますねやっぱり。もちろんその運もあるにせよ、その実力があって、今本書いてこうやってカットが晴れてるのは間違いないと思うんですけど、確かにその実力があっても日の目を見れないっていう人確かに5万人いるわけで。
理想なのは実力なんかそんなになくてもみたいなものでしょう。それもその実力を誓えた元々の罪悪って言うか、力もそうだし、それを育む時間も俺にあったわけでね。
そうそうそうそう。親がね、引きこもらせてある種くれたのね。ありますしね。そこでね、いつもちらつく感はありますね。なんかいろんなものが。
親に対して毒親っていうふうに思ってた時期もあったけど、今は自分が毒子だって思うっていうことを書いてらっしゃって。なんかこう被害者というより加害者でもあるっていうことを書いてらっしゃって。
なんかなかなか、私自身も親に対してすごい恨みを持ってた時期が長かったんですね。もうなんか滅びればいいのに。爆発しろぐらいに思ってた時期が長かったけど、今はそうは思ってないんですけど。
でもなんかそういう毒親って思うほどに、親を憎むところから、毒子というか、毒子っていうのもあるけど、親に対して最後まで感謝をすることができるようになったという場面もあると思うんですけど。
12:09
そういう変換をする、そんなに簡単には言えないかもしれないけど、きっかけとか理由っていうのって、なんかあったりしたんでしょうか。
やっぱ生活やっていくにあたって、やっぱり母親がやってる家事であるとか、様々なことだったり、あと親父がやってる仕事であるとか、美容師とかやってるんですけど。
そういうのを自分でも曲がりなりに、こういう生活革命をやるにあたって。やる中で、やっとこういう立場もあると。きちんと。相手の立場になって考えることがやっと。
あまりにも主観的な感じでしたね。今までは。で、一回それをまるっと受け入れて、もう全部主観でいこう。俺で俺でいこうって言ったのがちばるいなわけで。
で、それを思う存分やったから、それでなんかこう、自分のこともそうだけど、その親のことも第三者に立って、第三者の視点に立って考えられるようになって。でも主観だと本当に、俺を見やがってこんな野郎って反省せえすぎみたいな感じで。
だったんですけど、まあ第三者の位置に立てば、まあ俺の方が親の方の人生結構な感じで破壊してるやろうと、いうことをやっと考えられるようになって。
それの、本当、その歩みですよね。その歩みを少し、ほんまに少しずつ、本当に少しずつ、層分離生物学的卵化ゲーム。
これ面白かった。まだ試してないけど。試した? 試してない、試してない。
ダンベルとかね。 あのゴムのダンベルを買ったんですよね。
そうそうそうそう。 面白い。
で、自分ではまだ勇気なくて、こういう、今言ってたやつをやった上で、転修者さんと相談して、それで出てきたのが、ちゃんと最後はちょっと親のことについて書きましょうっていうことを提案してきて、
それで母親にバースデーカードと両親と番写グッズ、下りができて、
俺はやっぱちょっと、まあ第三者にある程度は立ててたとはいえ、そう面から見据えるっていうのは怖かった中で、
15:10
その感じを、そのきっかけを編集者さんがくれたんで、それで書き上げたのがラス2ですね、ラスト2つのやつでしたね。
シバルの最後の文章で、親に謝罪と感謝は分からないって書いてらっしゃって、でもなんかこっちではバースデーカードを書いて、
手書きでも繋がって、なんか本当に一緒に歩んでるような気持ちに読んでてなりました。
ここは、これは最後に絶対残さなきゃダメだろうっていうのはありましたね。
それはシバル、自分でも振り返って読んでたからこそみたいなところも。
そこで書いたことを、未来の俺が吹き受けて、だからこそ書いたの。この3行ね、この3行ね。
というのがあるんで、そうそうそうそうそうそう。本当今回いろんなことを考えながら書いたな。
伝わってきます。いろいろ本当に、てっちょうさんの迷い歩きというか。
迷い歩きって言葉すごく言えてみようというか。
迷いましたね。2024年の漢字の一文字は迷うです。
でもなんかその迷うっていうのがちゃんと結晶化されてるというか、一つ形になってるのがいいなっていう。
その現在進行形を見せてもらってるというか。
さっきの話にもちょっと関連すると思うんですけど、私自身もすごいあんまり他人に興味を持てないっていうところがあって。
なんて言うんですかね。だから結構その自分は生き物がすごく好きだったりとかもして。
ちょっともしかしたら、また長くなって回を改めたのか。いいねいいね。
まあいいか。いいね。いいと思うよ。
いやそう、ジェンダーの話とかも私自身すごいこう、結構理系研究職って男社会なんですよ。
なのでその嫌な思いっていうのは、たぶんこの年齢の女性の人並みぐらいはしてきたのかなと思うんですけど。
女性だけにそれ以上にもしかしたらね、してるかもしれないよね。
もしかしたらそうかもしれない。なんかいないのが当たり前。
18:05
男のその有害な男性性に、自らをこうフィットさせることができる女性がロールモデルにされるみたいな。
部分はかなりあるなっていうのはすごく感じていて。
なのですごい嫌だなとか思うことはあったんですけど、それがちょっとさっきの生き物が好きでっていうのにつながってくるんですけど、
私にとっては生き物っていうのは結構その逃げ場というか、人間という生き物を相対化するための装置みたいに働くこともあって。
でも人間って不思議だよな。なんで性が2つなんだろうみたいな。
ちょっと、あさっての方向に結構性のことを考えると言っちゃって。
もう2種類っては。
あの、あの卵を作るために。
ああそう。
なんかもう本当に興味がなくなっちゃうんですよ。本当に性のことを考えると。
なんか自分の生きづらさがそこにあるっていうのはわかってるんだけど、大きすぎて目を背けちゃうというか、もっと楽しい方に行ってしまうというか。
だから人間に興味がないっていうのはそういう意味でも本当に興味が全く、たぶん自分が関わると余計怖いっていうのもあって。
どういうふうに深めていっていいのか。
私の中で一番わからない主題がジェンダーだったっていうのがあって。
なんだろう本当にわからないんですよ。
クソ俺を読んだ今もう。
なんだろうどう捉えていいかわからないっていうのが本当に私としては。
考え始めるきっかけになったのかなっていう気はするんですけど。
うまく言えないなうまく言えない。
本当にそのぐらい自分にとってはなんだろう。
たぶんその有害性をある意味浴びることが当然になりすぎてて。
なんかちょっと無駄じゃないけど考えるだけでちょっとしんどい。
なんか最近読んだ上間陽子さんってご存知ですか。
沖縄の。
琉球大学の確か先生をされてて。
10代とかで出産された女性の生活史とかの研究をされてる方なんですけど。
その方がその当事者は言葉を失うじゃないですけれど。
自分が直面した大きなことは言語化できない。
21:04
というかあんまりその向き合うことは難しい場合もあるみたいなことが書かれていて。
私はだからそのちょっと佐藤さんに食い込んでいく話になっちゃうかもしれないけど。
LGBTとかそういう意味での社会からの偏遠化っていうのを受けるわけではない。
ヘテロセクシャルの女性なんだけれど。
たぶん生きていた場所とか家庭環境とかがもうかなり。
一言で言うと有害が満ちていたと思うんだよね。
そこを考えるともうなんかそこにいられない気持ちになるというか。
なんかこう辛い思いに直面しすぎて忌避したいものとして存在しているって感じなのかな。
問題が大きすぎて自分の無力感というか。
なんかすごく考えるのを無意識に避けてきたんだなっていうことを個人的にはすごく感じたりしましたね。
本の内容の以前の話になっちゃうんですけれど。
ありがとうございます。
そういうことを言うこと自体が結構勇気がいることだと思うんですけど。
なんかそういうのを話してくださって光栄というか。
共有してくれてありがとうございます。
てちょーさんはヘテロセクシャルシス男性としての男性学っていうのを見出そうとされてるっていう方向性自体にすごく私は驚いたっていうところが個人的にはありました。
やっぱ誰かがね、なんかやっていかないといけないことなんじゃないかなとちょっと思ってまして。
男性学っていう時も、男性学だからじゃあ全部男性で普遍的なものを目指そうとしてるけど実際はゲイ男性であるとかトランス男性であるとかもっと足したような。
男性の声を聞かないまま自分たちみたいなパス派のシスジェンダーであったりヘテロセクシャルであったり他にも対人性愛みたいな。
だから二次元とかそういう人とは違うものを愛する人だって絶対いますし。
24:05
そういうのもいろいろ排斥しまくった上で学問を進めてってこれが普遍的な男性の学問ですよみたいな。
なんかそういうの違うよなーみたいな。でそれをきちんと批判してくれてたのがここにクソ俺に出てくるシュージアン・アンキラさんっていうトランス男性によるトランスジェンダー男性学書いてる方で。
これを読んでそうだよなこういう男性は男性でもいっぱい多様な実態があるのにそれが男性学とかでも言われてないよな。
だからこそ今はそういうシュージさんのようなトランス男性であるとかクイア男性であるとかそういう人たちが前に立って
普遍的な男性学をやっていってその支援を自分たち多数派男性派は後ろからやっていくっていうことが必要だなということを思い
かつ自分たちの多数派だからこその問題。多数派男性問題みたいな。そういうのを自分たちのこととして全部やっていくっていう学問的なものも重要なんじゃないかなっていう思いがあり
だからこそシスヘテロ男性学多数派男性学っていうものを自分たちがそれは自分たちが前に立ってこそやるべきなんじゃないかっていうのを思いまして
だからもう男性イコール人間みたいなところになってるところへいや自分たちは男性でもっと言えばシスヘテロ多数派男性でっていうところで普遍の逆をきちんといく
そういった上でそういうものを提示するような本を書けたらなんか第一歩くらいにはなるんじゃないかなっていうのがありまして
だからそこが俺にとってはごく個人的な脱引きこもりともっと社会の考える上での男性学多数派男性学そっちにつながっていったからこそこの多数派
だからテーマとして思ってるのは脱引きこもり男性学これが結構自分の中でのテーマでそれをやり遂げた感は一回あるなっていうのはありましたね自分の中では
誰かがやらんと一冊ボンと出すみたいな感じはありましたね
27:05
なんかその小学生ぐらいの時から私はそのLGBT当事者だって自分を認識してたんですけど
サバキさんとはまた全然違う形で私もこうモヤモヤする場面がやっぱり多くあってなんか彼氏いるのって聞かれたり
いや彼氏はいないですけど彼女はいますけどって言えないなとか結婚はとか結婚その方できないんだけどなとか
本当にいろいろそういうのをたくさんこう思春期の頃からずっと経ってきた中で私自身はその無力感とかいい意味でいい意味なのかわからないけど諦めみたいなのがあったんですね自分の中で
なんかもう社会ってどうせ変わんないでしょみたいなそういうもうどうしようもない社会の中で何とか隙間を生きていくしかないよねみたいな
なんかそういう感覚がずっとあってなのでなんかお二人を見てて思うのはすごいこの社会の問題とか課題っていうのをちゃんと自分ごととして
こう前に進めていこうっていうそういうなんか気持ちがあることって本当になんか尊いことだなって思ってなんか
最近だとそのLGBTという言葉が認知されるようになりましたけど10年前15年前ぐらいだと誰もその当事者しか知らないような結構言葉だったので
でもそれをこれだけ知れるようにしてくれたのはそういうそのトランス男性の方もそうだしLGBTQの方もそうだし
活動の方いろんな方が一歩一歩活動して自分にできる範囲のことをやってくれたからそれが実現したんだよなっていうのがあって
なんかそのLGBTとかマイノリティって言われる人の立場からそういうのは見てきたけど
シス男性でヘテロセクシャルっていうマジョリティの立場からもそういうのをやっていこうよっていう
それを改めて聞けてすごく嬉しかった
ありがとうございます
嬉しかったっていう言葉でしか言えないんですけどすごく嬉しかったですね
そういうの聞くとやってよかったなとは思いますね
まだまだでも第一歩だと思うのでこれからも終わらない過程としてね
どこかでやり遂げたとかこれがベストだと思っちゃうとそこで止まっちゃうんで
だからこそ俺はレトリックとしてよりマシなと
よりマシな男性
そういうマシだったらね最もマシって言ってもなんか全然上ありそうやなっていう感じじゃないですか
30:05
だからねそこがね重要でねそこがね
あとねそこで重要なのはねジョジョのね第5部のねアバッキオのね同僚警官ね
どういうあれなんですか
あの真相がつかめなくてもずっと操作していればあのこう
どこかにはたどり着けるんではないかみたいな過程についてね言ってるね下りがあるんですよ
そういうのがね重要で
そうか椿さんジョジョ持ってるんですもんね
全部持ってはいるんです
すごい
本棚のかなりの部分を占めています
5部のリゾット戦の後
リゾット戦の後分かりました
聞いてたら1から読みたくなっちゃうんだよな
そうね間違いないね
いやーなんて話してたら30分がまた
あっという間
あっという間だよ
まだお聞きしたいこといっぱいあるんですけど
椿さん今回も前回ゲストに来ていただいた時と同じく前中後編ということでお願いできますでしょうか
もちろん
ありがとうございます
ありがとうございます
というわけで今週もいろいろと本当に
なんて言うんですかね
深いところまでというと逆に浅く聞こえるかもしれないんですけれども
個人の経験とかに触れるところまでいろいろお話したかなと思います
皆さんも日々の生活の中でやっぱり生活ですし
ジェンダーとかの問題っていうのはいろんな形で
直面したりすることもあるかなと思うので
そういう考えるきっかけ姿勢に刺激を受けたりもするもんです
ぜひぜひクソ俺手に取っていただければと思います
来週も齋藤哲長さんにお越しいただきお送りしたいと思います
それでは皆さん良い読書体験を
良い読書体験を
本の虫のすすめでは皆様のご質問ご感想をお待ちしています
取り上げてほしいトピックも随時募集中です
ツイッターのDMまたは番組説明欄に記載している
メールアドレスにご連絡ください
本の虫のすすめは毎週金曜日17時に配信しています
アフターファイブに読書トークをお楽しみください