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生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と、書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
さあ、今週も始まりました。本の虫のススメ。はい、本の虫のススメ。
なんですけど、今週はなんと豪華2本立て。
はい、今回は通称千葉ルー。千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話。
それからクソったれな俺をマシにするための生活革命を出版されました、済東鉄腸さんのゲスト回とともにネタバレ回をお送りします。
構成としてはまず最初にネタバレ回をやって、それからゲスト回に続けるという形になりますので、楽しみに聞いてください。
そうなんですよ、なんとなんと、済東鉄腸さん、2冊目の5本クソったれな俺をマシにするための生活革命を昨年出版されまして、
それで私たち前著である通称千葉ルーの時から交流させていただいていたご縁もありまして、ゲストにぜひ来てくださるということでお呼びして、
時系列としてはどっちから聞いていただいてもいいかなとは思うんですけど、私たちはもうゲスト回を取り終えた状態で、今感想会をやろうとしているところで、やっぱり2人っきりで喋るのと著者も交えてというのがまたちょっと違うよね、そうっていうところもあるので、ちょっと今回は豪華に本立てでお送りしたいと思います。
なので、もしできたらクソったれな俺をマシにするための生活革命を読んでから聞いていただければ、よりもしかしたら楽しめるかなと思います。
でもまあこれはなんていうの、あれやん、小説のどんでん返しがもう肝やからこれをもう聞いてからだと楽しみ半減みたいなんでは全然ないので、普通にラジオ感覚で聞いていただいても、その後読んでも全然楽しめるものかなと思います。
というわけで、まずそうですね本書の簡単な説明みたいなところから入るのがセオリーかな。
斉藤哲長さんこのラジオを聞いてくださっている方はご存知かもしれないんですけれども、まあその通称ちばるのタイトルにも入っている通りなんですけど、もともとその引きこもりの状態で長くいらして、
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であの大学卒業した後就職せずにそのままこういわゆる引きこもり状態。
そうですねで鬱病もあの経験されてたりっていう。
っていうその通ってルーマニア語の小説家になるとは思えないような道のりを歩んでこられた方で、それがどうしてルーマニア語の小説家っていう
まあすごく変わった人生を歩むことになったのかっていうのを書いたのが、斉藤のいわゆるちばる、千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話に詳しく書かれているわけなんですね。
これは本当になんて言うんでしょうね。もう情熱がほとばしるような本当に打ち上げ花火のような本なんですよね。
でその突破力勢いみたいなのをすごく読書体験として楽しめるし、
多分いろんな方が自分を振り返ってというか、自分に投影して感じるところがある本だったのかなと思うんですけれど、今回はあの今回というか新しいクソったれな俺をマシにするための生活革命は本当にガラッとね。
そうね、なんか内容もやし、文体もちょっと違ってたような気がするし。
うん、軽やかではどっちもあるんやけど、なんやろ、もっとその、うーん、なんて言ったらいいんやろな、難しい。
手帳さんとお話ししてた回でもちょっと話したんですけど、千葉ルーの方は、擬音が多くなっちゃうけど、ガーってこう読んで、
うおおおおおお、そんなんがあるんかっていうふうに読んだけど、クソったれな俺をマシにするための生活革命の方は、何ページか読んでは止まり考え、また何ページか読んでは考え止まりみたいな、
なんか読み方の味わい方も全然違う本だなと思いましたね。
そうそうそうだよね、たぶんだからその書いてる時の手帳さんのその、なんていうんやろ、迷い歩きみたいなもん、一緒にこう歩いてるみたいなところを感じた本でしたね。
で内容としてはタイトルからちょっと想像したのと私は、
そうやんね、イメージ違ったよね。
そうそうそう、違って、二章構成?
そうですね、まあ前編と後編じゃなくて、実践編と、理論編と実践編みたいな感じで分かれてたよね。
で、理論編って何の理論だろうと思ったら、まあ帯文にも書いてるんだけど、
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脱引きこもり中の引きこもり、男らしさを考え直していたら人間として生き直すことになった。
って書いてあって、まさにこういう内容を、どうして脱引きこもりっていう、その前提として、この本を2冊目、このクソったれな俺をマシにするための生活革命を出されるまでの間に、
やっぱりその生活の大きな変化が、手帳さんの周りで起こったんですよね。
っていうのも、千葉流っていうのがかなり売れたというか、評判がすごい良くて、いろんなトークショーとかラジオとかに引っ張りだこっていう状態になって、
で、そうなるとやっぱり家から出ていく、引きこもりっていう状態ではなくなるっていう変化の中で書かれた本っていうのが前提としてあって、
なので、私がすごい印象に残っているのが、当たり前やけど、いろんな人と会う中で、ツイッターとかネット越しじゃなくて、会う中で相手も肉体を持った存在なんだってすごく実感したっていうところがあって、
それすごいなんか私もわかるというか、自分自身がその引きこもりとかそういうことをしたことがあるわけではないんだけれど、
やっぱりその研究とかしてると、何々の研究をしてる人とか、論研の情報とかで先に知ったりとか、噂的なので知ったりとか、
なんかその肉のない情報、合わない状態でその人を想像するみたいのが意外と多くて、会ったらなんかすごい、あんななんか精緻な、繊細なロジックを組み立てる人やけど、
こんなバカみたいにガバガバ飲んで、体格もこんな立派でみたいなのがわかるんだよね。例で言うと。
あ、なるほど。 初めて肉を伴って現れて、あ、でもこういう大胆さがなんかそういう、あれに繋がってるんかなーじゃないけど、勝手にそう後で思い巡らしたりとか、そういう習慣で会ったりとかしたなーとか思い出したりしたんだけど。
なるほどね。全然、あの、これ、この本とは関係ない話なんですけど、あの前の会社にいたときに、本屋さん?本屋さんにいたときに、本部の人とメールでやり取りする機会があって、その方がその女性だったんですけど、
ちょっとステレオタイプなあの、あれをしてたかもしれないんですけど、その文体がすごい切れ味のいい、スパスパスパっていう文章を書いてて、で、お名前も男性っぽい名前、男性とも女性とも取れるような、どっちかというと男性っぽいような名前だったんで、勝手になんか50歳ぐらいのおっちゃんが、なんか気難しい感じのおっちゃんが書いてんのかなと思って、
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実際にお会いしたら、すごい線の細い女性だったっていうことがあって、ちょっとその話を思い出しましたね。なんか先に会う前にこう、想像してるものと違ったという。
なんかでもね、それは確かに大きな、なんていうの、実感だったのかなとか、なんかその私はその、なんやろ、外でずっと働いたりとか、社会活動を余儀なくされてきてって言う方はあれやけど、まあしてきて。
引きこもりじゃなくってこと。
あ、そうそうそうそう。なんやろ、肉に圧倒されてきた気がしてて。肉体に。なんかそれの、なんやろ、逆の面白さっていうのをちょっと感じた。
あー、なるほど。へー。
うまく言えないけど。
情報量多すぎるもんね、実際のリアルの人間っていうか。
そうやね、そうやね。会うだけでも、なんていうの、うまく言えない。え、でもとにかくあの、その肉体がある人たちに囲まれるっていうこと自体にすごく、すごい情報量で、自分にとっては負担だったのかなとかも、思い直したりも。
した。
っていうのでまだ全然本題に入れてない。
なんか、そのタイトルから想像するのは、そのどっちかというとその実践編の話をエッセイ風に色々書いてるのかなって思ってたんですけど。
そうそう、実践編っていうのが、その自分が生活っていうものを、これまですごいないがしろにしてきたっていうのが、その手帳さんの思いとしてあって、で、そこをでも見つめ直すことが、自分がよりこう、なんやろ、マシな人間?わからんけど、言い方が。
あの、になるためにはまあ、必要なことじゃないかっていうところがあって、そのいろんな身近なところのないがしろにされがちなことを、まあ主にその、生活、あとはやっぱ、男性性?っていう切り口で、
なんだろう、踏み込んでいくっていうようなエッセイになってますね。
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手帳さんご自身は、えっと、シス男性だから、その男性の心を持って、男性の体を持っていらっしゃる、男性?
うん。シス男性でヘテロ、だから女性を恋愛対象にしている方ということで、まあマジョリティーに属する男性って言えると思うんですけど、
そのマジョリティーの立場の男性から、そのフェミニズムだとか、クイア理論だとか、そういうことを語ってるっていうのが結構私は新鮮で、なんか当事者、そのクイアというか、そのLGBTQだったりとか、
フェミニズムを言ってる、その女性側の立場からの本とか言葉っていうのをよく耳にしたり目にしたりしてたけど、
やっぱりそれがでも、届いているっていうの自体が、やっぱり結構こう言うと自分の無知を告白することになるけど、
やっぱりその、サトゥーさんと私の大きな、そもそもこの本を読む前に立ってた場所のスタートラインの大きな違いだなっていうのも今回読み終わって、
テッチョウさんとサトゥーさんと話してみてすごく感動したところでは、私は正直あった。私はシス女性の多分ヘテロセクシュアル、それもなんかあんまりその正直帰り見たこともあんまりないので、
だから違和感がずっと扱われることに対して、それによっていろんな男性社会で生きていったっていうのもあるから、スティグマみたいに背負わされたっていうのはあるけど、そのカテゴライズ自体に違和感はなかったっていうことが大きいんだなとか改めて感じたりとか、
本当に処方の処方というかだけど、そこでもああそうかっていう気づきがあったりしましたね。だからやっぱりそれだけ向き合わなくても生きてこれたというか、
だからそれゆえの暴力性みたいなのが自分にもやっぱりあったのかなとかいろいろね、考えたりしたね。
それはその違う側面でも私は持ってたりするかもしれないし、そのセクシュアルマイノリティって意味では当事者性があるけど、違うわからないけど、人種とか文化とか、なんか違うカテゴリーって言うとちょっと浅くなってしまいますけど、
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その分野であれば、自分も何も知らないまま誰かを傷つけたり、なんか暴力的に無意識になっている部分はあるかもしれないじゃないですか。てか多分あると思うので。
そうですね。だからなんかその、もう本当に小学生の低学年とかそれぐらいの頃から、当事者としていろんななんかこう、本当に向き合わざるを得なかったっていうところを経てきて、なんかそっちが自分のスタンダードになっているというか、
セクシュアルマイノリティとしての自分とか、それと社会というか、人と接する時の葛藤とか、それがあってのなんかものだから、身の回りとかその、もちろん友達とかも、だったりもそのセクシュアルマイノリティの人多いし、セクシュアルマイノリティの文化にも、なんか頭の方だけまで使ってるっていう立場にいるからこそ、
その、本当だと別に考えなくても済むっていう立場のペッチョウさんが、なんかそのことについて真剣にこう考えてくれてて、なんか本を出してくれてるっていうのが、なんかありがとうっていう、どの立場やねんって話なんですけど、まあでも当事者としてすごく嬉しいなっていうのは思ったりしたかな。
で、だからそれがその仲いいから、なんか仲いいし、私がそのセクシュアルマイノリティだってことも前から話してるから、なんかこう同じとこにいるような感覚があってんけど、でも当たり前やけど、その立ってる立場っていうのは違うし、
当事者性と非当事者性っていうか、なんかその、なんか全然違う方向からこの本を見てるのが、あの面白いって言ったらあれですけど、なんか興味深いなっていうふうに思いましたね。
だから私はまだちょっと全然読み解けてない部分が多いんだなぁとも思って、なのでその周辺的な読み方がっていうのが、しゅうじあきらさんの本とか、なんかで紹介してくださってたけれど、
この本の中で徹長さんが紹介されている、あのすごく影響を受けた本としてあげてくださってるトランスジェンダーによる、あ、間違えた失礼。
トランス男性によるトランスジェンダー男性学。
しゅうじあきらさんという方が書かれた本らしいんですけれども、それとかも多分そのすごく、私にない視点が満載なんだろう、なんか読んでて感じたりしましたね。
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だから私のジェンダー周りの苦しさっていうのは、やっぱりその、この本の一つの主題でもあると思うんですけど、トキシックマスキュラリティを、有害な男性性って一般的に役立てるらしいんですけど、
それを徹長さんはこの中で違う訳語、男性性っていうのはあってもよくって、だからそれに対して依存的になって中毒になったらいかんよっていうようなことが言われて、それはまさに私もおっしゃる通りやなと思って、全部をなくすっていうのはそういう話じゃないと思うので、
だから男性性中毒っていう訳語を当てようっていうふうにこの本でおっしゃってたので、ちょっと一般的な用語ではないかもしれないけど、男性性中毒っていう言葉を使いたいと思うんですけど、男性性中毒の社会の中での苦しさっていうのでも、いっぱいいっぱいだったっていうのが私はあって、
特に研究ってその余計になんかこう、会社よりももしかしたら男社会かもしれないよね。
特に理系なんて女性は100人とかいるような研究会とか行って、もう本当にでも10人とか数えられるぐらい。そうなると、もう嫌が大にも覚えられるとか。
そうか、女性っていうだけでもなんか珍しいというか。
そう、悪目立ちじゃないけど。
で、あの、偉いおじさんとかやと、それだけで若い女性だけでも、お嬢さんとか、あのメントムかって言ってきたりする人もいるし、裏で言って。
もう何、だから能力で。見ようとしない。みたいなことがめちゃくちゃあったり、当然尺がさせられたり。
またね、あの、私が言ってる時代とは、今すごくあの、すごく社会の変化、このあたり早い時代だから、だいぶ私が学生の頃とかとね、変わってきてるとは思うけど。
で、少ない女性やと、その学会で受付とかがあるんやけど、受付業務は女の子だよね、みたいな暗黙の何かがあったり。
だから、なんて言うの、そういう部分での、すごい極端な二分法の中で、まあマイノリティだったっていうのがあって、そこで自分は手一杯だったなってすごい思ったりして。
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で、確かにでもその中で男性も苦しんでいたんだろうなとか、いろいろ。
その時はやっぱり、男やったら楽やったやろうなとか、すごいよく思ったりしたけど、
でも果たしてそうだったかなっていう当たり前のことを考え直したりするきっかけになりましたね。
トランスジェンダーの、トランスジェンダー女性なので、まあ心が女性で体が男性として生まれた方が、
タレントさんかながおっしゃってて、ああと思ったのが、その方が、男性社会でバリバリその、なんていうのかな、金融系にいて、仕事が金融系にいて、
男性としてスーツ着てバリバリ働いてきて、で今は女性の格好で活動されてるんですけど、
その会社に、金融の会社にいた時は、その男性っていう、自分は女性性持ってるけど、その男性というスーツを着て働くことで、
その男性っていう立場によって、その当時自分より能力がある女性よりも昇進が早かったりとか、
そういうその男性という立場を利用したっていう、どこかしらの罪悪感があるっていうことをおっしゃってたことがあって。
だからそう男性っていう一応で私も、個人としてもちろん親しい方とか、誰かが悪いとかそういう話じゃないんだけど、
やっぱりその大きな組織とかになった時にどうしても男性そのものに対する諦めみたいなのが、うらやましさがあったんだなぁと思ったりしましたね。
いろんな立場の方に読んでほしい本だなぁと思いましたね。
本当に本当にその考えたことないよっていう方にも読んでほしい。もちろん読んでほしいし、同事者、いわゆるLGBTQの方もやっぱりそのさっき達さんが言ってくれたみたいに、
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そういうのを考えんでもまあ、そんなに不自由なく生きていける立場の人が真剣に取り組んでくださってるっていうのは、すごい光を感じることじゃないかなと思うので。
セクシュアルマイノリティーの立場からこの本を見て思うのはその、そうだな、例えばそのこの本の中にMTFだからトランスジェンダー女性で、恋愛対象が女性の方なので、難しいんですけど。
ねじれてるからその。
そうやんね、なんか、そういうことに感度が低い人やと、え、女になりたいんだったら男が好きでしょっていう風に。
そうそうそう、そういうものしかあまり触れることがないやんか、芸能人とかテレビとかでは。でもそういう人がいたりもするしっていうのが書かれていたり、ちらっと触れられてたりするんやけど。
なんかそういう、例えばその、私の友達でもそのMTF、トランスジェンダー女性の方でレズビアンっていう人はいらっしゃるっていうかいるんだけど、その人も中でもなんていうのかな、そのMTXっていう言葉があるんですけど。
その、そう、あの、Xっていうのはまあどっちでもないっていう感じかな。どっちでもあったりどっちでもなかったり、ちょっと人によってもしかしたら捉え方が違うかもしれないんですけど。
その、必ずしも女性として完全に性別を変えたり体を変えたりすることを望む人ばかりじゃなくて、手術はしないけどホルモン治療というかホルモン投与はするっていう方もいるし、ホルモンも体も一切何も変えないまま女性的な格好をするっていう人もいるし、
その、面からその無性とか性別がないっていう状態を希望する人もいるし。
アセクシャルっていうやつとはまた違う。
アセクシャル、ちょっと私もねその辺ほんまになんかこう正確にもの言えないので。
でも言葉の定義をそんな厳密にするというよりもあれなのかなと思うけど。
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なんかでもあの、くそったれな俺をマシにするための生活革命でもそのアセクシャル、その性的な要求を恋愛感情を覚えない。
それはアロマンティックって言うね。難しいよね。
アセクシャルは性的要求を持たない人って言われると思う。
とはまた別に、Xっていうのは性別がないとかなんかそういう感じかな。
自分を男性とも女性とも思わないとかっていう感じかな。
男性と性自認してるけれど恋愛感情を持たないとか。
性的要求を持たないとかとはまた別。
また別ですね。難しい。
でMTXっていう風に言ってる人でも、すごいなんかこういわゆるピンクとかフリフリの服がすごい好きっていう人もいれば、
中性的な格好だったり、むしろ男性的な格好も好きっていう人もいるし。
だから本当にね、それこそ文章とか本とかテレビとか一部の情報で見るだけでは全然見られないものがそれぞれ違ってあるので、
そういう意味でもそのマイノリティの中のマイノリティみたいなところをこの本で取り上げてくれたのはすごい個人的に嬉しかったですね。
確かに。
なんか私もファトゥーさんとか、あとあのLGBTQの友人とかがいるから身近には感じているというか、
まあ実際身近、誰にとっても身近なことだと思うんだけれど、公表せずに、でも同じ会社には多分いると思うし、
会社じゃなくてもお店で返却してくれる人とか。
だけどやっぱりそういう、じゃあどういう困難に直面するとか、どういう、例えば、うまく言えないな。
うまく言えないよ。
まあうまく言えないことがあってもいいのではなかろうかと思うけどね。
そうだね、そうだねとか言って。
当事者の、身近に当事者はいるけど、その当事者であるっていうことと身近に当事者がいるっていうことってまた違うのかなっていう。
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うん、全く違う。
感じは。
いろいろすごく考えさせられる本って言うとすっごい軽い感じになっちゃうんですけど。
でも本当に改めて自分が考えてたことも、考えてこなかったことも直面せざるをえない、いい意味でですけど。
いやでもね、軽いんですよ。軽快なんですよ本当に。
そうよね、かきぶりがね。
だからそのいろいろ私たちが読んで感想でうーんってなってるけれど、読んだら逆に驚くかもしれないですね。
軽い、軽く読める文章で。
あ、そうやね。内容は深いねんけど、読み口は軽い。
すごいよね、それは本当に雪鳥さんのすごいところだね。
実践編の方では結構本当になんかちょっとクスッと笑えちゃうような話とかも出てきたりして。
でも考えさせられたりもして。
男性の手洗いの消便器がこう、むき出しでパーテーションも何もなくて、
隣の人の極部が丸見えやんみたいなことって、なんか自分を大事にしてないことじゃないかっていうのことが書かれてたんですけど、
そんなことって、あんまり目にする機会が私はなかったから、考えたこともなくて、
ああ確かにそうかって。
でもそういう切り口で考え直していくってすごい大事やんねと思ってさ、
またちょっと画面水になるんやけどさ、
研究者とかもやっぱり滅死してなんぼみたいなところが。
滅死防護の滅死。
死を滅して、埋身すべしみたいなのがあって、
それ自体はなんかしたきゃすればいいと思うんだけど、
でも、人間としての生活の部分をおろそかにしてこそ、
一人前じゃないけど、そういうふうな思想がちょっと、最近減ってるとは思うけど、あったりして、
結構私もこれよって思ったりしたんやけど、感じたのが、
例えば、研究所に併設されてる宿舎とかってあるんやけど、
特にその田舎だったりするとホテルもあんまり周りにないし、みたいな。
そういうとこって、大抵古いのもあると思うけど、なんか不潔だったりするんだよね。
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そういうのってでもなんか、ちょっと小便器に近い問題をはらんでる気がして、
研究に来てる。
埋身する。
寝るだけ。
これでいい、みたいな。
そんなことない。
やっぱ、しんどいやん。
すごい本当に、自分を、体とか生活の部分を見つめ直していくっていうことの延長で、
デンダーっていうのが、手帳さんも出てきたかなと思うけど、
全部繋がってる問題なのかもなとか、読んでて思ったりとかしましたね。
なので自分もやっぱり、自責っていうんですかね。
こんなんもできてないのに、こんな贅沢する価値が自分にあるんだろうかじゃないけどさ。
で、庁さん、クローン病っていう難病を持ってらして、それですごい焦ってしまったときに、
でも自分に対してやっぱりその病院に行く価値なんてこんな引きこもりがないんじゃないか、
みたいに葛藤されたみたいなことも書かれてるんだけど、
そういうのってやっぱり多分、そこまでじゃなくてみんなある程度多分あって、
そのあたりの解きほぐしていくヒントにもなるような話っていうのもたくさんあったかなと思ったりしましたね。
というところで今回は、
ちばるとふそったれな俺をマシにするための生活革命の2冊を書かれた斉藤てっちゃん。
てっちゃん。
てっちゃん。いいやん。
可愛くなっちゃった。
いいやん。
てっちゃんさんごめんなさい。
肝心なところ。
意外と。
てっちゃんですよ。
おっしゃってくれるかもね。
すみません。斉藤てっちゃんさんですね。申し訳ないです。
斉藤てっちゃんさんの5本をネタバレというか感想回としてお送りしました。
これからは斉藤てっちゃんさんとのゲスト回をお送りしますので、そちらも楽しみに聞いていただければと思います。
ではみなさん、よい読書体験を。
よい読書体験を。
はい、今週も始まりました。本の虫のすすめ。
本の虫のすすめ。
なんですけれども、
はい。
今回は、
なんと、
100回も迎え、
はい。
スペシャルな回としたいと思っています。
やったー。
なんと今回、3回目のゲスト回をお送りします。
わー。
ゲストにお送りするのは、もはや純礼牛?
とも言われるほど、この番組で署名が出てる方です。
はい。
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千葉ルーコと千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話を執筆された斉藤てっちゃんさんです。
ようこそー。
ありがとうございます。
斉藤てっちゃんと申すものです。ルーマニアばか改め、脱引きこもり野郎です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
斉藤てっちゃんさんに来ていただいたのはですね、他でもない、今回で言っても一番の売りシーズンをちょっともしかしたら逃してしまうかもしれないんですけれども。
全然ええの、ええの。
ありがとうございます。
昨年12月10日にクソったれな俺をマシにするための生活革命という第2作目の方も出版されて、そのお話をお伺いしたいと思ってゲストに来ていただきました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
毎月出演した時点で2作目出したら行きますよって言って。
来ました。
来ていただいてありがとうございます。
本当にそれが実現してすごい感慨深い。
感慨深いですね。
前回は私たちが千葉ルーの執筆の舞台にもなった日系コルトンプラザにおじゃまして、そのスタバで。
そうですね、その中のスタバで。
させていただいたんですけれども、今回は逆に私たちの普段収録している、ちょっと変わった環境。
そうね。
変なシェアオフィスがあって、変なシェアオフィスで収録をさせていただいて。
謎のね。
というわけで、てっちょうさん、クソ俺ですよ、クソ俺。
はい。
かけはめましたよ。
毎月出演した時の裏側ではずっと書いてましたが。
1年半近くはかけて、やっとさせていただいた2冊目。
だって千葉ルーのそれこそゲスト出演していただいた時に、倉庫をかき上げるまで確かに2週間、3週間くらい。
3週間っておっしゃってましたね。
千葉ルーはそうっすね、3週間。
っておっしゃってて、それで今回1年半っていう、なんていうんですかね。
そうそうそうそう。かけた時間がね。
これ第1部、第2部に分かれてるんですけど。
第1部完成させ、第2部やってる時に第1部の遂行みたいなのをして。
で、第2部やりなね。
で、第2部の途中までいったら第2部の最初は遂行して、その後半書くみたいな感じで書き継いでいったんで。
だから今回はほんと第1行がもはや第2行のいろいろやるのになってて。
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ほんと1年以上、真逆ですね。
千葉ルーはほんと3週間で第1行終わらせて、逆に第2行で9ヶ月とかかけて。
こっちは逆で、第1行が超時間かかった。
もうでも第1行と言いつつ、振り返って直しつつだからもう境目がなんかないような感じですね。
千葉ルーの本の書影と全然また雰囲気が違って。
これ私お聞きしたかったんですけど、スミヤ・ハルヤさん。
ルーマニア文学者の偉大な方っていう、千葉ルーの方でも紹介されてたと思うんですけど。
その方のルーマニアルーマニアっていうご本が、オレンジっぽい黄色と。
言われてみればそうですね。
そこは意識されてたわけじゃないですね。
意識しちゃうわけじゃないです。
これはもうデザイナーさん完全お任せ。
絵もお任せ。
まず編集さんが写真とか自画像的にした方がいいと思うんですけど、という感じで行ってきて。
それで自画像になり、それでイラストレーターさん連れてきて。
俺が映画やってるから。
映画のポスターとかDVDジャケットをやってるっていうデザイナーさん。
デザインしてくれて。
その二人に行ったのは、まずイラストレーターの人は、
オレが映画好きって多分編集者さんが紹介してくれて、
オレの紹介のよろしくお願いしますみたいなメッセージをくれた時に、
自分も映画好きで、ニコラス・ウィンディング・レフンっていうデンマークの監督がいるんですけど。
その人が好きですって言ってきたんで、
オレも好きです、その中でもブロンソンっていう作品があるんですよ。
その代わりにイギリスの俳優の人が髪全剃りして、
それで自分をチャールズ・ブロンソンっていう俳優だって言いまくってる謎のおっさんが刑務所とかにいるんですけど、
その刑務所巡り、地獄巡りみたいな。
その人の野性的な力、そういうものを発揮させたいような絵を描いてくださいと言い、
デザイナーの方にはその人、B級映画とかSFとかそういう方向性のものを研究というかやってたりして、
VHSの映画、変態映画のビデオジャケット、ヤバいのいっぱい来てたじゃないですか。
鮮血悪夢の卒業式、変態殺人鬼鉄の爪野郎とか。
タイトルがいいな。
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ヤバそうな、いい意味でヤバそうな。
そのビデオジャケットを集めて解説したっていう本も著者として出してて、
俺のデザインしてもらう時に、そういうビデオジャケットみたいな野蛮な美が宿ってるデザインをしてくださいと。
後書きに少し触れられてますよね。
なんか読んだんですけど、そんなストーリーが詰まっていたとは。
そしたらドンとこれは来た。
皆さんもググってご確認ください。パワーがあります。
千葉ルーのパワーと全然違うパワーなんですよね。
千葉ルーの拍子はもうこのクソ俺の主題の一つかなと思うんですけど、
もっと生きる、自分の自己愛に尖っていく感じがすごく表現されてる拍子だなって感じたんですけど、
自己愛を美学にまで引き上げたようなイメージにぴったりだなと思ったんですけど、
一方でクソ俺はなんて言うんですかね、もっと生活って多分クソ俺の中での一つのテーマだと思うんですけど、
自分を外に開いていくじゃないですけど、他の人間がいる中での自分みたいな、
なんかそういうエネルギーをすごい感じましたね。
しかも俺自身ですしね。
確かに確かに。
ちゃんと心も再現。
鼻の左かな。
左にほくろが手帳さんであるんですけど、表紙でもちゃんと結構似てる気がしますね、この絵は。
表紙の黄色と赤がルーマニアで、ルーマニアの国旗の一部の黄色と赤っていうのを表紙に使ってたんだけど、
それをもしかしてデザイナーさんが組み立ててくださったのかもしれないななんて思って、それ見てましたね。
口にも手帳さんが手を挙げてる絵が描いてるんですけど、それが青と黄色じゃないですか。
でルーマニアの国旗の中に青が入ってるので、もしかしてそういうルーマニアの。
ルーマニアの国旗の中に青が入ってるので、もしかしてそういうルーマニアの国旗の中に青が入ってるので、もしかしてそういうルーマニアの国旗の中に青が入ってるので、
反映されたのかななんてなんとなくちょっと思ったりしましたね。
口のやつはね、キュビズムですよね。
いろんな角度の遠近感とかそういうものじゃない感じの。
そうですね、なんか足の裏のスニーカーの裏みたいなのが見えてて、でも体がこう立ってる絵が同時に描いてて。
人間の体の骨格的にはこうはならないんだけど、でもなんかこうやってくれてることですごいなんか手帳さんらしさがすごい見える感じがして。
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歩いていくぞっていう感じもするしね、足が大きくって。
なんかすごいこの本を拝読してて、千葉ルート全然また変化があったっていう本なんだなってすごい思ったんですよ。
最初の方で脱引きこもりっていう言葉を書いてらっしゃいますけど、
なんかそのすごい印象的だったのが、アルコールの依存症の方の回復とちょっと似てて、
引きこもりを脱するっていうのが終わることがないというか、ずっとその脱引きこもりをやるんだみたいなことを書いてて。
そうですね、個人的にもそんな感じで。
正直もうみんなには、引きこもりじゃないって言われるんですけど、自分ももう引きこもりとは言えないなと思いながらも、やっぱ本当に。
それでもやっぱり精神疾患とかそういうものがやっぱり一生ものとして付き合っていかなきゃいけないところがあり、
だからそう自分からあんまりもっと引きこもりとは言えずに、だからずっとこの脱引きこもりを続けていく感じで、
多分これは終わりがないんじゃないのかなみたいなのはやっぱちょっとあって、だからこそ続けていく。
今は逆に部屋にずっといると、もしかしたらこのままずっとまた引きこもっちゃうんじゃないかみたいな、ちょっと恐怖があり、
だからちょっと体調崩して、ちょっと風邪ひいてみたいな感じで、ずっと1日部屋のベッドで寝転がってYouTube見てるみたいな時が1日とかあったりしたんですけど、
ふと俺このまま大丈夫なのかって、めっちゃ怖くなるんですよね、むしろ逆に。
それでもうだから翌日にはもう普通に近くのこれ分取れないって書いたりみたいなのがあって、
だから今は本当自分から引きこもってもいいんじゃないかっていうのと、とはいえなんか引きこもってたらそのままズルズル行っちゃいそうで怖いなっていうのを狭間にいる感じ。
たぶんなんかそのこの本でもその主題がまたジェンダーというか男らしさっていうところになっていくんですけど、それもやっぱり中央っていうかそこを目指すことの大事さっていうのがすごいあると思うんですけど、
ちょっとなんか通ずるところがあるというか、やっぱりその脱引きこもりに関しても、じゃあ家にいるのが悪になっちゃうのかっていうのも、
なんかやっぱりちょうどいいところっていうのは多分だからみんなこうなんとなくこうしたらいいんですよって特効薬があるといいなってなんとなく思いがちですけど、
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多分それはなくて常にその探っていく試み、エッセイっていうところなのかななんて、今のお話をお伺いしながら。
生活はやっぱ中央の方がいいよな。だから一作目ちばるーではやっぱりこう芸術に生きる、なんかより精神的な方向性をやって、そういうのだとむしろ尖った方がいいという感覚は自分がやってきた道を見ると思うんですけど、
逆に生活はそれと一緒に尖るのはやばくて、多分中央でいろいろなものをきちんとバランスとりながらやっていくっていうことが重要なんじゃないかっていうのは書きながら思って。
だから本当この本でもそれちょいちょい言ってるんですけど、やっぱり一冊目のちばるーは生きることについての生き様を描いていたっていう感覚があり、
二冊目は生活する、だから暮らしぶりについての本だなっていうのがあって、なんか不思議ですよね。なんかこれは正直ちばるーは今までの人生30年間やってきて、そっから一歩踏み出した1年半くらいのが二冊目になって、
だからある種直接の続編、完全に直接の続編みたいになっているところはあるんですけど、描いているものと方向性は結構真逆というか、表裏一体コインの表裏みたいな感じのやつで、
だからある種どっちだけでももちろん完全ですけど、なんか二つ合わせてもやはり完全なところがあって、この二冊は並べて読んでくれたら、なんかよりなるんじゃないかみたいな思いはありますね。
その自己肯定観と自尊心、生きることと生活っていうのを並べて論じられてたのがすごく印象深くて、
なんか自己肯定観と自尊心っていうのの定義が面白いなと思ったんですけど、自己愛っていうものが自尊心と自己肯定観の2つに分けられて、自尊心を表すと、自分もしくは今何かをやっている自分をかっけえと思える力で、
自尊心の方は、自分もしくは今何かをやっている自分についてこういうのも悪くないと思える力が自己肯定観っていうふうにおっしゃってるんですよね。
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だから自己肯定観が低いのが、生活を今まで避けてきたっていうところにあるんだっていうことを書いてらっしゃって、生活と自己肯定観っていうのを今まで全然結びつけてなかったので、
そういう視点があるんだなっていうことをちょっと発見したんですよね。
けっこう私もさとぅさんもですけど、あんまりやっぱり生きることにたぶん重点を置いてるっていう、たぶん人間で、なので生活がそんなにやっぱり私たちも、
得意じゃない、正直。
ずっと食い取るよ。
なので余計に、何ですかね、見るっててっちょうさんが訳してくれて、私はそれはけっこう本当に膝を打つ思いだったんですけど、
ケアっていうのは確かに、私もすごい大事っていう言葉だと軽いんですけど、キーワードだなとは常々思っていて、
っていうのもやっぱり、自分自身にもちろん対してもだし、周りの人に対しても地域の人とか、気にかけていくこと自体がすごく大事だなと思ってて、
それをたぶんカタカナでケアって簡単に、本当に使いやすいからケア連呼みたいになっちゃうんですけど、
それに対して私自身も仕事とかで、けっこう医学系のものを作ったりとかするっていうのもあって、よく見る言葉だけど常に違和感があったものでもあるので、
本当にそれを漢語の漢で丁寧に見ていくというか、見るっていう風に、漢語の漢にルーで見るっていう風に訳したらいいんじゃないかっていう風に提案してくださってて、
それはすごく私としてもすっきりするというか、いい言葉だなと思いました。
ここはずっと思ってましたね。みんなケア、ケア、ケア、ケア、横文字で言い過ぎだろうと。
もはやビジネス用語みたいになってるんじゃないか。
そうなんですよね。止まっちゃうんですよね、思考がそこで。
最初はそれはいいんですよ。だってその言語だったりその文化に存在してない概念を取り入れるんだったら、最初はないんだから。
そのままとりあえず取り込んで、それでいかに根付かせるかっていうのを考えていく。時間をかけてやっていけばいいみたいな。
でもケアなんて多分十何年くらいもう、多分そうですよね。
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もっとだと思いますよ。
これ言い出したキャロル・ギリガンとかも、俺は思うのはやっぱり女性のケアみたいなのが重要で、かつそれ普通の日常の中でやってることをきちんとがもっと大事になるように学術的なところにも、
あえてその平易なケアっていう言葉を使っておいて、概念としようとしたと思うんですよ。
もともとその英語というか言語で。
ケアって普通に俺たちですら中1、中2レベルで学ぶ英単語じゃないですか。簡単な英単語じゃないですか。
それにあえてこれを見直せるっていうのには多分いろいろ重要だったんだろうなっていうのはあるんで。
それでそういう日常の用語を使って、使っていく中で服装的な意味をどんどんどんどんやろうとしていこうみたいな風にやったんですけど、
多分ちょっと遅れたからか、もう服装的になってきてる頃に日本を持ってきて、
もう服装的すぎるので日本語にはそれに合う訳語はありません。だからケアって使いますみたいな。
だからなっちゃった気もするし、そのキャロル・ギリガンのケアっていうのを教えた本が新訳で1、2年前くらいに出たんですけど、
それももう服装的すぎるからケアってそのまま使いますと。
書いてましたね。
そうそうそうそう。本当それでいいのかっていう感じだったからこそ。
で、そういうこと言うんだったら会議より始めようという、僕にもある通り自分からやれということで、
それでじゃあ何するかっつった時に、この見る看護する。
これはまあそこまで頻繁に使われるわけじゃないですけど、まあまあちょいちょい見るし、
この看護の看護も見るってやるのは多分普通に小学校中学校とかでも習うんじゃないかって思ってたんで、
で、それを1回使ってみて、それを、で、こっから自分たちのこの見るという言葉にも、
そういうケアが持つような服装的な意味を使っていくことによって自分たちから宿していくっていうことをやっていくべきなんじゃないかみたいなのを思って、
で、それでまあそれを言うんだったら俺が提示しなきゃ始まらないだろうということで、1つ提案させてもらった感じがあり。
で、もう1つ重要だったのは、これ見るじゃないですか。
俺、動詞で訳してるじゃないですか。
英語のいいところって、名詞とか名詞と動詞同時に一語で示せるみたいな。
ケアそうだし、あと例えばファンクションとか、あれ機能と、っていう名詞と機能するって名詞、動詞が同時に同じ語でいけるみたいなのがあって、
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多分ケアとかも、どっちかっていうとなんか動詞の方向性で訳したんじゃない、動詞の方向性で載せたんじゃないかなみたいな。
ケアっていうことは固まった名詞的なものじゃなくて、常に状況として動いてるというか、自分から訴えかけていくみたいなのがあって、
その2つのどっちも宿せるからこそ、さらにケアって言葉使ったんじゃないのかなって思う中で、
日本語はするとかつけないと動詞化できないみたいなのがあるじゃないですか。
だから名詞と動詞同じ言葉で表現することもできないみたいな。
その中で、俺としてはケアは動詞として自分から働きかけるみたいな方向性の方が重要だからこそ、
動詞として訳した方がいいんじゃないかっていうことで見るって。
訳した覚えとかもちょっとありますね。
名詞って意味では、セルフケアを漢語の漢に己って書いて漢語っていう風に訳されてて、
だからそういう風に、るを取って漢っていう漢字にすることで名詞化するみたいなこともやってらっしゃったかなって。
漢語もそうだし、あとエッセイを試みって訳されてましたよね。
あれもケアもそうですけど、斉藤さんにその本を読むまで、結構自分も外来語をそのまま外来語で受け入れちゃってたなって思って。
結構思考停止してしまってたなって。
エッセイとか別にエッセイだよみたいになっちゃって。
言うて、俺もここでセルフネグレット使って、あんまり訳してないし。
いや、難しいと思います。一人の書き手として。
やっぱり通じなければいけないっていうところと、翻訳とか言葉を使うものの責任というかの部分って、
折り合いをやっぱりつけないと、何も独りよがりなものになってしまっても良くないかなと思うので。
パラパラめくるだけでバーカウンター、メニュー、ニュースサイトっぽいね。ショッピングモールみたいね。
でもそれをいちいち全部定義し直してると、それだけで本になってしまうじゃん。
違う本になっちゃう。
そう、違う本になってしまう。
言語学者誰かやってくれ。
そうなんですね。難しいところだけど、エッセイとかカンコだとか。
格になる部分の言葉に関して、言葉を扱う人間として真摯に向き合うっていうところが。
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俺はね、試みの漢字は、エッセイも訳したんだから、エッセイストもちゃんと訳すかって思った時に出たのは、試み手。
見ない手の手ですね。
そうそう。歌い手とか。
確かに俺はタブレット、タブレットだったらこうやって手使って書いたりしてるんで、やっぱり俺手は重要なんで、そこの意味でもエッセイストを試み手と訳すかと。
いい言葉。
エッセイスト改め試み手、斉藤哲長よろしくお願いいたします。
なるほど、試み手。手っていうのがまたなんかその、見る、ケアにもつながる概念というか、だし。
温かい感じがしますしね。
試み人っていう人って今、私はちょっと言いましたけど、見ない手とか試み手って言った方が、なんかこう直接手渡すとか、手渡しとかいう言葉もあるよね。
ハンドメイド、また外来語使っちゃう。
難しいな。
肉体のどこかの部分とか、身近なものってやっぱり言語を越えて似たイメージを内包してたりするよね。
結構手出ますしね、この本。手。
手洗いやら。
白アスパラガスの。
ご自身の腕のこととかをね、手とか腕のことを白アスパラガスみたいだっていうふうに書いてらっしゃるんですけども。
白アスパラガスでーす。
全然そんな感じもしない。
美しい。
綺麗な手ですよね。
白アスパラガスってなんかフランス語とかではいい手の、いい指の。
白ウォみたいな日本語なんですかね。
バッシー。
って言うんですか。
バッシー。
そうなんですね。
なるほど。
なんていうことを話してたらですね、本の主題に全然たどり着けてないので。
大丈夫か。
手帳さん、次回もですね、ゲストに来ていただいてもよろしいでしょうか。
もちろんですよ。
わー。
やった。
ありがとうございます。
というわけでこの生活苦手トリオで次週もお送りしたいと思いますので、また皆さん良い読書体験を。
良い読書体験を。
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