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生物学者と書店員のインターネットラジオ 本の虫のすすめ
本を偏愛する生物学者の椿と書店員の佐藤が 本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします
いや早速第2回お送りしているわけなんですけれどもね、椿さん。何か大きな違いがあるんですが 分かりませんか?
私たちそう良いマイクを買いました。おめでとう!
あの実は、実はっていうことでもないんですけど。聞いていただいたらすぐに分かる。 いや分かるんですけどね。第1回ちょっとカフェで撮らせていただいたんで。
いやあのこれあの今あのテイク2なんですよね。 そうそうそうそうなんですよね。テイク1を撮ってみたんですけど
なんかまあそれもそれでいいんですけど、すごいねこの2冊のお気に入りの本を紹介しようということでやったんやけど。
40分撮ったよね。 あー結構ね。すごい長尺で。そうそうそうやったんやけど。ちょっとね固かったね。
そうなんよね。そうそうそう。内容はね、悪くなかったなと思うけど。結構面白いと思うんですけど。
もうなんか緩く行こうっていうラジオやったのにね。 あれよね、真面目やからね。なんだかんだ私たちね。
私たち真面目やん。 本当に本当に。それは次回も込めて緩くやろうっていう。間違いない間違いない。
真面目やけど緩いものが欲しいね。 やっぱなんかね、ハードルが高いって思われるじゃないですか読書って。
そうやね。なんかそれと一緒で、なんか読書する人もなんかちょっと硬い人みたいな印象ってやっぱちょっとあったりするじゃないですか。
なんかね、それが読書人口を少なくしてるっていうか。 真面目やな。
でもそうやんか。だからなんかね、 真面目に言ってもなんか
真面目ですけど、なんていうの?その固く固くになって良いことってあんまりないかなっていう。 いかに緩くするかを真面目にしようっていう。
私、あとそのあれなんですね。このラジオをどういうシチュエーションで聞いてもらいたいかなみたいな話をしてたんですけど、
やっぱりちょっとその、一人でこうなんですかね、夜にご飯食べた後とかに人の声が欲しいなとか、
なんかちょっとねりばなになんとなく人の話し声聞きたいなみたいな、それぐらいのさ、なんかテンションでゆるっと聞けるような、ちょっと心がホッとするような、そんなラジオがあったらいいよねって話で始めてたんで。
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なんかこの本日の2冊みたいな。 ちょっと違ったな。
それもやりながらでわかったことなので、やって良かった。 そうやね、そうやね。
Take 1の固いやつも、それはそれで公開しても面白いかなとは思うんだけど。 まあそうね。
結構本当に言われていることではあるけど、小説の入りの一文ってすごくなんかその、やっぱ印象づけるすごい強い一文じゃないですか。
で、一番その印象的あった一文っていう意味で、その今日ママンが死んだっていう。
そうそう、ママンが死んで、確かその後に太陽が暑かったから人を殺したみたいな2文目が入った覚えがあるんだけど、なんかその違法人って、そこが主じゃないんよね、その物語の展開の。
だけどそのなんかこの最初の一文があまりにも、私にとっては強烈すぎて、逆にそのストーリーよりこっちの方がなんか鮮明に残ってる。
でもなんか全然覚えてない。もうそれこそ25年、25年過ぎやな、20年ぐらい前に読んだから。
あのー、伊豆の踊り子やね。トンネルを抜けるとそこは雪だっただけ。
違った?あれ?それ伊豆の踊り子だっけ?違った?キャバタヤスナリじゃない?違う?ちょっと待って。
誰やったっけなぁ、トンネルを抜けるとそこは雪国だったかな?
やっぱりそう、雪国だよ、それ。
そうか、雪国、雪国やから、雪国やのに伊豆の踊り子やってちょっとあったかいよね。
帰ってるよね、どこかに。トンネル抜けて帰宅してるよね。
帰宅してるよね。すいません、カバタヤスナリの雪国ですね。あれはでも確かにすごい印象的よね。
もうあのやっぱりその名文のその始めの一文というので絶対出てくる一文だと思うんですけどね。
なんかそのストーリー正直もうちょっと忘れてしまってるんですけど、だってタイトル間違えるぐらいだからさ。
だけどそのやっぱりずっと残るその小説を始める一文ってあるよね。
人間失格がそれを言うと私はすごい印象に残ってるな。恥の多い生涯を送ってきました。
あれは内容と乖離がないよね。それもまた印象を強めてるんかもしれんね。
人間失格っていうその結構センセーショナルなその。
それで書き出しが恥の多い人生やから。それは中高生の心を捉えて話さないよね。
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大人の心を捉えてからもう話さない。
あれは多分結構読む年代によって感じ方違うんちゃうかな。
感じ方っていうか没入がなんか今初めて読んだらあのたかんな時ほど没入できるかって言われるとどうかなってちょっと思ったりはする。
なんかもうちょっと人生に逃げ道があるってわかってるやん。
わからないやん中高生の頃って。
だってその学校と家とかがほとんど全ての世界になってるからね。
なんか高校を卒業しないとかさ、そんなのなんかあかんみたいな脅迫観念みたいなのあったやんかあの頃はやっぱり。
なんかそのあれよね。
それしかないっていうか。
この学校を例えばその登校できないとか学校を途中でその辞めるとかっていうそういう選択肢をしたらもうなんか人生積むぐらいな結構シビアな思い込みというかまあそれしかないって思う。
それしか世界がなかったからってことだと思うんだよね。
だからその状態でね、読むのと今なんか別にこの仕事ダメでも仕事世界中にいろいろあるしって思ってる私が読むのとは違うよなとはきっと思う。
特にそういうなんか感じ方の違いがよく出るような小説だよね。
コマと時にどうしたらいいかっていうことを考えられるとかその方法を知ってるとかっていう上で、あれやな人間失格を見ても。
そうそう。
なんかまあ大変やなみたいな。
そりゃ感じ方は人それぞれやけどもみたいなさ。
切実さっていうものはね、少し失われてるかもしれないね。
そうそうそうそうそういう気はする。
だからなんか、子供の時から国語力を育むみたいなさ文脈で本読めとか言われること多いけどそうじゃなくてさ、その時しか多分感じれないことってめちゃめちゃたくさんあるから。
まあ後でそれでわーなんか今読んだ全然違うって将来思ったりしたら楽しいよね。
そうそうだからやっぱり本って時間を置いて2回3回って読むと味わいが変わるなんか良さがあるよね。
あるじゃないですか。サトゥーさんが事業所で一家語ある話じゃないですか。
そんなそんな偉い言葉は何もないんですけど。
でもねそういうことやんね。事業所のやっぱいいところっていうのは。
そうそうそう。結構あの私やっぱり書店員になるぐらい本が好きになったっていうその現体験は、母が本当に幼い頃に本をすごい読み聞かせをよくしてくれてたんですよね。
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でその、小学1、2年になって自分で本を読める子供やったら、その能動的にその本っていうものを楽しむと思うんですけど、
その未就学のお子さんの時やったら、お母さんとかお父さんとかね大人の膝の上に乗ったりして。
あーそうよね。
そうでなんかそのコミュニケーションしたりスキーシップ取りながらその体験として。
あーそうやね。
思い出としてその本を読むというようなことがあると思うんで、
そこでその、え、なんか本っておもろいなとか、なんか読んでる人によって全然なんかこう同じ物語でも違うように感じるとか、
一人で読むのとお母さんに読んでもらうのとで全然なんか楽しさ違うなとか、味わい方が違うなみたいなのね。
それで言うと私もあの紙芝居ってあるじゃない。
なんか図書館の読み聞かせっていうか、その紙芝居みたいなのやってくれたときに確かお母さんと同じのを読んでくれたことがあって。
めっちゃ上手でさ、もう芯に迫ってて、擬音とかが。
なんやったかは覚えてないんやけど、それですごい全然ほんと違うものを見たなと。
なんか子供心に全然違うって思ったのはなんか覚えてる。
結構そういう小さい頃に、まずその文章を読解するみたいな、前の橋渡しみたいなところの経験が良い経験がもしあったら、
その今度ってすごいギフトになるなっていうのはすごい思うんですよね。
ちっちゃい頃読むその音のなんか遊び、言葉遊びみたいな体験とか、あと絵の一つ一つを楽しむみたいなところとか、
からなんか大人になってくるとまたちょっと深みがこうなりましたりする。
あのね、ちいさいももちゃんっていうさ、あの本知ってる?
いや知らん。
ももちゃんとあかねちゃんの本っていうようなシリーズが。
ちいさいももちゃんっていうのが一番最初に出てて、すごい古い、1964年に出てる本なんですよ。
なんで、60年前ぐらいか。
そうね。
かなり古い本なんですけど、今でも自動書のコーナーに現役で浮いてるようなロングセラーの本なんですよね。
で、それでね、何が言いたかったかというと、
ちっちゃい保育園だったかな、うちぐらいの女の子のももちゃんが、いろんな空想の中で遊んだりとか、そういう人と出会ったりして、成長したりとか、そういう話だけど。
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小さい頃ね、読んだ時は、ももちゃんに感情移入をして、一緒にももちゃんと遊んでるみたいな、楽しみ方もしてたんやけど、
自動書担当になった時に懐かしくて、もう一回読み直してんけどさ、なんか今読むと、結構複雑な家庭なんですよね、ももちゃんが。
えっとね、その旦那さんと別れてんのやったから、そのお母さんがね、ももちゃんの、なんかでシングルマザーなんですよ、設定が。
- あ、そうなんだ。その時代でなかなか珍しいよね。最近やったらね、まだね。
- 今やったら全然普通にそんなのあるけど、60年代の日本で、シングルマザーで、だから物語の中にお母さんが仕事をするから、ももちゃんを保育園に預けるっていう設定なよね。
- それはね、その時代に考えたらレアやんね。
- レアやんね。だから実はそのももちゃんとお母さんが置かれてる境遇っていうのは、その60年代のその当時にしてはかなり結構実はシビアなものだったりもするんやけど、そういうことを大人になって読むと、その上でそのお母さんがももちゃんに接してる接し方とか、ももちゃんが感じてることとかを、読むともうなんか、頑張れももちゃんみたいな。
- そういうその、やっぱり、ももちゃんに感情移入するところか、お母さんに感情移入したりさ。
- あーそうやろうね。そうやるね。
- 大変やな仕事をみたいな、お皿を抱えてなみたいな。
- そうそう、大変やなみたいな、そういうその読み方ができるっていうのが面白いですよね。
- 大人の本でももちろんその、何回読んでも違った見方っていうのはできるんですけど、子供の本は特にね。
- そうやんね。だって大人の本ってさ、やっぱり中学生以上とかじゃないと読めないから、そもそも。
そこから先のやっぱね印象の変遷しかないけど、自動書って本当に自分がちっちゃい頃に読んでて、で中学生でも読むかもしれんし、それこそ子供ができてまた読み直すかもしれんし。
- そのあたりの、むしろいろんな人のストーリーって聞きたいね。
- いや本当にね、そう思うそう思う。結構面白いと思うよな。
- いや絶対面白いよね。
- なんかちょっと続けてであれなんですけど、もう一個その捉え方が変わった本っていうので、
- ハックルベリー・フィンの冒険っていう、トム・ソーヤの冒険の続きで書かれた冒険物があるんですけど、
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- マーク・トゥエインか。
- そうそうそう。なんですけど、この本ってさ、読んだことある?ハックルベリーって。
- いやないと思う私。
- なんかまあこのタイトル通りさ、このやんちゃっていうか独立心が旺盛なハックルベリー・フィンっていう男の子が、
- 家から飛び出して、なんかイカダに乗ったりして、黒人の奴隷の人と一緒に冒険というか旅をするっていう、そういう話じゃないけど、
- ちっちゃい頃さ、読んでた時は、なんかワクワクする冒険団みたいな風に捉えて読んでてんけど、大人になってから読み返すと、
- 実はそのハックルベリー・フィンって、結構なんかすごい状況に置かれてて、なんでね、ハックルベリー・フィンが家を飛び出したかというと、お父さんと暮らしてんねんけど、そのお父さんがめっちゃダメ親父で、確かなんか叫びたりみたいな感じで暴力を振るみたいな、DVや。
- そうやね。重いね。
- だからその語り口とか、そのストーリー性で、そんな思いを全く感じさせないんだけど、よくよく振り返ってみると、しかもね、そのDV親父、DVって言うのかな、子供でもね。
- DVよ、DV。
- 言うか、そう、そのなんかDV親父に監禁みたいにされるんですよ。
- 結構ヘビーやね。
- そうやろ。なんかね、すごいちっちゃいアバラヤみたいな小屋に縛られて、確か縛られて放置されるんだよね。
だからそういう状況から逃れるために、ハックル・ベリー・フィンは、豚だったかな、なんか豚かなんかを殺して、その血をその小屋とかなんかにばらまいて、ハックル・ベリー・フィンが誰かに殺されたっていうふうに見せかけて、自分は逃れるっていう。
- あ、開けてもらってというか、外から。
- どうやったかな、なんか確か自力で出たんだったと思うけど、隠蔽工作、逃げたんじゃないみたいな、診断やみたいな偽装工作をしてるんですよね。
- 黒人奴隷の青年と一緒に逃げるんやけど、頼もしいお兄ちゃんみたいに当時は思っててんけど、黒人の青年をね。
- だけど、当時奴隷制のもとで黒人の方が逃げるっていうことは、所有権が人権がなくて、所有物として考えられてるから、殺されたり何にされても文句言えない。見つかったらもう死ぬみたいな。
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- だからさ、すごいさ、考えると、人権の問題であるとか、家庭内の環境の問題であるとか、そういうシリアスな状況に置かれてる二人が、どういうふうに自由とか、自分の人生っていうのを獲得していくかみたいな。
- なるほどね、確かに全然違った形というか意味で立ち現れてくるね、そうなると。
- だから本当に、児童章を大人になってから読んでほしいなって。
- 確かにね、読んだものを採読するっていうのは特にそうだね。
- そうそうそうそう、捉え方が変わるので。
- なので、子供の本やからって言って、内容が薄いってことは全くない。
- それは絶対ないね、本当に。
- 本当に、イラスト一つ撮ってもね、本当に大人の本以上に練られてるっていうか、
デフォルメとは簡単に言っても、特に私、一応科学系の人間なので、科学系の本とかでも、やっぱりデフォルメはもちろんするはするけど、
譲れないポイントっていうのを、全部ではもちろんないと思うけど、ちゃんとね、監修したりとかして、
子供に見せるものだから良いものっていう意識は多分、どの作り手にも児童章はあるよね、多分。
- そういうのをやっぱり、大人が見ても、やっぱりとてもクオリティが高いというか、良いものだと思うし、
それこそ前、のりくんに教えてもらって、それまで私知らなかったんだけど、加古佐土さんの海とか本当に、
あれは別に子供だけじゃなくてね、本当に楽しめるようなものだと思うし。
クイーン館書店から出てる、海っていう作品なんですけど、加古佐土さんって結構、
科学を子供に対して、いかに分かりやすく伝えるかとか、食育っていうものをどう楽しく子供たちに伝えるかみたいなことを、
すごい本当に、昔からやってらした、今はそれは一般的になってるけど、
50年代とか60年代からそういうことをやってる方なんですよね。
加古佐土さんのその海もものすごい描写が細かくて、大人が見ても結構見ごたえがすごいあるものですよね。
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- なんか知らないことが多分載ってると思います。
- 全然そうだと思う。
- 相当なんか、詳しい人でも、私も結構、自分で言うのもあれですけど、多分相当詳しい方なんですけど、全然知らないこともたくさん載ってるので、
本当に、やっぱりでもそういうのって、子供の本だからって言ってやっぱりね、届かなかったりするので、
大人がそれこそちょっと入門書みたいなのを探してる時に、やっぱり児童書って選択肢に入らなかったりするんですけど、
そういう使い方って言ったらちょっと言い方悪いかもしれないですけど、そういうような活用の仕方もあると本当に思うし、
単純に楽しいっていうのももちろんあるし、児童書ってね、本当大人に読んでほしいし、私も佐都に言われるまであんまりそういう意識ってなかったんだけど。
- そうやね、なんかこう、子供の本から卒業して大人になるみたいな。
- そういうのじゃないよね。
- そうそうそう、思ったりしがって、てか私もそう思ってた時期もあるんですけどね。
そんなことないし、私その書店員をやる前に図書館で働いてたんですけど、
- あ、そうだった。
- 図書館師匠っていうその資格を取って、そういう仕事に就いたんですよね。
その師匠の資格を取っている時に、調べ物をする方から、こういう本を探してるんですけど、みたいな依頼を受けた時に、
レファレンスっていう業務があるのね、調べ物っていう。
それを学んでた時に、やっぱりその師匠の教科書にも、まずはその児童書の図鑑とか絵本とかを当たれっていうようなことが書かれてたりするよね。
- やっぱりどれだけ知識がない人でも、誰が読んでも分かりやすく、しかも性格性が高い。
大人の本って、すごくバリエーション、バラエティーが豊かなのの、裏返しで、結構その質?
- 玉石根高っていうかね。
なんか質の高いものもあれば、そうでもないものもあるよね。
- その中には、性格じゃない情報っていうものが書かれてるものもあるんですよね。
それをその性格かどうかっていうのを知らない人が判断するのって、すごく難しいっていうことから考えたら、
子供の本は、子供が読むから、正確にせなっていうので。
- そうだよね。大人の良心が発揮されるから。
- そういう意味で、やっぱりちゃんと練られた本が多いっていうのは特色かなと思うんですよね。
- なので皆さんも、私も含めて、児童書を児童書と子供のものだからというふうに侮ったら、結構損してるので。
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- 結構ね、単純に面白いので読んでほしい。
- 本当に本当に。じゃあ今回はこんな感じで、結論とか出さないけど、児童書を読んでください。
- 結局いつも結論は、本はいいよっていう。
おもろいでっていう話ですね。
- そんな感じで、では今回はこのぐらいで、何だろう、終わり?
- 終わりたいと思います。
- ではまた、皆さんも良い読書体験を。
- 良い読書体験を。