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  2. #36 社会性と個性のバランスの..
2025-02-19 31:55

#36 社会性と個性のバランスの取り方を考えてみる

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。


今回のテーマは「社会性と個性のバランス」について。

小学校入学に向けて必要な“社会性”を育てる重要性と、一人ひとりの“個性”を伸ばす面白さ。

この両立をどう考えるか?をきっかけに、

・日本の国語教育は感想の“すり合わせ”になりがち?

・互いに迷惑をかけ、かけられることは本当にダメなの?

・子どもたちが本来持っているパワフルな個性を大切にするには?

など、自由に語り合いました。


「保育園だからこそできること」「子どもたちが本来持つ個性を伸ばすには?」といった視点も交えながら、最終的には「保育ってすごい!」で着地する、にぎやかなトークをお楽しみください。


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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、環境が子どもに与える影響について考えられています。特に、保育園の環境や人との関わり方が個性の形成に与える重要性が議論されています。また、社会性と個性のバランスをどう取るかについての展望も示されています。社会性と個性のバランスについての考察が行われており、精神的な病気の理解や子どもの個性・キャラクターの重要性、保育者の役割が話題にされています。さらに、幼少期の経験が人生に与える影響についても考察されており、保育士や保育園看護師の専門性の重要性が強調されています。

環境の影響を探る
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
合同会社黒船の河津です。
本日は、セントスキッソはちょっと海外出張中ということで、お休みでございます。
というわけで、僕たち高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
特にこのチャンネルでは、現役の保育園看護師である僕、チロ先生が日々考えている保育や保険の情報を中心に、
保育士さん、保育園看護師さん、あるいは小さいお子さんを育ての保護者の方なんかに向けて発信できたら良いなぁと思って続けているラジオでございます。
今日は僕がまたちょっとチロ先生と話したいなということを持ってきてまして、
先に言うと、環境が与える影響みたいなものがどれぐらいでかいのかみたいなのをちょっと話したいなと思ってます。
環境が与える影響がどれぐらい大きいか。
はい、環境というものがどういうものかも含めていろいろ話したいなというところなんですけどね。
すごい、どうしてそれを話したいと思ったんですか?
それも冒頭に話そうと思ってたんですが、先にちょっと言ってしまおうかな。
すごい、じゃあもう先に言っちゃいましょう。
言っちゃいちゃい。
言っちゃいましょうか。
はい。
よろしくお願いします。
はい。
じゃあちょっと予告通りに、なんでそれを持ったかという話を先にするんですが、
軽く補足していくと、僕自身は全く保育システムとか保育業界で働く人間では全くない、
どちらかというとITのベンチャー企業で働いてますみたいな人なんですけど、
全く違う業種ですね。
そうですね。
で、いろんなインフルエンサーの方のYouTubeを見たり、逆に最近YouTubeを撮ったりみたいなことも、
チロ先生のも含めですけどね、やってるんですけど、
いろんなお話を聞いていると、とある企業家の方、ビジネス系インフルエンサーと呼ばれる企業とかスタートアップとかに詳しいような方が話してたんですけど、
その方40歳ぐらいで、
40歳。
その方自身は一応会社員というか、企業に勤めながらではあるもののスタートアップに話すことが多かったり働くことが多いという方で、
その方といわく企業家とかスタートアップで働くような人と、
自分の学生時代の同級生とか全然違うみたいな話をしていて、
例えばベンチャーの社長さんとかに新しい企画をこれやりませんか?みたいなことを言うと、
結構もうノールックでというか、もう二つ返事でやりますっていう人が多いと。
一方でその40歳ぐらいの、当時学生時代同級生だった人たちに、
その人たちも40ぐらいになったけど、ビジネスとしてのキャリアは結構あるからさ。
管理職人とかになったりするとかで結構経験はあるはずなんだけど、
そういう人にやろうよみたいなの言っても、誰もやってくれる人はいないと基本的に。
やるよって。
悩む人がいると。
検討する。
悩む。
考えるって言って、そこからやってくれた人は一人もいないんだよねみたいな話をしていて。
へー、そうなんだ。
これってその人の能力というところが大きいというよりは、
正直僕はこう、環境というかどういう場にいるかの方が大きいんじゃないかなという気がしていて。
うんうんうん。
で、これってその、僕の友人で今起業してますとか、
今日ね、セントスキスも一応自分で会社を立ち上げてっていうのって、
僕とチロス先生は一応やったことない側の人間だから、
そうですね。
それで生きていけんのかって不安が勝つじゃないですか。
確かに。
でもやってみると意外と平気なんだよねってみんな言うんだよね。
あー、なんか聞きますね。
そうそうそうそう。
これって結構その、実は能力差よりどこの環境でどう生きるかの方が、
その人間の、やれるやれないの認知への影響ってでかいんじゃないかなっていう気がしていて。
うーん。
って思ったときにこの感覚って、
いやもちろん大人になってもあんだろうけど、
はいはいはい。
子供の頃とかの方が影響値でかいとかないのかなと。
あー。
なるほどね。
すごい極論で言っちゃうけど、
超高級、お習い事だらけの高級な保育施設ですみたいなところと、
うんうんうん。
効率のそのバチャバチャっとしていろんな人がいる、
はいはい。
なんというか、保育園ですみたいなところとで、
何か変わるみたいなことが起きるのかどうかとか、
うんうんうん。
どのあたりの家ってそういう環境違って影響度が大きいんだろうなーっていうのがちょっと気になったなーという話でした。
なるほど。
非常に興味深く、そしていろんな本来専門家がいるであろう分野がある。
そうだね、専門的なことを言うと難しいだろうけどね。
なんかアカデミックにきっと語れるところがたくさんあるんだろうなーっていう気がするけど、
確かにね、その環境、自分がいる環境だったり、時代とかも含めてね、
そうそうそうそう。
個性と社会性の関係
いろいろあるでしょうけど、
どの切り口から行こうかっていうところですが、
あくまで保育園看護師の僕、
はいはい。
チェロ先生として、保育園で働く人間として思う環境が人にあたる影響っていうところで言うと、
そもそもその環境で何なんだっていうところから言うと、
人であったり、物であったり、物理的な空間であったり、
それこそさっき言ったような時代だったりとか。
地とかもあるよね。
逆に中か外かとか。
そうそうそう。
自然豊かか、それともビルの中の一角なのかとか。
なんか、要は自分の、自分というこの体の外にあるものは、
内的環境も含めてあると、本当自分も含めてだけど、
すべてじゃないですか。
そうだね。
だから、環境が与える影響って、環境をどれに絞るかでまず、
きっと専門家がやいのやいの言うだろうなって。
でもさっきのビジネスパーソンの話を聞く限り、
自分が働いている企業だったり、分野だったり、
やっぱその働き方みたいなことを思うと、
やっぱり一緒にいる人間というか。
そうだね。
普段働いている人の、なんというか、
属性と言うとちょっとあれだけど、
どんなタイプの人で、どんな仕事をしているのかっていうところが、
なんとなく大きいのかなって気はするけど。
でもそれで言うと、なんというか、
保育園、入院時期って、
もうそれこそそういう大人になった後、
どういう自分として生きていくかの、
本当土台も土台を培っていくとても大切な、
心身ともに大切な時期だと思っているんですらしい。
そういうふうに、いろんな書籍でももう言われていると思うんだけど。
その中で思うことというのは、
やっぱり一番大きいのは人なんだろうなと思っています。
個人的には。
なんというか、どれだけ自然豊かな場所で育ったほうが、
そこで一緒に関わる人が無機質なタイプの、
全然自然とかに造形もなく、
なんというか興味もなく、人に興味がないような人が、
しかも周りにいなくて育つ子どもと、
例えばビル群の中で育ったとしたって、
いろんな自然のことを知っていて、
ちょっとしたことでも気づいてシェアしてくれて、
人と人との関わりを大切にしてくれる大人の中で育った子どもだったら、
おそらく後者のほうが自然というものを大得してというか、
自分の中にちゃんとあるものとして育っていくんじゃないかな、
という感覚がなんとなくあるんです。
それを思うと、やっぱり置かれた場所というか、
どうしたって子どもたちは自分の場所を選べない、
親の都合というか、
言い方悪いけどね、都合という。
どうしたってそれは、
自分で動いてどうにかできるものじゃないけど、
でも、いち保育者としては、
僕はいろんな子どもと関わる中で、
良い大人でいようというよりは、
なような人間の中の、
いち看護師、いち保育者として、
オリジナリティを持って関わりたいなというのは、
なるほどね。
そこが良い影響を与えられたら、
良い影響を与えるというか、
どうしたって、
マイナスにもプラスにも影響を与えるんだと思うんだけど、
少しでもその子の人生の何か糧になれば良いな、
という気持ちではいるんですよね。
保育の目的と未来
そうだよね。
今からちょっと言葉を捕まえちゃうようだけど、
後郎先生の中では良い影響と一回言ってしまった。
良いというわけではないみたいな話もあったけど、
何が良いかっていう話も当然あるよね。
はい、そうそうそう、そうなんだよ。
でも、
おそらく保育の目的みたいなものに立ち返るとさ、
僕もちょっと後郎先生に教えてもらって、
本とかをちょっと読んだ限り、
すごくざっくり言ってしまうと、
社会の一歩目をみんな踏み出すための土台を作る、
みたいな形じゃないですか、保育が目指すもの。
社会生活を行う一歩目を。
みたいなものが保育としてはあるけど、
それが良いんだっけとか、
良い悪いか、それだけで良いんだっけとかもあるよね。
なんか、色々ね、
それこそ時代が変わって、
子供にも人権がちゃんとあるんだっていうのが
分かって、
そうなっていくと逆算的に、
より良い大人、より良い社会を作っていく位置、
国民として必要なものは、みたいな。
ある種そういう計算があった上で、
保育指針とかだってできたのかな。
それだけじゃないんだけど、
そういう意図だってあってもおかしくないじゃないですか。
じゃないと国力としては、
どうだっていかないわけだし。
そういう意図があることは全然、
むしろ健全だと思うんだけど、
種としてね、人間という種として。
なんかでも、僕もどっちかというと、
川尻と同じような感じで、
なんか、社会性がなんぼのもんじゃいっていう気も、
ちょっと分かるというか、
必要だしね、大切だし、
それを学んでいく期間だということも
徐々に承知しているんだけど、
なんか、ある種強烈な個があるのであれば、
なんか、俺はこれを極めたいみたいな気持ちがね、
その個の中にあるのであれば、
なんか、そっちを伸ばしてあげたいなってちょっと思っちゃう。
まあ、なんていうか、それがね、どうしたって今は、
イヤレグレーだとか、発達障害だとか、
いろんな方向で認知されるようになって、
名前がついたがゆえに数も増えているとは思うんだけど、
なんか、正直なことグレー、いわゆるグレーと言われる、
その信頼はつかないけれど、
そういった社会性に例えばちょっと課題があるとか、
そんなような子どもは今も昔にたくさんいると思うんですよ。
そうだね。
変な話、自分だってグレーだと思えばグレーな気がするし、
あの、千としきその彼女が、
なんていうか、我々高校時代を共にした仲間たちの半分ぐらいはグレーで、
グレーだと言われればなんか頷けるぐらいな人も周りにたくさんいるし、
むしろ全くグレーじゃない綺麗に育ってる子の方が、
なんかこの子、将来どっかで急にグレーたりとかしないかなみたいな、
精神の多様性
ちょっとその、そわそわしちゃったりも思っちゃうし。
あの、昔知り合いが、友人が、
お父さんが精神科の先生、お医者さんだっていう方でいらっしゃったんですけど、
その人が、そのお父さんから聞いた話だと、やっぱりこう、
精神科医から言わせると、病気、精神的な病気、病気って、
パキッと分かれるものじゃないので、
そうだね。
もう、みんな大なり脳炭があるだけで、大なり小なりその症状はあるっていう、
そうなんだ。
なんて考えか、それらしいね。
その通り。
特に精神科はそれがわかりやすい。
わかりやすいというか、そういうスタンスが基本だなと思うね。
そうだね、それが。
形障害とかも一緒だね。
社会の活動に支障を来すよねと決めざるを得なかったがゆえに、
ボーダーラインというものを引いたけど、
このボーダーラインが社会によって定義するっていうのはむちゃくちゃあるよね。
今現状こういった経済含め、世界の実情含め、
こういった社会の中で求められる社会性っていうのがたまたまこうであって、
そこにたまたまマッチした人が上手に働いたら、ある程度お金を稼げて、
でも変な話で新しいことをやろうって言われたら、
いやちょっと考えるねっていう、それが社会の正解だからそれをやってるけど、
ある種新規事業とかをする人たちの方がそういったところにもどんどんやってみて、
変な話、好奇心と衝動性みたいなもんじゃないですか。
そうだね。
捉え方を変えればね。
衝動が強すぎて抑えられてないって言えるわけだからね。
だからある意味そういう、これは全部人間の本質的なところであり、
人の能力がそこそこで活かされるべきものでもあると思うんだけど、
子どもと社会性の関係
なんかちょっといろんな方向行っちゃったけど、
結局子どもたちにも大人と同じようにそういうキャラクターというか個性みたいなものは最初からやっぱりあって、
赤ちゃんの時からやっぱりあって、
ただそこにそういったことをいろいろ考えた上で、
お子さんのキャラクターを認めながらでも、
もちろん必要なところで社会性は学んでいく、培っていく関わりを意識的にできる保育者なのか、
それとも、さあ、小学校に行くぞ、さあ、みんな座るぞ、さあ、せざして話を聞くんだ、
みたいなバリバリにやっていくタイプの人と、
っていう人的環境の差っていうのが、
もしかしたら小学校という場面においては、
そのバリバリやってくれた人の方が、もしかしたら、
その場にはいれるのかもしれないし、成績もしかしたら上がるのかもしれないけど、
将来的にその子がじゃあ人悪に帰った時に、
そこにすごく窮屈さを感じて急に学校行けなくなりましたとか、
逆に自由気ままに自分を認めてもらって、
座ってられなくたって別に認めてくれたっていう、
そのプテがある子の方が、
ゆっくりで終わるかもしれないけど、
大人になってバーンと花開くかもしれないし、
なんかそういう、何というか、いろんな可能性を秘めている子どもたちとの関わりだから、
僕と働いている保育園という場所は、
なんかこう、難しいよね、
あんまり短期的なそういった、何かができるとか、
成績を取るみたいなところを歌っている活動みたいなものにはちょっと懐疑的。
なるほどね。
増えてるっていうね、そういう保育園の方が売れるというか、
いろんなカリキュラムがあって、体操やります、英語やります、
音楽やります、親の代わりに、
習い事を連れて行きますとかって、全然あるのよ。
だし、需要もあるのもわかる。忙しい友達だらけの家庭からして、
子どもにやらせてあげたくて、
でも自分たちにはなかなか時間が取れないから、
遠生活で行ってくれたら、それはありがたいみたいな。
なんかそのスキームはすごく理解できるんだけど、
子育ての難しさ
なんか、今、この時期に本当に大切なことって、
どこなんだろうなっていうのが常々思っちゃう。
なんか、大事だよ、確かに。
そういう習い事をしたりとかね、いろいろ。
英語を最初から喋れた方が、もしかしたら、
上手に喋れるようになるのかもしれないけど。
英語とかプログラミングとか、よく言うよね、体操とかプールとか、
いくらでもあるよ。
それらを頑張ってやってる人たちを否定するものでは全くないけど、
でも、そこに重きを置いて乳幼児期を過ごすよりは、
今一緒に、笑い合える乳幼児期を一緒に過ごしていたいなって、
個人的には思っちゃう。
素敵だね。
なんかすごい、自分は割と楽観的だから、
そうやって過ごしたことによって、
将来この子はそれこそ英語を喋りたいとか、
あれこれやりたいってなった時に、
そこにチャレンジしていけるだけの、
気持ちというか心、そのゆとりみたいなものの種を、
今頑張って植えて、頑張って水あげて、
まだまだ、それが花開くまでは、
よほど時間がかかるし、
本当にそれがね、最後までいけるかわかんないけど、
乳幼児期なんて、ほんと種まいて、一回種まいて、
何でもいいからとにかくまいて、水あげて、
一緒に太陽浴びて、ぐらいでいいんだと思ってるんですよね。
なるほどね。
それが最終的には、環境が与える影響っていうところで、
どうなっていくのかっていうのが、
やっぱデータも取れないしね。
そうしたからこれだったっていう。
それだけじゃないから。
要素がね、複合的すぎるからね。
でも、良い保育者でありたいなとは思うな。
今、千尋先生が言ってくれた、
種をまく、植える、仕込むみたいなものをさ、
多分千尋なりには、
どっちかっていうと、
共に時間を過ごす的な意味合いなのかなと捉えたんだけど、
一方でたくさん習い事をさせるというのもあるしさ。
そうだね。
それはそれでね、どれかがハマるかもしれない。
意外とこう、自分が何やりたいかとか思わない子っていうのが、
いるかもしれない。
やってみたら意外とハマるみたいなこともあるかもねみたいなのも、
あるわけだよね。
そうなのよ。
なんか、
そう、親のエゴじゃなくね。
子供がやりたいって言って、
それを惜しみなくお金払ってやらせてあげる、
っていうスタンスだったら、全然いいと思う。
し、もう子供が実は割と消極的だから、
ここは親が引っ張っていくところと思って、
いろんなところ連れ出して、
いっぱいやらしてあげるっていうことが、
実はその子のちゃんと肩になる、
っていうケースだってもちろんあると思うから、
だから難しいんだよね。
一概にこうって言えないっていうのが、
まあ、保育の難しいところで、
全てがケースバイケースで、
全てがその子の、
なんていうか、
その子なりの、
みたいなところがあるから。
だから親は悩むし、
子育ての悩みが永遠に消えないのは、
みんなそういうことだよね、きっと。
自分の子に置き換えると、
ああでもない、こうでもないって言いながら、
気づいたら大きくなっていっちゃうっていうのが、
子育ての難しいところなんだろうな、
自分がやってて思うけど。
これ難しいのがさ、
まあ、僕はたぶんさっきさえ言ってると、
今、別に子供がいるわけでもない、
意味なんですけど、
自分自身の認知としてはさ、正直その、
保育園での経験が今に来てるとか、
小学校の頃の習い事が今に来てるとかっていう、
実感は少なくとも全くないわけなんですよ。
だからその、
それを裏返すと、
じゃあ何しようがどうでもいいんじゃね?
とか思っちゃうわけですね。
自分だけの主観だけで言えば。
どんなことしようが、だよって思っちゃうんですよね。
俺の中でこれは凄い、凄くこう、
孤独というか、
綺麗に言うとだけど、
ある意味、
記憶にも残らないぐらい、
覚えてもないぐらいな、
保育園生活だっていうことが、
実は凄く素敵なことなんじゃないかなと。
だって、凄くこれが嫌だったみたいな、
お昼寝させられるのが嫌だとか、
絶対に先頭つき層が覚えてるって話をね、
凄い前にしてたんだけど、
なんかそれがなく、
幼少期全然何も覚えてないけど、
今元気に生きているのであれば、
もうその幼少期はそれが正解だったんだ、
っていう気がするんですよ。
要はプラスの要因が何か強くあるっていうよりは、
マイナスの要因がないということが、
凄く素敵なこと。
そっちのベクトルで考えてもいいんだろうな、
っていう気はちょっとして。
それはあるね。
その子の記憶に残らないくらいでも、
自然にそこにあって、
その子の健康を守ってきた看護師が、
実はいたんだよ、みたいな。
エピソードゼロみたいな、
そんな活躍がかっこいいな。
千代先生はそこに至ると。
うん、なんとなく。
その子の人生の物語を、
観光業に例えるなら。
なるほどね。
僕らはエピソードゼロの人間だから。
確かに。
エピソードゼロって、
最低でも10巻ぐらいまで出てからやる、
みたいなとこあるもん。
後々になって思い返してみたら、
親から聞いた話だけど、
あんた保育園でこの先生のこと大好きで、
ずっと抱っこしてもらってたのよ。
全然覚えてないな。
でもそこで抱っこしてもらったからこそ、
人との愛着関係がちゃんと形成できて、
とかね。
そういう本当、
いや、そもそも保育って儚い仕事だよね。
そうだね。
逆に、
命に関わる可能性もあるから、
ミスしようといえば、
どこまでもミスできちゃう、
みたいな怖さもあるわけですね。
そこに求められる、
保育者としての倫理観とか、
本当高いものをね、
求められてるなぁ、
という気はするね。
求めたいしね。
そこを求めてやっていきたいしね。
なるほどね。
うん。
今ちょっと話してて思ったけど、
チロ自身は、
自分の保育園時代とか、
幼稚園なのか分かんないけど、
そういう頃の幼児の時代は覚えてる?
こういうのだったなとか。
俺は本当にね、
記憶が薄い方で、
あれだけど、
でも幼稚園だったんだけど、
中年町ぐらいの2年間ぐらいしか
確か帰ってなくて、
ほとんど自主保育みたいな感じで、
お母さんと一緒にいるか、
近所の子供たちと一緒に遊ぶ、
みたいなのがあって、
そこにいたか。
だから、
ずっと公園で走ってるか、
木登ってるか、
幼稚園行ったら行ったで、
行ってた幼稚園が本当自由保育のとこだった。
そうなんだ。
覚えてるのはね、
人をね、
幼少期の影響
ストーブであっためて食べるってことと、
当時ポケモンカレーとかが出てた。
それをかけて持ってって、
ストーブの前に置いといて、
みんなであっためて食べる。
溶けないの?容器は。
ちゃんと溶けないステンレスも
なんかだった気がする。
あと、
卒園文集みたいな、
なんかアルバンクを、
なんか表紙を書いて、
絵心があまりないタイプの人間なんで、
なんかね、バッチを作る機械みたいな、
なんか当時ポケモンがやっぱ流行ってたから、
なんかポケモンのバッチを作る装置みたいなのを
なんか書いたらしいのよ。
でも、なんか完成したものを見たらすごい、
それ上下逆さまでこう、
演じされてて、
あ、これ逆なんだよな、
って思った記憶がある。
学びがあったんだ、そこで。
覚えてるんだ。
なんかそういうエピソードの思い出はあるんだね。
いくつかね。
日々何したかとか、
誰とどういう風に仲良く遊んでたかとかっていうのは、
当時の記憶としてじゃなく、
ちょっと大きくなってから親から聞いた話とかで、
覚えてるみたいな感じだから。
あんまりないんだよね。
カワジはある?
物心ついたのは割と最近なんでしょ?
僕は物心ついたのが23歳なんで、
ちょっと今覚えてないなって思ってますね。
ほんと小学生、中学生とかはあんまり、
高校生で僕とチロ先生会ってるんですけど、
その頃まだ物心ついてないので。
そっかそっかそっか。
あん時まだちょっと、
自分と人の境目がなかった。
そうなんですそうなんです。
ようやくちょっと、
自他の境目が芽生え始めた頃だった。
なるほどなるほど。
結構そうか。
よくやってたなぁ、じゃあ。
確かにね。
なんだろう。
でも、保育園の思い出ではないんですけど、
自分は昔から親からも言われてたんだけど、
兄が言ってるんだけど、
お兄ちゃんには、
ずっと寝る前に、
霧絵とか、
お絵かきとかを見せたりやらせたりしていた。
だから、お兄ちゃん絵がめっちゃ上手い。
はいはいはい。
そらそらっと絵描けるし、
みたいなタイプだけど、
次男の僕にはもう絵描くのとかめんどくさいから、
父親が、
1たす1はなんだ?
2。
2たす2は?
4。
4たす4は?
2の劇場をひたすらやるっていうのをやらせてたらしくて。
1024とかまで頑張っていったりとかしてて。
おーすごい。
だんだん、これはちょっと覚えてるんだけど、
これが言われたのがいつだったかわかんないけど、
少なくとも小学生以下、
小学校低学年以下の頃から、
101かける99はなんだ?
おー。
Aプラス1かける
Aマイナス1のかけ算みたいな、
方程式の、
A二乗ひく1か。
そうそうそうそう。
これはA二乗ひく1になるんだよっていう。
解かせようとしてきて。
へー。
101の事情はなんだ?
これは100たす1に分けて、
はいはいはいはい。
させられて。
方程式なんだよ。
だから、中学生の時に
苦戦回収があったんすよ。
これかーって。
これかーってなるっていうのがあって。
へー。
そういうのがあった結果、
僕は結構数学とか好きになりましたね。
そうだね。
なんか文系の皮被った理系だもんな。
ほんとに。
そういうのがあった。
パズルとかも延々とやらせたみたいに
言われてたけど、確かにパズルも今でも好きだし。
あー。
一人で問題と向き合って
解くみたいなのが好きっていうのは、
確かにあったかもなーっていう気はしますね。
面白いね。
やっぱそういう環境が
大人になってちゃんと影響してるのが。
そうそうそうそう。
大人様にそうだね。
面白いねー。やらせるかなー。
大人の労力が
大人の労力が楽っていうのが
おすすめポイントかもね。
1たす1は、2たす2は。
電卓さえスマホで用意するときは
無限にできるんで。
確かに確かに。
あっという間にいっちゃう。
へー。
いやー。
この手の話はあれだね。
永遠にできるね。
そうだねー。やろうと思えば
もうちょっといけるけど、だいぶ尺的に
止めつつあるみたいなとこあるからね。
そうですね。
えー、まあ
そうかとすると、結局
保育はすごいって話ですね。
お得意の。
全てを保育に
繋がっていくんですよ。
なんか、悲しい宗教みたい。
僕も保育園の思いで
あんまないとか言っておきながら
幼少期の経験が意外と生きてるんだってことを
話しながらね、
気づけたし。
物心ついてなくても影響あるんだっていう。
保育士の役割
そうそうそう。
だからやっぱり
この幼少期に関わる保育者が
になってる
その子の人生の
すごい大切な
時期を
共に過ごしてるってことを思うと
確かに。
やっぱり保育園看護師もっともっと
専門性を向上させて
役に立てるように
何かやっていけたらなっていう風に
思っております。
ぜひ保育園看護師の方とか
保育士の方とかは
そういうすごくいい仕事なんだよって
改めて
言うと。
マジで最強。
最高。
いい仕事だと思うんだけどな。
というわけで
今回はちょっとゆるいラジオになりましたが
今後もこんな感じで保育園看護とか
保育園保育に関する情報を
中心に発信していきたいなと思ってます。
ぜひ概要欄等で
GoogleフォームのURL書いてるので
感想や質問を送ってください。
お待ちしております。ということで
セントス風情会でしたが
ザック・バランに産協が
人に与える影響についてちょっと話してみました。
ぜひ感想ください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
31:55

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