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「疲れた」と言えないまじめな人へ #109
2026-10-14 59:49

「疲れた」と言えないまじめな人へ #109

オードリーの若林正恭さんと哲学者の國分功一郎さんが、4年かけて語り合った対談の本です。何かのためではない時間、「疲れた」と言いにくい空気、早すぎる達観。話は最後に、子どもの時間を目的で埋めない保育へとつながりました。


今回は川地さんが『帳の向こう』(國分功一郎・若林正恭/文藝春秋)を紹介します。


▼今回の話の流れ

台本なしの川地さん回。保育へのまとめはチロ先生におまかせ/オードリー若林さんと哲学者・國分功一郎さんの、4年間の対談集/注釈にも二人の一言が入っていて、ラジオを聞くように読める/4年の間に二人の考えが変わっていくのも見どころ/Kindleで線を引いた箇所をAIに渡して、自分が何を気にしているのかを分析してもらった/何かのためではない時間がほしい/タモリ倶楽部の、公園で投網をきれいに投げるサークルの回/健康は本当は、それ自体が気持ちいいもの/フタにヨーグルトがつかない工夫は、ハスの葉から生まれた/「何のため?」を問われ続けて、基礎研究がしづらくなる/いる場所の当たり前は、中にいると見えなくなる/哲学は、自然なものとそうでないものを分けるところから始まった/東京を出て郊外に住んだ若林さん。町内会長の第一声は「どっかで見た顔だなあ」/もっとみんな「疲れた」と言ったほうがいい/民主主義をやるには、みんなに暇が必要/仕事を減らすのに理屈はいらない。決めるだけ/「サボるのがうまい」と言われてきたチロ先生/頑張りと成果は、必ずしも比例しない/それでも「ゆるく生きればいい」でまとめたくない/子ども・若者・大人・老人で変わる、現実との向き合い方/いまの若者は、現実と和解するのが早すぎる?/白か黒かの間にある「あわい」が好き/若い世代に広がるアナログ回帰/リトミックのピアノは、録音では代わりがきかない/保育は疲れるけれど、人と関わるから満たされるものもある/早期教育と、テストでは測れない力/子どもの時間を目的で詰めこまず、ただ一緒に過ごす/本は、考えるための道具


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サマリー

今回は、哲学者の國分功一郎さんとオードリー若林正恭さんの対談集『帳の向こう』を読み、目的に回収されない時間や、健康や研究まで「何のため」と問われる社会について語ります。タモリ倶楽部の投網サークルや、森永乳業が15年かけてヨーグルトのふたを改良した例から、無駄や余裕が新しい発見につながることを考えます。さらに、東京から郊外へ移った若林さんの経験を通して、環境を変えると自分の常識を客観視できること、「疲れた」と言える余白が民主主義にも必要だという話が紹介されます。 後半では、現実との和解が早すぎる若者、白黒の間にある「あわい」、若い世代のアナログ回帰について話します。保育では、録音やAIでは代替できない、子どもの動きに合わせる生演奏のリトミックなど、人と人との身体的な関わりが大切だと確認します。早期教育の読み書きや計算の成果だけでなく、テストでは測れない力を育てる時間にも目を向け、子どもの時間を目的で埋めず一緒に過ごすことの意味を考えます。最後に、本は知識を詰め込むものではなく、考えるための道具だとまとめます。

『帳の向こう』と対談集の読みやすさ
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の川尻です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで、
実際にサービスを作って、今、運用しようと頑張っているところです。
はい。
はい。このラジオではですね、僕たち3人で、各種持ち回りで読んできた本をちょっと紹介しながらですね、
保育について考えたり、保育以外のことについてもちょっと深掘ったりしてみて、
いろんな考えを深めていこうという、そんなラジオを続けております。
言っていることがとても浅くって面白いですよね。
ね。深めていくって言いながら、どんどん浅くなってる感じがする。
自分でもびっくりしましたが。
はい。というわけで、今回はまた川尻さんに担当ということで、よろしくお願いします。
お願いします。
今日はちょっと、千尋先生にお願いがあるところから始まるんですが。
何でしょう。
僕っていつも結構、ちゃんと台本を作って、それを元に話してることが多いんですが。
えらいよね。本当、高精算家ですから。
実はね、今回、もう台本めんどくせぇってなったんで、面白いポイントだけ話すので、
千尋さんのほうでうまく保育に接続してまとめてもらっていいですか、最後に。
それ、普段僕がやってることと何の変わりないので大丈夫です。
確かに。
はい。何にもも。
というわけで、今日はこの本が面白かったよっていう話だけします。
うん。いいと思います。
なので、いい感じにしてください、千尋さんは。
わかりました。川尻先生にしては緩い回ということで、皆さん。
今日はちょっと肩の力を抜いて、じゃあ聞いていただけるといいかなと思います。
毎回抜いてもらっていいんだけど。
言うよね。それで言うと別に。
そうね。そんな真面目に聞くあれじゃないですか。
うん、そうなんです。
で、今日ご紹介する本が、前回もちょっと出しました名前は、とばりの向こうという本です。
そうでした。
はい。とばりの向こう、改めて言いますと、哲学者の国部広一郎さんという方。
こちら有名な著作で言うと、暇と退屈の倫理学とか。
はい。やりましたね。
僕が以前ご紹介したこともあるのかな。
そうだね、前紹介してたよね。
有名なので言うと、中道体とかですね。
国部さんが提唱している面白い考えで。
はい。能動でも受動でもない第三の体、中道体っていう概念。
そこを紹介している哲学者の方と、有名なお笑いコンビの大取の赤林さん。
赤林さんってツッコミの方っていう形になるんですか?
道をそうなのかね、ツッコミの方っちゃツッコミの方だね、多分。
オードリーはどっちかで反論するのちょっとむずいよね。
難しいね。
かすかじゃない方ですね。
かすかじゃない方ですね、確かに。
でも、もうなんかどっちもだよね。
完全に。
参加は一緒なんだね。
確かに。
すごいね。
小説とか書かれててるもんね。
小説。
あれですね。
製編だっけ?
ラグビーかアメリカとかのやつだよね。
うん。面白そうよね。
そのお二人がですね、だいたい4年か5年ぐらいかけて、1年に1回ぐらい集まって対談をするみたいな。
へー。
その5年分ぐらい、5回分ぐらいをまとめた本となっております。
なるほど。
はい。で、それが2021年から多分2025、26年ぐらいにかけてなので、
最初の頃は本当コロナ真っ只中みたいな。
そうだね。まだ過虫だね。
そうそう、どうなるんでしょうねってなっていって、
あ、意外とコロナ戻ってきたなってなったら、次はAIが今すごいですね、というのを3回ぐらいやってて。
最初の頃は、もう2023年とか頃ぐらいから岡林さんはZGPTとめっちゃ話してるみたいなことを。
へー。
早いね。
早い。
早いよね。
当時はちょっと、なんていうか、
マッシュな人とかにある感じじゃなかったもんね。
今だったら全然あるじゃん。
うん。
それを3年ぐらい前からやってて、で、この本ちょっと面白いのが、注釈がいちいちお二人がちょっと一言コメントとかを載せてんのね。
へー。
例えば、ZGPTのやつやれば岡林さんが、この頃からそれをやってたのちょっと変でしたね、みたいなのとか。
あと、南海キャンディーズの山里さんと仲良しなんですけど、岡林さんって足りない二人とかやってる。
のが山里さんっていうのを名前出して注釈を入れて南海キャンディーズのみたいなのを書いてあって、
他人への嫉妬心を力に変えられる最強の天才みたいなのを書き残してて。
なるほどね。注釈がそういう感じなんですね。
そうそう。注釈がちょっとこぼけを入れるみたいなのがあって、
で、お二人ともこう交互で面白い話をポンポンポンポンとしてくれるので、
まあ、何よりも読みやすいです。めちゃくちゃ。
もともとが対談っていうか直接話してたことのあれってことだもんね、まとめというか書き起こしを。
で、もともと岡林さん自身が国部さんの著作を読んでいたので、
さすが。
国部さんのあれ面白かったですよね、みたいなのを元に話をしたりとか、
岡林さん自身もそういう哲学とかに興味があったりとか、
そういう部分に興味があっていろいろ勉強してるんで、
国部さんにこれってどうなんですか?みたいなのをどんどん聞くみたいな。
ので、どんどん進んでいくっていうことが多くなってます。
で、国部さん自身のですね、多分観ととかが専門というか、
観と。
純粋理性批判とかも観とですね。
観とですね。
いつか人生で読みたい本。純粋理性批判。
一生いつか読みたいに入ったままの本。
純粋理性批判は。
なかなか。
で、ほんとにいろんな話をしてます。やっぱり4、5年も対談していると、
ある程度の軸はあるんだけど、やっぱり毎回こう話があっち行ったりこっち行ったりとか、
あと後だけに書いてたりするんだけど、あの頃もう若かったなっていう感覚すらあるみたいな。
2021年も。
4年前の対談とかだもんね。
そうだね。
そりゃそうだな。
例えば、若林さんは2021年とかでは、やっぱりまだ資本主義の世界を下りられてない。
儲かるみたいなものとか。
ガシガシ仕事をするみたいな。
仕事は断れないみたいなことを言ってたんだけど、
後書きの2026年の時点では、
いやもう今断れますねみたいなことを言ってた。
変化してるな。
そっか。
その辺もだいぶ変わってきたんだね、感覚が。
だからそういう感じで、
結構、そのお二人の考えの変わり方っていうのが5年でちゃんとあるんだっていうのも面白い。
時間の流れを感じる部分だね、それは。
そうそうそう。
あんまりさ、一つの本読みながら考えが変わるみたいなカフェっていないじゃないですか。
ないね、本はね。
っていうのが面白いなっていうのはまず面白いポイントなんだけど、
僕がこれをざーっと読んでて、
結構ざーっとハイライトみたいなの、
全部引きまくって読んでたんですよ。
で、それをあんまり考えずにバーっと引いて、
その引いた箇所をAIで、
これに引くってことは、
僕ってどこを気にしてるんですかねみたいな、
分析をしてもらったりしたんですね。
そうすると大きく4つぐらいにまとめ直してくれたんで、
それをちょっと今日はメインで話していこうかなと思ってるので、
それを話しつつ、
最後千代さんが保育員につなげて、
終わるという完璧な構成で今日はいきたいと思います。
確かに、完璧な構成だね。
全然、それこそ台本ですよ。
確かに構造がしっかりしてるからね。
できてますよ。さすがですね。
それすらなくやってる私を褒めてほしいということで。
そうなるんだ。
はい、確かに。
というわけで、本日もよろしくお願いします。
お願いします。
目的に回収されない時間と無駄
この本ね、まず言っておくとね、きそくん好きだと思う。
あの、俺読みました。
読みましたか?
好きでした。
楽しかった。
これね、すごいいい本。
面白いんですよ、まず。
面白いね。
ケンタも言ってたけど、やっぱ読みやすかったね。
交互での対話がベースだから、すごいわかりやすくてよかった。
大事。
やっぱ本ってさ、読まなきゃで読むみたいのが多いけどさ、
素直に、面白いから続き読みた、みたいな感じで読める方がお得なんだよね。
なんか、対話に参加してる感じで読めたっていうかね。
めちゃめちゃいい。
大きくは本当、ラジオとか聞いてるみたいなものが近い気がする。
近かった、近かった。
さすが、オードリーはラジオ有名だもんね。
そうだね。
で、中でも僕、この議論よかったな、みたいなのがいくつかあって、
まず一つ目が、結構その、お二人とも資本主義みたいなものから逃れたいというか、
作中の言葉とはちょっと違うかもだけど、僕なりの解釈で言うと、
何かのためっていうものに回収されない時間みたいなのが欲しいよね。
いわゆる無駄を肯定するというかね。
無目的なことを肯定するっていうのは本当にそう思ってました。
その事例として赤林さんが紹介してたのが、タモリクラブっていう番組。
好きです。懐かしい。
親が好きだった。
それでですね、多分もうやってないよね。
やってないよね。
その回で、魚の漁の小網って投げる網があるじゃないですか、
あれを綺麗に投げるのにハマった人が作ったサークルっていうのを特集してる回があって、
面白すぎるよな。
それを練習とかを海とか川じゃなくて、公園でやってるんだって。小網を綺麗に投げるのを。
いいよね。
おもろいな。
それをね、赤林さんがたぶん番組に出たときにその回が出て、
それを赤林さんがすごい素直に、
とは聞いて魚が捕れたときが快楽な絶頂なのに、公園で投げてどうすんのっていうのを素直に質問したら、
タモリさんがすごい怒ったっていうソフトがあげられて。
なるほどね。
タモリさんの怒り方も、いやお前、変態を馬鹿にするのかっていうちょっと失礼な怒り方をするんですよ。
うんうんうん。
これってまさにね、当時の赤林さんは小網をするっていうのは漁のためっていうためがあるはずだ。
そこが楽しいのに公園で投げるだけなんて何のためなのって思ってた。
確かにおいしいところが何もないじゃんってことだよね。
何の意味もない。
ただ綺麗に投げれたっていうだけだもんね。
そう。
ふわっと広がってな。
あれすごいよな。ちょっとやってみたいと思うもんな。
分かる分かる。あれ見るとちょっとすごいよな。
きっとできないだろうなって思っちゃう。
見た目簡単そうなのにね。
そうそうそうそう。
そうそうそうそう。
っていうのを一番分かりやすい例だと思ったんだけど、
手段をすぐ目的をつけたくなるよね。
何かするたびに何のためにそれやるのを問われがちな世の中だよねっていう。
確かに。
その例でいくつか、僕これ面白いなと思ってめっちゃハイライトしちゃったんだけど、
健康とかもそうだよねっていう話だったんで。
健康って本当は、健康それ自体がもうなんか嬉しいものなんだよ。
確かに。
本当はね、健康であるっていうことはもう快適なの。
快適なの。
健康なだけで。
なんだけど、すぐ健康って目的とセットにされてる。
長く生きるとか、効率よく働くとか。
なるほどね。
子育てのためにとか分かんないけど、なんとかのために健康でいようっていう。
健康って本当はそれ自体が気持ちいいはずだろうみたいな話をしてて、
その視点で俺健康見たことないやと思ってびっくりした。
なるほどね、確かに。
そっか。
健康の先に何か目的がセットされがちだってことね。
そう、なんかのための健康であるっていうふうになりがちというか、
逆にそれ以外の考えを持ってなかったよねっていう感じなんだね、経験的には。
そう、仕事で疲弊しないためにとかだって、僕の場合は健康であろうとするみたいな。
なるほどね、確かに。
うちらは割とこれ、そもそも健康気持ちいいだろう派?
健康っていうものの捉え方が医療者すぎて。
またちょっと違う尺度になってるね。
面白い。
健康とはってとこからちょっと。
あなたの思う健康ってどこ?みたいな。
病気がないことが健康なんだっけ?みたいなことをちょっと問いただしたくなっちゃった。
確かにね、そうだね。
我々とはまた違う考え方だね。
たぶん僕の思う健康っていうのは、毎日の仕事を精算的に収集力高く過ごせるぐらいの見合いとかで捉えちゃってるし、
それこそ資料参加したら毎日生きてられるだけでもみたいなのもあるだろうし、
そこのグラデーションは当然あるっちゃあるよね。
そうだね。
分かる。
健康っていうことを商品みたいに扱ってる、保険とかは特にそうだけど、
そういう扱われ方をしていたり、それから健康食品とか、
最近あんま流行ってないかもしれないけど、健康のためのダイエットとか、いろんなものがあるじゃん、商材として。
健康を謳っての商材に関しては、やや怪奇的な目で見てるみたいな感じはあるかな。
売れるからね。
売れるんだなって思って。
なるほどなって思って見ている。
そうですね。
ヨーグルトのふたと基礎研究の余裕
まあそういうふうに、手段を目的が汚染しちゃうみたいな言い方をして、
面白い、なるほどね、確かに。
目的化されちゃうよね、目的と手段に汚染されちゃうよねっていう言い方をしてて、
世の中的にね。
そっかそっか、確かにな。
普通に、これ自体汚染されちゃうよね、終わったって言うんだけど、一応それがどう、良くないっていうまでは言わないけど、
それが何を生み出すかっていう話もしてて、
例えば、無駄を突き詰めるっていうのがあることで、
森永乳業のヨーグルトの例が出てたね。
これ、ビヒダスっていうヨーグルトがあるんですけど、
有名な商品でございますね。
砂糖がサラサラのやつだ。
ヨーグルト自体わかんなかった。
ヨーグルトって、だいたい蓋が当然あるって言うんですけど、
蓋にヨーグルトがつかないようにするための研究っていうのを、
15年間やってたんだって、森永乳業は。
そんな長いこと?
どうやって研究するんだろう、あれ。
へー、おもしろい。
これは、15年やりつつ、ある日、研究者の方が散歩してたら、
パスの葉っぱが水をはじいてるのを見て、
これってヨーグルトの蓋に応用できないんだろうかって思いついた。
そこから、15年かけたヨーグルトの蓋の改良っていうのは進んだっていう話が。
へー。
これもまさに、余裕とか目的化しすぎない、
普通にヨーグルト売り上げをあげようっていうのを目的化しすぎたらさ、
蓋にヨーグルトがつかないようにしようと、なかなかならないじゃないですか。
ならないし、15年かけれないよね。
まさに。
15年かけてたら遅いでしょってなっちゃう。
ずっと頭の片隅に蓋にこびりつくヨーグルトがあったわけでしょ。
そういうことだよ。
研究者ってかすごいよな。
そういうものが応用されていくと、もっといい技術になっていくっていう。
その基礎の部分はやっぱり、ある種こういうなんでもない、何かのためじゃない時間から生まれてくるっていう話だよね。
確かにね。なんかそういうのが許容される環境だったのも、そもそもその会社としてすごいしね。
そうそうそう。
いつまでに絶対に仕上げなさいとかじゃなく、突き詰めていい環境だったけどもね。
日本における基礎研究とかへの予算がつかないみたいな話も世の中あるけど、そういうことだよね。
何のためにが研究でもめっちゃ問われるようになってる。
全国の陰性が泣いちゃうね。
泣いちゃうね。
よく言うよね。
意味のない研究がしづらくなってるってことだよね。
それこそ資本主義の中で派手にならなきゃやってられないみたいな、いっぱいあるでしょうからね。
生活できないからね、実際。
そうなんですよ。そういうやっぱこう、何かのためにっていうのから逃れたいよねっていう議論をずっとし続けているし、
それがすごくお二人の言葉でわかりやすく面白く例えを交えて話してくれるっていうのは一つ。
こういうのを考えるきっかけになるというか、確かに自分、健康っていうものを目的化すぎていたなとか、
どうすれば目的あったほうがいいだろうみたいなのを本を読むみたいなのとか、
それがいいのかっていうのは気づくきっかけだなと思う。
確かにね。
なるほどね。
っていうのが一つ目ですね。何かのためっていうのがありすぎる。
うんうんうん。
常識を外から見るために環境を変える
で、二つ目が、自分がいる場所の常識とか当たり前みたいなものを客観視したいよねみたいな話が結構あるかなと思ってて、
例えば集団の中にいると自分の当たり前みたいなのがどんどんわかんなくなってくるみたいな話が、特に芸能界とかはさ、
特殊な空間。
特殊な空間じゃないですか。
わかんなくなりそう。
で、とか、我々でもわかる例で言えばブラック企業みたいな方とかね。
確かにね。
みんながわかんないけど死ぬほど残業してるのが当たり前だったらさ、変だと思えない。
これはたぶん僕が今働いてる会社でも、きそくんがやってるような仕事でも保育園でも絶対あるね。
アイアス的なことだよね、ある種のね。
あるある。
で、これ面白いなと思ったのが、哲学っていうものは自然の探求みたいなもので始まったとされてるらしいんだけど、
その自然の探求っていうことを始めたときに発見されるものっていうのが、自然であるものと自然でないものの区別らしいのね。
自然であるものと自然でないものの区別。
実はブラック企業で働き続けるって、働いてる人からしたらそれは自然なのよ。
そうだね。
ある種不変な習慣なんだけど、それって実は自然じゃないじゃん、そういう感じしたら。
そうだね。
これは自然じゃないって思える、じゃあ人間にとって本当の自然ってどこに行くんだろうみたいなことを突き詰めていくみたいなのが哲学の始まりだっていう。
そういうのがあるらしいんですね。
確かに。
なるほど。
確かに自然であるってのが分かりにくいけど、当たり前なのかどうか。
うん、身の回りの当たり前だよね。
そうそうそう、所有のものかどうかみたいな。
うんうん。
特殊なのか不変なのかで疑うみたいなことから始めた方がいいよねっていう話だね。
そうだね。
それは本当なんかいろんなとこに言えるよね。それこそ先週話してたけど、そのローカルとかも、
なんかやっぱずっと地元生え抜きの人だけの場所よりも、一回都市部に出て戻ってきた人がいる地域の方がやっぱ面白い地域になってるケースが多くて、
それって多分その当たり前から一回逸脱して、今度東京に出た時に改めてこう自分のいた場所をさ、
あっこうだったんだって気づけるみたいな。
そうそうそう。まさに若林さんも同じような印象さ、入ってきて。
若林さんって東京生まれ東京育ち、ワルソナ奴らだいたい友達。
そっち系なんだよね。
もっとそのオハイソな都市にしかいたことがないって言ったらしいんだけど、割と最近2020年代とかにちょっと郊外に引っ越したらしい。
具体的にどことかは出てないんだけど。
そうなんだ。
なんかイメージ、神奈川の横浜川崎以外とか、埼玉の大宮以外とか。
なんか本の中で玉川越える下りがあったから、こっちから東京に行く方なんだろうなっていう感じがする。
ワンチャン八王子の方とかもなくはないかもしれないね。
なくはないね。
23区内ではないところぐらいのところに住む。
だからめちゃくちゃ地方ではないけど、めっちゃ都会ではないみたいなところに住んでみたら、やっぱ全然東京とは違う。
そうだね。
ちょっと行くだけでもう全然違うっていうことがわかる。
なんかそれを東京を抜けると寝降り部の帳が終わるって言ったんだけど。
おしゃれな言い方やな。
寝降り部の帳が終わる。
それこそオハイソで。
かっこいいよな。
かっこいいわ。
でも東京ってやっぱり円溜めの消費とか、星滑とか音楽とかが全部ぎゅうぎゅうに詰まってる感じがすごいっていう感じがするね。
どこに行っても情報量が多すぎる。
でもちょっとずれるだけで、それがかなり緩和されるというか、プレッシャーがなくなるっていう話をしてましたね。
そういう地方に行くってやっぱ全然違うよっていう。
いいな。
これからの時代の動きだなって感じがするよね。
面白かったね。
あと後々にもね、その若林さんが駅前の商店街のハロウィンイベントに参加した話をしてるんだけど、
かわいい。
東京だったら、初めましてだったらまずこう挨拶して自己紹介をするみたいな基本ルールだと思って生きてたら、
町内会の会長から初手で、その会長がサングラスしてパイプイスに座った状態で、
どっかで見た顔だなって言われたんだって、初手で。
東京だったらなんかただ失礼なやつみたいに扱われちゃうよね、そういう人。
それに対して若林さんは、私の中の初対面の方とのコミュニケーションの基本は、
お互いの挨拶と自己紹介なのだが、ここではそうではなかったって言って。
冷静に見てるんだなって。
冷静だね、確かに。
なかなか普通に一般芸能人として生きてたら、そういう扱いされることもないだろうし。
ないだろうしね、確かに。
知られてる前提だしな。
そうそう。
あと面白いなって思ったのが、
沖縄に行ったら金持ちになりたい気持ちが消えたっていう話もしてて。
そういうゆったりとした時間を過ごしちゃうと、
もともとあった欲がちょっとどっかに行っちゃうみたいな、
満足があると消えちゃうみたいなのがあるらしいですね。
気持ちはわかるかも。
なるほどね。
だから自分たちの当たり前みたいなものをすっごい外に出ると、
ちゃんとそれが客観視できるというか、
改めて見直すことができるっていうのは、
職場という環境でもいいし、
物理的な環境でもいいし、
環境を変えるっていうのは、
ある種そういうのを考え直すっていうので、
いいきっかけなのかなと思えて面白かったです。
確かに。
資本主義の権限みたいなね、
世界で生きてたわけだからね。
そうだね。
芸人っていう。
忙しいだろうね。
オードリーの前世紀、今も全然前世紀だと思うけど、
寝る時間本当に、
一日何時間だったんだろうぐらい忙しい時あったでしょうよね、きっとね。
そうだね。
しかもオードリーは特に売れてない時期みたいなのも、
明確にあってからのだからさ。
そうだよね。
一気にバンといったみたいな。
M1で。
そうそう。ラクさんもすごかったのからね。
確かにね。
疲れたと言える余白と仕事の減らし方
まあ、そんだけ忙しくした若林さん、
やっぱり疲れてるらしくて。
そうなんだ。
2人でよく会話に出てきたのが、
もっとみんな疲れたって言った方がいいって話をしてた。
そうかそうか、言いにくそうだもんな、業界って。
これ、こくべさんがちょくちょく出してた話なんだけど、
日本の選挙の投票率が低いっていうのは、
もうみんな忙しすぎる。
行く暇ないもん、確かに要因の一つね。
民主主義をちゃんとやりたいんだったら、
国民が暇にならないと無理だ。
考える余裕がないんだもんな。
そもそも考える余裕がないのに、
できるわけがないだろうっていう話をたびたび出していて、
たぶんこれ別のちょちょたらでも、
とされてる話だと思うんですよ。
っていうぐらい、みんな疲れてるんだけど、
疲れたってあんま言わないよね。
だからお仕事が減っちゃうのかもねとか、
不安だよねとか、そういうのがあるかもしれない。
疲れたって言えない雰囲気があるみたいなところはあるよね。
そう。確かに。
みんなさ、今忙しいのって言うと、
いや全然暇だよって反射で言っちゃうみたいな癖ある人いると思うんだよね。
確かに。忙しさをアピールすることを、
やはり美徳とは思っていないよね、少なくとも。
そうそうそうそう。
積極的に疲れたということを、
なんて本当に身内以外では言わないよな、なんか。
疲れたから仕事休みますが、成り立つ世界ではあんまりないよね。
そう。確かにな。
特にさ、エンタメのお仕事はたぶんやってたもん。
そうだね。人気商売だもんな、あれ。
最近のあのエンタメとかさ、映画見た、ドラマ見たとか、
みんなそういうの追ってるかどうかをやっぱ大事にしているから、
それに追いつけないときに大変だよねっていう気持ちになっちゃう。
話題にちゃんとついてかないといけない。
お笑い芸人としても、ある程度分かってないとなんかこう突っ込めないとかね、
混じれそうな色を持ってそうだもんな、若林さんとか。
みんなあれってもう見たみたいな、まだ見てないみたいな、
いつか見ることが前提になってるよねみたいな話かもしれない。
まだ見てないはありがちだよね。
それこそネットフリックスとかで出てくる新作のドラマとかさ、
もうやっぱ絶対トレンドになるからさ、なんか抑えとかなきゃみたいなの。
見たいか見たくないかっていうよりは、抑えとかなきゃみたいな感覚はありそうだよね。
あるよね。
でもそれに関しては僕、完全にこれ本にない僕の持論なんだけど、
なんか諦めたほうがいいと思うんだよね、新しいものを見続けるって。
分かる。
変なところを見たほうが、謎の強みを作れるし、
知らないことは聞けるので、結構お得だと思ってるんです。
僕最近、映画とかドラマとかほとんど見ないし、
XとかいうクソSNSもほぼやめたので、
ずっと言ってる。
インターネットで何が起きてるみたいな情報がほぼ入ってこない。
その時間を使って僕はYouTubeショートと悪役例上に圧倒的に詳しくなっていっているので、
面白い尖り方してるよね。
ポジショニングだよね。
だからちょっと最近話題のこれみたいなのを誰かに話したら、
それ何なんですかって聞けるじゃん、コミュニケーションになるような。
これ自体はコミュニケーションとしていいんだけど、
僕これもう1個あるなと思ったのが、
それを、例えばXの炎上のなんとかみたいな話を本人に説明してもらうと、
本人もなんだこれつまんねえなって気づけるなと思って。
啓蒙してんだ、消えた。
消し屋さんだったと思って。
なんでこんな話してんだろうって、改めて言葉にするとなりやすいことが多いと思うのよ。
なるほどね。
確かにな、他人の炎上ほどなよくわかんないものはないよな。
自分がカチューならまだしもな。
僕は啓蒙してるの。
みんなやめようぜって。
なるほどね。
それよりも、もっと悪役霊場とか読もうぜっていう啓蒙を続けているのよ。
そうだね、確かに。
こういう形で、みんな疲れてるから仕事を減らしたほうがいい。
でも仕事減らすのって実は大変だよね。
まあね、そうだよね。
いや、大変だと思う。
例えば業務委託でさ、週4で働いてたのを週3にするってだけでも結構大変だと思うんだけど、実際。
手続き的な面もそうだし、実際の生活のリズム的なこともそうなんだけど。
仕事減らすとは結構勇気がいるよね。
そうだね。
僕らとかはさ、割と生活にまだ直結するじゃないですか。
減らしたら募集が減ってるとか、雇用されてたらそれぞれ減らすの難しいとかもあるし。
でも若林さんみたいな、売れてる人とかだったら一定の資産を築いていて、
引退したとて、つつましくなら生きていけるだろうというようなお金は当然持っている。
けど減らせない。
減らすっていうのが実は、もうロジックじゃ無理だよねって話をしてて。
どうだね、確かにね。
もうやめる、減らすって決断して、やんないと無理。
ロンリーとかじゃもう誰も得しないんですよ。
仕事減らすことって。
なんというか、関係者は悲しいし。
なんだけど、もう無理だからやめるって決断をして減らさないと無理だよねっていう話とかもしていて、
それぐらいしないと仕事って減らせない。
減らせない。
だから理由はいらない。
メンダルがやばいからとかもいい、いい、もう減らせ、みたいな。
決断さえすれば減らすことができる。
そこに理由をつけだしたら理由はつかないから。
合理的に考えたら減らすべきじゃない。
なるほどね。
最初にいく何とかのためともちょっと通じるんだけど、
使われてるから減らす以上でいいよっていう。
いい話だなと思って。
いい話だね。
本当だね。
仕事ね、難しいよね。
僕やチロ先生みたいな、雇われの身だとね、
なかなかどうしたって、その有給をどう消化するかぐらいの、
それもできるかどうかって話もあるしさ。
確かに。
普通の雇用の状態だと。
頑張りと成果は比例しない
そういった意味じゃ、みんなこう、サボるのが下手よね。
なんかそういう人たちってね。
やっぱ疲れちゃう人たちって。
一生懸命なのがすごい素敵なんだけど、
俺はなんか自分で一個すごい自負してることがあって、
サボるのすっごい上手なんだよ、たぶん。
いいね。
なるほどね。
これはね、しかも無自覚だったんだけど最初。
それこそ我々、僕と川尻はバスケ部じゃないですか。
僕ずっとバスケ、小学校から大学までずっとやってたんだけど、
大体ポジションが1,2,3番ぐらいで、ガードからフォアとぐらいの間をやることが多くてね、バスケで。
比較的、ちょこまか走るタイプどっちかっていうと。
そんな体も大きくないし、体格もそんなでかいわけじゃないから、
どっちかっていうとスピードで頑張ろうとするようなタイプなんだけど、
なんかの時にバスケ教えてくれてるお兄さんかなんかから、
なんか言われたんですよ。
お前はやっぱすごい上手にサボるな、みたいなこと言われて。
それってイメージなんとなく伝わるで言ったら、サッカー日本代表の遠藤みたいな感じ。
あの人の運動力ってすごいんだよ、本当は。
めちゃめちゃ必死やに何十キロとか走ってて、めちゃめちゃ誰よりも動いてるんだけど、
そんな一生懸命やってる印象ないじゃない。
PKはコロコロ蹴るし。
でも本当、必要な場面でガッとやるけど、そうでもない場面。
要は手を抜いていいみたいな、手を抜いていいというか、
今は動かなくてもいいみたいな場面で、動かないみたいな、
その抜き方がすごい上手みたいな説があって、
それに近い、それのすごいちっちゃい場みたいな感じでやってて。
サッカーで言うと、メッシがそうみたいな話も聞いたことあるかな。
でもそうかもそうかも。
最近のワールドカップではね、結構歩いてたね。
メッシはでもだいぶね、キャリアがもう。
そうそう、メッシはまたちょっと別枠だよね。
ちょっと別枠だと思うけど。
歩いててもチームのみんながボールを渡してくるし、
メッシさん偉いのはでも本当に大事なところはちゃんと動いてることだよね。
だし上手いしね。
最近僕仕事で、会社の社長と後、
伝統社のミノワさんっていう方のラジオのスタッフとして入ってるんですけど、
ミノワさんめちゃくちゃ面白くて、
ミノワさんってそれこそ結構だらっとしてるというか、
確かに。
ちょっとその抜くのが上手い人なんですね、まさに。
なんだけど、ちょっと頑張ったときに人に見てもらえるっていう才能があるらしくて、
今言ったチロとちょっと違くて、
チロはある種、上手く抜くな、上手くサボってんなって言われてるわけじゃん。
ミノワさんはちょっと頑張った瞬間をとって、
ミノワはあんなに頑張ってるぞって言われるっていうタイプがあって、
なるほどね。
そうそう。サッカーをやってたらしくて、ミノワさんは。
フォワードをやってて、
フォワードは基本ゴール側にいる。
そうだね。
なんだけど、たまにディフェンスに全力で走って戻るみたいなことをしてたら、
そこだけ監督が見てくれて、
ミノワ走ってんぞみたいな。
なるほどね。
みたいなことがある。
だからこれはちゃんとうまくやれてる。
うまくやれてる。
一歩で。
真逆もいるじゃん。
そうそうそう。
そうなんだよね。
めちゃくちゃ頑張ってんのに、ちょっと抜いてる瞬間を見つかっちゃうっていう人。
あるね、それは。
ありがちよね。
これ、なんかもう人間性とかじゃないよね。
有るんだよね。
有るんだね、そこは。
それはそうだと思う。
普通、才能とかの話でもない。
そうなんだよな。
大きくは無意識的に、
もしかしたら素人とかミノワさんみたいなタイプはここだなっていう嗅覚でやっているみたいなのもあるかもしれないけど、
でもやっぱ客観的に見るとちょっと運っぽさはあるよね。
確かに、それはある。
だから、頑張り具合と成果で必ずしも比例ではないよね。
間違いない、思う。
だからすごく真面目で一生懸命な人が、やっぱそういう人に限っては疲れたって言いづらいだろうなって思うし。
なるほどね。
確かにね、忙しいのって最近どう?とか言われた時の正解って分かんないよな。
分かんない。
いや、俺は結構もう、毎日めっちゃ忙しくやらせてもらってますって言ってる。
どうであれ。
どうであれね。
どうであれ。
めちゃくちゃサボって、有休休暇、別になんでもないのにとってゲームしてる日とかがあったとしても、堂々としてる。
忙しくやってる。大事なことかもな、それ。
堂々としてる。
有休休暇だって労働ですから。
そうだよね。
全然、これは本当になんかただただ、労働しながらとかじゃないところが俺の偉いところだなと思ってる。
なるほどね。
偉い偉い。
ちゃんと勇気を使う。
必死に勇気を消化してんだ。
そう、めっちゃゲームしてやろうと思って。
真剣にやってんだね。
大事。
大事だね、それは。
でもやっぱなんか、これからはね、なんか時間がある人の時代だと思うから、勤めて暇になるようにしたいなとは思ってるよね。
でもそれこそ、勝馬和夫さんも同じようなこと言ってたな。
懐かしいな、あれだね。
でも最近は確かに、そっか、えぇーとかめっちゃ触ってるもんな、あの人。
僕、もう1個やってるのが、けんすさんと田中圭っていう、田中圭さんってめっちゃ朝早起きするラジオのゲストに勝馬和夫さんが来てくださって、
勝馬和夫さん、最近もう1日働くのは2時間までにしてるって言ってました。
すごいね。
それ以外はもうずっと、何かその仕事の種になるようなインプット。
人と会うか、本を読むか、旅をするのどれかになってくる。
結構、堀江門勝馬和夫とかあのあたりは、資本主義の権限みたいなイメージある。
権限だよね。
そうだよね。
なかなか真似できない働き方をずっとしてた人たちというか。
勝馬和夫さんの話を聞いた、僕がプロデューサーを務める限界突破レイファック、皆さんぜひ聞いてください。
急に万歳入った。万歳入りましたね、急に。
めちゃくちゃ面白いのでぜひ聞いてください。
現実との和解が早すぎる若者
すみません、ちょっとまたこっちに話を戻すんですが。
最後、疲れたって話と。
ここまで話を聞くと、僕やっぱりどうしてもとはいえ、ゆるく生きりゃいいよねっていうのにはまとめたくないんですよ。
そうですよね、あなたは。
そう、僕は。分かるんだよ。分かるんだけど、そこで察観しちゃうのって、それはそれで早くねえかっていう気持ちになっちゃう側の人なんですね。
分かったような顔してどうすんのっていう。
っていうのも結構お二人は話してくれてて。
っていうのも最近の若者は、現実と和解して老人化するのが早いよねっていう議論をしてる。
先週してたところの話ですね。
そう、先週ちょっと話しちゃったんですが、これ実際本に書いてあったのを早くちょっと説明、僕言い換えるのが難しいので読んじゃうんですが、
まず子供は現実と対立してないっていう話から入るんですね。
子供は現実を何というか、ありのまま受け入れている。
そうです。
それはやっぱチョウさんね。
そうです、ほんとに。
で、それに対して若者は現実と対立するっていうのがまず基本としてあったんですよ。
現実に対して自分はこうありたいっていう理想との対立。
自分の理想と現実の対立。
で、そこから大人になる。
若者から大人になるっていうのを経ると、その理想と現実を和解させるっていう行為。
これがある意味自分の現実を知っていくっていう行為で、
で、老人になると、もう一つ言って、老人になると、
自分と現実の対立そのものが消滅するっていう。
これちょっと難しかった。僕にはまだこれわかんなかった。
対立が消滅する。
自我というか、あんまりよく見せようとかそういうのがなくなってくってことなんだろうなと思う。
一周回って子供に戻るみたいな。
なるほどね。
そもそも対立してない状態になるような状態。
っていう中で、さっき言った現実との和解が早いよねっていう話。
若林さんとかも、若い頃はもうガンガンやってやるぜって気持ちがあったからここまで来れたっていう感覚もあるけど、
やっぱ最近は、先週も話したよな、ネタバレと呼ばれるような、自分の人生こんなもんだろうなっていうのが情報が多すぎるせいで、
たどり着くの早いっていうのになっちゃってるっていうのは、
なんていうか、もったいないなっていうのがある。
やっぱり今まで話してる話って、目的のためじゃないのもいいよねっていう話は全然わかるのよ。
わかるんだけど、それだけでもやっぱダメだと思って。
そうだね。
それがないは確かにもったいないんだけど、
とはいえ、やっぱり何かのために目指すっていう動きがあったほうが、
いろんな幅の動きにはなるよなって思えるんですよね。
確かに。
だからこの本全体として、こうしろっていうのは全くないんだよ、やっぱり。
確かに。何かを示してるわけじゃないのよね。
そうそうそう。みんな疲れてるから休んだほうがいいっていうメッセージは当然あるんだけど、
ただ休んでもなっていうのも当然。
まあ、そりゃそうだよね。
普通に生活することを考えたときに。
言うてここで沢山してもやっぱり、僕は自論としてしょうがない、意味がない。
だったら何か今もがいたほうがよくないって思うなっていうのは改めて、
逆というか、沢山じゃないけど疲れてるよねとか、目的のためじゃないよねみたいな議論を見た上で、
でもやっぱりまだって思ってほしいなっていう気持ちが思った最後の部分かなというところでしたね。
なるほどね。ちゃんと若者としての対立を沢山持ってるんだね、そういった意味じゃない。
僕はまだ対立してるな、まだ若者だなっていう。
なるほどね。
この若者とか大人みたいなセリフはヘーゲルとかがやってるらしいね。
哲学者だね。
ヘーゲルね、名前だけは聞いたことあるな。
分かる、俺も。
だから割とやっぱり僕は二択みたいなものをパッチっと分けるより、合間というか、
両方結局大事だよねみたいな、結論としてはYouTubeで一番ウケないタイプの人だと思うんだけど。
言い切れないタイプね。
言い切れないタイプね。
賢いがゆえに要素がちゃんと見えるんだよな。
なんだけど、そこにこそ良さがあるなって思って。
こういう二択の間みたいな淡いって言ったりするじゃないですか。
茶道とかでも使われたりするらしいけど、淡いの考え方。
そういうものが僕はすごい好きだし、関心が強いんだなってことを2週ぐらい回って改めて思えた。
確かに、俺が先週紹介してた本とかも割とその考えというか、その淡いというか、
何て言うの、その獅子の世界と人間の世界とみたいな、合間のお話みたいなとこだったし、
自分自身その都市部とローカルっていう二元路があるならば、どっちにも染まりきれないし、
いえば都市にいるけど地方に行ってるし、その面白さ。
マイルドヤンキーだしな。
マイルドヤンキーだし、それは限ってないけどね。
でもだから、やっぱり人間ってさ、矛盾してるから面白いなって思ってて。
白か黒かの間、なんか俺最近アナログがさ、めちゃめちゃ流行ってるというか、若者世代にちょっと受けてる、
海外のTikTokerとかInstagramerとか、そういう人たちの間で、そのアナログ回帰みたいなタグがあって、
アナログマキシングみたいなやつかな。
カメラ持ったり、紙の本持ったり、読んだりとか。
ちょっとその、一種のファッション的な部分は見られないんだけど、
でもそういうのってさ、なんていうのかな。
あとフィルム写真とかもさ、自分自身がそうだから思うんだけど、
なんかデジタルって0か1の情報として基本物が処理されてるけど、
アナログってその0か1じゃなくて、その間にいろんな情報が本当はあるわけじゃん。
なんかそこの感じが、今の時代欲しいんだなっていう。
0、1じゃない世界みたいなところに、人がちょっと寄ってってるなって感じがして。
淡いね。
淡い。
でもそこがあって初めて0、1が成立するぐらいな感覚で僕はずっといるもんだから。
そこの土台がやっぱり、なんというかある種失われているような世界なわけじゃない?
何にするにも。
本当そうだよね。
白か黒かしかないもんね。
世代的にはさ、携帯電話とかSNSがない幼少時代をちゃんと過ごせているから、
本当いろんなものが変わっていった十数年を共に生きていっているわけだから、
でも現体験としてはさ、ちゃんとなんというか体を使った遊びがあるわけじゃん。
幼少期は携帯とか身近ではなかったからね。
そうそうそう。
やっぱりでもそういったものがある種ネイティブに育ってきた今の本当の若者10代、20代前半ぐらいの。
もう生まれた時から携帯が目の前にあったよね。
子供たちが育っていって、何を思うかってところでやっぱそのローカルなところに行ったりとか。
そうだね。
そういう。
身体性を伴うところに行きそうな。
アナログなところにやっぱり興味関心があるっていうのはある種、
人間として動物的なのかなんというかちょっとわかんないけど、
なんかやっぱそこを体が求めてるんだろうなって頭じゃなくて。
感じはちょっとするし。
人との関わりを大切にする保育
保育なんてやっぱそこを一番大事に思って普段接してるわけだから、
もうこれでねいよいよ保育園でせいぜい記録でスマホ使ったりとかなんだったりっていうのは全然いいんだけど、
ツールとしてね、記録をちゃんちゃんちゃんちゃんやるためのツールとして使う分にはいいけど、
これが保育材料になったらもう終わりだなと思ってるので。
ロボットが保育しますとかね。
そうそうそう。せいぜいで曲かけるとかなら全然いいと思うんだけど。
でもやっぱ、ある種そのリトミックとかリズムとかっていうさ、
分野というかなんつーの体操みたいなものがあるんだけど、
それってやっぱ人間が弾きながら、
そのピアノ弾く先生が子供たちの動きに合わせたり、
あるいはピアノの動きに合わせるように子供たちを動かしたりってするのをリアルタイムでやるわけよ。
あれって結局、AIとかその録音されたもので絶対できないわけで、
その場の子供たちとの。
双方向的じゃないってことだよね。
そうそうそうそう。
それ、先週のさ、詩詩の本でも全く同じこと書いてあって、
太鼓叩く人、あれの、ヨドリの太鼓とか笛吹く人って、
踊り手の動きを見ながらそれをやるから、
ある時レコーディングしようとした時に、
踊り手いないと誰かがわかんなくなっちゃうっていう。
だしさ、ああいう祭りの音楽とかって、そういう揺らげがさ、すごくあるわけじゃん。
双方向的なんだよね、意外と。
それがやっぱ、すごくざっくりと人と人とのコミュニケーションみたいなものじゃん、
すごく雑にまとめると。
だからやっぱそこに、人間が根源的に求めるものがあるんだろうなって思うと、
やっぱそこを大事にしていく保育とか、
保育者との関わり、人と人とが関わっていくってことは、
もう未来永劫、そこはAIにはとって変わられない、
とって変わっちゃダメな分野だって思うと、
いろんな知能と知識と技術を集結させて、
全員で保育やればいいと思うんだよね、本当に。
今、保育につなげてくれてる。
客観させたね、保育に。
ある種、若林さんとか国部さんとか、そういう全然他ジャンルの、
全くもって保育畑じゃない人たちが、
やっぱり保育について考えてみてもらいたいな、
今度対談の中で保育ってさ、みたいなことを言ってみてほしいなってぐらい、
そういう目線が一個入るだけで業界がガラッと変わったりするだろうし、
なんかわけわかんねえ、古い式たりだけでも、
それこそ、永遠と紙で記録をし続けてて、職員のね、
残業が当たり前になっていくんです、みたいな。
そういったブラック化してるような縁が淘汰された方がいいと思うし、
あるいは、いい保育をしてるなら、
それがもっともっとキャッチアップしていってもらいたいしとか、
も含めて保育の質ってものが、
もっともっと上がっていくためには。
保育の質が上がるってことは、
それだけ子供たちが豊かに育つっていうことに直結するので、
なんか、それこそ、
こっから先の未来も、
現代人が抱えるその、いろんなものへの疲れみたいなものも、
保育の仕事ってすごい疲れるし、
人相手だからうまくもいかないし、
感情的にも揺さぶられるし、肉体的にもきついし、
いろんなもののきつさはあれど、
やっぱ人と人と会してるからこそ、
満たされてるものもたくさんあると思うんだよね。
それはなんか介護とか看護とかもそうなと思うんだよね。
そのつながりをフィジカルに感じられる。
そうそうそう。すごくやっぱそれで、
もちろん疲れすぎちゃうと病んでしまうこともあるかもしれないけど、
つながっているからこそ、
実は疲れの中に満たされてるものもあったりとかって、
そこを自覚できているかどうかっていうのはすごいね、
大事なことだと思うから。
今日もかわいかったよ子供たち本当に。
ギャーギャーギャーギャー泣きながら。
なんか最近行事前だからね、
僕が保育に入ることがちょっと増えてみたけど、
なるほどね。
ほんとね、意味わかんなくて面白い。
なんでか全然わかんなくて、
急に頭引っ叩きに行くみたいな。
いや、待って待って待って待ってみたいな。
ああいう、すごいだからね、
面白い、やっぱ自分の想像、
いとも簡単に超えられていく。
ましてにゼロ接種生2歳の子たちに超えられていく。
自分の範疇じゃないことがバンバン起こっていくっていう。
そうだね。
その刺激って、なかなかないだろうなって思った。
いや、そうだよね。
これを疲れではなく、
好奇心と満たされる充足の方に、
気持ちを抜けられるかどうかって、
確かに自分が健康であるかどうかっていうのが割と大事だし、
精神的にも肉体的にもね、
そういう目線を持ってるかとかもあるし、
なんかいろんな話がつながっていくなと思って。
すごい、保育とつなげてくれた。
それだけが今んとこの特技なんで。
でもやっぱその子どもたちは何の意味もわからないみたいな、
それこそまさに現実と対立したいっていうか、
今言ったさ、目的を追うも、目的から離れようも、
そもそも目的っていう主体を意識をしてはいるわけじゃない?
それがもう意識にないみたいな状態だって、
だから子ども泥棒人ってことなんだよね、きっとね。
ないね。
なんで走ってんの?ってなるときあるもんね。
小学生の子見てるだけでさ、陶芸校中の、
すげえ走るやんみたいな。
今走んの?みたいな。
いや、なれないな。全然無理。
全然無理。
天真爛漫に走らないといけない。
無理無理無理無理。
何も考えずに。
絶対無理。
目的で埋めない子どもの時間
あれじゃん、その教育的なところに乗せていくってさ、
目的化していくみたいなこととちょっと似通ったものがあるでしょ。
そうだね、相容れなさあるよね。
だからね、やっぱその保育の中でも教育の要素を強く出す縁だったり、
それこそ幼稚園とか、やっぱカリキュラムがあってこれやらなきゃいけないみたいな。
教育側に偏ると、いろんなものを目的化していくわけで、
ひろがなをかけるようになりましょうみたいなさ。
そうだね。
とはいえ、世の中の今の社会が割とその目的化を前提としてるというか、
そこではその子たちが、教育的なところに通ってる子たちは、
現在のシステムに適応するのは多分早い。
そうなんだからね、これすっごい難しくって、
単純に成績の、初期の成績の良さだけで見たら絶対早期教育されてる子のほうが、
読み書きが早いとか、計算が早いとか、絶対ある。
それはもう100%そうなんだけど、
その子たちがそれこそ15、16、17、大人になっていった時に、
その子のクリエイティビティがちゃんと発揮できるかとか、
みんな大好き、非認知的能力のところの部分よね。
その保育が大事にしている部分って。
本当にその、何か成果として直結するものが目の前にパンと出ないもんだから、
やっぱ保育って伝わりづらかったり。
そうだね、重要性はちょっと見過ごされがちよな。
見過ごされがちだし、そういう早期教育系頑張ってますのほうが、
親御さんもなんかいい感じがするって思うのは間違いないんだけど。
いやーもどかしいね。
そう、なんとか横断的なそういう研究結果じゃないけど、
もうちょいしたらもっと増えてくるんじゃないかな。
今でもこんだけ非認知的能力大事だってさ、
もうそれこそこの名前ぐらいからずっと言われてるじゃん。
子供がヨーグルトの下にヨーグルトつかないようにするのに、
小学校、幼稚園とかから大人、高校生ぐらいになるまで待つことはできないよね、親としては。
でも、なんかある種学力では測れない、ペーパーテストでは測れない部分に対しても、
こうなんというか、日々のやり取りで育われてるんだぞっていうのを、
どんだけ大人側が意識できるか。
目的かとはちょっと違うけど、
でもある種のディレクションというか、
こっち側がこう言ったらっていうその前提の方針があるわけだもんね、大人側に。
そう、だから早期教育が悪いとかでは全くないんだが、
そうじゃない部分も大切にしておいた方が本当はその子にとってはいいのではみたいな。
そうじゃないと大切にしすぎると、現代ではなかなか小学校なじめないとかそういう風になりそうだよね。
でもある種不登校だったり、学力が見合わなかったりとかってのがあったとしても、
本当にそこさえ育っていれば、その子はその子でちゃんと自分の何か原石みたいなものを輝かせる大人になれる。
小学校に仮に行けなくったって、勉強何回いくらでもできるしとかね、その子の才能を開花させることにつながったりとか。
でもやっぱそういったことを思うと、なんかある種その無駄を愛するみたいなところにもね、つながっていくと思うんだけど、
その子が過ごす時間みたいなものを目的で詰め詰めにしないで、
ただ一緒に過ごしてあげるでもいいし、小学校に行けない時間があったとしても、
その時間をただ共有してあげるっていうことが意外と平和にもつながっていくというか、
僕は結構時間が解決するってこの三次元特有のすごさだと思うので、
だいたい病気なんてみんな時間が経過することで治っていくんだしさとかさ、
いろんなものが発行していくみたいな感覚と近いけど、
時間というものがあるからこそ、何かAからBの違う地点に行くみたいな感じの、
なんかそういう考え方は割と好きなんで、
無意味な時間なんてないというか、時間が経過するということにも意味があるというか。
ね。なんだかよくわかんない話になりましたが。
そうだね。
哲学者にそういうとこ聞いてみたいな、ちょっとまた時間というものの捉え方というか、
どう捉えるんだろうなって。
面白いです。
でもこういう本を読むのの1個の側面が、あんま考えたことない考えるっていう気になるので、
意味でも僕はこの本おすすめなので。
これ読みやすいしな、キャッチ。
本って、僕、インプットするものじゃなくて考える道具だと思っているので。
職媒みたいなことですよね。
そうそう。刺激を受けて出た反応みたいなもので考えるほうが楽じゃないですか、ゼロから考えるより。
だからそういう意味では、読みやすい本でなんとなく刺激を受けてみて、
新しいことを考えて、そう思ったことを周りの人に話せるみたいなことが起きると、
いろいろ面白いなと思ったりする。そんな本でした。
ありがとうございました。
もう一度題名を教えてください。
とばりのむこう。
というわけで、こんな感じでいろんな本を紹介しながら、
保育のこと深掘ったり、さとまたいろんなことを考えたりしていくラジオを今後も続けてまいりますので、
ご質問だったりご意見だったり、ご感想等々ぜひぜひお寄せいただけたらなと思います。
GoogleフォームのURLも書いてあるので、そちらを送っていただいてもいいですし、
YouTubeのコメント欄とかに何か書いてくれても嬉しいですし。
基本何でも嬉しいので。よろしくお願いします。
というわけで次回は私ですね。
そうですね。
私が台本を作らずまた持ってきますので。
前提なのでもそうかね。
僕が紹介するときは、きそさんとかわじさんのお力をすべて発揮していただく会になると思うので。
ちょっとね、お二人は肩に力を入れてから来てくださいということで。
抜かないことね。我々が壊れてくる。
というわけで、今回もご視聴ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
59:49

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