1. ホイクベースラジオ
  2. #21 子どもの頃の遊びの話をし..
2024-10-26 39:54

#21 子どもの頃の遊びの話をしよう

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。 今回のラジオは、オフィスに集まってオフラインで収録した特別会です。子どもの頃の遊びについて話をしています。 ▼「ホイクベース」ダウンロードはこちら iOS版

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サマリー

このエピソードでは、子どもたちの遊びの変化について語られています。遊びがどのように進化しているか、また昔の遊びの懐かしさを振り返りつつ、現代の子どもたちがどのような遊びを楽しんでいるのかが探られます。また、遊びの重要性や現在の遊び環境の変化についても触れられています。特に、外で体を動かして遊ぶことの大切さや、YouTubeやゲームが子どもたちに与える影響についての考察がなされています。このエピソードでは、子ども時代の遊びについても語られ、特に秘密基地やクリエイティブな遊びが人格形成に与える影響について考察が行われています。さらに、デジタル時代における遊びの変化とその社会的な側面についても言及されています。子どもたちの遊びは時代の反映であり、柔軟な発想を育む重要な要素とされています。遊びを通じて大人の価値観を超えた新しい視点を持つ子どもたちの未来を明るくすることが大切であるとされます。

子どもたちの遊びの変化
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
新規事業で日本を開国せんとす黒船の基礎です。
同じく黒船の河手です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、保育園看護師さん、保育士さん、あるいは小さいお子さんを育ての保護者の方に向けて、何か情報を発信していけたら良いなぁと思って続けております。
今回は久しぶりにオフラインで会えたということで、限定生収録みたいな感じの。
限定生収録ってことですね。あと30本目になるのかな、このラジオが。
もうそんなにやってるんですか。すごいですね。
確かにな。
継続はなんとやらと言いますが。
力になっちゃいます。
なんとやらと言うと長いですよな。
ちょっと久々に集まれたので、また保健看護系のところからちょっと別の角度から番外編ということで、何か話しつつも最終的には上手に保育について着地できたら良いなという、そんな会にしたいなと。
できるかできないか、着地。
そうですね。
いつもは一応ざっくり台本みたいなものを用意してるんですけど、今回はもう完全にテーマだけ決めて。
フリートーク。
フリートーク会ですね。僕の目の前には真っ白な壁があるだけなので、お聞き苦しい点もあるかもしれませんが、番外編としてお楽しみいただけたら良いなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
というわけで、今回のテーマ勝手に僕が独断と変形で決めました。
幼少期の遊びの思い出
小さい時に好きだった遊びとか。
前回はね、特別編としてゲームについてちょっと話をしたんですけれども、ゲーム以外ですね。
ゲーム。
ほんと?
好きだった遊び。
嘘でしょ。今日一言も話せないから。
全ての手を封じられたんだけど。
というのも、昨今ね、令和の子供たちを普段関わっている僕からすると、変わりゆくものもあれば変わらずあるようなことも保育の中ってあるなと思っていて、
なんというか鬼ごっことかさ。
シンプルに。
そう、シンプルに。そういったものって伝えずにずっとあるじゃないですか。
そうだね。
なんか自分の幼少期を思い出すと、なんか今以上に今の子供たちと何が違うのかなというか。
何が違って何が違わないのか。
違わないことの中には何か、それこそ保育業界に更新期事業として何か新しい風を吹かせたいと思っている我々からすると、なんか一つヒントが見つけられたりしないかなと思って、ちょっと話してみたらいいなと。
ただ開古中になるっていう懐かしむだけの回かもしれない。
それはそれで。
それはそれで。
でも千代先生が普段見てる令和の子供たちって要するに保育園に来る子たちだから、6歳以下とかぐらいの子たちなわけで、
しかも遊べるってなると2、3歳以上とかぐらい?
まあまあ遊びはもう生まれた瞬間から。
いやまあそうだね。
なんというか我々が記憶している。
そうだよね。
幼少期の遊び。
まあ主に小学生時代とかなのかな。
そうだね。
記憶が少なくともちょっとね、覚えてる。
一応自分が幼稚園時代の頃で覚えてるのは、
シンプルに運転とかいう。
ああー。
体を。
優遇ね。
優遇。
確かに俺のぼり棒っていう存在した記憶があるよ。
そうそうそう。
ただ上にこうやって行くやつ。
ただ立っている棒を頑張って戻るっていう。
そして降りてくるだけ。
そうそう。
それだとやっぱ公園の在り方がほんと様変わりしてるとか。
公園はね。
そうなんだよ。
危険だから。
そうそうそう。
僕が小学生の時も月山っていうのが小学校にあって、
そのちょっと高いところからはしごみたいな、
つり橋みたいなのがあって、
ちょっと棒状の滑り台がつながってるみたいなのがあったんだけど、
ある時そっから転落してちょっと人形が破裂しちゃった。
結構エグいね。
子がいて、ただ適正な遊び方だったかどうかは分からないけど、
以来その高いつり橋は撤去されて、
すっごい低い位置に設置されたりとかっていうのがすごい記憶にあって、
それに近いようなことが全国いろんな公園で増えてるし、
それこそ運転とかも見なくなってきてるかも。
昔から古くからある保育園とか公園とかにはあるような気がするけど、
最近ほら新しいマンションが建ちますとか、
再開発でとかっていう街づくりの中でできてくる公園って、
そもそも土じゃないし。
土じゃないの?何でできるの?
柔らかいスポンジ状の、スポンジ風な、
アスファルトっぽい見た目の柔らかいやつ。
柔らかいやつ。だから転んでもそこまで痛くないみたいな。
でも滑るとめっちゃ摩擦で食らうみたいになっていたりとか、
それこそ遊具も安全性とか事故予防的な観点から、
大人の自分からするとおもんなくない?って思うような形状だったり。
何て言うんだろう。球体で編み編みで回転するやつとか、
危なくていろんなところがなくなったりとかね。
それは結構な差かもしれない。
難しいよね。大怪我をしちゃう事例があると確かに、
市民の声とかとして泣かなきゃってなるけど、
ちっちゃい頃っていうか、自分も含めて怪我をしながら体の使い方を覚えてた面もあるなって。
難しいね。
確かに一概に撤去するべきだとも言いにくいが、
とはいえ腎臓破裂とか聞いちゃうと、結構落ちる。
確かにね。
腎臓破裂は珍しくないと言ったら嘘ですけど、
背中からパーンって倒れれば簡単に。
子供の体の体重だと。
現代の遊びと教育
簡単に破裂。別に高さが高くなくても成り得るは成り得るので、
あれなんだけど。
優遇はちょっと時代の流れを感じるよね。
それこそブランコとかも、我々が想像するブランコってさ、
チェーンに板付いてただこうやるだけじゃない。
最近そのユニバーサルデザインみたいな感じで、
誰でも乗れるみたいな感じのものに変わっていて、
なんというかちょっとオワン状の反対にしたUFOみたいな形に
4本くらいチェーンがかかってて、
だからひっくり返ったりしないといけない。
そういう形状のブランコに変わってたりだとして。
めっちゃ難しいよねそれ。
まあ怪我予防っていう意味では確かに正しい気がするけど、
ちょっと過保護な気がする。
もちろん予算もあって、いわゆる発達障害であったりとか、
あるいは死体不自由だったりとか、
そういった子供たちでも遊べるとかね。
ユニバーサルデザインとしてみんなで遊べるっていう意味では、
ひとつ太陽星に込む時代の一個象徴なのかなという気もするんだけど、
僕ブランコすっげー危ない遊び方してたなって今思いまして。
でもあれは確かに遊び方によってはめっちゃ危ないよね。
よく2個連なってるじゃん。
2個あって横向きで行って、
横向きに何ならちょっと振り子みたいにバーンって離してバチッと当てるみたいな。
めっちゃ危ない。女爺のカレンみたいな。
そういうことをして遊んでいたなと思うとクソガキだなと思うんですけど。
子供に適正な使い方をしろと言っても確かにそれは無理なんだよね。
なんかこちらの創造を越えて怪我をしてくるからね。
創造性の天才だよな。
ある種、それが創造的に遊べる素材もたくさんあったなという気がする。
余白がね。
最近ユニバーサルデザインしかいい面もありつつ、
余白が少なくなってるような気がしないでもないな。
子供の怪我もそうだしさ、公園とかに限って言うと近所から苦情が来るじゃないですか。
そうなの?子供の怪我。意味わかんないですよ。
親気知りだ。
この間ね、伊勢田谷区内にあるちょっと大きめの公園に遊びに行ったんですよ。
芝生があって、子供たちにとってはすごいいい環境だなと思って遊んでいたんだけど、
ボール遊びは禁止。自転車もダメ、ストライダーもダメ、シャボン玉もダメみたいな。
結構いろいろダメなのよ。
何すんの?
走って遊ぶのは別にいいとしても、ボール禁止は都内は結構多い。
狭いし危ないし。
あるけど、そこまで我々子供の頃何か禁止されてたっけな?
どうですか?
何も覚えてない。
やばい、今回は。
最初のテーマからずっとなんか、子供の頃。
何も覚えてないなと思いながら聞いてました。
マンションで一人ゲームをしていた。
ゲームの記憶ならいくらでもあるんですよ。
触れちゃいけない過去みたいな。
外に出て遊ぶとかしながら。
何も覚えてないな。
これでもね、よく育ってきたよね。
関係ない。
外で遊ぶとかは別に関係ない。
今日はもちろん先生とのバトル。
朝まで生テレビで。
学歴は負ける気がするけど。
確かにね、高学歴パンチだもんね。
学歴的には負ける気がするけど。
ゲームだけやってたって人間は育つ。
確かにね。
実例がいるとか。
あと幼稚園の頃で覚えてるのは、
シンプルに紙飛行機作って飛ばすとかやってたし。
その紙飛行機も、誰が一番遠くまで飛ばせるかみたいなことだったんだけど、
どんどんエスカレートしていって、
紙飛行機の先にセルハンテープとかを巻くとちょっと重りになるのがあるじゃん。
あれでめちゃめちゃセルハンテープを鬼のようにぐるぐる向きにして、
原骨サイズにして飛ばしたら、
人が怪我するからって。
それからNGになって。
悪い人はインドアで偏りすぎてる例の気がするな。
どうしよう。
ああいう遊び方は現代でもあるのかも。
確かに。
結局それで自分で考えて、
これだけやったらちょっと速くなるから、
じゃあ大きくしたらどうなんだみたいな、
ある種自分で実験をした結果、
人を殺傷する能力を持ってしまったみたいな。
先端に輪ゴムもつけてやってたから、
ただのパチンコに近いものになってた。
ただ痛いものになってた。
でもそれを実学的に学べたっていう幼少期は、
高谷さんにとってすごい良かったなと思う。
全然ゲームでも学べると思う。
もちろんね。
マリオのやり方一つとかで全然学べたらいいと思う。
なんて言うんだろうな。
否定はできないんだけど。
一応でもやっぱりあれだよね。
フィジカルの重要性というか、
身体的なあれの重要性。
やっぱりそれこそさっき言ってたみたいに、
安全に怪我をできないような子供。
要は転び方が下手というか、
最近のスポーツテストとかの結果をずっと追っててもさ、
だんだんみんな運動能力が落ちてるわけ。
視力も下がってる。
運動能力も落ちてる。
でも身長は上がってて。
すごいアンバランスな体つきになってきちゃってる。
現代社会の生きる子供たちが。
面白いですね。
その一方で大谷翔平みたいな、
スーパーマンみたいなオリンピック選手みたいなすごい子もいれば、
すごい二極化してきてるような気がしていて。
体の使い方が上手な子と、そうではない子。
そうではない子は、
ただただ運動が下手っていうだけじゃなくて、
運動機能そのものが培われていかないと、
遊びの重要性
結局うまく座れないとかね。
日常的な部分。
そうそうそうそう。
座っててもすぐ足くんじゃいとか、
座ってられないから集中力が続かなくてとかってなってくると、
多分僕が普段見てる乳幼児のお子さんは、
そこから修学して小学校に行く。
小学校に上がった時にめちゃめちゃ苦労すると思う。
座ってる時間も長いしな。
そうそうそう。
勉強的にね、しなきゃいけない時間が増えるから。
そう思うと、やっぱこの乳幼児期にどれだけ体を動かして、
そういった必要な機能みたいなものを育てていけるか。
我々の時代はなんかそうは意識しなくても、
自然に培えるだけの環境だったり。
機会があったよね。
外で遊ぶとか、今ほどなんか世の中怖くもないから。
ちょっと子供たちで。
オンラインゲームってわけでもない。
遊べる時間があったりとか、それこそ走れる公園があるとか、
親もね、なんというか、一緒に遊ぶ時間が取れたとか。
多少の怪我に対しての捉え方も。
そうそうそう。
なんかフェータルな怪我をするまでに至らなかったといいますか、自分がね、特に。
いっぱい怪我したけど。
すり抜くとかね。
ちょっと抜く具合はあったかもしれないけど。
なんというかね、人生に響くような怪我ではなかった。
やっぱ最近の方はそういう風にうまく転べなくて手が出ない。
やっぱ頭から行っちゃう。
逆に危ないってことね。
そうそうそう。
なんかその、難しいよね。
それをやっぱ遊びの中で展開されるべきだとは思うんですよ。
で、やっぱり保育で大事にしてることとか、
保育所保育指針とかで書かれてるようなことも、
結局はその遊びの中で実学的に学んでいく。
そのお勉強的なことももちろんそうだし、
人間関係とか社会的な面もそうだし、
やっぱ運動面、身体機能の面においても同じくそうなんだけど、
ねえ。
遊ぶ、その体を動かして遊ぶみたいなことをできる環境がそもそも減ってきてしまっているっていうのは、
なんだか悠々しき事態だなと。
しかもその、我々が外で遊んだりしていた時代というか時間に、
YouTubeとかさ、受動的なものが入り込んでるっていう。
そうだね。
正直俺らの世代の時に、YouTubeあったら多分見てたよなっていう。
間違いない。
なんでね、我々ゲーム合意世代としては。
そう、通信ケーブル持ってた時代ですからね。
カワちゃんもっと持ってたんでしょうね。
一人でずっとしてました。
でもそれでもね、親からしたらだいぶギャップがあったと思うんですよね。
そうだね。
だけずっとテレビなんて見てないけど。
ゲームもちょっと時間的になんかやっぱ正義のかけられてたしね。
でもね、体を動かして遊ぶってこととこうなんかうまくバランス取れてたとは思うんだけど、
最近それがより取りにくくなってるのかなというか。
機械として少なくなってるのもあるかもしれない。
これは環境が変わったから、時代が変わったからというだけなのか、
親御さんの仕事の関係とか、忙しくてなかなか時間が取れなくてとかなのか。
でも実際、チェロ自身もさ、自分の子供を育てる時に
新しい遊び環境の変化
YouTubeを子供が見る時間っていうのはやっぱある?
あるね。
なんていうか、スマホとかは持たせてないから、自分でスマホで見るとかはしないけど。
家の中にいるときは?
どっからかし入れてきたのがこれが見たいって言って、
じゃあ一緒に見るならいいからって言ってちょっと見せたりとか。
家事でちょっと見ててみたいな時間とかもね。
結局親にとって楽だもんね、そういう。
ちょっとこう、
隙間時間を。
自分の時間というか、作業しなきゃいけない時間とかに子供の気を引いといてもらうっていう。
でも極力それに頼りたくはないなっていうのは僕は夫婦で話しているので、
最低限の時間には留めようとしてるし、見るなら一緒に見るとかね。
子供だけで見ると関連動画とかで一生終わんなかったりとか。
だって大人の自分でも関連動画で一生見るみたいなのやるから。
やめ時がわかる。
YouTubeで一生気づいたら何時間見てるのかわからないもんね。
あれってやっぱもうある種の中毒性があるじゃん。
中毒性だね。
なんかもうそういうふうに脳みそが作用しちゃうから、
いいからやめなさいって言ってもやめられるものでもないし。
そうだね、わかってるでもね。
そこはね、難しいよね。
でもやっぱり社会的な環境の変化っていうのはめちゃくちゃあるよね。
市街としては。
でもだからより一層運動みたいなことを、特に入院時期は遊びの中で積極的に取り入れていかないといけなくて、
土日も含めて体を動かす機会を作っていかないと、
どんどんどんどん骨も筋肉も弱くなっていってしまうんじゃなかろうかという危惧が。
なるほどね。
実際今の保育園に通ってる子たちとかは、体を使う遊びをするとしたらどういうことをやってるの?
一番はやっぱり外に出て遊ぶ?
シンプルに。
っていうことが、もうほんと総合的に考えると一番いいんだと思う。
それこそ自然に触れるとか。
だから公園とか。
公園もそうだし、園庭があれば園庭でもいいし、各季節ごとの違いがあったり、
そこで虫を探して生き物への興味につながったり、
お友達との喧嘩をいっぱい経験して、
人間、社会性の発達にもつながったりとか。
やっぱりお部屋の中だけだと成し得ないようなことが、
一歩外出るだけでもたくさん広がってたり。
何よりやっぱ走るからね、子供。
子供って意味わかんないぐらい走るじゃないですか。
なぜそんな走ってるの?っていつも自分の子に言うんだけど。
それがエネルギー体として活動したい欲はみんなあるんだろうなって気はするのよ。
運動が苦手な子はもちろんいるけど。
それを思うと、外に出て遊ぶっていう時間を意識的に取るだけでも、
十分な活動量を得られるんじゃないかなって気はするし。
逆に言うとそこを意識的にやらないと、
いいか悪いかは立て置き、新時代スタイルになってしまう。
ずっと部屋の中でゲームしたり、
体を動かさないで遊ぶみたいなことが続いてしまうと、
いろいろ心配だなっていう気になってしまう。
やっぱり外で虫とかね、めっちゃ捕まえに行ってた気がする。
子ども時代の遊びの思い出
どうですか?
言うことなんもない。
こんな面白いことある。
本当に何も言わない。
今日3人だよね?
一応3人いるよね。
なんの話してんだろう。
ちょっと視点を変えて、好きだった遊び、ゲーム以外で。
それがないよ。
記憶がない。
その縛りで全て封じられる。
印象的な活動が。
それはちょっと悪書基礎先生に聞いてくださいよ。
好きだった遊び?
でもやっぱ虫捕りとかじゃない?
みんなで捕りに行ったりとか、
シンプルに自分一人でも捕りに行ってたけど、
でもやっぱり外に出られる環境はあったかもしれないね。
そういう意味で言うと。
それは幼稚園の頃の記憶としてそうなんだけど、
もうちょっと上がって、小学校ぐらいになると、
丸踏みってわかる?
丸踏み?
知らない。
そっちの地方の限定的な。
全員知らない。
神奈川県ではあるぞ。
泥系とかか、
そういう鬼ごっことかの遊びに近いんだけど、
泥系にかなり、缶切りに近いか。
丸が缶の代わりで、
魔法の蓋とかそういうものを缶の代わりに。
鬼というか一人そこにいて、
残りの人が丸を踏んだら勝ち。
逆に踏まれないように全員を見つけたら、
鬼っていうよりは人の勝ち。
鬼は丸踏みながら何とか見つけていけば。
そうそう。
缶切りだ。
ポコペンだ。
っていうような遊びは持ってきてた。
ポコペンやったことない。
ちょっと記憶にないから。
あるのかな。
やってたかもしれないんですけど、
楽しいと思ったこと一度もないと思う。
忘れてるな。
やっぱりそこは社会性かもね。
繋がってくるよね。
ドッジボールとか何が面白い?
ドッジボールめちゃくちゃやってたよ。
クソゲーだなって思った。
なんで?
ボールぶつけ合って何が楽しかった?
楽しかったよ。
快感だよ。
そこまで?
相手にぶつける快感。
ここ極端だよ。
もっと一般的な話をしたかった。
ドッジボールも確かに結構やったね。
なんで野蛮な競技をするの?
よくバスケ部になったな。
俺結構それにびっくりする。
人にボールぶつけないで。
理性的な。
全然違う。
そうだね。
確かにそういうのの中で、
もともと俺が運動好きだったとか、
社会性というか、
人とのコミュニケーションのところは、
すごく磨かれたって言うとあれだけど、
結果論だけどね。
そんなケースに立ち会ったなって思う。
ラジオに入らないくらいの声です。
でも結局遊びの中で培ってそういうことじゃないですか。
ルールを守れるとか、
友達と作った決まりの中で遊ぶっていうことを、
学んでいく時期が入学時期だから、
それができなくて最初喧嘩して、
ルールを破っていくからもう嫌だってなったり、
それを繰り返して小学生になった時に、
それらができる状態っていうのが求められるというか、
目指すべき姿の一つだと思うんだけど。
保育園は結構丸一日に近い状態で預かる。
園外の生活っていうところも結構あるわけじゃん。
その中でどういうことをしてるかっていうのは、
結構影響するよね。
そうなんだよね。
実際はさっきの話じゃないけど、
やっぱりみんなで丸ふみしようぜとか、
保護便しようぜみたいな環境がだいぶなくなってるよね。
ないんだと思うんですよ。
特に隣とか。
子供は別にルールを破っても別にいいじゃんってやるかもしれないけど、
近所の人からどうこう言われるかなっていうような方向で
当て力がかかりそうだよね。
騒音がとかはわからなくはないんだけど、
果たして本当に子供の声は騒音なのかと問われると、
なんだかなーって。
それは果たして子供真ん中社会と言えるのかっていう疑問はあるよね。
子供の声が騒音の社会っていうのは。
難しいんですよね。
シンプルにもっとちょっと遊ばせてあげたいけどね。
そういった遊びの場を大人側が意識的に提供するももちろんそうだし、
子供にとってはどこもかしこも遊び場であるということが変わりないわけだから。
めっちゃ思い出したけど、子供の頃秘密基地を作るのがとにかくロマンだった。
楽しかったねー。
なんかどうでもいい草のやぶの中とか、
謎の基地を作って。
あったなーなんか。
よくわかんない。
子どもの頃の遊びの思い出
うめとり全然なかったな。
ポケモンで作ってなかった?秘密基地。
ルビーサファイアっぽいでしょ。
ポコロやってないか。
足のカービィスーパーデラックスとか覚えてない。
すぐバグるやつ。
秘密基地は本当にやったかもね。
目的的にやったよね。
木の上によく登って、
木登りとかね。
木の鱗みたいなところにさ、ちょっとお菓子とか詰めといて。
結構本格的に俺ホームセンターでトタン買おうとしてたもん。
小学校の頃だけどねもうそれは。
やり込み具合と、そういうとこからもやっぱ人格形成に関わっていく。
だと思う。なんか使える。
まあちっちゃい頃ってやっぱ段ボールとかさ、そういうの作るじゃん。
分かる。
俺あのイヤクルトをさ、ちっちゃいイヤクルトあるじゃん。
あれをなんかいっぱい飲んで、それを繋げてマスターソードを作ってました。
あれを棒状に繋げて?
死ぬほどセロハンテープを使ってて、
お母さんにすげえ怒られたけど、どんだけセロハンテープ使うんだって。
これ繋げて剣にして、段ボールでパテを作って、
とかっていう。
そういう創作みたいな。
そうそう。あれはだからそういうね、見たものを表現する力であったりとか、
それこそやりきる力であったりとか、やりたいと思う方法とか。
しかもその剣とパテを使って、ロールプレイ的にさ、やるわけじゃん。
逆にゴッコ遊びみたいなもんですよ。世の中。
そこでこういろいろ学んでいくんだろうな。
なんかそれらをまあ、もちろん狙ってやるはもちろんそうなんだけど、
自然発生的にそういったことが、もっともっと自由に子供たちがやれるような、
そんな世界になったらいいな。
デジタル時代の遊び
そうだね。
今一体たぶん全部、マイクラとかフォートナイトでやってる、
ロブロックスとかで今やってるんだろうなと思う。
ゲームの中で。
そんなに豊かで、物理的動きを伴うかどうかっていうのはあるけど、
それが大きいのかもしれないけど、
秘密基地作ろう、マイクラでやろう、みたいなのは全然あるだろうなという気がするので、
創造性とか社会性は場所が変わっただけで、
なかないというか、時代に適応して別の形で存在してるんだろうなという気はするかもね。
その視点からするとそれはありだね。
その場を僕らがあんまり認識しないだけで。
それはたぶん僕らが子供の頃もそうだったはずで。
親クラシアなんであんな草っ腹にいってんだみたいな、
見えてない世界の子供なりの社会にいる。
それが今はデジタルになってるっていう、
本質的にあんまり変わってない部分もあるかもね。
でもやっぱりフィジカルに。
やっぱり最もフィジカルで、
プリミティブで。
僕の脳みその発達的には必要なこととしては、
今言った社会性とか、
発想力とかっていうのは確かに培えるかもしれないけど、
体が伴っていかないっていうのはちょっとやっぱり心配で。
そこにプラスはやっぱり身体論みたいなね。
頭の中だけじゃなくて手と足と体と。
全部脳の機能があるからね。
伸ばしていかないと、もっともっと体は弱くなる。
俺はデジタルのフィールドに広がってること自体は、
別にどっちでもいいというか否定もしないんだけど。
今さ、eスポーツとか前回のゲームっぽい話にもなるけど、
eスポーツで活躍してると本当に若い子、小学生とか多いじゃん。
小学生でもできるんだね。
小学生の方が強いのやっぱり。
使える時間もそうだし、
身体性をキーボードとかマークを操作する部分に特化させてるんだと思うんだよね。
だから全体に見たら、
俺的にはね、ポジションというか自分のスタンスとしては、
ある程度フィジカルの方が、
その後の人生という意味では怪我しにくくなると思ってた。
そういう部分はあれど、
その部分に特化した身体性の発達みたいのは、
1個あるなってすごい思ってて。
それが果たして脳の機能的にいいのか悪いのかは分からないんだけど、
eスポーツはやっぱり時間が使えるかつ、物事を柔軟に習得できて、
キーボードとか反射速度も高だし、
っていうのはやっぱり小学生が圧倒的に今のところ強いなっていう。
育児とデジタルバランス
生まれた頃からそれがあった人たちと、
生まれてからそこに出会った人たちとの認識の差が、
フリーレンと一緒ですね。
ゾルトラークを生まれた頃からある人間と、
反射速度が一歩遅れるみたいな話があるじゃないですか。
ちょっとマニアックな話になってる。
ちょっとマニアックな漫画の話しちゃいましたけど。
フリーレンは一歩目で出す話だもんね。
勇者の志望の話ね。
そうそう、フリーレンのね。
防御魔法の説、俺すごい好きなんです。
まだ反射で対処できるほど時間がかかっていないっていう理論がすごい好きで。
カツカツしてないっていうね。
でもまあ、こうで。
そうだね、だからある種新しい社会で適応ぐらいの感覚で、
俺はあえて真逆の法廷のポジションを取るとしたら、
社会的な面では運動機能がアップしてないって言うけど、
すげえ極論の例を出すと、
いや、ソロ版めっちゃ速くなくても別にもう今いいじゃんみたいな。
いらない運動機能にならないかみたいな側面もあるんじゃないの?とはちょっと思ったりはするけど。
まあそんなことではないんだけど。
あえて逆のポジションを取るならって言うかもしれない。
ディベートとしてはそうだね。
ソロ版をみんなやらなくなっても、
指の動きはみんな遅くなったんだって言われても、
したこっちゃねえじゃん。
データがあるもんな。
なんなら電卓すら飛び越えてるもん。
手計算で電卓するよりエクセル使ったほうがいいじゃん。
よりもう一個先に来てたわけだから。
ACDでいいね。
逆に今の時代だったら、
ケイタはオンライン上での友達はいたかもね。
そうだね。
俺は時代が間違ってただけだよ。
友達だと思ってたらAIだったみたいな。
全然思うならいいじゃん。
友達だと思うなら向こうがAIだろうがなんだろうが。
なるほどね。
運動機能っていうのは、
今のところは人間の最低限の機能というか、
動物である以上そこから離脱はできないなと思うから、
俺はあるほうがいい派なんだけど、
シンプルに今に適応してるっていうのは間違いなくそうで、
それ自体が良い悪いとかっていうのはなかなか難しいよね。
そうだね。
だってもっと大きい目線で見たら、
300年くらいのスパンで見たら、
今時の奴らは刀も持てるのかみたいな、
そういう世界になるわけでしょ。
そうね。
文化の違いとかが身体性に大きく与えていくわけでさ。
そうだね。
体さばきが違うよね。
そうそう。
体さばきが違うだろうね。
っていうのと栄養状態と理論とみたいな。
で、やりたい人はやれる世界でもあるわけだ。
大谷翔平の例もある。
すごいそこが二極化して、
平均って基本いろんな検診データとか、
そういった数値化されるものって、
だいたい平均化さ、中央値だったりとかするじゃん。
統計的なあれだもんね。
それがどんどん乖離していくような感覚がちょっとある。
この平均って何なんだろうっていう。
でも確かに実態としてさ、
今言ってた、あえて強引にフィジカル派とデジタル派って分けるとしたら、
明らかにフィジカル、デジタルの割合は、
昔より圧倒的にデジタルが増えてて、
要するにちょっと運動機能が、
昔と比べて弱めな子の割合が多くなってる。
っていうのは絶対あるだろうね。
今育っていくこの令和の子供たちが、
我々ぐらい大人になった時に、
同じように世界があるかどうかわかんないけど、
天変地異とかも含めて何があるかわかんないけど、
どう育っていくんだろうな、
どうなっていくんだろうなっていう、
そんな憂いを。
何?憂いの話?
憂いの話だし。
憂い的に思ってもあるし、
30年経って働き方って死ぬほど変わってるから、
この加速度がもう30年経ったら、
今の身体勢で十分だよねっていう話もあるかもしれないし、
あとは自分の感覚だけで言うと、
どんだけデジタルやフィジカル入れ替わろうが、
メジャーに対する裏側の僕みたいには絶対一定性存在するので、
全員がやばくないみたいなことは絶対ないと思う。
逆張りの人間は絶対一定性いる。
逆張ろうと思って逆張ってたの?
運命だったからね。
本能で逆張るから、そういうやつは。
絶対いるから大丈夫。
それは人間の多様性だから。
生物としての多様性がそこにあるわけだからね。
どっちがメジャーに触れるかだけはあるかもしれないけど、
全員が全く完全に止まるってことは、
自然にやったらないはずなので。
生物としてね。
ゲームつまんねえみたいなことを言うやついる?
いるよね。
俺だ。
面白いですね。
それが社会的にどっちが多いかっていうだけの差は生まれると。
結局アソゲの話をしようと思ったら、
生物多様性の話になっていく、この辺りがやっぱり。
乗り切ったな。
横向き合いたすけ。
記憶一本も出してないけど乗り切ったな。
あえてカウンターポジションを取るしかやることがなかったね。
ぜひね、こんなようなことを研究している方とか、
生物だったり、身体論だったり、デジタル含め、
何か専門的な見知から研究している方が、
もし万が一聞いているのであれば、
それぞれの立場での理論だったり、
見解みたいなものもぜひ知りたいな。
確かに書く指標がずっと同じっていうのも、
そうなのかもしれないよね。
不思議な感じがある。
そうだね。
シンプルにでも子供を育てている人とか、
自分の子供が運動とかデジタルのバランスというか、
どう考えているのかとか、
普通に知りたいね。
自分が子供を育てていても難しいよね。
もっと遊ばせてあげたいとか、
もっと身体を動かしてあげたいと思いつつ、
なかなかそれができない環境も難しいし、
そこまで時間的な余裕が取れないという現状も意味がかかるし。
でも全くサブスクを使わないとか、
YouTubeを見せないってなると、
それはそれで極端だよな。
それが決して目に悪いというか、
目に良くはないということは分かっていながら、
もうスクリーンタイムをゼロにするというのは、
果たして健康で文化的な最低限度の生活なのかと思われると。
あとその子の保育園用事、
社会的な他の子とのコミュニケーション。
文化と社会の中で生きていく今の子供たちにとって、
なんというか、なくてはならない可能性だってあるな、
YouTubeだったりね、そういったものっていうのが。
遊びの重要性
そこをどこまで親として認識できるか、
潜壁はどこなのか、どうすべきなのか、
という問いを。
これはやっぱり親の方針とかもあるから。
絶対の正解は何もないからね。
多分聞いてる皆さんも、
自分はこっち側だなとか、
フィジカルが大事だよみたいな話もあれば、
やっぱデジタルっしょみたいな。
マイクラっしょみたいな。
マイクラできてるならいいじゃん、それで。
極端なマイクラしながら筋トレしてれば別にいいみたいに、
そんな感覚があったっておかしくないですからね。
絶対に親世代である30代とか40代の今の仕事が、
そんなにフィジカルを使う人が多いかって言われたら。
そうだね。
そうなんだよ。
という意味ではフィジカルが能力ってどんだけ必要なの?
っていうのもあるし、
とは言え人間の基礎部分ではあるので、
必要だよっていうのもある。
ITの言下であるアメリカとかでも、
結局運動は大事っていう話になっちゃってるから。
だって福利厚生でジムがあるぐらいでしょ。
結局の機能を高めるためには、
頭を使うだけではなくて、
体を動かすのもある意味頭の良さっていうか、
には繋がるよねっていう論点は、
全然ある話。
人間である以上今のところは、
肉体から逃れられないから。
そこは付きものだけどね。
分けて考えるものでもないみたいなのが、
学術的には正しいのかもしれないですよね。
同じ肉体が結構あるから。
脳も肉体だからさ。
そこから離脱できない以上は、
ある程度の身体機能っていうのが最低限必要なんだけど。
でも子供ってやっぱりしなやかだな。
子供は本当に柔軟で、
時代を映す鏡のような存在ですね。
だからこそ、変な話、
そこにかかる大人の考え方一つだったり、
作る環境一つで、
どちらにでも触れうるというか、
どちらにも染まりうるじゃないけど、
その中で生き生きと動こうとする子供たちの、
未来を明るくしていきたいなと思います。
かっこいいですね。
と思っているんでございます。
ということで、
約40分近くなってきてしまいましたので、
ここらでお開きと。
締め方緩い。
新しい価値観の受け入れ
身体論になってしまいましたが、
今後も保育園の活動だけじゃなく、
番外編として子供の環境だったりとか、
全然関係ない角度から、
いろんな物事を考えていけたら良いなと思っております。
ご質問だったり、ご意見等々あれば是非、
GoogleフォームからURL書いてあるので、
送っていただきたいなというのと、
スタンドFMからお聞きの方がれた機能があるので、
是非送っていただけたら嬉しいです。
というわけで、
何か言い残したことは、
ございませんか。
ゲームだけしとけば大丈夫です。
N1だからね。
僕はそうは思いません。
バチバチです。
この正解は聞いている人次第だから。
こういったことを考えるだけでも、
親父が考える。保育者が考える。
その種が負けるだけでも、
有益なのかなという気もしているので。
そういう、
親としてはそう考えているけど、
子供はもっとしなやかに、
新しい価値観を持って、
上っていく気がするから、
自分の価値観で理解できないことを、
子供がしていても、
それを上手く受け入れてあげる。
それは大事だよね。
人間としてより一つ高みに。
親自身も上っていけるように。
自分の価値観をね。
自分の時代の価値観を、
子供に見つけるのも大変だから、
そこって自分が親になったとしたら、
めっちゃ難しそうだなとは、
今日の話をしていたところかな。
かやすが親になったら。
それなんか違う尺度じゃん。
ないか。
めっちゃジェスチャーでないって、
かわしが言っているので、
今回はこの辺で、
お開きにさせていただきます。
ご視聴ありがとうございました。
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